春、大船団を見渡す
山桜が咲いていた。
雅楽小路直安はこのところ、先月の茂峰城における敗戦を引き摺り、死んだ者に申し訳ない気がして、何にも喜べないでいたが、素由の山中で1人で居れば、誰にも気兼ねなく春の花木に笑いかけることができた。もともと色白で、優しく鼻筋も通っている爽やかな顔相だが、笑うとより柔らかな印象だ。
思ったこともつい口に出る。
「泰貞を連れてくればよかった。」
奴なら、ささっと絵筆を走らせ、桜の絵を残してくれるだろう。だが若いながらも杖家の武将として一方の主戦になりつつあるから、今の状況で鏡城を離れる訳にはいかなかった。
亜彩国を出て素由国に入ると月が変わって、今は眞暦1795年の4月。山あり谷ありの道を経て、壹川の城下に着いたのも束の間、そこから再び山道に入り、途中野宿を挟んで、今は朝の山道を歩いているところである。
冬枯れの森が少しづつ葉を出して春が進んでいるのが分かる。まだ少し肌寒いが、良く晴れていて木漏れ日が心地よい。足元に小さな碑があって「勝見台」とある。この辺りの地名だろうか。
などと考えていたら、急に視界が開け、眼前に海が広がった。
水数内海だ。
崖の上に出たのである。
足元は海に切り立った崖で視界を遮るものは何も無く、見事な眺望だ。春の陽を跳ね返してきらめく海に、多くの島々がそこかしこに浮かんでいるのは、さすが陸島随一の景勝とうたわれる水数の海だ。対岸の寄州の陸地が、うっすらと春の靄に見え隠れしている。
直安の出身である亜彩国も海に面している。だが生まれ育った鏡の地は国内でもだいぶ内陸に入った所であったから、彼にとって海は珍しい存在であり、見るだけで訳もなく興奮してしまう。
直安の気持ちが高ぶっている原因には、それがある。しかし今は、海の風景よりももっと重大な光景が、眼前に展開していた。
舟が全面的に展開しているのである。
大きな関船から、小さな小早まで、数え切れない舟が、ズラッと拡がって、内海を航行していた。
各舟、薄青地の幟をはためかせているが、目を凝らすと、関船には「う」、小早は「せ」、特に数の多い廻船は「い」の字が書かれている。
「海道だ!」
これが大海道の水軍か。海道家の舟が、これほど揃って航行しているのは初めて見たし、雅楽小路直安はこれから杖家の外交を担うことになっていたから、過敏に反応したのである。国主代の飽押寺があのまま存続出来ていれば良かったが、もう杖家は自立して外と繋がっていかねばならない。
「『こ』舟がない!」
彼は、続けざまに叫ぶ。
海道家の棟梁や一族上位衆、重臣・蠣海家などの限られた舟が掲げる幟には「こ」の字が墨書されているが、何度見直してもそれは見られなかった。
(良かった。)
これは声に出さず呑み込んだ。彼は海道の本拠、投島に向かい、本家棟梁の海道職香に会おうとしている。彼女がこの船団に参加してたら、今回の使いが空振りになる所だった。
それにしても夥しい舟の数である。
特に十t積み程度の廻船が多く、関船や小早がそれを護衛しているのだ。島京や千屋で仕入れた物資を、夜濱や大陸へ売り捌きに行くのだろう。これが全部売れたらいくらになるのか。想像を絶した額になるに違いない。
この海は風光明媚だが、もう一つ、海賊の横行する危険な顔も持つ。半端な海商は、独特な内海の海流に操船を誤って速度を落としている内に、浦々に巣食う賊船に拿捕されて、身ぐるみ剥がされてしまう。
だが、この海道家の巨大輸送船団を襲う馬鹿な海賊はいない。
「そもそも海道自身が海賊の親玉なんだからな。」
藩祖の「氷の武君」剋綱勢は水軍の権化であり、水数・帆関・帆実・素由・亜彩の大領国を領して、藩内の海賊たちを包括した。内海の荒くれ船乗りは剋綱勢を神格化し、その後海道の姓を名乗った綱勢の子孫たちも卓越した水軍力を誇っていたから、ゆめ楯つくなど思いもつくまい。逆に海道からの命令で舟や水夫を供出していたくらいだ。
色々考え込んでいたが、まだ大船団は眼下に航行を続けている。
「この大海道から」
声に出しかけてまた呑み込んだ。あたりを見渡すが、海と森しか見えない。
(援けを引き出さねばならない。)
出来るだろうか。
少し脇に汗をかき、雅楽小路直安は春の山道をまた、足早に歩き始めた。
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素由国




