改変
沈黙が漂う。
「俺のことが……?」
痺れを切らした創時がそう問う。
しかし、舞香は何も言わなかった。
それどこか、きょとんとした顔をしていた。
「あれ……? 私、今なんて言おうとしてたんだっけ?」
舞香の頭の上にはたくさんの疑問符が浮かんでいた。
創時はわざとらしく肩を落としていた。
「なにそれ」
「わかんないの。何か大事なことを言おうと思ってたんだろうけど、何か思い出せないの」
「ますますわかんない。……記憶喪失? ……今の一瞬で? ありえないよ」
意味がわからないのは舞香のほうも同じだった。
急に、言葉を失ったのだ。それに、記憶の断片がすっぽりとなくなった感覚がする。
「はあ、まあいいか。……今日は舞香にとっての記念すべき日なんだしね。細かいことは気にしないでおこう」
創時は溜め息を吐いてわだかまりを吐き出す。
「……もしかしたら、今日舞香が久藤の家に行ったことで、未来が変わったのかもね。本当は、舞香が真実を知ることはなかったけど、未来を知ったことによって運命が変わった……的な感じで」
創時は冗談っぽく言っていたが、案外そうなのかもしれない。
だって、舞香が久藤の家を訪ねたのは、自分が殺されることを知って、その未来を変えるためだ。……つまり、裏を返せば未来を知らなければ舞香は一生久藤の家を訪れなかったことになる。そうなれば、舞香の誤解が解けることはなかっただろう。
……やはり、未来は変わったのだ。
なら、もしかすると舞香が死ぬ未来も変わっているのかもしれない。
あの時――舞香が家に引きこもっていた時に創時が勇気を与えてくれていなければ、きっとこんな結果にはならなかった。
創時には感謝しなければならない。
舞香は創時に目を向ける。
創時は街に目を向けていたが、その表情はどこか悲しそうに見えた。言葉の続きが聞けなかったことがそんなにショックだったのだろうか?
でも、そんな創時の顔でも舞香は愛おしく感じる。
この気持ちが何なのか、舞香にはよくわからなかった。
「そろそろ帰る?」
少しの間景色を眺めた後、舞香はそう提案する。
風も強くなってきたし、そろそろ寒くなってきた。銭湯はもう閉まっているだろうし、帰ったらすぐに布団に潜ろう。
「そうだね。帰ろうか」
漆塗りされた丸太の階段を下り続けることおよそ二十分。
やっとのことで地上に辿り着く。
そして、発車ベルを鳴らしていた終電に飛び乗る。
危ないところだった。これに乗り遅れれば、野宿することになっていただろう。
車内には、二人以外誰もいなかった。舞香たちが住んでいる中心部に行けば、まだこの時間でも電車に人が乗っているだろうが、さすがに島の端となれば、もう寝ている人がほとんどだろう。車掌まで寝ていないことを祈るばかりだ。
がたんごとんと同じ間隔で揺れる車内は、眠気を誘った。
揺れと同期して、舞香の上半身が揺れる。上半身を支える体力は残っていなかった。
もう、限界だった。
創時の肩を借りて、寝ることにする。だが、創時はなぜか顔を真っ赤にさせながら全力で断る。寝ぼけ眼で「どうして?」と問うても、何を言っているのかよくわからなかった。……いや、舞香の頭が回っていないだけなのか?
よくわからなかったので、とにかく昨日キスしようとしたことをぶつけると、渋々ながらも了承してくれた。やっとこれで眠れる。
しかし、よくよく考えてみると、交換条件になっていない気がしたが、眠たい舞香にはそんなことどうでもよかった。
そして、睡魔はついに舞香を夢の世界に誘った。
「ねえ、隣の通りに行ってみない?」
隣を歩く創時に舞香はそう提案する。
「いいけど、何かあるの?」
「うん。クレープ屋さんが」
「また食べるの?」
創時は呆れ顔を見せる。確かに、さっきたこ焼きを食べたばかりだが、そんなことは関係なかった。舞香は子供のように元気に頷く。
「はいはい。わかったよ」
創時は渋々ながらも了解する。創時だってクレープを食べるのだろうから、文句を言わないでほしかった。
右に曲がり、細い路地に入る。
細いといっても、そこにはたくさんの店が点在していた。ハンバーガーショップや肉料理、パスタ料理など。どれも、舞香の食欲をそそるものだったが、今はクレープの気分だ。目移りしてはいけない。
とりあえず、気持ちを誤魔化すためにクレープのことを考えることにした。
どんなクレープを食べようか。
ご飯みたいなクレープはあまり好きではないので、やはりここは定番の苺の入ったやつだろう。……でも、あえてこの寒い日にアイスクリームが入っているやつもいいかもしれない。
迷う。それに、想像する度にお腹が空いてくる。
やがて、大きな道に出る。
赤煉瓦造りの建物に古本屋や雑貨屋などが店を構えていた。とても物静かなところだった。人もさっきよりいくらか少なく感じる。
しかし、こういう雰囲気も嫌いではなかった。異国情緒漂う場所で食べるクレープというのも格別なものだろう。
ここから三十メートルくらい歩けば、クレープ屋があるはずだ。
舞香と創時は歩を進める。
その直前――
「いってえなあ!」
突然、男の怒鳴り声が耳に飛び込んでくる。
何事かと思いそちらに目を向けると、冬だというのにアロハシャツを着ている季節感の狂った男とその男に頭を下げている青年が目に入る。
直後、青年の顔が蹴り上げられる。青年は宙を浮いて地面に叩き付けられる。そして、男は間髪入れずに青年の顔面を踏み潰す。突然のことに、周りの人間は声を上げることもできていなかった。
男は容赦なくもう一度踏みつける。そして、青年は動かなくなった。
――さらに、男は懐からナイフを取り出すと、青年の首の動脈を切りつけた。直後、大量の血が男に降りかかる。
次に男の標的となったのは……
男の目線を追った舞香は絶句していた。
舞香と同じ長い黒髪。黒く澄んだ瞳。天使と見まがうほどの純白の肌。
間違いない。舞香の母親、菜穂だった。
菜穂は恐怖におののいて身体を動かすことができないでいた。
横にいた少年を蹴り飛ばした男はナイフで菜穂の腹部を突き刺す。
ごふ、という嫌な声と共に、菜穂の口から血が吐き出される。
男は壁にぶつかった少年が事切れていることを目視で確認すると、周りに目を向ける。
直後、通行人たちが悲鳴と共に一心不乱に逃げ出す。一刻も早く、男から離れようとしているのだ。
呆然と立ち尽くしていた舞香と通行人の肩がぶつかる。通行人は謝ることもなく、そのまま逃げていった。
悲鳴が飛び交っていた。
男は舌打ちすると、その場を立ち去って行った。
創時が倒れた菜穂たちの元へ駆け寄る。だけど、もう遅かった。
創時が、肩を落とす様子が見てとれる。
突如、舞香の内側から何かが湧きあがってくる。
そして、それが外気に触れようとした時、舞香は必死に笑いを堪えていた……。
――はっ
そこで舞香は目を覚ます。
まだ、車内だった。規則的に電車が揺れ、それにつられてつり革も踊っている。
横目で創時を見る。創時の無防備な顔が舞香の目に入る。
夢のせいですっかり目が覚めてしまった。
舞香は、今見た夢を頭の中で整理することにした。
……確かにあれは、一年前の事件の記憶だった。
しかし、舞香はあの時現場にいないはずだった。近くにはいたものの、事件を知ったのは何分か後だったのだ。
――いや、本当にそうだったのか?
舞香のどこかが囁く。
――本当に見ていなかったのか? それは真実か?
突然、頭が痛む。手で押さえて必死に頭痛を鎮めようとするが、治らない。それどころか、強くなっていた。
何かがおかしい。
舞香は痛みの中、記憶を一年前に戻してみる。
……やはり、菜穂が殺される風景が思い浮かぶ。頭痛にとって代わって、嗚咽と悪寒が舞香を襲う。
だが、何かおかしい。
まるで、記憶が書き換えられたような気分だった。
そして、この気分をさきほど展望台にいた時にも感じていたことを思い出す。
違和感。
その正体は一体……。
刹那、電車が大きく揺れる共に、舞香はとある可能性を思いつく。
「んん……」
そこで創時が目を覚ます。
「あれ、舞香起きたの……?」
創時は寝ぼけ眼で舞香を見つめる。
「ねえ、創時。私って、一年前の事件を目撃してたっけ?」
突然そんなことを言い出した舞香に、創時は困惑していたが、やがて眠気が覚めてきたのか、答える。
「何言ってんの。……そんなわけない――」
創時の表情が、呆れから驚愕に転換する。
これで、確信が持てた。
舞香は決定的な証拠を持っていないけれど、舞香の心は絶対的な自信を持っていた。
『まもなく、佐倉駅。佐倉駅』
車内放送が流れる。電子掲示板が、『佐倉駅』の文字を表示する。電車は、まるで舞香を真実に導いているかのようだった。
舞香は、誰に言うでもなく呟く。
「過去が……変わってる」
次回、少し話し合います。




