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月夜、船上の宴


 賑やかな船が、ゆっくりと夜の海を滑り行く。


(大胆だ。)

 春口中棟(はるくちなかむね)は、屋形船の舷に手をかけて、冬の月に照らされた海峡を見るともなく見る。

 背後の船室からは、宴の笑い声が漏れ聞こえる。深更に至り、随分と酒は進んでいるようで、宴席は盛り上がり熱気を感じる程だ。一方、甲板に出ている春口中棟は十二月の寒風に身をさらしている。


 彼は、震えている。


 だがそれは、冬の海風に寒がっているだけでは無さそうだ。


 ここは水数国(みかずのくに)稗殿(はいでん)水道。

 投島(なげしま)を出た宴船は、左に殿島(とのしま)、右に稗島(ひえしま)を見ながら海峡を北に向かって漕いでいる。船腹の下部から飛び出るどす黒い幾本もの櫂が、海に突き刺さり、白い月光の水面をかき乱している。


(大海道の内庭ともいうべき海域だ。そこに我が(けん)家の中枢がこうして漂っていること自体、恐るべきこと。)

 宴の主催者である海道職香(かいどうもとか)にしてみれば、この船に絢家の列席者を閉じ込めて皆殺しにするなど、朝飯前のはずだ。

(それなのに、議衡殿は)

 春口中棟はここまで思い返して、思考を止めた。飛田議衡(とびたのりひら)からの密命は、頭で反芻するたびに冷や汗が出るからだ。身を切るように冷たい海風に、顎を覆う豊かな髭がたなびく。


「中棟殿!どうされたっ。」

 ふいに肩を叩かれた。


 春口中棟は心臓が止まるほどの衝撃を受けた。しかしあまりに驚いた為か、飛び上がりもせず、叫びもせず、ただ立ち尽くした。

「夜濱きっての酒豪と聞いていたが、猪口を少し舐めた程度で、もう酔い醒ましですか?。」

「お。頼充殿。」


 見れば、獅子島頼充(ししじまよりみつ)が立っていた。

 宴席のおぼろげな篝火を背にして、その長身が浮かび上がる。


 獅子島頼充。海道職香に仕える部将で、水軍の統率は勿論のこと、野戦も得意とし、視野が広く、一国単位の大きな戦略を展開できる人物である。二十七という年齢が不釣り合いなほど器量は大、遠く離れた夜濱(よはま)の巷でも彼の評判は高かった。


「ふむ。これは不本意だな。夜濱じゃ、俺に飲み尽くされた飲み屋は数知れんぞ。」

「存じてます。だからこそおかしいと思いましてな。その貴方が楽しい宴を抜けて夜の海を眺めるなぞ。何も見えますまい。」

 獅子島頼充は中棟にしっかり正対して話しているが、実はさにあらず。彼は身体中の感覚を研ぎ澄まして、中棟を観察しているのだ。

(もし鰭袖(はたそで)熱方松毒(ねっぽうしょうどく)を見つかったら)

 春口中棟はつい、直垂(ひたたれ)の袖に意識が向かう。汗が湧き出、この寒風の中では不自然の極みだが、頼充をその小さな眼ではったと睨み据えて、誤魔化そうとした。


「商売敵の領海を堂々と見れるのでな。こんな機会はそうござらん。」

 そう言って夜の海に顎をしゃくった。

 左の殿島、右の稗島、月夜の下に黒灰の島影が浮かび上がっている。艨衝(もうしょう)は稗殿水道の海面をゆっくり進んでいるが、気をつけて見ればわずかに蛇行し、慎重な操舵が行われている。

 海道家の領海である水数内海には大小無数の島々が散りばめられ、暗礁も多く、所々で潮が速くて渦を巻いていたから、海道家以外の舟にとっては難所だらけの海だった。

「海の武士なら、この月明かりで十分。色々と見えまする。」

 春口中棟は口の端に微笑みを浮かべて、凍てつくような夜の海峡に顔を向ける。そして、茱萸(ぐみ)の実のように小さな眼を輝かせてみせた。


「なるほど。」

 獅子島頼充の眉間に皺が寄る。この偉丈夫も、さすがに不安になったらしい。


 先月 ― 眞暦(しんれき)一七九七年十一月 ― に、炎勢里雄点(えんせいりゆうてん)は飛田家と海道家の両家同点にて決着した。大陸沿海部の炎州を領する炎州王・燦拓来(さんたくらい)が、各方面の商船に関する評点登録制の導入を決め、それを州都・炎勢里の名をとって「炎勢里雄点」と称したものである。炎州を主要取引先とする絢家にとっても海道家にとっても、その点数は以後の商いにおいて当然大きな影響を持つ。点が低ければ、大きな取引から排除される可能性がある。両家は表向きこそ商家だが、その実態は荒々しい海賊集団だから、相手を貶めるべく海上での争いが激化した。環泪海(かんるいかい)で両家の海戦が毎日のように行なわれ、商売どころではなくなり、両家の損失は膨れ上がる。海商絢家の家宰にして果北三ヶ国の太守でもある飛田議衡は事態を憂慮し、両家の点数を同点とするよう水面下で燦拓来と折衝した。環泪海貿易の双璧が潰しあって得する者なく、炎州の利も失うだろう、と。そして、先月十一月に見事決着をさせた。


 いがみ合っていた両家が、わずか一月の間に歩み寄った。今宵など、船に同乗して、酒盛りしているのである。海道と飛田が手を組めば、怖いものはなく、世の中も平和になるではないか。

(― なんてな。あり得ん話だ。)

 春口中棟などは、そう考えている。眼前の獅子島頼充も同様だろう。こんなもの、一時の平和に過ぎない。巨大海商である両家の商圏が重複している以上、争いが止むはず無いのである。


 獅子島頼充はその長身を折るようにして、中棟の背中を優しく押した。

「確かに春口中棟ともあろう方に、我が中庭をさらすのは危険に過ぎますな。そういえば貴殿は夜陰の奇襲を得意としておられた。」

 そして頼充は、中棟を宴席に引き戻した。

「ささ、中棟殿。夜濱随一の酒量、是非ご披露くださいませ。」

「ふふ。もっと稗殿水道の海路を確認したかったが。致し方ありませんな。」

 春口中棟は、獅子島頼充に先立ち、船室に早足で戻った。

 獅子島頼充に手でも取られ、鰭袖の中に隠し持っているものに気づかれたら、一大事だからだ。

 一方の獅子島頼充は当てが外れたようで、ぐんぐん船室に戻る中棟の背中をしばし呆然と見送った。ややあって、彼は宴席には戻らずに船尾の方向へ歩き始めた。身を切るような海風に吹かれて。船の操舵が気になったのである。



 船室の宴は続いていた。


 篝火はいくつか消え、宴席は薄暗くなっていたが、そこかしこで声高く、話は途切れない。

「うふふ、議衡殿。もそっとどうぞ。」

「これは。大海道の姫将軍に注がれちゃあ、断る訳にはいきませんな。もうだいぶ飲んどるが。」

 部屋の中央で、海道職香と飛田議衡が並んで酒を酌み交わしている。飛田議衡は分厚い胸板を反らしながら、豪快に盃を干す。隣に座る海道職香は後頭部に束ねた茶褐色の長髪を揺らし、こちらもキュッ、と自分の盃を空け、膝前の膳から汁椀を持ち上げて(あつもの)をすする。

「『姫』将軍ねえ。もう私は三十七だからね。『海賊婆ァ』で充分よ。そうだ、これ、この羽香(うか)がまだ十八ですから、この娘をこそ、姫と呼んでくりゃれ。」

「何を仰られますか、職香様。まだまだお美しい。そしてまたさすが、職香様の娘御、羽香様も母様に似て水数の海の真珠のようですな。」

 こんな軽口を言い合いながらも、酔いが回ってかえって鋭さを増した海道職香の眼は、青い目張りもあいまって危険な獣のようだった。


(これは勘づかれる。海道職香の直感は鋭い。)

 春口中棟は宴席に戻ると、目立たぬよう静かに末席へと滑り込む。溢れかえる武将たちの中に埋もれつつ、上座に注視する。


 ふらふらと、春口中棟の視界に何者かが入ってきた。

 海道続子(つぐこ)である。

 彼女は職香の妹だが、酔いどれて上座に迷い出てきた。大海道の一門とは思えぬ無作法で、獣というなら、姉よりも妹の続子の方が相応しい。

「あはは!議衡殿、苦しいわ。苦しいわよ。姉様を『姫』なんて言うの?おべっかが下手過ぎる。あはは、苦しい!苦しいわ!」

 海道続子は飛田議衡の背後から近寄り、その広い肩を両手でバンバン叩いて大笑した。姉よりも明るい空色の化粧で目元を飾り、薄暗い船室の中でそこだけ煌々と照るがごとくだ。


 さて、姉の職香としては客の面前で面目を潰された格好だが、この騒がしい妹が楽しいらしくただ笑うだけで、全く咎めない。


 そしてそのまま「おおい!」と呼んで、宴の末席に目線を移す。

「崔次どのっ。も一度こっちにいらっしゃいましな。中棟どのも一緒に。」

 酔った海道職香の声が、宴席に響く。


 呼ばれた飛狼崔次(ひろうさいじ)は、春口中棟の左に座っていた。

 飛狼崔次は立ち上がりざま、

(中棟殿、頼みますぞ)

 と、口だけを動かした。


「しかしねえ、議衡殿。御橋の絢家と、水数の海道家がこうやってへべれけになって、私とあなたという両家の棟梁が、こうして酒を酌み交わせるようになるなんてねえ。」

 春口中棟と飛狼崔次が上座に着くまで、海道職香はうっとりと飛田議衡を見上げて、言う。その頃には最早、妹の続子は、羽香を連れて他の席に移動している。

 議衡は皺深く、笑った。

「まっこと。」

「先月まで環泪海でしのぎを削ってた相手ですのになあ。」


 春口中棟は歩きながら、上座の観察をする。

 まず、飛田議衡が不自然に無表情であった。

(能面のように表情が消えている。だが、なまじい愛想笑いなんぞしないでくれた方がましか。)

 かたや海道職香は、と言えばよく分からぬ。

 青い隈取りの眼は鋭いままだが、瞳がたまに揺らぐ。盃を舐め、膳の汁物をすする。


 やがて、二人が上座に着くと、海道職香は素早く盃を下した。


「しかし本当に、崔次殿はお手柄ですわ。」

「はっ。かたじけのうござる。」

 二人は下された盃を、ぐっ、と干した。

「ふふ、見事な飲みっぷり。さ、もう一献。」

 海道職香はまた盃を満たして、二人に授けながら、歌うように言う。

「議衡殿の無理難題を、燦拓来相手に見事交渉されたんですものね。」

「とんでもございません。まず、燦拓来州王が大度な方でした。」


 飛狼崔次は口下手である。

 しかし、その高く突き出た鉤のような鼻をふんふん、と小刻みに鳴らしながら、海道職香と話を交わしている。


「炎州府の議場である州金堂は巨大でしてな。更に奥に州王の私邸があるのですが、これも同じ大きさでした。」


 二人はまだ盃に酒を残している。薄い篝火の下、上座にいるのは春口中棟、飛狼崔次、飛田議衡、海道職香の四人のみ。

 そして、飛田議衡の口が小さく動く。

(今だ。熱方松毒。)

 明らかにそう言っていた。


 脇で、海道職香と飛狼崔次は唾を飛ばしながら喋っている。

「まあ。私も炎勢里には何度か行ったけど、燦家の屋敷は見たことないわ。」

「左様でございますか。大門は金色にきらめき…」


 春口中棟は「失礼」と告げて、膳に置いてある海道職香の盃を素早く摘み上げると、ほぼ同時に鰭袖から芥子(けし)の如き粒を三つ、素早く取り出し、汁椀に沈めた。


「燦拓来も同じ女でしょう。私、気になるのよ。あの方、花は何が好みだったかしら?」

「十一月でしたから」

「あ、中棟どの、ありがとう。」


 海道職香は、中棟から盃を受け取った。


(さ。羹を飲めっ。)

 春口中棟は、恐れ入ります、と平伏しながら、心中に叫ぶ。


 平伏したから見えなかったが、飛田議衡は無表情でいるだろう。一方、飛狼崔次の声は少し裏返っていた。


 いよいよ篝火は揺らぎ、宴席の灯りは乏しい。海上に、夜は更ける。宴は続く。


 やがて、獅子島頼充が宴席に戻った。

 職香の座席に来た時、主君職香は上機嫌に喋り、盃も汁椀も空になっていた。周りには飛田議衡と、海道家の若き船手頭である蠣海青長(かきうみあおなが)しかいない。


「そろそろ曳橋(ひきはし)に着きます。職香様、もうお開きに致しましょう。」

 獅子島頼充は事務的に伝える。

 その時。気のせいか、飛田議衡の表情が傲慢に見えた。憎らしげに、薄笑いを浮かべている。

 おかしいとは思ったが、獅子島頼充には議衡の愉悦が何によるものか、分かりようがない。


 夜の海を漕ぎ分けてきた賑やかな艨衝は、櫂を緩め、今ゆっくりと曳橋の港に入ろうとしていた。







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水数国


挿絵(By みてみん)



環泪海


挿絵(By みてみん)



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