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ある魔法使いと姫の涙

作者: 守田 一朗

ちゃんとした小説を投稿するのは、初めてなので拙い面も多々あるかと思いますが、お楽しみいただければ幸いです。

その魔法使いは偉大なる力を持っていた。(吟遊詩人はその言葉を語り口に唄いだした。)



 その魔法使いは偉大なる力を持っていた。彼が剣を振りかざせば巨大な業火が敵を襲い、その火は一片の跡形も残さず、全て燃やし尽くすまで消えなかった。彼が弓を引けば雷撃の矢が敵を貫き、その雷は自らの意志を持ち、さらなる敵を求めその身朽ちるまで進撃した。杖に祈りを捧げれば聖なる光が空から降り注ぎ、世にも恐ろしき邪なる敵をも退けた。しかし……しかし彼にはそんな敵はいなかった。

 そう、その魔法使いには敵はいなかった。それは魔法使いにとってだけではない。現代には彼の力に見合う世界を滅ぶすような敵など存在していなかった。彼の偉大なる力は発揮されることなく燻り、偉大なる力は強大すぎるがゆえにその行き場を失っていた。

 偉大なる力を持つと人はそれを妬むものだ。それが人間の本質だ。力を持つ彼は妬まれ、恐れられ、忌み嫌われた。住む場所も追いやられた。魔法使いはしかし、彼らを恨まなかった。何故なら彼自身が自分の力をなによりも恐れていたからだ。

 彼はその優れた才で一度は王宮魔導師の地位を授かっていたが、家臣たちの策略ですぐにそれも剥奪された。家臣たちは、やがて我等の地位まで脅かされるぞと恐怖したのだ。一度は快く地位を授けた王も、いやむしろ懇願すらしてきた王が、家臣たちの入れ知恵に唆されると魔法使いを邪な目でみるようになった。彼を悪魔の生まれ変わりだとも内心では思うようになった。

 しかし、口にだすのは憚られた。彼は自分から迎え入れた負い目というものをいっぱしの人並みには持っていたからだ。もちろん、そのような王の機微を魔法使いは気づいていた。魔法で心を読むまでもなく、彼が生きてきた間ずっと浴びせられつづけたその嫌らしい目つきを見間違うはずもなかった。

 彼は初め心より歓迎してくれていた王がそのような目で自分を見ることに少なからず落胆した。それでもやはり彼は王を恨まなかった。むしろ、一時でも彼のことを好いてくれていたことに感謝していた。たとえそれが彼ではなく彼の力を気に入っていたのだとしても。彼は恩を感じ、それを忘れなかった。

地位を奪うときに王は言った、

「わが王国に敵はいない。数千年前ならいざ知れず、現代ではそなたの強大な魔法も生かしようがない。そなたもそれではつまらぬだろう。休暇を与える。静養して参れ。」と。

魔法使いはそれに

「王の末葉に至るまでのご配慮恐悦至極にて存します。王の広き心、ありがたく頂戴致したく思います。」とだけ答えた。

 彼は顔を上げ王の顔を拝見したが、王はその目に恐れ耐え切れず視線をそらした。王国内一の権力を持つ王の心持ちは傷つけられ、魔法使いを恐れる気持ちも同居して、魔法使い憎しの感情の種がこのとき芽をだしたのである。彼は王宮から追い出された後、王が再び彼のことを呼び戻すつもりがないと気づいたが、丁重に、礼儀を欠かさずその場を後にした。


 彼はその偉大なる能力で未来を予知することも他人の心を読むことも容易く行えたが、それをしなかった。彼は人間として生きたかったからだ。しかし、力を使わずとも彼は王宮だけでなく、いずれこの国からも追放されるであろうことを悟っていた。既に与えられていた住む場も追いやられ、1人森の中で慎ましく暮らしていたのにも関わらず、鳥たちが彼の悪評を一日と空かず運んできていたからだ。

彼のことを見たことすらないのに魔法使い憎し、と唱える人より、会話を交わし笑いあえていた人に恐れられていたことのほうが彼にとってはよほど辛かった。しかし、彼はそれも仕方のないことだと割り切っていた。

 だが、そんな魔法使いにも1人だけ恐れられるのを良しとしない相手がいた。王の娘、この王国の姫である。この姫はたいへん器量がよく、姫が舞踏会に参加したときなどは貴族たちがこぞってその美貌を本心から褒めちぎり、願わくは姫と契りを交わしたいとも思った。王国の民衆は普段では姫の姿を見ることすら叶わなかったが、式典に姿を見せたときには皆が見惚れ、その中にはポツリと天女の生まれ変わりだと呟く者もいた。

 また、姫はその器量に相応しいだけの性格も持ち、臣下にも民衆にも心遣いを欠かさなかった。訓練で傷ついた兵士がいれば胸のうちより心配し、自らの手で傷薬を処方した。式典でしか姿を見せられず民と関わることができないことを嘆かわしく思い、週に一度祈祷日の際に、民衆のなかで選ばれた者が謁見する場も設けた。

 姫はこの国を誰よりも慮り、そしてその気持ちに値するだけの評判もあった。時には他国から姫を見たいがために訪れるものもあった。関わる者の誰もが姫を愛でたし、それは王宮魔導師であったときに、その献身的な姿を何度も拝見したことのある魔法使いもまた例外ではなかった。いや、彼はその誰よりも姫を愛していた。

 王からは決して近づくべからずとのお触れも内密にでたが、忍んで彼は姫に魔法をご覧いただく機会を伺っていた。そして機会は一度だけ叶い、姫は魔法使いの至大な魔法を褒め称えた。

しかし、魔法使いは秘めたる恋慕が届かないことを知っていた。姫には生まれたときからの許婚がいた。隣国の王子である。

 この王子は姫に負けずの美男子との評判であり、また英気にも溢れ、なによりこの男も姫が国を思う気持ちと同様に自身の祖国を愛していた。両者の婚姻には国民の支持も高く、この二人ならば、と微笑を浮かべながら口にする人も少なくなかった。二人が結びつけば両国共にさらに発展することは間違いなく、国の行く末を憂う者は1人としていなかった。

 その気持ちは魔法使いとて同様であった。王子に醜く嫉妬する黒い気持ちがないといえば嘘になるが、何よりも姫の気持ちを考えればそれが一番のはずであることも理解していた。人から嫌われる者と結ばれるよりも、王子と結ばれたほうが国も安泰であることは間違いがない。

国を想う姫にはなによりそれが幸せのはずである。姫が幸せになることを願うだけが自分にできる精一杯である。この恋路が結ばれることがなくとも、この王子が相手ならばと、諦めもつき、ある種晴れやかな気分でもあった。


 そして、森の中の小屋で過ごし始めいくばくか経ったある日、珍しく魔法使いの悪い噂に混じって、隣国の王子がこの王国を訪れたことを知らせる鳥たちの噂があった。王国から追放される前に、姫と結ばれる相手をこの機会に一目みたいと思い、擦れてボロボロになった愛用のローブに身を包み、魔法使いは数日振りに小屋をでた。

 千里眼を用いればよっぽど手間が省けるとも考えたが、魔法を唱えることはしなかった。魔法使いには、いくつも暮らしていく上で自らに課した禁がたくさんあった。生活は不便になるが、それでも普通の人として生きたかったからだ。

 思えば、王からこの国の未来を視ろと命令されたときも、自らにはそうした能力はないと嘘をつき、禁を破ることから逃れた。が、こうしたことの積み重ねが王に疑心の気持ちを抱かせてしまったのだろう。

魔法使いの偉大なる力を持ってすれば未来を変えることすら可能であるはずであり、そのことは王だけでなく民のみなも確信していることである。

 それだのに、できないと魔法使いが言えば、一体なにを考えているのか不安に思うのも無理はない。そうして厄介なことに、王や民はそうした疑念を持つ心すら魔法使いには見抜かれているのではないかと恐怖することになる。

 魔法使いはそうした能力を使うことは決してしない。それが人の世界のルールだと知っているからである。しかし、心を見透かされ続けていると思った相手は、素直に心を開くことなどできぬものである。

魔法使いはそのことも知っていた。だから魔法使いは恐怖を抱かれたことで王にも民にも怒りを覚えたことはない。正確には怒ったとしても仕方がないと諦められるようになっていた。魔法使いにとっては人々に恐れられるのが普通の反応なのであった。

 しかし、みなが恐怖するなかで姫は違った。実は一度だけ魔法使いは自らの禁を破ったことがあった。それが姫に魔法をご覧入れたときである。姫が誉めてくださった顔が到底嘘には思えず、ついその本心を知りたいと思い、心を読んだ。その心は澄み渡り、純粋に喜ぶ無垢の感情がそこにはあった。

 彼は不意に零れ落ちそうになる涙を堪え、一言だけ礼を言い、立ち去った。何度も機会を伺ったのに、自ら魔法を見せにきたのに、たくさんの言葉を交わす予定だったのに、それにも関わらず彼はすぐにその場を去った。そのような心が存在していたことを初めて知った無上の喜びと、姫の心を卑しくも覗いてしまった罪悪感との狭間で激しく揺れ動き、早くこの場を離れなければとの思いに支配され立ち去ってしまった。

 あのとき姫はどんな顔をして突然立ち去った後ろ姿をみていたのだろうか。魔法使いにはそのときの後悔が今もにじんでいる。


 さて、森をでて城下町にでるとなにやらすでに道が賑わっている。街の者も王子の姿を一目みたいと仕事を放り投げ、今か今かとその登場を待っていた。なかにはすでに通り過ぎてしまったのではないかと言い合う姿とかもうすでにやってきていると思い込み列を掻き分ける者の姿もあった。民衆はみなやってくる王子の登場に夢中であり、魔法使いの存在に気づくものはいなかった。

 魔法使いがそのことに安心していると突如ファンファーレが鳴り響いた。国中にこだましているのではないかと思われるほどの大合奏は、待ちわびた民衆の期待をさらに高めあげた。王子を乗せた馬車と護衛する兵士の大群が行列をなしてやってきた。

 王子が馬車の上から手を振るとそれに応え手を振る者、騒ぐ者、深々と礼をする者、反応は様々であったが皆が王子の存在を受け入れていた。王子の浮かべる笑顔は民を安心させる力があった。魔法使いがその姿を見たのはほんの十数秒であったが、王子の凛々しい姿とそれに応える民衆の姿を見て、早々に微笑を浮かべて立ち去った。


 小屋に戻り、鳥たちに話を聞くと、どうやら王子がやってきた理由は姫との婚姻を正式に結ぶためらしい。魔法使いはその話を聞き、目を瞑り姫のことを想った。その後再び王子に対して浮かべたのと同様の微笑を浮かべ、この国を立ち去ろうと決意した。


 夜になると、王国では婚姻のための式典の準備が滞りなく終わり、今にも挙式があげられるところであった。王子は婚姻の手続きを完了させるだけの心づもりでやってきたのであり、正式な式はまた別の日にちに行うつもりだった。

 だが、王たっての希望で手続きの完了を今夜にも盛大な式で祝うことになったのである。式は三日三晩開催される予定であり、そのための食料や酒、華やかに着飾った踊り子たちが十分に用意されていたところをみると、王は最初からこのつもりで準備をさせてきたに違いない。

 もちろん、王子にはこれを反対する理由はないし、姫もまた同様である。お互いは何度も見知ったという仲ではないが、それは王族の許婚という関係では特別ではないし、それが普通だとも思っていた。評判は互いの耳に届いていて、生まれた時よりずっと、周りからそのようにするのが当然とも言われ続けてきた。

 しかし、二人ともただ王族の伝統というものに流されたわけでもない。社交界で知り合い会話を交わしながら、互いが国をなによりも大事に考えていることに共感しあった。結婚すればそれぞれが想う両国の発展に結びつくだろうと考え、なによりもこの人となら幸せな結婚ができるであろうと考えたのだ。その想いを信じればこそ、結婚してからでもお互いを知ればよいと考えていた。そしてそれは互いが口にださなくとも通じ合っていた。


 式が終わると姫はこの国からいなくなり、隣国へ移住することは必至である。そのことを改めて国民はみな残念に思った。その声が姫に届いたのか、姫は王と夫になる王子に、式の最後の晩には王族貴族だけでなく、城下町の民が加わることも願った。

 王ははじめ難色を示したが、王子もその説得に加わり、折れて許可のお触れをだすことになった。王子はこの姫がたいそう優しい心根をもっていることにいたく感激し、その姫が居なくなった後の国民の気持ちを慮ったのである。隣国に帰った後もこの姫のために盛大な式をあげ、国民みなに彼女の素晴らしさをわかってもらおうとも考えた。


 さて、三日目の夜のことである。最後の夜の式は城のなかではなく城下町で開かれた。それぞれが競って家や店を飾りつけ、一番の上等な酒や肉を持ち寄り盛大に姫の婚姻と門出を祝っていた。子どもはみな泣き姫を引き止め、それを相手にする姫もつられて頬に雫をたらしていた。母親たちは涙を浮かべながら子どもたちを留め、普段は厳しい目つきで恐れられている職人たちもそれを見て鼻を啜った。王子は国民と姫とのやりとりを目の当たりし、この式の間に何度も、この姫と結婚できることを誇りに思った。

 子どもたちが泣きつかれて眠ってしまいはじめると式の終わりが差し迫っていることをみなに悟らせた。王が姫に、もう城に戻るようにと声をかけた。姫もそれに従い、城に戻ろうとするとふとあることに気づいた。

 「ねえ、お父様。あの魔導師様はどうしたのかしら。この三日間、いいえ、しばらくお顔を拝見していないわ。式には参列してくださらないおつもりなのかしら。」

王はすこし苦い顔を浮かべ、

 「ああ、奴たっての希望で休暇をだしていてな。しばらく戻ってこられないとのことだ。ううむ、お前の式と重なってしまったとは何とも間の悪い、いや運の悪い奴だ。」と言った。

 「そうなのですか……それは残念です。向こうに行ってしまう前に一度ちゃんと別れの挨拶をしたかったわ。」姫は寂しそうな顔で下を向いた。

 「これも仕方のないことだ。なに、休暇が終わればすぐにおまえのとこに一度顔を出させる。心配するな。おっと、婿どの失礼した。いや、なに専属の王宮魔導師の1人が、不幸にも娘の結婚式に顔をだせなかっただけのこと。なにも心配ない。さあ愛しい私の宝物、風邪をひく前にはやく城に戻りなさい。明日はもう婿殿と一緒に行かなければならないのだから。出発の日に寝坊したとなっては格好がつかない。明日はしっかりと別れの挨拶をさせておくれ。」

 王はそういうとゆっくりとした足取りで城に戻っていった。

それを見送ると王子が姫に近づき、そっと手の甲に口付けした。

「今日は思うところもあるでしょう。今夜はお部屋でゆっくりとおやすみください。」

そう微笑むと王子は兵士に姫を自室の前まで送り届けるように命令した。


 真夜中、姫は自室のバルコニーで明日のことを考える。父との別れ、国との別れ、そして新たに始まるあの人との生活、ふいに涙が零れる。どれだけ泣いてもこの涙が枯れることはない。どうか、父に、国に幸多からんことを。姫は指を組み、月に祈った。

 そして、それと同時に、今までに聞いたことのない激しい爆発音が城下町のほうから鳴り響いた。


 城下町はすでに火に包まれていた。激しい炎に焼かれそれから逃げ惑う人たちが行き場を失っている。

竜だ。伝説に謳われた竜がやってきたのだ。数千年前にいたとされる御伽噺の怪物が街を襲っているのである。

 その赤く羽ばたかせている巨大な翼で空を飛び、地上の者はその羽ばたく翼から送り出される風圧だけで思うように動けない。建物の一部が巻き起こされた暴風によって舞っている。瓦礫をまともに頭に受け、失神して倒れる者もいた。

 その鋭い爪は地上の者の体を簡単に引き裂き、握りつぶした。鉄の鎧を纏う兵士でもその爪に握られれば体がきしみ、へし折られ、竜の握力の前には何も意味をなさなかった。

その巨躯は全身が艶めく硬い鱗に覆われ、兵士が突きたてた鋼の剣を通さず、魔術師たちの杖から出る火炎や氷塊はその体に届くこともなかった。

 その内より出づる咆哮は鼓膜を破るかと思うほど強烈で、聴いた者を竦みあがらせ、恐怖によって自由を奪った。人間の生物としての本能が敵わぬことを認識し、立ち向かうことを拒ませた。さらにその口からでる火炎の息に対抗する手段はなく、ただただ人は業火に焼かれるのみであった。


 王宮では王の御前で家臣たちが作戦を練っている。それぞれが汗をかき、どこにもない逃げ場を探し、せわしなく顔を動かしている。

「どうしましょう。どうしましょう。竜なんて。本当にいたなんて。空想上の生き物のはずなのに。ああ、つぎはこの王宮でしょうか。ああ。」

「兵たちは何をしている!こんなときこそ普段仕事のないやつらの出番だろ!」

「だれかなんとかしてくれ。私は大臣だぞ。この命がなくなるわけにはいかない。家族がいるんだ。」とそれぞれが支離滅裂、阿鼻叫喚と叫びだした。


王はその様子も見ながらも頭を抱えている。

「落ち着け!!誰か有効な作戦を立てられるものはいないのか!」

王が叫び一瞬静まり返るが、再び家臣たちはそれぞれ口をききだす。家臣の1人が言う。

「いっそのこと逃げる、というのはどうでしょう。王がいなくては、王国はなりたちませぬ。」

王が答える。

「民を見殺しにしろというのか。民あっての国だろう。王が真っ先に逃げるとは……そもそもあの竜からどうやって逃げろというのだ。」

「逃げる方法だけならたくさんあります。確実とはいえませんが……特に、今兵士たちが勇敢にもあの竜を食い止めているこのときが好機です。これを逃せば今度はこの王宮が狙われることでしょう。」この家臣の発言には多くがそのとおりだ、いま逃げるべきだと口々に同意した。

「それはお前たちが一刻も早くこの場を逃げたいがためにいっているわけではなかろうな。」王が家臣たちを睨むと、彼らはぐっと押し黙った。

「民は我らの救いの手をいまも求めている。それを無視してどうして我らだけが逃げられよう。逃げたとしてどこにいくのか。隣国か?民をまっさきに見捨てた王では居場所はあるまい。」

「じゃあ、どうすれば!……隣国なら姫君と婚約された王子との結びつきがあります。決して不自由な暮らしにはならないでしょう。」一同が押し黙り、沈黙が流れる。その決定権は王に委ねられたように思われた。

 王が口を開きかけたとき、扉を開ける音がした。王子が銀色の甲冑に身を包み、雄雄しき姿で現れた。家臣たちの目が一斉に王子のほうに向く。

「落ち着いてください、殿下。」

 王子の声は低く響いた。その声は何故だかわからぬが家臣たち、そして王にすら安心を与えた。ああ、彼に全て任せておけば大丈夫だ、と。問題は解決しているはずもないのに不思議とそう思わせる力が王子にはあった。これこそが王子の次期王としての資質に他ならなかった。

この国だけではなく、隣国もそのまた隣国も、この世界は長らく戦争というものを行っていない。また今宵のような強大な敵に襲われるということも数千年来経験せず、軍隊というものはほとんど機能していなかった。

 それでも王子はこの火急の事態に慌てることはしなかった。いや、内心はこの現状に焦りを覚えていたし、竜に恐れも抱いていた。しかし、それを見せれば陛下とその家臣、ひいては国民にさらなる焦燥を与えることになると思い、努めて冷静にその最初の言を放ったのだった。王子は続けて言う。

「大臣閣下、作戦参謀のみなさまもどうか、冷静に。まず急務は殿下の避難であることは間違いありませぬ。私の国ならば殿下を快く迎えて入れることと思います。なに、すでに正式な手続きと式を済ませ、私の養父となったお方、国が冷たく見放すはずがありませぬ。王としての民を思う気持ちは私も十二分に察するところですが、ここに王がいても事態はよくなりませぬ。それよりもこの場を早くお離れください。竜退治は私がどうにか致しましょう。」

 王は隣国の王子の登場に心を落ち着かせることが叶い、王子を心配する余裕も生まれた。

「おお、このようなときに王子を留めてしまって申し訳ない限りだ。悔いるばかりだ。して、その姿、もしやあの怪物に挑むつもりか?ならん!それはならんぞ!そなたを死なせてしまっては、そなたの父君にも母君にも申し訳がたたん。姫にもなんといえばよい。ここはそなたの国ではない。そなたこそが逃げるべきだ!」

 「なにを仰いますか。私はすでにあなたの息子。この国を守ることは私の責務であります。殿下、どうかこの場は私におまかせください。」


 もはや王子をとるか、王をとるかという話になり、押し問答が始まろうとしていた。本来ならば両者とも逃げるという選択も竜を追い払う作戦を立てるという選択もあったはずである。しかし、すでに犠牲を出さなければ話が収まる様子もない。それほどに王も王子も焦っていたのだ。数千年に一度のこの非常の事態を前に冷静さを欠いていることはたしかだが、それも国を想う両者のこの強い気持ちと勇敢さゆえ。家臣たちはこれ以上進言できる言葉と意志をもっていなかった。


 そこで再び扉が開いた。そう、かの偉大なる力をもつ魔法使いの登場である。


 姫が祈りを捧げた時からすこし遡った真夜中に、魔法使いは国の越境で月を見上げていた。これからどこに行くかとあてもなく、放浪を重ねるつもりであった。どうせ平和な世の中に自分は必要もないと自棄になっていたのもある。

 その時月を大きく遮る影があった。夜道を照らすのは唯一月のみであったから、辺りは一瞬真の暗闇に覆われた。魔法使いは瞬時になにが起こったか判断できなかった。だが、その影が魔法使いと月との間の一直線上から遠ざかったときに何かただ事ならぬことが起こっているのは悟った。

 魔法使いは空を飛び、その影の本体を後ろから観察した。にわかには信じられなかったが、間違いない。竜だ。恐ろしいその伝説上の魔物の存在を魔法使いも知っていたが、なぜ急にこの場に現れたのか魔法使いにもわからなかった。

 魔法使いは竜のことを記した過去の壁画を見たことを思い出した。その竜には人間の力など歯が立たず、千の兵士と魔導師たちの軍勢が一度に攻め立てても傷ひとつ負わせることすらかなわなかったという。魔法使いと同等の力をもつと思われる王族の者が自らの命を犠牲にしてようやく壁の中に封印をしたのだと。

 こうしてはいられない。魔法使いは城に戻り竜と戦う決意を固めるやいなや竜を追いかけ飛び去っていった。


 竜のスピードは魔法使いのそれよりもだいぶ遅く、すぐにも追いつけた。しかし、ある距離まで近づくとなぜか魔法が使えず空から落ちそうになった。再び近づいても同じことが起こった。どうやら竜には魔法の力を奪うか封じるか、魔法に対する能力があるらしい。

 魔法使いは竜が城下町に降りるまでにはくい止めなければと必死に攻撃した。が、竜にいくばくかの傷を与えたもののすぐに傷は再生され、その猛進を止めるには至らなかった。

 城下町に向けて竜は火炎の息を纏いながら突撃した。大きな爆発音が鳴り。辺りを震撼させる。竜が顔を上げ、さらに咆哮する。着陸した周りはすでに瓦礫も死体も消し飛び焦土と化していた。魔法使いは城下町の民を助けなければと思ったが、その瞬間竜から豪火球が放たれ、魔法使いは王宮まで吹き飛ばされたのであった。


 民を助けるか、王の下に向かうか、王宮の壁にめり込んだ魔法使いは逡巡したが先ほどから魔法がほとんど有効でないのを考え、まず城に戻って作戦を王と練ることにした。なによりこれほど恐ろしい魔物の存在を前にして、姫がどうしているのかが気になった。魔法使いはそのまますぐ王のもとに向かうことが急務であることは分かっていたが、それよりまず姫の安否を確認しなければとの気持ちを優先し姫の自室に転移した。


 姫の自室のバルコニーには王子がいた。おもわず魔法使いは天蓋の陰に隠れ息を呑んだ。

 王子は姫の両肩を掴み、逃げるようにと強く説得していた。姫はどうやら食い下がっていたが王子はその答えを耳にせず、姫の自室をでていった。王子はなによりもまず姫の心配をしてこの部屋に来たに違いない。自分が竜と空中で戦っている間にその姿を発見し、急いでここまでやってきたのだ。

 自分が竜と戦ったのは仕えた国のため、王のため、なによりも姫のためであった。しかし、転移魔法も使えないはずのこの王子が、姫の下に誰よりも早く駆けつけ説得する様子をみて、魔法使いは姫を想う気持ちで自分が王子に劣っているのかもしれないと思った。 

 そうして唯一至高であった自らの恋慕の気持ちを疑ったのは初めてのことだった。


 魔法使いは王子が去った後、姫のもとに姿を現すことができずそのまま立ち尽くしていた。姫は気丈にもそのまま立ち尽くして王子の後ろ姿を険しく睨みながら、その頬には一筋の涙がつたっていたからだ。このまま姫だけをつれ、逃げることは容易い。しかし、姫はそれを許しはしないだろう。姫は誰よりも国を想い、民を想う人だからである。魔法使いは姫に顔を合わせないまま、もう一度城下町に転移した。姫の心に打たれ、罪悪感で逃げるその気持ちはあの時と同じだと、魔法使いは転移しながら思った。


 魔法使いは竜の様子を観察しながら民衆を助けた。竜が魔法をかき消す範囲を探りつつその外にいる人々をひとまず王宮の広間に転移させた。しかし、それは正しい方法だったのかはわからない。竜は人が消えていく気配を察知し、王宮に目を向けたからである。

 ひとまず魔法使いは地面を空まで隆起させ、分厚い壁を作り出し足止めしようとした。竜の近くでは魔法自体の効力はかなり弱められてしまうため、魔法を帯びない物体が竜に対しては有効であると考えたからだ。それでも竜の力は恐ろしく、その壁すらもすぐに破壊し、王宮に向かってくるだろう。それでも魔法使いは何重にも地面を隆起させた壁を王宮の前に作った。

 この壁がほんの一時しのぎであることは魔法使い自身がよくわかっていた。しかし、今はそれしか方法がない。魔法使いは竜が地面の壁にてこずっているのを確認し、王宮に転移した。


 魔法使いは扉をあけ、王に言った。私をお使いください、と。

 すでにローブは焦げてボロボロになり、所々に血を滲ませながら、その魔法使いは現れた。突如として現れた魔法使いを家臣たちは訝しがる顔で眺めたが、その様子を見てふいに相好を崩した。

 口々によくきた、お前の出番だと言った。彼を追い出した手前、国のために尽くしてくれるとは思わなかったが、すでに竜と戦っていた様子をみてとり、格好のお人よしが来たと思ったのだ。そしてその自己犠牲精神を持つお人よしは、なにより誰よりも強いことは良く知っている。家臣達は喜びこれを迎え入れた。こいつは使えるぞ、と内心ほくそ笑みながら。なかには追い出したのは私のせいではなく、王の意志だと内心で言い訳する者もいた。

 しかし、王と王子はまた異なる反応であった。王は自分がしたことを悔いていた。本来国のためなら魔法使いを王宮魔導師として働かせ続けるべきであり、なにより彼が初めからいれば事態はもっとよき方向に進んでいたかもしれなかったからだ。彼は民が竜に襲われたと聞いたとき魔法使いのことをすぐに思い出していた。その男がすでに国のために尽力していたのを見て自分の浅ましさを悔いた。

 王子はこの男の話を少しだけ伝え聞いていた。世にも恐ろしい魔法使いが隣国にいると噂程度ではあるが聞いていた。王子は王族の一人としてその戦力の大きさを不安に思ったのを覚えていた。先刻姫が口にしたのはこの男のことだろうか、とも思った。もしそれだけ悪魔的な力を持っているのなら確かに竜を退けられることもできるかもしれない。それは今の切羽詰った状況を打開するのにこの上ないことである。しかし、初対面であるものの、この男の目が王子にはどうしても信用できなかった。


 魔法使いは民を王宮に転移させていること、竜を一時的に足止めしていること、そしてこれから自分が命を賭けて戦う心づもりであることを話した。

「して我らはどうすればよい」王は尋ねた。今はこの男に頼るほかないとわかっているのだ。

「この王宮にいる人々をまとめて隣国に転移させようかと思います。隣国にはまだ準備がないでしょうが、竜に襲われたことを話せば、殿下と親しきかの国の王族なら理解してくださるかと。今なら私の力を使い、殿下が隣国の王とお話することも可能です。」

家臣たちから感嘆の声が漏れる。

「わかった。そのようにしよう。」王はすぐさま了承した。

魔法使いはそれを見て満足げに頷いた。

「ですが、その前にお願いがあるのです、殿下。」

その場にいる魔法使い以外の全員の顔が一瞬曇った。

「願い、とは何だ。事態は急を要する、早く申せ。」

「はい、私はこれで命を落とすかもしれません。これは私にとっても命がけの任務なのです。ですから……」

「臣下が王のために命を賭して戦うのは当然のことだ!」と家臣の一人がどなった。

魔法使いはそれを一瞥して言う。

「私はすでに王の臣下ではありませぬ。王は休暇を与えたと仰いましたがその実質は追放です。呼び戻されることがないことなどそれを唆したあなた方が一番わかっているはず。私は……私が命を賭してまで王に仕える義務はありませぬ。」

魔法使いが冷たい瞳のなかにぎらと暗い炎を宿した目で睨むとその臣下は視線を逸らした。王は家臣に手の平をむけ、それを留めた。

「よい、私にもこの者に対してした仕打ちに悔いるところが十分にある。詫びとしてこの者の願いを聞くことでその証としたい。願いを申せ、時は刻一刻を争い、民は今も恐怖で傷ついている。」

「はい、もし私が生きて戻ることができたなら……」魔法使いは王子のほうに一瞬視線をずらし、

「姫を私の妻として迎え入れることを許可していただきたいのです。」


 魔法使いの発言には家臣たちが猛反対した。この期に及んで破廉恥なとか下賎の者が厚かましいとかありったけの罵声が魔法使いに浴びせられた。

 しかし、魔法使いはそれに動じなかった。

「願いを聞いて頂けぬ、というのなら私は一人でこの場から今すぐに消えましょう。この王宮と共にこの王国は一夜にして滅びることになるでしょう。さあ!どうするのです!」

 王は王子の方を確認する。その顔に怒りを隠す様子はない。王自身もこれには怒りを覚えている。王はこの場で天秤をかけることになった。愛しき娘とその夫をとるか、国の未来・民の未来をとるか、である。そして与えられた時間はない。今、この場で回答を迫られている。王は目を瞑り、逡巡した。そしてその目を開けたとき王は言った。この国を頼む、と。


 魔法使いはその答えを得るとすぐさま転移の魔法を使い、王宮にいるすべてのものを避難させた。そしてすぐさま竜の下へと向かった。地の壁はすでに破られていた。

 魔法使いと竜の戦いはまさに死闘であった。数千年来に何故竜が再び復活し、人の街を襲うのか、その理由は定かではない。しかし、今竜はこうして人を襲い、幾人もの命を奪った。ここで魔法使いが敗れれば、さらに竜は血を、生贄を求めることだろう。まさしく人類存亡の危機である。この竜の存在はすでに天災の域に達している。

 対して竜も数千年来の眠りに怒りを覚えていたに違いない。忌まわしき封印への復讐しようと思った矢先、再びこうして強靭な魔法使いと相見えることになるとは竜にとっても予想外のことであっただろう。嵐をおこし、火炎の息を吐き、何物も通さないこの身体をもつ自分に、何故傷を負わせ対等に戦える人間がいるのか不思議でならないはずである。

 竜と魔法使いは七日間争い続け、戦いが終わったとき地形は元の跡形もなく抉られ、王国内には勝者以外の生物はその欠片も見当たらなかった。といってもこの戦いを見た者は一人としておらず、近づくことさえかなわなかったのだが。後に鬼神の物語として吟遊詩人が語るのみである。

 竜は敗れ、永遠の眠りにつき、その骸すら地上には残らなかった。かくして竜は再び伝説上の生物になった。そして今度は二度と復活することはないだろう。

 魔法使いは竜の邪なる呪いをその胸に刻みながらもかろうじて生きながらえた。魔法使いの力をもってしても消えぬ呪いである。竜は死闘の末に、断末魔に呪いをのせ、魔法使いに一矢報いたのであった。この呪いはかけられた者に竜の刻印を刻み、寿命を削るものである。もはや魔法使いに残された時間は一年とない。

 しかし、魔法使いの心は晴れやかであった。これで姫と契りを交わすことがついに叶うからである。魔法使いは焦土の上で昇る朝日に向かって微笑みを携えた。その笑みは今まで浮かべたことのない笑みだった。


 そして魔法使いは隣国の王宮に現れた。約束を果たすためである。傷つきながらも、もはや血さえ流れていないその身体は果たして人と呼べるのか。人々はその魔法使いの様子に恐怖し、慄いた。しかし、誰がどう思おうとも関係ない。彼には姫さえいればよい。

 しかして王の御前に姫はいない。いるのは格調高い椅子でふんぞり返っている隣国の王と女王、そしてその隣に憎き王子とわが王がいる。さらに、周りを大量の兵士と魔導師が囲んでいる。

「王よ、姫は?」魔法使いは懇願するように尋ねる。その声は震えている。

「おお、偉大なる力をもつ者よ。して、竜はどうした。」隣国の王が尋ねる。

「無事討伐し、これで永遠に蘇ることはないでしょう。」魔法使いは答える。

「うむ、それは素晴らしいことだ。私は竜というものをみたことがないが、息子の話やこの友人の憂いを聞き、非難する民の姿を見てなんと恐ろしい怪物だろうと怖れていたのだ。しかし、倒すことができたのならよかった。これは隣国の王としても褒美を与えねばなるまい。何が欲しい。」

「私は何もいりませぬ。姫と契りを交わすことができればそれだけで本望です。」

「ふむ、それは先ほど我が友人であり、そなたの主人である王にも伝え聞いた。しかし、残念ながら姫はすでに我が息子と婚姻を交わした身、他の者ではいかんのか?美しい女子ならわが国にもたくさんおる。どうだ?」

魔法使いはかつての主を見ながら言う。

「これは約束を反故にする、ということですか?」

王はこれに負けじとムッとにらみ返す。卑しくもすでに妻となる身を奪おうする方がおかしいのだ、と内心で思っている。

隣国の王が目でかつての主を制し、言う。

「いやそういうつもりもないが、姫の幸せも考えて欲しいといっているのだ。主のために身を尽くし、命を賭して戦ってくれた貴殿ならわかるだろう?」

「わかりませぬ。約束は約束だ。」と魔法使いは応酬する。もはや彼らが聞く耳を持たないことは心の内を読めばわかる。しかし、それでも魔法使いはいうのであった。

「さあ、姫を。姫なら私がこの命を賭けてまであの邪悪なる竜と戦った意味をわかってくださるはず。さあ、姫を。」

隣国の王はそれを受け、いう。

「ふむ、姫は民も国も失い心労で体調が芳しくなくてな。そうだ、貴殿もたいそう疲れていることだろう。どうだ、一晩休んでは?それで冷静になれることもあろう。」

「結構だ。疲労など大したことではない。私のことを姫に話していないことは貴様らの心を読んでわかっている。王よ、姫はどこだ?今が約束を果たすときだ。」語気を強めて魔法使いは言った。彼が王の前で声を荒げることなど初めてだった。

それを聞いた王の側近が前に出て言う。

「なんと無礼な口の聞き方だ。いかに竜を倒したと者と雖も陛下の御前であるぞ!わきまえよ!」どうやらこの国の兵士長らしい。いまにも襲い掛かってきそうな勢いだ。この者も隣国の王に手で制される。このやりとりは予定通りの芝居であったようだ。

 「ふむ、疲れていない、とな?先ほどから聞いているとなんだかあの竜は貴殿のために存在したかのようだ。そう、まるで自分の力を誇示し、姫を奪い去るための計画が立てられていたかのようだ。いやなに、心を読めるのであればわかっているだろう。そう、私は今そなたを疑っている。壁画に封印された竜を蘇らせたのはそなたかと。竜の復活などできるのは偉大なる力をもつ魔法使いだけであろうと。この平和な世の中に突然、だ。そしてあまりにも狙ったような機会に襲ってくるものだ。数千年に一度の危機が!そなたが城から追い出されている間に。そして姫と王子の婚姻式の最後の夜に!……あまりにも重なりすぎている。これは偶然だろうか?私には姫を奪うタイミングはここしかない!……とすら思える。どうだろう?偉大なる魔法使い殿よ?」

 魔法使いは目を瞑り俯き震えている。

 「竜と命がけで戦った男に対する仕打ちがこれか。その疑心の気持ちが本心だというのが何よりたちが悪い。竜と本気で戦っていたことなどすぐにわかることだろう。そしてその疑念をもっていたとしても、何より貴様らの心が下賎の者に姫を渡せるものかといっているのが丸分かりだ。人間とはかくも浅ましいものなのか。」彼の最後の言葉は誰に向けたものでもなく空に向けて放られた。

騒ぎを聞きつけた姫が王座の間への扉を開く。兵士たちは彼女が近づくことがないようにと手に持つ槍を重ねて通せんぼする。姫は事態を完全には飲み込めていないが、責め立てられているのがかの王宮魔導師だということはわかった。姫は事実を知らなければと強く思ったが、王たちに真実を告げる心はないようだ。

 隣国の王は静かに魔法使いの方に揃えた指を向けた。その瞬間大量の魔術が魔法使いに放たれ、それとほぼ同時に槍や剣を持つ兵士たちが突進してきた。

 魔法使いはその全ての攻撃を受け止め、避けることをしなかった。彼の身体にいくら傷を作っても、どれだけ突き刺しても、その身体から血が流れることはなかった。

彼はいつのまにか微笑みをたたえていた。その笑みは悪魔が浮かべるそれのように見えた。王子は最初に抱いた嫌悪感の正体を見た気がした。彼は悪魔だ。邪悪なる力をもつ悪魔だ。

 魔法使いはどれだけの攻撃を受けても全てを許した。なぜなら彼にはすべてがわかっていたからだ。王たちが自分を認めないことも、姫にこの願いが届かないであろうことも。何故ならあの時の姫の自室で、彼女の頬をつたう涙の意味を魔法使いは気づいていたからである。その心を読まずとも。

 魔法使いは死なない、竜の呪いで死んだとしても、彼らの攻撃では決して死なない。彼は笑って受け止め続ける。凶刃の刃を、狂いながら。魔法使いは誰よりも恐れた、自らの死ねない体を。そして魔法使いは何よりも怖れた、その後ろ姿を見る王女の顔が恐怖に滲むことを。

 

(吟遊詩人の唄が遠ざかっていく。どうやら次の街を目指し、流浪の旅を続けていくようだ。) 


                                      Fin.     


 エピローグ -1人の寓話研究者の戯言-


 吟遊詩人の紡ぐ物語ではこのあと魔法使いは王国を追放され、竜の刻印に蝕まれ狂いながら死を迎えるという。そしてこの王国も魔法使いの寿命と同じくして一年以内に滅んでいるという。身分違いの欲望は身を滅ぼすという暗喩だろうか、大いなる力は気を狂わせるという警告だろうか。はたまた約束は守らなければならないという単なる寓話だろうか。この物語からはいくつかの意味合いを読み取ることができよう。道話とはそういうものだ。

 しかし、私は吟遊詩人の語る物語のこの終わりには、無理があるような気がしてならない。この魔法使いはこれだけ理不尽に刃を向けられ、なお逆らうことはしなかったのか。彼の力は竜の刻印が刻まれていてもなお転移や読心の力を使えたのであり、偉大なる(悪魔的な)力が衰えているようには到底思えない。

そしてこの不死の体をもつ怪物をどうやって倒すことができるだろう。また、この後に王国を追放されるというのもこの場で仕留めようと企てる王族たちの様子からして不自然である。ここで逃がせばいずれ復讐にくる恐怖に悩まされることは明白であり、そのためにも竜との戦いで弱った彼を(微弱ながらも)王国の全勢力をもってこれを打ち倒そうと試みたのである。

 では、魔法使いはこの後どうしたのであろうか。私はこう推理する。

まず前提として、文脈をみるに魔法使いには全知全能ともいえるような力が備わっていたとみるべきである。だからこそ人間として生きたいがために自らに枷を課していた彼が、竜との戦いのあとにはその力を微塵も隠すことをしなかった。彼は「心を読んでわかっているぞ」とも言った。これは物語前半の彼からは到底考えられない台詞である。魔法使いはもはや人間世界で暮らすためのルールを捨てたものだと考えられる。

 となると魔法使いはこのとき自由に魔法が使えたとみるのが相当だろう。そしてそれは「人の心を操ること」も可能であったことは、彼が読心をいとも当然の能力として扱っていることからも推測できる。そう、この場を切り抜けるにはもはやそれほどのことをしなくてはならないはずだ。

ひとつの事実として、この王国はこのときから一年以内に滅んでいるが、それが彼の寿命と重なるのは決して偶然ではないように思われるし、寓話上の整合性を合わせるものでもないだろう。彼が操っていた人たちの糸が途切れたためか、もしくは死の間際に彼が呪いを残していったのか。その原因は定かではないが、少なくとも彼がこの王国に影響を及ぼしたとみるほうが私には自然に思われる。

さて、もうひとつのこの物語を解読するためのキーワードが「竜の刻印」である。魔法使いは竜の死に際にこの刻印を受けているが、果たしてこれは死の呪いであったのだろうか。これは自らが「竜になる」呪いなのではないだろうか。

 これを読んだ者はなにを突拍子もないことを、と思っているかもしれない。しかし、私はそうは思わない。この物語に登場する竜はどこからきたのだろう。隣国の王がいうようにあまりにも突然の来訪である。そしてそのタイミングも完璧である。そして壁画の竜は『偉大なる力をもつ魔法使いしか封印を破れない』ということも加味すると、この竜はやはり魔法使いの差し金であるとみるのが相当だろう。

ただ、それは物語でいう現在の時間軸の魔法使いではない。吟遊詩人の物語であったこの台詞を覚えているだろうか。

「魔法使いの偉大なる力を持ってすれば未来を変えることすら可能であるはず」という台詞である。そして、そのことは「王だけでなく民のみなも確信していることである」と。

 このことを素直に解釈すれば魔法使いは時間に介入する術を持っていたのではないか。そのなかでしかし魔法使いの未来は、竜の刻印によって封じられている。人としての寿命を迎えようとしている。だから、魔法使いは過去に介入したのではないか。そう考えるのは飛躍しすぎであろうか。

 何より私が疑問に思うのは、この魔法使いの敵となる相手などこの魔法使いをおいてほかには存在しないのではないかということである。それは例え伝説上の竜が相手でも同じことである。

 竜がなぜこれほどの力を持っていたのか。それこそが私が「魔法使い=竜」の方程式を組み立てる理由である。この魔法使いと同等の力を持つ者は恐らく後にも先にもこの魔法使いだけなのである。そして私は確信している、この魔法使いは狂った末に「過去に赴き、自らが竜と化し王国を滅ぼした」のだと。そして彼はもう一度同じ未来を繰り返そうとしているのである。この竜は、壁画の竜などではなく、魔法使い自身の未来の姿である。あるいは壁画の竜とは魔法使いの成れの果てを記録したものである。

 読者のなかには数千年前の王族も竜を倒す力を持っていただろう、と批判する者がいるだろうし、それももっともなことである。魔法使いと同様の力を持つとみられる者は過去にもいたらしいと語られる。もし太古の王族が竜を壁画に封印していれば、難しく考えずともそれで解決するのだ。だから、この論はあくまで推察の域をでない。

 だが、私はあえてその異見に対して、こう唱える。「その王族こそが未来から送り込まれた魔法使いと姫の子孫なのではないか」と。どうだろう、この論はやはり支持を得ないだろうか。それとも幸運にも竜を倒す力を持つ者の登場が、竜の出現とまたもやタイミングよく重なっているというのも偶然の力なのだろうか。

 そもそも彼はどこからきたのか。その出自は物語上では全く明らかになっていない。なぜ彼が偉大なる力をもっているのだろう、それを解読する情報も与えられていないのである。未来の魔法使いが過去に赴き、現在の魔法使いのために細工を施したということは考えられないであろうか。これらのことはなにも確たる証拠はない。タイムパラドクスの問題も生じている。ただあるのは「偉大なる力をもつ魔法使いは唯一の存在である」という私の思い込みである。そして、そのような者は例え悲劇だろうと、もう一度同じ未来を歩むことは後悔しないであろうという私の願望である。

 そう、私はこの話を聞いたとき彼に幸せになってほしいと思ったのだ。未来を視ることができる力をもつ者が、人間が憧れるであろう全ての力を持つ彼が、もう一度同じ道を辿ることになっても後悔しないで欲しいと願っているのである。


    こうして彼のことを書き連ねる私のことも、それを読む者の姿も、

    きっと彼には視えているであろう

    この文章を、偉大なる力を持つ貴方に捧げる


                                   了


拙い小説を最後までお読みいただきありがとうございます。

次は、もう少し明るいお話を書くつもりですので、よろしければお読みくださると嬉しいです。

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