真実
全ての真相が明らかになります。
十二月二十日。
午後四時三十分。
西の山に太陽が半分隠され、半月みたいになっている。
病院のテラスから夕日を見つめていると、不思議と心が落ち着いた。
考えてみると、舞香は何かあったら、高いところに来ている気がする。もしかしたら、高いところが好きなのだろうか?
「昨日はお疲れ様」
舞香の隣で舞香と同じく夕日を見つめる創時は、夕日に目を向けたままそう言う。もうすっかり手も足もよくなって、さっき退院したため、創時は患者衣ではなく、学校の制服に身を包んでいる。
舞香は、「うん」と頷き、昨日のことを少しだけ思い出す。
京示の腱を切り、片手を粉砕骨折させたので、少しやりすぎたかもと後悔したが、目を覚ました京示の反省した顔を見て、これでよかったのだと思った。
結局、京示の身柄はこの島の警察に引き渡された。一年かかっての逮捕ということで、ニュースになったが、だからといって、どうというわけではなかった。これから、裁判でどのような判断が下されるのか、見届けなければならない。
「終わったんだよね。全部」
舞香がそう訊いても、しばらく返事が返ってこなかった。不審に思って、舞香は創時に目を向ける。そこで、創時と舞香の目線がぶつかる。いつから見ていたんだろうか? いや、そんなことはどうでもいい。創時があまりにも真剣に見つめてくるので、舞香は不安を覚える。どうして見つめられただけで不安を覚えたのか、舞香にもわからなかった。ただ、長年付き合ってきたからだろうか? 舞香には、創時が何か深刻なことを言おうとしているのだと、表情から読み取ることができた。
「どうしたの?」
つばを呑み込む音が聞こえてしまうほど、周りの音が消え、静かだった。
ふっと辺りが暗くなる。夕日が雲に隠されたのだ。ぐっと体感温度が下がった気がした。
「舞香に伝えなきゃいけないことがあるんだ……」
ようやく、創時が口を開く。その声は吐き出されるような音だったが、冷たい空気に震動し、はっきりと舞香の耳に届いた。
「……なに?」
その時、冷たいものが舞香の頬に当たる。続いて、舞香の目の前を白く小さなものが通り過ぎる。
いつの間にか、舞香と創時を包むように雪が降っていた。小さな雪たちは、病院から漏れ出る光に照らされて姿を消すと、もうその直後にはテラスに溶けて水と変わっていた。雪の冷たさのせいか、テラスが寒そうに身震いをしたような気がした。
雪の隙間を縫うように冷たい風が吹き抜ける。
舞香と創時の髪に少しずつ雪が溜まっていく。そのくらい長い間の沈黙だった。いや、あるいはほんの少しの時間だったのかもしれない。そんなことがどうでもよくなるほど、舞香は創時と見つめ合っていた。
「今日、京一の死体を確認してきた」
静かな声だった。いつのも創時の声ともいえる。ただいつもと違うのは、創時が纏っている雰囲気だけだ。
「……そっか」
今の言葉がちゃんと創時に届いたのか舞香にはわからなかった。いや、もしかすると、今の返答は妄想で、実際は口に出せていなかったのかもしれない。
「肩から下は破裂して原形を留めていなかったけど、顔はちゃんと確認できたよ」
恨みに充ちた顔だった。とか、全てを諦めた顔だった。という言葉を舞香は予期していた。仲間であった京一を殺し、今舞香は生きている。恨まれても仕方がないだろう。
しかし、次に創時が口にした言葉は、あまりにも予想外なものだった。
「その顔は、京一じゃなかった」
「は?」
創時が何を言っているのかわからなかった。それはつまり、顔が潰れて目視できなかったということだろうか――いや、さっき、創時自身が、顔は確認できたと言っていた。では、どういう意味なのだろうか?
「いや、正確には京一だった。ただ、あまりにも老けていた。それも、ひげのせいで簡単には京一と判別できないほどに」
創時の口調は、舞香にできるだけわかりやすくしようと細かく区切っていた。だが、その反面で、大事なことを後回しにしている気がした。
しかし……創時は何を言っているのだろうか? 老けた? 死んだから? ありえない。そんな現象が起こるはずがなかった。
「そして、その顔は――」
音が消える。
雪は降り続く。
明かりは雪を照らす。
「舞香のお父さん、正輝さんだった」
「えっ?」
舞香の驚きに驚き、雪が静止したように感じた。
その一瞬が、まるで絵画の一場面のようだった。
「どういう…………こと?」
嗄れる。舞香の声は、嗄れていた。
「そのままの意味だよ。つまり、京一は正輝さんだったんだ」
……何を言っているのだろうか? 創時はこんな笑えない冗談を言う人だっただろうか? それとも、これは夢か?
だが、これが夢でないことを知らしめるかのように、雪の冷たさが舞香の頬を叩いた。
「でも……でも……どうして……」
そう言ったものの、舞香自身で簡単に答えを出せるはずだった。ただ、答えが出ないのは、今の舞香に考えるという思考が存在しないからだ。いや、そんな余裕がない、といったほうが正しいか。
「幻想時間だよ。京一は、俺たちといる時、ずっと能力を維持したままだったんだ」
創時は以前、能力を維持するのは体力を使うのだと言っていた。では、本当の保持者ではない京一――いや、正輝にそんなことが可能だったのだろうか? 否、可能だったのだろう。だから、正輝は計画を実行したのだ。
しかし、舞香はまだ全てを理解できていなかった。どうしてそんなことをしたのか、そんな疑問が舞香の中で膨大し、脳を侵食していく。
舞香は口を開けない。それでも、創時には通じたようだった。創時は、全てを話し始める。この事件を終わらせるために。
「……ずっと、疑問だったんだ。どうして京一は一年前の事件にこだわったのか」
一年前の事件。つまり、舞香の母親と久藤の息子が殺されたあの通り魔殺人。身勝手な理由で罪のない人が殺された事件に、どうしてこだわったのか。
創時が、京一の正体が舞香の父親――正輝だとわかった上で京一と呼んでいるのは、きっと話の流れをわかりやすくするためだろう。
「舞香は最初、お母さんを恨んでたんだ。そして、過去を変える気もなかった。なら、どうして京一はそこで舞香を諦めて別の人にシフトしなかったのか……。その理由が、京一が舞香さんのお父さんだと知って、やっとわかった」
つまり、創時は、犯人が舞香の父親だったから、一年前の事件にこだわったと言いたいのだろう。しかし、それはおかしい。
「――でも待って」
自然と口が動いていた。唇が震える。だけど、それを口にしないと気が済まなかった。
「私のお父さんは、家族を捨ててどこかに行ったんだよ? どうして、お母さんが殺された事件を気にするの?」
疑問と怒りが混じった口調だった。まだ、冷静に現状を考えることはできていない。だけど、父親に対する怒りだけはふつふつと舞香の中に湧いていた。
「俺も舞香と同じ疑問を思ったよ。だから、ちょっといろいろ調べてみたんだ」
創時は舞香の瞳をまっすぐに見つめる。その瞳に捕えられ、舞香は顔を逸らすことができなくなっていた。これから、舞香の顔がどれほど酷いものになろうと、もう隠すことはできない。
「正輝さんは、確かに浮気をしてた。でも、事件の後すぐに別れていたよ。きっと舞香のお母さんへの思いを忘れられなかったんだろうね」
勝手だと思う。浮気をしたのは事実なのだ。だから、今更菜穂への想いを思い出したところで、もう遅かった。それとも、ずっと想っていて、きっかけを待っていただけなのだろうか? いや、それならなぜ浮気をしたのか。やはり、男心というものが舞香にはわからなかった。
「そんなこと知らない。そんなことしたって、お母さんは戻ってこない」
冷たい言葉だと思う。だけど、それを言うことでしか舞香は感情を抑えられなくなっていた。
「そうだよ。戻ってこない。……でも、だからこそ正輝さんは今回の計画を考えて、実行したんだ。……贖罪のためにね」
「贖罪……?」
「ああ。自分の妻と娘を裏切った贖罪だよ」
贖罪……。娘に自分を殺させることが贖罪だというのか? それはあまりにも身勝手すぎる。そんなの自己満足じゃないか。
「これから話すのは、いろいろ調べたうえでの俺の勝手な想像。だから、真実がそうなのかはわからない。そうわかった上で聞いてほしい」
創時の声と共に、白い息が雪に溶けた。そしてそれは、伝わり、他の雪も溶かしていく。まるで、事件を紐解いていく探偵のようだった。
「遊園地。佐倉駅。神社。廃病院。その全てに意味があったんだ。遊園地は、家族三人でよく行った場所。佐倉駅は、菜穂さんが殺された場所。神社は俺たちが家族ぐるみで遊んだ場所。そして、あの廃病院は、舞香が生まれた場所だよ。……佐倉町に病院が移転して、あそこは廃院になっちゃってたけどね」
ふいに舞香の脳に昔の記憶が蘇る。
その記憶は十年くらい前に遊園地に行った時のものだった。
菜穂と一緒にメリーゴーランドで馬に乗り、外の正輝に手を振っている。夕焼けに映える観覧車をバックに写真を撮り、観覧車から日没を眺める。
まだ、純粋無垢な自分。これから先に起こることを知らない自分。だけど、幸せそうだった。
「つまりね、正輝さんは思い出巡りをしていたんだ。まだ菜穂さんが生きている一年前なら家族の面影が残っているんじゃないかと思ってね」
死に場所に、舞香が生まれた場所を選んだのは、きっと舞香と同じところにいたかったから。人生が終わる場所は、娘の人生が始まった場所がよかったのだろう。
そして舞香は思い出す。五年前の遊園地に戻った時、京一はこう言っていた。
――こうも人が多いと、穢れてしまうものだな。
何を言っているのだろうと思ったが、今となってやっとわかる。京一は、正輝は菜穂の面影を探していたのだろう。一年前――まだ菜穂が生きている時代を巡ることによって。
ああ……なんて……。
「そして、正輝さんが時間トリックを使ったのは、思い出巡りを最後まで行うためだよ。途中で久藤の正体が京一だとわかれば、計画を遂行できないからね」
そんな理由で、舞香たちを惑わしたというのか? いや、正輝にとって、「そんな理由」ではなかったのか。
ああ……。
いや、だが、もしそうなら、一つ疑問が生まれる。それを聞かなければ舞香は感情の全てを周囲にまき散らしてしまいそうだった。
「じゃ、じゃあ……どうしてわざわざ最後に自分の正体が京一だってばらしたの?」
この計画は、思い出の場所に行き、最後に殺されるというものだったのだろう。しかし、そうなると、わざわざ自分の正体が京一だとばらす必要はなかったはずだ。久藤のままでも、何も支障はないはずだ。
「だめなんだ。だって、そうなったら、舞香が久藤を殺したことになる。正輝さんは、舞香にそんな罪を背負わせたくなったんだよ。だから、死ぬ時は京一でなければならなかった」
久藤は、舞香と同じ、被害者遺族だ。だから、久藤を殺せば舞香は罪の意識を感じるだろう。そして、正輝はそれを危惧したのだ。それが親心だったのだろうか? いや、それなら――
「で、でも……じゃあ、どうしてお父さんは未来で私を殺したの? 贖罪なんでしょう? なんで娘を殺すのよッ」
創時の話を聞けば聞くほど、自分の父親の優しい心が垣間見えていた。変な話だが、舞香にはそれが恐ろしかったのだ。今まで恨んできた父親の本当の心を知るのが怖かった。だって、それは、今までの自分の中の真実を壊されることになるから。
だから舞香は、どうしても父親を悪者にしたかった。
「そうだね。……でも、もっとおかしいことがあるんだ」
創時の口調は、いつまでも変わらない。どれだけ舞香がきつい口調で言おうと、創時はそれを全て寛容に受け止めていた。それこそ、抱きしめているように。
「京一は、浅賀を誘拐する前に見た未来のことを誘拐後に忘れてしまっていた。つまり、未来は変わってしまえば過去の記憶は抹消されるんだ。……じゃあ、どうして俺たちは舞香が殺されたことをいつまでも覚えているんだ?」
「それは……」
何も反論できなかった。まったくその通りだからだ。普通に考えれば、未来が変わってしまえば、前にあった未来は存在しないものとなり、もちろん記憶から消えてしまうはずだ。
では、なぜ舞香たちは覚えているのだろうか?
「だからね、舞香は殺されてないんだ。舞香が見たのは、京一が見せた幻想だよ」
幻想……?
……ああ、そういうことか。それもまた、京一の能力だということか。
「自分が死ぬとわかったら、きっと舞香は今まで以上に強くなる努力をする。そして、未来の自分を殺したという恨みを持ったまま殺してくれると正輝さんは考えたんだ」
どうして、もっと汚く生きてくれないのだろう。父親がもっと汚くてもっとどうしようもない人間だったのなら、きっと舞香は今、こんなに苦しんでいない
「だけどッ、久藤さんは関係ないじゃない! どうしてお父さんは久藤さんを殺したのよッ」
「昨日、久藤さんが保護されたよ」
「えっ……」
「だからね、舞香のお父さんは久藤さんを殺してないんだ」
ああ……そうだったのか。京一が、久藤を殺したと嘘を吐いたのは、舞香が自分を殺しやすくするためだったのか。
その時、何かが脳に襲いかかってくるような感覚に陥る。そして、次の瞬間には、もう舞香の視界はぼやけて見えなかった。制御できない涙が、舞香を襲っていたのだ。目尻の熱さを雪が冷やそうとするが、無駄だった。ふと足の力が抜け、視線が下がる。だが、床に尻餅をつきかけた舞香を創時が支えていた。創時の支えを借り、舞香は手すりに身を預けて座る。雪の冷たさが下から伝わっていた。だけど、やはり涙は舞香を襲い続ける。
「それから、正輝さんが未来改変のために浅賀を誘拐することを選んだのは、最終的に舞香に浅賀を逮捕させるためだったんだ。ヒトミカちゃんがミルクティーを浅賀の身体に侵入させることを予想してね」
そういうことだったのか。未来を変えるためにどうして浅賀京示の誘拐を選んだのか。舞香は保険だと言ったが、そうではなかった……。いや、ある意味保険というものも含まれていたのかもしれない。――一分間のラグが生まれて過去が変わり、同時に未来も変わった。変わる前の未来に起こった『何か』のための保険。もしかしたら、最善の策は他にあったかもしれない。だが、それでも京一が、正輝が京示を誘拐したのは、舞香に京示を逮捕させるため。確かに正輝は『何か』が何なのかわからなかったのだろう。だけど、目的はわかっていた上で、「浅賀の誘拐が有効だった。……有効だったと思うんだ。だって、その時の俺はそうしたんだから」と嘘を吐いたということか。
最低な悪役を演じたのは、全て、舞香に殺してもらうため。
なるほど。全て、正輝の手の内だったということだ。
そして、今だからわかることがある。
舞香を説得しようとしていたのは、過去を変えさせるためではなく、母親に対して勘違いしてほしくなかったからだ。その誤解を解こうと正輝は何か策を練ろうとしていたことだろう。だけど、過去が変わったことにより、舞香は自分で誤解を解いた。結果的に過去を変えたことが正輝にとって良いほうに転がったということだ。
「自分が死んだ後、舞香が死体を確認しに来ないことを正輝さんはわかっていた。だから、この真実を話すかどうか、俺に託したんだと思うよ」
そう。死ぬということは、最後には自分の正体がばれてしまうということだ。それをわかった上で正輝が計画を実行したのは、一重に舞香の幼馴染である創時への信頼があったからだろう。舞香が殺した相手が父親であったという真実を知らせるかどうかを、創時に託したのだ。……いや、もしかしたら、創時が舞香の幼馴染ではなくとも、正輝は創時に託していたかもしれない。だって、創時と正輝――京一は仲間だったのだから。
「俺が真実を舞香に話したのは、お父さんのことを舞香に勘違いしてほしくなかったからだよ」
勘違い。確かに、舞香は父親に対して勘違いしていた。もっと、最低な人間だと思っていたのだ。だけど、真実は違った……。
舞香の心を様々な思いが巡る。
もし、お父さんが浮気をしていなかったら……。もし、お母さんが殺されていなかったら……。もし、私が勘違いをしていなかったら……。
だけど、もうその「もし」は意味がない。もう、家族三人揃って笑うことはできないのだ。そして、それと同時に舞香はだんだん自分が何をしたのかを理解してくる。
――私は、自分の父親を殺したんだ。
たとえ、死ぬことを――贖罪を正輝が望んでいたとしても、舞香が父親を殺したことに変わりはない。
舞香の脳内に、強制的に京一を、正輝を殺した記憶が再生される。
天井が崩れ、満身創痍の舞香が桜斬で肉体を串刺しにする。京一が吐血し、「まいか」と言い残し、事切れる。
ああ……そういうことか。京一が最期に舞香の名前を呼んだのは、舞香が愛おしかったからか。
舞香の身体は小刻みに震えていた。
親殺しという言葉が舞香を襲っていた。小さい雪が舞香に重くのしかかる。それはまるで、天罰だった。
だけど、その雪を温かい言葉が溶かす。
「……この話をすれば、舞香が自分を責めるってわかってた。……それでも、言わなくちゃいけないと思ったんだ」
どれだけの覚悟を持って創時は舞香にこのことを伝えたのだろうか? それは、舞香には計りしえないことだった。
「……俺も一緒に背負うなんて無責任なことは言えない。この真実を伝えたことによって、これからの舞香の身に酷いことが起こるかもしれない。それを分け合うことはできない。でも、軽減してあげたい。舞香の気持ちを軽くしてあげたい」
創時は、一度言葉を切った。創時の目尻には涙が溜まっていた。
「だから――これからも一緒にいたい」
一瞬だった。一瞬だったけれど、確かに舞香は感じた。この世界に今、二人しかいないんじゃないか、と。
「うん……うん」
舞香は頷くことしかできなかった。辛かったのではなく、うれしかったんだと思う。
確かに、舞香がしたことはなくならないかもしれない。だけど、創時といる時なら、そのことを考えずに生きていられるような気がした。
やがて、雪が止み、また、夕日が二人を照らす。
雪は、役目を終えたかのように地面に溶け消えていった。雪が積もっていたところがうっすらと濡れていた。果たしてそれは、雪の涙なのだろうか? 雪もまた、舞香の気持ちを軽くしてくれたのだろうか? それはもう、わからない。だって、雪は消えてしまったのだから。
しばらくした後、二人は立ち上がり、夕日を眺める。
夕日が二人を賛美するように眩しく照らしていた。
次回、最終回となります。




