第6話:11月17日 カナ(30)の場合
悪い事は重なるもので、あたしの具合が悪い日に限って面倒な客が来店してきた。客、というより古くからの友人なのだが……。
カナは高校からの付き合いで、当時からいわゆる『ガチレズ』と呼ばれていた。変わり者なのが救いなのか、カナ自身はそう呼ばれる事になんの抵抗もなかったという。女子校なのをいい事に、気に入った女子を片っ端から口説き落としとっかえひっかえしていた。
もちろんあたしとカナは何もない。カナは口説き落とすわりには相手をぞっこんにさせるのが得意で、その多くはおとなしいタイプか真面目な優等生タイプ。そんな恋愛に疎いタイプだから始末が悪い。好きにさせるだけさせておいて、自分が飽きたらポイするカナの毒牙に掛かりやすいのだ。だからあたしとは何もない、そう言うと自分の雰囲気の悪さを認めてしまう事になるが、それもまた事実。
当時、あたしとカナは特に仲がいいという訳ではなかった。むしろ後日談になるが、カナは気の強そうなあたしを苦手意識していたらしいし、あたしもまた、かわいい顔してジゴロのような真似をしているカナが苦手だった。いや、嫌いだった。だからお互い近寄らなかったし、幸い同じクラスだったのは一年生の頃だけだったので、話す機会もさほどなかった。
再会したのはあたしが高校を卒業してすぐ働き出したキャバクラ。カナは短大に進んだのだが、一年ともたずに辞めてしまい、あたしと同じ店で働き出した。自宅からも学校からも近くない街で、なぜ偶然にも再会してしまったのだろうと今でも謎だ。
初めはカナだと分からなかった。やっと薄化粧をし始めたあたしとは逆に、十九とは思えない厚化粧に派手な服、吐き気がする程キツイ香水の匂い、どう見ても同い年とは思えなかったのだ。
カナは先輩として働いていたあたしを見るなり、本名で馴れ馴れしく話しかけてきた。客の前だった。バカなのかと思った。いや、バカだった。やっぱりこいつとは仲良くなれない、嫌いだと改めて思った。
そんなあたしとカナは、今じゃ腐れ縁みたいなもんになっている。キャバクラで知り合ったマサヤとの仲を取り持ってくれたのもカナだし、マサヤが失踪してからはこの店を開店するのに力を貸してくれた。逆に、女と別れて行くところがなくなるとすぐあたしの家に転がり込み、新しい女が出来ればそこへふわふわと飛んでいく。全く違うタイプのあたしらだが、お互いにお節介という点だけは共通らしく、気に食わないくせに放っておけない、そんな関係がもう十年以上も続いている。
「あっおいちゃーん! 洗い物終わったら隣おいでって言ったじゃーん。まだ終わんないのー?」
「……終わりませんよ。カナさんが『ちゃん』づけ止めてくれるまで」
「つまんなぁい! ねぇ、ユ……アゲハぁ、蒼ちゃんがこっち来てくんなぁい!」
あれから、初めて会った高校一年のあの日から、カナは何一つ変わらない。相変わらずのバカっぷりを見せてくれる。ため息の方が何十倍も多いが、あたしよりバカでいてくれる事にはほっとさせてくれる。堅苦しくもなく、崩れ過ぎてもいない、この距離があたしたちにはお似合いなのかもしれない。
「喧嘩したくらいでいちいち家出してくんな! さっきから電話鳴ってんじゃねーか。彼女さんからだろ? いい歳こいて家出なんぞバカバカしい……。どうせまた金関係だろ? いい加減に……。蒼ぃ、あたしにラムネ割り作って」
「違うよぉ、あっちがアタシのグロス勝手に使ったのー! 酷いと思わない? 買ったばっかだったんだよ? 新作でさぁ、限定品でさぁ……よし、今日から使うぞって袋開けたらなくってさぁ、酷くない? 大事に使おうと思って袋からも出さずにそのまま置いてたらさぁ、普通開ける? テーブルに置いてある袋、勝手に開ける? あ、蒼ちゃーん、アタシもラムネ割りぃ」
「なんだ……またケチな話だな……。一緒に住んでりゃ『ちょっと貸して』なんか日常茶飯事だろ。どうせお前が置きっ放しにしてたから起こった事だろうしさ。仲良く使えばいいじゃねーか。……蒼、カナには酒やらんでいいぞ。こいつ客じゃないからな」
「ひっどーい! 色々酷い! アタシだってお金持ってるんだからね? というわけで蒼ちゃーん、アタシにもラムネ割りねー!」
「誰の金だかなぁ……。蒼ぃ、カナにはやらんでいいからな!」
延々と続くやり取りに初めは困惑していた蒼だったが、さすがにあたしらの会話を二年も聞いてれば慣れてきたらしく、わざと肩でため息をつきながら、ゆっくりとブレンドしている。「またか……」そう動く口元は見なかった事にしてやるか……。
「お待たせしました……。ラムラムネです」
「……蒼ぃ、カナにはやらんでいいと言っただろ? どうせ金持ってたって払わないんだ、客とは言えんからな。下げていいぞ。なんならお前が飲んでもいい。カナに飲ませるくらいなら従業員に飲ませた方がマシだ」
「……マシ、ですか……。ぼくはまだ結構です。閉店まであと三時間近くありますし」
「いいだろ別に……。お前はほんっとにバカ真面目な奴だな。ゲコでもないんだから店主が飲めって言ったら素直に頂戴しろよ。……まったく、どいつもこいつも……。だが蒼のバカ真面目なとこを、カナと足して二で割ってやりたいところだな」
顔に出やすい蒼がムスッとすると、カナは逆ににやにやと笑みを浮かべた。どうせ「怒った顔もかわいいね」そう言って蒼をからかいたいんだろう。本心じゃないんだろうが、カナは蒼を気に入っていてしょっちゅうアプローチをしている。移り気で軽い女、表面上はそうとしか見えないカナに、彼女持ちでバカ真面目な蒼が引っかかる訳もないのだが。
からかうのが楽しいのか、自分が構って欲しいのか……いや、もう十年もカナを見てきているあたしは、どちらかと言うと後者が強いのを知っている。カナの弱い面はあたしが一番知っている。
「ほらほら、蒼ちゃんがいらないって言ってるしぃ、もったいないからアタシが頂戴するねー! ……うん、おっいしー! ゆ……アゲハはさ、昔から妙なカクテル飲んでるけど、これはおいしいと思えるんだよねぇ。ラム酒とラムネ、香りもいいしネーミングもかわいい! これがさぁ、また蒼ちゃんの絶妙な配合具合で……ってのもあるし、やっぱ素敵な人が作るお酒は格別においしいんだよねぇ! 隠し味っつーかさ、メイド喫茶で言うところの萌え萌えなんとかー、みたいなあれ?」
「……お前はキャバクラのクソジジイか? あんまり蒼の事からかってるとあたしも怒るぞ? 蒼が機嫌悪くなると顔に出るからな、他の客に迷惑なんだよ」
「あー、はいはい。でもからかってないよ? おいしいのは事実だもーん。それに他の客って……今日はネズミ一匹いないじゃない。坊主、って奴?」
「うちの店にネズミが出てるような言い方すんな! 例えが他にないのか? 坊主かどうか、まだ分からんよ……。この時点で分かってたら光熱費の無駄だから閉めるさ」
「あれ? でもアタシが来てあげてるんだから、閑古鳥だけど坊主ではないよね?」
「……だからお前は客としてカウントしてないっつってんだろーが……はーぁ……」
どれだけ悪態をついても、カナは嬉しそうに笑っている。やれやれというあたしと蒼の表情を見ても嬉しそうに笑っている。からかう事で構ってもらう、カナの寂しがりがそうさせている。
カナの両親は、カナが小学生の時に離婚している。酒癖の悪い父親と母親は、カナが幼い頃から毎晩のように喧嘩していたらしい。二つ年下の妹を怖がらせないように、両親の喧嘩の後はいつもカナが両親のご機嫌取りをしていて、ずっと人の顔色を窺いながら育ってきたという。
カナと妹を引き取った母親は夜遅くまで働いていたので、妹思いのカナは妹を寂しがらせないようにいつも明るく振る舞っていた。つまり、妹のご機嫌を取るのも当たり前、人の顔色を窺うのが当たり前、という性格が形成されていった。誰にも心中を開かせず、カナの表情は嘘ばかりつくようになった。アタシが明るくしていれば周りは円満でいられる、そんな偏屈な思考が定着していった。
中学三年の夏、カナに初めての彼氏が出来た。片思いをひた隠しにしていたカナに願ってもいない、あちらからの告白で付き合いだしたという。涙が出る程嬉しかった告白に、自然とカナの心は解れ始めていた。
だが、幸せは長くは続かず、上手く愛情表現が出来なかった事に誤解が生じて交際はたった二カ月で幕を閉じた。カナはひどく傷付いた。閉ざしていた心を開き始めたところだったにも関わらず、結局のところ開く前に開く相手がいなくなってしまったのだから。開いた心を見てくれる相手を失ったまま、あの女子校であたしらは出会った。
「アゲハはさぁ、そんな怖い顔してるから近寄り難いんだよ? 高校ん時からずっと思ってたけどさぁ……笑えばかわいいのに……ってのは言い過ぎかな? 普通、普通。普通にしてたら普通なの。あーんま怖い顔ばっかしてるとシワになるよー?」
「うるせー! お前みたいに厚塗りババアの方が先に肌ボロボロになるんだからな? その分厚い化粧を更に分厚くしないと見せられない顔になるんだからな!」
「あーぁ、余計怖い顔になっちゃったぁ。アタシ知ーらないっと! 蒼ちゃーん、ラムラムネおかわりーぃ!」
いつもこうだ。からかったり怒らせたり、困らせる事で相手の気を引こうとする。あたしはそれを分かっていながらもつい相手にしてしまう。カナや蒼の事を散々バカだと言っておきながら、無意識の挑発に乗ってしまうあたしもまた、かなりのバカかもしれない。
……まぁ、結果的にカナを寂しさから解放してあげられてるのだから、そんな自分のバカさも役に立っていると思いたい……。
「ねぇ……今日アゲハんち泊まってもいいでしょぉ?」
「ダメだ。いつまでもあたしに寄生してちゃお前の為にならんからな。さっさと家帰れ」
「冷たっ! じゃあいいもーん、蒼ちゃんち泊めてもらうからいいもーん!」
「……嫌です」
「もーぉ、みんな冷たいなぁ……もういいよ、じゃあこのソファーで寝るからね!」
そう言ってカナはごろりとソファーに突っ伏した。それを見たあたしと蒼のため息が重なる。やれやれ、かまってちゃんは手が焼けるなぁ……と。
愛情に飢えている、でも愛され方を知らない。目に見える事で表しても不安で仕方がない。だからカナは金や物で計ろうとする。……もっとも、計って計れた事は一度もない。それでもカナは気付かずにいる。
本当に自分に必要なのは、愛情でも金でも物でもなく、愛を受け入れる器だという事を。