家に帰ろう 3 たとえ心ない罵声にも
リニアの中で僕はふと、千榎との思い出を振り返ってみた。孝志さんとひさぎおばさん、椿おじさんは野球以外でも親交があり、柊ともよく絵を描いて遊んでいた。
その中で1番年下だった千榎は、末っ子気質というよりは年長気質だった。これは石井家は自由人がほとんどで、バランスを取るために千榎がしっかりしていたからだと思う。
「海聞いてよ、母さんが作るって言った料理、今日はちゃんと宣言通り作ってきたんだよ、凄くない!?」
「それで喜べる事態になるのが凄いと思うよ……」
中学後半にはこうやって話が出来たが、いじめがあった当初は、荒んだ眼をしていた。
自殺したいとか考えては無かった様だけど、攻撃的な不満を貯めていたのは確かだ。その証拠にロケット事件を引き起こして、出席停止を喰らっていたし、親に対して暴言も吐いていた。
しかし、千榎は立ち直ったし、夢に向かって絶賛邁進中である。そんな千榎を好きになった理由とこれまでの自分の歩みをちょっと語りたいと思う。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「海頑張れー」
「でりゃー!」
カキーン!
仲間たちの応援も虚しく、僕の投げた球はホームランになった。悲しいけど、僕は控えで更に打撃投手扱い。ひたすら投げては打たれるの繰り返しで、やがてバカにされる事しか無くなっていった。
「今日も頼むよ、打撃投手君?」
「華麗に打たれてやれよー」
自分の才能は自分が1番分かっている、体が弱かったのもあったし、玄さんと比べると明らかに劣っていた。
「海お疲れさま」
そんな中、千榎はなぜか僕を応援してくれていた。不思議に思って、千榎に聞いてみたら意外な答えを言われた。
「海の野球って楽しそうだから、下手くそでも野球が大好きなんだなーって、理屈抜きで感じるの」
「それだけ?」
「それだけじゃダメ?」
この時、初めて野球が大好きなんだと確信した。
その後『もう1人のお父さん』に相談したら審判の道を勧められ、それを孝志さんに言った時、猛烈に反対された。
「海は体が弱いからダメ、体力的にも精神的にもキツイのにやらせる訳にはいかない」
「父さん、僕は野球の才能はないよ。でも、野球を愛する気持ちは誰にも負けない、野球の仕事に就きたいんだ」
「メグさんに約束したんだ、澪に無理はさせずに体の負担が少ない仕事に就かせるって」
孝志さんの気持ちは凄く分かるし、メグ母さんの思いはありがたいけど、何度も夢に破れていたく無かった。
僕はキッチンまで走り、慌てて追いかけてきた孝志さんの前で、包丁を自分の喉に突きつけた。
「近づかないで、近づいたら喉を刺して死ぬから」
「海……!」
「何度も夢から逃げているばっかりはもう嫌なんだ。自分でやり遂げるよ、たとえ応援してくれる人がいなくても、心無い罵声を浴びても」
そこからしばらくにらみ合って、やがて孝志さんが目を伏せた。
「……そういうところは誰に似たんだろう」
「メグ母さんだよ、あの人の頑固さとやり遂げる努力は父さんが1番分かっているよね?」
「──そうだったな、メグさん怒るだろうけど、海の気持ちは変わらないだろうし、やっても良いよ」
「父さん……!」
「ただし、50までに引退する事、タバコは吸わないでお酒も一杯まで、健康診断は必ず受けて、調子が悪くなったら即引退を約束出来る?」
ここまで条件を出すあたり、かなり僕に対して心配性だが、ここで反論しても絶対に曲げない。それに玄さんに対してもかなり甘い。……ただし野球以外の話だけど。
「ありがとう、僕も頑張るね」
「ああ言い忘れていた」
……なんだか嫌な予感が、そしてそれは的中した。
「3年以内に1軍塁審を100試合以上にこなせなかったら審判辞めてイラストレーターになりなさい。澪は絵の才能があるし、師匠が近くにいるんだから」
……絵は嫌いじゃないし、歌も自信があるんだけど嫌だな……それに、選手でいうなら3年でレギュラーという事だから、なかなか厳しい内容だ。
「良いよ、やって見せるから」
「ああ、やってみろよ」
お互い不敵に笑っていたら、早織母さんが慌てて間に入った。
「澪!? 孝志さんを殺さないで!」
包丁を持ちっぱなしでいたところを、早織母さんに見つかり、心配させたのはすいませんでした、反省してます。
そうして審判を目指して積極的に努力した。ルールブックの暗記はもちろん、動体視力の練習に柔軟体操を欠かさずこなし、水泳で肺活量を上げて体力を強化した。
ロケット事件で千榎の反抗期がピークになり、ひさぎおばさんの暴言で千榎にビンタした時は後悔もあった。人を殴るのは愚か者のする事だと、いろんな人から教わった事に初めて反した事だし、そんな事でしか止められない状況にまで見逃していたくせに、好きな人を殴るのが悔しかった。それでも、親を憎む状況にはしたく無い、それなら自分が恨まれれば良い。千榎には両親を全く恨まないでいて欲しいから、1番近くにいてくれる人としこりが出来る辛さは知って欲しくないよ。
そして、柊に千榎への想いを暴露され、恥ずかしいと同時に成功したので、柊にはなんとも言えない感情があるんだけど……その話は別の機会で。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
野球審判への努力は高校の後半で成果が見られた、体力的にも精神的にも強くなり。千榎とトレーニングしても先にへばらなくなった。
そして、審判の試験に合格して今に至るが、僕には未だに千榎が僕を選んでくれたか、まだはっきりしていない。婚約は上京で同居の条件だったけど、そんな無理難題にオッケーしてくれた理由が謎なんだよね……。
そんな事を考えてたら、千榎からメールが届いた。
「ゴメン、海とウチが付き合っているのバレるかも」
「信用してた人が裏切った?」
早速メールを返すと、うな垂れた絵文字を送ってきた。……仕方ない、千榎の人を見る目は確かだから、相手も事情があったんだろうね。
「大丈夫、いざとなったら家族に丸投げするから、安心して」
「本当にゴメンね、名前は出さない約束はしたけど、何があるか分からないから」
途中で気づいただけでまあ今回は良いかな、次は最初の方で気づくと良いね。
メールを終えると、僕は体を休める為に仮眠を取った。そして、目的地に着いて対策を考えながらホテルに向かった。
翌日、何気なくテレビを点けると、芸能ニュースがやっていた。そして、ある程度予想していた報道がされていた。
「人気声優の夏木千尋さんの婚約相手が、中上玄選手の弟さんなんですよね。しかもプロ野球の審判をやっていて、ファンの間では有名な方なんですよ」
「2人は幼馴染だと聞きましたが、いつから交際に発展したんでしょうか?」
「少なくとも、夏木さんが声優デビューする前から付き合っているそうです。付き合うキッカケが凄いんですよ──」
リポーターの人が、柊が仲を無理やり取り持った時の話をしていた。そんな話を聞き流して食事を済ませ、ホテルから出ようとした。
「吉スポの土屋です! お話良いでしょうか」
「週刊ホリデーの赤田です、千尋さんとのエピソードを聞かせてもらえないでしょうか?」
なんか色んな記者さんから囲まれている、仕事が早いね、早めにホテルから出てきて良かった。
「あまり答えられないですけど……どうぞ」
時間を無駄にしたくないので手短に質問に答える。
「どんな呼び方をするんですか?」
「名前で呼んでます、こちらからは千榎、相手は海と」
「付き合う決め手は?」
「本人にも言ってないので、本人に話してから言います。あなただったら、最初に他人からまた聞きより、直接聞きたくないですか?」
中には意地悪な質問も飛んでくる。
「夏木さんは色んな作品に出てらっしゃいますけど、旦那として嫌では無いんですか?」
「どの様な作品について言っているのか分かりませんが……少なくとも、周りにバカにされても、目標の為に戦う事を応援出来ないなら別れた方が良いですよ。どんな作品でも全力でやっているのをバカにはしないです」
「本当にそうですか?」
「僕は変にカッコつけてチャンスを逃す人より、見苦しくてもカッコ悪くても、チャンスを掴もうとする人が好きです。あくまでも僕個人の話ですけどね」
最後に、貴方には分からないだろうけどと、こっそり皮肉を込めておいた。その位は言うよ、愛している相手に、意地悪されたのにこれ位は軽いでしょ?
「では、あなたは親も姉もプロ野球選手ですけど、なぜあなたはなれなかったんですか?」
僕になんの恨みがあるのか知らないけど、かなりしつこい取材に、内心舌打ちをした。
「選手にはなれなかったけど、審判になれたのが、野球を愛している事の証明です。どんな状況でも、千榎を見捨てずに支えて愛する事が千榎に対する愛の証明です。──時間が無いので良いですか?」
僕が球場に向かおうとすると、後ろから罵声を浴びた。
「いつまで寄生するつもりだよ、ドラ息子!」
さっきのしつこい記者さんからの罵声も大丈夫、野球審判なんて叩かれ慣れなきゃやってられないよ。家族より劣っているのは確かだし、家計を支えるのは千榎になるだろうしね。
その時の対応が、神対応とか後で言われていたけど、遠征が終わって家に帰ると、千榎が体当たりに近い形で抱きついてきた。
「海大丈夫!?」
「うん、ただいま。心配させてゴメンね……それに」
千榎が複雑な顔をしているから、頰っぺたをプニプニしてイジりながら千榎を励ます。
「ちょ、澪!」
「どんな言葉を浴びせられても、僕は自分の責任を果たすだけだし、千榎の応援をするつもりだよ。だからそんな顔をしないで、お互い大変な道を進む訳だし、千榎といれば苦しみは半分に、喜びは倍になるよ」
僕の言葉にため息をついた千榎は、僕の鼻をつまんできた。
「その言葉はありがたいけど、いつまで頰っぺたプニプニしてるの!」
「千榎が元気になるまでと、僕の気がすむまで」
しばらく玄関で頰っぺたプニプニと、鼻つまみを続ける謎の状況になっていた。後で時計を見たら20分は経っていたので、僕も千榎も負けず嫌いか、変人だなぁと2人して苦笑いしていた。
少し投稿が遅れました。その分書きためていたので連続で投稿します。