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青き海と冠の紋

 眞暦(しんれき)一七九七年。


 極観国(きわみのくに)冠岬(かんむりみさき)の浦は、七月の陽射しに照らされ、眼に痛いほど浜が白い。煌めく海原の遥か向こうに、青観(あおみ)半島が横たわっている。


「よおし、甲介(こうすけ)の網はもういいな。次は光郎(みつろう)の舟を上げろ!」

 干道源(かんどうげん)は、真っ白な歯も露わに叫んでいる。

「そうだ、そうだ。わはは、大漁だな!」


 漁師たちと一緒に道源は、甲介とやらの舟から、魚が満載された網を砂浜に下ろしながら、赤銅色の顔をくしゃくしゃにして笑う。そして近くの男らの肩を無遠慮に叩いて喜びを表すと、今度は光郎の舟に駆け寄った。

 道源の切れ長の一重眼が、珍しく大きく見開かれる。


「光郎、おお。お前のところも大漁かあ!」

「そうでさ、網元ぉ!甲介ンところはどうでえ?」

 光郎とその仲間は、玉の汗を夏の日に光らせながら、誇らしげに舟を浜に乗り上げる。こっちの網も魚で満杯になっていた。赤や銀色に輝く鯛やら赤羽太(アカハタ)やらが、網の中に蠢いていた。

「うはは、気になるじゃろうな、それぁ。」

「当たり前でさ。」

「まあ、ま。どっこいどっこいだな。」

 光郎らは、あー、勝てなかったかあ、と天を仰いだが、

「何、光郎も甲介も、みんな冠岬が誇る腕利きの漁師よ。今夜は城で大漁の宴ぞ!」

 という干道源の言葉で、光郎らはすぐに満面の笑みとなる。

「網元、酒が出るのか?」

「当たり前だ。こないだ玉原大祭宮(たまはらだいさいぐう)から美味い酒が山ほど送られてきたからな。あの甕を今夜は開けるぞ!」

 干道源の声は浦中に響き渡り、みな喜んだ。

 光郎の舟も、陸側で網から魚を取り出していた甲介の舟も、まだ海に浮いている他の数艘も、みな小躍りし、蒼い夏空に逞しい腕を突き上げ、大変な騒ぎとなった。


 北東で海に面するこの冠岬の浦は、豊かな漁場を持っていた。極観国はそれ自体が大きな島であり、対岸の青観国は陸島の本土であったが、二国の間に横たわる極青(きょくせい)海峡は潮が速い上、干潟や岩礁も多く、冠岬の魚といえば、極観・青観両国でも名高い産物だった。


 凪いだ遠浅の海が、灼熱の太陽を黄金色に跳ね返す。そんな青い海原を背景にして、冠岬の浦は早くもお祭り騒ぎと化している。漁民らは皆、真っ黒に日焼けし、裸体は刺青で覆われ、屈強で荒ぶっていた。彼等彼女等の歓声は、ともすれば戦場に響く鬨の声の如く雄々しく聞こえた。

 それもその筈、時と場合によって、この者たちは海賊となる。冠岬衆と言えば、名うての漁民であるとともに、日海(ひうみ)近海で泣く子も黙る水軍なのだ。


 しかし。今は大漁を喜ぶ、無邪気な漁師たちに過ぎない。平和な漁村の一風景として眺めるだけで良かろう。


 さて。

 今、浦にいるのは漁師だけではない。

 今日は海も凪ぎ、冠岬衆が一斉に舟を出すとあって、極観国の近在から商人やら土豪やら、島でも顔を知れた人物がちらほら浦に姿を見せていた。彼等の用事は魚の買付が主だが、人が集まればそれ以外の用向きも発生する。


 光郎の網下ろしを手伝う干道源を、背後から呼ぶ声があった。

「網元!」

 その声を聞くと、道源の面長な顔から、ふっ、と笑みが消えた。高く直線的に通った鼻梁に汗が鋭く光り、素早く後ろを振り返る。振り返りながら、頭の中が回転し始める。

平里梅雨(ひらさとばいう)か。ということは、ははん、ちと大ごとかも知れんぞ。)


 果たして、背後の砂浜には平里梅雨が歩み寄っていた。

 干道源は一転、赤銅色の顔をくしゃくしゃにして笑い、

「なんじゃ、増浦(ますうら)の城主殿が自分で来るなんて。」

 逞しい太腿の筋を波打たせながら、走り寄る。

「なんの。えらい大漁じゃないか。増浦からもほれ、何人か買付に来とるだろ。」

 平里梅雨はぶよぶよした手で、道源の右手を握る。力強い握手で、道源もまたグッ、と握り返す。

「ありがとう!昨年御主が手配りしてくれた漁り舟が調子良くてな。今日の大漁はそのお陰じゃよ。」

「へへ。なんの、なんの。」

 梅雨は道源とは異なって、太陽の如き丸顔で、身体もよく肥えていた。しかし舟の扱いは巧みで、小早の船大工が集まり住む増浦の当主として、浦民から慕われていた。増浦は極観島の北の尖端に位置し、冠岬とは異なって海が深かったから、大船も係留でき、他国船の風待ち港として栄えていた。そんな港町の頭としては、まったく適任な男である。


 増浦の舟を褒められたからか、にこにこして頰を赤らめている。

(それこそ無邪気な奴だな。)

 だからこそいつも平里梅雨は他者につけ込まれ、苦労ばかりしていて、持ち込む相談も厄介なものが多かった。


 日焼けした面長な顔に笑みを浮かべたまま、切れ長の一重眼は厳しさを増していく。

「して、どうだい。増浦城主の平里どの。」

 と、肩を叩いてやれば、平里梅雨はさっさと本題に入る。おっとりしているように見えてもそこは海の男、気は長くない。


「それがな。梶浦の大宇原(おおうばら)が、我が浦の舟を焼きよったのよ。」

「大宇原 ― 鯖高(さばたか)か。何艘やられた。」

「二艘。その他、五艘延焼し、部分的に焦げた。」

「いつだ。」

「十日前。」

「随分前だな。延焼の五艘は使えるか。」

「直せば使える。」


 途端に、干道源の瞳から険が消えた。だが敢えて口をへの字に曲げ、隆起した胸筋の前で腕組みしてみせる。

「そうか、そうか。鯖高め、ひどいことをするなあ。許せん奴。」

「それで佐々壁(ささかべ)に相談したんだが、頼敏の奴、まったく腰を上げん。」

「あれぁ駄目だ。佐々壁の女郎宿に入れあげて、政には一切興味を示さん。片島頼敏(かたしまよりとし)なんぞに話を上げても、何ヶ月、いや何年待っても調停なんぞ進まんぞ。」


 さて、片島頼敏というのは極観国の国主代である。

 では国主は誰かといえば、仲観国(なかみのくに)湯乃崎(ゆのさき)を根城にする水乃城更邦(みずのきさらくに)だ。水乃城氏は、かつて陽皇家の帰還を助けたが、その大功ゆえ、仲観・青観・極観の三カ国の国主に封ぜられた大藩である。水乃城氏はお膝元の仲観国を直轄し、他の二国には代理を立てて治めさせた。そして極観国の方の国主代を代々務めるのが、片島氏なのである。

 本来なら極観国の者は全て、片島氏の管轄下に置かれる筈だ。だが、干道源の発言から分かるように、求心力は最早低く、国内の土豪らは干家以外の諸家も片島氏の言うことなぞ聞きやしなかった。

 

 干道源は、にかっ、と真っ白な歯を剥き出して笑った。

「なあに、鯖高ならよく知っとる。ひとつ俺から話してみよう。」

 干道源の提案に、平里梅雨の顔がぱっ、と明るくなった。

「助かる。是非お願いしたい。」

「そうと決まりゃあ、どれ、今から行くか。」

 干道源はすう、と息を吸い、大きく手を振った。


「おおい、甲介ぇ!小早をひとつ、俺に回せーいっ。」

 冠岬の浜辺にまた、干道源の大声が響き渡る。それに水夫衆が、おーう、と応じた。


 浜の北西、海面に岬が一本突き出ている。


 その岬の突端に干道源の居城、冠岬城があった。本丸御殿の上に旗幟が数本立つのが、浜からも遠望できる。

 もっと近寄れば、群青地に白い紋様を染めた図案が認められる。紋様は冠を模式化したもので、陸島(りくとう)有職(ゆうそく)には見られない、異国風のそれであった。もし知る者が見れば、剣州龍牙(りゅうが)府の冠と分かるだろう。

 干家の祖先は、かつて剣州水軍副督の地位にあった。しかし現当主の道源は、はるかに流れて陸島の離島、極観の島の小さな浦で、漁民とともに暮らしている。この家は、ある時に渡来してきたのである。


 いずれこの干家の家譜について、触れる時も来よう。


 だが今はただ、大漁に湧く一つの漁村の風景を描写しておきたい。


「網元ぉ!夜には戻ってきてくれなあ。さすがに、網元がいねえのに酒を開けるわけにゃあ、いかんからな。」

 小早船を一艘、浜に着けた甲介がしかめ面で喚く。

 そうだ、そうだ、と屈強の漁民たちが同調し、刺青した逞しい腕を夏空に突き上げた。


 輝く海。


 七月の陽は、冠岬の漁民たちに照りつけている。






************************************




極観国


挿絵(By みてみん)



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