告白
昼の二時から十時までのおおよそ八時間の労働を終え、舞香は帰路に着いていた。
朝の雨が嘘のように、星が空に散らばっている。
歩きながら、手を上にして大きく伸びをする。
はっと気づいて舞香は周りを確認するが、街灯が数本しか立っていない暗い夜道を歩く人はいなかった。
誰にも見られなくてよかったと思うが、同時に少し不安になった。
だって、舞香はちょっと武器を出現させられるだけの……ちょっと戦えるだけのただのか弱い高校生なのだ。もし襲われでもしたら、舞香の心はずたぼろにやられてしまうだろう。
前から、かつかつと地面を踏む音が聞こえてくる。
舞香に緊張が走った。手に汗が滲む。
舞香は引き返そうかと思ったが、もし追いかけられたりしたらどうしようもなかった。
そこで、舞香は最善の策として、身を屈めて、顔を手で隠すようにして自分が女だとばれないようにすることにする。……自分がスカートを履いていることなど、舞香の頭にはなかった。
足音が近づく。さらに緊張感が高まった。
冷たい風が吹いているのに、体感温度は、夏の昼だった。
そして、街灯の下に差し掛かった時、ついに足音が舞香のすぐ近くに聞こえる。
「あれ? 舞香?」
突然、聞き覚えのある声が聞こえてきて、舞香は手の隙間から顔を確認する。
舞香の視界の先にいたのは、果たして舞香を襲う勇気もないであろう創時だった。
「何やってるの?」
半笑いで言われる。
舞香は慌てて手をどけ、背筋をぴんとする。まるで、今のをなかったことにするように。
「べ、別に何も」
平静を装ってそう言うが、さっきまでとは別の意味で舞香の全身に汗が滲み出ていた。
あー暑い暑い。
舞香は、制服のカーディガンの襟を親指と人差し指で掴み、前後にぱたぱたさせる。
「まさか、誰かに襲われるとでも思ってたの?」
創時の顔は完全に舞香を馬鹿にしていた。
別にいいじゃないか。だって、舞香はか弱い女の子なのだ。男に怯えることだって普通だろう。
「舞香を襲おうとしたやつは、きっと全身ずたぼろにされるだろうね」
……失礼な話だった。
まさか舞香が刀で襲ってきたやつを斬り刻むとでも思っているのだろうか? 確かに、恐怖に怯えて刀で斬りつけてしまうかもしれないが、決してわざと斬ったわけではないのだ。……いや、こういうことを言われているのか?
……もう、どうでもよくなってきた。
汗なんて、どこかへ行ってしまった。風に吹かれ、舞香は冷静を取り戻してくる。
冷静になった舞香は話を逸らすことにした。
「……で、創時はどうしてこんなところを歩いていたの?」
「ちょうど舞香のところに行こうと思ってたんだよ」
「どして?」
「もちろん、久藤のことを聞くためだよ」
……そういえば、舞香は今日、そのために久藤の家に行ったのだったか……。正直、衝撃的なことがあって、忘れていた。
創時の言葉は続く。
「……それに、舞香に見せたい景色があるんだ」
創時は優しく微笑んだ。
電車に乗って三駅。山登りすること約二十分弱(普通の人はもっとかかるらしいが、いつの間にか舞香は普通の人の脚力ではなくなっていた)。
舞香と創時は、この島の最北端にある展望台に来ていた。
濃い潮の香りが舞香の鼻孔に飛び込む。舞香は漆塗りされた細い丸太の手すりに身を預け、暗闇を見つめる。舞香は足元の小石をちょこんと蹴る。手すりの奥に転がった小石は、何かに吸い込まれるように落下していった。暗くて見えないが、この先には海が広がっているのだ。近くの東屋の電灯がここまで届いていなければ、怖くてここに来ることはできなかっただろう。
「ねえ舞香?」
「ん?」
舞香の黒く長い髪が海風に吹かれて宙に舞う。
「どうしてこの街ができたか、知ってる?」
突然、何を言い出すのだろうか?
「ううん。知らない。……というか、街ができたのに理由なんてあるの?」
舞香は創時に目を向ける。
舞香の隣で手すりに腰掛ける創時は舞香と反対――眼下に広がる街の灯りを見つめていた。
創時が舞香に目を向けることはなかったので、舞香も身体を反転させて、街を見下ろす。
人工の光が舞香の目に飛び込んでくる。月並みな表現だけれど、とても綺麗な景色。
「だってここは太平洋にぽつんと浮かんでる島だよ? 誰かが開拓でもしなきゃ、ここまで発展することはなかったと思うし、そもそも無人島になってたかもよ」
確かに、言われてみればそうだった。現に、近隣の国の日本の海域には、無人島なんていくらでもあるわけだし。それにこの島は辺りを山に囲まれていて、今でこそトンネルができているが、その当時は空からしか入れなかったはずだ。どうしてこんな場所に街を作ろうと思ったのだろうか。
創時の言葉は続く。
「……元々は、どこかの国の軍事基地になる予定だったんだって。でも、計画が途中で中止になって、代わりに街が作られることになったらしいよ。……で、こんな孤島で街を作ってしまったものだから、独自に政府なんかもできて、三十年くらい前に独立国家になったってわけ」
坦々と創時は話す。
なるほど。軍事基地ならば、周りを山に囲まれているほうが好都合というわけだ。しかし、どうして今創時がそんな話をしたのかイマイチ要領を得なかった。
「……いやさ、もしこの街がなかったら舞香と出逢うこともなかったのかなと思うと、何か感慨深い気持ちになってさ。……よかったよ、ほんと。舞香に出逢えて」
創時は郷愁に浸っていた。
その、切実な言い草に舞香は恥ずかしくなっていた。頬が紅潮してきたので、潮風に冷やしてもらう。
しかし、創時はこんなことを言う性格だっただろうか? 舞香は小さい時から創時の隣にいるが、「出逢えてよかった」なんて言葉、聞いたことがなかった。
創時も少しずつ大人になっているのだろう。
痛い沈黙が下りる。
「……そうだ。結局、久藤を説得できたの?」
沈黙に耐えかねた創時がそう切り出す。
そういえば、そのためにここに来たのだったか。
舞香は久藤の家であったことを全て話した。
久藤が半年前から行方不明だったこと。母親は舞香を裏切ってなどいなかったこと。ずっと、自分が勘違いしていただけだということ。
その間、ずっと創時は静かに聞いてくれていた。
「やっと気づいたか……」
全てを聞き終えた創時はぼそりと呟いた。
「どういうこと?」
まさか、創時は全てを知っていたのか?
驚いて創時に目を向けるが、創時はうっすらと微笑んでいるだけだった。
「だって、舞香のお母さんが舞香に愛情を注いでいないわけないだろう? 俺は舞香の隣にずっといるわけだし、家族じゃなくてもそれくらいわかったよ」
舞香はすねたように頬を膨らませる。
そんなことを言われてしまえば、自分が情けなくなってくるじゃないか。
「それに、どこの親でも、子供を思わない親はいないよ」
まるで、悟りを開いたような言い草だった。舞香と同じ十五年とちょっとしか生きていない癖に、偉そうだった。……でも、本当にその通りだと思う。ずっと、今でも天国で菜穂は舞香を思ってくれているのだろう。
そこで、舞香は病院で創時が言っていた言葉を思い出す。
――大事なことだけは忘れちゃだめだよ。
創時は、真実は知らなくとも、舞香が間違っていたことをわかっていたのだろう。
(馬鹿だよね……私。大事なこと、忘れちゃってた。……でも、もう忘れない。しっかり胸に刻んだよ。ありがとう)
舞香は創時の横顔を見つめる。
その顔を見ていると、安心できた。いつも創時が守ってくれるような気がしていた。
――気持ちを伝えるなら、今だと思った。
一年前、寂寞感の中で感じた愛おしさは、きっと創時への恋心だ。
なら、伝えるのは今じゃないか? 幸い、街の灯りは舞香と創時を照らしている。祝福しているようにも見えた。
急に胸が高鳴ってくる。呼吸が苦しくなった。口を開こうとして、何度も失敗する。
――好きだよ、創時。
心ではちゃんと言えるのに、白い息に変えることができない。
伝えることがこんなに難しいとは思わなかった。……きっと、この性格のせいで舞香は菜穂に本当のことを訊くことができなかったのだろう。……あの時、舞香の気持ちを伝えていれば、未来は変わっていたはずだ。
(ああ、やっぱりだめだな、私)
でも、もう後悔なんてしなくなかったから、舞香は現実を見ないで、目を瞑って言うことにする。
思い切って、口を開く。
「創時に伝えたいことがあるの!」
思ったより、声が大きくなってしまう。
だけど、気にしない。
「私ね、創時のことが――」
創時の息を呑む音……。
そして――
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転に入ります。ここから、さらに盛り上がっていきます。




