お喚びでない悪魔
悪魔は、退屈していた。
邪教を狂信する輩も現れなければ、祓魔師もやって来ない。
信仰心が薄れているせいか、それとも科学が幅を利かせているせいか。
とにかく、悪魔は百年ほど誰からも召喚されないので、暇を持て余していた。
だから、久々に聞こえてきた呪文に驚き、おっとり刀で現世へと向かった。
*
ウィンザーガードナー
ヒエロムスブカヤイ
パーマネアリッテン
デューセラオズーヴェ
ウィンザーガードナー
ヒエロムスブカヤイ
パーマネアリッテン
デューセラオズーヴェ
*
一世紀以上、誰からも必要とされていなかった悪魔が喚び出された先は、甍の屋根が青々とした日本家屋だった。
畳の上に敷かれた模造紙に書かれた召喚円に降り立つと、そこには年端もいかない少女の姿があった。
ポカーンと口を半開きにしているが、傍らに魔導書があるので、召喚主には違いない。
悪魔は、背後に阿弥陀如来像の視線を感じつつ、少女に問いかけた。
「神をも畏れぬ仕業を成し遂げたのは、貴様か?」
「……ちがう」
「何?」
「あたしがよびたかったのは、あんたじゃない!」
何か手違いがあったと思った悪魔は、根気強く少女と話し合った結果、以下の事実が判明した。
一つ。少女が召喚したかったのは、悪魔ではなく、亡くなった父親だということ。
二つ。魔導書は、その父親の書斎の机の上にあり、付箋が貼ってあるページが気になったから試したのだということ。
三つ。悪魔に用は無いから、さっさと帰って欲しいということ。
「なるほど。悪魔(devil)ではなく、父親(daddy)を喚びたかったのか」
「わかってくれた? じゃあね。バイバーイ!」
「待ちたまえ。手ブラでは帰れぬから、願いを寄こしなさい」
「たとえば?」
「そうだな。誰か、殺したいほど憎い奴は居ないか?」
「いない。おともだちは、みんなやさしいもん」
「では、食べてみたい料理や、行ってみたい場所は無いか?」
「ない。おうちでママのおりょうりをたべるのが、いちばんいい」
「ならば、大金持ちと結婚して、お姫様のような生活をしたくないか?」
「したくない。だって、たいへんそうだもの」
「ウーム」
ことごとく提案を却下された悪魔は、しばし腕を組んで考え、チラッと背後を見た。
その時、真新しい遺影を目にした悪魔は、ニヤリと口角を上げた。
「もし、吾輩がパパになってやろうと言ったら、どうする?」
「えーっ。ぜんぜんちがうじゃない」
「フッフッフ。まぁ、とくと見るがよい。悪魔の変身術というものをな!」
面妖な黒い煙が立ち昇り、それが悪魔を包み込んだと思いきや、すぐさま煙が晴れ、中から遺影とそっくりの男性が姿を現した。
「わぁ……」
「どうだ? 完璧であろう?」
「あっ。しゃべると、こえがちがう」
「オッと、すまない。もっと高い声だったか?」
「うん。でも、そのままでいい。そっくりすぎると、パパが、かわいそう」
「そうか。――ところで、この姿が気に入ったのなら、早急に契約したいところなのだが」
「しょうがないなぁ。ケイヤクしてあげる」
「言質は取ったぞ。では、証として口づけを」
悪魔が手を差し出そうとするより先に、少女は父親そっくりの姿をした悪魔に顔を近付け、軽く唇を重ねた。
そのあと悪魔は、なぜか誇らしげにドヤ顔をしている少女に対し、言い辛そうに切り出した。
「アー、主よ。熱烈な口づけを、どうもありがとう。ただ、ひとつ言っておくが、次からは手の甲にある印紋にしてくれると助かる」
「ひょっとして、はじめてのチューだった? ヒュー、ヒュー!」
少女が冷やかすと、悪魔は気を取り直し、小さく咳払いしてから言った。
「ゴホン。さて。吾輩は、主の父親となった訳だが、なんと呼べばよいのだ?」
「あっ、そっか。じこしょうかいするね。こばとようちえん、たんぽぽぐみ、おにづかちかです。ちかちゃんってよんでね」
「ちかちゃん、だな。了解した」
こうして、悪魔と少女による奇妙な共同生活が始まったのだった。