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珪化の国  作者: しおなか
悪魔の羅針盤
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ミスラ 17

 鏡があれば良かったのに、と思いながらミスラは首元に手をやった。切れた縫い糸を結び直すことに手こずる。そのしばしの時間を、己への猶予期間にする。行く先を決めあぐねて迷う時間を許すのだ。第二王女シロラマロモッコを探しに行くか。踵を返して上層への石段へ戻るか。

 この枝のどこかにシロラマロモッコはいるのだろう。先の草むらに潜んでいた男は、彼女を守っているようなことを言っていた。彼も元は王女付きの近衛だったのかもしれない。それがどうして、野伏せりまがいのありさまに成り果ててしまったのか。

(シロラマロモッコがシロラマロモッコのままでいてくれるなら、答えてくれるのでしょうけど)

 でも、とミスラは内心で付け足した。

 きっとシロラマロモッコはもう失われている。

 五の幹六の枝にあった第五王女の屋敷、その最奥にある寝室の壁に生えていた金属管が上層に住まう姉王女の声を伝えなくなったのは、白髪城が悪魔に呪われてから存外早い時期のことだったのだ。

 シロラマロモッコは物腰穏やかな、所作ふるまいのすみずみまで洗練された、美しい王女だった。大輪の花のような華やかさはなかったが、王妃の血を色濃く引いた証、神秘的な銀色の髪と紫の瞳は見るものを惹きつけてやまなかった。

 とはいえ、層と層が隔たれているこの城だから、五の幹に屋敷を構えていた第五王女と、遙か上層におわす第二王女は、直接顔を合わせた回数など、城内がまともだった頃を思い返したところで、ほんの数えるほどしかない。手元にある肖像画と、最後に会ったときの優しげなおもざしと、金属管が伝えてくれる、聡明で忍耐強い声。第五王女はそれらをすり合わせて、幻のようなシロラマロモッコの姿を心に住まわせていたのだ。

 優しい優しいシロラマロモッコ。第五王女の夜の気まぐれなおしゃべりに付き合ってくれていた。眠る寸前になって思い出して、今日は外を風魚が飛んでいるのを見たわ、と言えば、この時期は彼らの好きな薄い靄が朝方によく生まれるからそれでかしらねと答えてくれた。侍女のフェーミーナが入れてくれるお茶が最近急に美味しくなったの、と言えば、謎めいた声音でそれは誰かに恋をしているのよと教えてくれた。事実フェーミーナはそうだった。恋した相手を追いかけて、この城から去って行った。まだ白髪城にまともな人間がたくさん暮らしていた頃……もうずっと昔のことだ。

 あの頃、当然のように存在していたものたちは、もうあらかた失われてしまった。

 つかの間ミスラは風が人形の髪をなでるにまかせた。ガラスの眼を閉じる。草原がざわめく音の合間に、感傷が滑りこむ。寝室の金属管から響いてくるシロラマロモッコの声は今も鮮やかによみがえる。

 シロラマロモッコはとても頭が良かったから、一人だけ永劫の繰り返しの中に置き去りにされてしまった第五王女に、知恵を授けてくれたのだ。

 夜が来て、朝が来ると、シロラマロモッコはもちろん全てを忘れてしまっていたが、第五王女が一から状況を説明し直せば、あっという間に鎖された円環の呪いを理解して、正しい答えを教えてくれたものだった。ウラシリオロ王族の屋敷同士をつなぐこの金属管を使って、この城がいったいどうなってしまったのか調べることができると、そう言った。それは記憶を保ち続ける第五王女にしか為せない使命なのだとも。

 課せられた使命は簡単なものだった。本当の最初に、シロラマロモッコに悪魔の呪いが実在すると信じてもらうためにしたことと同じことをすればいいというのだ。第五王女は陽が高い間は五の幹を歩きまわり、夜が更けると素直な手つきで金属管の蓋を叩いた。各層の兄王子や姉王女に、その日一日の彼らの出来事を聞いた。そこで聞いた内容を、そっくりそのまま次の朝のまっさらな彼らに教えてやった。時間の経過で答え合わせが進んで、太陽が中天に輝く前には、皆が第五王女の言葉を信じてくれるのだった。

 第五王女は与えられた使命のとおり、金属管に耳を傾け続けた。兄姉たちが繰り返す一日から、ほんのわずかでも変化の兆しが無いかを、探り続けた。

 やがて、変化は起きた。

 珪化が始まってしまった。

 最も早い時期にいなくなってしまったのは一の幹にいた第一王女だ。シロラマロモッコに劣らず聡明だった彼女は、下の妹が伝えてくるその日の出来事だという予言と、自分が目の当たりにしている現実との差異を、いち早く突き止めた。

 人々から、少しずつ何かが削ぎ落されていくようだ、と第一王女は言っていたのだ。本当に必要なもの以外がなくなっていくのだと。実際、彼女はその通りになってしまった。少しずつ長姉との会話が噛みあわなくなってきた、と第五王女が考え始めた矢先、金属管から奇怪な声が漏れ始めた。聞きようによっては、かつて失われた彼女の婚約者を嘆いているようにも聞こえたが、じきに意思の疎通が成り立たなくなり、それからいくらも経たぬうちに、呼びかけにさえ応えなくなってしまった。

 それきりだ。

 後のことは分からない。後に第四王女が彼女の層で見たという話を信じるならば、極限まで珪化され純化した、化け物じみた人間のなれの果ては、石になってしまうのだという。たった一つの想いだけを抱えて、綺麗な結晶に変わってしまう。

 一人、また一人と、上層から順番に、きょうだいたちの声は欠けていった。第五王女に災いが降りかかったのは、その後だ。第四王女がいなくなってしまってしばらくした頃、ついに五の幹にも珪化の化け物が顕現してしまった。人形の薄暗いまぶたの裏に、嗤う男の顔が踊った。あいつは、何度でも、何度でも、現れた。それまで寝室の扉の前で守り通していた節度をどこかで削ぎ落されてしまって、とうとう男は純粋な化け物になってしまった。夜ごときっちり決まった時間に扉を叩く。王女を蹂躙しにやってくる……。

 ミスラは閉じていた眼を再び開いた。きびすを返して、樹幹への道を戻りはじめる。

 ここに残されているのは、シロラマロモッコをやめてしまった化け物か、シロラマロモッコの形をした石くれだ。

(それなら、登った方がいいに決っているわ)

 布がこすれ合うようなミスラの声はすぐに風にまぎれた。

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