見えざる鳥
ようやく緑の色が濃くなった中庭を、高木笹連は物憂げに眺めている。
「噴火からそろそろ三年、今年の青もみじは随分きれいじゃの。昨年はもっとくすんでおったわ。」
兄の朋連が、笹連の横顔に声をかける。
「ええ。ただ、せっかく斗藍様にご覧頂くなら、晴れて欲しかったですが。」
笹連は正面に向き直り、兄の眼を覗き込んだ。
似てない、と言われる。
高木家は「高木風」を気取り、この陸島で知らぬ者のいない貴族の名家である。その長い伝統の中で、一族の男子は後ろ髪を腰まで伸ばして束ねるしきたりであったが、この二人も例外でなく、若々しい豊かな黒髪を背中に垂らしている。また高木朋連は二十一、笹連は十九と年齢も近い。
しかし、二人の風貌はひどく異なっていた。兄は上背がある上に筋骨逞しく、直衣の肩が盛り上がり、全体に大柄だった。対して弟の笹連は細く、肉が薄いせいか直衣が身体に合わずに、ふた回り程大きくだぶついていた。
(兄様は田舎の生まれだからな。)
笹連の充血した眼は、兄を直視している。
こう思っているものの、決して田舎者扱して、嘲っている訳ではない。
皇室に仕える公家の中でも最高峰に位置する高木家において、朋連は嫡流の当主なのである。そして都、島京の貴族社会における彼の立ち振る舞いは、鄙びとどころか高雅の極み、若い割りにその所作は堂に入り、陽皇宮を闊歩する大きな身体は常に公卿、官女らの眼を奪っていた。
高木家はまた、金羽国、御鴇国、出矛国という三カ国の太守でもあった。同じ貴族の幌名氏や、宿敵の到氏が知行国を持たないのと比べ、格段に恵まれた待遇である。高木朋連の威厳は、こうした高位大藩の当主として当然のものかもしれない。
高木家のしきたりには、もう一つある。嫡男は出矛国で出産し、次男以下は島京で産む、というものである。国主という封建領主と、島京の皇室における宮廷貴族と、二つの顔を持つ高木家らしいしきたりであろう。なお、出矛は田舎である。高木家の嫡男は、荒い潮風に吹かれ、草深い野山に遊ぶ為に、代々逞しく育つことが多かった。
兄・朋連も例外無く筋骨隆々となった。そして都暮らしもそつなくこなしている。わずか二歳年下の笹連は、そんな朋連に畏敬の念を払っていた。だがその割りには、兄と対する笹連はどこか物憂げである。
「そう、その斗藍殿だがな。あの方も六条院の宴に参加するそうだ。」
「六条院?猟電寺ですか。」
「左様。笹連も参るであろ?」
兄が笑う。
その笑顔に、笹連は違和感を覚えた。
「はっ。楽しみですね。あの寺の芍薬は見事ですから。」
「そうじゃ、そうじゃ。」
高木朋連は目尻を下げ、口も大きく開き、歯に塗りつけられた黒い鉄漿が剥き出しになった。
「あの寺の菓子は『白虎庵』が御用達だからな。あの店の甘羊羹はそうそう口に入らんでな。」
「あれはこの島京で最も甘い菓子ですから。頰が落ちそうになりますな。しかし」
高木笹連の眼はいよいよ充血し、兄の瞳をとらえる。
「兄様は随分と都に慣れましたな。」
五月の曇天下、大瑠璃の声が庭に響いた。青もみじの木に飛来したのだろう。
「おお、これまた良い声で鳴く。」
と、高木朋連は反応したが、すぐに真顔となって、
「いや、笹連よ。麿はどうしても田舎公卿、いつまで経っても都には慣れぬであろ。真の都人である其方の輔けが常に要る。」
じっ、と笹連に視線を返した。
上目遣いで、少し媚びが感じられる。兄のこんな態度が、最近増えているのである。
「とんでもない。私の唯一の取り柄は都暮らしの長いこと。兄様、是非お役立て下さい。」
笹連は平伏しながら、顔をしかめた。朋連からはこちらの表情は見えない。
(兄様はここ三年、出矛に戻らずずっと島京住まいじゃ。黄翼山の噴火を理由にしておるが、ならばなおのこそ凶作の続く国元に帰るべきだし、以前の兄様なら帰国して対策をとっているはずだ。)
平静な表情に戻してから、笹連はゆっくり面を上げた。
そこには、また鉄漿を見せながら笑う、高木朋連がさっき見た時と同じよう姿勢で座っている。
(兄様は都暮らしに染まり過ぎたかもしれぬ。)
笹連は兄に笑顔を返し、その時再び大瑠璃が鳴いた。
「鳥は、どこにとまってるんでしょうねえ。」
そう言って顔を庭に向けた。
(生まれも育ちも島京の私が言う筋合いにないが、高木の知行地は大丈夫なのだろうか。)
もみじの青葉の中に大瑠璃の姿を探しながら、心中では漠然とした不安の種を転がすのである。
そこへ、侍臣の煇晴文が来客を告げに来た。
「もし、朋連様。艫斗藍様がいらっしゃいました。」
「お通ししなさい。」
朋連がうながしたあと、しばし間があいて、襖の向こうにドスッ、ドスッ、と音が鳴った。
高木朋連は苦笑する。
ゆっくりと、床板を踏み来る音。笹連も、大瑠璃の歌声と比べなんと情緒のないことか、と口の端を歪めざるを得ない。
そして、艫斗藍が襖から顔を出した。
「失礼いたしまする、若殿。」
「これは斗藍殿、むさ苦しい所へご足労賜り、恐悦至極に存じます。」
兄と同じように辞儀しながら、客を見る。
肥っている。
艫家は飛礫、坂音の二か国の太守であり、古くから陸島海に船を浮かべてきた海の大名だ。しかし、この男が船に乗ったら沈むのでないか。船の知識がない笹連なぞはそんなことを考えてしまう。
「ふはは!むさ苦しいのは、わしの方で御座いまする。」
艫家当主の斗藍は、白くふやけた頰を震わせ、立ったまま笑う。確か歳は三十代の後半だった筈だが、これだけ肥っていると年齢を云々するのも馬鹿らしい。
「笹連殿も立派になられて。朋連殿も兄として頼もしいでしょう。」
「そんなとんでもない。私もそうですが、笹連も見た通りの若輩者。しかし、なるべくこうした席に慣れさせとうございまして、同席をお許し下さい。さ、そのような所にお立ちでないで。どうぞこちらへ、お座り下さい。」
大樽のように立ちはだかっていた艫斗藍は「どうも」というや否や、弾かれるように円座に腰を下ろした。途端に床板が揺れる。
「お。鮮やかですな。さすが高木邸のもみじ、五月の緑も美しいもので。」
そして予想通り、庭の青もみじを褒めそやした。贅肉に埋もれた両の眼を精一杯見開き、飛礫・坂音二カ国の国主、艫斗藍は膝を打つ。
びたん。
分厚い髀肉が鈍い音を立てる。
「して、来週の猟電寺、六条院の宴はお二人ともいらっしゃいますか。」
「はい。」
「芍薬が咲き誇っているとのこと。壮観でございましょう。」
会話は飛んでいく。艫斗藍はせっかちで、次から次へと都の話題を繰り出して来る。
「雷鳴陽皇の病も快方に向かっているようで。此度は眞空神宮の祈祷が効きましたかな。」
「前回は長くかかりましたから、今回は面子が立ったでしょう。しかし確か斗藍殿は雷鳴陛下と同い年でしょう。皆様、お体にご自愛を。」
兄もそれについていき、適当な相槌を打つ。
「去年の二月、峨帛が松岡に討たれましたな。」
「ええ。」
話はついに、都から遠く汐入国へ展開する。
「我等の領国も心配になりますなあ。」
「そうですか。しかし松岡は一人の怨念を晴らしただけ。そろそろ白英殿が父の仇をとりましょう。」
「いや、朋連様。そもそも黄翼山からこの方、世は荒れてますがね。あの松岡による峨帛討ちは乱世の最たるもの。斬り取り勝手次第の世になるのでは、と不安なのですよ。一鉤爪城だけの話ではありませぬ。」
「御家にも心配の種が?」
ここでつい、笹連は前のめりになって、艫斗藍に聞いてしまった。
「ほ。」
「こら、笹連。無礼であろ。」
「いやいや、笹連様の言う通りなのです。実は今日参ったのは、高木様に愚痴を聞いて欲しくてですな。」
艫斗藍はぐっ、と声を落とし、白豚のような顔で高木の二人を覗きこんだ。
「中戸寅仁ですよ。」
「飛礫の国主代ではないですか。かの人に任せるなら御国は安心だろう、と羨んでました。」
「いや、艫家の直轄地と彼奴の息のかかった領村で境界相論があったのですがな。寅仁め、主家の許可もなく勝手に裁断し、自領の訴えを認めたのです。」
「ははあ。それは。」
高木朋連は大柄な身体を少し、仰け反らせる。
その瞬間、笹連の脳裏に、丸みを帯びた一人の男の顔が浮かんだ。
その男の真っ白な犬歯が、鮮烈な印象を放つ。
蔵水秀 ―
一瞬物思いに沈んだ笹連をおいて、会話は続く。
「国主代といえば昨年、我が国でも畠田から赤山内に変わりましたがね。」
「畠田主義も随分なことをしていたようで。」
「面目無い。先代の目を盗んで色々と。ただ、今は清廉潔白な赤山内森連がよく治めてくれてます。」
その時、また大瑠璃が鳴いた。
「ほ。いい声ですな。」
「でしょう。どのもみじに止まっているのか、分からんですが。」
高木朋連も艫斗藍も、首だけ伸ばして、庭に鳥を探す。
この二人には、大瑠璃がどこにとまっているか一生分からないのだろう。その後、国元の不穏については、会話に一切上らなかった。この二人は、国に帰らない。他の多くの大名どもも国主代に任せている。そして愚痴を言う。いや、愚痴が洩れる程度には事態を憂慮しているのだから、その分艫家はましなのかもしれない。
島京二条東の高木邸に、また大瑠璃が鳴く。
笹連は庭を眺める。彼にもまた、鳥がどこに止まっているか分からない。
眞暦一七九六年五月。
この前年、高木朋連は、蔵水秀なる新興商人が担いだ赤山内森連の国主代就任を承認した。それにより蒔絵崎港の独占使用権を得た蔵水秀が、この頃商圏を飛躍的に拡大していた。しかし遠い北洋の波音は、穏やかな初夏に包まれたここ二条東の高木家では当然聞くことはできない。
島京詳細図
島京周辺図
出矛国




