苦難への前奏曲
「アイドル声優ですか……?」
「そうそう! ルックスは文句無いし、歌も劇中歌で注目されてたんだから、これを逃す手は無いでしょ?」
マネジさんから提案された方針は、首をかしげる内容だった。ウチに清廉さはあまり無いし、劇中歌もキャラの声に合わせた歌い方をしたのであって、『モノマネ』の要素が大きい、自分の声で勝負した訳では無いのだ。
「ラジオで結構過激なモノマネもやってますよ」
「別に清純派で勝負する訳じゃ無い、色んな事をやってもらうわ」
「海はどうするんですか」
「1回別れたら? 芸能活動を応援してくれているんでしょう、チャンスだって言ったら納得してくれるわよ」
……アイドルをバカにする訳では無い、だけど、消費されてすぐに終わってしまうものに、勝負を賭けてみるのは危険じゃないかな。それしか活路が無かったらともかく、楽器の練習もしているし、選択肢はある。
それに海と別れるのは色んな意味でデメリットだらけだ、情報、パイプ、後ろ盾、理由は色々挙げられるし、何より信頼出来て愛している人の元で離れたく無い。
「……売り出し方は他にもあると思います」
「楽器の事? 今は楽器やるよりダンスの方が売れるのよ、その方があなたの目的のためになるじゃない」
それは間違っては無い、ただ、数十年先もそれで食べていける訳では無い。よっぽど鍛えないと講師は出来ないし、若さで売れるのは短い。
「それじゃあ、今から中上さんと話して説得するから、ダンスの練習を受けてね」
「……消耗品にはなりませんよ」
「そんな事言わないで、わたしの顔を立ててさ、お願い」
「そんな刹那的な売り方ではダメでしょう!」
ウチが声を荒げると、マネジさんも負けじと睨みつける。
「じゃあ、千尋は何もせずにこの世界から残れると思ってるの!」
「底なし沼から変に動いたら沈みます、ちゃんとした動き方では無いと言ってるんです。付け焼き刃のダンスで売るより、しっかりした演奏した方が生き残れますし、楽器を続けてた方が作曲もしやすいから収入も期待出来ます!」
「それはあなたの人生であって、事務所とは関係ないでしょ!」
「えっ……?」
信じられなかった、発言の内容では無い。お互い利用している事は理解し、割り切っているからそんな事は些細な事だ。それを言ってしまうマネジさんの短絡さに唖然としてしまった。ウチはこんな人と一緒にやってたんだ……。
「とにかく、中上さんと電話してくるから、レッスンに行ってきて」
「……声優業楽しかったです」
マネジさんに聞こえない声で呟いて部屋を出たウチは、義姉さんに電話をかけた。
「もしもし」
「千榎ちゃんどうしたの?」
「ちょっと虎太郎さんに会いたいんですよ、プロデューサーとしての虎太郎さんに」
義姉さんはなにか不審な事を勘づいてくれたみたいで、すぐに掛け合ってくれると返答してくれた。
電話が切れた後すぐに、電話が鳴った。
「もしもし?」
「もし干されたら、ウチの事務所くるか?」
……虎太郎さん、色々とすっ飛ばして理解してますね、まだ1も言っていないのに。
「……それは最終手段で」
「契約更新も近いんだろ、ノウハウも無いのにアイドル路線に安易に手を出す、ショボい事務所は辞めてこっち来い」
「そんな事したら、本当に干されますよね」
「覚悟しないで電話して来て無いだろ、いざとなったらアスとサヨでバンド組んで稼げは良いんだから。ウチの事務所なら売り込みは上手いし、実力もプロとしてやれるから大丈夫だろ。もちろん、声優業もちゃんとやってもらうぞ」
それでも、父さんの約束での強制送還が怖いんだよね……。
「俺がキッドの──お前の父親の弱味握って無いとでも思ったか?」
「ぜひその弱味を教えて欲しいです」
思わず出た言葉に、虎太郎さんは容赦無いなと苦笑いしていた。
「教えたらドン引きするレベルの夫婦ネタだぞ、絶対に言うか」
「ちっ! 母さんの手綱も握れたのかぁー」
「お願いだから両親を揺すらないでくれ」
あのぼけぼけ過ぎて周りの人を悟らせる両親を、多少なりともしっかりさせられるなら、どんなネタでも使いたい、いや、使う。
「ともかく、協力してやるから自分をごまかすなよ──後、1つ言わせてもらう」
「なんですか?」
「お前1人で決めるな、海ともちゃんと話し合え」
電話はそこで切れ、ウチは深呼吸をして海のアドレスを開いた。
☆☆☆☆☆☆
「海、時間ある?」
「もし別れるつもりなら、千榎と一緒に死ぬから」
……声が本気だ、海は本当にヤンデレかもしれない。でもそれ以外は、料理が上手くて頼りになって優しく愛してくれてる。ウチも奪われそうになったら同じ事をしそうな気がするから同じ様なものだろう。
「電話来たの?」
「千榎のために別れて欲しいって、藤田さんから」
マネジさん本気なんだ、でもウチも譲れないんだよ。
「最悪、事務所から干されるかもしれない、それ位言うよ──自分がしたい事を伝えるのは」
それを海に伝えたら、電話から笑い声が聞こえた。
「良かったー! 別れてくれって千榎の口から言われたらどうしようかと思った──応援するよ、目標達成出来なくなって名古屋に戻されても良いから、存分にやって来なよ」
「……ありがとう、骨は拾ってね」
「骨になる前に助け出すから」
海は過保護だなって失笑して電話を切った、じゃあ、頑張ってみようか。
☆☆☆☆☆☆
「事務所を辞める?」
「ええ、でもそれは最終手段です。それを踏まえて、方向性について話し合いをさせてもらいたいんです」
事務所の社長、金本さんとアポを取って切り出したのは、退社も辞さないという事を提示して本気で『夏木千尋』をどうするか話し合いをするためだ。
これでウチの方針と、相手の方針の溝が埋まらなければ仕方ないと諦め、虎太郎おじさんの下で音楽活動でもしようと思ってる。ウチだってケンカ別れはしたくないから。
「うちへの恩義は忘れたのか?」
「1番はわたくしの方針と御社の方針をちゃんとすり合わせて、変わらない関係を続けていく事です。でも、最終的に溝が埋まらなければ干される覚悟は出来ています」
睨まれてもオドオドしていたらダメだ、自分に自信を持ってちゃんと伝えるためにウチは来たんだから。
「やりたくないなら仕事は回さない、それは百も承知だろう」
「アプローチを変えたらどうですか、という事をお伝えしているんですが」
「どこが不満なのかね?」
金本さんの言葉にウチの顔が一瞬強張った。
「ギャラだってちゃんと支払っているし、曲を出すレーベルも大手でちゃんとしているだろう、それのどこに問題がある?」
本質をこの人は分かっているんだろうか、表向きの金以上の損失がこの進路には起きる事に。
「御社にとってはわたくしは替えが利く商品でしょうが、わたくしは無機物ではありません。学業と声優に歌手、さらに楽器とダンスとなると流石に勤続疲労が出てきます」
「楽器を一旦止めてみたらどうなんだ」
「楽器は中学から続けており、プロからお墨付きを頂いております。しかし、ダンスは学業でした程度。即戦力となり勝つ見込みのある所に集中して時間を割きたいのです」
金本社長はウチの話を聞き終えると、かぶりを振った。
「アイドルの素質があるのに、そこに行かないというのか?」
「魅力が無いとは言いませんが、目指したい山ではありません。その山に行くには大きな犠牲があります。その犠牲に目を背けられる程わたくしは冷酷に徹する事が出来ないんです」
ウチの思いは伝わっただろうか、それとも……。
「話は分かった。──事務所を辞めても構わない、だが、2年間はテレビ出演禁止だ、アニメもナレーションもローカルにも、もちろん顔出しも禁止、それでも良いなら違約金は要らない──破れは違約金を払ってもらう事になるが」
干され生活は厳しくなるが、ネットは禁止では無いし、ゲームも言われていない。干されたというイメージはつくが、元々許婚がいるとか、ギャルゲーに出たとか、あまり良いイメージは持たれていないだろうし、逆境には慣れている。仮に目標失敗で名古屋に帰る事になっても、復帰してはダメとは言われていない。
「……迷惑ばかりで申し訳ないです。今までありがとうございました」
こうしてウチは事務所を退社し、雌伏の時を過ごす事になる。いつか復活する時まで、地道に頑張って行こうかな。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「千榎どうしたの!?」
「事務所と喧嘩したって書いてあるけど、本当の所ってなに?」
蛍と雪に心配そうに話しかけられると、ウチは普通に接した。
「ケンカと言うにはお互い冷静だったよ、ただ方向性が合わなくて辞めただけ──まあテレビにしばらく出ないと契約書に書かされたけど、向こうからしたら恩を仇で返されてるからね、他の人が勝手に辞めない様に制裁はあるのは当たり前だよ」
「千榎……」
「結構ビンボー生活するかもね、遊べなくなるかも」
「それでも千榎の友達だよ! 借金とかは断るけど、困ってても味方でいるから」
「ご飯をたかる位何てことないから、頑張ってまた活躍してね」
「 ……ウチは良い友達を持ったよ、ありがとう、蛍、雪」
2人を抱きしめると、絶対にまた活躍してやると固く誓った。音楽も声優も一流になってやる!!
それに、テレビに出れないという事は、時間がある。その時間をしっかり活用させてもらおう。
「さあ、早速勉強しよっかな、本にアニメ、色んな音楽も干されてる間に鍛えないと」
「頑張れー! 婚約者の為に」
「大学の勉強も手伝うから、ちゃんと鍛えてね」
心強い親友を頼もしく思いながら、ウチらは東京の街を歩き出した。
☆☆☆☆☆☆
「ここで決める、ライトニングショット!」
「はいオッケーです!」
ゲームアプリのセリフ入れを、いつも通り1発で決めて、今月の声優としての仕事は終了した。うーん、移籍してから収入が結構減ったなぁ、一部といえども仕事の制限は思った以上のダメージだった。
でも、後悔は全くしていない。自分で決めた事にする理由がないからね、干されて後ろ指を指されても、それを気にし過ぎたら病んでしまうだろう。復活出来なかったらそれまでの声優、それが天命と心得ている。
ふと、父さんの好きな名言に、こんなのがあったと思い出す。
試合に泣くな練習に泣け 試合に泣く者は練習に泣かぬ者である 練習に泣いた者は試合に負けた時それが天命と心得る
最初は苦し涙かと思ったけど、くやし涙と解釈するんだよと言われた時になるほどと思った。練習でくやし涙をしないと試合でくやし涙をしてしまう、必死に努力をしたら試合でくやし涙──後悔はしないという事らしい。
それもあって基礎練習は毎日やっている、それに加えて自主練と演劇、読書、シナリオの評価が高いゲームなど、物語に触れる機会を多く作っている、表現力の肥やしにしたりキャラクターの理解度を上げるためだ。
「……なっちゃん干されたんだって」
「……やっぱり2世はワガママなのか」
関係者の間でちょっと誤解されてる様なので、こそっと近づいて声を変えて説明してみた。
「……ここだけの話、アイドル路線を推めたい事務所と、モデルチェンジのリスクを危惧したなっちゃんの話し合いがまとまらなかったそうですよ」
「……へぇそうなん──って!?」
あっ、気が付いた。仕方ないのでちゃんと説明する。
「すいません、ちょっと誤解されてる様なので。こそっと会話に参加してみました──で、さっき話した通りなんですけど、出て行った訳ですからペナルティは当たり前ですし、前の事務所をウチは恨んでいません。丸く収まれば良かったんですけど、それは自分のミスです。事務所が恨んでも、ウチは恨むどころか少し申し訳ない気持ちです、育ててくれましたからね」
「それって本当に?」
「ええ、運良く復活出来たら前の事務所に何か恩返ししたいと思ってます。タダで講師を担当したり、くすぶっている人をプッシュしたり、その前に自分を何とかしろよって話ですから、まだ出来ないんですけどね」
自虐も交えながら、少しづつ誤解を解いていった恨みが無いのは事実、事務所に恩返しというのを行動に移せば良いんだから。正しくない事への声の大きさは気にならない、これからの行動でいくらでも巻き返せるから。
ウチは地道で地味に世間にあーだこーだ言われるのを流し打ちしながら、これからしばらく過ごそうとカバンを持ってスタジオを後にした。