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第1話:11月11日 開店記念日

 あたしがこの街で店を開いたのはちょうど二年前。二十八歳にして『ママ』と呼ばれ出したのも二年前。経営する上で避けられない呼び名なのだろうが、子供なんぞできんあたしにとっては、ただの皮肉にしか聞こえない。


 同性婚はおろか、同性愛にすら偏見を持たれるこの国では、レズビアンというだけで恋愛に臆病になる奴が多い。好きになってもカミングアウト出来ない。恋人になっても周囲に認められない。後ろ指刺される事を恐れ、恋愛をひた隠しにする、そんな窮屈なこの国であたしらは生きている。


 だからあたしはこの店を開いた。レズビアンの客が心地よく過ごせる店を。同性愛者という事を隠さずにいられる店を。


 店の名は、『violet lily』


「おい、タバコのストック切れてんじゃんかよ。バージニアの一ミリとメビウスはよく出るんだから補充しとけって言ったろ」


「え、あ、メビウスならさっき買って来ましたよ? カウンターの上に置いたビニール袋の中に……」


「五ミリは? あとアメスピ」


「あ……すいません、買って来ます」


「あぁ、もう今日はいいよ。五時には祝いの花が届くんだ。忙しくなるんだからこれ食っとけ」


「はい、すいません……」


 鈍くさい訳でもないが使える訳でもない。それでも二年前に拾った時よりはいくらかマシだ。真面目な所は飼ってやるが臨機応変という言葉を知らない。最初は単なる箱入りで世間知らずのお嬢ちゃんだと思っていた。話を聞くまでは。


 (あおい)は男装カフェで働いていたセクシャルマイノリティの女だった。奴は女として生まれた事に違和感を、嫌悪感を抱いている。生物学的に女だという事を口にしたがらないし、自分の服装を『男装』とも思っていない。男を装っている、そういう概念も好きじゃないらしい。


 だがまだ肉体的に女を捨てた訳でもない。捨てるつもりもない。ただ自然に、自分が嘘を附かず生きていける場所を求め続けている。純粋で単純で、バカ真面目な奴、それが蒼だ。


「蒼、お前また何も食ってなかったろ。顔色悪い」


「んー……寝不足、だからかもしれないです。昼はちゃんと食べましたし」


「お前の『ちゃんと』は当てにならんがな。どうせ焼いてない食パンでもかじってたんだろ?」


「……プラス、ヨーグルト、ですよ」


「そんなんでよく身体持つなぁ。あたしが食わしてやらんかったら栄養失調で倒れてるぞ?」


「……ママさんが作ってる訳じゃないじゃないですか」


「……うっせーぞ。うちの相方の手料理食えるんだから有難いと思えよな。あと、ママさんってのやめろっつってんだろ」


「はい、アゲハさん」


 そう言って蒼は笑う。元々中性的で整った顔しているこいつが笑ってると客は喜ぶ。自称『人見知りでコミュ障』という伏線通り、慣れない客の前では滅多に笑わない。笑えないんだ。そんな奴がたまに笑うからくすぐられるのかもしれないが。あたしもまた、くすぐられるその一人だ。


「寝不足って、またガールフレンドと長電話か? カナダは昼夜逆なんだから、お前だけが合わせる必要ないだろうよ。少しは向こうも気ぃ使えばいいのになぁ」


「彼女はまだ学生ですから。ぼくが合わせるべきですよ。それに、アゲハさんはまたって言いますけど、電話が許可されてるのは第三土曜だけですよ?」


「はーん。どっちでもいいけど、あんまり向こうにばっか振り回されてちゃダメだぞ? 昔のあたしみたいに、絞るだけ絞り取られて干からびたらボロ雑巾みたいにポイッ、されるかもしれないしな」


「何度も聞きましたよ。それは今の彼女さんより前に付き合ってた男性の事でしょ? ぼくの彼女はそこまで惨い事しませんよ」


 ガールフレンドの話になるとすぐムキになる。自分を置いて四年間も留学に行ってる恋人を、よくもまぁそこまで信じていられるなと、関心半分呆れ半分。


 うちの店には蒼目的で来る客は少なくない。別に客と付き合う事になっても、あたしは止めたりしないと前々から言っているというのに……こういう一途な所もバカ真面目だ。


 あたしがカウンターにおでんを置くと、前に座っていた蒼がそっと器を覗き込んだ。「申し訳ないから」と、うちの相方が作る料理をいつも躊躇しながら食べる。それこそ申し訳なさそうに。あたしは蒼の分も作ってやってくれと言ってるのだし、相方もまたそれを喜んで作っている。なのにいくら言い聞かせても気が引けて仕方ないのは、多分生い立ちのせいだろう。


 蒼には親がいない。蒼は女として生まれた事に嫌悪感を覚え、それをカミングアウトした小学五年生の時に母親は失踪した。父親はというと、母親が暴力を振るう夫から逃げる為に、まだ二歳にならない蒼を連れて出て行ったので、蒼は父親の顔も名前すらも覚えていないという。要は天涯孤独、というやつだ。


 母親が失踪してからは、身寄りのない子供たちが共同生活をする施設に入所したが、やはり同室の女の子に上手く馴染めず疎外されていたらしい。発達してきた胸は(さらし)を巻いて押し潰し、一人称も「ぼく」と言うようになり、ますます同年代の女子と馴染めずにいたという。


 やがて居場所がないと感じた蒼は施設に戻らなくなり、夜の公園で立ち尽くしているところを補導されては連れ戻され、また抜け出しては補導されを繰り返し、施設側も警察も手を焼かせる蒼の新しい受け入れ先を捜すようになった。その頃出会ったのが黒崎という男。のちに蒼の後見人になる男だ。


 蒼は施設を出て、黒崎が借りたアパートで独り暮らしを始めた。家賃・光熱費・学費はもちろん、食費と生活費は月一万円を与えられ、足りなければ追加分を銀行へ振り込む、というシステムで生活していた。もっとも、贅沢を知らない蒼は、節約や切り詰めをしなくても月一万を超える事がなかったので、それ以上の請求はした事がなかったという。


 安心と安定できる居場所を手に入れた蒼は当時中学二年生。孤独を満喫するにはまだまだ早い多感な時期だったが、蒼にとってはやっと手に入れた安らぎの場所だった。


 役所の人間や施設の相談員が度々訪問したが、絶対にここを動きたくないと言い張ったらしい。黒崎もまた、同居はしていないものの、「私が保護者になったのだから責任は持つ」と言い張り、蒼の独り暮らしを尊重させた。


 高校を卒業し、二十歳になって後見人の手を離れた蒼は、二十二になった今でもフリーターをしながら独り暮らしをしている。長いこと一人で食事を済ませていたせいか、偏食で好き嫌いも多い。正確には好き嫌いというより食べず嫌いなのだが。食に関してほとんど無関心で無頓着で、「別に食べなくても平気なので」と、そんな屁理屈みたいな台詞をけろりと口にする。


 だからあたしは、うちに来てからずっと蒼に(まかな)いをほぼ無理矢理食べさせている。


「うまいだろ? うちの相方は煮物が得意だからな。おでんは毎年この時期になると作ってくれるんだ。好きな具あったらあたしのを一つやるよ」


「いいですよ。ぼくはこれだけあれば充分だし、せっかく彼女さんが作ってくれてるんですから、アゲハさんも食べないと」


「あたしはいいんだよ。そんな青白い顔で倒れられたら、せっかくの開店記念日が台無しだからな。それに、うちの従業員がこれ以上痩せこけられたら、店主であるあたしがこき使ってんじゃないかと疑われるだろ。ほら、選べよ」


「……んー、じゃあ、この白いちくわみたいのもらっていいですか?」


「……安上がりな奴だな。ちくわぶなんか栄養つかないぞ? こっちにしろ、ほらっ」


 あたしがちくわと大根を器に投げ入れると、一瞬困った顔をしてからこちらを見た。人の好意をどう受け止めていいのか分からない不器用なところも、愛情を受けられずに人間不信で育ってきた名残なのだろう。


 出会った当時は世間知らずで恩知らずな奴だとばかり思っていたが、「ありがとう」と言えないのは警戒心が強すぎて、好意を素直に受け止めていいのか分からないだけなのだという事に気が付いた。なんてことない、飼いたての野良猫みたいなもんだ。


「おいしかったです。ごちそうさまでした……」


「ふーん、やっと一人前にお世辞が言えるようになったじゃんか。ちょっと前までは、あたしがおいしいかって聞かないと何も言わなかったくせにさ」


「おいしかったのは本当ですよ。アゲハさんはすぐそうやってぼくを……」


「はいはい、あたしが悪かったよ。……たまにはこっち吸うか?」


「いえ、持ってますから」


「かわいくないな。じゃあたまにはあたしが点けてやんよ」


 あたしがライターを構えると、箸を置いた蒼がタバコを咥えた。去年吸い始めた頃は散々(むせ)ていたくせに、今ではすっかり様になっている。趣味も娯楽もない蒼にはぴったりの嗜好品だ。


「そういえば……買い物行く途中でカナさんに会いましたよ。あとで花持って顔出すからと、アゲハさんに伝えるように言われました」


「あのドケチなカナが? 珍しいな。雪でも降るんじゃないか? 一周年の時は手ぶらで来たし、おごってくれる連れがいる時にしか来ないくせに」


「ご機嫌な感じでパン屋から出てきましたよ。新しい彼女さんと上手くいってるんですかね」


「どうだかなぁ。あいつは昔からドケチだから、喧嘩の原因も金銭関係なんだよな。恋人が友達に誕生日プレゼントを送っただけで、貢いだだのそんなお金あるなら私にあれを買ってくれだの……恋人への嫉妬ってよりは金への執着って感じだよ。こないだ別れたばっかの彼女さんもお気の毒だったなぁ。はー、そこさえなんとかなればいい女なんだけどなぁ……。蒼、お前はああなってくれるなよ?」


「……はぁ」


 聞いてんだか聞いてないんだか、意味が分かってないんだか、気の抜けた返事をしながらタバコを吹かしていた。無駄遣いもしなければケチケチもしない蒼に説教垂れるのは愚問だった事に気付く。あたしと違って愚痴も悪口も吐かない、そんな蒼に他人の短所をぼやいたところで、こいつの中には響かない。


「さて、一服終わったら開店準備すんぞ。今日はヒアリングが一件入ってるし、五時には花屋が来るんだ。つり銭確認の前にコーヒー落としといてくれ」


「はい。……器と灰皿、置いといて下さい。ぼく片付けますんで」


 あたしが器を滑らせると、蒼は食器を重ねてキッチンへと消えていった。ヒアリングがある日はいつもこうだ。聞きたくない話を耳にしてしまうのが怖いのか、そそくさとキッチンへ消えていく。


 そしてあたしは思う。あたしたちレズビアンには肩身の狭い国だと。不平不満が溢れる社会でもみくちゃにされながら生きてるあたしたちレズビアンには、易々と他人に打ち明けられない秘め事がある。あいつに、蒼に出会って気付いたんだ、堂々と胸を張って悩み事を吐き出せる場所が必要なんだと。


 今夜も、話を聞いて欲しいという客がやってくる……。



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