合わせ鏡 1 千榎の場合
「千榎ズルいーあんな旦那さんわたしたちに隠してたなんて」
「そうだそうだ裏切り者ー!」
ウチは今、大学の友人2人にカフェでからかわれている。蛍と雪は数少ない同級生の友達で、東海地方出身で話が結構合う事から意気投合した仲だ。
「ウチの親が、東京出るなら付き合ってる彼氏と結婚するなら行っても良いよ、って言ったからもあるし、海となら結婚したいなって自然に思えたんだよね」
「くぅー羨ましい! その胸で誑かしたんでしょ」
「な訳ないでしょう!」
確かに背の高い家族で、母さんのスタイルが良かった事から、ウチは長身美人と良く褒められるが、ナンパとかされた事もないし、痴漢にも遭わずに済んでいる。蛍曰く
「千榎って攻撃はしないけど、されたら倍返しどころじゃ済まないと思う」
と言って苦笑いしていたが、失礼じゃないかな……間違ってないとはいえ、そこは言わなくても良いと思う。
「千榎凄いよね、声優やって大学行って歌も上手いし、どれだけ努力すればそこまで行けるんだろ」
雪の良い所は天才とか才能という言葉を軽々しく使わない所だ、ウチの努力をちゃんと分かっているのが嬉しい。
「負けん気だけは持ってやってきたからね、両親が伝説の投手、兄がラジコンカーの神様。劣等感を持ち続けてるのは嫌だったから」
「千榎……やっぱり凄いよ、自分だったら心折れているかも」
蛍は優しい……でも頭をわしゃわしゃするのは止めてもらえないかな?
「もうそろそろ映画の時間だから、会計して行こう」
会計を済ませて外に出ると、雪が子供みたいに走り出した。
「あっ、近くにクレープ屋さんがある!」
──なんか危ない気がする、雪待って!
「雪って甘いものに目がないよね──って千榎?」
雪の首根っこを捕まえて引っ張ると、雪の目の前に大きな鉄骨が落ちてきた。
「…………えっ?」
雪は悲鳴も上げられながった、自分が死ぬ所だったかもしれない状況に出くわしたら、中にはショックで声も上げられないだろうしね。とりあえず、蛍が駆けつけてくれたので、預けて警察に電話をかける。
「もしもし、鉄骨が落ちてきました場所は渋谷マルハチです」
電話を切ると、蛍が青い顔でウチに近づいた。
「千榎……どうして冷静なの?」
「1回事故現場を見たから、こういうのは早く呼ばないと」
なんで上から鉄骨が落ちたか分からない、こういうのはあらかじめ対応しているはずだけど……
ウチは雪が落ち着くまでずっとなだめていた、こういうのは早めに落ち着かせないと、トラウマになるから優しく甘々にね。
やがてパトカーが到着して、警察に事情を聞かれた。冷静な判断を少し訝しまれたが、滞りなく聴取は済んだ。
「結局映画観れなかったね」
「……うん」
「観れても行きたくないかな、ちょっと気持ち悪いし」
「じゃあご飯奢ってあげるよ!」
「ホント意地悪だよね!」
ウチが蛍とやいのやいの騒いでいると、雪が笑い出した。
「あははっ! やっぱり2人といると元気がでるなあ」
「良かった良かった、雪は元気な姿が1番可愛いよ」
「千榎、もしかして……」
「蛍はもう少し静かな方が良いんだけどなー」
「ちーかー!」
ウチは怒る友達から笑いながら逃げ出した、……友達が気まずい思いをしてるなら、なるべく元気にしたい。その辺りは芸能人気質なんだろうけど、笑顔が大好きなのは誇れるものの1つだ。
そうそう、後で海とあの人に連絡しよう。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「さてと……これでこうして……よし、出来た」
「なになに、燕さんにでも電報を送るの?」
……美伶さんは本当に鋭い、大正解だもの。今度なにかお土産でも買って来ようかな。
「じゃあしるこサンド買ってきてよ、美味しいんだよね〜」
「心を読みまくらないでください!」
そんな事もありつつ、古過ぎて誰も傍受しない周波数の電波で、燕姉様に暗号を送った。
数分後、送られてきた暗号を解読すると、ウチは胸をなでおろした。
「なんて送ってどう返って来たの?」
「内緒です、怒られちゃいますから」
「ピーでバキューンな事をされても?」
「秀章さんがどうなっても良いならご自由に」
その言葉を言ったら美伶さんは黙り込んだ。ウチの目が嘘をついてないのが分かったのか、はたまた嘘でも恋人の安否が危ぶまれる事になるのが嫌なのかは不明だけど、とりあえず追及の手を止められた。
『知り合いに聞いたり個人的に調べたけど、普通の事故、心配しなくていいよ』
現役を引退して今は一流のスタイリストの燕姉様だけど、人脈はなお健在だ。海との共通の情報網の1つでもあるし、近所のお姉さんだから、色々と気心知れた仲なのが良い。なんの現役なのかは、またおいおい説明しようかな。
「ただいまー」
「海君おかえりー」
海が帰ってきて早速事件の事を聞いてきた。
「千榎大丈夫? 事故があったってやってたけど」
「うん、大丈夫。危ない所で友達を救えたし──あと、ウチを狙ってた訳じゃ無いみたいだから」
後半の所をこっそり伝えると、海はホッと安心していた。
「情けない事に僕はつきっきりで居られないから、頼れるものはフル動員して自分の身を守ってね、僕も勿論駆けつけるけど」
「海に腕っ節で期待している事なんて、1回も無いよ」
「そうだよね……取っ組み合いで千榎に1度も勝った事無いしね……」
今、海のプライドを綺麗に一刀両断したけど、海に幻滅している訳じゃ決して無い。
「でも、海の機転や頭脳、交友関係で信頼出来る人を見極める事は凄い事だよ、腕っ節なんてやがて落ちていくけど、機転や頭脳、人間関係に経験が加われば、どんな問題もほぼ解決出来るんだから、海は胸を張って良いんだよ」
「千榎っ……!」
「ちょ、海!」
海は美伶さんがいるにも関わらず、ウチに思いっきり抱きついてきた。嬉しいよ、嬉しいけど恥ずいわ!
しかし、腕力で勝っているのにこうなった海から逃げるのが何故か難しく、美伶さんにからかわれながら、しばらくそのまんま抱きつかれていた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「夏木千尋の七色変化球!」
タイトルコールと共にラジオがスタートして、今日も楽しいお仕事の時間がやって来た。……けど、今日のゲストは緊張するんだよね。
「今週はゲストを呼んで来ました、自己紹介お願いします」
「こんばんわ、白虎です。今日は授業参観の気持ちでやって来ました、よろしくお願いします」
今回のゲスト、白虎さんこと西郷虎太郎さんは、義姉さんのバンドの師匠で、プロデューサー。ウチも担当してもらっている。バンドで使われるギター、ベース、ドラム、キーボードを、関係者を唸らせる程えらく上手く、本気でやらないと気を病む位、えらく厳しい指導で有名な人だ。
「リスナーの皆さん注意して下さいね、名前がネコ科だけに猫被りしてますよ」
「失礼な、わたくしはオンとオフを使い分ける人間なだけですよ」
そのオンとオフが凄まじい、理不尽に慣れていたウチが、終わった後に本気で泣いた位だ。いつも練習が恐ろしくて仕方ない。
「しかし、海といいチカといい、負けん気は兄姉に負けてませんね、才能もありますが、才能だけあって潰れてきた人を沢山見てきただけに、子供が立派になってくれたのは嬉しいものですよ」
「白虎さん……」
「しかし、楽器についてはまだまだわたくしを超えたとは言えませんね。年数も忙しさもありますが、年下の隼人に劣っていると言わざるを得ません」
……手厳しい、本当に手厳しい。中学生になったばっかりの6歳下に負けているとバッサリ切り捨てられた。ちなみに隼人君は虎太郎さんの息子さんで、義姉さんとウチの兄弟子だ。
「ただ、チカが下手とは言っていません、レベル70でも80、90には負けていると言っている様なものですよ。そこら辺のインディーズより腕は上です、わたくしが直々に鍛えているのに腕が上がらないのは、まずあり得ませんから」
そりゃそうですよ、虎太郎さんだけに虎の穴です、入ったお陰で手のいたるところがタコになりましたよ。
「一通り叩き込まれて、リズムパートは相性が良かったんですよ。白虎さんはどう思いますか?」
「わたくしも同じ見解です。リズム感は良いですし、耳の良さは両親譲り、ギターやキーボードより、ベースやドラムのセンスがありますよ。特にベースは近い内にわたくしを超えるでしょうね、ドラムは攻め過ぎない所が良いです。ちゃんと自分の力量で叩いてますから、信頼出来るプレイをするのがバンドにとっては安心して任せられるポイントです」
意外にもウチのプレイスタイルに好評価してくれた虎太郎さんだが、少し油断した。
「まあ、ギターやキーボードでは飛べない鶏な程度です、その位はゴロゴロいますから調子に乗らない事です」
うん、この人は自分の得意分野なら容赦無く切り捨てる。褒めてもクギを刺す事を忘れない、その代わり自分の知らない分野では、他人かと思う程謙虚になるのに驚く。
「そりゃウチより上手い人はいると自覚してますよ、練習時間も限られてますし、それ専門でやってる人にまだまだ届いてませんから。──でも、白虎さんに楽器とボーカルを指導してもらってますけど、プロデューサーとして初めて楽曲提供したのは意外にもアイドルなんですよね?」
「正確には、事務所から正式に依頼されたのは最初ですね。その前から『ブルーヴァンガード』とか『たられば論者』、『セイルフィッシュ』とやっていました、それから『ザッハトルテ』と一緒に仕事したんです」
『ザッハトルテ』は6人組の女性アイドルグループで、中学生から始めたがパッとせず、苦節10年目で一流アイドルになった苦労人。確か組みだしたのが8年目辺りで、虎太郎さんが27の時だ。
「最初見た時はどんな感じでしたか?」
「頑張りたいけど、どうすれば良いのか分からない感じでしたね。才能はあったんですけど、それだけ年数こなしてこれだけかと」
確かに調べて見たら、色々な方向で攻めて見たけど上手く行って無い様で、1番自信を無くしていた時期と、リーダーのえりかさんは語っていたそう。
「そんな不遇なアイドルを、どうやって売り出して行ったんですか?」
「元々がバンドのドラムスだったので、ダンスは口出ししないで、練習を見てたんです」
「それは何処を見てたんですか?」
「メンバーの『人』を見てましたね、時間はかかっても良いから、とにかくこいつはどういった奴か、気分屋だったりコツコツタイプだったり、ギアが掛かるのが早いか遅いか、キツイ時に粘れるか逆に伸びてくる奴もいる。それぞれに合うやり方があります、芸能界なんて早い所自分を知って武器を鍛えないと、消えていく所ですから──その点では、チカは自分の武器をちゃんと知っていて、それを磨いていましたよ」
褒められてちょっと嬉しかったけど、虎太郎さんはかなりロマンチストな合理主義者だ、次の言葉がそれを裏付ける。
「皆良く頑張ったとか言いますよね、純粋に頑張る姿勢は、初めてキャンプファイヤーを見た炎より美しいです、アマチュアならそれはそれで良いんですが、プロは頑張るだけではダメ、結果を残してこそプロを名乗れるんです」
虎太郎さんの言葉は、現実を無理矢理見せられている錯覚になる。冷たく残酷で、でも正しく力強い。普通ならこういう人は付いていけない人もいるが、虎太郎さんは一度面倒を見た人は絶対に見捨てない稀有な人だ、だから虎太郎さんと仲が良くなると皆付いて行く。
そんな虎太郎さんと、更に話は盛り上がるんだけど、それは次回のお楽しみに。