雪の夜、大きなる翼が再び鉤爪に翻る
「な、何者なんだ?なぜ奥の間まで踏み込めたんだ?」
空蜘蛛蕃美は、寝間着の峨帛宗英を廊下の隅に追い詰め、抜き身の刀を握り直した。
「松岡だ。」
この言葉が余程衝撃だったのであろう、宗英はがたがた震え始めた。外の吹雪で鎧戸がガタついているが、振れ様はそれどころではない。酒気がむっ、と鼻をつく。宗英が憑かれたようにカッと眼を見開いた。
「ぬ、ぬおおう!」
脇差を抜いて斬りつけてきた。
空蜘蛛蕃美はこれを薙ぎ、カアーンと甲高い音ともに脇差は宗英の手から飛んでいく。次の刹那、蕃美の刀が煌めいた。
ばしゅーっ
峨帛宗英は袈裟懸けに切り裂かれた。酒が入っていた為か、割られた心臓から激しい勢いで血が吹き上がる。
空蜘蛛蕃美は、淡々と首を掻いた。
甲冑全身返り血を浴びながら、周りを見渡すと、二の丸御殿の中には怒号が飛び交い、大広間の方で戦闘が続いているようだった。だがいずれ静まるだろう。松岡方の一方的な勝利によって。
****************
眞暦1795年2月。
激しく雪の舞う中、空蜘蛛蕃美は闊歩している。
まだ十九と若く、また武者として鍛え、修羅場も幾つかくぐった。寒さなど感じぬ。いや、赤糸縅の甲冑を返り血で紅く染め、その右手には汐入・浜重二国主を兼ねる大名、峨帛宗英の首が握られているのだから、その興奮で身体は熱いくらいだった。顔には少女の面影が認められるがなにせ夜のこと、はっきり見えるのは大功を挙げた武将特有のギラギラした瞳だけだった。
空蜘蛛蕃美は、大雪で真っ白に覆われ、点々と峨帛兵の遺体が埋まる三の丸千畳敷の中央に、一人屹立する偉丈夫を見つけた。つとめてゆっくり歩み寄る。右手の首を男の足元へ投げた。雪のさくっ、という音が大きく聞こえた。
「更任殿。ほら。」
「お。おお、やったな!蕃美。ふむ。今夜の勲功第一じゃっ。」
急に首が足元に飛んできても、眉ひとつ動かさぬ。
黄の戦袍を纏った姿は、夜の戦場において、眩しく感じられた。自分も既にいっぱしのもののふだと思っているが、この男はもっと老成している。同い年なのに、と空蜘蛛蕃美は少し嫉妬を感じた。
男は松岡更任。
名族松岡家の生き残りである。
蕃美は、更任の向こう、雪に突き立つ棒の先にもう一つの首が刺さっているのに気付いた。
「うむ。でも、更任殿もそれ、鐘壮辺だろうに。」
「ふふ。確かにこいつをやられたのは峨帛にとっちゃ、大痛手よ。だがお前、大殿様の首には敵わんよ。」
にっ、と笑うと真っ白な歯が夜目にも鮮やかだった。
つられて蕃美も笑ってしまった。戦場では笑わぬよう努めているのだが。今夜の壮挙に対する、松岡家の人間の気持ちを思えば、一緒に笑い、心から祝うのが当然と思う。
かの雪辱を、正確に言えば九十八年もの長きに渡ってこの家は忘れず、臥薪嘗胆、誓い続けてきたのである。
「雪がどんどん激しくなるわ。」
「ああ。もう逃げた者は見つかるまい。足跡が、見ろ、あっという間に雪が消していく。」
「やはり鐘壮兵は逃げたか。」
「ああ。親父を見捨ててな。矩栄の手の者が、奴の脱出を目撃したらしい。」
「だけど、この雪のおかげで奇襲は成功したのよね。」
「さすが道家の後裔、宴の日でしかもこの雪を読んで、必勝の機を逃さなんだ。矩栄の頭の中を覗いてみたいわ。」
取り澄ました道矩栄の顔が目に浮かぶ。
「うむ。更任殿。鉤爪城陥落。おめでとう。」
「ふ。改まって言うな。しかし、うん、ありがとう。」
さすがの松岡更任も込み上げるものがあったか、少し言葉に詰まった。
「そうじゃ、蕃美。手伝ってくれ。」
「あ。『松岡家銀地黄松旗』ね。」
更任が雪に埋もれたつづらを開けると、そこに銀地の布が入っていた。
降雪は激しくなるばかりだが、風は収まってきた。
二人は白銀の棒を、せーの、と垂直に振り下ろし、雪を貫いて地中深く差し込んだ。そこに棒をいくつか繋いで一本の支柱と為し、高さにして五m、紐を引いて、銀地の旗をするすると上げていく。最上まで登った旗は、はたはた、と微風に靡き、金糸で刺繍された松が現れた。
蕃美は根が農家の出だからあまり分からないはずなのだが、松岡の家紋がなんと鉤爪の城にはためいているのだ、その事実を反芻し、思わず胸が熱くなった。更任は尚更だろう。
さくっ
雪を踏む音に、いち早く更任が気付いた。
感慨に浸っていた蕃美は、帯刀に手を掛けそうになったが音の主を見て辛うじて手を止めた。
松岡義任であった。
甲冑の上に鹿皮の外套を羽織っているが、それでも線が細い。右肩に大きな革袋を担いで、こちらに歩いてくる。
「兄上。空蜘蛛蕃美が峨帛宗英を討った。そして」
「更任。何を上げている?」
義任は、更任の報告にかぶせるように、詰問した。今掲げられた旗に向かって顎をしゃくった。
松岡義任。
松岡家の当主である。更任の二歳上、二十一歳になる筈だ。老成という点では、更任以上だ。
「何って、松岡の旗だぞ。」
松岡義任は、癇癖の強さがその青白い顔ににじみ出ているが、口調は静かながら怒気をはらんだ声で、更任に告げた。
「まず黒鷹を上げるべきだ。お前がそれを、わきまえんでどうする。」
そう言って革袋から黒い布を取り出し始める。慌てて更任と蕃美が手伝う。じゃらじゃらと音がする。布に、いくつも銀色の亜鉛の粒が打ち付けてあった。
小声で更任が告げる。
「これは『黒鷹亜鉛大外套』だ。『悪の鷹』が御自身のものと寸分違わぬものを臣任公に賜われたのだ。」
大きな鷹の翼をかたどった黒衣である。これが、か。空蜘蛛蕃美は小さく頷くだけで、言葉を発せなかった。それほど松岡義任と更任の二人に張り詰めた緊張感があったのである。
三人で一度松岡の旗を降ろし、この黒鷹の外套を一番上に据えて再び掲げた。
雪舞う夜空に、銀の粒をまぶした黒鷹の翼とその下の銀地金糸の方形旗が、はためく。
大きなことを成し遂げたのだ。
空を見つめながら、空蜘蛛蕃美はそう思ったが、この戦いが松岡が峨帛を討った、ということだけでなく、もっと大きな意味を持つような気がした。
女の勘なのであろうか。
***********************
汐入国




