ミスラ 7
夜が明けた。
焼け落ちた第五王女の館は樹幹から離れた遠い枝の先端に建造されていた。悪魔が待つ最上層を目指すには、まず螺旋階段のある、五の幹の中央に向かわねばならない。ミスラが説明する間、キキオンは外套をまとい、ぼんやりとした顔で地面の低いところを眼で追っていた。ミスラもつられて真似をしてみるが、取り立てて気を引くようなものはない。昨晩から今朝がたにかけてさんざん踏み荒らされ蹂躙された花畑があるだけだ。まるでミスラには見えていない何かの生き物がそこらをうろついていて、キキオンはそれを眺めているようでもある。
(何かいるの?)
とうとう気になって、ミスラは尋ねた。
「別に何も」
短く答えが返って、キキオンはよく分からないものを見るのをやめた。代わりに顔を上げてミスラに品定めするような眼を向けてくる。花灯りと炎熱だけでは飽き足らず、さらに朝の光でまだ何かを見定めようというのか。見たいなら、見ても構わないとミスラは思う。ただ、何度見たって同じなだけだ。この国にはミスラを象った人形があふれかえっていて、ミスラはその中のただの一つにすぎない。城主が金に飽かして他よりも精巧に作らせたかもしれないが、しょせんただの人形だ。キキオンがこの人形に何を探しているのかは分からないが、同じものを何度見たところで、見る者が見たいものしか見えないのが道理なのだ。
(もういい?)
ミスラはことさら強調するように、キキオンとの距離を詰めた。胡乱な眼つきの男を至近距離から見返して聞く。
「もういい」
近づいた分だけミスラを押しのけて、男はいつの間にか薄笑いのような表情を浮かべていた。見つけたいものを見つけて、取るべき態度が定まったのだろう。
(じゃあ悪魔を殺しにいきましょう)
軽く頷いたキキオンの片頬に喜色がひらめく。不安定な人だとミスラは思う。口に出そうとしてやめる。キキオンには手振りでついてくるように促して、ミスラは第五王女の館と、踏み荒らされた宵待ち草の花畑をあとにした。舞踏会の夢は朝日に解けてしまった。パーティーは二度と開かれることはないだろう。
夢を暴く残酷さは、同等の慰めをも連れてくる。浅い角度の陽光は、五の幹六の枝一帯に優しく差し込んでいた。焼け焦げた屋敷と周辺の下草を離れてしまえば、辺りには豊かな芝草が広がっている。枝の先端から樹幹にかけて六の枝はなだらかな下りの勾配になっている。屋敷の前から見下ろすと、人の手で持ちこまれた土と草と木で覆われた地肌のところどころに、古代の珪化木が剥き出しになっている琥珀の道がまだらに続く様子が分かる。地上で見る街道のような様相。天空を渡る風が形化の木を抜けて、砕けるガラス細工みたいな音を立てている。美しく澄んだ音だ。朝方、少し強く風が吹く折に聞こえる一日の始まりを告げる音。故郷の風景だ。
(きれい)
ミスラはつぶやいた。眼に映るあちこちが輝いて見えた。なにげない風景を特別に変えてしまったのは思い出のせいだ。失われてしまった日常がまぼろしを見せるから、感傷が心臓にすがりついて離れない。
こんなに美しい城なのに、もうじき全ての人がウラシルを去ってしまう。ミスラはたまらなかった。




