逮捕
舞香視点にするか京示視点にするか迷ったんですが、結局京示視点にしました。
二〇三三年、十二月十九日。
午後三時。
「『おいおい。ずいぶんふざけたこと言ってくれたじゃねえか』」
放置されたゴミ。水路を汚染する生活排水。そんな腐った臭いのする空間に、男の怒鳴り声が響く。冬だというのに半袖のアロハシャツに身を包んだ眼つきの悪い男――浅賀京示は、目の前の若い男の顔面を殴り、壁に昏倒させる。手に若い男の血液が付いて快感を覚えるが、どうも腹の虫は収まらない。なぜ京示がここまで切れているかというと、この男に『日本語』を馬鹿にされたからだ。確かに、京示が日本に来てまだ一年しか経っておらず、日本語もそこまで達者ではなく、ようやく馴染んできた程度だ。だが、だからと言って、あそこまで馬鹿にするのはどうかと思った。
京示は男の腹部を何度も蹴り、口から血を吐き出させる。
人間を蹴った時の感触と返ってくる血は、何度味わってもやめられるものではなかった。
サイレンの音が聞こえてくる。正義しか知らないような人間が通報したのだろう。
最後に一発蹴り、京示が、警察が来る前にその場を去ろうとした時だった。
「まだそんなことやってるんですか」
ふいに声が聞こえ、京示は「あんッ?」と振り返る。
そこには、紺色のカーディガンに赤色チェックスカート姿の少女が立っていた。腰まである黒く長い髪が、ビル風に揺れ、宙を舞う。
どこかの学生だろうか?
一瞬そう思ったが、すぐに違うと首を振る。だって、今この少女は、『あの島』の言語で話していたのだ。つまり、ただの迷子ではない。
「お前、誰だ?」
挑発的に睨みつける。大抵の人間はみな、京示が睨むだけで逃げていくのだが、この少女はいっさい怯まず、それどころか、京示に負けないくらいの威圧で京示を睨みつけていた。
何者だ?
「私は、美剣舞香と言います」
美剣……。
どこかで聞いたような……。
すると、記憶を探るまでもなく、京示の頭に一年前の事件のことが浮かび上がる。
確か、殺した女の名字が、美剣だったか。
そこまで思考して、目の前の少女の顔と殺した女の顔が重なり合う。
それに、長い髪。
間違いなかった。
この少女は、殺した女の娘なのだろう。
そこまでわかって、しかし少女がどうしてここにいるのかがわからなかった。
まさか、仇だろうか?
次の瞬間、京示の口元が緩み、思わず馬鹿笑いしてしまっていた。
こんなか弱い少女が、格闘技の達人である京示に挑もうとしていることが、馬鹿馬鹿しくてしかたなかったのだ。
わざわざこんなところまで来てご苦労なことだが、死んでもらうことにしよう。
思考を終え、京示は目の前の少女――舞香を見据える。
動こうとする様子はない。武器も持っていない。丸腰のようだ。
京示は足を一歩踏み出す――そこで自分の身体が地面に向かって倒れていることに気付いた。
呆気に取られて、手をつくこともできず、京示は顔から地面に叩き付けられる。地面を這うムカデが京示の顔を横切る。
何が起こったのかわからず、とりあえず立ち上がろうとするが、足に力が入らなかった。
足に目を向けると、両足首の辺りから血が溢れ、中の骨が丸見えになっていた。
「あぁ……あぁ……」
遅れてくる激痛に、声にならない声が漏れる。
いつの間に。
京示は首だけを巡らせ、上目で舞香を見つめる。舞香は、京示を侮蔑するように文字通り、見下していた。
京示は舞香をずっと見ていたはずだったが、まさかあの思考の一瞬に背後に回り、足首を切ったのだろうか? だとしたら、速すぎる。それに、足を切った刃物はどこへやったのだろうか。
「これでもう、人を蹴ることはできませんね」
舞香はそう言いながら京示の近づき、京示の右手を踏みにじる。
「お……お前は……」
何者だ。そう訊こうとして、続く言葉を口から吐き出すことはできなかった。
バキッという音を立てて、京示の右手が折れたのだ。ゆっくりと目を向けると、右手の指がありえない方向に曲がっていた。
鍛えた足も拳も、一瞬にして自分より下等である人間に潰された。
もう、京示の心は、身と同じくらいぼろぼろだった。
そして、京示にとどめを刺すかのように、閃光のように鋭い一喝が京示に突き刺さる。
「時の守り人として、あなたを逮捕します」
気絶させられる前に京示が見た舞香の表情は、うれしそうで、どこか悲しそうだった。
次回、全ての事件が解決します。




