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第12話:マリカ(21)とシオン(21)の場合

 「はー……。蒼、今何時だ?」


「……五時二十分ですね」


「ったく……」


 今日のヒアリングは新規顧客ではない。厳密に言えばヒアリング自体は初めてだが、うちの店には何度も来た事のある常連客と言えるカップル。改めて聞いてもらいたい事があるからヒアリングの時間を取って欲しいというから予約を受けたというのに……。


「遅いですね。……どうせまた喧嘩でもしてるんでしょうけど」


「まぁ外れちゃいないだろうな。はー……」


 予約時間の五時を回ってから何度ため息をついただろうか。そもそもあのただでさえうるさいカップルの来店が分かっているだけでため息が洩れるというのに。


 掃除を一通り終え暇そうにシンクにもたれる蒼を見やると、あちらもあたしの視線に気付いたようで目が合った。だがすぐに逸らす。別に悪い事をしている訳じゃないのに、注目を浴びたくないというめんどくさがりなこいつの悪い癖だ。


 あいつにも、蒼の慎ましさを分けてやりたいくらいだよ……。


「遅くなりましたーっ。ごめんなさい、アゲハさん!」


 うちの扉の鈴はこんなにもガラゴロ鳴る物だっただろうかと思ってしまうくらい激しく鳴り響いた。鈴の音と同時に叫びながら赤毛の女が入ってくる。予約客の一人だ。


 やっとお出ましかという安堵半分、うるさい奴のお出ましだというやれやれ半分。あたしは重い腰を上げて小さく「いらっしゃい」と出迎えた。


「遅刻するのは結構だが、開店前には話を終わらせてもらわんと困るからな。あんたらの話す時間が縮まっただけだから、こっちに不利益はないよ。……相方は?」


「あー……あのバカならドアの向こうでセット直してますよ。蒼さんに会えるんだからーとかなんとかごちゃごちゃ言って。ただでさえ着飾ってるくせに髪の毛なんてどうでもいいのにねー。すぐ入ってくると思うので心配しないでください。あー、蒼さんもこんばんは」


 赤毛の女がにっこり手を振ると、蒼はカウンターの中からぺこりとお辞儀をした。客の方が愛想いい。あたしに恥をかかせない程度に接客して欲しいもんだ。


 まぁ仕方ない。ただでさえコミュ障な上に、もう一人の客といったら……。


「蒼さーん! 遅くなってすんませんでしたー。あー、アゲハさんもすんませんでした」


「あのなぁ、店主はあたしなんだが?」


「まぁまぁ、そう怒ると綺麗なお顔が台無しッスよ? ……あれ、シオンは?」


 飛び込んでくるや否やカウンター席に座り込むもう一人の客。蒼にも劣らない男装をしているが、その目はキラキラとバーテン服の蒼を見つめている。恋人は後ろのソファー席に座っているというのに、相変わらず天然な地雷製造器だ。


 気配を消してるつもりなんだろう蒼は知らんぷりしてコーヒーを注いでいる。元々存在感の薄い奴だが、蒼目当てで来る客も少なくないのだから冷たい態度を取られては困る。あたしが咳払いをするとおずおず振り返って「やっぱり?」という顔をした。


「蒼さーん! ぼくにもコーヒーお願いしますねー。それと、持ってくるついでに隣座ってくださいねー」


「……嫌です」


「はいー? いいじゃないッスかー。まだ営業前なんスからぁ」


「営業前なんで、です」


 がっくりと肩を落とす客と、珍しく上手い事言って切りのけた蒼のやり取りに吹き出してしまった。


 このマリカという男装の麗人、初めて来店した時から蒼の大ファンだという。マリカはシオンという彼女をいつも連れてきておきながら、ここでカウンターに座っては蒼にちょっかいを仕掛けてくる。もちろんめんどくさがりの蒼はうざったそうにあしらうのだが、冷たくされようが彼女に怒られようがめげた事はない。


「シオンなら後ろにいるが、今日はヒアリングに来たんだからソファーへ座ったらどうなんだ? ケンカでもしたのかと言いたいところだがあんたらのとこはしょっちゅうだから聞くまでもあるまい。別れ話の相談なら無理に一緒に座れとは言わんがな」


「んな訳ないじゃないッスか。ぼくとシオンはいつだって仲良しこよしッスよ? なっ、シオン」


 マリカが振り返ると恋人のシオンはおもしろくなさそうにジロリと睨みつけていた。そりゃ無理もない。言ってる事とやってる事が裏腹なのだから。


 この二人は高校から付き合いだしてもう四年以上になるという。付き合う前からナンパ癖のあるマリカをなぜ選んだのかという疑問が先に立つが、彼女がいながら他の女にちょっかい出す癖が直らないというのはいかがなものかという疑問が同じくらいを占める。


 マリカは蒼に限らず、ここに来る女に片っ端から声を掛ける。あたしが見ている限りでもそうなのだから、外でも日常的な事なのだろう。常に連れてきている彼女のシオンはふくれっ面こそするものの、あまりにオイタが過ぎない限り口出しはしないのだ。


 それが黙認なんだか諦めなんだか知らんが……。


「お待たせしました」


「ありがと、蒼さん。でもあのバカマリカにはあげなくていいからね」


「……はぁ」


 シオンにコーヒーを出した蒼がちらりとこちらを見る。あたしの指示を待っているのだろう。本来のバーとしての客ではないがヒアリングといえど客は客。気持ち次第で料金を払ってくれる限りは客なのだから、と蒼に目配せする。こくりと頷いた蒼は素直にマリカにもコーヒーを運んだ。


「ありがとー、蒼さん! 気が変わったらいつでも隣座ってくださいね?」


「……ホストでもホステスでもないので遠慮しときます」


「ちぇっ、せっかく他のお客さんいないから独り占め出来ると思ったのになー……」


 ぶつぶつ言いながらもマリカはコーヒーを啜って満足げに微笑んだ。ソファー席のシオンもまた、ふぅふぅとコーヒーを冷ましながらマリカの横顔を眺めていた。


「んで、時間もない事だから今日の本題を聞こうか? 別れ話じゃないんならオツムの直し方か?」


「ち、違いますよー、失敬だなぁ。本題ってのは……」


 先程まで小うるさくしてた奴とは思えないくらい、マリカは急に黙り込んでうな垂れた。まぁ相談があるから来たのだろうとは思っていたものの、こんなにしょぼくれたマリカを見るのは正直初めてかもしれない。一体どんな話なのだろうかとマリカの開口を待った。


「アゲハさん、あたしから話しますね」


 口を開いたのはシオンの方だった。あたしが振り返ると手にしていたコーヒーカップをカチャリと置き、一度マリカに視線を向けてから話し始めた。


「以前にも話しましたが、あたしとマリカが付き合ってる事は学校の友達くらいしか知らないんです。四年間、お互いの家族にも内緒にしてきました。唯一、マリカのお兄さんだけは知ってましたがずっと黙って応援してくれてたんです」


「ほぉ、例の今度結婚する兄さんか。あんたらの同級生と結婚するっていう」


「そうです。そこまで覚えててくれたんなら話は早いんですけど、今度その二人の結婚式にお呼ばれしまして……。マリカんちはとにかくお金持ちなんで、結婚式ってゆーより豪勢なパーティーになるんでしょうけど、その盛大なパーティーの場でマリカのお母さんが婚約発表するとか言い出して……」


 あたしは首を傾げた。披露宴の場で婚約発表とは何のサプライズなのか、と。結婚式に招かれてる客人の前で『結婚します』という発表に何のメリットだか目的だかがあるのか見当もつかなかったのだ。


 もしくはマリカの母親が再婚するのでその発表という事か、とシオンの続きに耳を傾けた。


「マリカは四人兄弟の末娘で、三人のお兄さんたちにも両親にもかわいがられて育ってきたんです。だから二十歳までは彼氏作れだのいるのかだのとは言われなかったそうなんですけど、いざお兄さんが結婚するとなって、初めてマリカにも『いい男いるのか』と聞いてきたらしいんです。でもマリカはあたしとずっと付き合ってるし、むしろ男には興味ない奴なんで正直に『いない』と言ったら……」


「はぁ、見合い相手でも押し付けて強引に婚約させようと?」


「……らしいですね……」


 シオンがちらりとマリカを見やるのであたしもつられる。マリカはまだうな垂れたままじっとしている。何を考えているのだろう。何を思いながらシオンの声を聴いていたのだろう。同じように辛い気持ちを抱えたまま凛とした表情で話し続けた恋人の声を……。


「世の中には既婚レズって奴らもいるのは知ってるか? 既婚ってのはもちろん異性とだが、女同士の気持ちを抱えたまま男と結婚する奴もいるし、自分は女の方が好きなんだと気付いたのが結婚してからだって奴もいる。アンダーで暮らしてるあたしらにゃ無縁の話だが、金持ちの政略結婚とやらは前者なんだろうよ」


「知ってます。あたしたちが通ってた女子校はそれこそお嬢様学校だったので、その前者みたいな例も聞いた事ありますよ。あたしんちはマリカんちみたいに金持ちじゃないし、むしろ超が付く程貧乏でした。だからマリカんちのしきたりとか決まり事とか理解不能な点がたくさんあったけど、今回の婚約騒動にはあたしは反対してないんですよ」


「なるほどねぇ……」


 要はあれだ。婚約を渋っているのは恋人のシオンではなく、当事者のマリカって訳だ。


 貧乏育ちのあたしだから分かってやれる事だが、シオンは貧しい中で苦労してきた親の背中をよく見てきている。金持ちだったらよかったのに、といくら恨んだ事だろう。


 それでも、貧しいながらも苦労と幸せがあったのだろう。だから、同様に金持ちにも苦労と幸せがあるとシオンは分かっているのだ。結婚だけが女の幸せではないとはいえ、結婚もせずに貧乏人の自分と付き合っているより、腹を括って男と結婚させた方がマリカの幸せだと諭しているのだろう。


「蒼はどう思うよ。お前の彼女さんもいいとこのお嬢さんだったよな?」


 殺伐とした空気に休息を入れようと蒼に話を振った。彼女さんが留学から帰ってきたらカナダで結婚しようと約束している蒼にも他人事ではない内容なのだから、一つ年上の人間として選択肢を増やしてやれる事だろうと考えた。


「そうですね……。実際家に行った事がある訳でもないのでどんだけのお嬢様なのかは知りませんけど。でもうちの彼女は実家からほぼ勘当状態なので、家柄とか将来の事とかはもう関係ないかと……。だからぼくとの事も家族には言ってないと思いますよ。外国へ永住するくらいは報告すると思いますけど、向こうで籍を入れるだとかは言わないまま自立しようとするんじゃないですかね……」


「自立ねぇ……。だとよ、お二人さん。蒼の例が参考になるかは別として、何か自分らに繋がるヒントはあったかい?」


 問い掛けに対して二人は沈黙した。マリカは相変わらず、と言った方が正解だろうが、先程まで堂々としていたシオンもまた少し曇った表情をした。


 きっとここに来るまでにたくさん話し合ったのだろう。いつものケンカとは違った真剣な意見交換をしたのだろう。そして二人だけでは解決出来ず……いいや、ここに来ても解決しない事も分かって話してるはずだ。正解はないのだから。離れたくない気持ちは同じなのだろうから。


 ただ、『自分は間違っていない』、その確信が欲しくてここへ来ただけなのかもしれない。同調して欲しくて。背中を押して欲しくて……。


「マリカさん」


 沈黙を破ったのはあたしでも当事者の二人でもなく、カウンターの中の蒼だった。


 蒼は二人の姿を見比べてからゆっくりとソファー席まで行き、見上げるシオンの隣に腰掛けた。ご要望もないのに隣に座る蒼にシオンは不思議そうな顔をしている。マリカもまた、鬱向きながらも自分を呼んだ蒼の方へ振り向いた。


「ぼくはお二人が幸せだと思う方に歩めばいいと思います。恋愛とか結婚とかって、誰かが犠牲にならなくちゃいけないもんだと思うので。マリカさんが婚約するにしろしないにしろ、結局マリカさんは自分の人生の選択をする訳ですけど、シオンさんはあなたの人生の為に身を引くって言ってるんですよ? どうあがいてもあなたは幸せにならなきゃいけない。自分の為にも、自分の為を思って身を引いてくれた恋人の為にも」


「……そんな事は分かってますよ。うちだって蒼さんの彼女さんちみたいに勘当してくれたらこんなに悩まなくて済むのにさ……」


「勘当されずに結婚したとして、マリカさんはシオンさんの為にも幸せになる努力はすると思いますけど、じゃあシオンさんは大好きな恋人と別れてどうやって幸せになれるんでしょうね。大好きだったマリカさんが幸せなら、自分は一生誰とも結婚しなくても幸せなんでしょうかね……」


 ぺらぺらしゃべるなぁ、そう思いながらもあたしの中ではもっと言ってやれという言葉も湧いてくる。やっぱり似たり寄ったりの相手がいる蒼だからこそ、二人に伝えたい事があるんだろう。


 今度はあたしが黙る番。じっと三人の表情を窺いながらタバコに火を点けた。


 一瞬ライターの音に反応した蒼と目が合う。ヒアリング時にお説教は禁物だが、今日のところは見逃してやるか、とご褒美にライターを放り投げてやった。あたしの心遣いとライターをキャッチした蒼は胸ポケットからシガレットケースを取り出し、非禁煙者であるシオンに煙が行かないように顔を叛けてふーっと吐き出した。緊張を解く魅惑の煙、今の蒼にはそれが必要だと思ったのだ。


「もしも……もしもですけど、ぼくがシオンさんの立場だったら同じように身を引くと思います。ご存じの通りぼくは自分に自信がないんで、マリカさんを強奪してでも自分が幸せに出来るかって考えたら答えは『分からない』だからです。でも、別にぼくは自分の幸せがどうのなんて彼女に求めた事はありません。自分といて幸せになれないなら早く別れた方がマシだと思ってるし、別れた後のぼくをどうしてくれるんだなんて押し付けがましい事も言わないと思います。幸せに出来る自信があるならとっくに答えを出せてるでしょうしね」


「……何が言いたいんですか? ぼくがシオンとの事を何も考えてないとでも?」


「いえ、違いますよ。考えてるからこそ答えを出せないでいるんでしょ? もちろん、自分の将来や家族の事も。……じゃあ、マリカさんと別れた後のシオンさんの将来は? 他の女性と付き合うのも、知らない男性と結婚するのもシオンさんの自由ですよね?」


「それは……」


 やれやれだ。これだから金持ちのお嬢ちゃんは欲張りで困る……。


 蒼は犠牲という言葉を使ったが、あたしは『代価』だと思っている。もちろん犠牲も伴う。だが何かを得る為にはそれなりの代価が必要なのだ。決して等価交換ではないが、失う方が大きかったなどという事は失ってみないと計れないもの。失った物と同等の利益があるだなんて保証は一つもないのだけれど。


 マリカは自分の婚約問題でシオンの事はもちろん、自分の将来や家族との関係についてもたくさん悩んでいたとは思う。シオンと離れたくない、その気持ちがあったからこそ悩んでいたのだから。


 だが、肝心のシオンの人生については何も考えていなかったという訳だ。身を引いた健気な元恋人が、新たな出会いや恋愛をしないとでも思い上がっていたのだろうか。あるいはずっと自分の事を思い続けてくれるだろうなどとめでたい考えをしていたのだろうか……。


 新品に買い替えられるのは、何も金持ちだけじゃないんだが……。


「帰るわよ、バカマリカっ」


「……はい?」


「あたし、今日ここに来てよかったと思ってる。あんたがいかにバカな奴かってのをまざまざと見せつけられたから。それに比べてどうなの? あんたの大好きな蒼さんは一つしか変わらないのにこんなにしっかりした意思を持ってて……あたしまで恥ずかしくなったわ、何であんたなんかを好きになっちゃったんだろうって。……あんたが帰らないならあたしだけ帰るけど?」


「え、えぇっ? ちょっと待ってよ、シオンっ」


 シオンは残っていたコーヒーをぐびぐびと一気飲みすると、「ごちそうさまでした」とあたしに微笑みかけた。確かにその笑顔には何か吹っ切れたものを感じる。別れた方がいいという選択肢をここで決意させてしまったのだろうか。あたしらが背中を押して別れを選ばせてしまったのだろうか……。


 ソファーから立ち上がったシオンはマリカの制止にも耳を傾けず、スタスタと入口まで歩いていった。そしてドアノブに手を掛けたところで思い出したように振り返り……。


「そうだ、蒼さんっ。今度サシで飲みに行きません? 来週給料入ったらおごらせてもらいますよ?」


 と、にっこり笑った。


 それが何を意味しているのか、残りのヘタレ二人を見る限りあたししか気付いていないんだと分かった。


 鈍い奴らは疲れる……。


「……いや、ぼくはここのバイトがあるんでお断りします。それに……」


 注目がマリカに集まる。バイトだからという口実を抜きにしても行くつもりはないくせに、責任転換をするのは一著前らしい。


「し、シオン? ぼくという恋人がありながら、な、何で蒼さんとサシでーなんて言うんだよぉ。蒼さんだって困ってるじゃんか。こーゆーのは普通、恋人の了承を得てだな……」


「は? あんた、まだあたしの恋人気取りしてんの? バッカじゃない。あんたとあたしは今から他人よ。だからあたしが誰を誘おうが、誰を好きになろうがつべこべ言われる筋合いはないの。ねー、蒼さぁんっ」


 あたしはもう一本火を点けた。ヤキモチを妬かせてマリカ自身の気持ちに気付かせようとするシオンも、散々他の女にベタベタしておいて相手の事は束縛しようとするマリカも、あたしからすればどちらもバカバカしくて実に滑稽だ。甘い二人のやり取りが苦い煙にちょうどいいおかずになる。


「待ってってば、シオンっ。ぼくも帰るから……あ、これお代ですっ。んじゃ、また来ます!」


 あたしらに手を振って出ていったシオンの後を、バタバタと慌ただしくマリカが追っていった。二人が去った店にはチリリンっというヒアリング終了の扉の鈴の音が響いた。


「……ずいぶん嬉しそうですね、アゲハさん」


「いんや、偉そうな事言ってたお前もまだまだ甘ちゃんだなと思っただけさ。しっかしよくもまぁペラペラと……。彼女に……シオンに彼女の姿でも重ねたか?」


 あたしがにやつくと、蒼はムッとこちらを睨んでタバコを咥えた。


「違います。……嫌いなだけですよ、ああいう軽い人……」


「軽い人、ねぇ……。やっぱりお前はまだまだ甘いな」


 立ち上がって客人たちのカップを下げると、蒼は慌ててタバコを消そうとした。店主に下膳させるのが心苦しいのだろうが、甘いお前にしては上出来な『煽り』だったので褒美に休憩させてやるよ。


 改めて思う、幸せの定義とはなんぞや、と。


 自分にとっての幸せがどれなのかも分からない。ましてや人の幸せなんて計り知れない。良かれと思ってした行いが果たして相手の幸せに繋がるのかと言えば、それこそ手に入れるか失うかしてみないと分からないものなのだ。


 あの二人はきっとこれからも悩み続けるのだろう。いっそ嫌いになれれば、それこそあいつらの幸せに繋がるかもしれないけれど。


 だが、あたしはシオンの笑顔を見て分かった事がある。マリカがどんなにふわふわと女を口説こうが、最終的には自分のところへ帰ってくるという自負がシオンにはあるのだ。


 それをシオン自身が自覚をしている事であればむくれた顔はしないと思うが、あのむくれ具合を見る限りは自然と身についてしまった『諦め』なのだろう。四年以上も付き合ってきて、マリカがどんなに目移りしようが帰ってくるのは自分のところなのだという自信が知らぬ間に付いたという訳だ。マリカもまた、帰る港が待ってくれている事を自覚なしに感じているものだから、ふわふわと相変わらずの浮気ごっこが出来るのだ。


 一見諸刃の剣のような関係と思われるが、これは強い信頼関係と、愛情……とやらがないと成立しない最強の鎧なのだ。


 誰も踏み込めない、あいつらだけの鉄壁の城……。


「心配せんでもあいつらは別れんさ。……でも、今日はお前の活躍が光ったのは褒めてやろう」


「……活躍?」


 ……やっぱりダメだ、こいつ。

 

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