神社
今回は、描写にすごくこだわりました!
道路を走る車の音。鳥の声。公園ではしゃぐ子供たち。その音は特殊なものは何もない街並みに溶け込んでいた。
その中に異質な存在が二人。舞香と創時。この時間軸にいてはいけない二人だ。
舞香は屋根の上から周囲を見回しながら懐かしさを感じていた。佐倉町東地区。佐倉駅を中心として佐倉町の地名は成り立っているため、佐倉駅から東に来た場所だ。そして、この近くに舞香が家族三人で暮らしていた家がある。今の舞香の家は南地区なので、一年ぶりに来ていた。ただ、懐かしさと言っても何も変わっていない。――いや、この時間軸ではまだ舞香がこの地区に住んでいるので、何も変わっていなくて当たり前か。
確か、創時は今もこの地区に住んでいるはずだった。地下鉄で二駅乗るだけなので、そこまで遠いわけではない。
「ヒトミカちゃんから連絡あったよ。場所がわかったって。それと、京一と二人きりは不快だって」
確かに不快かもしれない。早く行ってあげないと。
舞香は創時を追いかけるように屋根を飛び越えていく。屋根を飛び越えるというのも案外楽しい。まあ、楽しさを感じている場合ではないのだが。
数分経ち、だんだんと緑が多くなってくる。葉桜島を囲う山に近づいているわけではないが、この近くに小さな山があるのだ。
やがて、目的近くに来たのか、創時は屋根から降りる。舞香も続いて細い路地に降り、創時の後をついて行く。
ここって……。
路地を出たところで舞香はノスタルジーを感じていた。
葉擦れ。陽光を反射して萌える常緑樹。その奥に見えるのは、山の頂上まで続くコンクリートの階段。その階段は、木漏れ日によって、切り絵のような幾何学な模様をその身に映していた。
舞香と創時は階段を上がる。
ゆっくりはできないが、確かに思い出を踏みしめる足取りで。
「懐かしいね」
「そうだね。……十年ぶりくらいかな?」
十年前――いや、正確には八年くらい前かもしれない――舞香と創時はよくここで遊んでいた。何人もの友達を連れて、この上にある神社の境内で鬼ごっこをしたり、かくれんぼをしたりしていた。神主が舞香の父親と知り合いだったので、怒られることはなかったし、それどころか社殿の奥の広場で舞香の家族と創時の家族で何度もバーベキューをした。今考えれば不敬な話だが、それでもそんな体験ができたのは、神主が優しかったおかげだろう。
数分で頂上に着く。
舞香の記憶に蘇るのは、赤い鳥居。奥には社殿があり、参道の脇には手水場がひっそりと立っていた。
―――だが、鳥居の赤い塗色は剥げ、社殿に続く参道のタイルはところどころでめくれてしまっている。奥の社殿には蜘蛛の巣が張り、木の老朽化が激しく見受けられた。手水場の東屋は廃れ、神聖であるはずの手水場に穢れた木々を注ぎ込んでいた。
「神主さん、病気だっけ?」
「うん。俺たちが中学に入ってすぐにね」
「そっか……」
神主が病気で亡くなり、さらに金銭面でも問題があったこの神社は、後を継ぐ者が見つからずにそのまま荒れ果ててしまった。だけど、この場所に舞香の昔の記憶が残っているのは確かだった。
なんだかこのまま郷愁に浸りたいところだったが、そんなことをしている暇はなかった。
「創時さーん」
社殿の脇から長い金髪をきらめかしながらヒトミカが走ってくる。
その後ろを京一はゆっくりと歩いてきていた。なんだか雰囲気が違う気がする。いつもならヒトミカに便乗して舞香の元まで来そうなものだったが、そんな様子はない。それどころか、舞香と同じように郷愁を感じているように見えた。京一にも何か思い出があるのだろうか?
ヒトミカは創時の前まで来て微笑む。
「学校抜け出して来ちゃいました」
真面目だと言っていたのはどこの誰だったか。まあ、ヒトミカがいることほど心強いことはないのだが。
「そっか。ありがとう」
創時はそう言ってヒトミカの頭を撫でる。このロリコンめ。変態。外道。
と、京一が思っているであろう言葉を舞香は代わりに思ってあげる。
「ミルクティーの気配を追って山の中に入ったんだけど、途中で見失っちゃってね」
京一がそう言う。
「見失った? そんなことあるの?」
「まあ、ミルクティーも生き物だからね。たまにあるよ」
たまに……か。
「とにかくこの辺りにいるはずだから手分けして――」
「そんな必要はないよ」
ふいに聞こえた声に、舞香たちは弾かれるように声の出所を探す。
「あっ」
創時の素っ頓狂な声が漏れる。創時が見ている場所は、鳥居の上だった。包帯を顔面に巻いた男が不安定でいつ崩れるかもわからない鳥居の上で直立している。
ヒトミカが動いていた。
空間変更で背後に出現。手刀を入れる――が、すでにそこに包帯男の姿はなかった。
勢いを殺せなかったヒトミカは態勢を崩し、落ちかけるが空間変更で地上に戻る。
包帯男はどこへ消えたのか。
その時、手水場奥の草が大きく揺れた。
そこか。
舞香は桜斬を創造して地面を蹴る。手水場横から森に入る。木々が、その言葉通り林立していて、包帯男が見当たらない。
「ここです」
視線を上げる。
蘆茂る下、太い枝に包帯男は立っていた。その右手には、漆黒に輝く刀が持たれていた。緑を切り取るそれは、まるで影のようだった。
包帯男は枝を踏みしめ、跳躍。そして、一刀両断の形で舞香に斬りかかる。葉が切れ、包帯男に続いて降ってくる。舞香は刀を盾にするように桜斬の鎬地に左手を添えて攻撃を受ける。甲高い金属音が鳴り、鎬が削られる。舞香は両手で桜斬を押して包帯男の斬撃を跳ね返す。包帯男は堪らず後退するが、対応が早かった。地面に着地すると同時に直進でではなく、木に飛び込む。
――何をやっているのか。
そう思った次の瞬間、包帯男は木の幹を蹴り、反対側の木へ飛び移っていた。そして、ものすごいスピードで迫ってくる。高速での左右の移動。攻撃が予想できない。右か左か――右ッ
舞香は桜斬で右からの斬撃に備えるが、もうその時に目の前に包帯男の姿はなかった。上に飛んだのだ。
背後を取られた。そう思った時にはもう手遅れだった。舞香の背後の木を土台とし、足を屈伸させてものすごいスピードで舞香に迫る。黒刀の槍の如き突きが舞香の腹部を貫く――ッ!
その刹那、舞香は声を聞いた気がした。何と言ったのかはわからない。だけど、あれは創時の声だ。――そう。舞香には仲間がいる。
コンマ一秒後、やはり予想した激痛はやってこない。身体を弾かせるように振り返る。
創時の後ろ姿が見えた。創時は右手を肩の位置まで上げており、そして手の甲に黒い切っ先をつけていた。――いや、その表現はおかしい。切っ先をつけているのではない。黒刀が創時の右手に突き刺さり、貫通しているのだ。舞香が確認したことを待っていたかのように創時の右手から血が溢れ出し、地面に血だまりを築き上げる。
しかし、創時の狙いはそれであった。
創時は刀を抜く一瞬の隙を突き、包帯男の懐に潜り込んで掌打を放つ。創時のそれはまともに直撃し、包帯男は唾液を吐き出しながら数メートル先の木に激突する。木は突然の衝撃に揺れ、葉を数個落とす。それが落ち切る前に創時は動いていた。
顔面を狙った回し蹴り。しかし、見事な反射神経で包帯男はそれを両手でガードするとバック宙で木の枝に飛び乗る。まだ、それだけの元気があるのか。そんな驚愕も舞香だけのものだったようで、創時は一瞬の隙も見せずにそれを追撃する。創時の拳打が包帯男に迫るが、包帯男は枝から飛び降りたと思うと猿のように枝を両手で掴み、振り子の形で創時に近づき、空中で創時の足を払う。バランスを崩した創時。一方、包帯男は他の木に飛び移り、地面に降りる。直後、創時が背中から地面に激突する。創時に駆け寄ろうとした瞬間、目の前にヒトミカと京一が現れる。
「創時さんは私がなんとかしますッ」
つまり――あの男は舞香に任せたということか。創時はヒトミカの肩を借りて立ち上がろうとしていた。どうやら、そこまでのダメージはないらしい。
舞香は包帯男に向き直る。直後、包帯男の掌打が舞香を襲う。舞香はその手に向かって桜斬を振り上げる。一瞬、手が切断できたように錯覚したが、包帯男は身体を無理矢理ひねって攻撃を強制的に解除していた。包帯男は勢いのままに地面を転がり、やがて森の中にぽっかりと空いた穴のような場所で落ち着く。舞香は追撃しようと地面を蹴る。だが、広場に出たところで突然目に入り込んできた陽光が舞香の視界を遮った。森の暗さに慣れてしまっていたのか。
そこで舞香はこの場所に見覚えがあることに気付く。確か、ここで遊んだこともあったか。
だが、今はそんなことを考えている場合ではない。
「あなたは、何者なの?」
立ち上がった包帯男に向かって舞香は問う。跳躍力。緊急回避。明らかに人の域を超えている。その身体能力……一体、何者なのか。
「私は、この国の未来を担う者」
包帯男は、大袈裟に手を広げる。未来を担う者? 何を言っているのか。
「ふざけたこと言わないで」
「ふざけてなどいないよ。そして、舞香さん。あなたの未来も私は担っている」
振り返った男の包帯の隙間から、鋭い眼光が舞香に向けられる。
口は見えていないのに、男がにやっと笑った気がして、舞香はゾッとしていた。
包帯男が一体何の話をしているのかはわからない。だが、これだけはわかった。
「私の未来は、私が決めますッ」
舞香はそれを掛け声とし、地面を蹴って加速。同時に桜斬を創造し、両手持ちで斜め下から対称へと振り上げる。しかし、前方宙返りで男がよけたことにより、足を擦過しただけとなる。
男は振り返ろうとしていた舞香に回し蹴り。頭部にまともに受けた舞香は一瞬の浮遊感の後、木の根本に叩き付けられる。強制的に肺から空気が送り出され、血混じった唾液が外に吐き出され、草木を染色する。だけど、負けるわけにはいかない。
舞香が立ち上がろうとした直前、腹部を何かに踏みつけられる。強制的に地面に戻され、再び激痛。ゆっくりと目を開けると、包帯の奥の目と目が合う。下に目線をスライドさせると、腹部を足で押さえられていた。男の力加減で舞香は楽になったり、胃液をまき散らしそうになったりする。
「舞香ッ! 刀ッ」
創時の荒ぶった声が耳に流れ、舞香は理解するより早く、脳は思考していた。
直後、創時の手元――幻想時間で応急処置をしたのだろう――に銀色の刀身を持った刀が創造される。受け取った創時は、すぐさまそれの時間軸を戻し、高熱を帯びた鉄の棒へと変換させる。そして、地面を蹴ってダッシュ。男に殴りかかる。男は後方宙返りで回避するが、創時はそれを読んでいた。包帯男がやったように木を使って方向転換すると、着地後の刹那の硬直中だった男に向かって殴りかかる。
「がああああッ」
創時の鈍撃は、男の腹部にクリーンヒット。服を焼き焦がし、肉を焼き焦がし、男を数メートル横方向に吹き飛ばす。
創時は間髪入れずに立ち上がろうとしていた男の腹部に再び熱棒を押し付ける。
肉の焼けた臭いが辺りに広まり、舞香は嗚咽を漏らす。何日も放置されていた死体というのはひどい臭いを発するらしいが、生身の人間の焼肉の臭いも相当なものだった。
そんな中、創時は真顔で男を殴っていた。熱棒が腹部に直撃する度、肉がえぐれ、奥のピンク色の物体が露わになる。
「創時! もういいよ!」
あまりに痛ましい光景に、思わず舞香の口から発せられていた。
だが、濃い肉の臭いにかき消され、創時に届かない。口から臓腑を吐き出してしまいそうな気分だった。焦げた臭いと混ざった血臭が草木の匂いを包んで殺す。
「創時さん!」
ヒトミカは必死に創時に呼びかける。どうやら、時の守り人で長い付き合いであろうヒトミカも、創時のこんな姿を見たことがないらしい。
舞香だって初めてだ。こんなに、我を失って自己をさらけ出している創時なんて見たことない。一体何がそこまで創時を動かしているのか。
「創時さん……お願いです」
ヒトミカが涙を流しながら創時に抱き付く。熱棒を振り上げていた創時の手が止まる。
そして、創時は我に返る。熱棒が土を少し削って地面に落ちる。直後、刀は銀の刀身に戻っていた。
創時の顔が歪む。
「……舞香が……舞香がこいつに殺されたと思ったら、手が止まらなかった……」
創時の目から零れ落ちた涙が、動かなくなった包帯男の腹部に落ちる。
創時の、悲嘆に埋もれた声が空気を揺らす。
「平気で殺せるようになった。……怖いんだよ。このまま、何もかも自分の思い通りに行くような気がして」
創時の背中でヒトミカが震える。ヒトミカはさらに強く抱きしめることによって、自分の震えと創時の悲鳴を抑えようとしていた。
創時の闇の部分がさらけ出されている今、しかし舞香にはどうすることもできなかった。腹部を押さえながら立ち上がり、少しでも創時の近くに行こうとする。
「感動だねえ」
突如、男の声が耳に流れ、舞香はビクッとする。死体を確認。出所はここではない。
――じゃあ、どこから……?
その時、舞香の首にひんやりとしたものが押し付けられる。
ありえないと思いながら、ゆっくりと自分の肩に目を向ける。左肩を一センチ陥没させる程度に、黒刀が刺さっていた。そして、遅れてやっている痛み。苦痛に顔を歪ませながらも、さらに後ろへ視線をスライドさせる。そして、舞香は驚愕する。
そこには、さっきまで倒れていた男とまったく同じ身なりの男がいた。包帯の奥の目が笑うように細められる。
まさか、またダミーだったのか。
舞香はすぐさま桜斬を後ろ手に持ち替え、刺す。しかし、それより刹那早く、男は何かを悟ったように後退。直後、さっきまで男がいた場所に、いつの間にか距離を詰めていた京一の蹴りが入れられる。
京一と包帯男が対峙。強い風が吹き、木や葉が音を鳴らす。それが止んだ時、二人は同時に動いていた。
男の黒刀による斬撃を跳躍で避けた京一は、片足を伸ばし、もうスピードで空気を切りながら男に向かって斜めに落下。必殺、ライダーキック。男は咄嗟に胸の前で手をクロスさせ、防御。少し後退したが、あまりダメージには至っていないようだった。
しかし、京一の切り返しは早い。着地と同時に地面を蹴り、加速。一瞬で懐に潜り込むと、得意の掌底打ちを放つ。だが、男はそれを読んでいたようだった。身体を後ろに引き、かわすと、回転して態勢を立て直し、黒刀の刃先を京一のこめかみに添える。低い態勢のまま動きを封じられた京一は、やむなく手をついて後ろに跳ね、後退。再び、二人の間に一定の空間ができる。
次に動き出す前に腹部の応急処置を終えた舞香も加勢する。京一の隣に立ち、桜斬を構える。
「舞香さんはどうして母親を助けようとしないんだ? あなたはもう、真実を知っているはずだ」
男が言う。
確かに、未来が変わり、久藤の家を訪れたことによって、舞香は真実を知った。本音を言えば、助けたい。だけど、時の守り人だという自覚がそれに歯止めをかける。自分は、過去を守る者だ。決して、過去を変える者に堕落してはいけない。
「私は時の守り人です!」
「その前に、あなたは人間だ! どうして本心を押し込めてまで守り人を守る? 君にとってはそこまで重要なのか?」
包帯男のその言葉に舞香ははっとする。
「舞香さん! この人の言うことを真に受けるんじゃありません!」
後ろからヒトミカの忠告が耳に入る。
敵の言うことに耳を傾けてはいけない。その通りだ。だけど、この男はとても正しいことを言っている。
「くくく。まあ存分に悩みなさい。――では、私はこれで」
逃がすわけにはッ。とヒトミカが空間変更で包帯男の後ろに回った時には、もう包帯男はそこにいなかった。まるで、瞬間移動でもしたかのようだった。
「逃げられましたか」
そう呟くと、ヒトミカは舞香を見据える。
「舞香さん、あなたは時の守り人です。誰に何を言われようが、決して過去を変えてはいけません。でも、それでも舞香さんが過去を変えたいと言うのなら――」
ヒトミカは一度言葉を切った。冷たい風が吹き付ける。
「殺します」
ぞくりと背中に寒気が走っていた。そして、恐怖が貼り付けられる。
だけど、舞香だってわかっていた。自分は時の守り人だ。決して過去を変えてはならない。
「大丈夫。……わかってるよ」
そう言って舞香は心のわだかまりを胸の奥に押しやった。
最終決戦が近づいてきました。




