シビリアンコントロール
実力があるからこそ、使い所を間違えると、取り返しのつかない事態になってしまうのが、世の常である。SBUの様な強力なユニットは、言うなれば核兵器の様なものだ。一度使用してしまえば後に引けない怖さがある事は確かである。
使う場所とタイミングを国家は見謝ってはいけないと言える。その判断は最終的にはシビリアンコントロールという、体制をしいている以上は現場の自衛官の判断ではなく、市ヶ谷の防衛省と霞が関の内閣といった政治家の判断になる。
海上自衛隊特別警備隊は、広島県江田島市に本拠地を持つが、自衛艦隊の所属であり、呉地方隊の所属ではない。よって、内閣総理大臣の一声で、直ぐに出動出来る事になる。ただ、時の内閣総理大臣でして、自衛隊に必ずしも詳しいという訳ではない。文民統制の一番の弱点は、こう言う専門家が軍を直接指揮出来ない所にある。
文民統制は元々、アメリカを見習い、戦前の軍隊の在り方を議論した上で導入された制度である。確かに意味するものは大変美しいものなのだが、その美辞麗句に踊らされている様では、よろしくない。
本来ならば、軍隊の事は軍人が任されるべきで、文官の出る幕ではないのかもしれない。これからもきっと日本は文民統制の負の側面に直面して行く事が予測されるが、果たして何処まで、日本人が対処出来るのか、見物である。
アメリカ海軍特殊部隊ネイビー・シールズの、見よう見まねで作り上げた、SBUの本当の実力はまだ分かっていない。実力がある事は噂に聞くが、それが充分に国民に証明された機会はほとんどない。訓練の様子は非公開。隊員のプライバシーは一切シャットアウト。顔出しNG。階級出しNG。この部隊いつ使うの?って思いもしないのが庶民である。
訓練段階の話では、それなりの部隊なのかと言う事が言えるが、それはあくまで訓練段階の話である。実戦で何処まで使用出来るのか?という根本的な問題は、実戦が無い為図りかねてしかるべきであろう。
残念ながら、日本周辺の情勢を考えると、現状ではSBU投入をしなければならない状況ではない。しかし、島国の我が国が、海上テロや中国海警局や中国の海上民兵の脅威にさらされている事を見越して、SBUの運用を考える必要がある。