第二部 第十三話
沙希が目を覚ましたとき、
横で寝ていたケイトが沙希をジッと見ているのに気づいた。
「やだぁ!・・・ケイト!・・・私の寝顔を覗くなんて」
「ふふふ・・・いいじゃないの。それに、その反応の仕方って本当に可愛い女の子ね」
「だって私、女だもん」
「そうね、沙希は大した女よ。本当に大好きな私の旦那様!」
そう言って抱き合う二人・・・・・・
「あっ!いけない!・・・・」
と飛び起きたのはしばらくしてからだ。
「どうしたの?沙希!」
と掛け布団で胸をかくして身体をおこしたケイトがいう。
「だって今日からよ、わたしが安楽椅子探偵になるのは・・・」
「あっ、そうだった。私も急いで用意をしなくっちゃ」
「あら、ゆっくりとしてればいいのに・・・」
「そうはいかないわよ。これでも私はマスコミの人間よ。
こんな面白い取材ネタが直ぐ傍にあるのにじっとしてなんかいられないわよ。
それに日米取材合戦があるんだから・・・」
「えっ?だったら・・・・」
「そうよ、相手は智子と京子よ。2対1だけど勝って見せるわ」
そういって素早く着替えると自分の部屋に戻る為に出て行った。
「やれやれ・・・・」
といってため息をつくと電話を取って内戦をまわす。
「あっ!杏姉・・・用意ができたわ」
といって電話を置くと1分もしないうちにドアがノックされた。
「どうぞ」
入ってきたのは杏奈だ。ジロリと開いている寝室を見てから
ドレッサーに座る沙希に近寄った。
杏奈はヘアーのセットをしながらポツリという。
「ケイトがいたのね」
「どうしてわかるの?」
「香りよ」
「杏姉はどうするの?」
「わたしはいい。まだまだ沙希についていきたいから。
来年のアメリカでの撮影がおわったら考える・・・そのかわり・・・」
「そのかわり?」
「キスして・・・」
と身体を沙希に預けて両手を沙希の首に回してキスをする。
完全な受身の沙希だったが『ガクッ』と力が抜けた杏奈の身体を受け止めた。
すっかり元気になった杏奈・・・身体もそうだがモヤモヤしていた心のほうも
すっきりしたのか、鼻歌を歌いながらメイクを手早く終えた。
「さあ、いいわ。・・・今日からでしょ」
「ええ」
「あの子を助けてあげて」
「わかってる!」
と言って二人して部屋を出て行った。
レストランで軽い朝食をとってから大広間にいくとすでに大勢の女達が
集まっていた。
「遅くなってすいません。お婆ちゃま、おはようございます」
「おはようさんどす。小沙希ちゃん、今日からどすなあ」
「へえ、おばあちゃま。うち、今日から二足のわらじどすえ」
「二足のわらじ?」
「舞妓の小沙希と安楽椅子探偵のあきあどす」
「まあまあ。小沙希ちゃんも忙しいことで・・・」
とからかい口調だが本心はといえば小沙希が傍にいることでもう嬉しくてたまらないのだ。
「あなた達!今の時間からじゃ遅刻じゃあないの?」
と制服姿の婦警達に声をかける。
「いいえ、私たちもう出勤してきたのですよ」
「えっ?」
「警視正が一緒に府警まで行かれて署長に私たちのこと話して頂いたのです」
「それで?」
「あきあさんが指名された西沢、緋鳥、佐藤の3巡査は常駐ということですが
我々も全員とはいきませんが交代で事にあたることになりました」
「今日は初日ということで今後の捜査方針を聞いてくるようにと言われて
全員ここに集まったのです」
「判りました。ではこれからの捜査方針を・・・・といったところで特別な捜査方針なんかありません」
「えっ?」
という声があがる。
「いくら私に力があるって、白紙の状態では何もできないわよ」
「あっはあ・・・・」
「でも何もないからって、行き当たりばったりに歩き回ることは無駄でしょう」
「そうですね」
「白紙の状態といっても全くゼロってことはないのよ」
「沙希ちゃん、それは杏奈の?」
「ええ、そう。杏姉が紫苑ちゃんの髪を触ったときに感じたことよ。
杏姉はプロよ。そのプロが感じたってことは100%の割合で信じられることです。
落下傘のペチコート、髪の手入れ・・・それだけで
良家の令嬢とは言えないかもしれないけれど
まずは2年前にこの京都で良家と言われる家で事件があったかどうか
良家といってもお金持ちばかりでなく没落した名家・・・・
この京都にはそんな家が無数にあるとおもいます。
まずはその方針で捜査をしてみるんです。
何も出てこなかったらその捜査方針がまちがっていたということです。
そしてより確実なのは琵琶と三味線のことで、楽器自体、名器とはいえないもののかなりの品物です。
だからまずはその楽器の出所を探ること。
そして、紫苑ちゃんの琵琶と三味線の先生・・・独自で覚えたってことは考えられません。
そうでっしゃろ、お婆ちゃま」
「小沙希ちゃんの言う通りどす。
紫苑はんの琵琶もお三味も基本はしっかりしとります。
よほどきっちりしたお師匠はんにつかれていた思いますえ」
「お婆ちゃま、ありがとう。
というわけだから、まずは手分けして調査をしてもらいます。
レギュラーの3人は名家と2年前にどんな事件があったかを調べてください。
お手伝いをしていただく皆さんは2人交代で琵琶と三味線の楽器の調査と
紫苑ちゃんに2つの楽器を教えた師匠を探すことです」
「わかったわ、今の沙希ちゃんの指示で捜査を開始してちょうだい。
お手伝い班の組合わせはあなた達にまかせます。
出来れば対になる名前とタイムスケジュールを作ってこちらにもコピーをください。
そして捜査が1日交代になるか2日交代になるかは、あなた達で決めてください。
ただし。1週間は長すぎます」
飛鳥警視正の言葉に婦警達が笑いが洩れる。
「瑞穂ちゃん、静香ちゃんがいないからあなたに聞くけどモバイルはあるかしら」
「はい、日和子伯母様。今回の戦いでの予備品として沙希が改造したモバイルは100台以上です。
マスコミや警察、そして米軍が使っていたものは買取という形で
そのまま皆さんがお持ちになったので残ったのはそれだけです」
「じゃあ、悪いけどモバイルをこの人達に1台づつ渡してくれないかしら」
その言葉に飛び上がって喜ぶ婦警達。
「いいんですか?」
そう聞く婦警もいる。
日和子は頷いて
「これは警察庁が買い取って特別任務のあなた達への支給品です。
特別任務の名前は・・・年齢差がありすぎて私反対したんだけどね。
京都府警の署長がどうしてもって・・・その名前は『京都少女探偵団』」
ひや~と大きな声をあげる婦警達
言った日和子も恥ずかしくなって瑞穂に声をかける。
「瑞穂ちゃん、静香ちゃんに数を教えてから請求書を警察庁に渡すように言ってくれる?」
「わかりました。ゆりあ手伝って」
と婦警の数を数えてから二人が出て行った。
「紫苑ちゃん、悪いけど紫苑ちゃんの持っている琵琶とお三味を婦警さんに預けてくれる?」
「へえ、ええどすけど・・・それがなくなったらうち・・・・」
「大丈夫よ、私から紫苑ちゃんに琵琶をプレゼントするから」
「えっ?いいんどすか?」
頷きながら宙から取り出した1台の琵琶。
婦警に自分の楽器を渡し終わったのですぐに受け取ってしげしげと見つめる。
「凄い!・・・・」
といって抱き上げ撫で回す紫苑・・・付いていた撥で琵琶を奏で始めた。
『祇園精舎の・・・』と平家物語の1節を謡って止めたが
「沙希さん、こんな凄い琵琶もらってもいいんどすか?
これってうちの心の奥底まで鳴り響いてくる・・・、限定されていた謡詠みが
何のてらいも無くこれで出来る。・・・・でも沙希さんは・・・」
「ううん、いいの。私にはこれがあるし・・・」
とこれまた宙から取り出した琵琶で紫苑と同じ平家物語の1節を謡うのだ。
本当にそっくりな二人・・・・。
「その琵琶も、この琵琶も同じ平安の名工がつくったの。
私のが『白虎』紫苑ちゃんのが『朱雀』というのよ」
「でも、なんかどうしようものう、凄く愛しいんどす。
うち楽器が愛しいなんて初めてや」
「そりゃそうよ。平安の名工というのは天才といわれた人だったわ。
その人は紫苑ちゃんの前世の那賀杜姫様のお兄上よ。
お兄上は武家暮らしが嫌になって細工師になった変わり者よ」
「えっ・・・前世のお兄さん・・・」
つぶやく紫苑をじっとみつめてから、
「お婆ちゃま、平安時代には三味線はありまへんどした。
そやから出入りの三味線職人さんに三味線の注文したいんどす」
「紫苑はんのどすか?」
「へえ・・・けんど二丁どす」
「えっ?二丁・・・それやったら・・」
「へえ、うち見様見真似で爪弾くことぐらいはできます。
けんど、このさいどす。うち紫苑ちゃんにお三味の弟子入りどす」
といってから二ヤッと笑う。
「こりゃえらいこっちゃ、小沙希ちゃんが三味線まで習得するって・・・」
と高弟達に何事か依頼する貞子。
「じゃあ、沙希ちゃん。わたしも奈緒ちゃんも東京に帰るから」
「はい、判りました、日和子伯母様。奈緒姉!1週間に1度の検診日を忘れちゃ駄目よ」
「判っているわよ。でも真理ママの家が広くてよかったわ。
今東京にいる理沙や律子に今度は私でしょ。それにあの子達も引っ越してくるのよ」
「あの子達って?」
「礼亜と亜紀と由紀子よ」
「えっ?あの人たちも?・・・じゃあ随分にぎやかになるね」
「これで沙希と杏奈が帰ってきたらどうなるんでしょうね」
「あっ!それ酷い。まるで私が騒動の元って聞こえるわ」
「あら、違うの?」
ぷっと膨れる沙希。
そんな沙希に笑い出す女達・・・・。
今回の事件捜査でどこまでおとなしくしているやら・・・・。
★
「ねえ、恵子。あなた牛尾さんとどこまでいっているの?」
「どこまでって、お互いのうちに行き来してるわよ」
助手席の恵子と後部座席の秀美の会話に運転している礼子が
「違うわよ、恵子。秀美はそんなこと聞いているんではないの。
牛尾さんからプロポーズを受けたかどうかを聞いているんじゃないの」
「それが・・・・」
と恵子がふっと寂しそうな表情をみせる。
「まだ、何にも言われていないの?」
「自分はまだ刑事として一人前ではない。目標にする人の足元にも及ばないいだからって・・・・」
「目標にする人って?」
「・・・・・・あきあさん・・・」
「も~う、あの馬鹿!目標が高すぎるわよ」
「ああ~ん、あまり酷いこといわないでよ」
「いうわよ。牛尾さんがあきあさんのあの頭脳についていけると思う?」
礼子がハンドルを握りながらそういう。首を振る二人。
「大体頭を使う捜査は恵子が助言して、何とか刑事としての形をつくってあげているのに。
あつかまし過ぎるわ。
恵子もあのとき思い切りテニスボールをぶつけていれば良かったのよ。
そうすればもっと素直な頭になったかもしれないのに」
「酷い!」
と小さな声で言いながら背もたれに身体を預ける恵子。
本当にそうすれば良かった・・・・とつい思ってしまう。
府立の図書館に入館した3人、
ストックしてあった2年前の新聞を借り出してきて
机の上で3面に記載されている事件を調べ上げていくがこれだという記事がない。
「初日から探している事件にぶつかるはずはないよね」
と少し愚痴が出る秀美。
「これも駄目!」
と新聞の束を脇にどける恵子。
眼鏡をかけて新聞に顔をつけるように記事を探す礼子。
時間をかけて探し続けたが収穫はなしだ。
椅子の背もたれに寄りかかって大きく伸びをしてから肩をたたく秀美。
「気が付いたら、もうこんな時間よ」
「お昼食べなかったわね」
礼子と恵子の話に
「少し早いけど帰ろうか」
秀美が声をかけた。
立ち上がって新聞の束を片付ける3人。
「私ね、恵子には悪いけど本当に今の地下の家に引っ越して幸せよ」
新聞の束を持つ礼子が言う。
「私だって・・・・」
恵子も今は地下に部屋を持ってそこから出勤しているのだ。
「駄目だよ、恵子。あんたは早く地下から出て行って牛尾さんと暮らさなきゃあ。
このままじゃ、きっと牛尾さんと離れてしまうよ」
「どうしてよ」
「あんた、自分で気が付いていないんだ」
新聞を片付け終わって3人揃って府立図書館を出る。
「気が付いていないってどういうことよ」
「恵子があきあさんを見つめる目・・・・まあ、私達も同じ目をしているけど
恵子には牛尾さんがいるのよ。このままでは抜き差しできなくなるよ」
「私と秀美は竜馬様にあきあさんの赤ちゃんを授かるって言われているから
今のままあきあさんのそばにいるだけでいいのよ」
「実は夜に牛尾さんと会う約束しているの」
と恵子の告白に
「駄目じゃない、早く言ってくれなくちゃ」
「さあ早く帰って食事をして・・・・そしてあの温泉に入って身体をきれいにして、
牛尾さんに抱かれてきなさい」
そんな秀美の強烈な言葉に、
「抱かれて来いって・・・そんなの・・・・」
「ええい、四の五の言わないの。恵子は牛尾さんをホテルに連れこんでキスをすればいいの。
それで何もしなければ男の風上にもおけないわ。もう見込みがないからあきらめることね」
「そんなあ・・・・・」
といいながらつい唇を噛んでしまう恵子。
恋に臆病な自分自身が歯がゆい。
歯がゆいのはそばにいる二人のほうが強いのかもしれない。
3人の中で一番刑事としての能力が高い恵子。
そんな恵子だから同じ地下に引っ越してきた婦警達の心配も大きいのだ。
こうして事件の初捜査の日、恵子と牛尾の恋の糸も絡まって
沙希の安楽椅子探偵・・・・一体どうなっていくのやら。
★★
沙希は約束通り家から出ることはなかった。
安楽椅子探偵は今日が三日目ということもあり、沙希自身期待はまだない。
ただ紫苑を自分のそばに終日縛り付けていたのは、紫苑のことを知るためで、
いくら前世が那賀杜姫でよく知っていたとしても、
現世の紫苑という女の子は未知の人だ。
おまけに本人の記憶がないため、沙希の力を使っても紫苑という実像は霧の中にあり
余りにも判らないことが多すぎる。だから用心しているのだ。
沙希の心が判るのか、高弟達や早瀬の姉達も沙希と紫苑に目を離さない。
昼間は舞妓さんや芸妓さんのお稽古があり、祖母は小沙希も紫苑も手元において離さない。
小沙希は皆と一緒に舞い、紫苑は高弟に渡された三味線で舞の演奏をする。
「どうしたんどすやろ、紫苑ちゃんのお三味凄く舞いやすいんどす」
そういった花世の言葉から、小沙希は初めて紫苑の三味線で舞ってみる。
なるほど紫苑の三味線は、はんなりとした空気をかもしだし、
それでいてメリハリがあって花世のいった舞いやすいというのは嘘ではなかった。
舞いなさいという三味線の音色ではなく自然と心に感応する三味線の音色なのだ。
だから身体がその音色に反応していく。
「やっぱり紫苑ちゃんには那賀杜姫の舞の心がDNAに書き込まれています。
そやから、紫苑ちゃんのお三味が舞やすいのはあたりまえなんどす」
小沙希の言葉に何度も何度も頷く貞子。
こうして天才が目の前に二人いる。それが何とも嬉しいのだ。
でもその天才二人が驚いて見つめるのは菊野屋の芸妓花江だ。
舞妓や他の芸妓がおろおろしてしまうほど舞に没頭している。
まるで鬼だ。教えているのは志保。貞子はそんな二人を見て見ぬふりをしている。
花江が変わったのは、篠原源太郎に聞いた千代松の生い立ちからだ。
才能も無く努力で祇園の大看板を背負うことになった伝説の名妓。
その生まれ変りといわれる自分の情けない現状・・・。
けれどこのような舞の修行の仕方は、なんの素養も無い舞妓のときには有効だけど、
芸妓となり『菊野屋の花江』と名を知られている花江にとってこんなやり方は、
かえってマイナスとなるだけだ。
何か切っ掛けがあれば・・・・沙希は考えこむ。
右手親指で頬を支える、その行為は紫苑以外ここにいる女性なら誰でも知っている沙希のくせ。
いわば嵐の前の静けさなのだ。きっと何かを思いつく・・・ドキドキして沙希を見つめる女性達。
沙希は頬から手を下ろし、一度キッと花江を見てから振向く。
「お婆ちゃま、うち今度の舞の会での舞いを少しお稽古しときたいのがあるんやけど、
やってもよろしおすか?」
祖母は笑顔で
「小沙希ちゃんの舞、この間見せてもらった一幕しか知らんけんど
わてらも見てていいんどすか?」
「へえ、別に内緒にしとるわけ違います。この舞、鼓を打ちながら舞うんで難しおす。
けんどタイミングさえ間違わんかったらなんも知らん素人さんにも舞の心伝わるんどすけど、
タイミング違ごてもたらもうあきまへん。
なあんも知らんかったら、一生懸命すればそれでええんどすけど一応うちも修行してきた身どす。
きつい練習しても得られるもんもうあらしまへん。後は技術をどう使うかだけどす。
そやからうちはタイミングを違わんようにするしかおへん」
そう祖母に言うが、その言葉は花江に向かって言った言葉であり
祖母もそれがわかっているからニッコリと笑うだけだ。
そんな沙希の言葉は花江にも通じたのか
『タイミング?・・技術?・・・』
とブツブツ言いながら沙希の舞を見るために志保と座り込む。
勿論、志保にも沙希の心が伝わっているので、もう沙希に対して頭を下げるだけだ。
舞台に上がった沙希が真言を唱えると
真っ白な小袖の着物に、能面をつけ鼓を持つ女に姿を変える。
昨日から沙希のこの不思議な術を目の当たりにした紫苑、
まだまだ慣れる事が出来なくドキドキと心臓が高鳴る音を静めるように、
胸の上から両手をそっと置き、ただこれから始まろうとする小沙希の舞を
見逃すまいと居住まいを正した。
自然体で立つ沙希・・・・・いや、鬼女樹沙羅。
そのまま鼓を構えて打ち出す。『ポンポン・・ポン・・ポ・ポ・ポン』
鼓の軽やかだが重厚な音色が稽古場に響く。
初めて聞く沙希の鼓、これまた鼓の才も並ではない。
鼓を打ちながら舞う難しさ、貞子や高弟達にもそれが判り過ぎるぐらい判るだけに
小沙希の鼓の非凡な才にはもうあきれかえるしかない。
舞の主人公鬼女樹沙羅の寂寥感は鼓の効果で倍加されていた。
ただ鼓と舞が少しでもタイミングがずれたら舞が滅茶苦茶になるという小沙希の言葉が、
自然と納得出来るのだ。
今思えば目茶な練習は舞妓に与えられた修行の場でしかない。
芸妓となった今では身についている技術を礎に、
余分なものをかえって削げ落とす事をしなくてはならないのだ。
これからの花江には京舞の真髄を追求することになる。
志保もお師匠もそれがわかっているから何も言わずに花江のしたいようにさせていた・・・
愛弟子の京舞への真剣さにはもう声をかける必要もない。
ただジッとそばについて見守ってやるだけでいい・・・・・。
花江は舞台の上に立つ小沙希を惚れ惚れと見つめなおす。
今になって判る源太郎のあの言葉・・・・『小沙希の真似だけはするな!』
なるほど舞には素人の源太郎だが一流の武芸者でもある彼には小沙希の非凡さ・・・・
いやその天才ぶりがわかったのだろう。
小沙希はただ一人だけ・・・後にも先にも生まれる事はない。
小沙希の血を引く希美子や希佐も小沙希にはなれないのだ。
「小沙希ちゃん、あんたって子は・・・・・」
舞いが終った後、貞子の驚嘆の声と共にいつもは黙って驚いているはずの
高弟の玉井勝枝が思わず
「沙希姫様!最後にその能面が真っ二つに割れるのは
どういうわけどすか?」
と声をかけた。それほど思いもよらぬことだったのだ。
「ええ」
といって舞台に座る沙希。
「この主人公は鬼女・樹沙羅といいます。
樹はいつきと書いて沙羅は沙羅双樹のさらどす。
樹沙羅の住むのは人里離れた山奥。能面を被るのは己の醜さを隠す為、
いいえ、それは樹沙羅自身が思い込んでいるだけで それはそれは楚々とした凄い美人なんどす。
でもそんな人が自分を醜いと思いこむんは鬼の本能を押さえられへんからなんどす。
朝起きると目の前にあるんは真っ白な人の骨、
喰らい尽くす自分の姿がフラッシュバックのように思い浮かんでくるんどす。
樹沙羅は例え様も無いショックとさいなまれる罪の意識・・・・。
けれど鬼は自分では死ぬことできまへん。
身体に傷をつけてもその場で治ってしまうんどす。
首を切り落とせば死ねると思うんどすけど 自分でそこまで出来るはずはありまへん。
自分の死に時、死に場所をいつも求めつづける樹沙羅。、
そして、自分を殺してくれる人の訪れを待ちつづける樹沙羅。
そこで先ほど言われた能面が何故割れたかどす。
能面で己の鬼の本性を隠そうとする樹沙羅、
でもこの館を訪れようとする旅人の気配に樹沙羅の内から飛び出そうとする鬼女、
その葛藤がこの舞の主題なんどす。
そして能面が割れたのは鬼の本能に自分を押さえきれなかった樹沙羅の心が 壊れた瞬間なんどす」
「沙希姫様!能面が割れるんは何の仕掛けもないんどすか?」
「へえ、この三幕は能面が割れるんが見せ場どす。
それが出来んかったらこの三幕の舞は失敗どす。
いくら舞をうまく舞ったとしても能面が割れなければ樹沙羅を表現できまへん。
そやから鬼女・樹沙羅を舞うんは人の心と鬼の心の葛藤を
自分自身で実際にやらなあかんのどす・・・本当の鬼にならへんかったら・・・、
己が鬼になる一瞬を表すことが出来へんかったら面は割れまへん。
普通の舞では出きんことをやらなければならないんがこの舞どす。
けんど鬼になったとしても人から鬼に変化するタイミングがズレれば
面は決して割れることあらしまへん」
「小沙希ちゃん。よう判りました。この舞の難しさが・・・・
いいえ、この舞を舞えるのは小沙希ちゃんしかいやはらへん。
けんどさっきから聞いていたら鬼女・樹沙羅に対する小沙希ちゃんの想い
いうもんがビンビン響いてくるんどす。
小沙希ちゃん!・・・この鬼女・樹沙羅って一体何者なんどす」
小沙希はその祖母の言葉にやっぱり聞かれた・・・
と一度身体を震わせてから手元を見つめ、そして祖母にほうに振向いた。
一度座布団を下りてから祖母の方にキチット指向してから座布団を直し、
膝行して座布団の上に上がってから祖母に向かって深々とお辞儀をした。
日頃の行動からは窺い知れない沙希のお作法、
初めて見る女達にとってギョッとする一瞬だった。
(やればできるんだ)
沙希の行動力に反比例していた無作法と言えぬも活発なふるまいが、
何もかも知った上での行動だと知ったことで何故だかほっとする。
「お婆ちゃま・・・さすがはお婆ちゃまどす。よう樹沙羅のこと見抜かれましたなあ」
「えっ!じゃあ・・・・・・」
「平安時代に実際に旅人を殺めていた鬼女・・・それも昔は人だった鬼女」
「小沙希ちゃんは逢ったんどすな」
沙希は祖母を見ながら頷いたが
その瞳が深い湖のように哀しみをたたえているのを女達は見逃さなかった。
小沙希は安倍あきあとして言葉も京言葉から標準語に直して話し始めた。
「はい、お婆ちゃま達が思われている通りです。
私は晴明様に命令されて鬼女・樹沙羅を退治に行ったんです。
でもその山奥の一軒家に行くと、私の勇んだ心なんて木っ端微塵に吹き飛んでしまいました。
樹沙羅はほっそりとした体つきのそれはそれは凄い美人でした。
憂いを含んだ目を見ているとこれは評判だった人を殺して食い漁るだけの
悪辣な鬼ではないと悟ったんです。
いいえ、悟ったというそんな平凡な心のうちではありませんでした。
私は強烈に・・・・逢ったばかりなのに樹沙羅に強烈に惹かれていったんです」
こうして沙希の告白が始まった。
女達は居ずまいを正して、話の中に引き込まれていく。
紫苑も自分とは似ているが、実際はそうでないことを強烈に意識していた。
花世達に聞く小沙希、高弟達に聞く沙希姫様、奈緒達に聞いた日野あきあ、
そして杏奈に聞いた早瀬沙希・・・・そして、今・・・。
名前こそ違うが同じ人物・・・が各々と話を聞くたびに
同じ性格なんだろうに違う印象を受けるのは何故なのか?・・・・その秘密を垣間見た思いだ。
とにかく強烈に惹かれていく自分を押さえられはしない。
「けれど私にもわかったんです。逢ったばかりなのに樹沙羅も私に対して同じ感情を持っているって。
樹沙羅は私がわらじを脱いでいるとき水を湛えた小さな桶を持ってきて
私の足を綺麗に洗い始めました。
時々私を見上げる目、それはもうぞっとするほど色っぽい目でした。
足を洗い終わって座敷にあがっても、私の手を離そうとしません。
襖を開けた奥の部屋にはたくさんのお料理が用意されていました。
『あら、どなたか他にお客さんあるんですか?』
『いいえ、あなたの為です。
私あなたが来てくれるのを長い間今か今かと首を長くして待っていたんですよ』
『私を?』
『はい。それは長く苦しい刻でした。気が遠くなるほどの長い年月でした。
けれどそのあなたが目の前にいる。ぞくぞくとする身体の身の内からの震えが・・・
次から次へと沸きあがってきているのです。どれほど待ちわびたか・・・・。
ほら、これを御覧なさい』
青白い肌の内から小さな小波のように細かくうち震える様子が
まるで湯煙のように立ち上ってくるのがあきあにも知ることが出来た。
『私を死に導いてくれるあなたが・・・こんなにも待ち続けたあなたが・・・
こんな方だったなんて、仏はなんと意地悪なお方・・・・・』
そう言って睨む樹沙羅の目の媚に私はドキッとしてしまいました。
私・・・・樹沙羅からはもう目が離せませんでした。いくら視線を外そうとしても駄目なんです。
私が食事をしている間、普通の食事を取れない樹沙羅は
お酒ばかり飲んでいましたが樹沙羅も全然酔えないようでした。
食事の間、お互い一言も話しません。
けれど見詰め合う視線が絡まり二人の間にあった垣根が一つ、又一つと
取り払われていくのがわかるんです。
私が食事を終って箸をおいた瞬間、樹沙羅が飛び掛ってきました。
お互い固く身体を抱き締めあって口をむさぼり吸う・・・
他の人がみたら目を逸らすような荒々しい野獣のような行為でした。
長年の禁欲生活の反動で樹沙羅自身も止められないようでした。
激しく・・・いとおしく・・・このまま時が止めればいい・・・
私はそう思いながら愛欲の渦に呑まれていったんです。
鬼と人の交わり・・・それは決して許されるものではありません。
でもこの時の私にとって樹沙羅は大事な大事な人でした。
睦み合う二人のお互いの肌の触れ合いが、一つ一つの心のヒダに刻み込まれる一瞬のきらめき・・・・
全裸の二人にかけられた樹沙羅の着物のぬくもり・・・・
気づくと私は樹沙羅と手をつないで仰向きに寝ていました。
幸せな時が流れて行きます。
・・・けれど、いきなり樹沙羅が私に馬乗りになろうとしたんです。
私には樹沙羅の行為が一瞬に判りました。それは哀しいほどの私への愛情故でした。
だから、私叫んだんです。
『駄目!!・・・今は駄目!・・・後にして・・・・眠い・・・私眠いの・・・だから・・・
だから、私をギュッと抱き締めていて・・・』
実際、私物凄く眠かったんです。
人でないものとの交わりは物凄いエネルギーが必要です。
実際、鬼と交わったものは眠るように息絶えるのが普通です。
私はそこから意識がなくなりました。・・・実際よく寝ていたと思います。
私、樹沙羅に守られて本当に安心して子供のようにぐっすり寝ました。
久しぶりでした、こんなによく寝たの。
京にいたらこんなことないんですよ、いつもどこかにある緊張感・・・。
けれど、樹沙羅の元にいたらまるで赤子のようになっていました。
私が目を覚ましたとき、いつのまにか布団にくるまれていたんです。
日の光が開け放たれた障子から布団まで差し込んでいます。
その時、樹沙羅が入ってきて寝ている私の枕もとに座りました。
口付けをする樹沙羅・・・私が樹沙羅の首に手を回して抱きつこうとしても
その手を外してニッコリと笑いながら首を横に振るんです
樹沙羅は私の手をとって起こし、着替えさせます。
私はただじっと立っているだけで全て樹沙羅がやってくれるんです。
樹沙羅は私をみてもニッコリと笑うだけで一言も話しません。
もう、私に対して言葉は二度と話さないと決めていたようです。
言葉を交せば心が残ります。樹沙羅はもう、私の手によって死ぬことしか考えていません。
心残らず静かに眠りたい・・・それは私にもよく判ります。
けれど、残された私は救われません。一体どうすれば・・・・
私の心の中は千路に乱れてどうしようもありませんでした。
そんなこと嫌!私は心の中で叫び続けていたんです。
けれど樹沙羅を見ているうち、その穏やかな表情やその態度から
私の心は平静を取り戻していきました。
樹沙羅にとって生きるが地獄・・・死することが唯一、
人として平安を得る道・・・。そう悟ったんです。
哀しい・・・凄く悲しい・・・心の中を風が通り過ぎていきます。
けれど私も覚悟決めました。
樹沙羅が私に舞を見せたい、それについては少し準備があるので
鼓が鳴ったら隣の部屋に来て欲しいと目の前でスラスラ書いた紙。
私は目を閉じて待ちました。
初めての出会い・・・たった一夜の逢瀬・・・・
そんなこと頭にかすめましたが、私は何も考えずにいようと心を空にしました。
心に雑念があったら樹沙羅に失礼です。
死して救われようとする樹沙羅・・・私は目を閉じて時を待ちます。
その時、隣の部屋より『ポン』と鼓の音が聞こえたんです。静かに立って隣の部屋に入ります。
けれど、死する樹沙羅に恥ずかしくないようきちっと作法を守りました。
赤い着物を着て能面で顔を隠した樹沙羅・・・手に持つ鼓が少し震えています。
それも死の恐怖ではなく、私への愛情と死することの喜びでしょうか。
私は用意された席に座ろうとしましたが、
席の横に長い袋があったのを『あっ』と思わず声をあげるところでした。
この剣は晴明様に渡された退魔の剣『黄金丸』(こがねまる)、
包む袋も鬼封じの呪がかけられたもの、あまけに袋の紐があけられ剣の柄が見えています。
私は『はっ』として樹沙羅に振り返りました。
この袋の上から触れても鬼の皮膚は焼け爛れるんです。
それも決して治癒できないもの。
よく見れば樹沙羅の胸や手が真赤に焼け爛れています。
きっと胸に抱くようにして持ってきたんでしょう。
袋を開けたのは鬼に戻ったらそれで死を与えてくれという判じ物。
ここで樹沙羅に近づけば苦しむのは樹沙羅。
私は心を押さえつけながら座りました。
赤く見えていたのは純白の着物に身体から染み出していた樹沙羅の血・・・。
さっきの一つの鼓の音で・・・鼓に血の後、指から滴り落ちる血・・・
もう嗚咽が出そうでたまりません。
樹沙羅の舞が始まりました。血を畳に落としながらの生涯最後の舞・・・
私は忘れまいとして必死に見つづけていました。鼓は真赤に染まり、能面や白い肌も真赤でした。
樹沙羅の身体から変な気配がしたのはそのときでした。
私は袋から剣をだし、いつのまにか鞘から抜いていました。
能面が真っ二つに割れ恐ろしい鬼女の顔が現れたのはそのときです。
夢中になって剣を樹沙羅に突いた私、・・・けれど距離が遠すぎました。
でも・・・停止した剣に向かってそのまま身体を預けてきたのは樹沙羅の方です。
残っていた人の心が剣に向かわせた・・・私は今でもそう思っています。
光に包まれた樹沙羅が私に手をさしだしました。ニッコリ笑っているんです。
光の中から樹沙羅が何か言っているのがわかります。
声は聞こえませんでしたが、心の中でこう聞き取ることが出来ました。
『ありがとう、愛しい人』って」
もう、皆呆然と聞いていた。膝の上で白いハンカチを持つ手が震えている。
「沙希ちゃん・・・それからどうなったの?あなたのことだから・・・」
と聞くのは薫だ。
「ええ、樹沙羅の温かい光に私も包まれたことまで覚えています。
けれど後の私は半分狂っていたのでしょうね。気が付いたら晴明様の屋敷の前でした」
「そうね、そうかも知れない・・沙希ちゃんは優しすぎるから・・・
樹沙羅さんも死んで幸せになったのね」
「ありがとう、薫姉さん。樹沙羅のことそういう風に言ってくれて」
「じゃあ、沙希さんは今のことをうちの前世の那賀杜姫に話して
舞にしたんどすか?」
「ええそうよ、けれど那賀杜姫様に会ったのは結局、
病気が治ってからだったから一月もたってからかしら」
「病気?」
「ええ、晴明様の屋敷に帰ったその夜から
私は高熱を出して寝込んでしまったんです。だからその間のことはよく覚えていません」
「あきあは、その夜から不思議なことに胸や手が真赤に腫れ上がってしまったの」
とひづるの胸からひらひらと飛び上がった蝶が女の子となって現れて言う。
「じゃあ、胡蝶ちゃんが沙希の看病を?」
と聞くのは律子。
「いいえ、私は晴明様のお使いで飛び回っていましたから」
「では、誰が?」
「ましろ!・・・ましろ、出ておいでよ」
と胡蝶が叫ぶと沙希の身体から真っ白なモンシロチョウがひらひら飛び出てきた。
少女の姿にかわるましろ。
「ましろちゃん、私病気が回復した後、直ぐに大きな事件が次々と起こったから
寝ている間のこと聞きそびれていたの。看病してくれたのましろちゃんだったの?」
ましろは頷きながら
「玉藻さん、葛葉さん、紅葉さんもです」
といってから怒ったように
「あきあ様!人と鬼とは相受け入れません。
あの病気も鬼の瘴気に当てられたに違いありません。
あきあ様の優しさは尊いものです。
けれどその為に命を落とすこともありえるんです。
そうなると私達はどうなってしまうとお思いですか?」
ましろは当時のことを思い出したのか涙ながらに訴える。
「ましろちゃん、ごめんなさい。胡蝶ちゃん、ごめんなさい。
玉藻さん、葛葉さん、紅葉さんもごめんなさい。
私、あなた達のことを忘れて恋におぼれていたの。
私に愛を捧げてくれた樹沙羅にも申し訳なかった。
だって私病気がなおってからも腑抜け状態で何も出来なかった・・・。
今考えてもあんなに愛されたのにそんな資格がない人間になリ果てていた。
そんな私を見て樹沙羅もがっかりしたでしょうね」
「そんなことありません。あきあ様はどんなになろうとあきあ様です。
あのお優しくて強いあきあ様に間違いありません。
あの時、晴明様はおっしゃっていました。
『心配するな。あきあはどんな相手であろうとその心の奥にある
優しさや哀しさというものを知ったのだ。
慟哭の中にある想いは必ずその者を大きく変えることができるのじゃ。
お前達も見ておけ、これからの安倍あきあの変貌を・・・・』
とおっしゃっていました。
その後のことは私はあの重則様に命を助けられ天に投げ入れられて
眠っていたので知りませんでしたが、
晴明様に助けられてあきあ様に再び相おめもじして知ったあなた様は、
晴明様の言われる通りあのときのあきあ様ではありません。、
それは哀しいほどお優しく、術者としての力もこの世が出来てからの
誰よりもお強く、それを良しとしないお心はとても悲しい・・・・
そのかわり女性に対する悪辣さへの怒る心はいっそう強く、
女性に対する想いはより大きくなっていました・・・・それが今のあきあ様です・・・・」
「ありがとう、ましろちゃん。
そんな想いで私を見ていてくれたんだ。
私ももっと勉強しなくちゃ・・・・・・ね
何にしても頂点ってないはずだもの。私も再び大きくならなくちゃ」
「ひや~・・・小沙希さん姉さんが今より大きくなっちゃったら、うちらどうなるの?」
花世がとんきょうな声をあげる。
「花世ちゃん!うちらも一緒に大きくなろうっていう意味よ」
「花世!あんたら舞妓は幾松さん姉さんを目指しなさい。
うちはうちの前世である千代松さん姉さんの大看板を目指すつもりどす。
うちはうちのやり方で・・・
あんたら舞妓はもっと必死にあがくほどの修行を積まなあかんえ」
花江は変わった。今の小沙希の話の中から何かをつかんだに違いない。
貞子は凄く大きな悲しみの中から小さな希望がポツンポツンと
生まれ出る様子が見えた。泣き笑いの中からのドキドキする想いに
なんだか年も若くなったような気がする。
★★★
「お師匠様、お客様どす」
「どなたどすか?」
「へえ、三味線の三好屋はんの御主人と職人の宗太郎はんどす」
「ああ、上がってもらって・・・、小沙希ちゃんあんたのいわれた三味線屋はんがこられたえ」
「へえ、紫苑ちゃん!一緒にいて」
と舞台を下りながら紫苑に声をかける。
入ってきた三好屋の主人と職人、そこに大勢いる舞妓や芸妓はともかく
看護師や有名な女優達がいるのを目をパチクリとして見つめる。
「おほほほ・・・ここにいるおなごは皆、うちの縁につづくものばかりなんどすえ」
「それはそれは、にぎやかどすなあ」
「まあ、あんたのことやからここの事話さん思うんどすけど・・・」
と牽制する貞子。
「それはあたりまえどす。そうでなかったらこの京でお商売できまへん」
「そうそう、老舗の三好屋はんやから安心え・・・・
今日あんたはんに来てもらったんはこの子達にお三味を作ってほしいからなんどす」
三好屋は目をパチクリとして目に前の今迄見たことの無い舞妓を見つめる。
その美しさには圧倒される思いだ。花街でお商売していてまだ見たことの無い舞妓だった。
「失礼どすけど、こちらは?」
と貞子につい聞いてしまう。
「うちの孫の小沙希え」
「小沙希?・・・・えっ?・・・・」
今花街で小沙希の名は一人歩きをしている。
人間国宝の井上貞子が認める唯一の舞妓・・・・
けれど花街にいるものにとってそんな馬鹿なとつい否定してしまうのだ。
誰も見たことの無い舞妓の話・・・・本当だったのか・・・・
「小沙希いいます、どうぞよろしゅう」
そういわれてドギマギしてしまう。いい年といわれても仕方がない。
「こっちはうちの姉の紫苑いいます」
といって紫苑を紹介する。
姉といわれて吃驚する紫苑・・・けれど嬉しそうに
「うち、紫苑いいます」
と挨拶するのだ。
「それは、それは・・・」
という三好屋、さすがに老舗の主人気持ちの立て直しは見事だったが
相手は小沙希だ。何もかも見抜かれている。
「宗太郎!」
「へい・・・」
と持ってきた風呂敷を開けると三味線が5丁入っていた。
「ちょうど、この宗太郎が作ってきた三味線どす」
と押し出された5丁の三味線・・・しかし一瞬見ただけで
「駄目どすなあ、このお三味は・・・」
と小沙希に言下に言われたのだ。
「で・・・でも・・この宗太郎・・・平成の名人と言われる宗太郎が作ったんでっせ・・・」
なにを素人に・・・とありありと不遜さが見える。
「確かにうちは三味線に関しては素人どす。
けんどうちの姉の紫苑は天才え・・・どうどす?姉ちゃん」
「あきまへん、一目でわかります。全て駄作どす」
「み・・見ただけでわかるんどすか?」
腹をたてて言う三好屋、チラッと見ただけでわかるか!
と怒りで一杯だ。たとえ井上先生の孫とはいえ許せない!
「へえ、見ただけでわかるんどす」
「そ・・・その・・その根拠は・・・・」
「杏姉!あれを・・・・・」
一人の女性が袋に入った楽器を両手で持ってきて小沙希と紫苑に渡す。
「これが、うちの持つ琵琶どす」
と小沙希に渡された琵琶を不遜な態度で受け取ったが、じっくりと見ていた三好屋の手が震え出した。
「こ・・・これは・・・・」
主人の様子を見て慌てて膝行して琵琶を見る宗太郎。主人から奪い取り琵琶を舐めるように見ている。
「その琵琶は平安時代の名工が作った琵琶どす。銘は『白虎』・・・
紫苑姉ちゃんが持つのは『朱雀』どす」
「す・・すんまへん・・・それも・・・」
と紫苑に言う。自分が作った三味線をぞんざいに横にのけた。
その風呂敷の上に宝のように『白虎』を置き、
紫苑から受け取った『朱雀』をこれまた舐めるように見つづける。
三好屋の主人はもう小さくなったままだ。
「わかりました。このような名器がこの平成まで残っているのは奇跡どす。
けんどこの名器を普段から見ているあなた様の目から見ると
わてが作ったこの三味線を一目で駄作と看破するんはあたりまえどす。
願わくは、この琵琶の音色を聞かせてほしいんどす」
小沙希はニッコリと笑い、紫苑に振向くと紫苑も頷いているので
「いいどすえ」
と宗太郎に返された琵琶を受け取る。
二人が奏でるのはやはり『平家物語』・・・
けれど二人の天才の演奏・・・一遍の乱れも無い。いつ練習をしたのだろう。
その琵琶の音色といい、その謡の声といい、身震いしてしまう。
「あ・・・ありがとうございます・・・」
宗太郎が頭を下げるが、主人も同じように頭を下げるのを見て貞子が
「どうどす、三好屋はん」
三次屋は右手を何度も何度も左右に振って
「とてもとても、わてらがお相手できるようなお方ではあらしまへん。
このようなお方がしかもお二人、目の前でお会いできて幸せもんどす」
「そうどすやろ、うちなんか毎日が楽しゅうてなあ」
貞子は小沙希と紫苑を褒められてもうニコニコ顔だ。
「あら、三好屋さん。あんたはんがお持ちのそのお三味・・・」
と小沙希が聞くと
「へえ、これもこの宗太郎が作ったもの、お目にかけるようなものやおまへん」
「いいえ、その袋から不思議な力が感じられるんどす。見せておくれやす」
不思議なことを言う舞妓やと思いながら、立派な袋に入れられた三味線を渡す。
袋をあけて小沙希と紫苑が頭を寄せて眺めている。
紫苑が袋から出して糸巻きを絞って調弦を始めた。
小沙希は術は見せられないので背中に手を回して『緋龍丸』を出して膝に置く。
そして
「ママ!」
と真理を呼んだ。
心得た高弟が琴を用意する。何が始まるのか、目を白黒する二人の男。
『チラッ』と小沙希を横目で見る紫苑、
それが合図で小沙希の横笛から素晴らしい音色が流れ出した。
ぞぞぞ・・・と血の気が引く二人の男。全身から鳥肌がたっている。
何なんだこの舞妓・・・琵琶だけではなかったのか・・・だが、事は二人の男を震えあがらせる。
笛の音色に被さるように流れる三味線とお琴の音色ったら・・・・・
目の前に三人の天才がいるのだ。もう身体が固まって何もいえなくなる。
三人の演奏が終った。
恐れ多いというように頭を下げつづける男二人。
「小沙希ちゃん。うちこのお三味気に入りましたえ」
「そうどすなあ、うちも心に響く音色ってこのお三味を作ったお方って名人やおもいます。
ねえ、三好屋さん」
「はい?・・・・」
さっきとはえらい違う内容に首をかしげる主人。
「教えましょか・・・・今、紫苑ちゃんの持つお三味を作ったときの宗太郎さんは本当に名人どした。
けんど、その5本のお三味を作った今の宗太郎さんは駄目どす」
「えっ?」
「そうなんどす。心の持ち様なんどす。
今の宗太郎さんお三味を作るような状態やおへん。
宗太郎さん!いいかげんにそのお心の屈託うちらに話しておくれやす。
うちらで解決出来な、どこへいっても解決出来まへんえ」
宗太郎は頭を下げたまま両手をブルブルと震えているのだ。
「そうなんか!宗太郎!・・・・まさか、お前・・・カコちゃんが・・・」
思い切ったように顔を上げる宗太郎・・・
着ていた作務衣の裏につくられた大きなポケットから白い手ぬぐいを出し顔を拭う。
「わての・・・・わての子供がいなくなったんどす」
「待て!・・・宗太郎!あんさんここで話してもいいんどすか」
「へえ、わての駄作を手に取らんでも一目で見抜いたお方達どす。
普通のお方やあらしまへん。それに何の手がかりも得られへん今、もう藁にも縋りたいんどす」
「宗太郎さん、この事、警察には?」
「へえ、届けました。近くの交番どすが」
「ちょっと待って・・・瑞姉!モバイルを」
その声に急いでモバイルを持ってくる瑞穂。
モバイルの操作で呼び出すのは京都府警の署長だ。
「あっ、署長さん、日野あきあです。
婦警さん達への事件への介入の許可ありがとうございます」
「なんのなんの、このたびの怨霊・藤原元方との戦い、
それまでの土御門家の事件やレイプ殺人犯の事件を解決されたあなたです。
これぐらいのことたやすいことです・・・それで、何かありましたか?」
「はい、少しお待ちください」
宗太郎を見ると驚きの目で小沙希を見ている。主人にしたってそうだ。
「子供さんの名前は?」
「あっ・・・はい・・・上原カコ・・いいます」
すっと出てくるメモ用紙にペンで『上原カコ』と書く小沙希。
「事件のこと提出した交番と提出した日は?」
「へ・・へい・・・三条にある交番で・・・10日前に・・・」
「署長さん、お聞きになりました?」
「少し待ってください・・・・」
「いえ、何かわかりましたらモバイルに連絡を・・・」
といってモバイルを切る。
飛び出るような目で見ている男二人、舞妓の思わぬ正体を知った驚きは大きい。
今、この日本中で大評判の天才女優なのだ。
小沙希は祖母に振向くと
「お婆ちゃま、うち紫苑ちゃんのこと、力を使わずに事件を解決しようと思っていたんどすが、
そうもいかんようになりました」
「それはどういう意味え」
「へえ、紫苑ちゃんの事件とカコちゃん事件、根っこは同じどす」
「根っこが同じ?・・・それじゃあ・・・」
「へえ、緊急に解決しなければカコちゃんの命があぶない!」
といって祖母に頷く。
貞子は男二人をきっとした目で見つめ
「三好屋はん、宗太郎はん。今から見聞きすること誰にも洩らすこと厳禁どす。
見ざる言わざる聞かざる・・・いいどすな」
こう貞子にいわれる証破ればこの京都で商売はできないし、生きてもいけない。
「へへ~~、わかました」
と平身平頭する。
再び小沙希はモバイルを起動させる。
「金沢さん!」
「あっ、あきあさん。どうしたんですか?」
「今どこ?」
「三条の交差点です」
「悪いけどこれから言う住所に行って人を一人ここに連れてきてほしいの。
上原宗太郎という人の奥さんの恵美さんよ」
「わかりました・・・で住所は?」
「ごめんなさい、ご主人に教えて貰うから他の車の邪魔にならないよう
パトカーを止めていてくれる?・・・・・宗太郎さん」
「へ・・へい・・・どうして家内を? 家内はこのことで身体を悪くして臥せっていますんで・・・」
「だから・・・だから連れてきて貰うんどす。
この家の地下の女性専用の最新の病院施設に入れなければ恵美さんは元気にならしまへんえ」
と言いながらモバイルを宗太郎に渡す。
「そのまんま、話せばいいんどす」
戸惑う宗太郎だが何とか住所を言ってモバイルを返す。
そのときだ『ピーピー』とモバイルが鳴った。
京都府警の署長からの連絡だった。
「あきあさん。確かに失踪届が出ています。
2歳の子供に失踪届はおかしいんです・・・だからこちらも内密に捜査をしています」
「捜査を?・・・・誰が担当されているのですか?」
「はい、畑長こと畑野俊吾部長刑事と川合涼子巡査長です」
「それじゃあ、すぐに・・・」
「もう、とりましたよ。畑長は今日はこちらで取調べがあるので川合刑事がそちらにむかっています」
「そうですか・・・御配慮感謝します」
男二人はこの成り行きを呆然と見つめている。
ただ三味線を見せに来ただけでこんな展開になるなんて・・・・・。
「ただいま!・・・あら、どうしたの?」
帰ってきた恵子、礼子、秀美の3婦警、
「うん、先にお婆ちゃまに・・・」
「はい」
といって座敷に入って座ると
「御婆様、ただ今戻りました」
と頭をさげる。
「お~お~、無事でなによりどす」
ニッコリ笑う。こうして女達が無事に帰ってきて挨拶される嬉しさはなによりだ。
驚いたのは男達だ。制服姿の婦警達が『ただいま』と挨拶する異様さ・・・
「おほほほ・・・驚いてはりますな、三好屋はん。
うちんところ賑やかになったんどすえ。ここにいるんは皆うちの娘や孫どす」
貞子が言うのを
「娘?・・・孫?・・・」
と首を振るしかない男二人。
「お姉ちゃん達もそこで聞いといてくれる?」
「うん、いいわよ」
と3人共、小沙希の後ろに控えた。
「まずは紫苑姉ちゃん」
「姉ちゃんて言ってくれるの?」
「あたりまえどす。紫苑姉ちゃんの前世の那賀杜姫様は
うちに舞を作って頂いた恩人どす。
さっき舞った鬼女・樹沙羅の舞もうちが無理言うて第三幕に入れてもろたんどす。
樹沙羅の舞は実際に樹沙羅がうちに見せてくれた舞そのものどした。
那賀杜姫様はうちの言うことそのまま聞いて舞の中に入れてくれたんどす。
そやから那賀杜姫様はうちのお姉ちゃんみたいな人だったんどす。
生まれ変りの紫苑姉ちゃんをお姉ちゃんって呼んでもなんの支障もあらしまへん」
「優しいなあ・・・優し過ぎますえ・・・」
「ほんに沙希姫様は優しいお方・・・」
貞子と高弟がいうのを恥ずかしそうに聞く小沙希。
「ただいま!」
大勢の声が玄関から聞こえる。そして多くの足音・・・・皆廊下に正座すると
「ただ今、帰りました」
と挨拶する。
「ようよう、無事にお帰りなされた。さあさあそんなところに座らず、座敷におはいり」
その声に
「はい」
と元気に答えて
座敷に上がり、先の三人に声をかけながらその後に座った。
残った一人、ここに来るのが初めての
「初めてお目にかかります。京都府警の川合涼子です」
と貞子に挨拶をしてからあきあに向き直り
「署長からの話で私の担当している事件にかかわりのお話がある・・・と聞きましたが」
「へえ、これからの成り行き見ていてほしいんどす」
「わかりました」
と立ち上がって座敷にあがった。三人の婦警の示すその横にすわる。
「皆さん、おかえりやす。これからお話すること事件に関係のあるお話どす。
よう聞いて事件の核心をつかんでほしいんどす」
さっそくバックから警察手帳を出す川合刑事・・・婦警の行動も同じだ。
警察手帳をあけてメモを取る準備は終っていた。
「まずは紫苑姉ちゃんからどす。紫苑姉ちゃんとカコちゃん、他人やおへんえ」
いきなりの沙希の言葉にこの部屋にいる女達も男二人も吃驚だ。
「えっ、沙希!それどういう意味なの?」
「へえうちの言葉通りどす。緋鳥礼子さん、佐藤秀美さん。
あんた達二人元方の事件でうちが通力を得るところを見ておられておりましたなあ」
「はい確かに・・・」
「飛鳥警視正と立ち会っていました」
「うちは、通力を普段は封印しているんどす。もし開放していたら、うち気が狂ってしまいます。
たくさんの人たちの心の声が聞こえ、あらゆるところが見えるんどす。
そやから封印しとかな生活できまへん」
「えっ!そんなに・・・・」
という声があちこちから聞こえる
「まったく力を持つって大変なことどす。
うち、紫苑姉ちゃんの記憶喪失のこと、ただごとやあらへん思うたんは
1年間も記憶なくしてこの祇園界隈に謡詠みとして流しているのに
誰からの捜索の報告もあらへんことと誰からの接触もあらへんことどす。
お姉ちゃんの言葉使いからいうてこの京都生まれは間違いおへん。
そんなお姉ちゃんを誰も知りはらへん。これおかしいんと違いますか?
1年間も流していれば同じ京都どす、
心安い人一人や二人出会ってもおかしゅうないんと違いますか・・・・それで聞きます。
紫苑姉ちゃん、この1年間に命が危ないことおへんかった?」
始めは首を捻っていた。でもはっとして顔をあげる。
「どうやら思い当たることあるんどすなあ」
「うち、自分のこと、なあんも判からへん時どした。
交差点で一回誰かに押されて車道へ飛び出してしまったことがあったんどす。
けんど『危ない!』ゆうて男の人に腕引っ張られて、気が付いたら歩道に座ってました。
それともう一度、ビルの下で座っていたら上から看板が落ちてきたやけど
それも男の人に助けられたんどす。
けんどどっちも気がついたら男の人おらんようになってました」
「どうやら紫苑姉ちゃん、狙われていたんどすえ。
けんどお姉ちゃんを守る人達もいたんどす。
きっとその二派の者達、闇の中で戦っていたんや思います」
「戦っていた?・・・・」
「へえ、誰も知らないところで戦いがあったということどす。
そして、両方に被害が出たからしばらく牽制しあっていたと思うんどす。
そのうち紫苑姉ちゃんの状態がわかった・・・・記憶喪失・・・これは両派共好都合どした。
紫苑姉ちゃんを狙っている方にとってしばらくは秘密を話される心配はなくなった。
守るほうにしても紫苑姉ちゃんは狙われることが少なくなる。
いずれにしても姉ちゃんには敵味方の見張りが張り付いているんどす」
「えっ?・・・うちに・・・・」
「それって、あきあさん・・・・」
と川合刑事が立ち上がろうとするが手でそのままという振りをしてから
「油断も隙もあらしまへん。・・・玉藻、葛葉、紅葉、ましろ、白虎丸」
と声をかけると身体の中から5つの光が飛び出して庭から上へと上がっていく。
初めて見るあきあの式に驚く川合刑事と男二人・・・あとの女性達は慣れているので微動だにしない。
「心配しはらんでもよろしい。川合さん。 あの子達に勝てる人ってこの世にいてまへん」
屋根上でバタバタ走り回っている音がここまで聞こえる。
女達を座敷奥に固めおいて婦警の一部を守るように配置し、廊下を隔てた座敷うちで様子をみる婦警達。
黒い影が一つ屋根から飛び降りてきた。でも足を痛めたか立ち上がれない。
そこを玉藻、葛葉、紅葉が黒づくめの覆面の人間を後手で押さえつけた。
「川合さん、手錠を・・・・」
「わかりました」
とバックから手錠を取り出すと庭に飛び出し手錠をかける。
空からもう一つ白いものが降りてきたと思ったら、それはましろと白虎丸だった。
白虎丸は口に黒い衣装の人間を咥えてゆっくりと下りてきた。
おっかなびっくりの川合刑事。
「だいじょうぶどす、今のうちに手錠を」
「はい」
小沙希は縁に座っていた。
「玉藻さん、葛葉さん、紅葉さん、この者の巣窟は判りましたな」
「はっ!主殿・・・では」
言葉がいらない主従だ。いきなり光の玉になって薄暮の空に消えていった。
『ガオウ』と唸って小沙希に近づく白虎丸。
「白虎丸もましろちゃんもごくろうさん」
といいながら白虎丸の首筋を撫でる小沙希。
「あと一働きしてきてね」
頷くましろに
「待って!」
と声がかかって座敷の奥から蝶が一匹ひらひらと飛んで来た。
ましろの横で少女の姿に変わる。
「あきあ!私も行く!」
「胡蝶さんが行くほどのことはないと思うけど」
「だって、ひづると遊んでばかりも楽しいんだけど
たまには一働きしたいもの」
「ふふふ・・・あなたもこういうこと好きよねえ。
じゃあ、ましろちゃんはカコちゃんのことお願いね」
「はい、あきあ様!おまかせを・・・・」
と二人と1頭も光の玉となって空に消えていった。
空を見上げて消えていった式達のあとを見ていた皆の視線が小沙希に移る。
微かに頷くあきあに婦警達の半分は玄関に急いだ。靴を履いて庭に回る。
川合刑事に靴を渡す婦警。
座敷に残った婦警の一人に声をかける小沙希。
「恵子さん。署長に連絡しておくれやす。待機してはる刑事さんたちに出動要請を・・・
そして、十数人の悪党達をお引渡しするんで、出来れば護送車の配車を頼んでくれはる?」
「わかりました」
とモバイルに手をかける恵子。
「瑞姉!」
と座敷奥に控える瑞穂に声をかけた小沙希。
「ご苦労さんどすけど、もう金沢さんが病人を連れてくるんどす。
看護師さんと出来ればストレッチャーを・・・」
「わかったわ」
と立ち上がる瑞穂。
「わたしも行く!」
とひづるもぴょんと立ち上がって地下に走る。
ニッコリと笑った小沙希。座ったままであらゆる手配りをして動こうとしない。
自分は約束通り動かずにこの事件を解決しようというのか・・・・・
「ねえ、沙希!」
と声をかけたのは紫苑だ。さっきから話が中断していたこともあり、
中途半端な状態で混乱しているのだ。
「さっきの話のことどすけど」
「えっ?・・・ああ、カコちゃんのことどすな。
カコちゃんは紫苑姉ちゃんの母親違いの年の離れた妹どす」
「えっ?妹?・・・・」
「そうどす、うちに判るのは第三者の意思のことどす。
その人の想いがカコちゃんを守っているんどす」
「守ってる?・・・・・カコは守られとるんどすか?」
「そうどす。宗太郎さんの良く知る人によって今も守られています」
「あっ!・・・・じゃあ・・・・じゃあ、どうして!・・・・・」
「宗太郎さん夫婦に教えるわけにはいかんかった。
宗太郎さん夫婦にはこの男達の目が常に光っていたんどす。
そやからその方は夫婦の苦しみ悲しみが手に取るように判っていたんどすが
知らせるわけにはいかんかった。カコちゃんを守るためどす。
例え奥さんが苦しみに倒れても歯を食い縛って耐えたんどす。
さあ、金沢さんが帰って来たようどす・・・・」
その声に先ほどから控えていた看護師達がさっと立ち上がって小走りに玄関にむかう。
「ただいま!・・・あっ!・・・お願いします」
そんな金沢婦警の声が聞こえる。看護師達に病人を渡したのだろう。
直ぐに目の前の廊下を急ぎ足でストレッチャーを押して看護師達が急ぎ足で地下に向かう。
「あっ!」
と妻の行くほうに立ち上がろうとする宗太郎。
「宗太郎さん!落ち着きなはれ、心配はいりまへん。
恵美さんは直ぐに元気になって戻ってきはります。それにここから奥は男子禁制どすえ」
と笑う。
その笑顔に皆はこの急な展開の中で入っていた力がスーっとぬけるのだ。
遠くから何台ものパトカーのサイレンの音が近づいてきた。
「さて、大八木さん達が来たようどすし、そろそろあの子達も戻ってきます・・・・」
といってから
「礼子さん、使い立てして悪いんどすけど、来られた皆さんお庭に通して欲しいんどす」
「わかりました」
と玄関向かう緋鳥礼子。
『キキー』と隣の病院の駐車場に何台かの車の停車音が聞こえたのは、しばらくしてからだ。
緋鳥礼子の指志によって誘導されたのだろう。
それからバタバタと走る音がして庭に入ってきた。
制服組の警官達と私服の刑事達だ、無論牛尾の姿もあった。
「あきあさん!この二人・・・・だけですか?」
手錠をかけられている二人を指して言う大八木部長刑事、
「もうすぐ・・・あっ!戻ってきたようですわ」
と小沙希が空を見上げる。
その視線を追うように見上げる警官達・・・・
その視線の中に入ってきたのは不思議な光景だった。
着物の女三人が三角形に佇んだその中に薄っすらと光る円があるのだ。
それが真上に来てそのまま下りてきた。
京都府警の警官達、日野あきあの力というものを知らなければ大騒ぎになる光景だ。
地上の降りてきた女達三人の中の円はスッと消え、
男8人と女3人がグルグル捲きに縛られていた。
「主殿、ただ今戻りました」
「ご苦労さん、怪我はなかったどすか?」
「何のこれしきの人数、物の数ではありませんでしたわ。
ただ、チョコマカと逃げるので思わず力を使ってしまいました」
「しかたがないどす・・・あら、どうしたんえ?玉藻さん・・・」
しきりに空を見上げる玉藻に声をかける。
「いえ・・・何・・・」
「ふふふ、心配なのね・・・胡蝶ちゃん・・・」
「と・・とんでもない、あんなこまっしゃくれた女・・・」
「おほほほ・・・いいんどす。ほら、言っている傍から帰って来ましたえ」
「えっ!・・・」
といって振り返ってから、慌てたように光の玉になって小沙希の身体の中に
消えていく。呆然となった警官達・・・そして捕らえられた男と女達。
「ふふふ・・・ごうじょっぱりな玉藻さん」
といって笑ってから
「さあ、あなた達もお戻りなさい」
「あのう、主殿。ましろは?」
「あなたも心配性どすえ、・・・
ましろちゃんはちょっとお使いに行ってもらっているんで大丈夫どす」
それを聞いて安心したのかほっとため息をついて葛葉も小沙希の身体に帰って行く。
紅葉は最後に小沙希と『ニヤッ』と笑い合って小沙希の身体に消えた。
捕らえられた男女達ともこれを見て、
自分達の計画をぶっ潰された恨みを吐こうとしたが、これでは何もできない。
ブルブル震えるのが精一杯だ。
「わあ~」
と声が上がったのは警官達からだ。
大きな白い虎が空から降りてきたのだ。吃驚して声を上げるのも仕方がない。
ここって一体・・・化け物屋敷か?・・と声をあげてしまうところだった。
「ごくろうさんどす。白虎丸」
と小沙希が声をかけると咥えていた大きな袋の口を離すと
小沙希に寄って来て、首筋を撫でられゴロゴロと喉を鳴らす。まるで猫だ。
「さあ、戻りなさい」
と声をかけるとこれも光の玉となって小沙希の身体に消える。
あっけにとられるってこのことだろう。
文字通りにこの光景を見ている皆・・・そして、最後に残るのは・・・・・
さきほど『白虎丸』と呼ばれる大きな虎が地上に降りたとき
その背中からひらりと飛び降りた少女・・・・が一人だけになった。
少女は虎が消えるのを待ってから、手を虎が咥えて持ってきた大きな袋の上に
かざしてから空中で掴み取るような形をすると袋が消えて
これまた括られた男7人、女1人が出てきた。
これで19人の男女がこの庭に警官達に囲まれているのだ。
「あきあ!」
「ごくろうさんどす。胡蝶ちゃん何ともなかった?」
「平気よこんなの。それにあいつががんばったし」
と白虎丸の働きを伝えてから
「捕まえる前に見ていたらあいつら大事に仕舞いこむ書付があったから持ってきたわ」
と懐からたくさんの書類類を出して小沙希に渡す。
「ありがとう、胡蝶ちゃん。ゆっくりしてね」
「うん」
といって蝶に戻り座敷の中に入っていってひづるの胸のエンブレムとなった。
警官達にもう驚きはない。よくみれば自分達の仲間の婦警達には少しも驚きはないのだ。
そんな彼女達に無様な真似は見せられない。
小沙希は胡蝶の持ってきた書付を読んでいた。その目がキラリと光ったのは誰も気づかない。
「大八木さん」
と呼ぶ小沙希、読んでいた書付を大八木に渡すと次の書付に目を通しだした。
大八木は読んでいくうちに書面を持つ手がぶるぶる震えだした。
「あ・・あきあさん・・・これは・・・」
「ええ、犯罪の契約書どす」
「こんなものが有る以上・・・」
「ええ、今迄かなりの暗殺をおこなっていた思いますえ」
「沙希!これどういうことなんどす?片方の人たち私の命を助けてくれたから
味方じゃないんどすか?」
「紫苑姉ちゃん。命を助けられたからって味方思うんは早とちりどっせ。
こん人達、その時点で姉ちゃんが生きている方が得をするから命を助けたんどす」
「えっ?それって?」
「そうどす、いわば一つ穴の狢いうことどすか」
「そんなあ・・・」
呆然と庭を見る紫苑。
「大八木さん」
と自分の横の縁を指して残った書付を渡した。
大八木はその縁に座って書付を読み出した。
1課の刑事達がその周りを取り囲む。
「瑞姉!日和子伯母様に連絡を・・・・」
「わかった」
と素早く連絡をとったモバイルを小沙希に渡す。
「沙希ちゃん、どうしたの?」
「日和子伯母様すいません」
「あら、私に謝らなければならないように行動をおこしちゃったの?」
「うううん、私はここから一つも動いていないんだけど、
安楽椅子探偵の事件がとんでもない事件に発展しちゃったの」
と三味線を購入するために三好屋に来てもらったことから
紫苑のことと絡んで通力を発動させて暗殺集団を自分の式神に捕らえさせた事、
その結果、胡蝶が持ち帰った書付がとんでもないものだと言った。
「じゃあ、その書付を今、大八木さんが読んでいるのね」
「ええ、そうなの」
「悪いけど、大八木さんに代わってくれる?」
「はい・・・大八木さん!日和子伯母様・・・
いいえ、飛鳥警視正が変わってくれって・・・・」
モバイルを渡された大八木部長刑事
「あっ!これは警視正」
といって立ち上がった。
「また、あきあが手数をかけましたね」
「いえいえ、とんでもないことです。今回は連絡を受けて飛んで来ただけです」
「それで書付の内容は?」
「はい!これは大変なものです。京都府警ばかりでなく東京の・・・・いいえ、
日本中の警察に関係してくるものです」
「それは一体?・・・」
「殺人の契約書です」
「えっ?殺人の?・・・・」
「はい、どうしてこんな危ないものを取り交わしたか又、残していたのか全く理解できません」
「一つだけ教えてくれない?」
「はい、ついこの間あるメーカーの課長が自殺して検察庁の調べが出来なくなった
国会議員との贈収賄事件。その課長の殺人の契約書がありました」
「まあ・・・・」
「あとは自殺となった事件や事故で死んだと思われる事件で
我々が知っているものもいくつかありますが、知らないものもたくさんあります」
「それはどこで?」
「はい、これを見ますと北海道から沖縄まで20件ほどです。
契約金も5000万円から1億円までさまざまです」
「お願い!それを警察庁にFAXしてくれない?」
「わかりました。うちの川合刑事とかわります」
川合刑事はモバイルを受け取ってFAX番号を聞いてから
金沢巡査に連れられて書付を持って玄関へ走った。
「それじゃあ、大八木さん。この者達に少し質問してよろしおすか?」
と言ってからまずは玉藻達が捕まえてきた集団の一人を指差す。
「質問?・・・どうぞどうぞ」
といって警察手帳を出してメモしようとする。他の警官や刑事達も同じだ。
「暗殺集団”レッドアイ”の首領・穴山大介・・・
そして、ブラックスターの首領・筧十郎」
と今度は白虎丸が捕まえてきた方を指差す。
「牛尾さん。筧十郎の顔の皮を一枚めくっておくれやす?」
それを聞いて憤怒の声をあげる筧十郎。
牛尾にしても何のことか判らないがあきあの言葉に反応した筧十郎に対する不信感が大きい。
近寄り懐中電灯で照らして、よく見て見ると首の所とか耳の所とかが何かおかしい。
思い切ってそこを指でこすってみると皮がべろんとむけた。
「何だあ!こりゅあ・・・・」
と皮をひんむくとそこからは・・・・・・・
「ええ~~」
という驚きの声。
「おほほほ・・・あんたの素顔、おもしろおすえ・・・・筧十郎。
どういうわけか敵である穴山大介と瓜二つ・・・・
それは仕方ないんえ双子だから・・・そうどずな穴山小介」
予想したとはいえ驚きは両方の配下のほうが大きかった。
「穴山大介と穴山小介は若いときに犯した犯罪・・・
暴力団の資金を奪い追手から逃れるためにアメリカに密入国したんどす。
そして傭兵として雇われて徹底的に殺しのテクニックを教わり、
各国の戦場を飛び回っていた・・・・いうことどす。
それにこの二人が入っていたんどすからろくな傭兵部隊やおへん。
要人殺しは勿論、金品の略奪、女性をレイプのあげく殺すことは日常茶飯事どした。
けんどそんなこと天がほっとくわけありまへん。
雇われた国の部隊から急襲をうけて傭兵部隊はこの二人を除いて壊滅したんどす。
この二人はどこで覚えたか変装のテクニックを使い逃げ延びたいうことなんどす」
「き・・貴様!どうして?・・・」
「知ったのか言うことどすやろ。それはあとで教えてあげます。
まだまだあるあんたらの悪辣さ・・・・二人にはもっと配下がいたはずどす。
けんどあんた等は反勢力をつくり、配下達を争そわせた。
なぜなら、部下に分配金を渡すのが我慢できなかったからどす」
「ええ~~」
「本当か!」
膝立ちして自分の首領を睨みつける。
「あんた達は時々入れ替わっていた。
その上配下にも変装して首領に対する不平不満を聞いていたんどす。
不平を持つものは消去どす。配下は使い捨て・・・それしか思ってまへん」
「くそ!」
「畜生!」
掴みかかろうとするものもいる。
でも、括られている上、警官達に静止されればどうしようもない。
「あんた達二人の悪埒さ、吐き気がするえ。
けんどうち、どんな場合でも人の命は大事なもの思っているんどす。
そやからこれからあんた達全員、嘘いわれへんようにしよう思ってます」
何を言ってやがる。フンっとそっぽを向く暗殺団。
その時、配下の一人が
「あっ!」
と大声を上げた。
立ち上がった舞妓の両の瞳は閉じられていたが
その額にランランと輝く一つの瞳。
「ば・・・化け物!・・・」
「失礼なこと言わんといておくれやす。うち化けもんと違いますえ。
これは天眼通いいまして、ついこの間うちが得た通力どす。
人のこと何でも判ってしまう力なんどす。
けんどうち、こんな力使うんはあんた達みたいな悪党だけどす。さあ、これからは正直になるんえ」
と言ってその目から金色の光が出て悪党達を照らすのだ。
その後はぐったりと横倒しになった。
「心配おへん。直ぐ気が付きます。
あとの取り調べこの人達、嘘を言おう思っても本当のことしか言えまへん」
「嘘を言えない?これは助かります。
事件は大変な事件ばかりですが案外早く解決するかもしれませんね」
「へえ、うちはここまでどす。あとはよろしゅうに」
「判りました。たしかに悪党達を受け取りました」
「これ、彼らのアジトどす」
とメモ用紙を大八木部長刑事にわたす。
「確かに・・・」
と言ってメモ用紙を受け取ってから警官達に声をかけると
悪党達を引っ立てていく。
大八木刑事に何事か囁いていた川合刑事だけが残り、
「私が担当しているカコちゃんの行方不明がまだなんですが」
と小沙希に問い掛ける。
「心配いりまへん、それも直に解決します。さあ上がってお待ちやす」
「どうどす?三好屋はん。うちの小沙希ちゃん」
「へっ・・・へえ・・・寿命が延びたか縮んだか判りまへん。
けんどなにかお芝居を見ていたようどした」
「そうどすやろ、そやからうち今から小沙希ちゃんの舞の会が楽しみで楽しみで」
「舞の会?それはなんどす?」
「今度、南座で小沙希ちゃんの舞をあの小野監督はんと・・・
それアメリカの・・・そうそうジョージ・ルーク監督はんが
撮影されるんでその予行演習いうんか・・・舞の会を開くんどす」
訳が判らないという顔をする三好屋の主人、
師匠の言葉足らずの説明を高弟の一人が補足すると
「わてらも・・・わてらも見れるんどすか?・・・」
「ああ・・来たらええ。ただどすけど凄いもんが見られるんどす。
それこそ寿命が何年も延びる思いますえ」
「お婆ちゃま。もう、止めといておくれやす。
そんなこと言われたら、うち恥ずかしゅうて・・・」
そんなことを言う小沙希は本当に可愛い舞妓でしかなかった。
先ほどの凄い力を発揮した舞妓とは全くの別人だった。
「宗太郎さん!奥さんえ」
と言う小沙希を見上げてからその視線の方を振向くと
開けた障子の影から小走りに走ってくる恵美。
滑るように座り込んで宗太郎に抱きついた。
「あんた・・・」
「恵美!だいじょうなんか!」
「へえ、お医者はんに診てもろて、温泉に入ったらすぐに元気になったんどす」
「温泉?・・・」
「へえ、けんどここのは女性しか効かへんのどす」
「まあまあ、お二人共、・・・あっ!カコちゃんが来ましたえ」
「えっ?」
と夫婦顔を見合わせてからガバッと立ち上がった二人、
小沙希のいる縁側まで飛んできてその視線の方向を見る。
真丸い月を背景に3つの人影が影絵のように下りてきた。
真中の小さい子が両端の女の子と女性の手をしっかりと握っているのだ。
庭に下りてきた3人、小さな女の子はキョロキョロと周囲を見ている。
「あっ!カコちゃん・・・・」
と縁から飛び降りた恵理が膝をついてカコをしっかりと抱いた。
「母ちゃん!痛いよう」
「あっ!ごめんね・・・」
と慌ててカコから腕を外し、身体をさすリ続ける。
「カコ!」
と恵理の後ろから声をかける宗太郎。
「あっ!父ちゃん」
と宗太郎に飛びつくカコ。
「カコ~~・・・カコ~~・・・無事だったのかあ・・・・」
父と母の喜びに対してカコが嬉しそうに言ったのは
「あのねえ、カコねえ。お姉ちゃんと叔母さんとお空を飛んだんよ」
というカコに言葉が出ず『うんうん』と頷く両親。
「さあ、カコちゃん。下でお医者さんが待っているんえ。
それが終ったらお母ちゃんと温泉入ってきよし」
「うち、お医者さん嫌や!」
「どうしてどす?」
「痛いの恐いから・・・」
「ああ、注射?注射なんかせえへんよ」
「本当?」
「本当・・・うち、約束するえ。カコちゃん、悪い奴らに追われたでしょ
そやから検査するだけどす」
「それじゃあ、行く」
といって母の恵美に連れられて心配そうに待つ看護師達の方に歩いていく。
その姿が障子の向こうに消えるのを待って、小沙希のほうに振り返った宗太郎が
「本当なんどすか、カコか悪い奴らに追いかけられたって」
「本当どす」
「じゃあ、あいつ等が・・・」
「へえ、・・・そんなカコちゃんを助けて匿ったんが
ここに居られる庵主様で蓮昌尼様どす」
そういう小沙希を驚いた顔で見つめる白い頭巾に紫の袈裟姿の蓮昌尼。
「あなた様は・・・あなた様は一体どういうお方どす?」
「うちはただの舞妓どす」
と言ってから
「それでましろちゃん、どうどした?」
「はい、あきあ様。あきあ様の申される通り、屋敷裏の古井戸に・・・」
「そうどすか・・・・わかりました。
ましろちゃん、ごくろうさんどした。ゆっくりお休みなさい」
「はい」
といってふうっと光の玉になって小沙希の身体に消えた。
こんなこと見慣れている人には何とも無い光景だが、いきなり連れてこられたものには驚きしかない。
しかし、周りの女達はもうニコニコするだけでホッとして小沙希を見ているのだ。
そんな時だ。舞台上に仏の姿・・・阿弥陀如来だ。
驚いた蓮昌尼は平伏するが、後のものはただじっと見ているだけだ。
「阿弥陀如来様、菩薩様のご返事はどうどした?」
「又、沙希は無茶を言うといって、頭を抱えておられた」
「小沙希ちゃん!菩薩様を困らせたんどすか?」
「困らせるつもりはなかったんどすけど・・・・うちの通力余りにも強すぎるんどす。
半分でも弱して貰おう思て阿弥陀様にお願いしたんどす」
「力を強くしようと努力する人間は過去にも大勢いたが、
沙希のように力を弱くしようとする者はいなかった。沙希はこれで何回目じゃ」
「う~ん」
と指を折る小沙希。
「確か4回目どす」
「世界中の女に沙希の力を制御するものを分け与えるのはこれ以上は無理だ」
「そうどすか・・・・」
「しかし、毎日のよう皆で沙希の事を相談するのは本当に大変じゃ・・・」
「えっ?皆さんて?」
「菩薩様が集められた。わしや大日如来。竜神の緋龍や紅龍もいる」
「えっ?・・・紅龍様はもう許されて天界にのぼられたんどすか?」
「それは沙希のせいだ」
「え?・・・うちの?・・・」
「この間、坂本竜馬が沙希の守護をするに手が足りないと言っていたな。
それはここにいる皆も聞かれた通りだ」
と周囲の女たちを見渡す。
黙って頷く女達・・・それを驚いた目で見るのが男二人と尼さんだ。
仏の声をこうして聞く不思議。こんな奇想天外な事あろうはずはない。
「沙希が何かをするたびに守護する皆が、右往左往している」
「うち、今はおとなしゅうしとりますけんど・・・」
「ふ~む・・・沙希は何かえらく勘違いしているようだのう」
「えっ?・・・けんどうち、今日は一歩も表に出まへんどした。ここにいる皆が証明してくれますえ」
「やはり沙希は勘違いしておる」
「えっ?違うんどすか?」
「そうじゃ。沙希を守護するいうことは何も沙希だけの身体を守るだけではない。
沙希の言った事、やった事全てに波及するんじゃ」
「じゃあ・・・」
「そうじゃ。・・・女達を殺した事件のときはどうだ?」
「お婆ちゃま達や高弟の叔母ちゃま達・・・菊野屋のお母ちゃんや
舞妓や芸妓のお姉ちゃん、日和子叔母様や早瀬のお姉ちゃん達、それに映画関係者・・・・」
「多いのう・・・土御門の事件・・・あの時はどうじゃ。
沙希が『般若童子』として復活した蘆屋道満を倒したときじゃ」
「えっ?」
という顔の何も知らぬ者達、あの『般若童子』が目の前にいる・・・。
「あの時はさっき言った人達に比叡山の蓬栄お爺ちゃま、天鏡兄さん、
武者僧の兄さん達、そして土御門の叔父様達・・・・」
蓮昌尼にとっては会いたくても会えぬ雲の上の存在ばかりだ。
「増えたのう。それからは怨霊・平将門との戦い・・・・
そしてこの間の怨霊・藤原元方との戦い・・・
もっともっと人数が増えるのではないか」
「へえ、500人以上と1000人以上・・・・」
「凄い数じゃ。それをあれだけの天人で守護する。沙希はどう思う?」
『う~ん』と額に手を当てて座り込む小沙希。
「うち凄い迷惑かけとったんどすなあ」
「でものう、あれを解決出来るのは沙希だけなのじゃ。
沙希がいなければ、この京都焼け野原になっておろう。
それだけではない、朱雀門が開いていたら、
この日本中・・・いや地球の現世の人間は全滅していたのじゃ」
「そうどす、そうどす。小沙希ちゃん。あんたがいなかったら皆こうして
ここにおられへんかったんどす」
「そうよ、沙希ちゃん。あなたを守護する人って大変だと思うけど
沙希ちゃんがいなかったらと思うとぞっとするよ」
薫がそういうと沙希は皆に方に座りなおして
「でもうち、もっと慎重に行動します。そやからこれからも見守っておくれやす」
と深々と頭を下げていう。
阿弥陀如来がにやっと笑ってから
「菩薩様からの願いがある」
「阿弥陀様!、菩薩様の願いというのは?」
「沙希の笛が聞きたいと頼まれてきた」
と言われてから消えていく。
沙希が両手を前に出すと現れたのは『翔龍丸』
笛の音が流れ出したとたんに全ての人が魅せられていく。
心地良い涼風が皆の頬を撫で、その音色が心にも肉体にも生命の息吹を与える。
庭からは土着していた古い魂が昇天する。
目を閉じて笛を吹く小沙希の身体に重なって見えるのはやはり菩薩様だ。
蓮昌尼は数珠を両手で摩りながら御参りをしだした。
僧侶としてありえない光景ではあるがもうありがたくて夢中でお参りしているのだ。
笛の音が消えていく・・・・・・・
身体の中に爽やかな風が吹き込んで心の中の灰汁が消え去り、
皆の顔にあった疲れがきれいに払われていた。
目の前で繰り広げられるいろんな展開に正直ぐったりとしていたのだ
「あのう、このお方はどういうお方でございましょう」
直接話し掛けるのが恐れ多いと貞子達の方に向き直って聞く蓮昌尼。
「うちの孫で小沙希いいます」
「小沙希様?・・・あのう、失礼ですがあなた様は?」
「井上貞子どす」
「では、あなたが京舞の人間国宝である井上貞子先生ですか?・・・ じゃあ、ここは・・・」
「へえ、うちの家どす」
もうなにおかをいわんや・・・だ。
「本名、早瀬沙希。世界的に有名なビジネスソフト”ワープスロウ”や
今回映画化されたゲームソフト『妖・平安京 雪の章』の開発者です」
これは律子の声だ。
小沙希は吹き終わった横笛を持ったまま膝の上においた自然な姿で座っている。
「芸名、日野あきあ。天才女優として今、テレビや映画で活躍中です」
と早乙女薫。
「最後に陰陽師、安倍あきあ。これは安倍晴明様につけてもらった名前です」
大空圧絵も続けてそう言った。
「あのう、うちのことはそこでストップどす。
先にこの事件のこと解決しとかな、ほれ川合刑事がじりじりしてます」
「えっ?じりじりだなんて・・・そんなあ・・・」
小沙希は慌てて胸の前で手を振る河合刑事にニコニコと笑顔を向け終わると
「紫苑姉ちゃん。・・・先ほどカコちゃんは母親違いの年の離れた妹や・・・とうち言いましたなあ」
「へえ、けどうちなあんも覚えてへんのどす」
小沙希は軽く頷くと
「姉ちゃんのこと言う前に、ここにおられる蓮昌尼様のこと教えておきます。
お婆ちゃまや高弟の叔母ちゃま達なら、
十数年前に突然現れた日本舞踊界の不世出の天才舞姫こと常盤桜蓮のことを知っとられるはずどす」
「おう・・・おう・・・これは懐かしい名前を聞くもんどす・・・
けんどあのお人は交通事故かなんかで亡くなった・・・・えっ?では・・・」
「はい、わたしがその常盤桜蓮のなれの果てです」
という蓮昌尼ではあるが貞子や高弟達が蓮昌尼を見る目がガラリと変わった。
例え今がどうであろうとも一度は同じ道を歩んできた仲間である。
そして皆の愛して止まない沙希姫に今又、一人心強い出会いが生まれたのだ。
「蓮昌尼様はね、紫苑姉ちゃん。
ああ言って御自分を卑下しとられるんどすけんど、
たったお一人で紫苑姉ちゃんとカコちゃんをこれまで悪党達から
守りつづけたんは大変なことなんどすえ」
「えっ?・・・・では・・・・」
「そうどす。蓮昌尼様はカコちゃんはともかく紫苑姉ちゃんとは何の血のつながりもおへん。
けんど紫苑姉ちゃんを守って守って・・・守り通したんどす。カコちゃんのお母様・・・
蓮昌尼様の妹の高子様のたった一言の願いの為に」
「『姉さん・・・・』と高子は死の床で私の手を握ってこう言ったのです。
『もし紫苑とカコの身に危険が及ぶことがあったらカコを見捨ててもいいから
紫苑をきっと守ってね・・・・紫苑は私が雪乃様から託された綾小路家の大事な跡取娘。
もし紫苑の身に何かがあれば天で会うことになる雪乃様に顔向けが出来ません。
・・・・絶対ですよ。絶対に守って!』
そう言って息を引き取ったんです」
そう言いながら手にもったお数珠の珠を無意識の内に回していく。
「私には妹の言葉が信じられませんでした。
自分の産んだ子の命を捨ててまでもお世話になったとはいえ先妻の産んだ子です。
その子を助けろとはどういうことなのでしょうか?・・・・事故で両親を亡くし、
舞えなくなった自分をも呪いつくしてひん曲がっていた根性の私でしたが、
さすがに死の床で私に託した高子の言葉が・・・
何ものにも変えられぬ想いというものがずっしりと私にのしかかって来たのです。
今までの自分では駄目です。自分を変える必要に迫られたました。
だから伝を頼って山頂近くにある年老いた庵主様がおられる庵に飛び込んだのです。
そこでの修行は今思えばようも耐えられたものと思うほど凄まじいものでした。
けれど半月経っても1ヶ月経っても高子の言葉を理解する事が出来ません。
そして、ある冬の夜、シンシンと冷え切ってはいましたが輝く星に誘われて、
山頂の岩の上で禅をしていたとき、私は見たのです。
まるでスローモーションのように星が動き、
東から上ってくる光に星が包まれたときその存在が消滅し、
光輝く大きな太陽が徐々に上ってくる。それはもう言葉には言い表せぬ光景でした。
自然の摂理には違いはありませんが、こうして目の前で劇的に見せられると
気づいた時には纏っていた衣も何もかも脱ぎ捨て、素裸の自分が光の中で立っていたのです。
『くよくよ悩まず先へ進め!』
そんな声が心のうちから溢れ出ています。そして、私は高子の言葉の真の意味をついに悟ったのです。
カコを見捨てろとは綾小路という小さな殻に閉じ込めずに大海の中で
自由に生きさせてという高子の我が子に対する愛情でした。
紫苑を守ってというのは綾小路家の跡取という運命を背負ってしまった紫苑、
このままでは本当に四面楚歌になるのは判り切っていました。
次々と送り込まれる悪党達の中でこの先、生きていくこと自体困難です」
「あのう、蓮昌尼様。・・・以前のうちいうたらどんな子どした?」
話が深刻だけにホッとする束の間の紫苑の質問だ。
蓮昌尼も肩に入っていた力をぬき、少し笑顔を見せると
「気位の高いお嬢様・・・・・かしら・・・」
と言う。
小沙希といえばいつものように目を閉じて静かに蓮昌尼の言葉を聞いていたが
『ニッ』と笑ったのは紫苑の次の言葉を聞いたときだ。
「よかった。そんな高ピーのお嬢様の記憶が消えてしまっていて・・・」
紫苑の言葉に誰もがほっとする。
「私が・・・・」
と蓮昌尼の言葉が続くと全員が固唾を飲んで見つめる。
「岩の上から振り向くと、厳しいばかりのお人と思っていた庵主様が
私が脱ぎ捨てた衣を持って心配そうに私を見上げていたのです。
その時悟ったのです。きっと私の1ヶ月の厳しい修行の陰から
1日も欠かさずこうして見守り続けて頂いたのに違いないって・・・・だから私は決心したのです。
悪党達からの隠れ蓑のための尼僧というのは止めようということです。
『そんなこといいのですよ・・・』庵主様にはそう諭していただきましたが
私は決心を変えませんでした。・・・そして髪を切りおろしたのです。
京都の庵は庵主様に紹介していただいたものです。
綾小路家も悪党達の根城もカコちゃんをかくまってもらっていた病院も本当に近い格好の庵でした。
こんな近くにカコちゃんを匿っているなんて悪党達も思いはしないでしょう。
私が京都の庵に来てからすぐ、綾小路家を伺っておりましたところ、
あの鷹揚というか凡庸というかこの現代にあんなお殿様が居られるなんて
信じられないほどの綾小路家の当主がどこにもおられないのです。
人の善悪なんて区別もつかないお方・・・そんな当主の姿が見えないということは・・・・・
ことは急がなくてはいけない!私は直ぐに病院にかけつけました。
カコがどこの病院で産まれたかは誰も知らないはずです。
亡くなった妹の高子のことも綾小路家の誰にも話していません。
ところが病院の中にはカコの姿がないのです。
絶対の信用のおけるお方・・・
病院の副院長のことをそう思うようになったのは、このカコのことがあったからです。
副院長は病院での高子の臨終に立ち会ったお方・・・・、
その副院長は私が高子の言葉で苦悶しているときに高子の臨終の言葉の意味をすでに悟られていて、
カコをそこに居られる雲井宗太郎様・恵美様ご夫婦に里子に出された後でした。
ほっとしたのも束の間、今度は紫苑のことが心配でたまりません。紫苑は悪党達の中にいるのです。
当主もすでに悪党の手にかかっているのに違いありません。
紫苑の乳母も暇を出されてすでにいなくなっていました。
今だ!・・・悪党達の目を逃れて高子と会うために使っていた、
秘密の出入り口の扉に飛び込んだのは勇気というより無謀だったのかも知れません。
いくら油断していると言っても相手は何人もの人を手にかけているのです。
後で歯の根が合わぬぐらい震えてどうしようもなかったといえばお笑いでしょうか・・・・」
一斉に首を横に振ったのは制服を着た婦人警官達だ。
「それって、凄くわかります。私達の仲間の何人かは経験済みです。
けれどそんな危ないことこれから絶対にお止めください」
と声を出したのは京都府警の河合刑事だ。
しっかりと頷く蓮昌尼。二度とはそこまでしないし、そんな機会はもうあるまい
「けれど、どうしてそこまでして紫苑を手にかけなかったのかは今でもわかりません」
そういう蓮昌尼の次に皆が視線を移したのは小沙希にだった。
けれど目を閉じジッと話に聞き入っている小沙希からは何も汲み取れない。
けれど小沙希ならその訳を知っているのに違いない。
小沙希が自分から話すのを待つ・・・そうあきらめて再び蓮昌尼に視線を移す。
「私は紫苑が最も嫌いだった高子の姉です。
そんな私にでも縋るような目つきで抱きついてきた紫苑・・・・
普段の紫苑からは想像もつかない心細さが滲み出てた可憐な女の子・・・
それは凄く怖かったのでしょう。たまらなく寂しかったのでしょう。
私は抱きながらも可愛くて可愛くて仕方なくなりました。
でも1分1秒もそんなことをしていられません。
叱るように奮い立たせると手早く持ち出す荷物を用意させました。
再びあの秘密の出入り口から中庭に飛び出した私たち・・・・
庭を囲むような木立の中を潜り抜けると急な崖の下に
細い裏道が綾小路家の屋敷の周りをくねくねと巡っています。
細心の注意をはらっていたつもりなんですが、やはり慌てていたのでしょうね、
木の根に足をとられて二人して急な崖を滑り落ちてしまったのです。
でも私にはあのお山での修行で培った体力がありました。
なんとか崖に出ている木の根に手をかけて体勢を立て直しましたが、
紫苑は私に手を伸ばして何かを叫びながら崖を落ちていったのです。
『お姉さん・・・』私にはそう聞こえました。その声は今も耳に残っています。
ここにいる紫苑は私が産んだ我が子のような存在です。
でも我侭いっぱいに育ったあの紫苑の最後の夜の可愛らしさは
よりいっそう私に肉親の愛のようなものを与えてくれるのです」
「肉親の愛・・・・・」
そうつぶやく小沙希、一体何を考えているのだろう。
いっそうに肉親の情の薄い小沙希を痛ましげに見つめる女性達・・・・
「崖下の道で死んだように横たわっている紫苑を揺り動かしても目覚める気配はありません。
慌てて散らばっていた衣服をカバンに詰め込み、
茂みの中に隠した私は紫苑を背負って急いで大通りに出てタクシーを拾ったのです。
ちょうど洋装でウイッグを被っていたので目立ちはしなかったでしょうが、
用心に越したことはありません。何度も何度もタクシーを乗り換え、
遠回りをして病院に運び込んだのは明け方近くだったのでしょうか。
何だか自分が小説の主人公で悪党からヒロインを助け出すシーンが思い浮かばれて、
タクシーの中ではドキドキしっぱなしだったのを強烈に覚えています」
紫苑には自分のことなのに何だか他人のことを言われているようで実感がわかない。
「これが今の紫苑を生み出す元になった2年前の事故だったんです」
「えっ、うち2年間も記憶がないんどすか?」
紫苑の叫びの声に答えたのは小沙希だった。
「紫苑姉ちゃん!・・・その2年間のうちの半年間は
姉ちゃんは病院のベッドの中で眠り続けていたんどす」
「ということは、うち植物状態だったんどすか?」
頷く小沙希が次に言った言葉が追い討ちをかける。
「半年経ったある日、蓮昌尼様はベットの中の紫苑姉ちゃんの変化を知ったんどす」
「ある日私はベッドの中の紫苑の瞼が微かに動いているのに気づいたのです。
すぐ意識が戻る!と悟ったときの喜び・・・・それは仏様に感謝していました。
けれど、はっと気づいたのは・・・病院内で意識が戻ると評判になってしまういうことでした。
評判になれば悪い奴らに見つかるのも時間の問題でしょう。
私は急いで紫苑を隠す必要にせまられたんです。
病院から患者を運び出すなんて私一人に出来るはずはございません。
だから病院の副院長に手伝ってもらって私の庵に運んでもらいました」
と言った蓮昌尼に沙希は笑いかけると、思わぬ方向に声をかけた。
「さてその続きは、その病院の副院長から聞かせてもらいましょうか。
居間との襖の後ろに座っておられる副院長さん!・・・入ってらっしゃい・・・」
えっ?・・・っとその襖の前に座っている女達が立ち上がって襖を開けると、
正座する相良明子とその隣に横座りになって、
明子に首筋を撫でられていい気持ちになっている白虎丸の姿があった。
「あっ!・・・明子先生!」
驚きの声をあげる蓮昌尼に、仕方ないなあと言う顔をする明子。
けれど他の女達からは(やっぱり・・・・)という声しかあがらない。
そうこんなことが出来る副院長と言えば相良明子しか考えられまい。
「沙希ちゃんの使い魔君に引っ張られてここに連れてこられたのよ」
と皆に言ってから
「蓮子ちゃんごめんね。けれど私はあなたのこと爪の先も言っちゃあいないわよ。
けれどこの沙希ちゃんの前では何も隠せないの」
と言ってから、
「さあ、なんでも聞いて頂戴!けれど蓮子ちゃんに許可がいることは話せないわよ・・・・
あっ!そうか。それでも駄目ね!」
諦め顔の明子に
「大丈夫どす。うちがきちんと許可を得ますさかい・・・」
という小沙希にほっと力をぬく明子。
「沙希ちゃん!ちょっといいかしら・・・・」
と声をかけたのはまだ目立っては居ないお腹なのだが、乳母となる高弟二人に挟まれて座る澪だった。
「いいわよ澪姉・・・でもあんまり明子先生に失礼なこといったら駄目よ!」
小沙希の言葉に澪ならばと予想する女達・・・・・
けれど言葉使いはともかくその内容には驚きの声をあげる。
「明子先輩!・・・明子先輩の医学に対する知識には驚嘆するけど
高子さんの臨終の言葉の意味を理解する頭なんてあったかしら・・・」
「澪!・・・本当に失礼よねえ。・・・でも澪だからそんな言葉をかけられても腹が立たない
・・・・本当に得な性格しているわ」
「明子先輩・・・それってどういうことよ・・・」
「その通りの意味よ。あんたの言葉をそのままそっちに返すわよ。
澪に高子さんの言葉を理解出来たって事、今でも不思議で仕方ないのよ」
「えっ?・・・・」
「やだわ、澪。そこまでボケてしまったの? 2年前に私が相談したことを・・・・・・」
「あっ!・・・・確か里に電話してきたのよね・・・・・あの時そばに居たのは・・・・
身体の検査をしていた沙希ちゃん・・・・・」
皆が呆然と小沙希に視線を這わす。
「・・・・そう・・・・そうだったわ。
沙希ちゃんに電話のことを聞かれて藁にも縋る思いで相談したのを・・・
あの時確か『これは凄く深い意味を持っている言葉だわ。
とにかく明日まで考えさせて』といわれて次の日に
沙希ちゃんから教えられた意味を先輩に伝えたんだったわ・・・・」
「じゃあ・・・沙希ちゃんが・・・・・」
小沙希は閉じていた目を開けて皆のほうを見てにっこり笑う。
その笑顔で皆の入っていた体の力がスーっと抜けていくのが感じられた。
ましてや蓮昌尼には今まで接したことが無い笑顔なのだ。
「その縋られた藁がお話します」
プーと噴出す皆・・・声をあげそうな澪に
「冗談よ澪姉・・・・」
と言ってから
「あの時は今日のようなこと。・・・・紫苑姉ちゃんのことは勿論何も知りまへん。
早瀬の姉ちゃん達も承知されていたと思うんどすが、うちの力もまだ完全に覚醒してへん時どす。
けんどそんな時でもなんや変!・・・そう思たんどす。
うちは皆も知っとるように男尊女卑の激しい土地の産まれで
一族郎党から毛嫌いされ幼い時に包丁で自ら喉を突いて死のうとしました。
そして大きくなってからもここまで育てのだからもういいだろうと実の母に捨てられ、
肉親の愛など記憶の底にもないんどす。
けんど高子さんの臨終の言葉はおかしい・・・・
そんなうちでもそう思って1日中考えたんどす。
考えて考えて・・・考えあぐねたんは、やっぱり肉親への愛情どした。
我が子に対する母の愛ってやっぱりそんなもんどしたんや・・・・
愛を知らぬ子がたどり着くのはそんなところどす。うちはそう納得しようとしました。
けんど我が子より先妻の子を守れってのはもっとおかしい・・・・・
おかしい・・・おかしい・・・明け方までうちの考えは堂々巡りどした。
そしてふっと思いだしたんが、幼い頃にか弱い女の子をいじめている男の子達に飛び掛っていき、
身体の大きな村長の子を怪我さした時の事どす。
出てきた大人達に竹や箒で袋叩きにあってた時、
走ってきた母さんが身体をうちの上に投げかけたんどす。
うちの変わりに打たれながらきつく抱きしめてくれた事を思い出したんどす。
これがうちが母親を母さんと呼べるただ一度だけの思い出なんどす」
紫苑も蓮昌尼も呆然と聞いていた。
いや、小沙希の肉親の情に薄いことを知っている貞子も高弟達も女達も
初めて身の上を聞く男二人さえも言葉も出ない。
「だから判ったんどす」
と皆の視線をも平静に受け止めて答える。
「やだ・・・沙希ちゃん・・・・」
そんな声にも微笑を返すだけだ。
(こんな身近に仏様が居られる・・・・・)
自分が今まで信じてきたこととは違ってしまったが、
それより以上に喜びが大きいのはどうしてなのか・・・・
蓮昌尼はさらに強く小沙希の姿を追い求めていく。
紫苑は紫苑で改めて小沙希に姉と呼ばれる喜びを噛み締めていた。
「高子様の願いは我が子と義理とはいえ我が娘の幸せどした。
でも高子様はより以上に大きくて暖かいお方どす。
死をかけて願うもう一つの大きな愛とは・・・・
父母が死す大きな交通事故に巻き込まれた不世出の天才舞踊家、
舞いが舞えなくなって人生を呪い続けている大好きだった姉を舞が舞えなくてもいい・・・
元の姉、常盤桜蓮・・・いいえ、常盤蓮子に戻って貰いたいと死の淵に立った高子様が願うのは、
当然のことではないのどすか・・・」
「あっ!・・・・」
悲鳴のような声をあげた蓮昌尼、片手を前について震えている。
小沙希の視線を受けた貞子はそばに控える志保と希美子の二人に頷くと二人は蓮昌尼の傍にいき、
手を取って立ち上がらせるとそのまま貞子の横、二人の間に座らせた。
蓮昌尼にとって考えもしなかった高子の自分に対する愛・・・
どうしょうもなく泣けて泣けて仕方がなかった。
「時はかかったんどすけど、蓮昌尼様は高子様が願うより以上の人物になられはった。
ましてや仏門にはいられるなど高子様の思いもよらぬことどした。
うちはカコちゃんを綾小路家から絶対に切り離したかった。
高子様の考えもそうどした。話を聞けば聞くほど名家とはいえ
そんな時代遅れの腐った家になどしがみつく値打ちもない・・・・そう思ったんどす。
例え貧乏でも明るく強い絆の夫婦に里子に出されたほうがカコちゃんにとってよっぽど幸せなんどす」
そこへ地下から走ってきたのだろう、
カコがこのお稽古場に走りこんできて、宗太郎の胸に飛び込んだ。
それはほのぼのとさせる嬉しい光景であった。
後から入ってきた恵美が小走りで駆け寄り夫の横に座る。
入り口近くに座った看護師達に頷きだけの返事をもらうと
小沙希はにっこりと笑いながらカコに話し掛けた。
「ねえ、カコちゃん。下の病院怖くなかったでしょ」
「うん、とってもよかった。・・・でもカコちょっとびっくりしちゃった」
「あら、どうして?・・・」
「あんなところに大きなお風呂があるんだもの」
「カコちゃん、お風呂に入らなかったの?」
「ううん、入ったよ。・・・でも母ちゃんに叱られちゃった」
「どうして?」
「だってプールみたいだったから、いっぱい泳いじゃったの」
「へえ~~・・カコちゃん泳げるんだ・・・・」
「うん、だってスイミングに行っているんだもん・・・」
と言ってから急に声が小さくなって
「でも、もうカコ・・・スイミングに行けない・・・・」
「どうして行けないの?」
「だって、悪い人がカコを捕まえにくるから・・・・」
ここだった。カコが持つ怖い記憶を未来に残さないために沙希が
注意をしながらここまで話を持ってきたのだ。
「ねえ、カコちゃん。お姉さんのことよう聞いてくれる?」
「うん、なあに?・・・・」
「カコちゃんの周りにいるたくさんの制服をきたお姉さん達のことわかるわね」
「うん、女のお巡りさん」
「どうして女のお巡りさんがこんなにいっぱいいるのかわかる?」
「ううん・・・どうして?」
「それはね、カコちゃんを捕まえようとした悪者達からカコちゃんを守るためなの・・・・・」
「ほんとうに?・・・・」
と皆に視線を向けるカコ・・・ようもこんなに素直に育ったものだ。
これも宗太郎・恵美夫婦の愛情の賜物なのだ。
同じ京都人として・・・同じ音曲にたずさわるもとして貞子達の喜びは大きい・・・・。
「それにね、ここにいる河合涼子というお姉ちゃんだけど涼子お姉ちゃんもお巡りさんなの」
「涼子お姉ちゃん?」
「そうよ、よろしくね・・・カコちゃん・・・」
河合刑事がにっこりと笑って挨拶をする。いつも同僚達には見せたことがない明るい笑顔だ。
「カコちゃん。・・・涼子お姉ちゃんはね、カコちゃんのお父さんと
お母さんに頼まれて一生懸命カコちゃんを探していたのよ」
「だってカコ・・・・」
と蓮昌尼を見るカコ。
「そうよね、あの女のお坊様と悪者達から隠れていたのよね・・・
それでね、カコちゃん。うちカコちゃんに喜んで欲しい事があるの」
?・・・・というつぶらな瞳で見つめられると
小沙希でさえ思いっきり抱きしめたくなるカコの素直さ・・・
「カコちゃんがここに来る前にお巡りさん達が悪者を皆捕まえてしまったの」
「えっ?・・・ほんと?・・・」
カコの大きな瞳がさらに大きくなる。
(だってそれは・・・・)と言いかけてはっと思い留まる涼子。
そうなのだ、カコにとって誰が捕まえようと関係がない。
ただ、父や母と暮らせればそれでいい・・・・・小沙希もそれを言いたかったのだ。
「じゃあ・・・カコは・・・・」
「ええ、今夜から父さんと母さんと一緒よ・・・・」
「うわ~い・・・・やったあ・・・・」
喜びいっぱいだ。
それを見る蓮昌尼にとって嬉しさの反面、一抹の寂しさも拭いきれない。
「じゃあ、カコちゃん。もう隠し事はなしよ。お姉ちゃんに何もかも話してくれるわね・・・・」
いったい小沙希は何をいおうとしているのか?・・・・
小沙希に見つめられたカコははっとして下を向いてしまう。
「カコちゃん!・・・お姉ちゃんの方を見て!・・・」
おずおずと見上げるカコ。
「どうしてあんなことをしていたの?」
「前に一回そんなことがあったの」
「それで?・・・」
「母ちゃんいっぱい泣いてカコを抱いてくれていたの。父ちゃんは電話で大きな声で怒っていたわ。
カコとっても怖かった・・・」
はっとしてカコを抱きしめる恵美。そして宗太郎。
「カコちゃん!・・・そのときだけ?・・・」
首を振るカコ
「何回も・・・」
という声にどっと泣き崩れる夫婦二人。
「カコちゃんにはそんな時がわかるんだ」
頷くカコが
「ここに熱いもんがあがってくるの」
「そうしたら?・・・」
「ケロちゃんにお水いっぱい入れてトイレに入るの」
「ケロちゃん?・・・・」
「この子が大好きなケロちゃん水筒のことなんです」
と涙ながらに答える恵美。
「トイレに入ってどうするの?」
「ちょっとづつお水を飲むの・・・そうしたら元気になるのよ」
「そう・・・でも怖くはなかった?」
「うん、怖かった。だからちっちゃな声で父ちゃん・・・母ちゃん・・・助けて・・・
助けてって何度も何度も叫んでいたの」
もう駄目だった、我慢の限界はとうに過ぎてしまっていた。
白いハンカチがお稽古場に舞い続ける中、
「澪姉!・・・」
と声をかける小沙希。
『はっ』と顔をあげる澪に沙希の物言わぬ顔が問い掛けていた。
「そ・・・それは典型的な小児喘息ね。そんなのあの・・・・・」
・・・あの温泉に入れば直ぐに治るわよ・・・と言いかけて
沙希の視線の先に蓮昌尼がいるのに気づいた。
『はっ』と沙希の心を悟る澪・・・・
そこで『ゴホン』と一つ咳払いをして言い直す澪。
「そうねえ・・・2年かかるか3年かかるか養生しだいね。
この病院に毎日通院して温泉療法を続けることを医者として命令します」
「そして、明子先生・・・・」
何を言い出すのかと目を見張る明子。
「そこの蓮昌尼様・・・・いえ常盤桜蓮さんの交通事故の後遺症は?」
「そうねえ、骨の固まってしまった部分もあるけどあの温泉に・・・・・・」
と言ったところで澪と同じく沙希の視線の先を知り、もの言わぬ沙希の心を知ることになる。
そして、これまた『ゴホン』と一つ咳払いをして言い直す明子。
「そうねえ・・・骨も固まってしまっているから養生しだいね。
この病院に毎日通院して温泉療法を続けることを医者として命令します」
ここまでくれば沙希がなにを願っているか全員が知ることになった。
薫は思う。ようもあの澪が沙希の心を汲み取ったものだと・・・ひづるは期待する。
これで又、二人の面白い言い合いの元が出来たと・・・
「これで決まりましたね」
といってから
「宗太郎様、カコちゃんの身体と共に恵美様も元来お丈夫ではないようです。
明日からの通院、よろしいですね」
命令口調でいうが、宗太郎は素直に頭をさげ
「これから、よろしゅうお願いします」
と言う。
「蓮昌尼様、毎日の朝夕のお勤めご苦労さんどすが通院のほうよろしゅおすね」
「はい、こちらこそご迷惑でしょうがよろしくお願いします」
「さあ、これで2つの問題が解決済みどす。河合さんどうされます?」
「いえいえ、ここで見放さないでください。最後までお付き合いさせていただきます」
そういうと頭を下げる。
「じゃあ、最後は紫苑姉ちゃんの番どす」
「いよいよ、うちどすか。なんか怖おす」
「その前に・・・・ましろちゃん」
と沙希の身体から飛び出して少女の姿にかわるましろ。
「わかりましたね」
「はい、あきあ様」
「じゃあ、頼みます」
その声に光となって飛び出していく。
二人の間に何の話が交わされたのかよくわからない皆。
「胡蝶ちゃん!」
その声にひづるのエンブレムから姿をあらわした胡蝶。
「あきあ、わかったよ。おい!虎公!一緒にいくか」
その声に明子の横からのっそりと立ち上がった白虎丸。
光になった胡蝶と共に白虎丸も光になって夜の空に消えていった。
「あとは帰ってきてからのお楽しみどす」
と言ってから紫苑の方に振り向いた。
「紫苑姉ちゃんは2年前からの半年間、病院で植物状態だったんはさっき言ったとおりどす」
と言ってから
「明子先生に手伝って貰って庵に移ってからすぐに目を覚ました紫苑姉ちゃん。
でもそれは記憶喪失というより全く新しい人格の別人に生まれ変わってたんどす。
そうどすな、明子先生」
「ええ、・・・でもあんな不思議な症状って私初めて」
「それはどういうことどす?」
「完全な記憶障害と言っても日常的なもの・・・文字や会話などを覚えているものなのです。
けれど彼女の場合の記憶は完全に白紙だった。
つまり全く産まれたばかりの赤ちゃんと同じだったんです。
でもそれがリハビリを要する肉体のためには良かった。
四肢を動かすことから始め、
ハイハイと赤ちゃんが成長する過程と全く同じように心と身体が成長していくんです。
ただその成長が異常に早いことは判らぬことではないでしょうね」
「心が肉体と追いついたと思われる3ヶ月目でした」
と今度は蓮昌尼が話を続ける。
「紫苑が興味を抱いたのが私が床の間に大事にかかげていた琵琶でした。
私が舞にプラスになることは何でも吸収しよう・・・
そんな子供時代で、琵琶もお三味も師匠から名前を頂戴したこともありました。
けれど、それがこんなことに役立つとは思ってもいなかったのです。
そして驚くべきことに教え始めた最初の日からこれは容易ならざることだと肝に銘じざるをません。
一を知って十を知るという驚異の吸収力なのです。
私よりはるか上の逸材でした。基本をきっちりと教えた上で
一週間で私は教えるべきことがなくなってしまったのに気づいたのです。
片手間で教えた三味線もあっというまに身につけてしまいました。
何と言うことでしょう。私が知る以前の紫苑とはもう全然違ってました。
音曲の天才・・・私はそう信じます」
「違います・・・違うんどす。蓮昌尼様・・・・
うち天才なんかやあらしまへん。ただちょっと小器用なだけどす。
ほんまの天才はここにいる沙希どすえ。
さっき一緒に琵琶を弾きました。それはもう震えがくるんどす。蓮昌尼様も聞いたらわかる思います」
「それこそ違う思いますえ、紫苑ちゃん。
あんたはうちらから見ても天才や思います。
そうでないとお三味であんなに舞いやすく弾けることあらしまへん。
舞の心知ってなあんなこと出来まへん。
小沙希ちゃんに舞を作ったという紫苑ちゃんの前世の那賀杜姫様の、
記憶が紫苑ちゃんのDNAに書き込まれているうちはそうおもいます」
と花江が立ち上がって一気にそう話すと、
「それに・・・・」
と話を続ける。
「うち、この間源太郎様にいろいろ聞きました。
源太郎様と言っても知らない人いると思いますが
源太郎様は京都府警の牛尾刑事さんのご先祖様なのです。
その源太郎様にうちの前世で祇園の大看板を背負っていた千代松のことを聞きました。
どうしてこんなに違うのかって聞くと、
千代松は兄弟の多い農家の産まれで身売り同然でこの花街にきたのだ。
幸せな産まれ育ちのお前とは修行に対する取り組みも考えも違う。
素質のないのは二人とも同じだが・・・と笑っておられました。
素質がない分修行で・・・と千代松に負けないようお稽古にとりくんだんどすが、
それも今日の小沙希ちゃんの舞を見てそれも見当違いと気づきました。
それにしても小沙希ちゃんは凄い!鬼女と人との心の葛藤で能面を割ってしまうなんて・・・・
源太郎様が小沙希ちゃんの真似だけはするな!って口をすっぱくして言われたこと本当に肝に銘じます」
「花江ちゃん!・・・あんたは変わったなあ。
幕末の祇園の名妓千代松の大看板を今にあんたが背負うのを楽しみにしてますえ。
それと紫苑ちゃん!あんたはやはり天才どす。天才は他の人のことがわからへんのが普通どす。
けんどあんたは小沙希ちゃんのことを気づきはった。
確かに小沙希ちゃんはうちらとは比べ物にならへんほど別格なんどす。
けんど小沙希ちゃんは1代限りどす。小沙希ちゃんと同じ人なんか出てきようもあらしまへん。
そやから小沙希ちゃは後に続くものを育てること出来まへんのや
けどあんたは違うえ、紫苑ちゃん。あんたは天才といっても人どす。
あんたのような天才ではないけんど、あんたは次に続くものを育てることができるんどす」
「お婆ちゃま、なんかうちえらい言われかたどすなあ。なんか化け物みたいどす」
「そうえ、小沙希ちゃん。
あんたはいつもいつもうちらの意表をつくんどす。
とうてい出来へんことを簡単にやってくれます。
それがうちらにとっては見るだけで真似なんかできへんことどす。
花江ちゃんが言ったように小沙希ちゃんを真似すればそのお人は絶対に壊れてしまいます。
けんどなあ、小沙希ちゃん。うちらでもあんたの真似できることがあるんどす。
それはあんたの優しさどす。これは誰が真似してもええ・・・・
小沙希ちゃん、あんたはうちの自慢の孫どす。そして大好きで可愛い化け物え、なあ皆・・・」
「もう、お婆ちゃまったら・・・・そんなこと言われるとうちのお鼻、天狗さんになりますえ・・・・」
「沙希姫様のような天狗はんならどんどんなっておくれやす」
高弟達の声に
「皆してうちを甘やかそうおもて・・・うち、そんな手にのりまへんえ」
ぷいと横を向いてしまう小沙希。そんな様子になんか胸がドキっとしてしまう女性達。
「ねえ、お姉ちゃん!」
「なあに、カコちゃん」
「お姉ちゃんはまほうつかい?・・・・」
「えっ?魔法?・・・」
「だって、カコ。お姉ちゃんがてれびでいっぱいまほうをつかうところ見たもん」
「てれびで?・・・・あっ!・・・でもカコちゃんは2歳でしょ。あのてれびおぼえてるの?」
「沙希!何をいってるのよ。あのドラマってリクエストが多くて
一体何度録画上映されていると思っているの?
それに評判が良すぎてあの映画と同時にDVDとビデオ化されたのをよもや・・・・・・」
「ごめん!それどころではなかったから知らなかったわ」
「あ~あ・・・」
といって頭を押さえる律子。
「ふふふ・・・いいじゃないの律ちゃん。沙希ちゃんらしくて」
「そうよ、そうよ。これが沙希ちゃんなのだからね」
「ねえ、沙希姉さん。私のところにDVDとビデオがあるから今度貸してあげようか」
といたずらっぽく笑うのがひづるだ。
「うちのとこにもありますえ」
と貞子。皆も手をあげるものだから、もっていないのは無論
三好屋と宗太郎と蓮昌尼、紫苑、河合涼子・・・・・そして沙希というのがわかった。
皆がそれぞれ貸し借りを頼んだあと紫苑の話に戻るのだ。