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時の扉  作者: 黒糖パン
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決戦2

 すでに目の前まで迫っていた京一は、落下しながら回し蹴りで舞香の顔面を蹴り飛ばす。舞香は軽々と吹き飛ばされ、壁に叩き付けられる。

「かはっ」

 強制的に肺から血が吐き出されるが、呼吸を整えていれば、殺される。

 舞香はずきんと痛む頭を誤魔化し、足で壁を蹴って階段に転がり込む。階段の角に身体をぶつけながらも、中階の壁にぶつかり、勢いは止まる。

 壁に手をつき、立ち上がると、節々が痛んだ。だけど、死ぬよりはましだ。

「なかなかの動きだね」

 階段の頂点から舞香を見下すように見る京一は舞香を褒め称える。だが、褒められた気がしなかった、むしろ、貶されている気のほうがする。

「私は……負け……ないよ……」

 口に糸を引く血を拭い、舞香は答える。

 体力はすでに限界に近かった。だけど、負けるわけにはいかない。

「そんな状態でよく言うよ」

 ゆっくりと京一が階段を下りてくる。まるで、舞香に猶予を与えているかのようだった。だったら、それに乗らないわけにはいかない。猶予をもらおうじゃないか。

 舞香はゆっくりと深呼吸。早く鼓動する心臓を落ち着かせる。冷静になれる状態ではなかったが、がむしゃらになってもダメだ。ちょうど、沈静と高進の境界にいなければいけない。

 舞香は京一の頭上にありったけの刃物を創造。京一がそちらに一瞬気を取られた隙に、下の階に逃げ込む。

 この階も上と変わらず、不気味な雰囲気が漂っていた。廊下には窓がないため、真っ暗だった。このままこの廊下を進んで行けば、一生戻ってこれそうになかった。舞香は悪寒を感じ、目の前の部屋の錆びついたスライドドアを開けて中に飛び込む。埃っぽさと太陽の温かみが奇妙に混じって舞香を迎えた。ほんの一瞬の暗闇だったのだが、太陽の光があまりにも眩しく感じた。スライドドアを閉める時、ぎぃと音が鳴ってしまったが、仕方がない。

 舞香は閑散とした小さな部屋の壁に隠れ、京一の出方を窺がう。

 階段を下りる微かな音が聞こえる。

 心臓の音が妙に大きく耳に響く。

 吐く息は途切れ途切れで、呼吸が乱れているのがわかった。

「舞香ちゃん、どこかなあ」

 まるで、かくれんぼをしているみたいな口調だった。

 舞香の鼓動がますます速くなる。

 足音が遠ざかる。

 やがて、足音が聞こえなくなったところで、舞香はふうと息を吐き、束の間の休息を取る。そして、ドアを開けて外を窺がう。

 左右を確認するが、京一の姿は見えなかった。

「ふう」と溜め息を吐いてドアを閉める。壁にもたれかかり、座る。全身がずきずきと痛んだが、戦闘に支障はなさそうだった。

「気分はどう?」

 その声に、全身の鳥肌が立った。心臓が急速に鼓動する。

 目の前に、舞香の顔を覗き込むようにして立つ京一がいた。

 舞香は反射的に足蹴りを放つ。しかし、そのコンマ一秒前に舞香は京一の足蹴りによって吹き飛ばされていた。壁を突き破り、さらに下の中階に激突する。あまりの激痛に舞香は声を出せずに悶絶していた。身体に力が入らない。骨が数本折れているかもしれなかった。

 京一が再びゆっくりと歩いてくる。だけど、もう舞香に逃げる気力は残っていなかった。

 死ぬのか。そう考えた時にはもう、京一は舞香の目の前に立っていた。そして、舞香を見下す。

 京一の手が伸びてくる。身体が持ち上げられ、眼前に京一の顔が迫る。その幅、数センチだった。

「本気出してよ。まだ、手加減してるでしょ」

 耳元でそう囁かれ、舞香は下の階に投げ捨てられる。

 本気を出している。本気を出してこれなのだ。勝てるわけがなかった。

 舞香の身体は無残にも床に叩き付けられる。当然痛みに襲われた。呼吸をすることもままならない――はずだった。だけど、なぜか苦しくない。痛むのは、今の痛みだけだ。

 どういうことだ?

 そう思ったが、すぐに答えが出た。

 幻想時間だ。

 京一は、舞香の身体を健康的な時のものに戻したのだろう。

 ――だけど、もう舞香に戦う気力は残っていなかった。どうせ、戦ってもまた傷つけられるだけだ。そして、幻想時間で戻され、また傷つけられる。そんなループに耐えられるはずがなかった。

 舞香は身体を起こして必死に廊下を走る。暗闇など、気にならなかった。もういっそこのままどこかへ行ってしまっていいとさえ思った。

 やがて、壁にぶち当たる。

 舞香はすぐ横の部屋に入ろうとするが、鍵のせいで開かない。武器創造で鈍器と取り出すという考えは思いつかなかった。

 かつかつと、廊下に奇妙な音が響く。京一の足音だとわかっていても、舞香にとってそれは死の音だった。舞香が殺される未来が変わったって、どうせ殺されるんじゃないか。

 壁を背に、へたれこむ。

 その時、電話の音が京一の足音をかき消すように鳴り響く。

 一瞬びくっとするが、すぐにその音がスカートのポケットの中からだと気付く。

 淡い光を放ちながら音を鳴らす小さな物体を取り出す。無機質な冷たさだったと思う。だけど、この時の舞香にはそれが体温のように温かく感じた。

「……」

 電話に出るが、舞香は何も言わなかった。相手もしばらく何も言わなかった。

「……まい……か」

 創時の声だった。今にも消えてしまいそうな小さな声が舞香の耳に染み渡った。

「ごめ――」

「ごめんね、創時。私……もう無理だよ」

 唇が震えていた。最後に創時の声が聞けてよかったと思った。目尻が熱くなり、拭うこともできずに温かい液体が頬を伝って床に消える。

「なに……いってるの。舞香、なら、だいじょうぶ」

「ううん。大丈夫じゃないの。私もう死んじゃうの」

「舞香は、強いよ」

 無責任な言葉だった。創時は、舞香の今の状況を知らない。だから、そんなことを言えるのだろう。

 だけど――

「舞香、聞いて、ほしい」

「私は死ぬの」

「舞香! お願い、聞いて――かはッ」

 電話越しだったが、創時が吐血したのだとわかった。

 そこで舞香は思い出す。創時は、片手と両足を切断されたのだ。もう、体力も限界だろう。それなのに、自分は何か? 五体満足とまで言わないが、痛みはほとんどないのだ。

「ごめん……」

「……舞香、俺とヒトミカちゃんは、動けない。だから、舞香が、終わらせてほしい。今、京一を止められるのは、舞香、だけなんだ」

 終わらせる。つまり、京一を殺す。

 京一を殺さなければ、過去改変によって世界がおかしくなる。それはわかっている。

 だけど、舞香は京一に勝てない。だから、舞香が終わらせることなど――

「信じてる。今は、それだけしか、言えない」

 信じている。なんて無責任な言葉なんだろう。でも、本当に創時は舞香を信じているのだろう。そしてそれは、しっかりと舞香に伝わっていた。舞香も、自分を信じてくれている人が言ったことを信じてみようと思った。

「じゃあ、全部終わったら――」

 続く言葉がわからなかった。言葉に詰まり、舞香は戸惑う。舞香は、全て終わった後、何を言ってほしかったのだろうか?

「終わったら?」

「なんでもない。……じゃあね。やってみる」

 それだけ言って、電話を切り、端末をスカートのポケットに入れる。

 そして、桜斬、黒刀を創造。

 やってみる。考えてみれば、酷く自信のない言葉だなと思った。だけど、今はそれで充分だ。最善を尽くすしかない。

 かつかつという音が大きくなっている。

 暗闇で先が見えないのは、京一だって同じなはずだった。だから、重要となるのは、二人がお互いを目視した瞬間。その初撃によって、未来が変わる。

 深呼吸。そして――

 桜斬の斬撃が、京一の回し蹴りに弾き飛ばされる。だが、舞香の切り替えしは早かった。回し蹴りによって生まれた一瞬の隙をつき、黒刀を横薙ぎさせる。暗闇。つまり、京一に目視できるはずがなかった。黒刀はしっかりと京一の脇腹を斬り裂いていた。べちゃべちゃと液体が地面に落ちる音が聞こえる。ふらついた京一の腹部を蹴り上げる。唾液と混じって血が吐き出される。しかし、京一の対応力はさすがのものだった。瞬間的に空間変更で姿を消す。追撃を防いだというわけだ。舞香を切り刻むという考えに至らなかったのは、焦っているからか?

 とにかく、今度はこちらが追いかける番だ。

 舞香は周囲の音に気を遣いながら暗闇を歩き出す。心臓がばくばく鳴っていた。どうやら、冷静でないのは舞香も同じなようだ。平静を装ってはいるが、やはり身体は嘘を吐けない。

 砂と埃を踏みしめながら一歩一歩進んで行く。やがて、階段のところに来た時、舞香は奇妙な音をその耳に捕える。――まるで、風が切られているような細い――

 舞香は咄嗟に後退していた。直後、翻った髪の先が少し切れる。どうやら、空間が入れ替わったようだ。

 次の瞬間――突如目の前に京一が現れ、回し蹴りが舞香の脇腹にクリーンヒットする。防御もできずにまともにダメージを受けた舞香は吹き飛ばされ、階段の角で身体をぶつける。

「かはっ」という呻き声と共に舞香は吐血していた。京一が近づき、さらに舞香の腹部を数回蹴る。その度に舞香の口から血が漏れ出し、京一を汚していた。

 激痛に、舞香の意識が遠のいていく。

 だが、意識が途切れる――そう思った時には、舞香は身体のどこにも異常をきたしていなかった。京一が幻想時間を使ったのだ。

 舞香は自分の血がこびり付く階段をこけそうになりながらも必死に上がり、部屋に飛び込む。

 一体何が変わったのか。また同じ状況じゃないか。

 そんな言葉が舞香の脳に去来した。

 何か、変えなければ結果は同じだ。しかし、舞香の呼吸は荒ぶり、冷静に物事を考えられる状況ではなかった。

 もう……だめなのか?

 両手に持つ桜斬と黒刀は、舞香の血で綺麗に染められていた。

 京一が階段の砂利を踏む音が聞こえ、やがて、消える。

 舞香は不意の攻撃を予期し、二刀を持つ手に力を込める。

 直後、目の前に京一が現れたかと思うと、雷撃の如く速度で上段蹴りがとんでくる。咄嗟に右腕で顔をカバーするが、舞香の身体は紙切れ同然に吹き飛ばされる。だが、顔面への直撃は避けることができた。

 壁に直撃する直前、身体を捻転させ、足を折り曲げ、ばねの要領で壁を蹴って追撃する。

 蹴られた勢いに舞香が壁を蹴った速度が加算され、もの凄いスピードで京一に迫る。しかし、京一の姿が掻き消え、不発に終わる。

 舞香は空中で前方に回転し、勢いを殺して着地。直後に背後で殺気。

舞香はステップを踏むように身体を反転させ、そのままに桜斬と黒刀を横薙ぎさせる。

 さきほどまでの慣性に従って剣薙ぎの勢いが倍加する。おそらく、回避できない。目を見開いたまま固まっている京一の腹部を横に斬りつける。血が舞香のスカートに飛び散る。

 ――間髪を入れれば、京一は幻想時間で傷を元に戻すだろうだろう。

 舞香はそう考え、目にもとまらぬ速さで二刀を乱舞させ、京一を徐々に壁に追い詰めていく。

 そして、ついに京一が壁にぶつかり、行き所がなくなる。空間(アルター)変更(ゾーン)で移動される前に、止めを刺さなければならない。

 舞香は足でブレーキをし、黒刀を投げ捨てて桜斬を京一の心臓目がけて差し込む。その間、一秒も経っていない。

 桜斬は京一の胸に深く突き刺さっていく――そんな目視が幻想だと気付いたのは、桜斬が自分の右肩に刺さっていることに気付いた時だった。

 驚きに痛みも忘れ、舞香はゆっくりと桜斬の刀身に沿って視線を上に向けていく。

 桜斬の柄は紺色のカーディガンを羽織った手に掴まれていた。

 舞香の目尻にぽたぽたと赤い液体が降ってくる。

 舞香はゆっくりと左手で右肩を確認する。

 そこにあるはずの腕がなかった。主人を失った腕が舞香の目の前を通過してぼとりと地面に落ちる。腕の代わりを果たすかのように付け根から血が噴き出していた。

 一瞬、何かの冗談かと思った。

 だけど、それが冗談ではないことを示すように、激痛が舞香を襲う。

「あぁ……あぁ……」

 声にならない声が漏れる。

 押さえても押さえても、血が止まることはない。

 気がだんだんと遠くなっていく。

「足を切り取ってあげよう」

 殺されると理解していても、身体が動かなかった。

 視界が揺れる。

 もう、諦めるしかないのだろうか。

 揺れる。

 地面が揺れる。

 ……?

 視界が揺れているのではない。自分が今、踏みしめているコンクリートが揺れていた。

 地震……?

 いや、この日に地震はなかったはずだ。

 では……?

 塗料の破片が雨のように二人の間に降り注ぐ。

 天井を見上げた舞香は全てを悟った。

 天井が崩れ落ちようとしていたのだ。

 ひび割れが生まれ、稲妻のように天井を駆け巡っていく。

 そして――

 コンクリートの塊が(ひょう)になって舞香たちを襲う。

 逃げなければ、死ぬ。

 だけど、どちらにせよ、もう舞香は満身創痍だ。

 だったら、やるべきことは一つしかない。

 舞香の心は決まっていた。

 舞香は地面を蹴って加速。肩に刺さる桜斬を引き抜いて、減速することなく文字通り体当たりする。石塊から逃げることだけを考えていた京一が舞香に気付いたのは、もう舞香が目の前に迫っていた時だった。

 京一の目が見開かれる。

 桜斬が京一の胸に突き刺さる。

直後に口が大きく膨らんだかと思うと、大量の血が吐き出され、舞香の顔面にかかる。

 なぜかそこからのできごとが全てゆっくりと感じられた。

 京一は桜斬を抜こうと身をよじるが、京一を貫通して後ろの壁にぐっさりと刺さっているため、抜けない。そればかりか、桜斬はさらに深く突き刺さるばかりだ。

 石塊はもうすでに信じられないほど近い距離に迫っている。

「まい……か」

 京一の口がそう動いた。

 どうして自分の最期に舞香の名前を呼んだのか、舞香にはわからなかった。ただわかったのは、自分が死ぬんだということだけだ。

 だけど、それでいい。

 京一をこのまま生かせれば、この島は過去改変の矛盾に崩壊させられてしまうだろう。

『希望を潰すなら、最初から希望を与えなければいい』

あまりにも悲しいが、それが真実なのだろう。

そして、それの根絶に繋がる京一を殺せるのなら、自分が死んだってかまわない。舞香はそう思っていた。

少しは辛かった。

だって、もう創時にもヒトミカにも会うことができなくなるのだ。

 死んだらどうなるのかわからない。天国に行くのだろうか? 地獄に行くのだろうか?

 ふいに舞香の目から熱い液体が溢れてくる。

 未来の舞香は一度死んでいる。だけど、もうこれは未来ではなかった。

 もうあとコンマ一秒後には石塊が舞香を押しつぶし、現実の死へといざなうだろう。

最期に何か言いたいと思って、舞香の脳裏に浮かんだのは、創時の顔だった。

 頼りなさそうな顔をしているくせに、いつも舞香を支えてくれた。

 感謝してもしきれないほど、頼りっぱなしだった。

 同時に胸が苦しくなる。

 ぎゅっと苦しめられるような感覚は、舞香が感じたことのないものだった。

 それが何か、わからない。もう、考える時間は舞香に残されていなかった。

 だから舞香は、最期にこれを伝えることにした。


 ありがとう――――


 舞香は目を瞑る。

 そして――――――――――――――――――――


「決戦」の終わりです。2話で済ませることができました。

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