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珪化の国  作者: しおなか
悪魔の爪
19/40

ミスラ 13

 最初に気が付いたのは、正面から見て右側に立っていたほうの門番だった。キキオンの足音が聞こえたか、あるいは、険呑な臭いを感じ取ったか。やや前屈みだった巨躯を伸ばすようにして首をもたげる。つられるように、左側の門番も同じ所作で身を起こす。鉄柵の下りた閉ざされた門を守るように左右に構えた勇士の姿は、在りし日にはウラシルの民の目にも頼もしく映ったものだった。

 それが今はどうか。ミスラはあらためて二人の門番だったものを眺めた。まぶたを縫い合わされ、醜悪に膨張した筋肉を持て余した恐るべき処刑人たちの姿を。

 まるで警戒を感じさせない歩調で、キキオンは二人の番人のもとへ進む。いまだ剣に触れる様子もなく、両腕を外套の中にひそませたまま、距離を詰めていく。ミスラは胸の上に手を置いた。鼓動は低く、ミスラにしか分からない弱い強さで、人形の身体をゆっくりと脈動させている。

 その鼓動がふいに跳ねた。ミスラは目を疑うような心持ちで、もう一度自分が目の当たりにしたものを視界に入れた。門番二人が構えている仰々しい大槍を、凝視する。彼らの得物は剣と槍だ。彼らは常に背に大槍をしょっている。そのくらい、知っている。上層に行くすべを探すおり、立ちふさがる彼らの背で禍々しく銀光を放つ穂先を、第五王女は幾度も見てきた。だが彼らが構えているのは剣だったのだ。近寄るたびに、彼らが振りかざしたのは腰の鞘から引き抜いた剣だった。第五王女の首を刈り取ったのもまた剣だった。長大な槍は門番たちの背で威圧的な姿を晒す、ただそれだけだったはずなのに。

 ミスラは直覚した。繰り返す一日に変化が訪れようとしている。変わろうとしている。予兆が心臓を震わせた。最上階に棲みついた悪魔の息が、身上に吹きかけられる気配がする。

 悪魔は招かれざるものがこの城に這入りこんだことに気付いたのだ。ミスラが悪魔殺しを呼び寄せて、閉じた時の円環を乱したことに勘付いた。ミスラは駆けた。衣擦れのようなかすれ声で、キキオンの背中に向かって警告を叫ぶ。

(昨日までとは違うわ、キキオン!)

 キキオンは凶兆などあずかり知らぬ顔で歩き続ける。ミスラの声など届いていないかのように、そのまま進んで、ついに門の前までたどり着く。少し遅れてキキオンの背に追いつきかけたところで、ミスラはようやく気がついた。これだけ足音をたてて駆け寄って、彼が気づかないはずがない。キキオンは敢えて聞こえないふりをしているのだ。

(キキオン)

「聞こえている」

 キキオンがうるさそうに手を振った。

 その瞬間、示し合せたような左右対称の動きで、門番たちがキキオンの進路をふさいだ。顔のすぐ横で交差された二本の槍を認めて、キキオンの足が止まる。その少し後ろで、ミスラは強い視線を感じたような錯覚を覚えて、たじろいだ。門番たちの眼は何も見ていないはずだが、縫いつぶされたまぶたの下から、四つの眼が闖入者の動向を窺っているような気がする。

「通行証をお持ちですか」

 突然、巨漢に似あわぬ高く若々しい声が、緊張を保っていた周囲に響いた。門番のどちらかが、キキオンに問うたのだ。キキオンは黙ったまま二人の巨人を見上げるようにしている。

「お持ちでない? では顔を見せてくださいますか」

 門番の片方がやや首を傾げたことで、ミスラは発言の主が右の側であることを知った。柔らかい口調だが、キキオンに突きつけられた大槍の穂先は微動だにしていない。

「は」

 鼻で笑って、キキオンがその場から一歩後退した。

「見たい? そのざまで」

 鞘走りの音とともにキキオンが抜刀する。片手でぶら下げるようにして抜き身の刃先を地に向けて、揺らしている。顎を上げて傲然とする。

「貴様」

 と、突然無言だった方の門番が声を発した。この言葉をミスラは憶えていた。一息に首を刎ねられたときの、最期の記憶だ。

「顔も見せぬとは不届きな奴」

(キキオン、避けて!)

 ミスラの声に大槍が風を切る音が重なる。二人の門番はそれぞれが首と胴を狙って穂先をひらめかせていた。後ろに飛び退いていたのでは、彼らの長い腕から逃れられないと悟ったのだろう。キキオンは弾かれたように前に出た。雨をくぐるような足取りで、右の門番が首をめがけて突き出した刃と、左の門番が胴をなぎ払おうとふるった一閃をかわす。つかさず左の門番の膝頭を踏みつけ、蹴り跳び、門番たちの頭上に躍り上がる。

「おれにものを頼んだな!」

 叫ぶと同時に、キキオンはぶら下げていた剣を真上に引き上げた。血飛沫が舞う。彼は左の門番の顔面を斬りあげていた。剣筋はあやまたず門番のまぶたを下から上に斬り裂いた。顔を押さえる門番に、間髪入れず振り上げていた腕を打ち下ろす。ミスラがまばたきをする間に、左の門番の首は落ちていた。崩れ落ちる門番の胸を蹴ってとんぼをきると、右の門番に相対し、キキオンは狂ったように哄笑した。

「では望み通りだ」

 笑みを引っ込め、低く鋭くささやく。

 形相を歪め、首を落とすため両腕に持ち替えていた剣で空を打つ。血糊が辺りに飛散し、脂で曇った銀の刃が鈍く光る。

 そのとき、足下に湿った音が転がりこんできて、ミスラは息をのんだ。血の飛沫ではなかった。糸に絡まった肉片だ。門番の眼球だ。あの一瞬の間に、キキオンが縫い糸ごと剣先で抉り取ったのだろうか。

 転々と地を転がる眼球の瞳と、一瞬だけ目が合う。これがどれくらいぶりに外界の空気に触れたのか、ミスラは知らない。悪魔の悪戯から解放されたとて、虚ろなまなこは何も語りはしない。

「おまえも見たいんだろう!」

 キキオンの叫びがミスラの意識を引き戻した。凶刃は休むことなく、いつの間にか、残る門番の首と胴をも別たっていた。

「今、ひらいてやる」

 地に転がっているそれぞれの首に、いやに丁寧な所作で、キキオンが剣先をのばしていく。目玉らしき肉片を抉り取り、剣を振ってはそこらに放り投げてゆく。順に投げていた三つの眼がなくなると、ようやく、キキオンは首のない胴体に向かった。

「どうだ? 見えるようになったか」

 物言わぬ躯につぶやきを落とす。地に伏せた二つの巨体の周りをうつむき加減に歩きまわる。目的のない徘徊のようだったが、ふいに目星がついたように顔を上げると、彼はしゃがみ込んだ。立ち上がったときには、鞘に納刀した剣の代わりに、薄汚れた鍵束を指先に引っかけている。本当にただ腰から抜き取っただけとでもいうような無造作さで、彼はぶらぶら歩き始めた。手にかけた門番には、もはや目もくれない。

 キキオンは鍵を手にして、鉄格子の下りた巨大な門の脇にまわった。門の横手には目立たぬ小さな木製の扉がもうけられていた。門番の詰所だ。その扉の鍵穴に、奪った鍵束を順番に差し込んでいく。一つ目、二つ目……五つ目の辺りで、扉は内側に開き、キキオンの背中は部屋の中に吸い込まれていった。

 やがて、門から金属がこすれ合う耳障りな音が立ち始める。水場の獣が身を震わせるように、門が振動するたび、溜まった錆が辺りにこぼれた。鉄格子が引き上げられていく。

 ミスラは、みじろぎすらできずに、それらの光景を見ていた。血だまりと、二つの巨大な亡骸と、二つの首と、どこかに飛んで行った四つの眼。樹幹の中に静かにふりそそぐ優しい陽の光は、もの言わぬむくろにも、人形のミスラにさえ、等しくぬくもりを投げかけてくる。第五王女がついぞ感じることができなかった希望の光だ。暖かな光が空虚な身体をすり抜けていくと感じていたのは、受け取る側が無意識のうちに光を拒んでいたからに相違ない。諦念と絶望で塗りつぶされた眼には、何も映っていなかった。

(あなたは救いのもの)

 ミスラは小さくつぶやいた。

 鉄格子が上がりきる。何の障害もなくなった巨大な門の前に立ち、ミスラは両腕で押した。ゆっくりと、扉が開いていく。もうずっと人が通ることのなかった関所の中へと、誘われるように、隙間に滑り入る。

 あの向こう側へ。

 関所の中を、ほとんど駆けるような早さでミスラは行った。薄暗い洞窟のようなこの穴を抜ければ、四の幹はすぐそこだ。関所の出口から、四の幹の入り口から、薄暗い足元に、柔らかい琥珀色の明かりが射してくる。透かし彫りの木細工が入った大きな扉が、出口の方向を教えいてた。

 ミスラはそっと扉を押し開けた。目を眇めて門の向こうの景色を見つめる。人形の眼は明暗の差にくらむことはなく、明るみの向こう側に、さらなる上層を目指すための石段が続いていることをとらえていた。こうして上へ上へと上り続ければ、たどり着く。たどり着ける。この国に災いをもたらした悪魔の元へ。

 一息に木の大門を抜ける。五の幹と似たような自然の採光窓からの光がふりそそぐ。ミスラは全身を祝福で洗われるような心地を覚えた。ここまでくるのに、どのくらいの時間が流れてしまったのかを考えると恐ろしかったが、今はそれよりも、祝福だ。決してたどり着くことはできないと思っていた場所まで、少しずつだが、近づいている。

(あなたは私の救いのもの)

 もう一度ミスラは繰り返した。背後に置いてきたキキオンのことを思い出す。ありがとうでも、上出来でも、何でもよかった。とにかくなにか言葉をかけようと振り返り、次の瞬間、ミスラは立ち尽くす自分の背中を見ていた。

 首のない自分の後ろ姿を、とてつもなく低い位置から眺めている自分を、自覚した。

 その場所からはいろいろなものがよく見えた。ここはミスラにとっては五の幹の関所だったが、同時に四の幹の関所でもあった。あちらに門番の兄弟がいたように、こちらにもそれに類するものがいた。門の脇に立っていたそいつは、関所の中から飛び出してきたミスラの首を刎ねた。ミスラの頭は熟れすぎた果実みたいに地に落ちて、突然の置いてけぼりをくらってしまった身体を、なすすべもなく見上げている。

 そういうことだった。

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