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珪化の国  作者: しおなか
悪魔の爪
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ミスラ 8

(五の幹には、ここみたいな枝が全部で七十七本生えている。人が寝て起きるための家を建てている枝もあるし、獣を放すためだけの枝もある。皆が集まって物を売ったり買ったりする枝もある。今はもうほとんど枝の役割なんて意味のないことになってしまったけど。……ああ、見えるかしら、空を挟んで右手のほうの、あれが隣の枝。空気がきれいな日には、羊が歩いたり草を食べたりしているのも見える)

 白髪城の枝は一本一本の横幅がたいそう広い。一番人が多いときには二十人が一どきに暮らしていた第五王女の館を、五つ六つ横に並べたって枝の幅におさまるくらいだ。枝ぎわの崖っぷちには、人の頭くらいの高さまである城壁か、建築中途で放棄された城壁のようなものか、遠い過去に崩落した壁跡が、柵のように築かれている。頼りない柵だが、うっかり者が地上に墜落するのを防ぐには十分だ。石壁を越えて、五、六歩も進めば足元は緩やかな勾配に、やがて鋭い斜面に変じる。地上を見下ろそうとして落下してしまった者も、長い歴史の中に一人や二人はいたのかもしれない。

(余程ぼんやりしていないかぎりは、地上にまっさかさまなんてことにはならないでしょうけど)

 後ろを歩くキキオンはあまり聞いている様子ではなかったが、ミスラは構わずに案内めいた言葉をこぼしながら、樹幹への道をたどっていた。

 中央部の幹にたどり着くまでの道の途中には、第五王女の世話をするための下働きたちの小屋や、花畑の管理者が住んでいた屋敷が何軒かあるが、そこに住む者たちは、まだこの時間に起きてこない。必ず起きてこないのだ。決められた時間まで彼らは眠り続ける。

 ときおりミスラが振り返ると、キキオンは、外の人間らしく、白髪城の尋常でない景色に気をやっているようだった。高高度の清廉な風に髪をなぶられ、琥珀の地肌を爪先で叩き、明るい光に眼を細めている。ときおり、まだ見えているらしい足元の何かに視線を取られる以外は、まるで普通だ。普通に歩いてウラシルを訪れた、普通の旅人みたいだ。救いのものがそこらの若者と同じように見えるという事実を、初めてミスラは意識した。こんな普通なふうなのに、これから悪魔を殺しにいって、しかも、殺すのだ。

 不安定な人、ともう一度ミスラは思った。まるで悪魔と取引をしてしまった人間だ。悪魔と取引した人間は例外なく代償を差し出している。代償を差し出してなお叶えたい望みがあり、犠牲の上に叶えられる願いを甘受するには、土くれになるわけにはいかないのが道理なのだった。せめて望みの結末を見届けるまでは人間でいる必要がある。人間の形を保つために、失った部分を無理やりに代用品で埋めようとする。そして失くした分だけ歪んでしまうのだ。

(悪魔)

 ミスラは胸に手を当てた。残された人間のあかしの鼓動が聞こえてくる。キキオンの不安定さは悪魔の契約者に似ている。何かが欠けていて、歪んでいる。

(キキオンは悪魔の契約者なのね)

「そうだ」

 ミスラは思わず振り返った。独り言のつもりだったのに、返事が間を置かずに戻ってきたせいだ。

(……あなたは、悪魔を殺すために、悪魔と契約したの? 悪魔がそんなことを了解したなんて)

 キキオンは低い笑い声を隠そうともしなかった。堂々と歩いてきて、立ち止ったミスラの隣で足を止める。悪魔の契約者は忌むべきものだ。人の身に過ぎた望みを口にして、人の身を切り売りして、変質してしまった存在。契約者はもはや人ではない。

「おまえには関係のないことだ。第一、悪魔の考えなど、おれがいちいち知るものか」

 笑みを引っ込めて、キキオンはすぐに真顔に戻った。

「先へ行けよ。悪魔を殺しにいくんだろう」

 高みから睥睨してくる瞳の中に昨晩と同じ憎悪の閃きを認めて、ミスラは頷いた。キキオンの言う通りで、彼の事情は、悪魔殺しに関係がないのだ。たとえキキオンが悪魔への憎悪にしがみつくただその一点を除いて、何も持っていないのだとしても、ミスラは悪魔殺しの手段をありがたがって受け取ればいいだけなのだ。

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