第二部 第十五話
天人達が天に帰った後、芸妓や舞妓と置屋の女将達が三々五々に帰り始め、
婦人警官達も堅苦しい制服を脱ぎ、あの温泉に入るため地下にある自分の部屋に立ち去った。
しかし、グズグズと引き上げるタイミングを失った河合涼子は
誘われるままに府警の署長に連絡をしてこの家に泊まる許可を取った。
「そうすると思ったよ」
という署長の笑いで連絡を切った涼子は希美子に部屋に案内され、
この後で婦警たちと温泉に入る約束をしている。
沖楓と二人の娘は父親を見送りに出たあと、お稽古場に戻ってきた。
舞妓姿で貞子達と話している沙希のそばをべったりとくっついて離れない。
父親の関係で数多くの女優を見てきた母子。日野あきあと言う名前は聞いていた。
ドラマも見た、けれどこんなに不思議な魅力のある女優に会うのは初めてだ。
自然と引き寄せられていくのは自然の摂理かも知れない。
それにこの人は何もかも開けっぴろげだった。
身体の秘密も、力のことも隠そうはしない。けれど周囲が庇ってしまうのだ。
姉たちに見つかった悪戯を子供のような言葉使いと仕草って、
まるで目の前でドラマを見ているようだ。天才女優と言われるのが良く判る。
どうしてここにいるのか不思議だった早乙女薫が追求した日野あきあの演技力、
判ったあとも『駄目どす、お芝居やって判っていてもどうにもならん、
呆れ果てた子どす』と紫苑姉ちゃんと呼ばれていた女性がため息まじりに話すのを聞いた。
そして、天才女優早乙女薫が日野あきあの姉・・・いや叔母だと初めて知った。
実を言うと緑と茜は今日、父が連れ出した母の体調の悪さを大変気遣っていた。
そこにかかってきた母の緊急入院の電話、
入院に必要なものを持ってきてほしいと母自身からかかってきたのだ。
母の元気な声と行くのが病院ではなくてあの人間国宝の井上貞子の家だと聞き、
何かの冗談かと思ったがそうでもない様子。とりあえずタクシーを飛ばして井上家の玄関に立った。
出てきた母を見て呆然の二人、家を出る時あんな青白い肌と生気のなさをしていたのにどうだろう、
目の前の艶々と輝くような肌と元気な笑顔・・・あっけにとられるとはこのことだ。
「では、案内します」
と医者だという女性に連れられて廊下を進む・・・今日は何かの宴会なのか、お稽古場のざわめきと
ちらっと覗いた華やかさ・・・舞妓さんや芸妓さん・・・
驚いたことに侍に扮した人や烏帽子姿の公達もいる。
そして、婦警の制服を着た女性も大勢いるのだ。首を振りながら廊下を進んだ。
そして行き止まりにある90°に右曲がりに作られている広い階段とスロープ。
階下に下りてみるとまるで別世界・・・真新しい病院施設だった。
こんなところにこんな施設が・・・聞くとここの設備は世界でも有数のもので
おまけに女性専用の病院で男子禁制というのだ。全く驚きを通り越してしまう。
おまけにここのオーナーがまだだ着々と次の段階に進もうとしているらしい。
母の病室も広くて清潔だった。そこで簡単な母の診断結果を聞く。
ここに運び込まれたときはもう心臓が止まりかけていたと言う。
真っ青になる二人・・けれど病巣の80%が消え去ったからもう大丈夫だけど、
長年の病歴のためここしばらく入院加療が必要だと言うのだ。
病巣が消え去った??・・・。言われることが判らない。
母の状態を見て信用はできるのだが全く理解が不能だった。
「沖さん、先に娘さん達と下に行きます?・・・それともそれは後に回して上に行きます?・・・」
女医の簡単な言葉も二人には・・・?・・・だった。
「先生!先に娘に温泉を味合わせてやりたいと思います。この子達も女性ですから・・・」
母の言葉ももう一つ判らない・・・ここは判らないことだらけだ。
「それじゃあ、私は上に先に行って置きますから後できてくださいね。
判らないことがあったら出会った看護師に聞くといいわ」
と言って出て行った。
「さあ、行きましょうか」
と母がにこやかに促す。嬉しくて仕方がないという様子なのだ。
「どこに行くの?」
「勿論、温泉よ」
「温泉?・・・こんなところに温泉があるの?」
「あるわよ、それも飛び切りのね。母さんがここまで回復したのって温泉のおかげなの」
これも又、理解不能だ。だから母に従って黙ってついていくしかない。
部屋を出ると先ほど来た反対方向に廊下を進むと途中で2機のエレベーターがあった。
乗り込むとベットを二つ楽々と乗せることができるほど広いエレベーターに乗り込んだ3人。
母は『B7』のボタンを押す。それは音もないスムースな動作で降下を始めた。
ドアがあくと目の前の景色がかわっていた。
まるで純日本式・・・というより時代劇で見る温泉の湯治場という方がいいだろう。
のれんをくぐると広い更衣室。母が隅にあるケースから出してきた着衣を娘に渡す。
全てを脱ぎさってそれを着た二人。鏡に映った姿に二人は真っ赤になった。
真っ白なシースルーのその着衣は全裸よりも色っぽく恥ずかしい。
「さあ、入りましょう」
と母に促されて引き戸を開けるとそこは広い温泉・・・いや、広いというどころではなかった。
まるで海水浴場のように広大な温泉だった。砂浜のように段々深くなる温泉、
深くといっても1m程か、子供用に浅いところもあるという。
肩まで浸かった温泉の温度は熱くもぬるくもなく身体にスーっとなじむ気持ちのいい温泉だった。
思わずすっぴんの顔をバシャバシャと洗ってみる。
ふ~気持ちがいい・・・と極度の近視でコンタクトをはめてなければ見えない目に、
隣の妹茜の化粧品で荒れた肌が・・・・ええ~~?・・・ツルツルだ!
そんなところまで見えてしまう・・・小さい頃からの極度の近視・・・
というより弱視で苦労した思いが蘇ってきて・・・
「あら、どうしたの?姉さん・・・その目・・・」
と涙を指摘されたと思って
「あなたこそ・・・お肌の荒れが無くなってツルツルよ」
といいかえした緑。
それがとんだ誤解の上での言葉だと判ったのが母の言葉だった。
「よかったわね。あなた達・・・」
「えっ!・・・」
と顔を見る二人。
「緑!・・・コンタクトがいらなくなったんでしょ。それに小さい頃の目の上の傷が消えているわ。
茜も化粧品で荒れたお肌がきれいになっているし、
あなたも小さい頃に負ったその腕の傷も消えているのね」
さあ、それからが大変だった。緑も茜も更衣室に飛んで戻り鏡で顔を見た二人、
母の元に戻ってきて嬉しいと泣き出す始末。
そして落ち着いた二人が見た母に変化が・・・
先ほどまで真っ白だった髪の毛がなんと真っ黒に戻っているのだ。
そのことを言うと今度は母が更衣室の鏡に見に行き、
娘のところまで嬉しいと泣きじゃくって戻ってきた。
あとで先生に聞くと身体の中の病巣が殆ど消え、
その病巣による副作用で真っ白になっていた髪が元に戻ったということだ。
ここで沖緑と沖茜の紹介をしておこう。
緑は東西テレビの製作で働いている。最初社長の秘書にといわれたが柄ではないと断った。
それに緑の入社は父の預かり知らぬことだった。
知っていたのは妹の茜と母の楓だけで、父が知ったのは入社式の当日、社長の挨拶の時・・・
目の前に緑の顔があったときの驚きったら・・・突然知れ渡った社長の娘の入社、
秘書ではなく現場での辞令・・・現場サイドとしては少し煙ったいのだが、
緑は唯々諾々として働いていた。
茜は化粧品会社の美容部員である。
テレビ業界は嫌!・・・と、叔父が経営する化粧品会社に入社した。
人の顔を触るのが好きな19歳である。
茜が今注目しているのは日野あきあは当然だが、その彼女に影のように寄り添って、
時々汗を拭いたり化粧を直したりしている女性・・・から目が離さないでいた。
どこかで見た・・・と思っていた。どうにも思い出せない。
だから隣でメモを取りつづけている女性・・・に聞いてみた。
「あら、あなた杏奈に興味があるの?」
「あっ!・・・いいえ、私美容部員だから同じような仕事をしていますので」
「あなた美容部員なの・・・いいわ,紹介してあげる」
といって
「杏奈!・・・」
と呼ぶ。手招きするこの女性に呼ばれて何事かと立ち上がって近寄ってくる。
「なあに、京姉・・・」
「この子があなたに興味があるんだって」
「私に?・・・」
驚いたように顔をみる。
「いえ、私同じような仕事をしていますので」
「仕事?・・・」
「美容部員です・・・」
つっけんどんな話し方だが少し興味をもったらしい。
「どこの美容部員なの?」
「K化粧品です」
「じゃあ、鮫島さんのところ?・・・」
「えっ!・・・部長をご存知なんですか?・・・」
「母のところに良くきていたからね」
「母?・・・・」
「私の母、千堂ミチルなの」
「あっ!・・・・」
「思い出した?・・・私、次女の杏奈、よろしくね」
そうだった、この人だ。
今ファッション雑誌にヘアメイクやアウター・インナーのファッションについて書いており、
日野あきあのことについても載せているので凄い人気なんだと思い出した。
本人の写真を載せることは好まないらしいので気づかなかったんだ。でも・・・・情けないや・・・
「ちょっと、杏奈。この子、あなたのこと見たことがあるけど
だれでしたと聞いてきたから杏奈を紹介してあげたの」
「また、そんなややこしいことを・・・私の名前を教えたらいいのに」
「いやよ、そんなこと」
「また、どうしてよ」
「だって、人って反応がまちまちじゃないの、ねえ智子」
「そうよ、それをそばで見ているって面白いわよ。その証拠にこの子、
杏奈の事がわかったとたん情けないとしょぼくれているでしょ」
「もう・・・いやあねえ、雑誌の記者って」
「違うわよ、あの子のそばに居たらどうしたってこうなるわよ」
「ふ~・・・」
とため息をついて
「また、沙希の影響ってわけ?・・・」
と舞台上の沙希を見る。
「あの子の悪戯や私達を巻き込んでのちょっとしたお芝居ってもうドキドキしちゃうもの。
でもあの子の真似をしょうとしても逆立ちしたって出来ないわね」
「あたりまえよ、沙希には誰もかなわないんだから・・・」
「ちょっと!お姉ちゃん達!・・・又、うちの悪口どすか?
うちなあんも悪いことしとりまへん・・おとなしいもんどすえ」
と沙希の言葉が舞台から飛ぶ。
えっ?あんなところからここでの話が?・・・と驚く茜。
(もうダンボの耳みたい・・・・ふふふ・・・・)と笑っていた茜に初めて沙希の声。
「そこの茜ちゃん。うちの耳ダンボやおへんえ」
(えっ?・・・)と茜はびっくりした。もしかしたら心が読まれた?・・・真っ青になる・・・
「ちょっと、ちょっと茜ちゃん!うち、普通の人の心は読みまへん。
悪い奴、おなごを酷い目に合わせる奴しかそんなことしまへん、
そうせんとうちの心壊れます。心を読むということそれほど簡単なことやおへん。
茜ちゃん、力は普段は封印しとるから気にせんといて」
「でも、どうして?・・・わかったんですか?」
思わず聞いてしまう茜。
「茜ちゃん、あんたなあ・・・なんぼ聞こえへんから言うて、
心で思うことを口に出して動かす癖止めなあかんえ」
「沙希!・・・あんた、いつのまに!・・・・」
「律ちゃん!どうしたの?・・・」
「薫姉さん!・・・この子ったらいつのまにか人の唇をよむ読唇術を勉強しているのよ」
「へえ・・・でも、それって別に悪いことやおへえん」
「でも、沙希がそんなこと覚えたら・・・・」
「覚えたらどうするんどすか?お姉ちゃん達、
うちのおれへん遠いとこで悪口言おう思もとったんどすか?」
「そんなことするはずないじゃないの・・・・」
「でも全く油断も隙もないんだから・・・・」
というのを平然と聞き流し、他のほうを見て姉達を無視する沙希・・・
茜は目の前のそんな様子を見ていたら、可笑しさの方が先立ち、
もう仕方の無い人よね・・・と何もかも許してしまう・・・。そんな気持ちにさせられるのだ。
その時玄関から
「ただいま・・・」
と大きな声がして高弟達が出迎える暇もないほどバタバタと急ぎ足で廊下を歩いてくる数人の足音。
顔を覗かしたのが飛鳥日和子警視正達だ。
「おお~おお~・・・・」
と声を上げて喜ぶ貞子に
「お母様、ただ今帰りました」
と挨拶する日和子。後ろには娘の京と泉、そして犬飼洋子と有佐ケイ。
一番後ろにはこの間、府警との間で活躍した森田亜紀、葉月礼亜、篠田由紀子が制服姿で座っていた。
「お婆様、帰りました」
と口々に挨拶するこの孫達にはもう貞子は手放しだ。
「日和子叔母様、お帰りなさい」
と舞台上から挨拶する沙希。その沙希に身体を向けた日和子、
「沙希ちゃん!・・・あなたとんでもないことになって・・・・」
その後は言葉が続かない。
「沙希!あんたってちょっと目を離すとわたし達の予想もしないことをしでかすのね」
「京姉!・・うちなんにもしてまへんえ。今日もおとなしゅうにしてました。
けんど事件はんのほうから、いややいややいうてんのにうちを引っ張り出すんどす」
と言って
「ふ~・・・」
とため息をひとつ出す沙希。
けれど泉の目は鋭い。
「沙希!・・・影に隠れてにやっと笑うその表情、
本当にため息がつくほど嫌がっているのかなあ・・・」
「えっ?」
という顔で少し慌てる沙希。
「泉!よく言ったわ。さすが警視庁捜査一課の係長ね。沙希が慌てた様子初めて見たわ」
と薫が手を叩きながら喜んでいう。
でもさすがに沙希だ
「いややわあ、泉姉。うち無理に笑ってるんどす。
日和子叔母様、勝手に警察庁から飛び出してこの京都にきやはった。
国家公務員いうたら日本中に移動は可能やけど、
警察庁いうたら許可がなかったら移動したらあかんはずどす
その日和子叔母様、京都の署長はんに聞いたら許可なしに飛び出し張った。
うちのためや・・・うちのために罰うけるんもいとわんと
この京都に来るんや思うともう嬉しゅうて・・・嬉しゅうて・・・」
とホロリと涙を流し、袂で涙をぬぐう沙希。
「けんど、叔母様に涙なんか見せるもんやない・・・心配してくださった叔母様に涙なんか・・・
そうおもてうち無理に笑っとこ・・・笑って迎えよう思とったんどす。
泉姉!うちそんなわけで笑とったんどすえ。うれしがっとんいわれるんは心外どす」
「沙希!・・・ごめん。私、やっぱり警察官ね。毎日悪い奴を追いかけているから、
そんな風にしか感じられなかったの」
と泉が謝り
「沙希ちゃん、ごめんなさい。私も女優だからそんな風にしか見えなかったの。
そうよねえ、こんな時にお芝居をする余裕なんてないものねえ」
とあの早乙女薫さえ謝っているのだ。
「凄い!・・・・」
思わず小さな声を上げてしまう緑。緑は見たのだ。袂で涙を拭く振りをしてその陰で赤い舌を出し、
見ていた緑と目が合った沙希はにっこりと笑ってウインクをしたのだ。
全く・・・・驚いた演技力だ。沙希の演技を見抜いた泉と薫なのに、
さらにその上を行く演技力で とうとう二人を沙希の世界に引きずりこんでしまった。
相手が一般人の泉ならわかる。けれどもう一人はあの天才女優早乙女薫なのだ。
もう呆然とする、TV局の制作だからたくさんのタレントを・・・そしてその演技を見てきた。
けれどこんな女優初めてだ。日野あきあのことは聞いていた。
けれどその存在は霧のむこうで見えない。
誰もがその現場に立ち合えるわけではなく、限られたスタッフだけの特権だと言われていた。
緑はそんなこと嘘だ・・・と思っていた。誰かが作ったデマ話に違いない。
けれどこの間その日野あきあの現場にたちあったスタッフに話を聞いたのだ。
「全てをいうわけにはいかないんだ。俺もまだまだ生きていきたいからね」
「なんだよ、それ」
緑と一緒に話をきいたスタッフの一人が馬鹿にしたように言った。
「嘘だと思うならそれでいいよ。俺も話はしたくないんでね」
という彼に謝ってようやく聞いた話。
「あの人の演技を見たら、どんな女優でも素人とおもってしまうね。
だってあの早乙女薫が絶賛しているんだよ。日野あきあが演技をすると全て本物になる・・・ってね。
実際そうだったよ。俺もカメラを回しながら震えていた。
震えながらあの人の演技する世界に引き込まれていった。
まったく・・・カメラを回しながらドラマの世界にいるんだぜ。
だから、あの人の現場は決まったスタッフしか使わないんだ。
へたなスタッフいれたら、そのスタッフ自身仕事が出来なくなる」
そう聞いた。嘘を言う人でない。又、話を誇張する人でもない。
だから、緑は日野あきあという女優に興味をもった。
まだそんなには多くないけど彼女の出演する映画やTVのDVDやビデオを見まくった。
そして、先ほどのスタッフが言ったことが強烈に残っているのが
「おれ、Vテレビのスタッフに話を聞いたんだ。
Vテレビの例のドラマで名前だけが決まりまだ何も人格設定をされていない時、
日野あきあが中心になってアドリブでドラマを1本作り上げたんだって。
だからおれ無理を言ってそのスタッフにそのビデオを見せて貰ったんだ。
社外秘となっているそのドラマ・・・
ほとんどがドラマの第一話に使われていると見る前に言われたドラマ、
それは俺たち制作スタッフにとって宝石のようなものだった。
見終わってから第一話と見比べてみた。90%が台詞も何もかもがそのまま使われていたんだ。
脚本家の谷さんが俺なんかいらないんじゃないかって泣いていたと聞いたが、
その言葉ひしひしとわかったね」
と聞いたビデオ・・・強烈に見たくなった。
今日ここで見た不思議の力・・・特撮と思っていたものが全て本物?
・・・それを知ったショックも大きい。
そして、今だ。その演技力ったら・・・
「ねえ、凄いでしょ。沙希姉さんの演技力・・・・」
と緑の後ろから声をかけてきたのは・・・あの天才子役天城ひづるだ。
何度かTV局で会ったから緑の顔を覚えているのだろう。
そのひづるが皆から離れところに緑を引っ張っていく。
そして、二人並んで舞台上の沙希を見つめるのだ。
「あ~あ、沙希姉さん、とうとう薫姉さんまで騙しちゃった」
「ねえ、どうしてひづるさんはひっかからないの?
私は、偶然袂の後ろで舌を出しているの見ちゃったから」
「私?・・・私というよりは沙希姉さんがああして面白がって皆を
お芝居に引き入れているのって子供と同じなの。
もしかして沙希姉さんて私より子供っぽいかもしれない。
子供って子供同士のことが不思議と判ってしまうの。
だから、ああこれってお芝居なんだ、
皆をこうしてお芝居に引きづり込んで面白ろがってるって判るのよ」
「へえ・・・でも私の子供時代そんなことあったかしら」
「そうね。これって私だけなのかもしれない。だってそばに薫姉さんや圧絵叔母様・・・
そして沙希姉さんがいるってそんな人他に誰もいないもんね」
「そうよねえ。・・・ところで、ひづるさん。あのときのビデオ持っている人知らない?」
「あの時のって?」
「ほら、Vテレビでドラマ撮ったでしょ」
「ええ、撮ったわ」
「その時にね、台本も何もないのに日野あきあさんが中心にアドリブで
ドラマを1本作ったというビデオよ」
「ふ~ん、やっぱりお姉さんも制作の人ね。あのビデオ見たいんだあ」
「そりゃそうよ、そのビデオ見た人ってもう凄いっていっていたしね」
「凄い・・・というもんじゃなかったわ。やっている女優にしてから奇跡って思ってたもの。
あきあ姉さんに引っ張られるというよりあきあ姉さんではなく
星聖奈という主人公が目の前にいるのよ。
そして皆に魔法をかけたの。アドリブがポンポン頭に浮かんできて口を使って出て行くの。
ううん、あれは台詞じゃなかったわ。
会話そのものよ。あきあ姉さんが後で言っていたけど特別な術をかけてはいないって・・・
わたしもそう思うわ。
日野あきあが演技をすれば本物になるって薫姉さんがいつもそういってるけど
あの時ほど実感したことはないわ」
「じゃあ、ひづるさんはビデオを・・・・」
「私の大事な宝よ」
「見せてくれない?」
「いいわよ、私の部屋に来る?・・・・」
「ええ、行くわ」
「じゃあ、約束してほしいことがあるんだ」
「なあに、約束って・・・」
「私のこと”ひづるさん”って大人のように呼んでくれるんはうれしいけどまだまだ柄じゃないわ、
ひづるちゃんって呼んでくれる?」
「ひづるちゃん・・・これでいい・・」
「これで緑姉さんとは仲良しよ」
と手をつないで立ち上がった。
★
その日は雲一つない真っ青の空だった。高校のグラウンドというがコの字型に作られた8段という
コンクリートの観客席はこの試合の為のものと思われるほど
ピッタリで5000人を数える観客の8割方を収容してしまった。
2400人といわれる一般客は”日野あきあ”の名前で来場したもので
これが本当の試合とは思う筈もなく
ドラマか映画の収録のエキストラと思っていたのである。
ただおかしいな?と思うことは時代劇なのにエキストラは現代の服装のままでよく、
そのエキストラの中にテレビのニュースで見る警視総監や警察庁長官の姿。
アイドルの岩佐メグ、中堅女優の糸川早苗やあのドラマで有名になった
若手女優達の姿があることであった。
そしてマスコミ関係の記者やレポーター達の姿も客席にあるのは稀有な様相を見せていた。
グラウンドには互いに睨み合うというより静かに見詰め合って座る、宮本武蔵と日野あきあ。
武蔵は濃い茶色地の着物に薄い茶色地の袴・・・同じ色の脚はんと襷がけ、勿論わらじをはいていた。
あきあは杏奈の手によって、白地の着物と袴・・・そして、やったことがないので
付いて来てもらった志保と勝枝によって白い襷がけをしてもらった。
長い髪はポニーテールのようにし、前髪をたらしたまるで若侍だ。
しかし前髪にはいつもの赤い陣八、着物に隠れるが左手には赤い手甲がされている。
あとはたしなみ程度のメイクが杏奈の手によってされていた。
観客の中の600人はこれが本当の試合だと知る者・・・・
あとの2000人はその人達からこの試合のことを聞かされて
駆けつけた半信半疑の者達だ。この中の殆どの者が剣道や柔道など武術に携わっているので
その真偽をたしかめてやろうと真剣な面持ちで見つめている。
警察庁長官、警視総監が隣り合わせに座っているが言葉をかわす様子がない、
・・・というよりもこのグラウンドで相対する両者からピリピリとした重圧感を感じているからだ。
そして、その隣の京都府警の署長もいつもの笑顔が出ない。
決してお偉方の隣にいるからではなくて、
これも武蔵とあきあからの重圧感に手に汗を握っているのだ。
その隣に座るのはあきあの入れ知恵でお偉方達のすぐ横に座らされることになった
西沢恵子と牛尾憲太郎だ。
最初はいやがった牛尾ではあったが今ではなんの緊張感もなくのんきに会場を見ていたが
恵子の方は最初のはにかみがあっという間に消えうせ、グラウンドからの重圧に真っ青になっていく。
「ねえ、恵子を冷やかそうって思ったんだけどこれでは駄目ね・・・・」
「ええ、あの二人普通に見つめているようだけど武蔵からの殺気というかあの気力・・・・
あんなのを受けたらわたし耐えられない。
けれどあきあさん、平気で受け流していらっしゃる・・・・凄い!」
客席の一部から
「大八木に聞いてきたんだが女優だろ。あいつの言うこと信じた俺が馬鹿だった・・・・」
「おい!お前には見えないのか・・・・そして感じないのか、
からの凄い気力と重圧を・・・・
それをあの女優であるあきあが受け止めているんだぜ」
「えっ?・・・・本当だ、何故だ・・・何故あんな重圧に平気で座っていられる!」
そんな声が聞こえ始めた。
また何も知らぬ一般客の頭を茶色に染めた若者達クループからは
「なんだ、ワイヤーアクションをしないのか、
俺、香港でアクション映画の撮影現場を見てきたんだ。そりゃあ凄かったぜ。
日野あきあの撮影だからってきたんだけれどなんだガッカリ・・・・帰ろうかな・・・」
「じゃあ、帰れば・・・・私あきあのファンだからね」
と冷たい返事の彼女に慌てる男・・・という図があちこちで見られるのは仕方ないところか・・・・
「うち達、沙希姫様の試合なんてよう見とられまへん。
帰って待っていますさかい、後でお話を・・・」
と帰っていく志保と勝枝と別れた杏奈は客席の最前列で茜と座った。
もしかしたら忙しすぎる自分の助手をすることになるかも知れない茜。
そしてその横にはひづると緑。
昨夜、ひづるの部屋でビデオをみせてもらった緑、
夢中になって2度、3度と再生し
「緑姉さん!まだ見るの?」
とひづるに叱られてしまったビデオ鑑賞、聞けば5度の再生、
6度目をっとするところをひづるが止めたのだ。
「凄い!・・・凄かった・・・まさに奇跡ね」
「そうでしょ、やっている本人達も口についてくる台詞や動作も自然そのままなの。
どこにも不自然さなんてないからあとで皆でビデオを見て唖然としていたわ。
平然としていたのが沙希姉さんと薫姉さんだけよ。
天才と言われる女優の実力差にはお手上げって・・・
メグちゃんなんか沙希姉さんにタイマンをはろうとしてたのが恥ずかしいっていってたわ」
「ちょっと、ちょっとひづるちゃん。タイマンなんて言葉、誰に教えてもらったの?」
「勿論、メグちゃんよ。メグちゃんこのドラマに出る前にスケバン役でドラマに出ていたから」
「もう・・・岩佐さんもこんな言葉教えるなんていけない子ね」
「緑姉さん、大丈夫よ。うちには本物がいるんだから」
「えっ?本物って?」
「これ、内緒よ。もしわかったら酷い目にあわされるんだから」
「酷い目?・・・・」
怖そうに言うと
「違うわよ、叩かれたりとかじゃなくて、宿題を一杯出されるの」
「じゃあ・・・・」
「そうよ、私の家庭教師兼マネージャーの律ちゃん先生よ。
高校の時にバンを張っていて裏バン・総バンで活躍していたんだって、
勉強は常にトップなのにね・・・」
「そんな凄い人なの?・・・・」
「そうよ・・・それに沙希姉さんの奥さんなの」
吃驚する言葉が次々とひづるの口から飛び出してくる。
「えっ?・・・・・今、なにを言ったの?・・・・」
「だからあ・・・律ちゃん先生は沙希姉さんのお嫁さんなの!」
「えっ?・・・ええ~~・・・」
「なあんだ、緑姉さん知らなかったの?」
頷く緑に
「沙希姉さんってこのこと平気なのに他の人が隠そうとするの。
えっと~~、知っているのに知らないようにすることってどう言うんだっけ・・・」
「えっと~・・・・公然の秘密?・・・・」
「うん、それそれ・・・・
女の子のファンや記者さんは殆ど知ってるから話題にもしないんだって・・・」
「そうなの・・・・でも、私知らなかった・・・・」
「ねえ、緑姉さん。初めて知ってどう思う?」
「えっ?・・・どう思う?って・・・・じゃあ、どうして女の子の格好をしているのかなって・・・」
ひづるは緑をマジマジ見て
「あっ!緑姉さん。勘違いしてる」
「勘違い?・・・何を勘違いしてるのかしら」
「あのね、沙希姉さんて男の子だけど女の子なんだ。
よく沙希姉さんと下の温泉にはいるんだけどおちんちんがあるだけで全部女の子だもん」
「ええ~~~・・・・それじゃあ・・・」
「うん、なんて言ったかなあ。ダン・・・えっと~ダンジョ・・・」
「男女両性具有・・・」
「そう・・・それそれ・・・」
「だったら、妊娠している人って・・・」
「皆、沙希姉さんの子よ。9人の奥さんね」
「じゃあ、沙希さんって1度に9人の子持ちになるんだ」
「ううん、違うよ」
「違うって?・・・」
「沙希姉さんの子供って18人になるの」
「18人?・・・じゃあ、全員が双子なの?」
「うん、でも普通の双子じゃないんだって・・・・」
「普通の双子じゃない?・・」
「男の子と女の子の双子よ」
「でも、そんな双子ってざらにある・・・・・・・
はっ!・・まさか1卵生双生児の男女の双子?・・・」
ひづるの頷きに信じられないものを聞いた思いの緑。
「全員?・・・」
「うん・・・・でも、まだまだ増えるの」
「増えるってどれくらい?」
「わからない。だって女のお巡りさんだって看護師さんだって杏奈姉さんやケイトだって・・・・
私も大きくなったら沙希姉さんの子供産みたいもの・・・」
「一体・・・一体ここってどうなってるのよ」
なにか大声で叫びたくなる緑。
「緑姉さんは早瀬一族って知らないでしょ」
と突然話が変わる。子供ながらのつたない話であったが
でもそれは緑にもわかる長く続いた女の悲しく苦しい物語であった。
身が震えるような堪らない寂しさに襲われた緑。この日本にはまでまだ悲しい一族があったのだ、
ただのほほん・・・と生きて来たものにはとてもわからぬことだった。
血が流れてなくても一族になれる。
女の悲しみ苦しみを知っていれば一族になれる・・・それを聞くと余計に悲しさが増す緑。
そして目の前にいる二人の姿・・・・・いわばどちらも悲しみの中にいる・・・そう見える緑。
「ただ今より試合をはじめます。・・・宮本武蔵殿~~・・・」
武蔵は立ち上がった後、自ら削った櫂の木刀を右手で振り上げ振り下ろす。
その空気を引き裂く音に一瞬に身を縮じ込ませる観客達。その音で
「なんだあ?・・・」
と顔を見合わせるのだ。ただの役者でここまでの手練はない。
段々と勝負への予感がざわめいていた客席を黙らせていく。
「対するは早瀬沙希太郎殿・・・・」
日野あきあこと、早瀬沙希太郎・・・立ち上がると雪駄を脱ぎ捨て真っ白な足袋だけになった。
木刀だけの沙希太郎に対して、持つは木刀だが腰には大小を差している武蔵。
「なお、勝負審判として桂小五郎殿・・・・」
それだけ言うとホッと身体から力が抜ける天鏡・・・
周りにいる武者僧達もまるで自分がこの役を負っていたかのように崩れるように座り込んだ。
夕べいきなり言われた重責、沙希が頼んだというのだ。
いつも陰に居る天鏡お兄ちゃんに一度表舞台に立てたいという沙希の願い。
その願いにいきり立った天鏡だが武者僧達にはいやはや・・・・泣きがはいることしきりだった。
これを見ていたのが朝早く撮影道具の点検に来ていた小野監督だ。
「天鏡くん、どうしてうまくやろうとするんだい?君はこんなこと初めてなんだろう?
それを初手からうまくやろうだなんて欲深いもいいところだよ。
失敗してもいいじゃないか・・・それをつつがなく終えればなおいい。・
・・身体の力を抜いておけよ・・・」
とポンと肩を叩いて撮影用具を見に行ったと言う。天鏡にとって素晴らしいアドバイスとなった。
つつがなく・・・つつがなく終わった呼び出しに立ち上がった二人を目に収める天鏡・・・
今度はそれこそ身体に力が入っていく。
「なんだい、宮本武蔵に今度は桂小五郎か・・・・
だいたい時代が違うじゃないか、ふざけるなといいたいね」
と言いたい放題の若者だがこれがただの撮影じゃないと薄々わかってきた
周囲の一般客に睨まれるしまつ。
「なんだい、なんだい・・・」
といきがった言葉を言っていたが仲間として来ていたはずの女の子に
「ば~か・・・」
とそれぞれに言われて立つ瀬がなくなってしまった。
女の子にはどういうわけかこの試合の意味がすでにわかっていたのだ。
「日野あきあって凄い・・・・」
「あの馬鹿が軽口いっているけど、この試合のこの雰囲気にあんた感じているの?
・・・と聞きたいわね」
「男なんか放っときましょうよ」
観客達の二人を見る眼がぐっと変わってきたのだ。
そして、この試合の解説を頼まれた荒巻重蔵十段と川原剛三十段・・・
今、日本の剣道界の最高峰として君臨する二人が
解説をと言ってきた東西テレビには固辞していたのだが
若いときからお世話になっている方からぜひにと頼まれ断れなくなったのだ。
たかが女優の撮影・・・そう見ていた二人が・・・・
その身体が固まったように動けなくなってしまったのは試合場に出てきて座る二人を見てからだった。
「おい!・・・あれは・・・」
「ふ~む・・・あの宮本武蔵と名乗る男から発せられる気力と重圧、とても常人のものではない」
「だが剛三よ、あの日野あきあという女優も只者ではないぞ。
あの武蔵の気力と重圧を柳に風と受け流しておる。あんなことができるものか」
と言った時、二人の後ろから
「おほほほ・・・おぬしらには出来まい」
という声がして
「なにをっ」
と振り返った二人、とたんに固まってしまった。
そこには二人の師・三橋清十郎十段が立っていたのだ。
小柄でひょろっとした体躯だが侮ってはならない、
その身体から片手上段の荒業が繰り出されると防ぎようがなかったものだ。
「失礼するよ」
と言って二人の間に腰掛けた先生、さすがに二人はガタつかぬが言葉は出ない。
この先生数年前に永眠されたのに・・・。
「そうわしの顔をジロジロ見るものではない。おぬし等の知る通りわしは天に上ったが、
この試合を見るために仏に断りを入れてきたのじゃ」
「先生!!・・・」
「おほほほ・・・大の大人が泣くでない。隣の男が不思議がっておろうに・・・」
「どうしました?・・・荒巻十段と川原十段」
いきなり袂から日本手ぬぐいを出して涙を拭きだした二人に解説スタッフが不思議そうな顔をする。
「あの~そちらの方は?・・・」
「わしか、わしは三橋清十郎じゃ」
「三橋・・・清十郎さん・・・ええ~じゃあ数年前にお亡くなりになった・・・」
「ほほう~おぬし、わしを見ても驚かないようじゃな、
さすれば平将門の時か藤原元方の時にその場にいたのか」
「はい、怨霊・藤原元方と日野あきあの戦いの時にその場にいました。
あきあの絡む事件に驚いていたら寿命がどれだけあっても足らないでしょうね」
「ほほほ・・・どうじゃ、剣の道を知らぬ男でもこれほど豪胆になれるのじゃぞ」
「は・・・はい・・・」
と返事した荒巻重蔵、いきなり手ぬぐいを顔からはずして
「先生!・・・ではあの宮本武蔵は・・・」
「本物じゃ、天で修行した分生前より強いかもしれぬ」
「では、先生あの日野あきあという女優に勝てる通りはないのでは?」
「ふふふ、そう思うか?あきあ殿・・・いや天界では本名から沙希殿と呼んでいるが、
沙希殿と立ち会われたあの沖田総司殿が古今東西の剣客の中では早瀬沙希殿が一番強い!
と断言しとられる事、おぬし達はどう見る」
「えっ?・・・沖田総司と・・・・沖田総司と試合をしたのですか?」
「いやだなあ、沖田総司・・沖田総司って人の名前をそう呼ばないでくださいよ」
「えっ?・・・」
と振り返ると若い侍が立っていた。
立ち上がろうとする二人に・・・まあまあと座るように促す沖田。
「あっ!沖田さん」
とスタッフから声、
「やあ、あなた達でしたか」
「はい」
「それじゃあ、教えといてあげましょう。
武蔵との試合より希佐殿との試合のほうが沙希殿は苦労すると思いますよ」
「沖田さん・・・じゃあ・・・」
「はい、三橋さんがこの間見ていた時よりも希佐殿の剣に鋭さが増しました。
なにしろあの弦四郎殿との立会いで3本に2本は取れるようになりましたし、
私との立会いではあの恐ろしい技の確立があがりましたよ。
いやあもう散々です。しばらくは私の右腕は使い物にならないでしょう」
「むほほほ・・・これは楽しみですなあ」
「いやあ、わたしはこれでも希佐殿の立会い人ですからこれから敵情視察です。
三橋さん、では・・・」
と去っていく沖田総司。
「おぬし達、今の沖田さんの言葉をどう見る」
「はい、沖田さんは一言も武蔵殿のことを言われませんでした」
「そうじゃ、あの人の眼中にはもう武蔵などいない。今あるのは早瀬沙希と結城希佐の試合だけじゃ」
「あの武蔵が恐るに足りないと思われる根拠がわかりせん」
「沖田さんは天界で武蔵と立ち会われているのじゃ。
そのときの武蔵の剣を鬼のような剣技といわれた。
だが沖田さんには生前に立ち会われた沙希殿との立会いが頭から離れてはおらぬ。
身体が動けぬ恐ろしさといわれた。剣が見えないとも言われておった。
沖田殿の完敗であり、その夜身体の震えがとまらず眠れなかったは初めての事・・・」
「そんな・・・そんな剣士なのですかあのあきあという人は・・・」
「そうじゃ、わしがいくら束になってもかなわぬお人じゃ・・・」
「それじゃあ・・・・」
この日本で一番強い・・・・と言いかけるが
「剛三、お主が思うより遥か上のお人ぞ。この地球上で一番強い・・そんなお方じゃ。
なにしろ仏の力をうちに秘めておられる」
そういう清十郎の視線の先で武蔵と沙希の名前が呼ばれ、両者向かい合ったのだ。
★
『こなくそっ』
武蔵はそう言い捨て櫂の木刀を上段に振り上げ、じりじりと沙希太郎との間合いを狭めていく。
沙希太郎は下段の構えから両者の間隔が狭まったことにより地擦りに構えを変えた。
そのとき武蔵が飛ぶようにジャンプし、木刀を振り下ろしてきた。
沙希太郎はそれを受けもせず、スーっと後ろに下がる。武蔵から言えば間合いをはずされたのだ。
武蔵は休まず木刀を斜めに振り上げ、横に振り払う。
間合いは瞬時に外され、武蔵の目からは沙希太郎の姿がまるで2重にも3重にもぶれてみえる。
静の沙希太郎・・・動の武蔵・・・そう思えたが、
次の一振りで沙希太郎の木刀に絡め取られるように
武蔵の櫂の木刀は天高く飛ばされてしまった。
「凄い!・・・」
思わず声が出てしまう観客達・・・試合の緊張感で身体がどうにも出来ない。
次の瞬間、武蔵は腰の二刀を抜いたのだ。
右手に大刀、左手に小刀・・・その本身が陽にきらきらと輝いて美しい。
武蔵は大小を十字に交差し、沙希太郎の喉を目掛けて身体ごと突き進む。
沙希太郎の首を挟み込もうというのか・・・・場内からの悲鳴があがった。
だが、身体中を縮めた沙希太郎は瞬時に木刀を後ろに投げ、
その十字の交点を両手の平の横で挟み込んだ。これが二刀に対する白刃取りなのだ。
武蔵が引こうが押そうがびくとも動かない。
沙希太郎が折り曲げた足をバネにしてそのまま上に飛び上がると
大小の刀が武蔵の手を離れて沙希太郎と共に宙にあった。それに向かって青白い光が刀にむかう。
『パリン』という音がして武蔵の小刀が本身の中ほどから真っ二つに折られて
刃先がくるくる回り客席の前まで飛んできた。客達が覗いて見ればそれが光輝く真剣の刃とわかる。
沙希太郎は着地のあと再び後ろにとんだ。回転しながら飛んだ距離は約10m・・・
沙希太郎こと日野あきあがもう常人ではないのはあきらかだ。
これでこの試合のことがどういうものかが判ろうはずだ。
「沙希殿!」
声と共に1本の刀が投げ入れられてきた。
”名刀菊一文字”・・・を宙でつかんで着地する。そこに宙で掴み取った大刀を持つ武蔵が襲い掛かった。
瞬時に飛び上がった沙希太郎が降り立ったのは・・・武蔵の大刀の峰の上だ。
”牛若丸の八双とび”宙で回転してそのまま降り立った。ゆっくりと菊一文字を腰に差した沙希太郎、
一方の武蔵の大刀、重さを感じずどう振っても沙希太郎が動かない。
武蔵の憤怒の表情は変わらないがその実、心の中が冷え切っていた。
背筋がぞっとして筋肉が硬直していたのだ。
実際こんな恐ろしい相手は初めてだった。できる事なら逃げ出したかった。
でも今まで築き上げてきた”宮本武蔵”という看板が許してはくれない。
戦って勝たなければならないのだ。しかし、相手の剣がどうも見えない。この先の剣技も判らない。
もうどうしようもない立場にたたされていた。
「終わったな」
と坂本竜馬がつぶやいたようにもう試合は決していた。
だがやはり武蔵は武蔵だった。・・・・・大刀を地面にたたきつけた。
瞬間に飛んだ沙希太郎・・・今度は宙に留まり腰の大刀菊一文字を抜いた。
銀色に光る刀身を鍔元から左手の親指と人差し指で挟むとまるで見えない鞘を抜いていくのだ。
そこから現れた刀身は青白く光っている。
その大刀を斜め上段に構えた沙希太郎の口から『破邪!雷光剣!』と声があがった。
雲一つ無い空から雷が武蔵を貫くが武蔵もさるもの、右手で大刀を天高く掲げ、
左手で拾い上げた櫂の木刀を地面に突き刺した。つまり右手から左手に電流を逃がしたのだ。
「さすがは武蔵殿、とっさの判断恐れ入ります。では次の剣技うけてそうらえ・・」
中空から降り立った沙希太郎が次にくりだしたのは『秘剣・円月天空斬』
陽を背にした武蔵に対し、下段に構えた剣がゆっくりと回りだす。
流れるような刀身の光が武蔵の目を捉えてまどろみの世界に誘い込んでいった。
「たあ~!・・・」
という掛け声で武蔵の首筋を打つ沙希太郎。打ったといっても寸止めだ。
がっくりとくずれおち、膝をつく武蔵・・・・・
「それまで!・・・・・勝者、早瀬沙希太郎殿・・・」
桂小五郎が高らかに勝ち名乗りをあげた。
「む・・・無念!・・・」
と負けた武蔵を数人の武者僧達が会場横につくられた控室につれていく。
「ほ~う・・・」
客席からなんとも言えぬ嘆声がもれる。まるで白昼夢を見たようだった。
観客が立ち上がり歓声と拍手そしてウエ~ブが場内を包む。
テレビや映画で見たことがある剣術の試合・・・・
でも今、目の前で繰り広げられた二人の試合は現実におこった・・・しかも真剣での試合だった。
どうして宮本武蔵がここにいるのか・・・そんな詮索はどうでもよかった。
二人で繰り広げられた本物の試合・・・・それを見られた喜びは大きい。
「なあ、見ただろ・・・見ただろ・・・凄かったなあ。
武蔵のあんな凄い剣もそうだったけど、俺・・あの小柄な沙希太郎の剣というか剣の技
・・・感動しちゃったよ」
試合前とは正反対の感想をいう若者に呆れ顔の女性達・・・。
解説の前半ををそれこそつつがなく終えた二人。
「先生!我々凄い試合を見せて貰いました。
今考えると剣道の最高位という位置にあぐらをかいていたような気がします。
これから精進します。見守っていてください」
「判ったかな?・・・剣の道は奥深い生涯精進じゃ。
だが、お前たち決してあの方の真似だけはするな」
「えっ?・・・それは?」
「剣が握れなくなる。あの方には他にも舞という才能をお持ちだが、
京舞の井上貞子殿は弟子にはあの方の真似を禁じた。真似をすると舞えなくなるのじゃ」
「そんなことが・・・・」
「別格なのじゃ。あの方はわれ等の遥か上におられる。
その方のまねをして失うものは大きいが得られるものは皆無じゃ」
「わかりました。先生のお言葉肝に銘じておきます」
「判ればそれでよい。よし、次じゃ・・・これは面白いのう・・・」
「えっ?・・・結城希佐という対戦相手ですか・・・」
「今年高校の部で初出場で並み居る強豪を討ち果たし、優勝しましたが、まだ高校生ですが・・・」
「ははは・・・おぬし達は何も知らされておらぬか・・・」
「えっ!・・・何でございましょう」
「結城希佐殿はのう、あの方の子孫なのじゃ」
「えっ・・・子孫??・・・先生!言われておられる意味がわかりませんが・・・・」
「そうじゃろう・・・そうじゃろう・・・それが普通じゃ。
けれどこの世には不可思議で信じられぬことがおこりうる。そのことをよく覚えておくがよい。
あの方は数年前に仏の導きで平安の世に行かれた。
そこでかの安倍晴明様の元で陰陽道を10年間にわたり修行をされたのじゃ。
されどこの平成に戻れば数分の時の不思議・・・
その上あの方のあの若さは鬼になった兄弟子を救おうと
術を途中で止めて返りを浴びなさった結果なのじゃ。
誰よりも強くて誰よりも優しい・・・それがあの方なのだ」
「そういう人なのですか・・・」
「そして、ついこの間怨霊・藤原元方が復活する事件がおこった」
「えっ?・・・そんなことが?・・・」
「ははは・・・おぬし達ものんきよのう。あやうくこの京が焼き野原にされるところじゃった。
その上、幼き少女達が連れ去られ地獄の亡者どもに生気を奪われていた。
へたをすると晴明神社が焼き討ちに合い、
この京の結界が破れて朱雀門が開いていたのかもしれないのだ」
「そんなことがあったのですか・・・」
「それもだ、少女を連れ去られた親たちによってだ。
子供をかどわかされた親が命令されればどのように動くかおぬし達も人の親だ。わかるであろう」
「は・・・はい・・」
「元方を倒せるのはあの方だけだ。結局は使うことはなかったが元方を封印できる笛を求めて
あの方は幕末のこの京に陰陽の術でその笛を持つ坂本竜馬殿に会いにこられた。
そこで会われたのがあの方の奥方となる結城道場の娘なのだ。
そしてその血を継ぐ結城希佐・・・あの方の子孫になる」
「なにか、信じられませぬ」
「そうであろう、すぐに信じよといっても信じられぬがどおり。
だが、信じよ。信じられなくともよいが信じるのじゃ特に結城希佐という少女をな」
「わかりました。これからあの結城希佐という少女を常に見つめておけ・・・と言われるのですね」
「うふふふ・・・もう何もいうことはないのう。あとはこの試合を見るだけじゃ」
三橋清十郎はおのれの言葉を汲み取ったこの弟子二人に満足げな笑顔を送り試合場を見つめるのだ。
一方蓬栄上人達とこの試合をみつめる妙真尼と蓮昌尼。
特に蓮昌尼は舞以外のこういう試合を見るのは初めてだった。昨日の沙希の舞い姿と重ね合わせて
(どうして出来る・・・こんなこと・・・
貞子先生が沙希様のこんな姿を見るのはとても出来ないといわれていたが本当だった。
剣の舞という言葉とおりの戦っていても美しいお姿・・・
でも私にはとても見ていることが出来ない)
そう妙真尼にいうと
「あなたもですか私もですよ。とてもとても見ておれぬ」
と言ったところで沙希が武蔵に勝ってほっと一息をつくのだ。
「妙真よ・・・」
「はい、お上人様」
「お前たちが沙希の戦う姿が見ることが出来ぬということはわしにもようようわかることじゃ」
「お上人様もですか?・・・」
「そうじゃ・・・・どういうわけか仏が導く沙希の前には修羅の道しかない。
とてもわし等には手伝えぬ。
沙希一人で切り開いていかねばならぬ。
わしみたいなシワ枯れ爺を肉親の爺と呼んでくれるあの子の優しさ。
その沙希に報いるのは見つめていくしかないのじゃ」
「お上人様・・・そのことはとてもわかるのでございます。
あのお方は身寄りのない私に・・・・初めてあったそのときにばば様と呼んでくださいました。
どれほどありがたく嬉しかったか・・・隙間風の吹く寂しい身の上・・・
その心の中が一度に暖かくなった思い・・・初めてでございました」
「妙真様・・・それは私も同じでございます。
妹を亡くし、独りぼっちになった私・・・
仏の道に入ったとはいえ寂しい身の上には変わりはありません。
それをあの方は暖かく迎えてくれました。妙真様と庵を守りながらもこの先、
その日その日にあの方の笑顔を見る楽しみ・・・こんなにありがたいことはありません」
「妙真・・・蓮昌・・・そんなお前達にこの先、どんな福音が待っているやも知れぬぞ」
「福音?・・・蓬栄様!・・・それはどのような・・・」
「わははは・・・まあよい、楽しみに待っておれ」
それを聞いていた峰厳和尚も宋円和尚も楽しげに笑うのが印象的といえばそうなのだが・・・・・
観客席の一番端の目立たないところにいたのは早瀬の女達だ。
沙希が勝った時飛び上がって喜んだ女達、この後の試合のことを思うと複雑な心境になるが
一先ずは安心して腰を落ち着けた。その中に京子や智子、ケイトといったマスコミ関係。
そしてその横に杏奈と並ぶ沖茜、ひづると並ぶ沖緑の姿があった。
「こんなこと・・・本当に見られるなんて思わなかった。どうしてこんなこと出来るの?・・・」
「それは沙希だから・・・この地球上で沙希だけしか出来ないことなの。
他の誰が真似をしようとしても出来るものではないわ」
「どうして沙希さんだけが・・・・」
「それは判らない・・・沙希にだって判っていないわ」
「私ね・・・・夕べから夢を見ているみたい。本当よ・・・」
茜が杏奈に向かって言った。
「私だって・・・昨日までママの身体のこと心配のしつづけだったわ。
そのママを引っ張り出していったパパ、
どこに行くのも二人一緒だったけれどこんな時迄・・・って、パパのこと恨んでいたの」
と緑が続く。
「だからママから電話をもらったとき心臓が止まるほどだったわ。
家を出て行く時と打って変わった元気な声で
『ママ、今から入院するから今から言うものを持ってきてちょうだい』
って・・・訳が判らないことばかりだった」
茜が言うのを
「ママに言われたものを用意して取り合えず茜とタクシーに飛び乗ったんです
その時は何も考えていなかったんですが、いざ着いてみると驚きました。
ママが『井上先生のところ』って言われたので、てっきり井上という病院かなって思ってきてみたら
京舞の井上先生のところじゃないですか、茜と顔を見合わせて『ええ~?』って吃驚仰天・・・・
玄関を開けるとそのママが出かける前と打って変わって
溌剌とした様子で立っているのを見て、もう言葉もありませんでした」
「それだけじゃないわ、こんなところにママが入院?・・・って、
首をかしげながら連れて行かれたのが地下の病院・・・
なんか未来の病院に来たみたいだった。
ママの病室もそう・・・それにあの地下の温泉ったら・・・・もう驚きの連続よ・・・」
茜の声が少し大きくなる。
「驚きはそれでは終わらなかった・・・・
あのお稽古場での出来事はそれ以上の驚きの連続でしたわ。
まさかわたし達のご先祖様に・・・いいえ、あんな有名な人たちにお会い出来るなんて・・・」
「それにあの女優・・・日野あきあを目の前にあんな力を・・・
あんな芸を見ることが出来るなんて思っても見ないことだったわ」
「それに、今日でしょ。今の宮本武蔵との試合ってもう呆然でした」
「さあ、次よ。今日のメイン・イベント・・・・希佐との試合だわ」
★
希佐は震えていた・・・武者震い?・・・・いや、嬉しさの余りの興奮によるためだ。
相手はあの宮本武蔵を破った・・・沖田総司が昔からの剣客で一番強いと言われた・・
その通りの人だった。
勝負は時の運とあの人は言ったが、武蔵にしたって実力の差がありすぎたのだ。
そんな人と渡りあえる・・・・勿論、勝負なんて二の次だ。
まずはあの人の剣から鍔鳴りをさせてみせる。
沖田総司から聞いたのだ。
あの人が幕末最後の日に門弟達につけた稽古、沖田でさえ背筋が寒くなったという。
門弟15人に汗もかかず息も上がらず、鍔鳴りさえしなかった。
希佐の目的はただ一点・・・その鍔鳴りをさせることだった。
沖田の言う恐ろしい剣というがあの人には通用しないだろう。あの人の方が余程恐ろしい・・・・。
その希佐の前で目を光らせる結城弦四郎。可愛くて仕方がない希佐ではあるが、
その希佐を見ていると、どうしてもあの日を思い出してしまう。
源太郎が教えてくれた『気孔』という術を使う舞妓のこと・・・
その術をもっと見たいがため道場を探しているという。
泥棒が吹っ飛んだというその術、
隣で聞いていた娘の和葉が『埒もない』と鼻で笑うが、
弦四郎にはその術も清水一家を片付けたというその舞妓の腕にも興味を持ったのである。
そしてその日、男姿で『早瀬沙希太郎』と名乗ったその人物から、
弦四郎は並々ならぬ実力というより・・・
一目見た瞬間に・・・敵わぬ・・・と悟ったのだ。
強い!・・・強すぎる!・・・小さくてひ弱そうなその身体から
大きな岩が目の前に立ちふさがるような感さえ持った。
和葉がその体躯から侮ったようなそぶりなのを横目で見て
『ああ~娘もまだまだよのう』と痛感した弦四郎。
だがその和葉の様子がおかしくなったのは
『気孔』というものであの分厚い道場の板壁をぶち抜き、
立ち会った佐田の額を指で弾いただけで道場の羽目板に投げ飛ばして
おまけにあんな身体で30貫もある佐田を片手で軽々と運んだ様子を見てからだった。
急に身体が震えだし、目の焦点が膝においた手から上がらなくなった。
早瀬沙希太郎の顔を見れなくなったのだ。弦四郎にはそのわけが判らなかったが、
ふと見ると覗き窓から和葉を見つめる視線に気がついた。祇園で名代の芸妓幾松だ。
弦四郎に気づいたのか『うちにまかせて・・』というように目でものを言ってから
和葉の方に合図をおくった。
立ち上がる和葉を見送る弦四郎・・・・隣の源太郎の頬もふっとゆがむ。
こやつめ何もかも知っているな・・・そう思うが何も言えない。
結局、和葉は寝込んでしまった。弦四郎をも拒んで部屋にもいれてくれない。
夜驚いたことにあの玉屋の女将がやってきて、
娘の部屋に上がりこんで何事か話し込んでいるのが何かと気がかりだ。
女将が和葉をかかえるように弦四郎の部屋を訪れたのはしばらくしてからだ。
何事かと居住まいを正して聞くと和葉の婚礼のことだという。
しかも婚礼は今夜で、一夜限りの夫婦だというのだ。
『何事だ!』と血色ばむ弦四郎に青い顔をして頭を下げる和葉の横の女将が
「弦四郎はん、この婚礼あんたはんにどうしても承知してもらわなあきまへん。
そうせんかったら、お嬢さんの和葉はん喉をつきます。それほどのお覚悟をされているんどす。
娘はんを大事に大事に育ててきなすった弦四郎はんにも言い分はある思います。
けんどそれを今生は黙って見逃しておくれやす」
「相手は・・・・相手は誰だ!・・・」
「小沙希ちゃ・・・いいえ、早瀬沙希太郎はんどす」
いきなりの婚礼話に慌てていた弦四郎だが今日の道場での和葉の様子を思い出すと
それもありなんと思ったが、それにしても早すぎる婚礼話であった。
「こんな話信じられるかどうかわかりまへん。
けんどうちは信じます。あんなお人がこの世にいるのが信じられえへんからどす」
と少し禅問答じみてきたが、実は・・・と聞かされた話には弦四郎・・・肝を潰した。
そうだろう、あの早瀬沙希太郎が男と女の身体を持つ人間であり、
この世でない140年先の時代から来たというのだ。
よく考えてみれば沙希太郎ほどの人物この世にいるはずはないと思えてくる。
「小沙希ちゃんは時の決まりでもう明日しかこの時代におられまへん。
そやから今日しか婚礼があげられまへんのどす。夫婦の交わりは身体だけやおへん。
心の交わりがあってこそのもんどす。
そやから和葉はんにはじっくりと夫婦の時間を過ごしてほしいんどす」
そんな玉屋の女将のお園の言葉に弦四郎は
「和葉!・・・お前はいいのか?・・・もしやこのまま、後々一人で暮らさねばならぬのだぞ・・・
一度嫁したものには、もう良い縁談は来ぬ・・・そう覚悟しておろうな」
「父上!・・・私の夫は沙希太郎様しかおられませぬ・・・」
「そうか・・・・そう覚悟しておるのならば、わしはもう何もいわぬ」
「は・・はい!父上!・・・わ・・私の我儘・・・・」
と言って平伏したっきり泣き出してしまった和葉だった。
そんな和葉にまさか子供が・・・しかも男と女の双子だなんて・・・
そして今、目の前で木刀を振る希佐・・・和葉の子孫なのだ。
今からする試合相手こそ希佐の先祖にあたる沙希太郎・・・・どちらも勝て!とは思うのだが、
最強の剣士に対する希佐に日頃鍛錬していることもあり、どうしても思いがいくのは仕方あるまい。
★★
「結城希佐殿~~・・・・」
「早瀬沙希殿~~・・・・」
「立会審判・・・桂小五郎殿~~・・・・」
高らかに読み上げる天鏡の声、2回目ともあって伸び伸びと響く。
真っ白な剣道着と袴の結城希佐・・・防具は濃紺。
一方の沙希も剣道着と袴は同じ白だが、防具も白で統一している。
「始め!」
の声で互いの竹刀をあわせる両者・・・3本勝負だ。
構えを青眼に取る両者・・・足は止まったままだ。
必死の希佐の様子が伺える沙希は思わず面の下でふっと笑みを浮かべた。
しばらくすると希佐の足がじりじりと沙希の周りをすり足で動き始める。
両者の間に流れる涼風が心地よい。
やがて・・・ふっと再び笑みを洩らした沙希が構えを変えた。青眼から水月に・・・である。
とたんに希佐の動きが止まった。というより動けなくなったのだ。
希佐の喉元にあてられた切っ先がぐんぐんと迫ってきて、
それと共に沙希の姿が岩のように大きくなって圧倒されたのだ。
最初、希佐には沖田総司がいうように沙希と対して見て恐ろしいという感じは受けなかった。
でも、まるで風の中に立つ柳のように柔らかな力強さは感じていた。
ところがである・・・この圧倒的な力強さはどうだ・・・その恐ろしさに震えがきて止まらない。
足が萎えて腰を落としそうになる・・・手が萎えて竹刀が手から落ちそうだ。
「沙希太郎め!希佐に手加減してやらぬのか」
「あははは・・・何を言う、弦四郎。その言葉お主が一番嫌いだろうに・・・
さては孝行爺に成り果てたか」
「うっ!」
と言葉を詰まらせる弦四郎に
「しかし・・・・」
と話を続ける源太郎。
「沙希殿、あの無音の術といい、この剣技といいどこまで強いのか・・・」
「のう、お主」
と竜馬の隣に立ったのは先ほどの試合で完敗した宮本武蔵だ。
「あの者、あんな技を持っているのか」
「これは武蔵殿、お主ほどの男が沙希殿の身目に惑わされていたとは思えぬが・・」
「いや、そうではない。・・・が、そうであったのであろうな。
わしはあんなひ弱い者と思って対峙した・・・けれどとんでもなかった。
あの者・・・いや、沙希と呼ばれるあの者は羊の皮を被った狼というより化け物であった。
あんな恐ろしい目にあったのは初めてだ」
「武蔵殿も沖田と同じことをいわれる」
「沖田?・・・ああ、あの若者か・・・あの男も強い。けれど沙希殿は別格じゃ・・・・」
武蔵の表情から何かを読んだのか
「武蔵殿!・・・お主・・わざと菩薩様に喧嘩を吹っかけて沙希殿と試合を?・・・・」
「ばれましたか・・・やはり、お主も幕末の偉人といわれる人物だ。隠しきれぬのう・・・」
「もしや・・・仏もこのことを?・・・」
「知っておられる」
「やれやれ・・・知っておられてこの有様ですか。
あとで沙希殿が知ればどのようなことになりますか・・・・」
「竜馬殿!・・・内緒じゃ・・・内緒じゃ」
「あはははは・・・武蔵殿も沙希殿が怖いとみゆる」
一方解説席の荒巻重蔵十段と川原剛三十段は沙希の剣技を見て
「あの技は・・・・」
と唸ってしまった。
「お主らも知っておろう、幻の技『無明剣』じゃ。型はいくらでも真似は出来る。
しかし、心技体が揃わなければ出来ぬ技じゃ。ふ~む・・・見事な・・・」
「だが、あの希佐という娘も見事な胆力・・・・」
その希佐は、弦四郎に教えてもらった丹田に精神を集中して
へこたれそうな気力をなんとか立て直していた。
剣を青眼から上段に構え、視線を沙希の足元におこうとしたが切っ先から視線が離れないのだ。
このままでは体力も気力も萎えてしまうと思った瞬間に
「キェィ!」
と気合もろとも竹刀を打ち下ろしながら飛び込んでいた。
でも、持っていた竹刀を巻き上げられ宙に高く飛ばされ、『胴』を奪われてしまった。
「一本!・・・・早瀬沙希殿!」
さっさと椅子に座る沙希に比べ、希佐の動きがぎこちない。足も手も何もかもが重たいのだ。
竹刀を拾いようやく椅子に座った希佐、面を取って京に渡されたタオルで顔を拭くが
どっと着物のうちに冷や汗をかいているのがわかる。
沙希を見ると面を外した顔は汗一つない。なんだか悔しさで一杯になった。
(よし、今度は何とか一泡かかせてみせるわ)
と勝たないまでも沙希に冷や汗ひとつかかせようと決心するのだ。
「2番勝負!・・・」
と桂が呼び上げる。
再び向かい合う二人・・・・互いの青眼の構えは同じ・・・でも今度は沙希が動いた。
右上段に構えを変えたのだ。
希佐は青眼の構えを変えてはいない。
沙希が胴を狙って飛び込んできた。希佐が受けて小手をかえす。
今度は沙希がその小手を竹刀で受け跳ね上げた。・・・・と希佐の片手面が沙希を襲った。
いづれも決め手ではない。
でも、派手な打ち合いではじまったこの試合、客の興奮もいやがうえに高まってきた。
希佐の飛び込み面・・・・小手・・・胴・・・互いの竹刀の応酬に希佐の汗が飛び散る。
しかし、どうしても沙希の竹刀から鍔鳴りがしないのだ。息があがって呼吸が苦しい・・・・・
やっと両者が跳び下がり、間合いが開いた。
と、沙希が再び右手上段に竹刀を持ち替えて希佐に向かって走ってくる。
(今だ!・・・・)右下段に構えた希佐は地面すれすれに切っ先をおき、跳ね上げたのだ。
そしてそれからの変化は疾風怒濤の感があり沙希の右肩に竹刀を打つ!・・・
しかし、どういうことか・・・外されてしまい、その空を切る感覚に『ドキッ』と心臓が波だった。
希佐には判らなかったが、沙希は希佐の竹刀を受ける瞬間に左方向に直角に曲がってしまったのだ。
どうしてあんなことが出来る・・・・。
あのまま通り過ぎれば沖田が言うあの恐ろしい剣で右肩を打たれていたのだ。
「あんなことされたら、もうどうしようもないじゃないか」
思わず叫んでしまった沖田の叫びに頷く武蔵達。
ガクッときた一瞬の油断、
右下段の構えから地面すれすれの切っ先を跳ね上げて変化をさせ、
右肩を打つ・・・・一度見せた技をもう盗まれていた。
右肩を押さえながら膝をついた希佐・・・ようようと椅子に座り込んだ。
あとがない3番勝負・・・向かい合う両者には段違いの力の差があることはあきらかなのに
それでもなお観客はこの勝負に酔っていた。
毎日の鍛錬で鍛えていたはずの希佐の身体が限界を向かえ、
足や腰・・・青眼に構える手からも力が抜けて切っ先がフラフラと定まらない。
しかし、これからが希佐に与える沙希の愛情となった。
沙希の切っ先がピッタリと希佐の切っ先に引っ付く。
そこから流れ込んでくるエネルギー・・・・・そう希佐には感じられたのだ。
身体中に光がかけめぐる・・・さあ、私に付いていらしゃい・・・
沙希に引き上げられ、まるで舞を舞うが如く剣技を披露する二人に
その場にいる者全員が白夜に舞う蝶を見るが如く呆然とたたずみ、
ただただ息を呑んで見つめるだけであった。
そして・・・・向かい合う二人、互いに構えるは下段・・・そして、地擦りに変えた構えから
互いの竹刀が弧を描いていく。真剣のような光の美しさはないが描く弧の柔らかさがあった。
・・・・『秘剣・円月天空斬』この剣技をあなたが引き継ぐの・・・というように
沙希に引かれながら弧を描いていくが沙希の竹刀が弧を描き終わった瞬間、希佐は地面に崩れ落ちた。
失神した希佐の顔・・・その表情はまるで母親に抱かれている赤子のようないたいけな笑顔があった。
はっと我を取り戻した審判の桂小五郎。驚いたように一瞬沙希を見つめていたが
「勝者!・・・早瀬沙希殿!・・・」
と勝ち名乗りをあげた。
「ほ~う・・・・」
まどろみから覚めた観客席の全員がため息をついた。それほど今の勝負に引き込まれていたのだ。
目の前では沙希が希佐をしっかり両手で抱き上げて客席に礼をする。
そしてゆっくりとそのまま希佐の控室へと向かっていった。
夢から覚めた天界の武士たちではまず
「我等は天界の人間じゃ。だが今のは全く別の世界であった。
沙希殿に引き込まれて我等全員が見せられた夢であったかもしれぬ。
けんどこんなことわしは現世におったときも経験しておらぬ」
武蔵が叫ぶ。
「私も武蔵殿と同じ気持ちですよ。
強いと思っていた沙希殿がこれほどの者とは、私や武蔵殿が敵わぬのもドオリですね」
「ふ~・・・ため息だけですよね、坂本さん。私には何もいうことありませんぜ」
「一番驚いていたのはあいつだぜ。何しろ目の前で見せられていたからな。あっ、戻ってきたキニ」
「あ~あ、参ったよ、坂本さん。審判していて腰を抜かすなんざあ、
赤っ恥というより腹切りもんよ。
けんど、あの驚きったらもう言葉にやあならん」
途中から憮然とする桂小五郎。
審判席でも言葉がなかった。
「ふ~む・・・」
と言葉が出ぬ師匠の三橋清十郎。荒巻重蔵十段と川原剛三十段にしても圧倒的な実力差にもう呆然だ。
「先生!・・・これは?・・・」
と師の言葉を促す剛三
「わしの・・・わしの予想を遥かに超えた強さじゃった。
天空の剣・・・昔から密かにあこがれた天空の剣士、そう呼ばしてもらおう」
と言ったっきり黙ってしまった。
荒巻重蔵十段と川原剛三十段は結城希佐を育てる天界の武士よりも
この現世側の人間として結城希佐を育てあげねば日本の剣道界の繁栄はない、
と思うことはあたりまえであった。
あの早瀬沙希は別格として剣道界の頂点に立つべき若きホープが誕生したのは喜ぶべきことなのだ。
この若い芽をつぶしては剣道界は廃れるばかりだ。
育てあげなければ・・・それにはあの天界の武士達と話し合わねばならない。
★
希佐が目を覚ました時、上から覗き込んでニッコリと笑う沙希の顔があった。
いつものように舞妓姿の沙希に
「もう沙希さんの意地悪!・・・・」
と胸に飛び掛って抱きつき、両手で叩く。
「あらあら、甘えたはんどすなあ?皆さん笑っとりますえ」
と言う言葉に
「えっ?・・・」
と声を上げて沙希の胸に顔を押し当てたまま片目で振り返る希佐。
そこには希佐が寝させられていた布団を囲むようにしてたくさんの人が見ていたのだ。
「きゃあ~・・・」
と声を上げて慌てて布団の中に隠れてしまう。
この様子を見ていた女達や天界の武士達の笑いが響いた。
「希佐ちゃん、あんたずっと小沙希ちゃんに抱いて貰ったまま、ここまで帰ってきたんえ」
「ほんと、希佐ったら幸せそうに気絶して・・・」
と貞子と母にからかわれて
「嘘!・・」
と掛け布団の中から声を上げる。
「希佐ちゃんったら、気失うとんのにうちに抱きついたまんま離れえへんのどす」
「ほんとに?・・・」
「へえ・・・その上、『お母ちゃんおっぱい』って言うんどすえ」
と笑いながら言う小沙希。
「それ、嘘です、私そんなこと言いません!」
と怒って否定する希佐に
「へえ、今の嘘です・・・」
とすぐに嘘をばら小沙希。
「もう・・・・沙希さんの意地悪!」
と再びそう小沙希に言って掛け布団を頭のところまで引き上げる希佐。
「あのね、希佐ちゃん。・・・希佐ちゃんに用がある言うてお客さんが来とるんどす」
小沙希の言葉に
「えっ?・・・」
と顔半分を掛け布団から出して居間の様子を覗く希佐。
確かに女達、武士達、僧侶達の中に混じって見知らぬ顔が3人、こちらを見ているのがわかった。
「希佐!・・・お客様からお話を伺うのに寝ていては失礼ですよ」
と母の希美子がいうのを
「あっ、そのまま・・・そのままで聞いていただいたら結構です」
と客の一人が言うのを
「いえいえ・・・」
と希佐を起こす希美子。さすがに武士の血を引く家系だ。礼儀は心得ている。
身体を起こして希佐はいつのまにか寝巻きに着かえさせられていたのに気づきハッとするが、
すぐに希美子が丹前を上から着せてくれたのでほっとして座りなおした。
「希佐ちゃん、・・・そこにお座りの3人の方がお客様どす」
と居間の中央に座る3人の男性を紹介する。
「まずは真中におられる方が三橋清十郎様どす」
「えっ?・・・三橋先生といえば数年前にお亡くなりになったと・・・」
「へえ、三橋先生は確かに今は天界におられるお方どす」
「その方がどうして?・・・・」
「希佐ちゃん!その訳は後二人のお方を紹介してからのことどす」
「えっ・・・あっ!はい」
「右におられるのが荒巻重蔵様。左におられるのが川原剛三様どす」
「えっ?・・・荒巻十段も川原十段も私にとって新聞や雑誌だけで
お目にかかれる剣道界の最高峰のお二人です。その人達がどうしてここに?」
「その訳は三橋先生にお伺いしまひょ」
と言った沙希に三橋清十郎は座を一歩進めて
「希佐殿には初めてお目にかかる。
ここにきた訳を話す前にまずはわしのことを話しておかねばならぬ。
希佐殿が先ほど言っておられたようにわしは今より5年前にこの世を去り、
そして天界に上がって知り合ったのがここにおられるお歴々だった。
そこで衝撃を受けたのがわしがやってきた剣道と剣術の違いじゃ。
近頃とみにささやかれるのが武道のスポーツ化じゃで、
猫も杓子もルールを作ってそれに縛り付けられておる。
そのおかげか剣道というものに魅力が無くなった。だから剣道の人口も少なくなる」
「三橋さん!」
と言葉を挟んだのは沖田総司だ。
「それは時代が違うから仕方ないんじゃないですか。
私もあなたから聞いた剣道というものをもう一つ理解していないが
わたし達は自分の身を守るために剣を磨いていたんです。言わば人殺しのためです。
でもそういう危険がない現代・・・
スポーツがどうのルールがどうのというが私にはわかりませんが剣を取る人が少なくなる・・・
当然だと思いますが」
「沖田さんが言われる通りで、今の状態で剣道の人口が少なくなるのは当然だと思う。
だが剣道界に身を置いてきた者にはとても我慢は出来ぬ。
同じ武道でも柔道のように今や世界に広がっており、
剣道も世界に・・・とは言わんがもっと日本で広がりを見せてほしい」
「三原です。今三橋先生の言われた通り剣道の人口が減少しているのは確かです。
高校の体育の授業で取り入れられているおかげで
少しでも剣道に興味を持ってくれる若者がいるのが救いといえば救いなのです」
「荒巻です。どうしてこれほど柔道と剣道に差がついたといえば、
実力と人気を兼ね備えた者がいるかいないかの差だと思うのです。
警察や自衛隊のように武道を身につけなければならない職業には柔道と共に剣道も採用されています。
柔道はオリンピック競技の種目として世界中に競技人口が生まれ、剣道はそうでない。
関係者の努力に差はない・・・私はそう信じております。
でも柔道をしない人でも柔道家の名前は知っており、
ましてや田村亮子の名前を知らない人は限りなく0%にちかいでしょう。
一方、昔の剣客の名前は言えても剣道家の名前なんか一人も知らないはずです」
「必殺の剣技を持ち人気のある剣道家が現れればどれほど剣道界が活発になるか
そんな人物が現れるのをどれほど待ち望んでいたか・・・・」
と言って三橋重太郎はギロリと鋭い眼光で希佐をねめつける。
「はっきりいえば剣道界にはそのような人物が今まで出てこなかったということです」
「そして、今日。我々の目の前に結城希佐さん、あなたが現れた。
以前のあなたではない、早瀬沙希という稀代の剣客に秘剣を託された今のあなたがね」
「そうじゃ、あなたの身体に流れるのは早瀬沙希というお方の血・・・
だが、このお方・・・剣道界という世界には収まりきれぬ・・・
それは舞の世界でも同じですよのう・・・貞子さん」
「ほほほ・・・さすがは三橋はん、ようおわかりどす。
小沙希ちゃんを自由にしようなんて思たらあかんえ。
うちらみたいな平凡な人間なんかあっというまに吹っ飛ばされるんがおちや。
小沙希ちゃんは見とくんが一番ええんどす。
それも近くにいたら巻き込まれるから、遠くから見るんが安心どす。
そやけどはらはらどきどきは変わりまへん」
「なんやお婆ちゃま・・・うち、随分な言われ方え」
とぷっと膨れる小沙希。
「おほほほ・・・小沙希ちゃん。そんな膨れっ面してもあきまへん。
あんたがそんな顔をしても陰でぺろっと舌を出して喜んでいるのうち随分見てきているんえ」
「もう・・・・お婆ちゃまったら・・・」
と拗ねる小沙希。皆大笑いだがこんな様子を初めて見る荒巻と三原・・・
あの凄い剣技の持ち主と目の前の舞妓姿の女性がとうてい同じ人物とは思えず唖然としていた。
「ねえ、希佐ちゃん。三橋先生達の言いたいことわかりますえ」
沙希の言うことに希佐は頷くと
「私に公武館に入れ・・・ということですね」
「そう、さすが希佐ちゃんどす。公武館に入って鍛えるってこと、うちもそれがええ思います」
「でも、道場や爺や沖田さんとは・・・・・」
「ふふふ・・・それは心配しなくてもええんと違います?
希佐ちゃんには学校もクラブもそして道場もある・・・
それ以外に公武館に入っていろんな人達と剣をあわせることも出来るのんどす。
剣を振るのは何も強い人相手ばかりでありまへん。
弱い人相手に剣を振って何もならないという人いますけど、
どんな強い人にも油断というもんがあるんどす。
プロの武道家が素人に刺されて亡くなった事もあるんは、相手を侮った末の油断やとおもいます」
「ふ~む・・・・弱い相手にも全力で戦えといわれるんですか?」
と川原が聞く。
「へえ、たいていの武道家は弱い相手には大上段で相手を見下します。
そやからそこに油断が出来、隙が生まれ格下のお人でも勝つことができるんどす」
と言ってから希佐を振り向き
「そやから希佐ちゃんにはそんな人にはなってほしくないんえ。
どんな相手にも全力でぶつかっていく、例え強うなっても・・・。
ただただ剣を振って鍛えるだけどす。
荒巻先生、三原先生・・うちが希佐ちゃんに伝えたあの剣は今は身体の中に眠ったままどす。
そやからいくらあの剣をしよう思うても今は出来まへん。
もっともっと厳しく、もっともっと鍛えなあの剣は身体からは出てきえへんえ。
目標はまだまだ遠おすけど、希佐ちゃん!がんばっておくれやす」
そういってニッコリ笑う沙希。
その沙希が推挙する公武館に目の色を変える武士達、
「う~ん・・・公武館ですか・・・興味がありますね」
と三橋清十郎が創立した公武館にただ一人言葉にして興味を示した沖田総司。
「いつでも顔を出されてもいいんですぞ」
と沖田にむかってそういうのは三橋清十郎。
「いやあ、止めておきましょう。どうもくせになりそうです。
結城道場だけに留めておくほうが無難でしょうから・・・・」
と宮本武蔵が三橋の言葉に身を乗り出しているのを横目にそう言って笑う沖田。
「さて、小沙希ちゃん。これで舞に専念できる訳どすな」
「へえ、今週の舞の会は全力投球どす」
そう今回南座での沙希の舞のフィルムを撮影するには
舞に応じてのカメラの配置やアングルを前もって決めておかなくてはならない。
そのためのいわば予行練習を小さな劇場を借り切って催すのだ。
今回は麗香も紫苑も本番に備えて・・・というより殆ど初めて目に、。
耳に聞くことになるので必死で覚えておかなくてはならないのだ
又、全てを一人でしなくてはならない沙希も大変なのである。
なにしろこの舞を知っているのはこの世で沙希一人だけなのだから・・・。