湖畔の都
「おう、こら気をつけろ。」
「へえ。・・・って、こら。そっちこそ気をつけろ。」
逢坂巻憲は、どん、と肩を当てられて、ドスの効いた声につい謝ってしまったが、相手の顔を見たら、自分より年下の小僧だったから、改めて凄み返した。
「へえ。すんまへん。」
「小僧。すまないって思うなら・・・まあ、ええわ。早よ、去ね。」
逢坂巻憲は十八歳だが、地元の央丹国ではそこそこ名の通ったゴロツキだし、都に来てもその体の大きさと目付きの悪さはいい名刺代わりになるから、相手の小僧はそれと認めて身を小さくしたが、小僧と顔がよく似た荒武者が背後に見えたから、恐喝を諦め、「去ね」と言った巻憲当人が足早にその場を離れた。
刀傷で少し引き攣れた右の口の端を無気味に歪める。笑っているようである。
「くわばらくわばら。あれぁ、どこか武家の下侍か、商家の用心棒だな。いずれにせよ、この賢い逢坂巻憲様は、『君子危うきから逃げまくる』。そう、まさに『逃げのマキ』といったところよの。」
そう言って、ぐははは、と言いながら肩を揺さぶったから、やはり笑っているのだろう。小僧の父親だか近親だかが、近くにいるのを見つけて事を起こさずにそこを立ち去ったのは、確かに正しい判断だった。
都、と言ったが、ここは鵜田泊という船着場である。あまりに行き交う人が多く、さっきのように肩がぶつかる程度ならいい方で、財布をすられたり、子供がさらわれたり、大八車同士が正面衝突したり、大八車ごと盗まれたり、とにかく毎日が混乱の中にある。
鵜田泊は、陸島の首都であり陽皇の御所がある島京の最寄の湊だから、物資と人の往来が激しいのも当然であった。
ただ湊と言っても、その水は海水ではなく、湖水だった。
そして湖といっても、それは海のごとく広大であった。
「いい天気だ。今日は繭湖がよく見える。」
季節は秋。
昼前の空は高く晴れ上がって、いつも靄がかかりがちな繭湖が遠く見渡せる。多くの舟が湖面を北へ、南へ、そして東へ。
そう、東。
東へ湖水を渡った向こうには、江門国がある。そこに想いを馳せた時、少し落ち着かない気持ちになった。
(そろそろだ。)
逢坂巻憲は獣のような目付きで、通行人を見定め始めた。
そして、すぐ一人の男に目をとめる。
今度は自分より年上の男だ。でも、線が細い。重そうな葛籠を負って、よろよろ歩いている。蓋の下から、麻布が少しはみ出ていている。おおかた超代国あたりから来た苧麻布売りだろう。一人で歩き、道を辿るにも迷い気味で、都には不慣れな様子だ。よく見ると肌に皺が多く、三十は過ぎている。改めて確認する。一人だ。
すれ違いざま、巻憲はわざと吹っ飛んでみせた。
「いい痛ってえ!なんだあ、てめえ!」
後ろに飛びながら、懐に入れていた屑証文や拾った小物なんぞを派手にぶちまける。
苧麻布売りは大声と吹っ飛びざまに目を丸くし、砂上にひっくり返った巻憲に駆け寄った。
「だ。大丈夫ですか?当たりましたか?」
「当たったから吹っ飛んでるんだろうがっ。お前、最初に言うことがあるやろがい!」
「あ、ああ。すみません。ごめんなさい。」
巻憲の飛び方が派手だったから、周囲の人間も一瞬足を止めたが、程なくまた先を急いだ。都の人はみな忙しく、またこんな喧嘩はしょっちゅうだし、見物にも値しない。
「わし、足を挫いちまったみたいやで。こんだけぶつかられちゃあ、当然だわ。どうすんだ、これから俺ぁ、兄貴から荷を受け取って、島京中売り歩かないとあかんのや。」
「どうすればいいでしょう。」
男はキョロキョロし、空を見た。こいつも先を急いでいるようだ。
すぐ本題に入ってしまおう。
「お前、そのはみ出ているやつ、まさか売ろうとしてるんじゃないだろうな。この鵜田泊のあたりじゃ、湿った湖の風に乗って砂が始終舞ってるんだ。砂の目が細かいから繊維に入り込んで、洗ってもなかなか落ちん。都の人間は一目で分かるで。」
「あ。」
後ろへ首をひねってみて、はじめて気付いたようである。ぎぎっ、と歯ぎしりの音がした。
そして間髪入れず、逢坂巻憲は右手を突き出す。
「んっ!」
一瞬間があったが、少し残念そうに、苧麻布売りははみ出ている布をすっと引いて、きれいに畳んで巻憲に渡した。渡しながらそんなに汚れてないように見えるが、という顔をしたが、巻憲はそれをひったくって踵を返した。ぽんぽん、布をはたきながら。
ずいぶんと強引なまき上げ方だったが、まあいい。逢坂巻憲は小走りで桟橋に向かう。
遠目に赤く舷を塗装した小さな舟が、桟橋の1つに着くのが見えた。浅黒い丸顔の、遠くからでも分かるガラの悪い男が乗っている。黄と赤の狩衣で、まともな人物でないのは一目瞭然だ。
走る。
巻憲は人を突き飛ばし、湖岸の砂を蹴って、桟橋をダカダカと駆けた。
「マキィ!」
赤い舟に乗った男が周囲も驚く大声で逢坂巻憲を呼ぶのと、彼が船べりに駆け寄るのが同時だった。
「あっ。赤豊兄貴っ。お疲れさんです。」
先ほど兄貴から荷を受け取る、とか言ってたが、あれは本当だ。赤い舟には何やら色々積まれている。
「おう。お疲れだな。」
船の上の男は、逢坂巻憲とはまた違った凄みがある。年はそんなに変わらない二十歳だが、ただ目付きが悪いだけでなく、無意識に人を見下した傲岸な態度が前面に出ている。がっしりした体躯もあって、取り敢えず、そこらにいるゴロツキと比べれば段違いに堂々としていた。
赤豊と呼ばれたが、姓は綺羅野という。
「はあ、はあ。いや、とんでねえです。」
巻憲は息を切らしながら、江門での首尾を聞こうとしたが、ふと思いとどまって、さっき行商から巻き上げたばかりの苧麻布を取り出す。
「それよりほら、兄貴。超代麻布やぞ。」
「おっ。」
ぱっ、と顔をほころばせ、真っ白な歯を見せた。
人懐っこい笑顔で、急に顔が若やぐ。赤豊は、巻憲がぶら下げた苧麻布をひったくって目の前に広げた。
「ええのう。ええのう。超代のか。いいじゃないかあ。」
秋の陽に透かし、べたべたと無遠慮に手触りも確かめている。湖畔の砂が付いているかどうか等一切気にしていない。ゴロツキはゴロツキだが、先程の凄味はどこへやら、今は可愛げのある元気な若者に見える。
「うーん、と。あれ、あの、誰だったか。痩せた、色の白い。」
「赤兄い。それはあれじゃないですか。坂股のひででしょう?」
「そう、そうじゃった。あいつが、ひでが、この間麻を欲しがってたなっ。いい麻の寝間着と夜具を欲しがっていた。」
「寝間着?あれ?あん時はそうは言ってなかったでしょう・・・いや、いいです、そうです。確かに言ってました。」
巻憲は、兄貴分の記憶違いを正そうとしたが、一睨みされて引き下がった。これは、この間赤豊と坂股の遊郭で遊んだ時の話なのだが、その店の芸妓であるひでを赤豊は気に入った。そして飲み食いしている途中にひでは、麻の襦袢が欲しい、できれば超代国や果園国産がいい、と言っていたのである。
しかしもう赤豊の頭には、ひでとの夜のことしか、考えていないのだ。
「よし。こいつで、ひでの寝間着を作ろう。この分量じゃあ、夜具までは無理だもんな。」
(まあ、襦袢と寝間着なら同じようなもんか)
「六条東に麻の染め屋があったな。」
「綺目屋でんね。」
赤豊はぽん、と手を叩いて、足元の荷を指さす。
「そうだ。この江門の仕入れにも確かの藍の葉があったな。八条東ならちょうどいい。よし、都に行ってくるわ。舟を舟屋に返しておけ。宿は新劉の西窓屋だから、夕方早めに、暗くなんないうちに出るで。十五時半には綺目屋前の茶屋で合流だ。」
矢継ぎ早に巻憲に指示を出しつつ、ジャラッと幾銭かを巻憲に渡し、藍の入った葛籠だけ肩にかけ、西に足を向けた。
と、二・三歩歩いて、ふと足をとめた。
「ああ、そうだ。お袋はいなかった。何となく江門にいるような気がしたんだがなあ。」
巻憲が、一番聞きたかったことである。
そうですか、と残念そうに眉をひそめておいた。綺羅野家にとっては当然大問題だが、この事案は綺羅野赤豊にとっても弱点となる。
(まあ。赤兄いには、ちょっと悩みがあるくらいが丁度いいだろうな。)
赤豊は足音高く、都へ向かった。巻憲も素早く朱塗りの舟に乗って、小さくぐはは、と肩で笑い、口の右端を引き攣らせて、舟屋に回船すべく櫂を握った。
昼を過ぎて、いよいよ秋の繭湖は壮大だ。
湖水の水平線まで、多くの舟がバラバラと浮かび、巻憲の操る朱塗りの舟も湖水に漕ぎ出だして、その点景の1つとなった。
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島京周辺 (近接地域)
島京周辺 (表守国全国)




