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一つ葉


 

晴れた日の公園で、年寄りのようにベンチに腰掛けて、彼はとても穏やかに笑う。


——俺なんかに、笑いかけてくれる———


「お弁当、口に合わなかった……?やっぱり、人間みたく、美味しくは無いよねぇ?」


こちらが、ギョッとするような事を、平然と言ってのけて、微笑んでいる人だった……。


「いや?……うまいよ。ありがとう……空がこんなに青いなんて、あのままじゃ、きっと、俺は死ぬまで知らなかっただろうな……」


「うん。ほら。見てごらんよ、雲が速い……空の上は、風が強いんだね」


何気ない毎日……。


彼という存在自体が、俺の全て。


彼は家で仕事をしていたから、ほとんどの時間、一緒にいる事が出来た。


俺の方が速く、死期が来るだろう……それが酷く幸福だった。


そんな事を考えていて、ふと、足下の白い草花に気付いて、振り返る。


「なぁ、コレ、なに?」


「うん? あぁ、クローバーだね。シロツメクサとも言う。四つ葉のクローバーを見つけると、『幸福』になれるとも言うね。他の花言葉は『私のものになって』『忘れないで』って……おいおい、犬じゃなんだから、そんな草むらにまで飛び込んで、必死に探さなくったって、良いじゃないか」


呆れた声も無視して、探しまくった。

『幸福』の草を……。



「あった————!!!」


「……阿呆犬だ。まったく……髪の毛も服も、草の種だらけじゃないか……」


ブチブチ文句を言いながらも、長い髪に付いた雑草の種や葉を、髪から払ってくれる手に、四つ葉のクローバーを手渡した。


「……くれるのか?」


満面の笑顔で思い切りうなずくと、ほんの少し苦く笑って、片付けた弁当箱を持って少し先を歩き出すので、その後を付いて行く。



「クローバーには……『復讐』という花言葉もあるな……楽園を追い出された、アダムとイブに神が持たせたとも……なにしろ楽園には、四つ葉のクローバーしか生えていなかったんだそうだ……」


「へぇ。『復讐』か。俺ならいつそれで殺されてもおかしくは無いな。でも、祥悟しょうごなら大丈夫だな」


嬉しげに笑うりんが手を繋いでくるので、祥悟は笑って振りほどく。


「腹でも減ったのか? 今、食わせてやっただろうが。居候のくせに図々しいヤツめ。立場を思い知れ、勝手に転がり込んで来た野良犬のくせに」


祥悟は優しい。

こんな俺に触ってくれる。


こんなに穢れた、自分に笑いかけてくれる……。


失いたくない———産まれて初めて、心の底から魂から望む、そんな存在が出来た。


まさに稟にとっての『幸福』は祥悟だった。





ここは地球という〝人間〟の住んでいた、青い美しい惑星に似た、美しい惑星なんだそうだ。

地球なんて知らない。この星からすら俺は出た事はない。

似ているからこそ、街の中だけでは飽き足らず、森や河でさえ人間の手によって、造り変えられ整えられた世界だ。


 人間達は宇宙船とやらに乗って、この惑星に来たという。

 

———では、俺達は? 何処から来たのだろう———


 人間達は、人を喰らう俺達を〝鬼〟と呼ぶ。でも、俺達の事を知らない。俺達にも分からない。ただ、〝鬼〟と呼ばれ、怖れられ嫌悪されている。


〝鬼〟という字は、空想上の物の怪の事だそうだ。祥悟は、違う意味もあると言っていたが、いつも通りの少し意地悪そうな笑顔と、優しい声でこんな事を言った。


『鬼なんて言って、そんな風に先に住んでた人達を、酷い目に合わせるんだから、どうしようもないよねぇ? 地球さえ食い尽くした人間へ、誰かが制裁を加える為に、ここへ降ろしたのかもしれないねぇ……まぁ、君は必要なんじゃないかな?』


祥悟の言う〝誰か〟が誰なのか、知りたがった俺に、興味なさげに肩をすくめる。


『さぁ? 神サマとかってヤツじゃない?』


———と。


全然信じていない様子でそう言って、いつものように何処か人を小馬鹿にするような、口端だけの笑みを浮かべて笑った。

そんな彼が大切だった。

その感情が、人間で言うところの何ナノかは分からないが、祥悟は俺をペットだと言って笑うから、そうなのかもしれない。

犬が飼い主に対して持つ、そんな気持ちなのかもしれない……。



鬼は人間を喰べる。不老長寿と人間が言う力だって、〝鬼〟が人間を喰べるか、同種を食べなければ、得られない。


かといって基本共喰いはしない。

つまり、鬼は人間を喰べなければ、生きて行けない……。


でもあの夜、鬼を捕らえる商売のヤツらに追われて、深手を負って隠れていた俺を見つけると、祥悟は少し驚いてから……通報するどころか、小首を傾げると微笑んでこう言った。


『随分辛そうだね。なんなら僕を喰べてもいいよ?』


そう言って差し出された手に、俺は何故か縋り付いていた———必死で。


〘神様なんて信じない。そんなモノは、この世にいない〙


名前も無い、傷だらけの俺を祥悟しょうごと名乗る男は、自分のマンションへ連れ帰って、傷の手当てをしてくれた。


そして、俺に名前をくれた。


〔稟〕(りん)キミにぴったりの名前だろう? 天命を受けて生まれる。うまれつき。天稟てんびん天賦てんぶの才能とかいうでしょ? キミ。鬼にしても変な色だし、面白そうだからね?……きっと、何かキミがキミとして産まれる意味があったんだよ。


———神サマなんていやしない。信じない。祥悟は俺よりも弱いただの人間で……なのに、守る事さえ許されなかった。祥悟はいつも日なたの匂いがしていたけれど、俺には太陽みたいに強くて、手の届かない存在にいつも思えた……だから、忘れていたんだ。俺よりも弱いんだって言うことも、自分が過去に、何をしてきたかと言う事も……罪深き、この身を。血肉けつにくを———





稟は、祥悟を失ってから、その名を捨てた。


他人にその名で呼ばれたくも無かった。



だから、一度だけ祥悟が稟の鴉のような髪を見て、話してくれた。あの話しを思い出して、聞かれれば名乗るようにしている。



『鴉ってね? 大人になると、幼い頃の恩を感じて、エサを運んできてくれるんだってさ。稟の髪は鴉によく似てるけど、期待するだけ無駄だよねぇ? 慈鴉じあっていうんだって。期待しないで待ってるよ?』



〘祥悟との約束……せめてそれだけしか出来なかった約束。【二度と人間は食べない】ただそれだけの約束……速く、速く祥悟のところへ連れて行って……誰か、誰でも良いから……〙


それでも、あまりにも飢えて、耐えかねた身体が、ここへふらりと足を運んでは、人間の欲望を喰べてしまう。


その味気ない食事が、着実に稟の名を捨て《慈鴉》と名乗る自身の、みじめったらしい生命線になっている。

しかし、心や欲望だけを喰べる鬼はそう多くはない。

能力が低く、どちらかと言うと、鬼としては落ちこぼれの部類がやる事で、ヤツ等は気長に獲物の心を篭絡し、虜にさせて、心や身体だけではなく、長い時間をかけて金品やら一切合切持ち去るらしい。


慈鴉は面倒なので、自分から声をかけた事は一度も無い。

とにかく街灯の下に立っているだけで、誘蛾灯に蛾が集まるように、声をかけてくるヤツが居るので、一番欲望が食べやすそうなヤツを選ぶ。


そうすれば、またしばらく、ここへ来なくて済む……。



街灯を見上げると、祥悟と二人で夜中に、莫迦な話をしながら公園を散歩した事を思いだす。


「まぁ……鬼なんていってもさ、誰かが人間に制裁を加えて、間引きしてるのかもね? ノアの箱船みたいに善人ばっかり生き残ったって、面白くも何ともないのにねぇ……。あ。でも僕はソッコーで殺されるから、大丈夫だわ。悪人だし……人喰い鬼も……ホラ、こんなに近くに居るしね?」


莫迦にしきったように笑って、頬に触れてくれる祥悟の指、その温かさ。

それが俺の全てだった。

それ以外は何も誰も要らなかった。



俺達〝鬼〟は、その爪で人間の肉を抉る事も、内蔵を掻き出す事も出来る。

だが実際は、その人間がいなければ、生きて行けない弱い生物なのだ。存在理由が分からない。

人間より先にこの惑星に居たと人間は言うが、ならばなぜ、人間を喰らう………?


それでもこの血にまみれた醜い俺に、祥悟は笑いかけてくれて、名前までくれた。


こんな俺を必要だと手を差し伸べてくれた。

俺がその手に縋ったあの瞬間から、祥悟は俺の生きる全てになった。



でも、花のように散ってしまった……。


花はまた季節が巡れば咲くだろうが、決して同じ花は咲かない。


祥悟がもうこの世の何処にもいないように……。








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