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第二部 第十四話


「紫苑の姿が庵から突然消えてしまったのが、それからすぐでした」

と再び蓮昌尼の紫苑の話が始まった。


「慌てて探し回った結果、紫苑が琵琶を使って謡詠みと称して

祇園の界隈で流していると判りました。

私が見かけたのは清水さんに上がる階段の手前でした。

旅行者で囲まれた紫苑。すぐに近づこうとしましたが、やはり悪い者達に見張られています。

でも我慢できずに何気ない風を装って近づいて様子をみました。


不思議でした。あんなことどこで覚えたのでしょう。

見張る悪者達も首をかしげています。

よくは似ていても全然違う様子に直ぐには手を出せない・・・そう判断して少し安心しました。

けれど今度はそんな私をおかしいと思ったのか、いつのまにか後をつけられていたのです。

逃げろう!・・・そうは思いましたが、こんな風体です。

尼僧庵を調べられれば直ぐにわかってしまう・・・

そう思って自然のままにすることにしました。

今夜から見張りがつく・・・もしかしたら盗聴されるかもしれない。

気持ちが湧き立ちますが、どうしていいのか判らない。まんじりと夜明けを待ちました。

こっそりと覗くと見張りが3人に増えています。


気持ちははやるが身体が動かないんです。

何気なく部屋の中を見つめていたときです。

はっとして心臓がドキンっと波打ちました。

そうでした。1ヶ月前に紫苑の日常生活に役立つと携帯式のテレビを買ったのでした。

ある日、それを見ていた紫苑にせがまれてカード式の携帯電話を買っていたのを忘れていたのです。


もしや・・・・紫苑のバックを見ました。・・・入っていたのです。

どこにもかける事のない電話・・・

でも紫苑の役に立つならと買っておいたのがこんな時に役立つなんて・・・

まだ少しだけしか使われていませんでしたが、

取り扱い説明書には赤いペンで覚えたての丸文字を使って

ビッシリと書き込みがしてあります。きっと電話メーカーに電話したのでしょう。


今の紫苑はとても研究熱心で判らないことは、

私や・・・私が判らなかったらメーカーに聞くなどして納得いくまで勉強するんです。

機械音痴の私にとってそれがとても役立ちました。


はやる気持ちで電話に出るのを待つ・・・それはとても長く感じられました。

電話の向こうで明子先生はそんな動転している私を叱り付けられました。

明子先生には私は仏の道に入った尼僧としてではなく常盤蓮子という

先生の患者として対応されたのです。


「蓮子さん!あなたが交通事故の後遺症のため通院されているのは檀家さん達もご存知でしょう」

「はい」

「それじゃあ、いつも通り通院してらっしゃい」

「通院してもいいんですね。ご迷惑をかけることには・・・・」

「何をいってるの、そんな心配しないでいつも通りよ・・・いつも通り・・・」

「わかりました。いつも通りですね」

「そう、キョロキョロしたら駄目よ」

私の身体からスーっと力が抜けていくのを覚えています。


「実際は・・・」

と話を受け継いだ明子。

「これはえらい事になる。私のほうが慌てていたかもしれません。

実をいうと蓮子さんを病院に近づけないほうが良かったのかもと気づいたのです。

電話をかけ直そうとしても番号がわかりません。

どうしてかといえば、不妊治療のため宗太郎・恵美のご夫婦が

何度もうちの病院に通っていたからです。

そのご夫婦に赤ちゃんが出来た。少し調べればおかしいと判ることです。

だから、私はその頃にここで出会ったばかりの沙希ちゃんに連絡したんです」


皆が『えっ?』という顔になった。誰も知らされてはいなかったのだ。

「沙希ちゃん!」

という声と共にブーイングが飛んだ。


「ごめんなさい・・・これは秘密裏に運ばねばならないことだっだので・・・」

といったときに

「あっ!」

とカコのとんきょうな声があがったのだ。


「どうしたの?カコちゃん・・・」

「たいへん!・・・『ポンポコたぬ吉』が始まっちゃう・・・」

「『ポンポコたぬ吉』?」

「沙希姉さん、今ちっちゃい子達に大人気のアニメなの」

「アニメ?・・・・そうなの?・・・じゃあ、ひづるちゃん。

ひづるちゃんの部屋でカコちゃんと一緒にテレビを見てきてくれる?」


「うん、いいよ・・・・でも・・・」

「大丈夫よ、胡蝶ちゃんが帰ってきたら知らせてあげるから・・・・」

「わかったわ、カコちゃん!『ポンポコたぬ吉』を見に行こう」

と言って二人して走ってお稽古場を出ていった。


それを見ていた薫・・・いまやひづるは薫の天敵となっているのだ。

「ふ~ん、あいつ子供らしいところもあるんだ」

それを聞いた沙希が

「あら、薫姉さんも胎教のために一緒に見たいのならあの二人と一緒に行ってもいいわよ」


真っ赤になってぷ~と膨れる薫・・・

その薫の肩に顔を埋めながらげらげら笑う澪。

喧嘩を誘うこのわざとらしさに顔を真っ赤にして怒ったのが順子だ。


「はい!」

といってまるで亀の甲羅に頭を埋めるような二人・・・・

もう大笑いだ。何も知らぬ蓮昌尼さえも笑わずにはいられなかった。


笑いが静まって沙希が再び話し出した。


「うちが東京でのドラマ撮影とこの京都で国から依頼された

元方に浚われていた女の子達の治療で行き来していたときに明子先生から連絡をうけたんどす。

それからうち、明子先生の車でカコちゃんの様子を見に行きました。

案の定どした。悪いた奴らにも知恵の回る者がいるんどすなあ、

カコちゃんを抱いて悪い奴らから逃げ回る蓮昌尼様を見かけたんどす。

急いで明子先生に蓮昌尼様達の保護を頼んでから

『般若童子』に姿をかえて悪い奴らを皆たたき伏せてやりました。

空から見ても明子先生の車を尾行している様子はないのでそのまま帰ってきたしだいどす。

えっ?・・・蓮昌尼様達の隠れ家どすか?

それは蓬栄のお爺ちゃまに頼んで比叡山の檀家を世話していただきました。

勿論、武者僧のお兄ちゃま達の護衛つきどす。

他の人達の介入を悟られたくなかったので

蓮昌尼様にも知られないようにお兄ちゃま達に重々頼んでおきました」


その言葉に驚く蓮昌尼・・・比叡山の奥の院のお上人様と

その強力無双で知られる武者僧達を家族同様に話すこの人はいったい・・・


「これで2人は安心できます。

それに紫苑姉ちゃんはあの事件の時以来、もうすでにここに来ています。

姉ちゃんの身も心配することおへん。

後は悪人の出方を待つだけどした。あとは皆さんが目にした通りどす」


「小沙希ちゃん!・・・簡単に言うてはりますけど

これあんたやから出来たんえ」


「そうそう、沙希ちゃん。あんたが何もしないでジットしておこうとしても

事件のほうから飛び込んでくるのね。これではお婆様も身体は持たないわよ」


「そう言われてもうち、どうしようもおへん」

「そうねえ、これが沙希ちゃんの使命というならあきらめるほかないか」

と薫。

「それでもやっぱり、危ないことは避けないとね。沙希ちゃん」

と真理ママの忠告。


「ただいま!」

とそのとき大きな声が玄関からした、(助かった!)と内心で喜ぶ沙希。


「あら、どうしたんですか?」

廊下の障子から顔を覗かせたのは希佐だ。集まっていたみんなの様子に驚いている。


「おお、沙希太郎もいたのか」

と続いて声が聞こえた。

入ってきた武士の姿には三好屋も宗太郎・恵美夫婦、そして蓮昌尼も瞠目する。

中でも話を聞いていたが初めて会った河合涼子は飛び上がるほど驚いていた。

そんな様子をクスリと笑う婦警達。


「これは父上」

と座布団から降りて頭を下げる沙希。

「そのまま・・・そのまま・・・」

という弦四郎に座布団を持って小走りに近寄ってきた律子。

無論高弟が二人、心配そうに後ろに従っている。

「父上様・・・これを・・・・」

と律子が差し出す座布団のかわりにスッと腰から大小を抜き

律子に差し出すと袂で包み込むようにしっかり受け取るのだ。

全くの自然な行為なので、大小を渡してからハッと気づく弦四郎。


「これは、和葉・・・・いや、律子であったな」

「どちらでもよろしゅうございますわ、父上」

といってこのお稽古場の舞台横に最近作られた刀掛けに大小を掛ける律子。


「父上・・・今日は?・・・・」

沙希と向かい合って座る弦四郎。

「うむ・・・門弟たちが来るはずだったのじゃが・・・」

「門弟達?・・・大八木さん達ですか?・・・・」

「ああそうだが」

「大八木さん達ならさっきまでここにおられましたが・・・・」

「何!・・・沙希太郎・・・又なにかやったのじゃな・・・」

「あっ・・・はい・・少し悪人共を・・・・」

「又やったのか・・・しようが無い奴じゃ」

「すいませぬ・・・父上にまでご迷惑をかけて・・・」

「いや・・・・そうなると皆集まってくるやもしれぬ」

「皆さん?・・・沖田様や竜馬様たちがここにですか?」


「ああ、そうじゃ。何しろ人手が足りぬということで新たな顔が増えたからのう。

竜馬殿が沙希太郎に顔つなぎをしていたほうがよかろうと機会を伺っておったのじゃ」


それを聞いた貞子が菊野屋の花世を呼んだ。

何事かを話していたようだが

「いいどすな、うちが貸切や言うのどすえ。

以前のように置屋の女将全員どす。わかりましたな・・・」

「へえ・・・」

と言って飛び出す花世と豆奴。電話で事が足りるだろうに、どうやら走っていったようだ。


「そうそう、沙希太郎。今日は希佐に1本取られたぞ」

「えっ?父上がですか?・・・」

「ああ・・・あの太刀筋、どうにもわしには見えなかった。

鋭い切っ先が来ると思った瞬間、肩を打たれていたのじゃ」


沙希の鋭い目が希佐に注がれる。

「いえ、わたしが沖田様と剣を交えていたときに覚えた型を使ったまでのことです」

そういった希佐の言葉に被せるように

「弦四郎殿、どうです驚いたでしょう」

と言って庭から入ってきた光の中から沖田総司が出てきた。


何も知らない者たちは必死で回りの者から話を聞いている。


「沖田殿、希佐にあの剣を教えたのは貴公か?」

「とんでもないことですよ」

と律子の差し出した座布団の上に座り込んだ沖田総司、

自らの左の着物を捲り上げ、真っ赤に腫上がった左肩を見せる。


「希佐殿と稽古をしている最中にこの有様です。あっというまの出来事でしたよ。

どこがどうなって打たれたのか判らない。恐ろしい剣でした。

いわば私が最初の被害者というところですか・・・

さすがに沙希殿の血を引く人だとつくづくそう思いました」


「ねえ、希佐ちゃん」

と今では希美子の横に座っている希佐に向かって声をかける。

「明日にでも一手やろうか」

「えっ?本当ですか・・・うわ~やったあ~・・・・」

希佐の喜びったら・・・


「これは面白い!・・・・沙希太郎、どこでやるつもりじゃ」

「はい、道場では?・・・」

「駄目じゃ!道場ではせまい!・・・・せますぎる」

「ではどこでせよと・・・・」

「ふ~む・・・これはちと難問じゃのう。

その昔、徳川家の御前試合は江戸城のお庭でやったそうじゃが・・・」

「父上!・・・私と希佐ちゃんの立合いですよ。大げさ過ぎます」


「あの~・・・」

と声をあげたのは恵子だ。

「うちの署の道場はどうでしょうか?」

「でも警官の人達の道場でしょ」

「いいえ、そればかりではないんですよ。

小学校から大学までの学生たちや一般の方達も習いにきているんです。

そうだ・・・明日はそんな人たちの練習日なんです」

「う~ん・・・お邪魔にならない?・・・」

「とんでもない!あきあさんが来られるなら大勢の人達が集まってきますわ」

と言う恵子の言葉にそんなことをされては・・・と思った沙希だが

希佐の胸を膨らますような期待のこもった目を見ると断れなくなってしまった。


「それは好都合じゃ」

という声と共に庭より二筋の光が入ってきた。

「これは晴明様・・・それに竜馬様も・・・」

頭を下げる沙希に

「あきあと希佐の試合の前にあきあと立ち合ってもらいたい者が現れたのじゃ。のう、竜馬殿・・・」

「そうなのですよ、沙希殿。あなたが希佐殿との立会いを所望したことでその男の我慢が切れた」

「我慢が切れた?・・・意味がよくわかりませぬ・・・」


「沙希殿・・・ことは天界でのことですよ」

と次に入ってきたのは篠原源太郎と相良新次郎だ。

あわてて明子と恵子が立ち上がって、律子から座布団を受け取ると

各々が源太郎と新次郎に渡すのだった。

それを不思議そうに見る蓮昌尼・・・

それを横にいる希美子から新次郎が明子のご先祖だと聞くと慌てて顔をあげて見ているのだ。


沙希を中心に車座に座った武士達・・・・

その時、稽古場の廊下をすべるように小走りに通り過ぎる置屋の女将や芸妓と舞妓、

舞台の向かいの出入り口より入ってきた芸妓や舞妓はその場に控え、

女将達は台所のほうに走り去った。酒と肴の用意をするためだ。

もう以前にやったことなので慣れている。

菊野屋の芸妓と舞妓も入り口近くにすでに居を移している。


「天界と申されますと?・・・」

「ここには兵法者がいないので率直にいいますとね、

兵法者は頭が固い・・・・非常に固いのです。

おのれのやってきた修行が最大のものだと思っている。

だから転生してせっかくやってきた修行が消えてしまうのを潔しとはしない。

だから仏の進める転生など歯牙に掛けないのです。

だからと言って沙希殿の守護を・・・というと

今度は自分のためにやってきた修行を人のためになどに使わぬ。

・・・こうですからね。

仏もあきらめて消えるのを待っているのですが、

この男が消えないのです・・・生への執着心が普通の人より異常に強いのです」


「生への執着心といったって・・・・・」

「それさえも認めないんですからね・・・あきれはてたものです・・・」


「源太郎殿もひどいことをいう。

わしもそなたも1度は目指した道ではなかったのかな・・・」

「目指しただけでなったわけではない・・・・よかったですねえ、坂本さん。お互いに・・・・」

口の悪い源太郎に竜馬も苦笑いだ。


「でも、それがどうして私と希佐ちゃんの立合いに?・・・」

「兵法者が仏と約束したのですよ。

沙希殿に勝ったら転生か守護かを自ら選ぶからもし負けたら仏が選べ・・・こうなんですからね」


「だってそれじゃあ・・・・」

「そうでしょ・・・・概して兵法者の頭ってそんなもんです」

源太郎に言わせれば兵法者等、けちょんけちょんだ。


「でも、どうしてそこに私が出てくるんです?・・・」

「ああ、それは沖田さんが悪いのです・・・」

そこで酸っぱい顔をした沖田が沙希にあやまる。


「すいませぬ。私が日頃から古今東西、昔からなみいる兵法者の中で一番強いのは沙希殿だ。

あの人にかなう者などいない。と公言していましたから、

それがその男の勘にさわった・・・というわけです」

「あら、私も兵法者の一人なんですね」

と悪戯っぽくそういいかえす沙希、自分の知らぬところで試合が決められていったお返しだ。


「と・・とんでもない・・・沙希殿とあ奴を同列になんてできますか・・・

でも沙希殿には申し訳がありませんが、本当のことを言えば

この男との試合にはもうワクワクしどうしなんです」


「もう、人事だとおもったら・・・」

「沙希よ、その試合わしも見に行って良いかのう」

と今度はましろを案内に蓬栄上人がそう言いながら庭から現れた。

後ろに続くは峰厳僧侶と宋円僧侶・・・そして天鏡だ。


「峰厳も宋円もちょうど修行僧をつれて本山に来ておってのう・・・」

「あら、峰厳のお爺ちゃまも宋円のお兄ちゃまも・・・ ちょうど良いタイミングどした」

「ああ、本山からのお達しでな・・・、

今までのんべんだらりと住職をしておったのだから少しは働けと言われて、

洟垂ればかりを集めて本山への修行の責任者というわけじゃ。

どうせこの蓬栄が本山に話を通したせいじゃろうて・・・」

と悪態をつく。蓬栄上人ははただ笑うだけであったが

「何をおおせです。峰厳様、少しでも遅れようものなら急げ!急げ!と

修行僧たちを叱り付けて一刻も早く比叡山に着きたかったのはどういうわけでしょうか」

と宋円僧侶に切り返されて、『うっ』っと口をつぐむは峰厳和尚。


それを見て傍若無人に笑う天鏡だが、さっそく峰厳和尚の餌食だ。

ジロリと睨まれ、『うぐっ』と口を押さえる天鏡、目が白黒となって苦しそうだが

「天鏡!・・・おまえがそんなに笑う・・・そんなに可笑しいかえ」

といわれて

「めっ・・・めっそうもございません・・・」

慌てて謝る姿にどこか可笑しさが感じられて、プッと吹き出してしまう。


「仕方がない者達だのう・・・おぬし達二人が顔を合わせれば

そのように毎度同じ諍いを・・・・それ・・・皆が笑っておろう」

そういう蓬栄上人にも笑いが浮かんでいる。


「まあまあ・・・お爺ちゃま達とお兄ちゃま達・・・まずはお座りになって・・・・」

と勧められて武士達の横に座る僧侶達。


そこに飛び込むように庭先から入ってきた胡蝶と白虎丸・・・とその上に乗る尼僧が一人・・・

「おお・・・妙真様・・・これはどうしたことですか?」

蓮昌尼が飛び上がるように立ち上がって

この年老いた尼僧を慈しむように白虎丸から抱き下ろすのだ。


「この者達に蓮昌が待っていると言われてなあ、それで参ったのじゃ。

とにかく不思議な者達じゃて・・・」

「しかし、どうして?・・・」

と蓮昌尼は改めて沙希を見るのだ。


その沙希は、まずは式神達に声をかける。

「胡蝶ちゃん、悪いけどひづるちゃんたちが下にいるの。呼んできてくれない?・・・」

「うん、わかった・・・」

と蝶になって地下に向かう胡蝶。

「白虎丸もご苦労どした。さあ、戻って休みなさい」

と沙希に声をかけられて飛ぶように光になると沙希の体に消えていく。


「ましろちゃんもごくろうどした」

「あきあ様、私も何かお手伝いを・・・・」

「いえいえ、あなたも今日はほんに大活躍どした。さあさ、うちの体に戻ってお休みなさい」

そういわれるとにっこり笑って

「はい」

と返事をすると光になって沙希の体に消えていく。


それを呆然と見つめる二人の尼。

その尼に声をかけたのが蓬栄上人であった。

「おお、妙真ではないか・・・・」


「あっ・・・これはこれは、蓬栄上人様」

と立ち上がってそばに行こうとするが

「よいよい、ここはむくつけき男達が大勢いるのでな、その場で話を聞こう」

そう言われて蓮昌尼の横で座り込んで頭を下げる妙真尼。

無論、蓮昌尼には相手が比叡山の位の高いお上人と判ったので妙真と共に頭を下げる。


「ここにいるは私の弟子で蓮昌というものです。

蓮昌は私の庵に『妹の臨終の言葉がわからぬ。その言葉が判るよう

修行させてほしい』と飛び込んできた変わり者です」


「ほほう・・・蓮昌とやら、その臨終の言葉の謎、解けたのかな?」

「はい、我が子の命を見捨ておいても先妻の子を助けよという言葉は」

「ほう、どうして解けたのかな?」

「天の星の流れと日が昇る情景が私に与えたものです・・・」

「自然の生業から解けたと申すのか・・・」

「はい、けれどもうひとつあった意味深い私への肉親の愛は判りませんでした」


「肉親の愛?・・・」

「はい、妹がその命の淵に私への想いをかけた言葉・・・

その奥深い言葉の意味には最後まで気づかなかったのです。

人生を呪い続けた馬鹿な私を立ち直らせるに至った言葉なのに・・・」


「その意味が今では判ったともうすのか?」

「はい、けれどそれは全てそこにおられる沙希様に教えてもらったものです。

でもその一つ一つの言葉に含まれる妹の愛が私の胸に突き刺さり

どうにも自分の情けなさにたまらなくなっております」


「ほう・・・沙希が肉親の愛とな・・・」

と峰厳和尚が沙希を眺める。


「いやなお爺ちゃま・・・」

といってから

「あら、野分も嵐も来ていましたか。あなた達も私の話を聞いてくれるの?」

というと庭で『ヒヒ~ン』と嘶いてヒズメで土を掘りあげる野分。

わかったという合図だ。もう一頭の牝馬の嵐はじっと見ている。


「私の肉親の情が薄いのは皆様もご存知のとおりです。

男尊女卑の強い土地で生まれた私にとってそこはまるで地獄でした。

女の子はゴミ扱い、その女の子を助けようものなら

男たちの暴力が雨のように降り注ぐのは日常のことなのです。

優しさが罪になる・・・先ほど言いましたが

ある日女の子を助けた私に待っていたのは大人たちの制裁でした。

その私に、あの母・・・まるで鉄仮面をかぶったような母が

私の上に覆い被さり男たちの暴力から私を守ったのです。

そんな思い出が何故?・・・私から封印されていたのでしょう。

・・今思い出せば次の言葉が母の口から出た瞬間でした。

「やっかいをかけるんじゃないよ、このおとこおんなが・・・」


私の体のことはこの土地では口にするのがタブーとなっていました。

ここでは巫女だけに時々生まれると言う男女二つの性を持つ子供。

けれど長生きするのが皆無というのに私のような者が存在したのです。

そのタブーを破って母が吐き捨てるように言った言葉・・・・

その日からしばらく母は私の前に現れません。

罰があたったんだ・・・子供心にそう思いました。

実際は私をかばった傷で高熱をだして床についていたのです。


そんなことがあって子供心に疲れてしまったことは確かです。

そんなある日です。台所から包丁を持ち出して自分の喉に突き立てたのは・・・。

結局死にきれませんでした。

そして気が付いたときには母と共に夜汽車に揺られて東京に着いたんです。

どうして東京まできたのか母には聞くことが出来ません。

最後の最後まで鉄仮面をかぶり続けてきた母ですから・・・・ねえ、そうでしたね。母さん・・・・」

しみじみとした声で話し掛ける沙希。


皆は『えっ?』という顔をして沙希の視線の先を追い求めた。

『母』という他人行儀な呼び方から『母さん』という愛情のこもった呼び方をする沙希に

夫婦となった律子を始め、子供を妊娠した早瀬の女達・・・ドキッとして身を乗り出したのだ。


庭先の嵐の体が光り出し、その光が部屋の中の沙希の目の前にとまる。

その光の中から白い着物を着た女性が現れたのだ。

「やはり判っていたのですね・・・」

と昔の名前を呼ぼうとして

「そうでした、あなたは今は早瀬沙希という女性でしたね」

「母さんなら、どちらでもいいわよ」

「そうはいかないわ。あなたはここにいらっしゃる女性全員に沙希として愛されているもの。

それに昔の名前で呼べばいやな思い出が蘇ってくるでしょ」


「そうね・・・昨日までの私だったらね・・・」

「えっ?・・・」

「でも、今日の事件で私自身の肉親の愛を思い出せて下さった蓮昌尼様がここにいらっしゃるし、

断りもなしにこう言っては悪いと思うけど、

蓮昌尼様を導いてくださった妙真尼のばば様もいらっしゃるのよ」

その言葉にはっとして顔をあげて沙希を見つめる妙真尼。


「勿論、ここにいるのは私の優しい家族ばかりなの」

「わかってますよ、沙希。あなたは家族という暖かい光に包まれて本当に幸せなのね。

だから私は安心していけるの」

「えっ?・・・行くってどこに?・・・」


「沙希!・・・」

「あっ!菩薩様!・・・」

「沙希の母の久乃はこれより1段と高い位について修行をすることになった。

これまでのように常に沙希のそばにおることは出来ぬ」

「菩薩様・・・それは・・・」

「さよう、沙希の母だからではない。これまで久乃がほどこしてきた善根が位をあげたのじゃ。

久乃・・・そろそろよいであろう・・・」


「あっ、お母様・・・」

とつい声をあげたのは律子だった。

振り向いた久乃の優しい笑顔・・・つい手をついて体を乗り出してしまう。。

「律子さん・・・真理さん・・・操さん・・・薫さん・・・澪さん・・・

理沙さん・・・まゆみさん・・・順子さん・・・奈緒さん・・・」

そう言っていちいち顔を見ながら呼びかける久乃・・・

ご存知だったのだ・・・そう思うと、その感動に身が竦むほどだ。

「皆達の沙希に対する愛情、母として感謝する以外何の言葉もございません。

このとおりでございます」

と全員に対して腰を折る久乃。


「あっ!・・・お母様、そんなこと・・・」

と誰もがその言葉に声をあげてしまうほどの母の愛・・・。


「我が手で孫たちを抱くことはかないませぬが。元気な子を・・・と願っております」

と言ってから今度は貞子や高弟達を見て

「お婆様・・沙希のことお頼み申し上げます」

と腰を折る。

「あっ!・・・ひ・・・久乃はん・・・」

と呼びかける貞子に久乃はただただ首を振るだけで

貞子の口を閉ざしてその優しい笑顔と共に光の中に消えていった。

光は庭に出て中空に留まる。


「沙希よ、もう一人挨拶させておこう」

と菩薩様が言うと新たな光が庭より座敷に入ってきた。

光の中からまだ若い女性が現れると

「た・・・高子!・・・」

そう蓮昌尼から悲鳴のような叫びが漏れる。


「これ!蓮昌!・・・取り乱すではない!・・・」

そう妙真尼の激しい叱責にハッとした蓮昌尼が

「も・・・申し訳ありませぬ・・・」

と謝るがその目は高子に釘付けだ。


「妙真よ・・・蓮昌よ・・・・高子も久乃と同様に高い位にあがるのじゃ」

「ハハア・・・」

と頭を下げる二人の尼僧。


したが妙真は蓮昌の心を察したのか

「菩薩様にお聞きしとうことがございます」

と顔を上げてお顔を拝顔するのだ。

「なんじゃな、妙真・・・」

「ははあ・・・これなる蓮昌の妹高子が天に召されてから3年。それほどの善根を?・・・・・」


「ははは・・・妙真よ、位が高くなるのは何も善根のみではない」

「で・・・では・・・」

「そうじゃ、もともと高子は位が高かった天人・・・それが使命を受けて現世にうまれたのじゃ。

そしてその命を真っ当して天に戻ったきた・・・沙希・・沙希なら判っておろう」


「はい、高子さん・・・いいえ、高子様は蓮子さんの妹として、

蓮子さんを導くお役目を背負ってお生まれになった。

そして、もう一つ高子様のお血をひく女の子をこの世に残すお役目も使命の一つであった」


「その通りじゃ。だが高子の使命はそれだけではない。高子自身の修行でもあった。

自分の愛したものを残していく万感の苦しみ悲しみはその当人でなければ判らぬ。

ましてや自分の血を分けて生まれたばかりの我が子。

1度も抱いてやれぬ悔しさはいかんばかりか・・・女達にはその心、判ってやれよう」

そう言われてから

「高子よ、そろそろじゃ。別れを存分にな・・・」

そういって菩薩様は口を閉じる。


光はスーっと二人の尼僧に近づいた。

「蓮子姉さん・・・よくぞそこまで・・・沙希姫様が先ほど申されておられましたが、

私の言葉をよくそこまで・・・修行の末とはいえ仏門にまで入られるとは

高子、思っても見ないことでした。さすが私の姉様です」

その言葉にも蓮昌尼の慟哭はやまない。


「妙真様、姉の修行とはいえ数々のお世話ありがとうございました。

これからも姉の行く末見守ってくださいまし・・・」

と言って腰を折る。

「いえいえ、修行のためとはいえ蓮昌には随分酷いことを言ったりやったりしたものです」

「いえ、妙真様。それは全て私のため・・・・

わたしはあの時、私の衣服を持つ妙真様のあのお姿は・・・・御仏のお姿と今でも思っております」


「妙真様!・・・姉の修行と共にあなたの尊い修行も聞き取られました。

あなたが修行の先に追い求められていたお方の姿、もうお気づきでございましょう」

「あっ!・・・はい。もしやと思いましたが・・・・

そこにおられる沙希様・・・・」


「妙真様はあの厳しい庵から居をこの近くに移され、

沙希姫様のお近くで姉共々心穏やかにお暮らしになられますよう 天から見守っております」

『ははあ・・・』と頭を下げる二人の尼僧。


「沙希姫様、お二人のことよろしくお願いいたします」

「何をいっているんです!高子様。私は仏様ではありません、人ですわ」

と抗議する沙希に

「おほほほほ・・・・あなた様は尊いお力をも潔しとなされないと聞いております。

その通りでございますね」

といってから再び

「おほほほ・・・」

と笑った。しかし、次には真剣な顔となり女の子の前に屈むと柔和な笑顔となった。


「お嬢ちゃん、お名前はなんというの?」

「・・・・カコ・・・・」

何かが伝わるのかカコは高子の顔をじっと見つめて離さない。


「そうカコちゃんていうの・・・カコちゃんのお父さんて

三味線をつくる名人と聞いたけどカコちゃんもそうなるの?」

首を振るカコに

「あら、三味線をつくらないの?」

頷くカコに

「どうして?」

と聞くと

「だって難しいもの」

と答えるカコ。


「難しいからやらないの?」

少しがっかりした高子の声・・・

それに首を振るカコ。

「だって、母ちゃん熱を出して寝てばっかりいるけど、ずっとごはん作ってくれるのよ。

それに父ちゃんよく怪我をするの・・・

だからカコ、看護婦さんになって母ちゃんの病気も父ちゃんの病気も治してあげるの」


「そうなの、カコちゃん偉いわね」

「だから、カコね。毎日母ちゃん連れてここに来るの」

「叔母さんね、お父さんもお母さんも大事にするカコちゃんにご褒美あげる。

それに叔母ちゃんね、遠いところに行ってしまうから

カコちゃんの看護婦さんになるお祝いも一緒にね」

と懐から出したもの・・・両手の上に乗るのは櫛と髪留めだ。


「沙希姫様・・・・」

と沙希に願うはこのままではカコが触れられないからだ。

沙希に渡された櫛と髪留めに真言を唱えてからカコの両手に乗せた。

「母ちゃんがやってあげる」

と櫛でカコの髪をとかしてからうしろで髪留めをとめる。

涙ながら育ての母の行為を見つめる産みの母、

触れられぬ我が子に想いを残しながらも振り返り我が子を背にした。


「よいのだな・・・」

菩薩様の言葉に頷く高子・・・・

光が高子を覆い隠すと光の玉となって庭の中空に留まっていた久乃と並ぶ。

そして天高くへと飛び上がっていった。

永の別れは女達に万感の想いを与え、我が子の誕生を願う母達は我が子の幸せを願うのみだ。


                     ★


「さて、沙希殿」

とその場の雰囲気をかえるように源太郎の声が響いた。

「先ほど言われた試合相手のことだが・・・」


「どうしても私にその方と試合をさせたいのですね・・・」

「あたりまえですよ。近頃こんな面白いものはないでしょうし、

沙希殿が試合に出ることで我ら皆の骨休みにもなる」

こう言われるとクスリクスリとどうしても笑ってしまう女達。


「もう・・・皆も・・・」

と再び膨れようとするが思うようにはいかなかった。

「菩薩様にお聞きします」

と声をかける沙希。

どうやら菩薩様もまだこの場にいて面白がっているようなのだ。

「なんじゃな、沙希・・・」

「菩薩様達仏様方もこの私にこの試合をしろとおおせになられるのですか?」


「そうじゃ、沙希。天界の秩序を乱す者を放っておけはせぬ・・・」

「でも、どうして私が?・・・・」

「それは沙希が沙希だからじゃ・・・」

「えっ?私が私だから?・・・・」

「わからぬか?」

「ええ、わかりませぬ」

「そうか・・・わしもじゃ・・・」

「もう~菩薩様・・・禅問答をしているのじゃありませぬ」


「これ、小沙希ちゃん。あんた、菩薩様に対してあまりにも失礼どすえ」

と小沙希の言葉使いにはらはらしていた貞子が声をあげる。

「よいよい、貞子よ。自由に沙希と話をする・・・・こんなに面白いものとは思わなかった。

どおりで阿弥陀達が沙希の様子を見ながらニヤニヤ笑っていると思っていたぞ」


そんな言葉に沙希は思い切ってこう質問した。

「菩薩様にはこの勝負私にどうせよとおっしゃるのですか?」


「勝て!・・・」

「えっ?・・・」

「勝つのじゃ」

「これは菩薩様のお言葉とは思えませぬ」

「ほう~」

「勝負は時の運でございます」

「勝負は時の運とな?・・・」

「はい!」


「晴明!」

「はっ!」

「沙希が、ああいいおったぞ」

「今度は私に問われるのですか?」

「そうじゃ」

「確かに沙希の言った言葉間違いではございませぬ」

「ほう・・・・」

「勝負はそのときの身体の状態、心の持ちようでかわるもの」

「やはりな」

「ただ・・・・」

「ただ?」

「我ら陰陽師は戦いに敗れれば死があるのみ・・・・

だからこの安倍あきあに負けるような体術を教えた覚えはございませぬ」


沙希は仏と師によってまんまと乗せられたと悟ったが こうなればやるだけだ。


「わかりました。この勝負やりましょう。そして勝ちます」


「おお・・・おお・・・いいおった、沙希が言いおったぞ」

菩薩様が喜びの声をあげる。そして・・・


「沙希よ・・・」

「はい」

「阿修羅がな・・・」

「えっ?阿修羅様・・・一時私についていらっした・・・」

「そうじゃ、今の沙希の言葉にわしの横で飛び上がって喜びおる。

阿修羅もあ奴には手を焼かされ続けておったからよけいじゃ」

「阿修羅様達にお手を煩わせていたお方・・・というのは?・・・」


「源太郎よ、おぬしに頼む。わしはあの者の様子を見に行っておこう」

といって消えた。


「菩薩様も沙希殿の怒りが恐ろしゅうて逃げたのでしょうね」

と笑う源太郎。

「沙希殿、前もって言っておきます。拙者に対して怒らないでくださいね」


「篠原さん!怒られる人をもっと増やしておきましょう」

「おお・・・そうでした。では沖田さん頼みます」

なんかおかしな雰囲気が漂うが決心をした沙希には迷いはない。


「沙希殿、新しい顔ぶれです」

というと庭から二つの光が入ってくる。

その中からは・・・・

「あっ、近藤勇様、土方歳三様・・・・」

そんな沙希の声に皆の視線が集まる。

「沖田くん、遅いぞ」

といって皆のそばの座布団に座る近藤だが

「おれはここでいい」

と廊下側の壁に斜めに置いた大刀にもたれるようにあぐらを組んだ土方。

「あははは、土方さんはあんなお人ですから、まあいいでしょう」

そんな沖田の声に

「近藤様も土方様もいつ天に?・・・・」

「最近だ」

と答える土方・・・

「だから、俺たちはあいつのことは何も知らないからな」

と自分達の預かり知らぬことを言っておく土方。そんなに沙希の怒りが怖いのだろうか。


「次は拙者の番だな」

と竜馬がいうと庭からこれも二つの光・・・

「あっ、桂小五郎様」

「沙希殿、私は試合の相手のことを知らぬという野暮は言わぬ」

と言って竜馬の横に座る。そして・・・・


「ひゃあ~・・・幾松さん姉さん!・・・・」

と飛び上がる沙希。・・・・幾松も

「小沙希ちゃん!・・・久しぶりえ・・・」

と抱き合って飛び上がっているのだ。

こんな女の騒ぎに憮然とする男共・・・・


「きゃあ~・・・あのお人が幕末の祇園の大看板幾松さん姉さんやて・・・・」

と大きな声をあげる芸妓や舞妓達。

「幾松さん姉さん・・・ここに座ってじっくり話ししょう」

「小沙希ちゃん!あきまへんえ。

あんたにはここにいやはる男はん達がまだまだお話があるし、

天界からまだ話を聞いてはる仏はんや小沙希ちゃんの相手となる剣術家のお人がいるんどす。

小沙希ちゃんとの積もる話はそれからどす」


「幾松さん姉さん、しようがおへん。きっとどすえ・・・お話すんの」

「へえ、約束します。・・・ところで小沙希ちゃん。あのお人が井上のお師匠様どすか?」


「へえ、うちがお姉ちゃんに言っていた貞子お婆ちゃまどす」

「じゃあ、うちお師匠様にご挨拶してから あそこの芸妓や舞妓ちゃんとこに行っときます。

千代松もおるようどすから・・・・」

「へえ、わかりました。そんじゃあそのときに・・・」

と言ったが沙希は幾松が貞子に挨拶するのを見ているのだ。


「井上のお師匠様どすか、うちがお師匠様のおばあ様にお世話になった

幾松どす。小沙希ちゃんがお世話になっていることあの時に

いっぱいいっぱい聞かせて貰いました。ほんにありがとうはんどす。

小沙希ちゃんにはうちもホンにお世話になったんどす」


「おうおう、あんたが幾松はんどすか、うちもお母ちゃんにいろいろと聞かせて貰いましたえ。

こたびは小沙希ちゃんの守護とのことほんにご苦労はんどす。

小沙希ちゃんのこと幾松はんもご存知や思うんどすけど目を離したら何をするんやわかりまへんえ」


「へえ、その点は重々心得ております。うちの時代でももうもう大変どした。

気が休まる暇もないとはああいうことだとここにいる男はんたちもようよう知っとることどす」


「もう・・・お婆ちゃまも幾松さん姉さんも何を話しとるんどすか」

「あらあら、小沙希ちゃんが怒ってますえ」

と言って笑ってから

「じゃあ、お師匠様。ご挨拶はこれで。うちは芸妓はんや舞妓ちゃんのところにいってます」


「へえへえ、当節の芸妓はんや舞妓ちゃん達はあかんたればかりどす。

幾松ちゃん、昔の祇園の女を勉強させてやっておくれやす」

「ひゃあ~、お師匠様うちらにあんなこと言われてはる」

と花世の大きな声だ。

「花世ちゃん!あんたなあ、言われとうなかったらもっと勉強することどす」

と花江に注意をされている。


「へえ~あの子が花世ちゃんどすか・・ほんにうちらの花世ちゃんとそっくり・・・」

と言いながら立ち上がり、もう一度貞子に腰を折ってから 芸妓と舞妓の方に歩いていく。

なるほどこの祇園で大看板を張った惚れ惚れとする女ぶりだ。


「いろいろと邪魔が入ったが・・・」

と女達に少し皮肉るように言う源太郎。

「それでは兵法者の名をいうことにしますか・・・・よろしいですな、沙希殿」

「はい」

その声に幾松を向かえて騒いでいた芸妓や舞妓の声がピタっと止んだ。


「武蔵・・・宮本武蔵です」


「武蔵様ですか・・・・あの二天一流の・・・・

でもあの方の晩年は禅や絵画に没頭しておられ心静かに眠られたと聞いていましたが・・・・」


「沙希殿!・・・私を見てどう思われます?」

「えっ?・・・どうと言われましても・・・源太郎様は源太郎様です」

「そ・・そういうことではなく・・・・姿形です・・・」

「姿?・・・形?・・・あっ!・・・」


「わかりましたか?・・・」

「皆様、私が会ったあのまま・・・そういえば晴明様も私が修行を受けていたあの時代の・・・」

「迂闊者め!あきあよ・・・わしが年を取らずに天寿を全うしたかと思っていたのか・・・・」


「考えればそうでした。皆様も年をおとりになっていたはず・・・

でも、皆様は私が会ったその時のお姿のまま・・・」

「そうなんです。現世の人には別れたそのときの姿のままでいられます。

けれど現世に会ったことのない者は若い姿に戻れるのです」


「では武蔵様は・・・・」

「荒々しい修行を積む時代の若い姿に戻ってしまったんですよ」

「自分の死は?・・・」

「受け入れてはいるんでしょうが、未だに修行修行です」

「なんだか可哀相・・・」

「沙希殿ならそういわれると思っていましたよ」


「武蔵様の今までのお相手は?・・・」

「それなら天にも上れず、地獄にも行けず、彷徨い歩い続ける者達がいます。

その中には兵法者や剣客と呼ばれる者が多いのです。

死して得た若さというものが魂を狂わせるのでしょうか。

武蔵はそういうものを相手にしてきて、魂を消しさっていたのです。

でも今の世、死せる魂で剣客などという人種は皆無です。

だから武蔵が探し回ったあげく目にしたのが幕末の結城道場での沙希殿と沖田くんの試合でした」


「えっ?・・・見ていたのですか?・・・あれを・・・」

「沙希殿・・・私も後で聞いたのですが、あの立合いを見ていた人多いんです。

・・・武蔵はあなたに目をつけた。そして、菩薩様に言った。

あの者に勝ったらあの者の力をくれ。・・・だが、菩薩様は断ったんです。

しかし、武蔵は執拗でした・・・そして菩薩様にこう言い放ったんです。

わしが勝ったらあの者のあの力を貰い受ける。

あの力は仏といえど関わりのない力、

わしが貰い受けても依存はあるまい・・・そう不敵に笑ったそうです。・・・・」

「あの力とは?・・・・・はっ!・・・・」


「そうです、沙希殿が今度のことで得られた『通力』です。

沙希殿!・・・絶対勝ってください。・・・・

武蔵のような男が通力を得てしまったら天界にも・・・・ひいては

この現世にも影響を及ぼすことは必定・・・・

もしかして、剣のことしか頭にない分、あの元方よりも悪質な男かもしれません」

先々の影響を考えずに行える不敵さがありますから」


「そんなあ・・・」

と悲鳴のような声が飛ぶ・・・・。

「沖田殿!・・・仏は沙希に又もこのような厳しい戦いをせよといわれるのか」

これほど激しい口調の蓬栄上人は初めて見た女達。

仏への怒りか・・・それとも武蔵への憎しみか・・・

孫”沙希”に対する肉親の情愛が激流のように我が身を襲う。


「お上人・・・それ以上のことは口になさるな・・・」

晴明が目を閉じて言い放った。厳しい視線の集まる中

「仏も苦しいのじゃ・・・そしてあきあの顔を見ておくのが辛うてああして消えられてしまった。

ここはあきあの手にゆだねるほかはない。選択の道が閉ざされてしまっておるのでなあ・・・」

晴明の言葉に添えて

「御坊・・・御坊のお心、われ等とて同じなのだ」

と苦しき胸のうちをあかす竜馬・・・


その時にふっと表情が変わる蓬栄上人。

「これは、わしとしたことが・・・孫のことを思うと、ただの爺に戻ってしまいましてのう・・・・」

と謝るが気が付くとお上人の両の手を左右から握る峰厳和尚と宋円和尚の手が

強張って震えているのだ。その横の天鏡に至っては両膝に握った両手をおいて

これも震えながら、閉じた両瞼から涙がしたたり落ちている。


「私が・・・・私が奴を打ち倒そうとしたのですが、駄目でした。

奴の剣技そのものが鬼といってもいい。

隙をつこうとしてもその隙が一瞬に消えうせ奴の反撃が襲ってくる・・・

でも、・・・それでも私はあなたがこの武蔵よりも強い! そう今では確信しているのですよ」

「でもどうして沖田様はそう思われるのですか?」


「私はあなたの剣を知っている。この身をもって体験しているのです。

確かに武蔵は強い・・・鬼といってもよいその剣技には私は悔しいけれど太刀打はできませんでした。

けれど怖いと思ったことは一度もありません。

少し工夫をすれば勝てるかもしれない・・・そう思ったりもしました。

けれど沙希殿・・・あなたは違う。あなたと相対した瞬間、体が震えてしまい動けなくなった。

正直怖いと思ったのはあなただけです。

あなたの剣は見えない。次にどう来るのかも判らない。これでは勝負になりません。

あなたはあの時、馬の鞭を使われたけれどあれが真剣だとしたら・・・

正直あの夜震えがきて眠れませんでした」


「わしも、見た。

宙を舞い天井に留まって沖田の刀身を避けて逆方向に回り込む、そんな戦い見たことなどない」

「おれもそう思うぜ。あの日の帰り近藤さんにも言ったが、

それまで聞いたことがなかった早瀬沙希太郎というとんでもない化け物を

相手にしなくてよかったとつくづく思っていたんだぜ。

沖田との立合いを見ていただけで俺はビッショリと冷や汗をかいていたんだからな。

・・・あんな経験は二度とない」


「沙希殿、わしも沖田さんとの立合いは見ていたんだからな。

わしはそれ以外でも、沙希殿が戦う殆どを見ているんだ。

泥棒相手に放った『気孔』・・・それを結城道場の門弟達に教えていた沙希殿の姿、

・・・酔っ払った浪人達を鞭で倒したり、

見てはいなかったが京を騒がせていた浪人集団を退治した『鞍馬天狗』は沙希殿だ。

圧巻は座敷内で竜馬さん相手にはなった『無音の術』だった。

その術が実戦で会得したというから沙希殿にかなう者なんているはずはない」


「そんな人相手に私は立ち合ったんですからね。馬鹿を見たのは私ですよ」


「沖田さん、それはあなたが悪い。医者嫌いのあなたがね」

と源太郎が一矢を報いる。


「おほほほ・・・篠原殿。わしはまだまだ見ているぞ」

「晴明様!・・・もうお止めください」

「何を言うか、あきあよ。こんな面白き事止められはせぬ」

と言ってから

「あれは、将門殿との戦いの場であった。雑兵達に襲われたあきあが

中空へ飛び上がりそこで放った剣が『破邪!雷光剣!』であった。

雲一つ無い空から雷が雑兵を貫き一瞬にして消し去り天に戻したのじゃ」

「破邪!雷光剣?・・・そんな秘剣があるのですか?」


「見ていたわしも驚いたわ・・・」

「じゃあ・・・」

「そうじゃ、わしが教えたのではない。あきあが研鑚を重ねてあみだしたのじゃ」

「それじゃあ、武蔵といえどもかなうわけないじゃないですか」


「私はこの試合に全力を尽くします。そうでなければ勝っても負けても武蔵殿に失礼でしょう」

「ほほう、あきあが言いおったぞ」

「沙希さんらしいですね」

「いいでしょう、それで良いと思いますよ」


「それから・・・晴明様・・・」

と沙希の剣のことを教えてもらおうと沖田があとを促す


「これは剣ではないが、源義経殿が弁慶を相手に使った八双飛びもある」

「沙希殿の身軽さがあれば当然でしょうな」

「そして、忍法影分身・・・」

「影分身?・・・」

「そうじゃ、あきあが何十人かに分かれたのじゃ」

「沙希殿は忍法も使えるのですか?」

「忍者の源はこの陰陽師にある」

「なるほどそういうことですか・・・」

武士たちは夢中で聞いている。

沙希にとっては面映いが師の命であるので仕方なく黙っているのだ。


「秘剣・円月天空斬!というのもあった」

「それはどういうものですか?」

「剣が円月を描き、その美しいほどの刀身からの光が相手を惑わすのじゃ」

「惑わす?」

「一種の催眠状態じゃな」

「それじゃあ、武蔵め勝てるわけないじゃないですか」


「沖田殿、あなたの持っていた菊一文字で使った『秘剣 光輪斬!』が私が見た最後の剣かな・・・」

「『秘剣 光輪斬!』?」

「斜め上段から切り下げ鬼どもを一掃した剣であった」

「沙希殿!この剣は?・・・」

「沖田様が持っていた『鬼切り』だからこそ出来た剣です・・・でも」

と沙希が言い出した。

「武蔵殿は真っ当に剣の技を磨かれておられまする。

それに引き換え私は鬼や妖しを葬り去るとはいえ

こそくな手段をあみ出してきたのではないかと思っているのです」


「それはないとおもうぞ」

と声をあげたのは土方だ。

「我ら新撰組も大義名分を掲げて何人もの人を殺めてきたんだ。

徳川家という御旗のもとにな、けれど勤皇の方にも大義名分があった。

その大義名分は天子様を引き入れられて政府軍となり、

徳川家は朝敵となって追われる立場となってしまった。

ええい!・・・言い方がわからん!・・・沖田!後を頼む!・・・」


「土方さん!・・・本当に口下手というか・・・

近藤さんと一緒にもっと勉強をしたほうがいいですよ」

「何をいってやがる・・・・」

「口下手なのにその口の悪さ・・・天下一品だからな・・・

まあいいでしょう。沙希殿、土方さんは同じだといいたいのですよ」


「同じ?・・・」

「はい、勤皇も佐幕も大義名分があった。あとは徳川か朝廷か

錦の御旗がどちらになるか・・・ただ徳川は300年続き、

屋台骨が腐っていたんです。だから天子様をかついだ勤皇が天下をとった。


剣客たちも同じです。先ほど沙希殿は剣客達は真っ当に剣の技を磨かれている。

と言われていましたが、何故剣を磨くのかといえば自分を守るためなんです。

自分を守るために相手を切る・・・つまり人殺しの技を追及しているんですよ。

それを思えば沙希殿のほうが分があります。

沙希殿は人を切るのではなく、妖しや鬼を退治する・・・そこが全然違う。

だから私は秘剣という立派な剣技をこそくな手段となんて言わないでいただきたい・・・」


沙希はじっと沖田を見つめた。

曇っていた自分の心が嘘のように晴れていくのだ。


平伏して言葉を添える沙希。

「土方様・・・沖田様・・・そして皆々様。私めの心得違いどうかお許しください。

自らをおとしめるなはといつも言っている言葉なのに

自分自身がいつのまにかそうなっているのに気づかず恥ずかしい限りでございます。

これよりは気分をかえて明日の試合思い切りやりとげるしだいです」


「おお・・・よくぞ言ったあきあよ、これで明日の試合楽しみになったな」


「小沙希ちゃん!がんばってね!」

とは置屋の皆と座る幾松だ。


「沙希ちゃん!・・・小野監督がもうすぐくるからね」

「えっ?薫姉さん!・・・連絡しちゃったの?・・・」

「あたりまえじゃないの!こんな面白いこと黙っていちゃあ

後で凄く叱れるんだからね。それに私達こんな体でしょ。

まだ不安定な時期だから試合を見に行くこと出来ないの。

だからよ、小野監督に記録映画として残しておいてもらいたいから・・・」


「なんだか私用で小野監督を使っているみたい」

「いいじゃないの、それに記録映画だけに終わるかしら」

「えっ?・・・それどういう意味?・・・」

「まあ、来てからのお楽しみよ」


「小沙希ちゃん!」

「お婆ちゃま・・・何?」

「うちらも見に行きまへん。とてもとても小沙希ちゃんの試合なんて

もうドキドキして見れるものやおへん。

そやから小野監督の映画あとでじっくり見せてもらいます」

貞子の言葉に頷く高弟達。


「仕方ないでしょうね」

「うちらは見に行きますえ。お師匠ええですか」

「ああ、なんぼでも見ておいで、あんたら少々お稽古せんでもそんなにかわりおへんから・・・」


「ねえ。今のお師匠の変な言い方うちら馬鹿にされてえへん?・・・」

「されてえへん、されてえへん・・・あんたら1日2日お稽古休んでも

なあんも変わらへんやないの」

「あっ・・・お姉ちゃんのその言い方きついわあ・・・」

「おほほほ・・・・舞妓ちゃんはいつの時代も同じでんなあ」


「あっ、幾松さん姉さんの時も同じでしたん?」

「へえへえ・・・同じでしたえ。特に花世ちゅう舞妓ちゃんはな・・・」

「なんやうち、時代変わっても同じや言われとる・・・」

「もう・・・あんたら次からきっちりお稽古するんえ。

お休みして花世のアホうつったらいけまへん!・・・」


「は~い、花世ちゃんのアホうつらんようにがんばります!・・・」

と大きな声をあげる舞妓達・・・こんなときには置屋の区別はない。

花江の言葉に元気良く答える舞妓達だ」


「おほほほほ・・・・」

と笑い崩れる芸妓達、特に幾松の笑いが好ましい。

「花江ちゃん、いいましたなあ」

「はい、幾松さん姉さん」

「こうしてあんたのそばにきてなんぼもたたんけんど

始めは区別ついてたけど段々あんたが千代松に見えてきて今は区別つかんようになってきたえ」

「えっ?ほんとうどすか?・・・」

「ほんとうえ、あとは貫禄どすなあ」

「貫禄?・・・」

「へえ、うちが祇園を背おっとるんや。他の誰にも負けまへん・・・

いう貫禄どす。千代松はそうどした」

と幾松は花江にも祇園の女というものを教え込んでいくのだ。


そんな中、

「あのう、あきあさん・・・」

「なんですか、涼子さん」

と河合刑事に顔を向ける。

その手にはモバイルが乗っているのを見てはっとした。


「涼子さん・・・あなた・・・」

「すいません!・・・勝手に府警に連絡してしまいました。

試合のことはもう・・・誰かに話さずにはいられなくなって・・・・」


「沙希さん!涼子さんは悪くないんです。

わたしがうずうずしてモバイルを起動させてしまったんです」

「恵子さんは牛尾さんに連絡しようとしたのね」

「はい!」

「ご馳走様・・・」

「そんなんじゃないんです。犯人を捕まえたことで今日会うことができなくなって、

・・・・・」

「へえ、今日デートだったんだ。ごめんね邪魔しちゃって・・・」

「もう、恵子!そんなことで顔を真っ赤にして・・・もう・・」

礼子の背中に隠れてしまった恵子。

「これが二十歳を過ぎた女の反応かしら、まるで女学生だわね」

その声に全員が笑い出してしまう。


「礼子さん、放っておきましょうよ。今が一番いい時期だし・・・」

「そうですね・・・でも手間がかかって仕方がないんです」

「それじゃあ、いいことがあるの。ちょっと来て・・・」

と緋鳥礼子に耳打ちする沙希。


「・・・・あっ!・・・それって最高!・・・悪よのう沙希姫様は・・・」

とよくある台詞を述べた礼子になになに・・・・と皆が聞きたがり、

何を言われているか気になる恵子が

割り込んで聞こうとするが皆に邪険にされる図って最高に傑作だった。


それが落ち着き沙希は涼子に

「それで恵子さんのモバイルを取り上げて署長に連絡したわけですね」

「はい」

と今度は涼子が小さくなる番だ。


「それで署長はなんと?・・・」

「今、この様子も見ているんです」

と言って渡されたモバイルにニコニコ笑いながらの署長の顔が写された。


「やあ、あきあさん。最高ですねえ・・・今からワクワクドキドキですよ」

「どうしたんですか?署長・・・・」

「どうしたのかですって・・・明日の試合ですよ、試合・・・」

「というと署長は今・・・」

「ええ、刑事部屋ですよ」

「でも、皆さんは?・・・」

「大八木以下刑事達はそちらに向かいましたよ」


「ええ~・・・本当ですか?・・・」

「こんなこと、嘘を言ってもしょうがないですよ」

「もう・・・事が段々と大きくなっていくわ・・・」

「それは、仕方がないとあきらめなさい。

だってあなたがですよ。天下の女優のあなたが昔から名前の知れた宮本武蔵と

試合をするなんて誰が思いつくんですか・・・・誰も思いつく人なんていやしない。

だからですよ・・・だから、もう体が震えるほど興奮しているんです」


「でも、こんな試合・・・」

「あははは・・・いいじゃないですか、

ほとんどの者達が女優のあなたの出る試合です、誰も本当の試合とは思いはしない。

けれど知っているものもたくさんいる。その者達の興奮ってもう頂点ですよ。

それがこの京都でおこなわれるんです。刑事達の興奮も無理もない。

だから、私は放っておくことにしました。と言う私も明日絶対に見ますよ。それに・・・・・」


「それに?・・・」

「この騒ぎってもう京都だけに収まらなくなっていますからね」

「京都だけに収まらないって?・・・・ええ~~まさか?・・・」

「そのまさかですよ。ちょうどこの事が判って刑事達が蜂の巣をつついたように

大騒ぎしている頃でした。飛鳥警視正が例の殺人集団のことで連絡されてきたのです。

京都だけでは収まらぬあの事件、

奴らを東京の警視庁・警察庁での取調べに変更してもいいかどうかをね。

私は二つ返事でどうぞどうぞといいましたよ。

こんなことでややこしい事件の担当させられてはたまらない・・・というのが実感です。

この試合が無事に終わった後ならばいくらでもお付き合いしますがね。

その私の返事が警視正の不信を買った・・・モバイルでの連絡でしたので

刑事達の騒ぎもいっそうに不信をあおった。

それは鋭い追及でしたよ。まるで何か悪いことをした犯人になったようでした」


「それはすいませんでした。日和子叔母様って私のことになったら

どうも見境がつかなくなって・・・」

「そんなこと誰だってわかっている事です。

あきあさんが動けばハラハラドキドキ・・・心配するのって

婦警達の姿を見ていれば一目瞭然のことですからね」

「署長さんまでそんなこと言うのですか?」

「あたりまえです。私はあなたの大ファンですからね。

その家の女性達のように心配もさせられているんです。

ただ男であるがゆえにあなたに近づけない、だから部下をそこに預けて心配しているんです」


「ほら、ごらん、小沙希ちゃん。あんたのこと男はんもおなごも

何の区別もあらへんのどす。あんたを心配するんは・・・」

という声が聞こえた署長が

「今のは井上貞子先生ですね。相変わらず心配のお小言ですね」

クスリクスリと聞こえる皆の笑い・・・

これ以上また、小言を聞かされてはたまらない。

「日和子叔母様はどうされたんですか?」

と話を促すのだ。にやりにやりする武士達の笑いに

『フン』と鼻でけかえす沙希。


「飛鳥警視正、あの大きな瞳をさらに大きくされたと思ったら、いきなりモバイルを切られたんです」

「えっ?・・・それでは・・・」

「そうです・・・あの交通課にいた3人の婦警・・・今では警視正が

同じ課に入れたようですが、その婦警達を連れてこちらに向かったそうです。

部下に調べさせましたが、今ではさすがに落ち着かれて警察庁や警視庁に

頻繁に連絡を入れて殺人集団お引取りという名目になったようですが、

その警視正の後を追うように警官達も京都に向かうというちょっとした騒ぎになっているようです」


「ちょっとした騒ぎって?・・・・」

「どうもその警官達、この間の事件でこちらに来ていたようなんです。

そして、あのような騒ぎこれで終わるはずはないと

どうやら警視正の動きをそこいら中からアンテナを張り巡らしていた。

そして、警視正の動きに敏感に反応したんです。

彼らの京都に来る理由も『殺人集団』の移送となっています」


「『殺人集団』の移送って、ちょうどいいじゃありませんか」

「とんでもない!・・・その数約一個師団と同じですよ」

「一個師団って?・・・」

「約500人です・・・・」

「ぷっ」

と噴出す沙希・・・この部屋にいる者達も同じだ。


「笑いごとじゃないですよ・・・けれど笑えますよね。

あの集団自分たちをむかえにきた人数に仰天するはずですから」

「でもそんな人数道場に入れるのですか?」

「それは無理です。・・・こんな人数といってももっと増えるでしょうから・・・

本当は試合会場を隣の高校のグラウンドに変えたいのですが・・・・」

「高校のグラウンドですか?・・・いいでしょう、おまかせします」

「よかった!・・・実はもう押さえてあるのです」

「えっ?・・・もう?・・・」

「はい、膳は急げというでしょ」

署長の笑い声が座敷に響いた。


「署長さん!実をいうと心配は飛鳥警視正のことです。勝手なことをして何か罰でも・・・」

と心配する沙希に

「そんな心配もないようです。今、警視庁と警察庁から連絡があり

警視総監と警察庁長官が明日この京都に入られるそうです。

これで私は堂々とあなたの試合を見ることが出来ます」


「本当になんか事が大きくなっていくのね」

「こんなこと一生あるわけではないでしょう。あきらめて堂々と勝負をしてくださいね」


「あきあさん」

と夜なのに大きな声が響いた。


「あっ!・・・大八木君達が行ったようですね。

あきあさん、すみませんけどこのままモバイルを河合刑事に渡してください」

このまま・・・とはこの部屋の状況を後々まで見るということだ。


庭からドドド・・・とばかりに大八木を先頭に刑事達や警官達が入ってきた。

「大八木さん!夜ですよ・・・」

と注意をする沙希に

「あっ!あきあさん!・・・申し訳がありません」


「大八木さんどうしました?・・・」

「これは沖田先生!・・・結城先生も・・・いらっしゃったのですか?」


「大八木さん!・・・今日は道場の日だったのですが・・・」

「申し訳ありません。あきあさんがこの日本を騒がす悪人集団を

捕まえましたので署での取調べに手間取りまして・・・」

「あははは・・・いいのですよ。そのへんのことは判っています」


「けれど、あきあさん!凄いことになりましたね・・・」

「大八木さん!あなた達がいろんなところに連絡したのね」

「それは仕方ありませんよ。こんな前代未聞の試合なんて

一生も一生・・・見られることは出来ませんから・・・」

「一生も一生ですか・・・・そうですね。

私が生きていた時もこんなことありませんでしたからね・・・」


「あのう・・・沖田先生!」

「なんですか?・・・牛尾さん」

「もしかして、あちらにおられるのが・・・・」

「そうですよ。まあ、紹介しておきましょう。

近藤さんと土方さんです」

「よしなに・・・」

と軽く挨拶するのを目を光らせるように見つめる警官達。


「近藤さん!・・・土方さん!・・・牛尾さんはね、

そこにおられる篠原さんの子孫なんですよ」

「ほう・・・」

という顔をする二人、対称に少しいがらっぽい顔の源太郎、

「この子孫め、元気の良さだけがとりえの男でね。

まあ、迷惑をかけるとおもうがよろしく頼みます」

源太郎の挨拶通り柔剣道もそこそこで取り柄といえば元気の良さ・・

その実は皆にかわいがられる誠実さがあるのだ。

源太郎もこう紹介していたが可愛くて仕方がない。


「あきあさん!・・・試合のこと聞きました。大変なことになりましたね」

と顔を真っ赤にして大八木が興奮しているのだ。

「大八木さん、試合をするのは私ですよ・・・・」

「それはそうですけれど、ただ私はあきあさんにがんばってください

としか言えないので、その一言だけを言っておこうと思いまして・・・」

直情型の大八木らしい心配りの言葉だった。


その言葉に平伏した沙希

「大八木さん・・・ありがとうございます」

顔をあげてから今度は庭に居る警官一同に視線をはわせてから

「皆さん、ありがとうございます」

ともう一度平伏する沙希。

「がんばってください!」

と言った警官たちは互いに顔を見合わせてから照れたように笑う。


「今、署長さんから試合会場をなにやら府警の隣の高校のグラウンドに

かえるように言われましたが・・・」

「ああ、そうですか、よかった。・・・借りられたんですね。

これで2000人と言われる観客、もっと増えても安心です」

「えっ?・・・2000人ですって?・・・」

「最低ですよ・・・もっと増えて倍以上なるかもしれません」


「だって東京の警視庁と警察庁から来るのって500人でしょ・・・・」

「えっ?東京から500人もくるんですか・・・・」

「ちょっと、大八木さん。これってどういうことですか・・・」


「いやあ、わたし達が連絡した仲間や団体の数が

2000人以上になってしまいましてね。どうしようかと悩んでいたんですよ。

そうですか、東京から来ますか・・・・」

「あきれた・・・・」

と肩を落とす沙希だが、

「大八木さん!東京からこられる目的は一応暗殺集団の引き取りだそうです」

と河合刑事にいわれて目を真ん丸くするとぷっと吹き出した。

「あははは・・・・どうせ来るのはあの連中でしょう・・・」

「あの連中って?・・・・」

「元方の事件の時に東京から来た警視庁や警察庁からきた連中です。

もう連日うるさく聞いてくるんですよ」

「えっ?聞いてくるって?・・・」


「何かなかったか・・・・何かあったのではないのか・・・ってね。

・・・そうですか、20人そこそこの犯人に500人の警官ですか・・

これは見ものですねえ・・・あはははは」

「大八木さん!・・・」

一段と高い沙希の声

「段々話が大きくなるっと思っていたらあなた達があおっていたんですね」

「うっ!」

と思いっきり口を押さえると目を白黒させる大八木部長刑事。

その様子が可笑しいと失笑がもれるのだ。


「コホン」

と一つ咳払いをして

「さあ、今から試合会場に行って警戒だ」

とわざとらしく全員で庭から立ち去ろうとしたが

「大八木さんとやら、少しお待ちください」

と声がかかった。

「あのう御坊は?・・・」

「わしかわしは比叡山奥の院の蓬栄じゃ」

「あっ!比叡山のお上人様・・・」

「すまぬがこの男を比叡山につれてやってはくれまいか」

「お・・お上人様・・・」

「天鏡よ、わし等は近くの檀家に泊まり、明日になれば直接会場にむかう。

お前は比叡山にたち帰り、武者僧を引き連れて会場に向かうのじゃ。

そして試合会場を徹底的に磨き上げよ。

日本中の目が明日会場に集まると知れ!よいな、天鏡!」


「わかりました、お上人様。そういうことならこの天鏡におまかせあれ」

「さ、早ういけ!」

「は!」

と立ち上がった天鏡、

「早く行きましょう」

という大八木の言葉に頷くと急いで庭の下駄をはく。


「蓬栄よ、おぬし天鏡に良い仕事を与えたな」

「いつも影に日向になって懸命に立ち働いている男。

ましてや天鏡にとっても妹の晴れ舞台となるのじゃ。

あの男に少しは責任ある立場を与えてやっても罰はあたるまい」


その言葉に沙希は目を閉じ、いつも誠実な天鏡の面影を追う。


                     ★★


「お師匠様、お客様です」

と高弟の案内で入ってきたのが

「あっ!監督!・・・」

薫がそう呼ぶ皆の良く知る小野監督だった。

そしてもう一人、東西テレビの沖社長を連れてきていた。

沙希はまだあまり話したことはないが顔はよく知っている。


二人ともまずは井上貞子に挨拶をする。

この家の長としての貞子の立場を思んばかってのことだ。


小野監督は振り返って沙希を見るとニヤリと笑った。

「君って女優は・・・事件屋であり、お騒がせ魔であり

そして、本当にこの業界の宝であることは間違いないね。

君の天才ぶりは女優としてばかりではなく、

今何をすべきかという時代にあった番組作りをもしてしまう天才かもしれない」


「えっ?・・・どういうことなのですか?」

「タイミングが良すぎるんだよ」

「タイミング?・・・」

「そうさ、今日わしか沖社長に会っていたのは

あきあ・・・君をどんな形でテレビに出そうかと相談していたんだ。

ドラマではVテレビの二番煎じになるのはいやだし、

考えこんだ末、最終候補は舞に関することだった。

けれどこれはこれで難しい。

そんな時だったんだ、この話が飛び込んできたのは・・・わしは直感したね・・・これだって・・・

だが、沖さんはまだ躊躇されている。なぜだかわかるかい?」


「いいえ、どうしてですか?」

「あっ!・・・それなら私判るわ」

「ほう・・・薫くんがね・・・」

「監督!・・・その言い方って私を思い切り侮辱してません?」

「あははは・・・ごめんごめん。あきあくんならすぐ判ると思ったんだよ」

「監督もこの子が自分のことになるとからっきしなのをご存知でしょうに」

「ああ、そうだったね。では薫くん頼む!」


「沙希ちゃん・・・沖社長はね、あなたが試合をするほど強いのかって心配しているのよ」

「そうですか・・・やはり一般の人はこの人の外見に騙されているのですね」

「沖田さん!・・・それってけっこうな言い方ではありません?」

「あっ、すいませぬ。別に沙希殿をそれこそ侮辱したわけではなく

・・・・あわわ・・・」

「沖田!・・・上手の手からもれたな・・・わははは・・・」


「もう・・・沖田様も、土方様も・・・存じませぬ・・・」

ふっとそっぽをむく沙希の艶っぽさ・・・・・・・・・天人でさえも完全に固まってしまっている。


「小沙希ちゃん!・・・成功どすえ」

という声を出した幾松にピースマークを何度も出す沙希。

「沙希殿・・今のは?・・・・」

と頬を撫でながら聞く源太郎に

「へえ、うち幾松さん姉さんに教えてもらったんどす。ああいう風にすれば男はいちころだって・・・

一度やってみたかったんどすが中々機会がのうて・・・」


「で、あの二人がはまってしまったというわけですか・・・」

「へえ、ばっちりどした。きっと幾松さん姉さんも桂さんにやっているんどす。間違いおへん」


「こら!・・・小沙希!・・・てめえ・・・」

幾松の怒りの声が飛んでくる。

「ひゃあ~・・・桂はん、幾松さん姉さんあんな汚い言葉つこうているんどっせ。

怒っておくれやす」

祇園の女にとっては凄く勉強になる一場面だ。


「ねえ、瑞穂」

「なによ、杏奈」

「私も沙希にあんなことされたら、もうどうでも良くなっちゃって

なにもかもあげてしまう気がする」

「私だってそうよ。もう凄かったわね。男がいちころだって言ってたけど女だってそうよね」


「ふ~・・・あきあ君、君の演技力って一段と凄みが増してきたようだね」

「えっ?」

「見たまえ、男も女も君の前では形無し状態だ」

横のものにもたれ掛かって失神状態の婦警や看護師達。

席がざわついているのもしかたがない。

しかし、この中で他のことを考えている者が一人いた。

沖社長だ。彼はこの中で二人の人物に気をとられていたのだ。


「どうしました?沖社長・・・」

「あっ・・・いや・・・」

沖社長の様子に不信を抱きながらも言葉を続ける小野監督。


「薫くんが言ったようにあきあくんの実力を知って貰うために

私は沖社長をここに連れてきたんだ。もしやと思っていたが案の定だった。

この間の事件以来ですなあ、坂本さん」


「小野さん、覚えていられましたか」

「あたりまえですよ。幕末の偉人であるあなた達を忘れようがないじゃないですか」

「幕末の偉人?・・・」

以外に早く反応する沖社長。

「ええ、あなたは信じられないでしょうがここにいられる方はこの世の方ではないんです」

「この世の方ではない?」

と言ってから晴明から順に紹介していく小野監督。


「おや?新しい顔ぶれですか?」

「小野さんのご存知のように沙希殿を守護するって大変ですからね。近藤さんと土方さんです」


「それじゃあ、新撰組の3巨頭が揃い踏みじゃあないですか」

「いやだなあ、小野さん。3巨頭だなんて。わたしはただのつかいっぱしりですよ」

「いやあ、沖田さんの悪口をいうと私は女性に袋叩きですからね」


「おい!沖田!・・・おまえいつから女泣かせになったんだ」

「もう、土方さん。いやですよ、小野さんがそんなことを言うから・・・」


「いや、新撰組では近藤さん、土方さんには悪いけど沖田さんが一番人気があるんだ」

「沖田さん、ほんまどす。若いし男前さんやし若こうして

胸の病でなくなった・・・そやから胸がキューンとくるんどす」

と花世からの声だ。


「もう、いやですねえ。花世さんまで・・・」

と顔を赤くする沖田。

それが又可愛いと舞妓達きゃっきゃっと騒いでいる。


「けんど、別に近藤はんも土方はんも人気がないんと違いますえ」

と憮然としている二人に声をかける花江。


「人気はあるけど怖うおすんや」

「怖い?・・・」

「へえ、実際人を殺めはったんは沖田はんが多かったんどすやろが

近藤はんと土方はんは新撰組のトップやおへんか。

殺すことを命令する立場におられはった。そやから女の子達怖うおすんや。

今の子、お家でもお母ちゃんは大好きやけど、お父ちゃん嫌いや言う子多いんどすえ。

男はん好きになるんはまず優しさどす。厳しい男はん人気ありまへん。

ほんまはそんなこといけまへんのやろけど」


「なるほど、男の条件は優しさですか・・・」

沙希殿のように強さがありその中の優しさならわかるが

優しいだけでは・・なにか違うような気がする」


「沖田はんのそれ、当たっとります。最近おなごはんかしこうなりました。

優しいだけや厳しいだけの人好かれまへん」


じっと聞いていた小野監督、坂本竜馬を見ると目を閉じて頷いていたが、

話が終わると目を開け、小野監督を見てから

「さて、最後の二人を紹介しておこう。まずは桂小五郎殿だ」

「えっ?あの木戸孝允さんですか?」

「そしてその妻の幾松殿じゃ」

「お松様・・・・」

と言ったのは沖社長のほうだ。驚いて皆の視線が沖社長に集まる。


その視線を気にしていたが

「少し待ってもらえませんか」

と言って背広の内ポケットから携帯電話を取り出しかけ始めた。


「ああ・・わしだ。どうだ少しは気分がよくなったのか?・・・

そうか、少しの間我慢できるのか・・・それじゃあすまないが

運転手の吉田手伝ってもらって家のほうに来て貰えないか・・・

ああ、待ってる・・・」

そう言って携帯をしまった沖社長。

皆に向けた笑顔は取り繕っているが緊張感が溢れているのだ。


少しして玄関の開く音・・・

「いけない!・・・」

と大きな声をあげた沙希が矢継ぎ早に命令を下した。

「看護師さん達、急いで玄関にストレッチャーを・・・」

「はい!」

といって玄関に急ぐもの達、地下に急ぐ者達・・・

バタバタと駆け出している。

「明子先生!お願いします。澪姉は急いで検査室に・・・」

「わかったわ・・・」

と声をあげ二手に別れる医師たち・・・無論、高弟二人も看護師達と

検査室外まで澪に付き添うのだ。


ストレッチャーが急いで玄関まで廊下を走り去ると

次は毛布をかけられた病人を乗せて明子達と滑るように走っていった。

立ちかける沖社長だが沙希がそれを止めた。


「沖社長!・・・奥様を殺す気ですか・・・」

と叱るように言う沙希に

「殺すだなんて・・・・」

と言いかけたが沙希の両目に浮かぶ涙の粒を見て何もいえなくなる。


「ちょっと、沖社長はん。あんたの奥さん小沙希ちゃんに命を助けられたこと

感謝せなあきまへんえ。それとこの家の地下にある病院のこと、

言って貰ったら困ります。わかりましたな」

貞子にこうきつく言われて頷く沖。


「沖どの、お主あきあに叱られたこと不満と思うだろうが

奥方の寿命がつきかけていたことは本当じゃ。

その奥方をこの家に呼び入れたお主の選択で奥方の命は救われた。

もし、お主が奥方をそのままにしておいたら、あきあは気づかぬ、

わしも気づかぬ。奥方の命そのまま尽きた。己の選択に感謝することじゃ」

晴明に言われ身体がぶるぶる震えてとまらなかった沖。


「沖社長、この地下の超近代的な病院施設は女性だけの病院なんです。

ですから男子禁制なんです。だからこの先は行くこと出来ません。ここでお待ちください」

「お待ちくださいと言っても君・・・・」

「いいえ、もうすぐしたら元気な奥様が帰ってきます」

と薫に言われて黙るしかないが、落ち着けないのだ。


30分ほどたった時、半信半疑だった沖社長の目の前に

あれだけ体の調子が悪かった妻の楓がにこやかに現れたのだ。

「おお・・・大丈夫だったのか・・・」

「大丈夫じゃなかったわ、けれどここの病院とあの温泉に助けられたの。

・・・残念だわね、あなた。この温泉は女性しか効かないのよ」

と楓に言われて目を白黒する沖。

「沖さん、残念ながらここは女性だけのものなので 我々男性には近づけないんです」

と小野監督にもいわれてようやく納得する。


「明子先生・・・診断は?・・・」

「そうね、普通の病院だったら入院させないでしょうね」

「入院させない?・・・」

「ええ、だって100%治らないでしょうから。

胃と肝臓に病巣が広がっているし、食べる体力もないでしょうしね」


「では、この病院での診察は?」

「あの温泉に入ったことで、病巣の80%は消えています。

あとは毎日の食事と温泉療法です。

だから2週間ほどの入院をしてから、時々通院するのはどうでしょうか」


「はい、お願いします」

と楓が自分で言った。驚くのは沖だ。だって妻が夫の考えを聞かなくて

自分で決めるなんてことは結婚以来始めてなのだ。


「では、今日から入院してください」

「けれど、準備はどうしたら良いでしょう」

「ほとんどのものは揃っていますから、看護師に聞いて不足分だけ用意してください」

「では、不足の分は娘二人に持ってこさせてよいでしょうか」


楓は看護師に必要なものを聞いてから娘たちに電話している。


「あなた、緑と茜が心配だから病院に泊まりたいというものだから

地下の宿泊施設にお部屋を取ってもらいました。

しばらく不自由かけるとおもいますけど、よろしいですね」

「ああ、いいとも・・・」

「それであなた・・・あなたの御用事はなんだったのでしょうか?」


「ああそうだった。驚くなよ」

と言ってから紹介するのは桂小五郎と幾松夫婦だ。

「ええ~~」

と言ってからしばらくして嗚咽がもれる楓。そんな行動に

「あら、どうしたんどすか?」

と驚く幾松。

「幾松さん姉さん!その楓さんは幾松さん姉さんと桂さまの子孫なのよ」

「ええ~~・・・」

と叫んで楓を見る幾松。


「顔を・・・顔を良く見せておくれやす」

幾松が夢中で楓に言って、桂にしても立てひざになって幾松の後ろからのぞいている。

普通は互いに触れることが出来ない天人と現世の人々、

沙希の真言によってこうして接触できるようになっていた。


幾松が楓の肩を抱き楓の涙に濡れた瞳と互いに見詰め合う。

「ほんに、うちの子孫・・・ねえあんた、うちらの子孫なんどすえ」

そういって楓を抱いたまま桂を振り向く幾松。桂はそんな二人を見つめこう言う。


「よかったのう、幾松。こうしてわし達が生きてきた証・・・わし達の子孫が目の前にいる・・・」

『うんうん・・・・』と頷く幾松、そんな二人に沙希が

「よかった、幾松姉ちゃん。本当に良かった・・・」

としみじみそう言う言葉に実感がこもっているからはっとして顔をあげた幾松・・・・。


「そうどす、お姉ちゃん。幾松さん姉さんや千代松さん姉さん、お園母さんや

祇園の人達が見守り育ててくれたうちと和姉の子供達が

無事に今の時代まで血を受け継ぎ無事に生き抜いてきているんどすえ」


「ええ~ほんとうどすか?・・・・和葉はんと小沙希ちゃんの子供達がねえ。

うち、よく抱かせてもらったんよ。

ううん・・・和葉さんてね、この祇園になくてはならないお人どした。、

うちら芸妓や舞妓が病んだりするともう急いで駆けつけてくれて

肉親にも及ばない手厚い看病をするんどす。

それはそれは仏様のような人どした・・・それが流行り病であっというまに・・・

だから祇園中の女達が駆けつけあげたお葬式ってそれはそれは盛大どしたけど、

うちら悲しくてねえ、この祇園に女達の涙雨で洪水になりかけたという川柳も出来たほどなんよ」


「ねえ、幾松さん姉さん。後ろを見て!・・・何か感じまへん?」

と後ろにいる早瀬の女達の方を振り向かす沙希。

「えっ?・・・」

と言いながら振り向く幾松の目には・・・・・

「あっ!・・・」

という大きな声があがる。

「あんたは・・・・あんたは・・・和葉さん・・・」

頭を下げてから幾松と楓の前に出てきて座る律子。


「よかった・・・よかった・・・和葉さん、小沙希ちゃんの時代に

生まれ変わるってきいていたんどすけど、ほんまやったんやねえ」

「幾松さん。私には和葉だった頃の記憶って一つもないんです。

けれど今のあなたのお話を聞いてどういう人だったかわかりました。

教えていただいて本当にありがとうございました」

と挨拶する律子に何度も何度も頷く幾松。


「幾松さん姉さん、では紹介します。うちの子孫どす」

というと貞子の隣に座っていた希美子と希佐が座布団から滑り降りてから幾松の前に進んで座る。

「結城希美子です」

と頭をさげる。そして

「娘の結城希佐です」

といって希佐も同様に頭をさげるのだ。


「ようここまでりっぱに血が続いてきたんどすなあ」

と自分達の子孫をも思って感慨深げな幾松だ。


「幾松さん姉さん。希佐ちゃんはなあ、明日うちと試合するんどすえ」

「ええ~・・・小沙希ちゃんとどすか?・・・ この希佐ちゃん、そんなにお強いんどすか?」


「幾松さん、これを見てくれ」

と希佐に打たれたあとを見せる沖田だ。

「ひえ~・・・それをこの希佐ちゃんが・・・さすが小沙希ちゃんの血をひくお子どすなあ。

希佐ちゃん、この沖田はんは新撰組で鬼より怖いいうて恐れられたおひとどす。

それを小沙希ちゃんに負けたんうち見てました。それは胸のつっかえがスーと降りたもんどす」


「酷いなあ、それって・・・」

「いえいえ、うちほんまのことしかよういいまへん。

そやからいいますけど、希佐ちゃん、あんた沖田はんに勝った事自慢じていいんえ、

そやけどこの小沙希ちゃんは天狗のようなお人どす。

油断も隙もないんどすえ、そんな人に勝とうなんて思たらあきまへん」


「私勝とうなんて思いません。胸を借りて試合するだけでうれしいんです」

「おうおう、よう言いましたなあ。そのお心つもりなら

小沙希ちゃんを慌てさせることが出来ます。

うちは剣術のことなんてわかりまへん、けど舞にかけては玄人どす。

舞いも剣術もここは同じや思います」

と言って胸を叩く。


「お心一つで強うも弱うもなれるんどす。そやから何も考えずにドーンとやりなはれ」

そうはっぱをかけられる希佐、そしてさすが幕末で祇園の大看板だったと

その言動から納得する女達・・・


そんな席が騒がしくなったのは置屋の女将達が用意した御酒の燗と

心ばかりの肴を芸妓と舞妓たちが運び込んだためだ。

膳に2本づつのる御酒、全てが配られたあと

「皆様のお膳に2本のっている御酒はそれぞれ甘辛2種になっているんどす。

それぞれ現世で売っている御酒やあらしまへん。

それはここと在る所だけにあるもんどす。

お飲みになられてお好きなほうを女達にいうてください」

と置屋の菊野屋の女将菊野がそういったのを合図に酌をされた酒を飲む男達、

いづれの酒も飲んだ経験のあるのは晴明だけだ。・・・・だが

その晴明にしてもため息をつきながら杯を煽るのだ。

「うまいのう」

その一言に実感がこもる。


一方の酒は飲んでいる武士達ももう一方となると何れも

「うっ!・・・」

と声をあげてしまう。それほど鮮烈な味わいがあった。


2本とも始めて飲む近藤、土方、桂の3人も声をあげて杯を見つめている。

「驚いたぞ・・・沖田から話には聞いていたがこれほどとは・・・」

「わしもいろんな酒を飲んできたが、酒を飲んで感動したのは初めてじゃ」

そういう桂だ。


現世に生きる宗太郎や三好屋にしてももう夢中だし、

小野監督や沖社長にしても顔を見合わせてから言葉も出やしない。

「酷いじゃないか」

と小野監督が声をだしたのはようやく落ち着いたのか

徳利1本を空にしたときだ。

「こんなにうまい酒がこんなところにあるなんて誰も教えてくれない。

なんか人生を半分損をした心地がする」


酒飲み和尚の峰厳にしたって

「地の酒が一番うまいとおもっていたが・・・この先ここより送ってもらうことは出来ぬか」

とさえ言っているのだ。


面白かったのは幾松だ。入院する子孫の楓どんなところに入院するのか

病室を見に行って大感銘をうけたあと

座敷がそうなっているのでどれどれと自分も酒に手をだして

「うっ」

と言って声をあげたあと慌てて台所に走っていったのだ。

花世に聞くと台所で置屋の女将たちを相手に盗み酒をしているそうだ。


                   ★★★


小沙希の様子がおかしいと思っていたのは何も貞子だけではなかった。

武士達も女達もあの幾松さえも台所で女将達と話をしながら

時々座敷の小沙希の様子をチラチラと覗きにきているのだ。


晴明もあきあに視線を送っているが何も言わない。

その心の動きが収まるのを黙って待っているのだ。


その沙希が自分で何かを悟ったように一つ頷いてから立ち上がった。

そして舞台の上に上がったのだ。

皆は自然と居住まいを正して舞台の小沙希を見つめる。

何事かと台所にいた女将達も幾松も病室に落ち着いていた楓も

病院に訪ねてきた娘二人を伴って座敷に入って座っていた。


シーンとした固唾を飲むという雰囲気のいわば客席にむかって声をあげた沙希。


「お婆ちゃま、うちの今朝舞った三幕の舞・・・」

「へえ、樹沙羅はんの舞どすな」

「うち、あれで完成した思てました。けんど今、あれの・・・

あの舞はまだまだ未完成やと気づいたんどす」


「あの舞が未完成?・・・それどういうことどすか?」

「へえ、舞の解釈の仕方が全然違ていたんどす」

「どうしてそう思いはったんえ・・・」

「へえ、それはあの事件からどす」

「あの事件?・・・」

「蓮昌尼様と高子様のお話からどす」

と言われて顔を見合す妙真尼と蓮昌尼。

「それ、聞かせておくれやす」


「へえ、今朝のうちの舞には男と女の愛は入ってました。というよりそれが主題の舞どした。

けんど違うんやないか・・・と気づかせてくれたんが高子様どす。

自分のお腹を痛めて産んだ子を放っておいても先妻の子を助けて・・・それは二人の命を助け、

希望を持つ大きな世界の中で二人を育ててほしいと言う高子様の願いどした。

そしてそれとは別に夢と希望に満ちた人生を交通事故というもので失い、

人生を呪い続けている姉に再び人生の素晴らしさを持ってほしいと願う

妹の肉親の愛がこめられてもいたんどす。

肉親の愛・・・・それどした。その言葉がうちの舞の解釈をぐらつかせたんどす。

うちが那賀杜姫ながとひめ様に語った樹沙羅には

男女の愛だけどした。けんどよう思い出してみれば違とったんどす」


「なにが違ごとったんえ、小沙希ちゃん」

声を飛ばしたのは幾松だ。舞に関しては夢中になる祇園の芸妓なのだ。

「へえ、樹沙羅がどうして鬼女になったかなんどす。

遠い遠い過去のことどすから樹沙羅自身の記憶が混乱しとったんどす。

そやからうち一つ一つ紐解いていきました。そして判ったんどす」


部屋にいるもの全員が身動き一つとれずに聞いている。

初めて訪れた楓の娘、緑と茜ももう夢中になって聞いている。

こんなところに・・・と驚いたあの天才といわれる女優『日野あきあ』

凄い!と生唾を飲んでしまう光景だ、


「樹沙羅が人から鬼女になった理由が、子供が産まれた幸せの絶頂から

野武士に我が子を目の前で殺された地獄・・・・」

「沙希ちゃん!・・・それって・・・」

「へえ、うちと薫姉さんが小野監督に撮ってもらった映画と全く同じなんどす。

雪夜叉も我が子を殺され夜叉になった。樹沙羅も鬼女になったんどす。

記憶が混乱してても肉親の愛はどこかにある思いました。

樹沙羅とうちが愛し合ったあと、うちに殺されるために襲い掛かってきた樹沙羅。

うちは眠うて眠うてしかたなかったから・・・。

うちをぎゅっと抱きしめて眠らせてほしいというた後、

うち眠るまでの短い瞬間感じたことがあったんどす」


「それはなんえ・・・」

「ああ、母さんだ・・・母さんが抱きしめてくれている」

それが全てだった。沙希の想いは女達の胸に染みていく。


「小沙希ちゃん!舞ったらええ・・・その想い舞ではきだしたらええ。ねえ、お師匠はん」

という幾松に頷く貞子。

「幾松ちゃんが言うた通りどす。小沙希ちゃん・・あんたの胸にあるもん全て吐き出しなはれ」

そういう貞子に沙希は頷いた。

「うち、小沙希ちゃんの舞見るんは幕末の玉屋さんのところ以来どす。楽しみやわあ・・・」


そんな言葉を聞いて驚く緑と茜、そして母の楓に何事かささやかれて目が落ちそうに驚いている。


「うち、この舞完成せな明日の試合心から専念でけへん思てました。

けんど何とか出きそうどす」

と言って舞妓の衣装から能面をつけた真っ白な着物にかわる。

緑と茜には驚きの瞬間だ。


「ポン・・・ポン・・・ポポポン・・・」

鼓の音が響く稽古場、舞う沙希の一つ一つの滑らかな舞い姿が

客席の皆を幽玄の世界に引き入れていく。

以前見たからと余裕をもっていた幾松もそれどころではなくなっていた。

大きな目をさらに大きくし、身を乗り出すように見ているのだ。


一番驚いていたのは不世出の舞姫と言われていた蓮昌尼だ。

自分がいかに井の中の蛙だったかを思い知らされながら必死に・・・いや、もう憧れの目で見ている。

目の前にいるのは神だ・・・舞の神が舞い降りている。


沖社長にしたってそうだ。音曲や舞の通だと言われていた自分が

いかに何も知らぬ素人なのかを悟った瞬間であった。

この人しかいない・・・この人を中心にこれからのこの業界が 動いていく・・・

そう確信した瞬間でもあった。


貞子や高弟達・・・紫苑にしたって今朝見たからと言ったって

落ち着いて見れることが出来なかった。それほど沙希の舞は変化していた。

貞子の体が震えるほど身の内の興奮はあがっていく・・・紫苑は舞の中に彷徨い歩いている・・・

これは今朝の舞どころではなくなっていたのだ。

解釈一つ加えることでこんなに変わってしまうものか・・・

いかに自分達が安住の地で教えているのかが判ったのだ。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・そして、能面が割れた。

白い着物が真っ赤に染まっていた。


崩れるように座り込む沙希。

慌てて座布団とお茶を持って舞台にかけ上がる志保と勝枝。


「初めて同然の舞やさかい、つらおした」

そういう沙希にむかって

「ふ~む・・・あきあよ、お前の舞、神の領域に近づいたようだのう」

としみじみいった晴明の言葉が皆の心に広がっていった。


楓は自分を助けた人がこんな人だと知った喜び、

緑と茜は母に呼ばれた始めての場所で知ってしまった不思議の世界に戸惑いを通り越し、

ただただ二人硬く抱き合って呆然とするのみだ。


「小沙希ちゃん!初めて同然の舞やゆうてあんたは凄すぎるんどす。

その着物が真っ赤になっとるんは小沙希ちゃんの汗でっしゃろ・・・

汗が真っ赤に染まるなんて冗談やおへん。そんなん出きる人なんかどこ探しても居やしまへん。


うちら幕末の玉屋はんで小沙希ちゃんの舞をみました。それは凄かった。

そやから舞妓ちゃんの中であんたの舞真似しようとする子いたんどす。

けんどその子舞われへんようになってしもた。

ここにおられるお師匠のお母はん、それを聞いてえらい怒りよりましてなあ。

そやからうちら小沙希ちゃんの舞は絶対真似せんとこうって、みんなで誓い合ったんどす。

けんど小沙希ちゃんの舞はどうしても後世に伝えていこうって言ってたんどすが、

今、置屋のお母ちゃん達に聞いても小沙希ちゃんの舞のこと誰にもつたわっとらんかった。

そらそうどす、今の舞見てたら誰もどうも出来まへん」


「幾松ちゃん、あんたはやっぱりこの祇園の大看板を背負ってきたお人や。

あんたの言う言葉いちいち頷けるんどす。

小沙希ちゃんの凄さ改めて目の当たりにしたけど、

今幾松ちゃんが言われたこと、今朝花江ちゃんもいうとりました。

小沙希ちゃんの真似だけはするな!・・これ舞妓ちゃん達、

肝に銘じて守らなあかん!・・・わかりましたな」

幾松は花江と顔を見合わせて笑いあった。

花江が祇園の大看板を背負う日は近い・・・。


「ふ~・・・ため息が出てしまうね。君を見ていると・・・

わしが君に対してメガフォンを振れる喜びはより一層大きくなるし、

君の才能に凄みを増すのを見た驚きって正直予想を遥かに越えているよ。

明日の試合を思うと一体どうなるのか・・・

今わしの体はこちんこちんに凝り固まっているんだ。

あきあくん、久しぶりに君の横笛聞かせてくれないか。

悪いがリクエストとして『翔龍丸』でお願いするよ。

今の状態ではあの笛のほうがいいと経験が物語っているんでね」


沙希が体の前に両手の平を出すとその上に現れる『翔龍丸』。

「うっ」

と思わず声を上げるのは初めて見る数少ない人だ。

口に静かにあてると笛の音が静かに流れ出した。

笛の音は聞いている皆の凝り固まった力を抜き去り

ふんわりとした時の流れに身をゆだねさせていく。

土着した魂魄が蛍の光のように天に帰っていく。

星の瞬く夜の静かな光景であった。笛の音が止んだ・・・・


「ふ~」

と出るため息は音色に対する感動のためなのか・・・

それともただならぬ吹き手への賛辞なのか・・・・


「あきあくん、今の音色はいつもと違ったが・・・」

「へえ、この曲はうちが晴明様の元で修行をしていたときに

晴明様がおつくりになった曲なんどす。

毎夜毎夜、晴明様のお屋敷の木や草花の覆い茂った庭先で

晴明様が杯を傾けながらうちが吹いていました。

自然の息吹きに聞かせなさい、そういつも言われていました」


「ほう、そういう曲なのか」

「吹き手が良いと酒がうまいのじゃ」

「でも、いつも晴明様に注意されていましたよ」

「あははは・・・されど今日は文句はない。それだけあきあの腕があがったからのう」


「ちょっと晴明様!小沙希ちゃんの腕があがったですって・・・

何を言ってるんですよ、小沙希ちゃんの横笛はもう名人ですって・・・」


「いいや、まだまだだ・・・」

「だって・・・」

「あきあの笛によって、風が舞わぬ、草木が舞わぬ、花が舞わぬ。

自然があきあの笛によって舞わなければならぬ」

「そんなことって・・・」

「あきあならできる筈じゃ」

晴明のあきあに求めるものは高い。


「うち、これで明日の試合を何の心置きのう戦うことが出来ます」

と舞妓の衣装に替えた小沙希が言う。


「くくく・・・」

と思い出したように笑い出したのは竜馬だ。

「竜馬様どうしたんどすえ?」

沙希が聞くと

「いや今、沖田と篠原の両君が明日の試合に意地の悪いことをしたのを思い出したキニ・・・」

「意地の悪いこと?・・・」

「そうだ・・・・篠原くん・・・」

と呼ぶ竜馬に源太郎が苦笑いしながら

「沖田くん、奴は?・・・」

「いいえ・・・聞いていません。聞いているのは菩薩様と阿弥陀様です」


それならば・・・と話すのは

「明日の試合、沙希殿と希佐殿の試合を最後にしたのさ。

こんなときのこと現代の言葉で言うだろう・・・・」

源太郎の言葉に反応した女達・・・

「メイン・イベント!」

「えっ?・・・じゃあ・・・」

「沙希殿がやつを相手にする試合は・・・・」

またしても

「前座!・・・・」

と答えるのだ。


「やつにはあっているのさ・・・だから沙希殿・・・思い切りやればいいさ・・・」

沖田も源太郎もひどいことを仕掛けたもんだ。


苦笑いする沙希に

「そうだ!・・・いかんいかん・・・明日の試合が終わるまで希佐は沙希太郎とは敵なんだ。

希佐!・・・これから道場に立ち返り鍛錬じゃ」

と立ち上がる結城弦四郎。


「はい!爺様!」

と言って希佐も立ち上がる。

「どうする沖田殿、お主は」

「そうですね、私との立合いで希佐殿にあの恐ろしい剣をあみ出された。

その責任もあるので・・・判りました、私もお供しましょう」

と立ち上がる沖田。

「わしらは後からゆるりと行く」

と近藤と土方。


3人が行ってしばらくしてから

「ところで・・・」

と小野監督が沙希に聞くのが

「わし達、まだあきあくんの試合の対戦相手を聞いていないのだが・・」

ということだった。

「武蔵様です・・・」

「えっ?武蔵?・・・・あの宮本武蔵なのか」

と言った小野監督の声が震えだした。

「はい、二天一流の宮本武蔵様です」

という沙希に

「小野さん・・・・」

と沖社長も震えがとまらぬ。


「み・・宮本武蔵?・・・坂本竜馬様。これって本人なんですね・・・・」

そう聞き返さずにはいられない沖社長。


「そうだ、沖殿。でも、沖田は武蔵よりも沙希殿の方が強いといっている。わしもそう思うのだが・・・」


「日野あきあ君のほうが強い?・・・・こ・・根拠はあるんですか?」

「沖田が天界にいる武蔵と剣を交わせたのだ。けれど武蔵のその凄い剣技に敗れ去った。

だが負けたといってもその剣技に沖田に恐れはなかったと言っている。

相手の一日の長にやられたとも言っているのだ。

しかし、幕末の試合でその沖田が沙希殿に完膚までにやられた。

沙希殿と相対した恐ろしさで身動きができなかった。そう言っているキニ。

この試合わしもみていたので沖田が感じたとおりだと思う」


「あきあくんってそんなに強いのですか?」

「ああ、強い。この晴明様に徹底的に教え込まれたのじゃ、

晴明様の亜流の兵法者に負けるわけがない。

それに心にあった舞に対するわだかまりもすっかり無くなっているのだ。負ける要素などない」

そういわれた沖社長、少し考えていたが

内ポケットから携帯電話を出してかけはじめた。


「ああ、君か・・・明日の試合の中継はGO!だ。

ああ、聞いている。例の事件のとき比叡山の基地にいた君ならわかるだろう。

・・・解説?・・・そうか、へたな人には頼むな。

スタッフはもう?・・・そうか集まったか。そうか、わかった。

ああ、小野監督にはお願いした。

カメラマンは・・・ああ、小野さんにいわれた・・・12人だ。

信頼のおけるスタッフだ。へたはうたないだろう。」

と言ってから沖社長が読み上げる試合相手の名前に、

電話の向こうから興奮した大きな声が聞こえてくる。

「・・・・・以上だ。ああ、信じないものはドラマとして見るだろう、CMは前後だけで中はなしだ」

と言って電話を切った。


「沖さん、じゃあ・・・」

「はい、GO!です。あとは小野さんよろしく」


「あきあくん、ステーションを24台だ。いいかね」

「24台ですか?・・・」

「ああ、12台は沖さんのところのTV中継用だが

あとの12台は映画の記録用として撮っていくんだ」

「映画の記録用?」

「そう、映画にするよ」

首をかしげるが黙っている沙希。

「それと、例によって瑞穂くんとゆりあくんをかしてくれるね。

まゆみ社長・・・」

「OK!ですわ、小野さん・・・いいわね、瑞穂ちゃん、ゆりあちゃん」

「はい」

と二人立ち上がってお辞儀をする。


「あのう、よろしいでしょうか?」

と舞台上の沙希を仰ぎ見るのは河合刑事だ。

もうすっかり魅了されて明日の試合には絶対行くことを決心している。


「河合さん、判っているわ。あの事件の最後の核心ね」

「はい」

と返事をする涼子。

あきあには1を言っても10が帰ってくる。凄い人だ。

「沙希ちゃん!・・・それそれ・・・私も聞きたかったの」

というのは大空圧絵だ。

皆も身を乗り出してくる。関係者も多く居るから・・・。


「どうして、カコちゃんや紫苑姉ちゃんが狙われねばならなかったのか・・・

それは実は平安期から残されていた古文書にあったんです」

「古文書?・・・それは一体?・・・」

「不老不死の妙薬!・・・」

「不老不死の妙薬?・・・」

それはあまりにも突拍子もないお宝だったので皆の声が揃って出てしまった。

眉につばをつけそうな話だ。

この話に精通していない小野監督、沖社長、そしてその妻の楓、娘の緑と茜は

婦警達に事件のことを聞きながら沙希を見ている。


「おほほほ・・・面白いでしょ。誰もこんな話を信じるわけない。

けれど古文書というものがついてくると話が変わってくるのです。

たとえば徳川家埋蔵金という話に絵図面のようなものがついてくると

俄然飛びついてくる山師のような人たちが現れるでしょ。

それと同じなんです。あまりにも滑稽なお宝だけど古文書があることだから、

調べてみるのも一興・・・と思ったのが綾小路家の御当主でした。

そして御当主は平安から続いたあの屋敷のどこかに

そのお宝があるんだと確信したんです。

喜こび勇んだ御当主がそれを最近雇い入れた執事に言ってしまった・・・

これがこの事件の発端なんです。


その執事こそ『殺人集団レッドアイ』の首領穴山大介でした。

彼らは殺人だけでなくこれと思った屋敷に入り込み、

家・土地・財産というものを根こそぎ奪いとっていました。

穴山はこれはしめたと思ったことでしょう。

誰をも疑わぬ茫洋とした当主に膨大な財産・・・

そして、どこかに隠されているお宝・・・不老不死の妙薬・・・

と思わないまでもお金になるのだったら何でもよかったんです。


庭師の穴山大介と御当主は屋敷の敷地を探しまわりました。

一方で綾小路家自体を奪う算段をしていた穴山達は

古くからいた女中達を事故や脅しで止めさせて、自分の部下達に入れ替えていました。

こうした穴山達の動きにいくら凡庸な御当主でも気づかぬはずはありません。

でも、相手は殺人のプロです。御当主はあっというまに殺され、

その遺体は裏庭にある古井戸の中に投げ込まれ、その上から瓦礫や土で埋められてしまったんです。


こうして変装のプロの穴山大介が御当主に、穴山小介が執事に化け、

部下がその雇い人達となった綾小路家が誕生したというわけです」


「なんだか聞くだけで身震いがする事件だな。

あきあくんが解決した事件の中でも特筆するものじゃあないか」

と小野監督だ。

「はい、身震いするほどの悪辣さ、吐き気がするほど悪に染まった一団といえるでしょう。

有るか無いかの不安定要素のあるお宝についてはあとにまわして、

彼らはまず土地・建物を手に入れ売り払う算段から取り掛かりました。


彼らの目的のもの・・・土地・建物の権利書です。

・・・を必死に探しました。でもどこにも見あたらないんです。

偽の書類を作って土地と屋敷を売り払ったあと姿を消す。

と言うことも考えられましたが、彼らは普通の集団ではないんです。

契約書をかわして人の命を奪うのがあくまで本業の殺人集団です。

アシがつき易い詐欺は彼らの首を締めることになりかねません。

それにもうかなりの投資をしてしまっています。

彼らはもうこの犯罪に抜き差しできなくなっていました。

穴山兄弟が恐ろしいのは部下の下克上・・・つまり造反でした。


この犯罪に失敗すれば自分たちは殺されて後に変わる者がいる。

常にその不安で変装をして部下の様子を伺っていたのです」


「悪い奴だけど、自分の部下さえ信じずそんな不安に毎日戦っていたなんて、なんだか可哀相・・・」

と言ったのがまだ小さいひづるだったので皆は少し驚いたが

「ひづるちゃん、その考え大事に大事に持っていてね。忘れちゃ駄目よ」

という沙希の言葉に日頃の天敵ぶりを忘れてひづるに笑顔を向ける薫。


「一方、気位の高いお嬢様・・・と蓮昌尼様に評された紫苑姉ちゃんはどうしていたのでしょう。

日に日に心安い女中達が消え、目つきの鋭い者達に入れ替わっていく。

不安で不安で仕方なかったでしょう。

その上、いつのまにかあの茫洋とした父親が時折みせる鋭い目・・・

紫苑姉ちゃんはそこで父親が父親でなくなっているのに気が付いたのです。その恐怖ったら・・・

でも、そこで姉ちゃんは突拍子もない行動に出たんです。


もともと、部屋に閉じこもって表に出ようとしなかった紫苑姉ちゃん。

これはお母さんが無くなってすぐに新しい母親を向かい入れたレジスタンスだったんですが、

それが功を奏したんです。今や誰も知らない娘の性格・・・・気位の高いお嬢様・・・

険のある高い声で使用人を怒鳴り散らし、我儘放題でヒステリーをおこしたら止まらない。

そんなお嬢様像を悪人達に植え付けたんです。

そんな扱いにくいお嬢様を何故無事に放っておいたのでしょう。

実はこの屋敷内に権利書がないと核心した穴山兄弟が

その権利書をかすめとった人物から取り返すための人身御供といったら

わかってもらえるでしょうか。正当な跡取娘がここにいるぞ・・・とね。


勿論、更なる悪党がそんなことをしていても彼らにとっては思う壺です。

何しろ彼らは殺人集団なのですから・・・・


本当は物静かで不器用で人との付き合いが苦手な・・・

およそお嬢様像からかけ離れていたのが紫苑姉ちゃんです。

それが普段に『気位の高いお嬢様』を見せ付けられていた、ただ一人の人物・・・そう高子様です。

紫苑姉ちゃんは高子様にとって手がつけられない我儘娘でした。

でも、高子様には旅の途中で病を発し、

行き倒れ同然に綾小路家の門前に倒れていたのを助けて

手厚く看病してくれた先妻の雪乃様には大恩がある身です。


雪乃様の命消え行く寸前の懇願に躊躇していた高子様でしたが、

両親はすでに無く、大好きな姉も人生を呪って廃人同然、

自分の幸福をあきらめていた高子様が雪乃様の言いなりになったのは

当然といえば当然かもしれません」


そんなことがあったのか・・・と何も知らぬわが身の情けなさに

妙真尼に抱きつき再び泣き崩れる蓮昌尼。


「ただ一人、紫苑姉ちゃんの母恋しさによる引きこもり以外は平穏な日々が続きました。

けれどある日、交通事故による昔から使えていた執事の死から綾小路家に暗雲がたちこめらのです。

勿論、これは暗殺集団による謀殺でした。

喪があけたある日です。高子様が雇い入れた新しい執事を見た瞬間です。

『いけない』・・・と瞬間に思うほど執事の目は悪に染まっていたのです。


高子様は生前に雪乃さまに言われていたこと

『凡庸な男にはすぐに悪が近づきます。

その時は躊躇せず三下り半をつきつけ、例の物を持って屋敷を出て身を隠しなさい

・・・を実行したのです。


高子様はそのようにして、呆然としている夫を放って置いて

その夜、蓮昌尼様の手引きで屋敷を抜け出しました。


もともと身体のお丈夫ではない高子様は気苦労のせいか

身体の調子が悪くなって相良病院に入院されました。

その上、ご自分の命と引き換えのように玉のようなお子様を御産みになって、

この世に血を分けた我が子をお残しになった・・・

その臨終の際の言葉・・・それは先ほど申したとおりです・・・」


「私・・・紫苑さんのことも何にも知らなかった・・・

無理解も無理解・・・あきれるほどだったのね・・・・」


「うちこそ・・・記憶がなくなる前のうちとはいえ・・・

母様のことなあんも判っていなかったんどすえ・・・」


「高子のこと母と言ってくれるんですか?」

「あたりまえどす。・・・うちには母様が二人いて天から見守ってくれはる。

それにこんなに大勢の家族があるんどすこれ以上の幸せ、あるもんやおへん」

そう言って蓮昌尼のそばにいって固く手を握るのだ。


「以上がこの事件のあらましどす」

と再び京都弁に戻った小沙希に

「ねえ、沙希!」

と声をかけたのが京子だった。


「なによ、京姉!・・・」

「だって、まだそのお宝ってのを聞かせて貰っていないじゃないの」

「ああ、そうどした・・・」

と言ってからチラっと晴明に視線を移してから

「じゃあ、そのお宝のこと晴明さまにご説明してもらいますえ」

「おいおい、あきあよ。その不老不死の妙薬とはおまえに因があるのじゃぞ」

「そんなこと判っていますえ、けんど晴明様がうちに黙っていたことも因があるんどす」

「判った判った、ではわしから話すがあとはまかせるぞ」

「へえ・・・・」

どうやら、お宝とは晴明と沙希が絡んでいると全員が見てじっと話が始まるのを待っていた。


「そもそもじゃ、わしは帝に京の守護を任されたことが因となった。

京を隅々から調べなおす、そんなことをせねばならぬのじゃ、

実を言うといやでいやでのう、屋敷で御酒を飲みながら草花を愛でる・・・・

そんな暮らしがたまらなくなつかしかった。

そう、あきあがわしの元にくるもっともっと前じゃった。

京を調べなおすといっても良く知る京じゃ。


その日、すぐに飽きたわしは式達が用意する御酒を目の前におき、杯を取ろうとした時じゃ。

つれづれに出しておいた京の地図の下に日本の古地図があったのじゃ。

それは誰が作ったも知れぬ古い時代から伝わったものじゃった。

わしはふと気づき大きな樽に水をはったものを式に持ってこさせ、

その横に置いた日本の古地図を水に写し取ったのじゃ。

なるほど日本は広かった。隠し金山やいろんな宝が眠っていた。

早瀬の隠れ里を見つけたのもその時じゃった。


そしてわしはふと気づき、京の地図をもってこさせた。

いや、その地図はその時作られたものではなく

古から伝えられた京のあたりを詳細に書いた地図じゃ。

無論、平安京などなくただの山や川ばかりじゃがな。

・・・なるほどあった。平安京の地図と照らし合わせて見ると

わしが良く知る屋敷の地下深く・・・そうじゃのう、

この平成の距離でいうと200mほどかのう。

それは早瀬の里にあるものと全く同じだった。

わしはそれらを紙に写し取り術で見えなくして、押し入れ深くしまっておいた。

勿論こんなこと誰にも言わず秘中の秘としておいた」

晴明の説明はそこまでだった。


「晴明様が秘中の秘やいいはったけどうちが修行をしているとき、

晴明様自身そんなこと露ほどもおほえてはおへんどしたえ。

でもどうしてそれが古文書として今の時代に伝わることになったかといえば

家屋敷にお宝を隠した文書・・・平安時代には銀行さんがおへんから

金銀財宝を壷にいれて家屋敷のあちこちに隠しとったんどす。

けんど物忘れするんは人間の常、誰もいなくなった家屋敷から

金銀財宝が見つかるいうんはそのころもようあった話どす。

そやからお家の人忘れんように文書をつくりはった。


その文書を狙い財宝をかすめとる野武士どもが暗躍したんどす。

そやからうち、文書をつくって野武士をおびき出そうと、

古くなった文書の紙に奇想天外で魅力あるもんを書いたんどす。

・・・・その時はそうおもいましたんえ、

けんど今考えればあほなこと書いたもんやおもいます。

『不老不死の妙薬』やて・・・眉唾もんもええとこえ。


けんどそんな文書が盗まれたんどす。びっくりしまっしゃろ。


それもどす。3件両隣りがそれぞれ違う野武士におそわれたんどすえ。、

どない思います?まるでコメディどすろや・・・・そんなあほなこと・・・

うち呆然として身体動きまへんどした。

見張っていた今でいう警察官と野武士3組がそれぞれチャンチャンバラバラなんて

ほんま前代未聞どす。うち・・・なあんも考えられまへんどした。


後々になってわかったんどすが、野武士達全員つかまっていたんどす。

えっ?・・・うちどすか?うちなあんもしまへんどした。

途中でなんやあほらしなってもて・・・」


聞いている皆がクスクス笑っており、武士達は呆れ顔だ。

今まで真剣な話だったのに、急にさばけた話になったからだ。


「けんどどすえ、不思議なんどす。なんにも無くなってえへんのに

うちの書いた文書だけがどこにもないんどす。

へえ、もう一生懸命探しましたえ。

うち、くびをかしげながら晴明様のお屋敷に帰った時、屋敷内大騒ぎどした。

うちが飛び込んで来て屋敷内をあっちこっちひっかきまわして

出て行ったと宮中から戻ってきた晴明様が式に話を聞いて、うちが何をしたかと調べてみた結果、

その昔、この京都のある屋敷の地下に隠されているお宝を記した紙・・・

それがなくなっている事に気づいたんどす。


うち、晴明様にえらい怒られました。

あの紙どうしたかと聞かれて判らないと答えたからどす。

実際そうどした。どこへ行ったかほんまに判らへんのどす。

うち一生懸命なんであの紙が必要だったか説明しました。

晴明様もう大笑いどした。うちもうこんなドタバタ嫌や言いましたが

式達を使ってもう一度文書を探させたんどす。

ほんとうに何にも出てきまへん。結局出てきたんがこの平成どす」

と言って袂から古い紙を出してきたのだ。


沙希はその紙を晴明に向かって吹くと、ゆったりと鳥が飛ぶが如く

晴明の伸ばした手のひらに乗った。


薄い古文書の中に『不老不死の妙薬』と確かに書かれてあるのを

晴明が頭の上に掲げて皆にみせる。


晴明が術をかけると、文字が書かれた反対側にくねくねとした

文字が浮かび上がってきた。


頭に掲げたその文字に女達が

「晴明様!達筆過ぎて読めません」

と言われて

「ああ・・・これを達筆というのか、世の中変わったものじゃ」

と嘆息するのだ。


そこには『綾小路屋敷地下』とのみ記されてあり

「元々わしが心覚えのために書いたものだからのう」

と言う晴明だ。


「その綾小路家の地下には、早瀬の里と同じものが・・・

と先ほど言われましたが、じゃあ・・・」

「そのとおりじゃ、男には用のないもの・・・おなごにしか効かぬ温泉じゃ」

地下の温泉を知るもの全員が沙希をみる。


「しかし、この先の世に何があるのか判らぬのが人の世じゃ。だからわしは術を施した」

早瀬の女達、皆えっ?という顔をする。


「早瀬の女達にはわかっておろう・・・」

「そうなんです。晴明様は綾小路家の姫に早瀬と同じ術を施した。

女しか生まれない家系・・・早瀬一族と違うのは細々と

この土地・建物だけを幾世代守りつづける役目を負った 女だけの家族を生まれさせたのです。

男は何故駄目なのでしょうか。男は昔から、表に出て戦いに明け暮れています。

女は家を守ってきたのです。男は家を大きくも小さくもしますが、女は家の要なのです」

「なんだか悲しいわ」

早瀬の歴史を思って悄然とするのだ。


「紫苑姉ちゃん!・・・というのが綾小路家の家系なの。

雪乃様も高子様もそうして家を守って命を削ってきたわ。跡取の娘としてどうする?・・・」

と聞く沙希に

「どうするったって、今のうちには覚えのないお屋敷のことどす。

もしうちがその家を継ぐとしてもこんな悲しいこと早う終わってもええ思います。

今、発端を作った晴明様も沙希もここにいます。

1000年の夢・・・そう1000年の間、夢を見ていた思います。

それにうちの家はここどす。ここしかあらしまへん」

そういう紫苑に沙希はにっこり笑い

「さすが紫苑姉ちゃん。そう言うとおもってました」

と言ってから

「ママ!・・希美子さん!・・」

とこの地下施設の責任者と副責任者の名前を呼ぶ。


「なに?・・・沙希ちゃん!」

「何でしょうか、沙希さん!」

と返事する二人。


「綾小路家の土地・建物そしてそれに付随する美術品などを

警察の検証が終わり次第、府や国の適正価格で買い取ってください」


「買い取れったって、権利書がどこかにいって判らないんでしょ?」

と聞くママに

「いいえ、権利書はここにあります。そうですね、蓮昌尼様」


蓮昌尼は平伏し、沙希にいう。

「恐れ入りました。高子の臨終の時に預かって以来

肌身はなさず持ち歩いておりました」


「奴らに見つからぬよう肌に直接つける肌着の裏を細工して

持っていたのでしょう」

「恐れ入りました、その通りでございます」


「では、あとでママや希美子さん。そして妙真尼のばば様達と下の温泉に入る時に

渡してやってください」


「温泉ですか?」

「平安期より古く湧き出ている女性しか効かない癒しの温泉です。

あなたの身体で味わってください。

そのあとは明子先生!蓮昌尼様の診断を頼みます」

「沙希ちゃん、判ったわ」


そして

「ママ・・・希美子さん・・・まだ頼みはあります」

「なんでしょう」

と嬉しそうに返事する二人。

これから聞かされることは予想がつく。


にっこりと笑いながら

「お二人ともわかったようですね。・・・そうです。

買い上げたお金を5等分して1/5は蓮昌尼様と妙真尼様の庵に寄進してください。

後を半分ずつ分割して紫苑姉ちゃんとカコちゃんの財産分けとして

弁護士に管理してもらうようにしてください」


「わかったわ、すぐにでも美也子に弁護士を紹介してもらうから・・・」


「買った後の土地や建物はどうするんですか?」

と希美子の質問に答えて

「建物は壊します。さっき紫苑姉ちゃんが言ったように1000年の間の夢を継ぐ

建物なんかない方がいい・・・そう思うからです。その後に看護師さん達の寮と学校を作ります。

そしてその周囲は木々の緑がある公園・・・

学生達が本を読んだり、おしゃべりしたり・・・そんな光景が見えます」


「いいわあ、それって・・・」

と看護師達から声が飛んだ。


「それから、まゆみ姉さん!」

「えっ?何なの?・・・」

「紫苑姉ちゃんは芸能人ではないんですけど

早乙女薫事務所でしっかりマネージメントしてください。

このお姉ちゃんちょっと目を離すととんでもないことしでかすんだから」


「こら!・・・沙希!・・・・てめえ・・・自分のことにかこつけて

人を何だと思ってる・・・」

紫苑が初めて使う京都弁以外の言葉だが、

こんなに沙希を怒鳴る適切な言葉はないだろう。

つまり誰にでも自然に出てしまうのだ。


「ひ・・・酷い・・・うち、せっかくおねちゃんのこと思って・・・」

と泣く沙希に

「沙希・・・」

と沙希の言葉に引き込まれてしまう紫苑。


「紫苑ちゃん!・・・騙されるな!

目の前にいるのは天才女優なのよ。人の心につけいることなんて朝飯前。

着物の袂で顔を隠しているけど舌を出しているわよ」

と怒鳴る薫だ。


沙希は袂を下ろすと

「チェッ・・・もうすぐだったのに・・・薫姉さん・・・酷いわ。

せっかく紫苑姉ちゃんに今度の舞の琵琶の演奏を

お姉ちゃんのほうから手伝わせてって言わそうと思ったのに」


「そんなことしなくても演奏ぐらいやってあげるわよ」

「えっ?本当?・・・良かった。

舞を舞いながら琵琶を演奏して謡を謡うってけっこう重労働なの・・・」


「えっ?そんなことするわけ?今度の舞の会・・・」

「そうなの、まあ今回は我慢するけど南座での本番では

舞に専念したいから・・・・琵琶は紫苑姉ちゃん、

謡いは麗香姉さん・・・と、やったね、カトチャン!・・・」


最後の言葉は何のことか判らなかった紫苑であるが

ひづるが気の毒そうに紫苑をみながら

「紫苑姉さんも沙希姉さんの手の内なのよね」

「えっ?・・・やっぱり?・・・なんかおかしいなあって思ってたの」

「麗香姉さんもそう、昨日里に電話したら麗香姉さんて

もうガラガラ声なの、苦労しているんだわ」

「じゃあ、全部沙希の罠?・・・・」

「そうとも言えないけれどお姉さん達で遊んでいることは確かね」


そんなこんなで沙希の1日は暮れていった。




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