エレベーター
今年の社会科見学はラジオ放送局だ。学校からバスで二時間半、ミウは隣の子とカードゲームをしたり、先生のクイズに答えたりしながら過ごし、あっという間に着いてしまった。
放送局は思っていたより大きく立派な建物だった。一組から順にエントランスをくぐり、ミウたち二組も並んで続いた。
大きいね、綺麗だね、と言いながらゆっくり歩いていたが、急に列が進まなくなった。ホールの入り口で一組の男子が止まり、つかえているようだ。
「なんだろう」
「いいよ、進んじゃえ」
二組は列を崩し、一組の子たちを押しのけて先へ行こうとした。押された一組も結局前へ進み、全員でホールへなだれ込んだ。
ホールにはエレベーターがあり、扉に首を挟まれて死んでいる人がいた。
ミウは後ろの集団に押され、バランスを崩して先頭まで飛び出してしまった。おかげで死体を見ることができた。背広を着た男のようだ。顔も見えないし血も出ていないけれど、死んでいるのだとわかった。
「エレベーターが急に動いたのかな」
「自殺かもしれないよ」
「殺人事件だったりして」
子どもたちは騒ぎ出したが、先生に連れられて入り口から外に出た。全員そろっていることを確認すると、エントランスは固く閉ざされた。
一組の女子が何人か、隅のほうで吐いていた。
「ミウ、大丈夫か」
揺さぶられながら、ミウは来たほうを振り返った。建物が急に透き通り、中が見えた。エレベーターがどこにあるか、すぐにわかった。緑色の液体が床に飛び散っていた。
「ミウ!」
手を握られ、はっとした。同じ班のケン君が、心配そうにミウの顔を見つめていた。ミウは顔が熱くなるのを感じた。ありがとう、と言おうとした時、視界が煙のようにぼやけた。
「ケン君……?」
クラスの子たちの顔が揺れて消え、建物や道路もなくなってしまった。握られた手の感覚だけを残して、何もかもが消えた。
見えない場所に、ミウは一人で立っていた。このまま死ぬのかな、と思う。いやいや違う、だってエレベーターに挟まれたのは私じゃない。そう思った時、視界が戻ってきた。ミウの手を握っているのは、赤いジャージを着た男だった。
「ミウ、大丈夫か。何か思い出したか」
辺りを見回すと、真っ暗な空間にちらちらと豆電球が浮かんでいた。その中の一つを、ミウと男は足場にしていた。
ミウは何度もまばたきをした。覚えている。エントランスの開く音も、同級生の笑い声も、ホールに入った時の違和感も、目の前にあった死体も、全部覚えている。
だけど一つだけ思い出せない。
ミウの手を握って名前を呼んでくれた人。とても嬉しかったのに、胸が高鳴ったのに、思い出せない。
「何も……覚えていません」
「そうか」
赤いジャージの男はがっかりしたようなほっとしたような表情で、暗闇の先を見つめた。この人は誰だっけ、とミウは思う。くっきりした眉と目鼻立ちはどこかで見たような気もするし、今初めて会ったような気もする。
「この星にもお前の記憶はないんだな。行こう」
「はい」
電球から電球へ、男は飛び移った。ミウも後を追い、暗闇をまたいで着地した。一つ一つが記憶を灯し、頼りない光を発している。フィラメントが切れた電球は、きっとそのまま灯されることはないのだろう。それでいいのだとミウは思った。