ランドセル
ヒトミカは小学生です。
*
舞香は怒っていた。
というのも、昨日、里奈の取り調べを行った時、ヒトミカが里奈の腹部を殴ったことを聞いたのだ。しかも、妊娠していることを知っていながら、だ。
本当は昨日の内にヒトミカを怒りたいところだったが、正幸の取り調べを早々に終えていたヒトミカはもうすでに帰宅していた。だから仕方なくこうやって学校をさぼってヒトミカを呼び出したのだ。別に、学校をさぼりたかったわけではない。決してそんなわけではないのだ。
舞香とヒトミカはメイド喫茶近くのファストフード店に来ていた。
舞香はホットココアを注文して、ヒトミカの向かい側の席に座る。先に来ていたヒトミカは、すでに朝ご飯を食べていなかったのか、ハンバーガーを注文していた。
「で、なんですか?」
ヒトミカが不機嫌なのは、学校をさぼらせたからだろう。
舞香は早速本題に入る。
「ヒトミカちゃん、どうして里奈さんのお腹を殴ったの?」
するとヒトミカは、その話ですか、と嘆息する。
「別に、特に理由はありませんよ」
ヒトミカは目を逸らす。明らかに、嘘だとわかった。
「どうしてお腹なの? 他の部分じゃだめだったの?」
「別に、特に理由はありませんよ」
ヒトミカはまったく同じ言葉で応答する。顔を逸らしながらハンバーガーをむしゃむしゃと食べている姿は舞香をいっそう腹立たせた。
どうやったら、ヒトミカを反省させられるだろうか?
あれこれと考えている間に、ホットココアが運ばれてくる。
一杯飲むと、温かい液体が口の渇きを潤してくれる。ほのかな甘さだった。甘すぎない感じがちょうどいい。
「もし、もしだよ。ヒトミカちゃんに子供ができて、同じようなことがあったらどう思う?」
「私は時の守り人ですから、そんなこと絶対にありえませんよ」
「もしだよ」
「そうですか。……そうですね。どう思うでしょうね? わかりませんね」
未だにヒトミカは顔を逸らしていた。今は、ジュースをちゅうちゅうと吸っている。
しかし、舞香は諦めない。
「でも、ヒトミカちゃんのお母さんは絶対に悲しむと思うよ。だって、大事な子供だもん」
ヒトミカがピクッと動いたのがわかった。どうやら、少し効果あったらしい。ヒトミカはジュースをテーブルに置き、舞香と目を合わす。その目尻には涙が浮かんでいた。
「うるさいです。……うるさいです。私だって、二人の子供だって思いたいです。……でも、二人ともずっと家にいなくて、いっつも私を一人にして……とても私に愛情があるとは思えないんです」
はっと気づいてヒトミカは言葉を取り消そうとする。でも、もう遅かった。
舞香はヒトミカの正直な言葉を聞いた。おそらく、里奈の腹部を殴ったのは、嫉妬だったのだ。自分が愛情を受けていないから、それに憤りを感じたのだ。
そして、ヒトミカが創時に好意を抱いているのも、おそらくそれが理由なのではないかと思う。いつも一人でいたところに創時が現れたから、創時を好きになってしまったのだろう。
「そっか……。まあ、流産しなかったみたいだし、今回は許してあげる。でも、もうこんなことやっちゃ駄目だよ?」
舞香は子供を叱るような口調になる。
「こ、子供扱いしないでください! 私はもう十一歳なんですよ? もう立派な大人です!」
まだ子供だ、とツッコみたくなるが、そこは大人の態度で舞香は温かい目でヒトミカを見る。
同性の舞香の目にも今のヒトミカは可愛く見えた。この子の将来が楽しみだった。どれくらい美しく成長するのだろうか? もしかしたら、創時が昏倒してしまうかもしれない。
……いや、創時はロリコンだから今のほうがいいのか?
「ふ、ふん。も、もう話は終わりですか? じゃあ、学校に行ってきますね」
ヒトミカの口調はツンデレ風になっていた。もしかしたら、本当にツンデレなのかもしれない。
ヒトミカは立ち上がり、赤いランドセルを背負って足早に店を出ていく。
なんだかんだ言って、まだ子供なんだなと舞香は思う。
大人の舞香は、いつも大人びた様子のヒトミカがランドセルを背負っているのを見て、思わず笑みを零した。
ヒトミカは怒っていた。
さっきの会話で、自分の中の何かが色々と失われた気がしたのだ。それに、学校をさぼるような女に説教されたのだ。屈辱以外のなにものでもなかった。
ヒトミカは、ぷんすかと怒りながら、学校への道を急ぐ。
途中、近道をしようと思い立ち、路地に入る。
路地を何本か入った時、その声は聞こえた。
「金だせよ、ゴラァ」
若い男の強気な声だった。
ヒトミカは咄嗟に壁に身を隠し、覗き見る。
「だ、だから持ってないって」
一方の少年は、弱々しく、とても頼りない。
「嘘つくんじゃねえよ」
そう言って、男は何かを唱え始める。
――これは!
男が唱え終わると、少年の手が鞄に入っていく。
「えっ、嘘ッ」
少年は驚愕していた。鞄に入っていないほうの手でもう片方の手の動きを抑えようとするが、止まらない。どうやら、少年の意思ではないらしい。
この時、ヒトミカは確信していた。間違いなく、これは超能力による犯罪だった。普段は、警察の特殊犯罪対策課が取り締まっているのだが、守り人もこの仕事をやらないわけではない。それに、今目の前で犯罪が起こっているのだ。見逃すわけにはいかなかった。
やがて、少年の鞄から財布が出てくる。そしてその財布は、手の震えに落ちることなく、男の元へ。
「へへへ。別に俺は強盗なんてしてないからな。お前から財布を差し出してきたんだからな」
男は少年を威圧するようにそう言い放つ。とんでもない言い訳だった。もちろん、そんな言葉が通用するわけがない。というか、口調が明らかに雑魚の口調だった。
男が少年の手から財布を受け取った瞬間、ヒトミカは飛びだす。
「はい。そこまでです」
ヒトミカの厳粛な一喝が、逃げようとしていた男の動きを止める。少年の顔は不安そうなままだった。出てきたのが、ランドセルを背負ったヒトミカだったからだろう。
子供だとわかった瞬間、男は安堵していた。それが、元々いらついていたヒトミカをさらにいらつかせる。
「どうしたの? 迷子?」
馬鹿にしたような男の声がヒトミカの耳に響く。
ああ、どう始末しようか? 手足を斬り刻む? 宇宙に飛ばして窒息死させるのもいいかもしれない。
ヒトミカは能力を発動するために口を少し開く。――が、なぜか口が動かない。そして、舞香の顔が脳裏にちらつく。
(どうして舞香さんが……)
無理矢理消そうとするが、深く根を張っていて、離れそうにない。
ヒトミカは頬を膨らませる。
(わかりましたよ)
ヒトミカは、空間変更を使って男の背後に出現。首に手刀を入れ、気絶させる。こんなか弱い少女に一発で気絶させられるなんて、脆い男だった。
ヒトミカは少年に目を向ける。少年は目を輝かせていた。今にもヒトミカの頭をなでなでと撫でてきそうだった。そんなことはやめてほしい。髪が穢れるだけだ。それに、ヒトミカの頭を撫でていいのは創時だけなのだ。
だが、残念ながらこの少年にも気絶してもらわなければならない。これから特殊犯罪対策課に行って、少年の記憶を少しだけいじらなければならないのだ。少し面倒なことだが、そうしなければ超能力のことが露見してしまう。この、孤立した島の治安を守るためには、そうしなければならない。それと、この葉桜島が世界一平和な国と言われるようになったのは、この徹底した事後処置があるからだ。
ヒトミカは少年に手刀を入れて、気絶させる。
「別に、舞香さんのためじゃありませんから」
ヒトミカは誰に言うわけでもなく呟く。
言ってしまってから、なんだかヒトミカは恥ずかしくなっていた。屈辱だ。
お返しに、創時に抱きつこう。
そう心に誓ったヒトミカだった。
次回予告。次は、なんと一年前の事件の召集が来ます。




