第二部 第十二話
光の玉の中の一つが消え、忽然と姿を表す安倍晴明。
「あっ、晴明様、・・・・・ここにどうぞ」
と座布団を差し出す日和子。何の動揺もないのはさすがだ。
そして、森田亜紀に何事か耳打ちすると心得たように部屋を後にする。
心得た瑞穂と高弟の一人があとを追った。
日和子は今は口出し一つせず様子を見ている。
ただ少し体調が悪い真理を気遣って真理の横に座っているだけだ。
その日和子が差し出す座布団に座り、一瞬チラッと日和子を見て笑う晴明に
顔をカア~っと赤くする日和子。
どうしても昼間に竜馬に言われた赤ちゃんのことが頭に有り、動揺してしまう。
「あなたが安倍晴明様・・・・」
「そうじゃ希佐、そして希美子よ。わしは幕末でのことがあって以来
結城の家をつぶさに見てきた。そして今日・・重畳じゃのう」
「あのう・・・晴明様・・」
「なんじゃ希佐よ」
「先ほど違うといわれたこと・・・」
「おおう、そうじゃった。
違うと言うたのはあきあがわしの元で修行したから強くなった・・ということじゃ。
沙希の強さはその身のうちに持つ非凡な才能ゆえに得たもの。
舞も横笛もしかりじゃ。それに才能ばかりか日頃の努力は凄まじいもの。
師のわしでもぞっとしたものじゃ。いくらわしでもあきあのあの真似は出来ん」
「そんなに・・・」
「そうじゃ。寝食を忘れるということはああいうことじゃ。鬼気せまるあきあの修行。
そのとき、わしの式じゃった玉藻・葛葉・紅葉もあきあの姿ようみんかった。
怖いいうてな・・・胡蝶なんかあきあの目の前では飛ぶことも身動き一つできんかった」
「でもどうしてなんですか」
「いつもあきあがいっているであろう、術の失敗、それがあきあを変えた。
あきあの兄弟子に重則という男がいた。ちょうどあきあの1年先輩じゃった。
その重則がある日結婚が決まっての祝宴のその日、
夜盗に襲われて全員惨殺されてしまったのじゃ。
じゃが重則は陰陽術を学んだ身、死ぬ間際術を己にかけて妖者と契約し人ではなくなってしまった。
復讐に狂ったのじゃ。だが人を呪っての妖者との契約、妖者は見境いなどせぬ。
罪無き人までも殺していく重則の妖し、
男というだけで言葉も聞かぬあきあがただひとり言葉を交したのが 重則ただひとりじゃった。
だから重則に対峙したあきあ、じゃがまだまだ甘い。
あと1歩まで追い詰めたのに日頃の重則を思い出し、術を途中で止めてしまった。
術というものは最後までかけなければ・・・途中で止めてしまったら、自分に帰ってくるのが必定、
あきあはそこまで自分を見失っていたのじゃ。
そして日頃可愛がっていた・・・いや自分の分身と思っていたましろという式が
あきあをかばって消えてしまった。いや死んでしまったのじゃな。
それからじゃあきあが変わったのは」
みんな沙希を見つめるが、目を閉じている沙希からは何も読み取れない。
だが
「ましろちゃんの・・・今でも・・・あの可愛い声が蘇ってきます。
『あきあ様~~・・・あきあ様~~』・・・・て」
「会いたいか・・」
「へえ、あいたおす。うちにとって大きな心の痛みどす」
「そうか・・・・」
といって手のひらを差し出す安倍晴明。
その手のひらから一匹の紋白蝶が舞い上がった。
紋白蝶はなんだか喜んだように沙希の周りを飛び回る。
「まさか・・・・」
沙希が大きな目をさらに大きくして固まっている。
「そのまさかじゃ。
菩薩様があきあの力の均衡のために天界を離れらくなり、
変わりに阿弥陀如来様がその任にあたられる。
そう沖田殿から聞いたじゃろう」
「はい・・・でもなんだか申し訳なくて・・・」
「あははは、そんなことはいい・・・、じゃがいくら知っていらっしゃるとはいえ
如来様にはあきあはまだ未知数なのじゃ。だからおまえのこと調べられた。
事細かにな。そしてましろのことを知り、
如来様は天界にいるはずのましろを探せとわしに命じられた。・・・じゃが何しろ天界は広い。
だから今回の元方のこと見るわけにはいかんかった」
今度は苦笑いだ。
「その成果は見ての通りじゃ」
「一体ましろさんはどこに?」
「天界の木の枝に・・主もいぬ古い蜘蛛の糸に絡まり身動きとれず消えていこうとしていたのじゃ」
「ごめん・・・ごめんえ。ましろちゃん。
うちはあの時あなたのこと必死に探しつづけました。でも出来んかった」
そのときもう一匹・・・ひづるから飛び立った胡蝶が・・・あきあのそばで少女の姿をあらわす。
「ちがうよ、ましろ。・・・あのとき気が狂ったようになったあきあをとめたのは うちよ。
見れなかった・・・あんなあきあ見たくなかった。
だからうち・・ましろ・・・を見捨てたんだ。あきあに見捨てさせた」
「おねえちゃん・・・何もいわなくていい・・・」
そんな声がして真っ白なたけの短い着物で真っ赤な帯の少女が現れた。
「うち、なにもかも知ってます」
という少女。
ざわめく女性達に
「ましろちゃんは胡蝶ちゃんの妹なんどす」
といってから、一瞬の驚きのあと再びましろをみつめる沙希。
「うち、あきあ様の術のかえりで光の中にいたんです。
恐怖でなにもできんかったうちを助けてくれたんが重則様」
「えっ?重則様が・・・」
驚きの沙希。
「あのとき・・あきあ様が術のかえりを承知で術をとめなさった。
そのあきあ様のお心・・・重則さまに伝わったのです。
そやから地獄へ落ちていく途中、うちを光の玉にいれられ天国に投げられたのです」
「ああ~重則様はうちの心知っておられた」
といって胸を抱く沙希。
「どういうことじゃ、あきあ。わしは何も聞いておらぬ」
「はい、うちはそれまで寝食を共にした重則様を術で消してしまうなんてできなかった。
だから何もかも承知で術を止めました。
こんな悲しみ・・・こんな苦しみ・・・・もう嫌!そうおもったんどす。
でも術のかえりは若返ることでしかなかった。だから何も話すまいそう自分に誓ったんどす」
「だから何も言わなかったのか・・・・この強情っぱりめが」
言葉はきついが苦笑いしながらなので皆ほっと胸をなでおとす。
「ましろちゃん、ありがとう・・・これでうち、救われました」
「とんでもないことです。ご主人様」
「主人とまだ呼んでくれるのですか」
「わたしのご主人はあきあ様ただおひとりです。昔も・・・今も・・・」
「ましろ!世の中変わったわ。あんたあきあの中にいて勉強することね。
えっ・・・なにが可笑しいの?あきあ」
「いいえ、胡蝶ちゃんが勉強って言葉つかったもんだから、玉藻さんがこけた様よ」
突然沙希の身体から出てきた3つの玉、姿を表した3人の式。
「あらあら・・わたしの言ったことでこけたそうね。玉藻お・ば・さ・ん」
「このうつけものめが」
と手を振り上げた玉藻にひらひらと蝶の姿になり、ひづるの胸のポッケに張り付く。
「あははは・・・あいもかわらぬのう、玉藻と胡蝶は」
といってから
「良かったのう・・・」
としみじみ葛葉に向かって言う。それで葛葉とましろの関係がみんなにわかった。
「葛葉母様・・・」
といってすがりついていくましろ。
「葛葉さん良かった・・・本当に良かったどすなあ・・・」
「あ・・・主殿・・・わたしは・・・わたしは・・・」
「いわなくていい・・・葛葉さん。うちには判っていましたえ。
あの明るかった葛葉さんが屈託のある無口な式に変貌したのは
ましろちゃんのことがあってから・・・・
だけどうちはあなたに無茶なことは絶対にやらせない・・・そう思ってました。
だから紅葉さんにあなたから目を離してはいけまへん。
もし無茶をするようだったらとめてくれ・・・そういっておきました」
「あ・・・主殿~~~」
絞るような叫びで目の前に手を置いて頭をさげる。
「葛葉さん・・・・これだけは絶対に忘れたらあかんのどすえ。
仲間を見張らなければならない紅葉さんのつらさ。
その心中あまりある・・・・誰にもいえぬつらさは
紅葉さんのあの底抜けの明るさと溌剌とした若さをも奪ってしまったんどす」
「あ・・主殿・・・それ以上は・・・」
いうてくれるなと手をついて見上げる紅葉・・・涙ながらのその瞳の奥は明るく澄んでいたのだ。
「あなた達、積もる話もありましょう。さあ、帰ってきなさい」
言葉使いを変えてそういった沙希に皆、光の玉になって沙希の身体に消えていった。
「あいも変わらず式達にすかれるのう・・・おおうそうじゃった。
ひづる、おまえもじゃ。胡蝶を大事にせいよ」
「晴明伯父様!わたし胡蝶ちゃんとは大の仲良しなの。
でも胡蝶ちゃん・・・私が危ないとき命をかけて守るって言ってくれるけど
私そんなことしてほしくない。私の為に命をかけるなんて・・・
いつも沙希姉さんがいっているけど命って物凄く大事なものだからもっと大切にしてほしいの・・・」
その言葉で胡蝶はひらひら舞い上がってひづるの頭にとまって動こうとしない。
むせび泣いている・・・そう沙希には見えたし晴明は
「おおう・・そうか・・・そうか・・・」
とひづるの頭をなでただけで何も言わない。
ただ
(優しいのう・・・ここの女達。
女の悲しみの中でこの時代まで生き抜いてきた女達じゃ。だから強い・・・この先、楽しみじゃて)
と心の中で言っていたのは誰も知らない。
「さあ、晴明様。これを・・・」
といって森田亜紀達が持ってきた膳を日和子が晴明の前に差し出す。
「おお・・・これは・・・」
「地酒です。実は里出身の女性が東北で修行していましたが
杜氏としての人間関係が嫌になってこのほど里に帰ってきましたの。
それを姉の操がぶらぶらしているのはいけないといって
里の湧き水を使って作らせたのがこれです。お口にあいますかどうか・・・・」
といって杯になみなみつぐと晴明は一口で飲み干す。
すると
「うっ!・・・」
といってから杯をしげしげと見つめているのだ。
「お口にあいませんでしたか?・・少し辛口と聞き及んでましたが・・・」
「いやいや・・・そうでない。これほど鮮烈でうまい酒を飲んだ覚えがない」
あの晴明が驚いた声をだして杯を日和子の前に差し出す。
「おほほほ・・・そうでしたか。よかった・・・」
晴明に酒をつぎながらいう。
「これ東京の操のレストランと、この地下の保養所におこうかと操といっていましたが、
これで自信を持って置くことが出来ます。
何しろ一人で作っていますし、そんな良い設備といえませんが量的にはちょうどいいかと」
「日和子叔母様」
「何?沙希ちゃん?」
「早う皆さんの分を用意しないと拗ねることになりますえ」
「えっ?・・・」
「さあさ、皆さん。そんなところで見ていないで早う姿をあらわさなお酒の準備出来まへんえ」
沙希の言葉で天井に張り付いていた幾つもの光の玉がすーと下りてくる。
そして白い着物姿の侍が姿をあらわした。
何も知らない人はただただ驚きで固まっているが
比叡山で知っている婦警達と希佐は嬉しさで歓声をあげるのだ。
「遅れましたけんど、天界の人たちを紹介する前にこちら側の二人を紹介しますえ」
といってゆりあとケイトを立たせた。
独特の雰囲気・・・二人はもう唖然とただただ座っていただけだ。
あの温泉にも入った。消えてしまった古瑕のこともう何もいえなくなる。
地下の保養施設・・・病院施設には唖然とするだけだ。
特にアメリカの病院施設に自信を持っていたケイトだったがこの地下病院の前には
そんなものなんの値打ちもなくなってしまった。
「司ゆりあこと・・・ゆり姉はあの将門さんを知る最初の原因をつくった人どす」
「司ゆりあです。もう大変なご迷惑をかけて申し訳ありませんでした。
天涯孤独なわたしを温かく一族にいれてくださったみなさまに感謝します」
「ケイト・マイヤーことケイト姉さんは
あのジョージ・ルーク監督の姪御さんでありワシントン・ポストでコラムを担当されてます。
そして世界的に有名な女流写真家さんでもあるんどす」
「私・・・沙希が好きです。大好きです。
・・・・でもここにきてまだ数時間しか経っていないけど皆さんのことも大好きになりました」
素直なケイトの言葉にみんな拍手喝采だ。
「小沙希ちゃんが連れてくる人ってほんにええ子ばっかりどすなあ。
あの外人さん、皆受け入れてくれてよかったわあ。うち、あの子大好きどす」
「あっ!小沙希ちゃん!」
と立ち上がったのは花世だ。
「うち、小沙希さん姉さんに紹介したい人あるんどす」
そんな花世に驚いた小沙希が
「えっ?紹介したい人?」
「へえ、さあ紫苑ちゃん立って」
と立ち上がって沙希を興味深く見つめる紫苑。
杏奈の手によって見違えるように外見が変わっていた。
ほっそりとしたスタイルを白いブラウスと薄いブルーのスカートに身を包んだ紫苑、
髪の毛も杏奈の手によって短くカットされなんだかすっきりと生まれ変ったようだ。
「この子、紫苑ちゃんっていうの」
「紫苑?」
とじっと紫苑を見つめる沙希。
「ちょっと待って」
と言って舞台から下りるとわざわざ紫苑のもとに足を運ぶ沙希、
それをジット見つめる女達と天人達。
「紫苑さん、あんたから不思議な力と懐かしさを感じるんどす。ううんあんたとは以前・・・・」
「あきあ!おまえとはあまり近すぎたから思い出さないんだろう。
それ、そのおなごはお前の舞を作った御所の舞姫、那賀杜姫だよ」
「えっ?・・・ああ・・・そうどす、そうどす・・・
紫苑さんの前世は那賀杜姫様・・・お婆ちゃまこの人どす。
今度フィルムの残そうとしている舞を創られたのはこのお方どす」
「えっ?紫苑はんが舞姫?・・・・・」
「へえ、けんど紫苑さんがどうしてここへ?」
「小沙希ちゃん!紫苑ちゃんが奏でる琵琶が暗示にかかった女の子達を救ったんどす。
それに紫苑ちゃん記憶がないんどすえ」
「琵琶で子供達を救った?・・・そして記憶が無い・・・・判りました、花世ちゃん。
心配せんと後はうちにまかせておくれやす」
「えっ、いいんどすか?」
「へえ、けんど今日直ぐとはいかへんえ、いろいろ調べなあかんから。
紫苑さん・・・いいえ、紫苑ちゃん。お婆ちゃまの前に座っといてくれる?」
「へえ・・・・」
小沙希は紫苑を貞子の前に座らせてから舞台にあがった。
沙希が声をあげる。
「置屋のおかあちゃん達、今から舞妓ちゃんや芸妓のお姉はん達のお仕事どす。
仕事といっても舞や鳴り物と違います。
ただ、今お酒の準備している婦警さんや高弟のみなさんは素人どす。
お酒の準備とここにいられるお方のお酌を頼みますえ。
お花代はきちっとうちが平等に払いますよって・・・・」
と聞くとサッと立ち上がる、さすがは花街の女だ。
そのあとを追うように
「圧塗りのお化粧やりっぱなおべべいりまへん。そのままでよろしおす」
と聞くとほっと安堵の色が浮かぶ。
やはり今の姿では仕事としての臨戦体制が出来ないのであろう。
だからあらためて沙希にそういわれるとほっとするのだ。
「では紹介します。まずこちらは坂本竜馬様」
「よしなに・・・」
という短い挨拶だけだ。
こんな大勢の女性に囲まれて面映いのだ。
「こちらは沖田総司様・・・」
沖田は照れたように、ただ黙って頭をさげるだけだ。
「次は・・」
といってからニッと笑う。
「篠原良子さん」
と呼ぶ沙希。
「はい」
といって立ち上がった。
もう心積もりはしていた。寄り添うように西沢恵子も立つ。
「源太郎様・・・あの方があなたのご子孫どすえ。昼間あった牛尾刑事はんのお母様どす」
「おお、そうなのか」
と相も変らぬ同心羽織。十手で肩を叩きながら近づいていく。
「相良明子さん」
急に呼ばれて慌てる明子。
こちらは何の心積もりもなく・・・油断していたと言っていい。
こちらを見ながら立ち上がる明子。
「あの方は相良明子さん・・・あなたのご子孫どす。
そしてこちらが相良新次郎様。あなたのご先祖どすえ・・明子さん」
小刻みに足を震わす明子・・・全く・・・全く・・・信じられない。
そんな様子の明子に苦笑いしながら近づいていく新次郎。
そして・・・・
「希佐ちゃんはもうお会いしたわね。じゃあ希美子さん」
といわれると希佐に手を引かれながら立ち上がって二人。
「律姉!」
と呼ばれると中腰になっていたのを飛び上がるように立ち上がった律子。
小走りで歩いてくるも初めて着た着物の裾に足をとられて転びそうになる。
なんとかその人の前に立った律子・・なぜか涙を流しているのだ。
「希佐ちゃん!・・お母さんに紹介してあげて・・」
「はい、お母さん。こちらがご先祖の結城玄四郎お爺様です。
玄四郎お爺様・・・私の母の希美子です。そしてあなたの子孫です」
あどけないがりっぱな紹介に涙を流す希美子。
手に持つ真っ白なハンカチがとても印象的だ
「おうおう・・・」
と声をあげる玄四郎。何もいえぬ・・・。
「父上、我妻和葉の生まれ変わりの律子です・・・・律姉、父上よ」
と律子にハンカチを渡す沙希。
「和葉・・・・」
と言ったっきり言葉がでない玄四郎。
「父上・・・・私には和葉のときの記憶がありません。
でもなんだかとても懐かしい・・・そしてとても嬉しいの」
そんなこんなの出会いの中、
「早くしないと時刻が遅くなってしまいますえ」
という沙希が話を進めようとする。
「あきあよ、まだ飲み足りんのう」
「わかってます、晴明様。今花街の女達がいろんなものをもってくる所どす。
もう少し待ってください」
賑やかになった居間の中、果たしてこのまま続けていいのだろうか・・・。
それでも楽しみに待っていた人もいる。拍手が鳴った。
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和葉は幼いころから父の姿をみて育ったので剣の道に進んだのは
当然といえば当然であった。師範代という地位を父に与えられた時も
当たり前のことで喜びもなかった。
父の跡をついで道場主になる。これが和葉自身、自ら選んだ道であった。
だが、今それがガタガタと崩れていく。
早瀬沙希太郎と名乗る娘、和葉よりもはるかに年が若い、
なのに何と言う強さ、俄然興味が湧き・・・いや,興味が湧くだけならいい
何なのかこの気持ちは?・・・いてもたってもいられない。
生まれて初めてだった。まるで心の中が嵐の海のよう・・大波が打ち寄せひていく。
これが恋なのか?だが相手は同じ女性なのだ。
でも、この気持ちは止めようがない。ああ~どうしたら・・・・?
でもそんな和葉の心の内をひと目で見抜いた女がいた。
覗き窓の外から見物を決め込んでいた幾松だ。
小沙希の強さは判っていた。だから何かないかと道場内を見渡して眼に止まったのが
当道場の娘であり師範代でもある和葉だった。
遠くから見たことがある祇園でも有名な剣術小町、男を軽々と打ち負かす女丈夫と
知られているのだ。だから注目していた。和葉よりはるかに強い小沙希の存在が
和葉にどんな変化をもたらすのか・・・・と。
最初は幾松の思い通りに和葉は肩を怒らせ、小沙希何するものぞという
気概を見せていた。だが事は複雑になっていく。
変わっていったのは小沙希が相手にふれもせずあの佐田という巨漢を
ぶん投げてからだ。さすがの幾松も『あっ』と思わず声をあげそうになったのが
和葉の心に芽生えた恋の種、それが瞬時に花をさかせてしまった。
恋の手管も知らぬおぼこに訪れた赤い嵐・・・・幾松にはその心の内が手に取るように読取れた。
さすがは花街で揉まれて生きてきた名物芸妓、すいも甘いも噛み締めて
恋の手練を教えずにはいられようか。・・・・そう女長兵衛を決め込む幾松。
幾松にとって小沙希は強敵だが和葉は赤子の手を捻るようなもの。
それに小沙希は強敵といっても情には弱い。
そう見抜いている幾松。この勝負、先は見えているのだ。
ふと、こちらを向いた和葉に眼で合図を送る。
『はっ』として顔色が赤くなったり、青くなったり・・・・でも立ち上がって道場を出る和葉。
不信そうな父の弦四郎が眼で和葉を追っていたが、
素知らぬ顔で覗き窓を離れた幾松、足を道場裏に運んだ。
井戸に手を置き座り込んだ和葉の後ろからそっと近づく幾松、
さすがは女ながらの剣士だ。幾松の近づく足音に、硬くなった身体がビクッと
反応する。でもよく見ると可哀相なくらい小刻みに震えているのだ。
幾松は後ろから和葉を抱えるように立たせると、
「大丈夫どすか?」
と下から覗き込むように見ると歯が『カチカチ』と小刻みに鳴っている。
(これはいけまへん!失神寸前どっせ)
こんなところで倒れたら大騒ぎになるのは必定、
「ねえ、お嬢様。あなたのお部屋で女同士でお話しまへん?」
和葉から言葉が出ないが、かろうじて小さく頷いているのが判る。
「さあ、ゆっくり歩いて!」
少しきつく言うと身体がガクガクゆれながらも1歩づつ歩き始めた。
こんな時は相手の心理状態に入り込んだら駄目なのだ。
少しきつく突き放すようにすれば身体も動く。
幸い誰にも見咎められずに和葉の部屋に入ることができた。
幾松が手を放すと崩れるように倒れこむ和葉。
恋の道にかけては地獄をみてきた幾松にとってはこのお嬢さんまるでねんねだが
この恋の先に待っている運命を思うと命をかけて手伝ってやらなければ
幾松という祇園芸妓として女がすたるというものだ。
命がけの恋・・・たとえ達成出来たとしても一夜限りの契りしか結べないのだ。
胸が張り裂けそうな恋の行く末だ。
相手は幾松からみてもこの世で最高の相手だ。こんな相手過去にも現在も
たとえ未来でもたった一人しかいないだろう。
だからだ・・・だから、今宵一夜にかけてみる。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「あれが和葉が恋を知った瞬間なのね」
「ええ・・・でもこれってうちが知らなかった画どす」
といってからはっと気づく。
「まさか・・・・晴明様・・・」
「あははは、わしが最初に注目したのは和葉が律子の前世だったことじゃ。
そしてその硬質な性格、男より実力が勝っていた和葉があきあをみて・・・
あきあの強さを見てどう変わるか・・・・男勝りのあの硬質な性格が破綻するのは案外早かった。
わし以上に和葉の心の中を注目していた幾松がいたことが
それからの展開を楽にしてくれたのは確かじゃ」
「もう、晴明様は・・・・・・。
和姉ったら・・・あんなに震えて・・・・でも律姉と和姉って時代こそ違え全く同じどすえ」
「えっ?沙希・・・・どこが・・・どこが同じなの?」
「だって、和姉は男勝りの女剣士、
片や律姉は高校時代、常にトップなのに裏番・総番で暴れていはった
鶴姫のお律という通り名のスケバンどす・・・」
「こら!沙希・・・なにばらしているのよ」
と暗に認めて墓穴をほる律子。
聞いていた女性達から『やっぱり・・・』とか『目が少し怖いって思った』などの声が聞こえてくる。
「ヤダ~・・・」
と両頬を両手で押さえる可愛いしぐさ・・・
「律姉!・・・何言ってんどすか。もう・・・・そんな可愛いしぐさ遅いどす」
笑いが起こる中
「律子さんってスケバンだったんですか」
と目を輝かしていう希佐。
「若気の至り・・・よ」
横で聞いてる玄四郎は何のことか判らなく目を白黒していた。
そこにちょうどタイミングよく舞妓や芸妓達がお膳を持って現れた。
「さあさ・・・みなはん。お待っとうさんどす」
と先頭であらわれたのは菊野屋の花江だ。
だがこれを見た源太郎、どこその面影をみたのか
「おお~・・・千代松!」
と声をかける。
その声を聞いた花江はその源太郎の前にお膳をおいた。
続いていくつかの舞妓たちが持つお膳も回りにいる女性たちにの前におき、おすそ分けだ。
「源太郎様・・・うちは小沙希ちゃんにあんたは幕末の名妓、
千代松はんの生まれ変わりやいわれてます。
小沙希ちゃんを疑うことはおへんけんど、
うちみたいなもん本当にあんな大看板の生まれ変わりでおすか?」
といいながらも源太郎の杯に酒をつぐ。
源太郎・・・まずは杯をかたむけ
「うっ」
と声をあげる。同じ声があちこちから漏れてきた。
「なるほどなあ・・・晴明殿にいわれるとおり。
過去いろんな酒を飲んできたがこんなにうまい酒はじめてだよ」
とその洒脱な口ぶりで
「その通りだよ。沙希殿が言われる通り貴公は千代松が転生した姿だ。
今のわれらには時代を同じくしたものの前世の姿が見えるのさ」
「うち、今までいくら小沙希ちゃんに言われても半信半疑どした。
けんどあんな大看板がうちやて、これからもっともっと精進しますよって見守っていてください」
「いいよ」
「えっ?」
「今のわれ等は沙希殿の守護をするもの。・・・それと共に早瀬の女達をも見守るお役目もあるんだ。
幕末からそう思っていたが沙希殿はもう無茶苦茶だよ。
いかにも手が足りないわれ等が右往左往しているんだ」
「小沙希ちゃんにはうち達も心配しとるんどす。
小沙希ちゃんみたいに素晴らしいひと世界に二人とおへん。
でもこんなに、はらはらさせて心配させる人もおへんのや。
この花世ちゃんなんか小沙希ちゃんをガミガミしかるんどすけど
神妙に頭をさげてるのはその場限りどす。
『またやってしもうた・・・ごめんえ』
そういうのの繰り返しどす。・・・なあ、花世ちゃん」
「へえ、うち逃げるんも勇気どすいうて注意しとるんどすけど、
小沙希さん姉さんって身体が先に動いてしまうんどす。
特に女性に対して無碍なことやられたら怒りで我を忘れてしまうそう思うんどす」
「ほう、お主が、花世の子孫か・・・なるほどよく似ている」
「まあ、源太郎様、話をすげかえないでおくれやす」
「ははは・・・気の強いところもそっくりだ・・・・・」
★
「皆さん、再開しますえ」
沙希の声が響く。
今日は・・・なんだか・・・はずむような1日だ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「さあ、あんた達!おきばりやす」
という菊野に送られてお座敷に向かう芸妓や舞妓達。
自然と幾松と並んで歩く小沙希。
昼間の道場のことを思うとガラリと変わった小沙希の舞妓姿、ホレボレとする艶やかさだ。
置屋の誰もが認める舞妓としての小沙希の実力。
少し屈託のある幾松だが目を奪われずにはいられない。
「あっ!真田屋の千代松!」
と芸妓の1人が声をあげた。
小路から出てきて小沙希達に並びかける芸妓と舞妓達。
どちらもつ~んとそっぽを向く芸妓や舞妓達。
祇園でも有名なライバル置屋で芸妓や舞妓達も何かとはりあっているのだ。
でも1人1人になれば仲が良い。そんな様子が小沙希には手を取るように判る。
だから『クスっ』とつい笑ってしまった。
それを見咎めたのが真田屋の芸妓
「ちょっと、あんた。何が可笑しいんどすか」
「いいえ、ただ・・・」
その声で
「小沙希ちゃん、どうしたんえ」
と小沙希に問い掛ける幾松。
「なんやのこの子」
と幾松の横についた千代松。
「へえ、昨日から菊野屋にお世話になっている小沙希いいます。どうぞよろしゅう」
「なんや、昨日入った子がもうお座敷どすか?菊野屋はんも血迷ったもの・・・・ほほほほ」
と笑う千代松に合わせて笑い出す真田屋の芸妓と舞妓。
そんな彼女達に菊野屋のみんな、何も知らなくて笑っている様子に袂で顔を隠して肩を震わせている。
泣いている?・・・・いや、『クククク・・・』と笑っているのだ。
そんな様子に一度に笑いが覚めたのか
「何がおかしいんどす!」
と千代松の声が尖っていた。
「なあんも知らんあんた達が、おかしゅうて・・・なあ、みんな」
「へえ・・・」
「ちょっと、幾松さん姉さん。何もそこまで・・・・」
「小沙希ちゃん!みんなに心配かけどおしのあんたには、止める資格あらしまへん。
ちょっと黙っていなはれ!」
と幾松の厳しい声に、首をすくめて
「へえ・・・」
とかしこまってしまった小沙希。
そんな様子が可笑しいとこれまた笑いがとまらない。
菊野屋の芸妓や舞妓達の様子が少し薄っきみ悪くなったのだろう、
黙ってしまったのには、これまた可笑しい。
そんな時
「あっ!花世ちゃん!鈴音ちゃんえ」
といって先の小路から出てきてトボトボと歩く鈴音の姿を認めて
すっと輪から抜け出した小沙希。
肝心の小沙希の姿がなくなったので、
自然と並んで歩く形になった菊野屋と真田屋の芸妓や舞妓達。
前を歩く3人の舞妓の後を追う。
「なあ、幾松。あの小沙希という舞妓どんな子なんや。
うち正直にいうけどあんなきれいな舞妓今までみたことおへん」
「そうどすやろ。・・・でもそれだけやおへん。
舞を舞っても井上のお師匠はんが直すとこあらへんかった。なあ皆!」
「へえ、あの恐い高弟はん達もあんな舞みたことおへん。
まるで天上の舞を見てるみたいや、いわはってました」
「えっ?あの厳しいお師匠様達が?」
「へえ、うちらはもう、身動き一つ、息も出来んかった」
「そんな子なんどすか?」
唖然とする千代松。
「それだけやおへん。・・横笛が・・」
「横笛いうたら、幾松。名人のあんたが・・・」
「ううん・・・うちなんか足元にも及びまへん」
「えっ?」
「あの子の笛聞いたら、清い風が身体の中を通り抜けて、こん中に」
とポンと胸を叩く。
「こん中に溜まっている嫌なもんが消えてしまうんどす」
「そんなあ・・・そんな子なの?」
と後ろを歩く菊野屋の芸妓、舞妓達をふりかえるとみんなが頷いている。
「あっ!・・・あれは何どすか?」
前の3人の舞妓の足が止まり、大勢の男女が叫び声を上げてこちらのほうへ
走ってくるのが見えた。自然と舞妓の姿が走ってきた人々の向こうに消えた。
慌てて小走りにかけだし、立ち止まっている舞妓の横に並んだ芸妓や舞妓達。
「小沙希ちゃん!どうしたんえ」
でも返事がない。ただジッと目の前で繰り広げられている様子を見ているだけだ。
いい着物を着た中年の女性が、紺色の着物に赤い襷の若い女性をかばって
ふるい木戸に背中を押し付けている。
そんな二人を囲むように刀をぬいた侍が5人、顔が赤い、かなり酔っているようだ。
「お侍様!この子が何をしたというんどすか?」
「このおんながな、わしらをあなどったのだ。ゆるせん!」
「そんなあ、うちは昼間からたくさんの御酒をめしあがって、
ふらふらされとるさかい、もうおつもりされたらいかがどすか・・・言うただけどす」
「それが、侍をあなどっていると申すのだ。
おんなの分際で侍にむかって愚弄したこと許しがたい。叩っ切ってやる!」
「あっ!あれは玉屋の女将さんどす」
「玉屋?」
「へえ、うちらがこれから行く料理屋はんどす」
その声に素早く小石を拾った小沙希、振りかぶった刀を持つ手めがけて投げつけた。
そして、持っていた風呂敷包みを花世に預けながら
「花世ちゃん、かんにんえ。怒らんといてね」
といって侍達にむかって歩き出した。
「あっ、小沙希さん姉さん!」
と叫ぶ花世。
「幾松!なんで止めへんのどすか」
「止めて止まる娘だったら苦労しまへん」
「苦労しまへんって・・・よう落ち着いていますなあ」
「舞妓ちゃん!危ないどすから早うお逃げなはれ!」
自分に差し迫った危険があるのにかかわらず、そんな声をあげる玉屋の女将、
さすがは花街に生きてきた女だ。
「お母ちゃん!心配いりまへん。こんな野良犬、うちが追っ払ってあげます」
と平気な顔で言い放った。あきれる女将。
「何だと!・・・・女。拙者達を野良犬だと申すのか!」
「へえ、まともな人間ならこんな真昼間から、
しかも大勢の目の前でそんなぶっそうなもん、抜いたりしまへん」
「貴様!・・・言わせておけば・・・ぶった切ってやる」
「おほほほほ・・・、人間そうやすやすと切れるもんやおへんえ」
「おのれ~・・・」
「貴様!何者だ!」
「何者だって?みてわかりまへんか?お目目悪いんと違いますか。うちは舞妓どす」
ニコニコそう笑っていうのだ。
「くそっ!いわせておけば」
と小沙希を取り囲む侍達。
「さあ、お母ちゃん。早く逃げて!」
その声に躊躇する女将だが小沙希の笑顔に仲居を庇いながら駆け出した。
女将を呼ぶ菊野屋と真田屋の芸妓、舞妓達の方向に。
「さあ、ゆっくりとお相手しましょうか」
と余裕の小沙希に
「お・・おのれ~・・・」
と怒りで完全に己を失っている。
小沙希に向かって刀がきらめいた。思わず目を閉じる見物人。
でも次に目を開けたときは刀を持つ手を押えている侍達と舞い扇を構える舞妓の姿があった。
その美しさが際立っているだけに 思わず拍手をしてしまう見物人達。
そのとき
「小沙希!」
と声がかかってなにやら空を飛んで小沙希のもとに・・・小沙希がつかむとそれは馬の鞭だった。
目の端に捕らえた篠原源太郎の姿。
つい『クス』っと笑ってしまう。この鞭は源太郎の悪戯なのだ。
そしてあの鞍馬天狗が誰なのかをその目でしっかり確かめるための証拠ともなる。
『ピューピュー』と音をたててしなる鞭、その侮り難い技に
『ギョッ』と思わず後ずさる。そして小沙希の隙のなさに慌てる侍達、
でもここまできては引き返せないし、意地もある。
「では、まいります」
という小沙希の声・・・・そして見た。小沙希の舞を。
なんというしなやかさ、なんという美しさ。宙に舞い・・・地に舞う。
幻を見ているようだった。
「あっ・・・小沙希ちゃんが・・・もしかしたら鞍馬・・・」
と言いかける鈴音に
「しぃー」
と口を閉じる事を強いる花世。
はっとして花世の顔を見る鈴音。
そして全てを呑みこんでしまう。もう一生口に出すことはないだろう。
鞭を水平に構えて小沙希の舞が終わった。そこに立つのは小沙希だけすべては地に伏していた。
「源太郎様!そこにおられるのはわかっているんどす」
という小沙希の声にぼんの窪を押えながらニヤニヤ笑って小路の陰から出てきた。
「はい!これを」
と鞭を返すと
「お姉ちゃん!」
と幾松達を呼ぶ小沙希、先ほどの女丈夫とは思えぬあどけなさ。
何だか調子の狂う源太郎だ。
「小沙希ちゃん!あんたって娘はもう・・・・」
幾松の怒りとも哀しみとも喜びとも・・・全てが含まれた声に
「ごめんなさい!」
といって首をすくめて謝るその姿、もう何も言えなくなる。
「小沙希ちゃんいわはるんどすか。あんたはうちらの命の恩人どす」
と抱きつかんばかりの女将。花世が小沙希の荷物を渡そうとすると
「これ、小沙希ちゃんのどすか。これうちが持ちます」
と若い仲居。
おまけに小沙希の両隣にはぴったりと花世と鈴音がひっついて離れない。
困ったような顔をする小沙希が
「源太郎様、うちらもうお座敷に行ってもよろしおすか?」
源太郎も心得て
「ああ、だが話を聞きたいから座敷が終わる頃、菊野屋を尋ねてもいいか?」
「へえ、じゃああの男前はんと、どうぞご一緒に」
「何!」
ニッコリ笑う小沙希に
「あっはははは・・・駄目だ駄目だ!相良さん。すっかりばれているぜ」
と声をあげると小路から作務衣姿の医者、相良新次郎が出てきた。
「まあ、若先生!」
と黄色い声をかけられている。
相良新次郎も花街の女達に人気があるようだ。
だが、小沙希は気づかなかった。少し離れた小路の陰から一部始終を見ていた
袴に革靴というホコリにまみれた大男がいたことを。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
転生前の自分を初めてみた日和子、なるほど顔や姿は違うけど雰囲気がどことなく似ている。
暗がりだったら間違えてしまうだろう。
亭主を無くしその寂しさが原動力になって、大きな料理屋を女手ひとつで経営させた。
侍に対してもへつらわず、これだけの人を動かす女傑だったのだ。
菊野屋の花江も見た。
源太郎にお酌をしながらもあの名妓幾松とひけをとらぬ芸妓姿をその目に焼き付けたのだ。
前世とはいえ片やこの祇園を背負っていた大看板の一人、
でも今の花江は普通の芸妓でしかない。舞もそこそこ、謡もそこそこ・・・どこが違うんだろう
「源太郎様。うちはこの祇園の芸妓として何も飛びぬけているものござんせん。
でも千代松さん姉さんはこの祇園の大看板。前世とはいえうちと才能が違うんどすやろか」
「花江は子供のころどんな生活だったんだ?」
「へえ、普通どす」
「普通?」
「裕福ではなかったどすけど、父母との3人暮らしで不自由もありまへんどした」
「じゃあどうして芸妓になったんだい?」
「へえ、うち舞妓の姿にあこがれてこの祇園にきたんどす。そして舞妓から芸妓になりました」
「ほう~~・・・・えらい違いだな」
「違う?・・・どうちがうんどすか?」
「まずは生まれだな。千代松は12姉妹の次女として貧しい農家にうまれたんだ。
貧乏の定番として長女が口減らしと残る兄弟たちのために吉原に身売りをした。
次女である千代松も次は自分の番だ・・・そう覚悟したんだなあ。
けれど頭がよかった千代松はただ身をうるだけの吉原はいやだったんだ」
花江も花世達菊野屋の舞妓・芸妓達・・・そして、源太郎の子孫である篠原良子や
京都府警の西沢恵子達の女性が千代松の話を生唾を飲みながらも一心に聞いていた。
「ちょうど江戸から京都に帰る途中の医者に偶然に聞いた京都祇園の舞妓の話に飛びついたんだ。
だが世の中そんなに甘くない。置屋に入った千代松。
その女らしさが一つもないいなかっぺまるだしが 同輩に笑われ、いじめられる対象になったんだよ」
呆然と聞く花江。伝説として聞く千代松の祇園にきた当初の姿・・・・
余りにも想像と違いすぎるのに言葉がでなかったのだ。
「この当時の事、幾松から聞いたんだ。幾松は千代松とは逆に才能に溢れた花のある舞妓だった。
千代松はその幾松を知ることにより少しでも幾松に近づこうと努力に努力を重ねたんだ。
幾松は言っていたよ。
『うちはなんでも一度見たりしたことはそこそこ形をつくることが出来ました。
けんど千代松は何度も何度も繰り返し、お稽古しなければ駄目どした。
でも千代松は一度身の内にいれてしもうたら、誰もかなうもんはおへん。
うちなんかとても相手にならへんかった。深い情感をこめて舞う京舞・・・絶品どした』
つまりだよ花江さんよ。千代松は才能は何一つなかったけど努力だけで大看板を背負ったんだ。
でもどうしてそうなったかは判るな。生まれ育ちの飢餓感からだ。
それを考えると花江は恵まれている。恵まれているから努力しようとしない。
待て待て・・・わかっている。努力はしているっていいたいんだろう。
でも、千代松から言わせるとそんなもの努力とは言わない。
一度血反吐を吐くぐらい舞を舞いつづけると良い。千代松はそうしてきたんだ。
足腰立たぬぐらい舞って見ろ。それでも仕事は休むな這ってでも行け。
そしてもう一つ、客の前では笑っていろ。努力のあとは見せるな。これが千代松なんだ。
どうだい・・・・真似できるかい?
・・これができたらお主はこの祇園で千代松に劣らぬ大看板を背負うことになる。
おっともう一つ。小沙希の真似だけはするな。
あいつはいわば化け物なんだ。真似しようとしても真似なんか未来永劫できない」
「あら、酷い言われ方・・・」
と声が聞こえた。
「あっ、沙希殿!」
と背後に立つ沙希を見上げてばつの悪そうな顔をする。
「小沙希ちゃん、どうしたんえ」
と話をそらす花江の助け舟、
「いえ、お母ちゃん達は?・・・」
「へえ、あのままお台所でお酒とお料理のお手伝いどす」
「それじゃあ、仕方おへんなあ」
と戻りかけたが、ピタっととまって
「花江さん姉さん・・・」
「へえ・・・」
「京舞の『桜華流水』・・・これが千代松姉ちゃんの得意な舞どした。
うち一度見たそのほれぼれするような舞姿に胸を熱うしたもんどす」
「桜華流水・・」
それは京舞の中でもベスト3に入る困難な舞で、女の情感をもっとも必要とする舞いでもあった。
「見せましょか・・・」
「えっ?・・・・小沙希ちゃんが見せてくれるんどすか」
「へえ、ただ千代松姉ちゃんの真似だけどす。
うちには千代松姉ちゃんの情感なんて未来永劫無理どすから」
と最後に源太郎に対してあてつけをいってから
舞台へ・・・えっ?舞台?・・・たしかお稽古場は隣のはず。
『ワイワイ・ガヤガヤ』と声をあげる女性達だが
さすが天界の男たちは落ち着いていた。
舞台に上がった小沙希に貞子が
「小沙希ちゃん・・・これは一体・・・」
「へえ、すいまへん。うちここで舞をひとさし舞いたいのでここに皆さんを移動してしまいました」
「こりゃ、えらいこっちゃ。花世ちゃん、いそいでお母ちゃん達をこのお稽古場に」
「へえ」
と花江に言われて小走りに走り去る花世。
「舞を?・・・・どうして急に?・・・」
「へえ」
といってからその質問には答えずに
「これはうちの舞ではござんせん。
今日、この祇園に大看板を背負う芸妓はんが生まれるやも知れません。そやから舞いたいんどす」
「小沙希ちゃんの舞ではないんどすか?」
「へえ、京舞の『桜華流水』・・・」
「何どすか?・・・『桜華流水』を?・・・」
「へえ、うちは今から幕末の千代松さん姉さんどす」
といってふっと姿を変える。
なるほどこの艶姿はさきほど見た千代松だ。
『ドドド・・・・」
とお稽古場に入ってきた置屋のお母ちゃん達。
座り込んだそばの女性に聞けば
「あれが・・・・真田屋の千代松・・・・」
とつい声をあげてしまう。
高弟が用意した『桜華流水』のCD・・・
お稽古場に曲が流れ出すと
幕末の名妓の千代松が舞いだした。
それは見事であった。流水に舞う一片の桜の花びら・・・・
おんなの心を花びらにかたどって舞うのだ。
けれど貞子にとってなんともいえん舞であった。
舞が終わって貞子をみてニッコリ笑う小沙希・・・もとの姿だ。
「お婆ちゃま、この舞いかがどした?・・・」
「小沙希ちゃん・・・それは・・・」
「お婆ちゃま、この舞はうちには無理どす。舞としての型はうまくいったかも知れまへん。
けんど心が一つも入れられまへんどした。花江姉ちゃん・・・ここから出発どす。
この舞にほれぼれするような女の情感をいれないといけまへんえ。
うちがもしこの舞を本当に舞えるようになったら・・・
女好きのうちにとって・・・女たらしになるやもしれまへん」
といって笑いをとる
「さあ、後少しどす」
といって再開を促す。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「今日は遠くから足を運んでいただきまして、ありがとうさんどす」
「おお・・・女将!無事だったか」
「へえ、ご心配おかけしましたが、どうにかこうにか」
「それは重畳・・・それは重畳・・・」
と合図をすると仲居達がお膳を持って入ってくる。
部屋には嵯峨美屋と江戸からの客6人が座っていた。
次々、お酌をして回る女将、最後にお酌をした嵯峨美屋に
「芸妓や舞妓達は?」
「へえ、呼んでいます。今日は菊野屋はんと真田屋はんの芸事合戦どす」
「ほう、それは面白い趣向や」
『パチパチ』と手を叩く女将の合図で、舞台の襖がすーっと開く。
最初は真田屋の芸妓達の京舞から始まる。
千代松を真中に舞う京舞はさすがに手馴れたものだ。
舞妓達の舞はまだぎこちない。それが新鮮といえばそうなのだが・・・・
真田屋の芸妓や舞妓は舞台を下りてそれぞれ客の横に座った。
お酌をしながら・・・されながら、菊野屋の出番を待つ。
菊野屋も芸妓3人の舞、幾松を真中の京舞、真田屋とは甲乙つけがたい舞であった。
しかし、それからが夢の中・・・・・・一体何があったのか・・・・呆然とする客、
真田屋の芸妓と舞妓達、そして女将やちょうど御酒を持ってきた仲居達。
菊野屋の芸妓達が鳴り物をしていたのはわかっている。
だが、小沙希、花世、豆花、千鶴、鈴音の5人の舞、
一体どうしてしまったのか、小沙希を別にして花世、豆花、千鶴、鈴音の舞の実力は判っていた。
でもその4人までが舞いの神に取り付かれたのか、手のとどかぬ高みで舞っていたのだ。
これは・・・・聞いていた小沙希の実力・・・・
たった一人の舞妓が素人同然の舞妓4人の舞を名人の域に引き上げたというのか。
その証拠に舞い終わった舞妓4人が胸を押えながら座り込んで、
まるで小沙希を崇めたてるように見ているのだ。信じられぬ思い、・・・で千代松は声をあげた。
「小沙希ちゃん、ごめんやけど、あんたの・・・あんた1人の舞を見とうおす。
出きれば鳴り物もない、素の舞を・・・・これは、舞の修行をするうちの我儘かも
しれまへん。でもどうしてもあんたの舞が見てみたい。
欲・・・・そううちの舞に対する欲どす」
「いいえ、千代松だけと違います。うちも見てみたい。
お侍5人相手にあんな強かった小沙希ちゃんどすが、
あの勝負のとき小沙希ちゃんはまるで舞いを舞っているようどした。
舞を見てみたい。一度は舞を目指したうちの欲どす」
と今度は女将。
「小沙希ちゃん!うちもそうえ。昨日、井上のお師匠のところで
小沙希ちゃんの舞見せてもらいました。
でも、もっと見ていたい。これもうちの欲どす。
きっとお師匠様や祥子様、高弟の皆さんも同じどす。
一日中、あんたの舞を見ていたい。
この目に焼き付けておきたいんどす。・・・・なあ、みんな」
と幾松に続いて花世が
「うち達、小沙希さん姉さんと舞ってみてよく判ったんどす。
うちらは素人で小沙希さん姉さんは本当の名人や・・・て。
だって、うち等4人の舞をたった一人であんなとこに引き上げるなんてただごとやおへん。
小沙希さん姉さんはきっと舞いの神様なんどす」
「ちょっと、ちょっと。・・・・・わてにも言わせておくれ。
芸妓同士の舞は甲乙つけがい勝負でした。悪いが真田屋の舞妓達の舞は論外、
でも菊野屋の舞妓のはもう別物だす。わては舞など習ったこともないし
細々したことはわからん。でもわてには自慢することがある。
見るちゅうことにかけては専門家なんだす。ここにいる江戸からみえられた方々も同じだす」
「そうじゃ」
「言われるとおりじゃ」
「小沙希、言われましたなあ、あんたは、わてから見てもただものやおへん。
そんなあんたに今日逢えたのはわての幸運だす。ぜひわて等にもあんたの舞をみせておくれやす」
「わかりました。京舞ではないんどすが、それでもよろしおすか」
皆が頷くのを見て
「では。少しだけときを・・・」
といって舞台裏に姿を消した。
舞台上にいたもの全て舞台から降り、後ろの廊下は仲居や他の客達で鈴なりに
なっていた。
「女将!後ろの人達、中に入ってもらいなはれ」
「いいんどすか?」
「構わん」
ということでこの部屋ぎっしりと仲居や客で埋まってしまった。
こんな時の客は『ワイワイ、がやがや』と煩いものだが
『シーン』と静まり返っている。今か今かと息を呑んで待っているのだ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「小沙希ちゃん、これが伝説の舞の舞台どすな」
「お婆ちゃま・・・伝説だなんて」
「いいえ、いままでのこと聞くと見るとでは大違いどす。
こんなわくわくする時間・・・もう、たまりまへん」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
まさか?・・・・舞台上に座り込んだ小汚い格好の・・・今では見かけぬ琵琶法師。
その琵琶が鳴らされ、よい声の謡がはじまった。
その内容はある日公家の御曹司が桜の木の下でうたた寝をしたことが
きっかけとなる。その美男ぶりに惚れた桜の精が乙女となって姿をあらわし
その御曹司に恋を告白するが、女達に追い掛け回され食傷気味の御曹司。
適度な受け答えであしらわれたことから、桜の精の恋のアタックが始まるのだ。
最後は悲恋に終わるが、これは絢爛豪華な平安絵巻であった。
いつの間にか琵琶法師の姿が凛々しい公達の姿に変わり男舞が始まっていた。
どこでどうなっているのか、舞台上では1人で舞いながらも
琵琶は鳴り続け、謡も終わらない。いつのまにかその背景には・・・
公達姿の舞の中に女達があらそって恋に血道あげる姿や嬌声が聞こえるのだ。
やがて舞台上には1本の満開の桜の木が・・・・
その太い幹の後ろに回った公達が次に姿を現したときは美しい桜の精に変わっている。
勿論、舞うのは乙女の女舞、
恋しい公達を想って切々と舞い上げるその姿にはおもわず涙が・・・
風が誘う桜の花びらの落花舞・・・・舞台上に・・・そして見物の中に・・・
「桜の花びら?・・・・」
千代松が手の平においた一片の桜の花びら・・・・それも淡雪のように
スーっと消えていく。夢か幻か・・・・
桜の精の切々たる想いが舞となって公達にとどけられるが・・・・・
やがてそれも人とは相容れぬ・・・つくも世のしきたりなりき・・・
桜の精の想いを受け入れた御曹司も激しい恋に病み疲れ、
死の床についてしまう。
・・・・そして、桜の花が最後となる夜。
渾身の力で桜の木の元へ・・・・愛しい人の亡骸をその身体で覆う桜の精。
残ったのは枯れた桜の木と御曹司の亡骸に覆い尽くす一面の桜の花びら・・・
こうして舞は終わった。
舞台にいるのは座って頭を下げる舞妓姿の小沙希ひとり・・・・。
誰かが『ホウ』とため息をついたのが合図となって、客全員が立ち上がって
万来の拍手と歓声をあげている。
道行く人が驚いたように足をとめて店を覗き込む姿がひっきりなしだ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「ほう~」
と息をはく一同・・・・。今ならわかる先ほどの千代松を模した舞と今の舞の違い。
心が入れられない舞と見事に心が入る舞の違い・・雲泥の差だ。
一生懸命に見ていたのは紫苑だ。話に聞いていた小沙希の琵琶と謡い、
なるほど井上先生が言われる通り平安時代の匂いがたっぷり入っていた。
平安時代の修行のあとが伺えるのだ。かなわない・・・そう思う。
けれどもっと修行して追いつきたいとも思うのだ。
でも、何なの・・・あの舞は。平安時代の自分が創ったという舞。
なるほど小沙希に舞わせるということが納得できるのだ。
もし、自分に前世の記憶があったら今の舞、
どんな想いで見ていただろうか。そんなことを思ってしまう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「なあ、幾松。うちこんな舞妓ちゃんにあったの初めてや」
「あたりまえどす。小沙希ちゃんみたいな舞妓ちゃん、古今東西1人もおへん」
「これであんたとこの菊野屋はん、第安泰やなあ」
「ううん・・・そんなことおへん」
「えっ?そんなことおへんって?」
千代松をじっと見つめる幾松。
「千代松!・・・うち置屋は違うけんど、あんたのこと親友や思ってる」
「何をいまさら・・・」
「だから、あんたに手伝ってほしいことあるんや言うとるんよ」
「手伝ってほしい?」
「へえ・・・実は今宵小沙希ちゃんにどうしても
添い遂げさせててあげたいお人がいるんどす」
「添い遂げさせてあげる?」
「へえ・・・・さもないと・・・」
「さもないと?」
「きっと、死んでしまわれはる」
「死ぬ?・・・・・そんな男・・・・」
「いいえ、男はんやあらしまへん」
「えっ?ではおなごはんどすか?・・・」
と千代松何ともいえない顔になる。こうして花街に生きてきて
男と女の色恋ざたなら日常茶飯事だが、
これが女と女になると何だか気が進まないし、汚らしい。
そんな表情が見えたのか
「千代松!あんた何か勘違いしてまへんか?」
「勘違い?」
「へえ、小沙希ちゃん。大の男嫌いなんどす」
「だからって・・・・」
「アホ!・・・そこが勘違いなんどす。小沙希ちゃんが男はんに抱かれてみなはれ、
それこそ衆道どす。念者になるんどす。・・・・ひえ~いやや・・
言うてるうちの口がくさりそう」
とさも嫌な顔をするが、千代松には何のことかわからない。
なぜ小沙希が男に抱かれたら衆道になるのか?
男と女の道・・・それが自然だと思うのだが・・・・・・
「小沙希ちゃんの身体って女のうちがみてもホレボレするほど綺麗なんどす。
お乳も形いいし、柳腰でおいどは小さいけんど抜けるような白い肌が
柔らこうてうちの手に吸い付いてくるんどす。・・・・けんど・・」
「けんど?・・・・」
千代松はもう興味しんしんだ。
「小沙希ちゃん、一箇所だけ男はんなんどす」
ついに言ってしまったその言葉の効果は絶大だった。
呆然と立ちすくむ千代松・・・幾松の言った言葉はまだ良く飲み込めていない。
「一箇所だけって・・・・一箇所だけ?・・・・・・・え~~!」
急に顔が真赤になってそのほてりで思わず頬を両手でおさえた。
「一箇所だけって・・・・あの?・・・・」
と上目使いに聞く千代松。
「そう・・・ここまで言ったさかい、小沙希ちゃんとお嬢はんの逢瀬
手伝ってくれはるやろ?」
「お嬢はん?」
「そう、結城道場の鬼娘・・・・」
「えっ?あの、男なんか鼻もひっかけない鬼娘が?」
「でも、あのお嬢はんいきなり恋を知ってしまったさかい
身体と心がいうこと気かないんどす。ぶるぶる震えてちっとも治らなくて
でもうちが小沙希ちゃんのことなんとかしますさかい少しの間だけ
辛抱しておくれやす・・・いうてやっと落ちついたんどす」
「でも幾松!どこでどうあの二人を逢わせるか決めとるんどすか?」
「いいや・・・それが・・・」
と声が小さくなってしまう幾松。
「なんや、まだなんも決まっとらへんのどすか」
「へえ、相手があの鬼娘と小沙希ちゃんどっしゃろ、へたな真似できへんのどす。
いくら小沙希ちゃんに情で訴えるいうたかて、やはりものには順序があります。
いきなり二人をお部屋であわせたかて、そんなん恋と違う。
それにこの一夜が・・・この一夜だけが二人が肌を合わせられる最後の機会やさかい
・・・・一生心が残る一夜にしてあげたいんどす。
そして、この夜のことを思い出にこれからをしっかり生きていってほしいんどす」
「なんや・・・それ!今夜だけが最後の夜やなんて。
逢える日なんてこれからもいくらでもあるやないんどすか」
「それが・・・千代松!うちがこれから言う事、あんたが信じる信じないんは
勝手やさかい教えるんは教えたるけど・・・・・」
と小沙希がこの時代の人間ではなく先の時代からやってきた人間で
先の時代に復活した怨霊と対決するため土佐の坂本竜馬が持つという横笛を探しにきたのだ。
この時代にいられるのは3日間だけ・・・その3日目が明日なのだ。
だから逢瀬は今夜一夜・・・・・・
「そんなあ・・・」
とそのとき
「その話!うち、のったえ」
という声が二人のいる布団部屋の外からした。
すーっと襖が開いて入ってきたのはこの料理屋の女将お園だった。
「うち、悪いけんど外で話を全てきかせてもらいました」
「でも、女将さん。どうして?」
「へえ、うち小沙希ちゃんのあんな舞台見たん生まれてはじめてだっしゃろ。
もう興奮して身体が熱うて熱うて・・・そやさかい表の風にあたろうと
廊下に出たとき、あんたらがここに入るんみたさかい、なんやろ思たんどす。
悪いけんどみんな聞かせて貰いました。失礼や思てたけんどもう途中で聞くの止められへんかった。
あんたらの話、小沙希ちゃんの舞を見たんと同じ位の衝撃やった。
なあ、お願いどす。うちにも手伝わせて・・・・。
うち、小沙希ちゃんに助けてもろたし、あんな凄い舞台もみせてもらいました。
聞けば小沙希ちゃんて男でもあり女でもあるんやさかい。
もう常人やおへん。そんな小沙希ちゃんに恋をした結城先生のお嬢はんは
うちが昔からよう知っとるお方やさかい、うち役に立つ思います」
「なあ、幾松!そうしょう。女将さんには日頃からお世話になっとるし
身内同然どす。だから相談に乗って貰ったほうが好都合どす」
「そうやなあ、女将さんに中に入ってもらったほうが小沙希ちゃんにも言い訳たつし
・・・そうしようか、なあ千代松」
「まかせておきなはれ。・・・それでな、幾松ちゃん。
お嬢はんの様子、いかがどしたんや?」
「へえ、お嬢はん、女として・・・恋も何も知りはらへん。
女の幸せについてなんか考えもしいへんかったみたい」
「和葉さん、小さい時から男みたいに育ちはったんよ」
「でも、今日小沙希ちゃんに逢いはった。強い小沙希ちゃんを見いはった。
誰よりも強い思うてはった父親よりも小沙希ちゃんのほうが強かった。
女は強い相手に惹かれるもの。だからお嬢さん、小沙希ちゃんに惹かれはった。
それも並大抵の惹かれようとは違う。身体全体が瘧のように震えあがった、
全身全霊をかけての恋なんや。だから破れれば死ぬ覚悟してはる」
「そんなに?」
「へえ、道場の井戸端で座り込みはって立たれへんかった。
うち、和葉さんの腕持って助けおこしたんやけんど、ぶるぶる震えて
倒れそうにならはって、それはもう大変どした。
お布団にお寝かせしたんやけんど、お顔の色が真っ青で掛け布団着しても
うちの手握ったまま震えてはる。お話もできないんどす。
うち、小沙希ちゃんのこと知っとるさかい軽はずみなこと話せまへん。
けんど、同じ女どすからこれはもう一肌脱がずにはおられんようになった。
だから別れるとき、絶対今夜お二人にしてあげるさかい我慢していておくれやす。
絶対に軽はずみな事せんといて、いうてお座敷に出てきたんどす」
「女将さん、これは早う手をうたな、何をするかわからへんえ」
「そうやなあ、和葉さんおぼこなだけに早まった事するかもしれん、
・・・いっそうの事、うち迎えに行ってきます。
・・・・あっ、逢瀬のお部屋はうちが用意するさかい、
あんたらは小沙希ちゃんのこと頼んますえ」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「この画も、うち知りまへん」
「どうだ、あきあ。和葉の気持ち。そして幾松、千代松、お園の行動」
「へえ、うちと和姉。皆の大きな愛情に包まれて幸せを得たことがよう判ります。
心の奥底の熱いものはもう押さえようがありませぬ」
目の前の律子が泣いている。希美子や希佐までがうるうるしているのだ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
幾松と千代松は小沙希にどう話を持っていこうかと相談したが、
結局はへたな小細工するよりも真正面からぶつかった方が良いということになった。
だから、仲居に頼んで小沙希をこの部屋まで連れてきてもらい、
こうして二人の芸妓が切々と和葉の心のうちを訴え続けた。
そしていつしか自分が和葉の肉親であるかのように涙があふれ、言葉も途切れてしまう。
じっとうつむいて二人の話を聞いていた小沙希、ふと上げた瞳に光るものが・・・
そして少し微笑みを浮かべて
「幾松さん姉さん・・・・千代松さん姉さん・・・・ほんとに・・ほんとに・・・
ありがとう。うちら二人のためにこれだけ一生懸命ならはって・・・・」
「ちょっと、小沙希ちゃん!・・・今、うちら二人のために・・いいましたなあ」
「へえ、本当はうちなんかのこと忘れてしまったほうがいいんやけんど、
和葉さんのような一途に思いつめる人は駄目どす。
きっとうちのこと片時も忘れること出来まへんやろ。
そやからうちも、和葉さんのこと一生背負っていこう思てます」
小沙希の心意気を感じ取った二人、顔を見合わせ頷きあうと
「小沙希ちゃん!まかしとき!・・・うちら二人・・・
いいや、こうなったらこの祇園に生きる女達が和葉さんのこと守りますえ」
「そうそう、それに小沙希ちゃん。向こうに帰ってもうちらのこと
絶対に忘れてはあかんえ」
小沙希はそんなこと絶対にない!と顔を強く振ったが、
何も言葉が出てこない。お姉さん芸者が小沙希を見つめながら言う、
その言葉一つ一つに温かい真心がこもっており、
言葉に出して感謝を言う必要もなかった。
小沙希はただ・・・・・三つ指ついて頭を下げるだけで心が通いあった。
いつの時代も女達の想いは同じなのだ。
求め合い、助け合い、そして哀しいほどまでの純な心が伝わってくる。
目を閉じれば次々と浮かんでくる大勢の女達の顔・・・・。
負けられない!・・・・絶対に勝つ!・・・今宵、夫婦になる和葉の為にも
そして帰ったら待つ多くの姉達のためにも・・・何が何でも勝たねばならない。
そして、そんな小沙希の想いが通じたのか嬉しい知らせがもたらされた。
「失礼さんどす」
と言って入ってきた女将のお園、心配そうな顔で二人の芸妓の顔を見る。
でも目を真赤にしてはいるがその明るいに表情にほっと肩から力がぬける。
「女将さん!」
と小沙希はお園の顔をみつめ、
「この通りどす」
と頭を下げる。
「嫌や、小沙希ちゃん。そんなことせんといて!・・・・
うちら長い間花街で生きてきとるんどす。おなごの心ようわかります。
だから、何も言わへん。そのかわり今夜は和葉はんをしっかり抱いてあげて!」
小沙希はただ頷くだけでよかった。
「そうそう、幾松ちゃん。あんたにお座敷がかかってますえ」
「うちに?」
「へえ!」
「うち、なんや今日、お座敷にでとうない気分どす」
「いかんえ、芸妓がお座敷断るようなこと言ったら」
「へえ、じゃあさっさと行ってさっさと済ませて来るさかい」
といって部屋を出て行く幾松。
「お座敷といえば、うちらのお座敷は?」
「大変!」
と立ち上がろうとする千代松に
「おほほほ・・・心配いらしまへん。嵯峨美屋はんはもう大満足して帰られました。
これは小沙希ちゃんのおかげどす」
「うち・・・そんな・・・」
「いいえ、一生に一度みられるかどうかの舞台やった、
そう一緒にこられてた江戸のお人達も言っとられたんどす。
なんでも大奥に出入りされとるお方達で、将軍様もこんな舞台見られへんやろ、
いうて豪快に笑っとられました」
「じゃあ、あの子達は?」
「見物されとったお客はん仰山いてはりましたやろ。
同じ舞台を見た芸妓や舞妓達や・・言わはってみんなひっぱりだこどす」
「へえ~」
「それに舞台見られへんかったお客はん達も噂を聞きつけて
芸妓や舞妓達をお座敷に呼んでその話を聞こうとするさかい、もうもうあの子達悲鳴あげとります。
でもあの子達にもええ勉強どす。そやさかいうち、見ても見ぬふり・・・・」
といってケラケラ笑う。
そこにバタバタと走ってくる足音、止まったらとおもったら
『ガラッ』と扉が勢い良く開けられた。
「何え!一流の芸妓のあんたがそんな真似をして・・どうしたんどすか?幾松!」
と料亭の女将として本当に怒っている。
「あっ」
といって座り込んで頭を下げる。
「すんまへん・・・うち、我を忘れてしまって・・・」
「どうしたんどすか?幾松とあろうものが・・・」
千代松があきれたように聞く。いつも冷静でこんな慌てるような芸妓ではない。
「すんまへんどした。うち、お座敷に行ったら思わぬ人がいらっして・・・」
「桂はん・・・長州の桂小五郎はんどすやろ」
「えっ?女将さんはどうして?」
「そんなこと百も承知であんたをお座敷にやったんどす。
仲居から聞いて確かめもせずあんたをお座敷なんかやるもんどすか。あんたは祇園の宝の1人どす」
幾松は行き届いた料亭の女将に、ただただ頭を下げるだけ・・・・。
「で、どうしたんどすか?そんな幾松さん姉さんが・・・・」
という小沙希の顔をじっと見つめて
「小沙希ちゃん・・・あんたにや・・・」
「えっ?・・・うち・・どすか?・・・」
何のことやさっぱり判らない。
「幾松ちゃん!はっきりいいなはれ」
とお園が問い詰める。
幾松は座り直すと、ゆっくりと呼吸を一つしてから、
「うち、どんなお座敷でも今日はかんべん・・・思いながら、
お部屋の外からご挨拶したんどす・・そしたら」
と言ってから急にポッと顔が赤くなる。
「あ~あ、あほらし・・・・暑い暑い・・・・」
と袖で自分をあおぎながら
「それで・・・」
と話を促す。
「うち、桂はんがこの京に来てるなんて知らんかったから・・・」
「あんたはお部屋に飛び込んで桂はんに抱きついたんどすな。それから・・・」
とからかい半分、羨ましさ半分の千代松きつい合いの手をいれながらも
千代松の言葉、まんざら当たっていなくもないらしい。幾松は顔を真赤にしている。
「これ!千代松ちゃん。そんなにからかうもんじゃ・・」
と叱るお園にぺろっと舌を出す千代松。
「あのう・・・桂はん、お1人じゃあなかったんどす。
窓の外をみながら手酌で御酒をめしあがってるお武家様がもうお1人・・・」
「じゃあ幾松は見も知らずのお武家様の前で桂はんと抱き合いはったんどすか」
とあきれたように言う千代松。
「へえ、すいまへん・・・」
「何もうちらにあやまってもらっても」
とからかい半分なのか・・・若い人はうらやましい・・・と面白げにいうお園。
「小沙希ちゃん!そのお武家様。どなたや思います?」
「えっ?・・・・・・・・もしかしたら・・・?」
「そうなんどす。小沙希ちゃんが探し求めていた土佐の坂本竜馬はんなんどす」
小沙希はいきなり立ち上がり飛び出そうとするのを
「待ちなはれ!」
と止めたお園。
「芸妓や舞妓が料亭で勝手にお座敷出ること、許しまへん」
と真顔になってきつく言う。
だが次の瞬間にっこり笑って
「でも、そこの女将が許可すれば別どす」
「わあ~」
といってお園に抱きつきチュと頬に口付けする小沙希。
「ちょっと待って・・・小沙希ちゃん、あんた誰にでもそんなことするんどすか?」
「これ、うちの時代では親しいお人にするご挨拶どす。それにうち・・・女好きどすよって」
としれっと言う。
「マア・・・」
とあきれるお園。
「ほな、幾松さん姉さん。いきまひょか」
と立ち上がった。
「待ちなはれ!」
と又待ったをかけたお園に不審げに振り返る小沙希達。
「千代松ちゃん、あんたもいきなはれ。
今日のこの二人、まかせておくと何をしでかすかわかりまへん」
「でも・・・」
と躊躇する千代松。
「ああ、お花代どすか。そんなん心配あらしまへん。
あんたの分はうちが払います」
千代松にはお園が何が言いたいのか、それがまだわからない。
「そのかわり、お座敷であったこと聞いた事を逐一うちに報告すること。
それが条件どす。あんたと同じでうちも小沙希ちゃんの後見人どす。
だから後見人として大事な小沙希ちゃんのこと、放っておけまへん。
それにうちだけ知らぬ存ぜぬでは我慢できまへん」
その言葉がお園の本音なのだ。小沙希のこと全て知っておきたい。
自分だけ仲間はずれにされるようで我慢が出来なかったのだ。
千代松はいい、幾松の親友だから・・・芸妓仲間だからあとで根掘り葉掘り
聞き出すことができる。
だが、お園は違うのだ。昔、芸妓だったとはいえ今は立場がちがう。
何より年が違う。心やすげに聞きにはいけない。
だから、千代松を使った。こうしておけばお園も仲間なのだ。
「さあさ、そうと決まったら、あんた達なにをぐずぐずしているんどす。
早うお座敷に行ってらっしゃい」
といいながらも、三度小沙希を呼び止める。
「小沙希ちゃん。和葉はんのことうちが守っっとくから、しっかり・・・・」
しっかり、お役目を務めてきなさいと最後の言葉は心で囁いた。
でも小沙希にはしっかりと伝わったようだ。
「へえ、がんばります。・・・お母ちゃん!和葉さんのこと・・・・・・・」
頼みます・・・・とこれも心で囁いたのだ。
3人を見送ってから、ふと気づく。
確か・・・あの子、お母ちゃんと言った。言い違えたのか?・・・・
いいえ、そうではない。こちらを見ながらお母ちゃんと言ったのはよく覚えている。
では?・・・・・いくら店で威勢良く働いていても、
後家で子供もいない寂しい私を誰からか聞いて思いやってくれたのか?
・・・・いいや、それとも違う。ただ・・・あの子は・・・・あの子は・・・
うちのことを本当の母親だと思ってくれているのに違いない。
だから、和葉はんのこと一言もうちに聞かなかった。
そう考えると飛び上がるほど嬉しい。
部屋を出てからも小沙希のことを考えていたので、仲居の1人に声をかけられたとき
一瞬びくっとしたが、落ち着いて笑顔をむける。
「あらっ・・・どうされたんどすか?」
「えっ?」
「あっ・・・いえ、女将さんのそんな明るい笑顔、久しぶりに見たもんどすから」
「えっ?」
「あのう・・・」
といいにくそうにしていたが、お園が覗き込むようにみていたので思い切って
「3年前のあの頃、亡くなった旦那さんと仲良くなさっていたころの
女将さんの”笑顔”どす」
「あら、本当?」
と自分に昔々の笑顔が戻った事を言われ、まるで乙女のように頬を押えながら
歩み去る女将、あきれたように見送っていた仲居だが
なんだか自分も嬉しくなって、さっそく朋輩達に知らせようと小走りに走り去る。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「沙希ちゃんに『お母ちゃん』といわれていたのね」
「へえ、うちの平安時代の母親だとすぐにわかったんどす。
混乱させてはいけない思っとったんどすが、深く温かい愛情に包まれてつい口に出てしもたんどす。
でも、お母ちゃんすごく幸せそう・・・・・」
「いいじゃないの、お母さん。実際沙希は私たちの妹だし・・・」
「そうよ、心配ばかりかける妹だけどね」
そんな言葉も沙希には温かく聞こえてくるのだ。
「泉姉・・・京姉・・・」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「いいどすか、小沙希ちゃん。落ち着いてお話するんどすえ」
「そうどす、いっても相手はお武家様、失礼のないように・・・・」
幾松と千代松にそういわれて
「うふふ」
とつい笑ってしまう。
「なにが可笑しいんどすか?」
「お姉ちゃん達、まるでうちがねんねみたいにいわはるから」
「そうどす、小沙希ちゃんあんたは強うてかしこいけんど、
ある1面ではな~んも知らんねんねと同じどす。
そやからうちら心配のしどうしで、もうハラハラドキドキ・・・・」
そう言われると何もいえなくなる小沙希。
「さあ、このお部屋どす」
といって廊下に座る3人。
「お待ちどうさんどす」
と声をかけてから襖をあける幾松、中の光景を見てつい
「あらっ!」
と声をあげてしまう。
その幾松の声で思わず顔をあげ、その目に入ってきたのは・・・・・
男4人が車座に座って酒を酌み交わしている図であった。
その中の1人が二ヤッと笑って
「よお」
と声をかけてくる。
「まあ、源太郎さま!」
「おっと、そんなに睨むなよ。どこにでも顔をだす仕方のない奴って
顔に書いてあるぜ。・・・まあ、入んなよ。そこが開けっ放しじゃ寒くて仕方がねえや」
といわれ立ち上がって部屋に入って襖を閉める。
でも源太郎に言われっぱなしで業腹だったので
「まあ~、源太郎様はどこにでも現れるし、人の顔に書いてある字を読まれるし
凄い人どすなあ。どこの偉いお人どすか?」
と言ってしまい、
「これ、小沙希!」
と幾松に叱られ、千代松には睨まれてしまった。
「あははは、参ったなあ小沙希には。坂本さん、小沙希ってこういう奴ですよ」
「まあ、人のこと奴だなんて・・・・」
と売り言葉に買い言葉で口に出してしまって、
「これ!小沙希!やめなはれ」
と今度は千代松に叱られ、首をすくめる小沙希。
その様子が可笑しいと男4人が声をあげて大笑いだ。
仕方なくその笑いが収まるのを待ってから
「今宵、お座敷に呼んでいただきまして、ありがとうさんどす。
うちら3人お座敷をあい勤めますのでよろしゅうお頼も申します」
といってから
「まずはみなさんにお酌どす」
といってから順番にお酌をしてまわる。
それが終わると自然と組み合わせが決まった。
桂小五郎と幾松は勿論、
源太郎と相良新太郎の間に座った千代松は仕方がないところ、
なにしろ小沙希が坂本竜馬を見つめる目が真剣なのだ。
医者の相良新太郎以外の男達各々が剣客といっても差し支えは無い。
だから、全く隙がない小沙希に注視が集まるのは仕方がないところだ。
小沙希のことを全て知っている源太郎は真剣に二人を見詰めていた。
いや、本当のところ面白がっていたというのが本音なのだ。
小沙希は2度3度とお酌をする。
竜馬は酒を飲みながらも少しも酒を飲んでいる気がしなかった。
まるで水を飲んでいるようだ。だから少しの酔いもこない。
なぜならば、この小沙希という舞妓に神経が集中しているためだ。
身体のどこにあったのか坂本竜馬の剣客としての魂が呼び覚まされたのだ。
何しろ昔、横にいる桂小五郎と試合をしたとき、1本目に片手上段で勝った後、
よし、負けてやろうと思ったと言うのだ。
事実、続けて5本全く違う形で負けつづけたという。
それを見ていた師の千葉定吉が
「竜さんのやつ・・・・・」
とフッと笑ったきり何もいわなかったという。
坂本竜馬・・・・維新の志士として有名ではあるが、
竜馬が生きていた時代がもっと前ならば剣客としてもっと高く名を残しただろう。
その竜馬、小沙希のあまりの隙のなさに自身が仕掛けた。鋭い気を発したのだ。
座ったまま後方に飛んだ小沙希、そのままの姿で頭を下げ
「坂本様」
と呼んだ。
「なんだ」
と答えた瞬間、竜馬は負けたと思った。何故なら気が充満している時は
対等のようだったが(対等というのはわしの都合のいい解釈かもしれん。
小沙希という女、わしよりもっと実力が上なのだから)、
言葉を発した瞬間、口から気が抜けた。つまり対等ではなくなったのだ。
横でみていた源太郎にとって兄弟子同様の坂本竜馬と小沙希の戦い、
心が躍るおもいで見ていた。気配で桂小五郎も同じ思いで見ていたのだろう。
酌をする小沙希、杯に酒をうけとる坂本竜馬、目には穏やかだが、
源太郎と桂小五郎には真剣を構える両者が見えていた。
真剣の刃と刃が火花を散らせる。
「えい!」
と気合を発した小沙希、・・・だが驚いたことに気を発したのではなかった。
無音の術だ。無音の術とは口から気を発せずに喉の奥で気合を発するのだ。
だから気は身体から抜けてはいない。
だが
「おう」
と口から気合を発した坂本竜馬、この時点で竜馬の負けは決した。二人の幻は消えた。
「見事な!」
と言ったのは桂小五郎だ。横にはぴったりと幾松が座っている。
「小沙希とやら、今のは無音の術だな?」
「はい」
「徳川の初期のことならいざしらず、今の世に無音の術を心得ているお主は一体何者だ!」
「桂小五郎様、今のお言葉に対するお答えはこれから坂本竜馬様にお願いする
私の言葉からおくみくださいませ」
と言ってから坂本竜馬に向き直ると深々と頭を下げる。
「坂本竜馬様にお願いいたします」
「何なのだ」
「竜馬様の懐にお持ちの『翔龍丸』をぜひともお譲りくださいませ」
「何!この笛を!?」
と懐から取り出す1本の横笛。
「はい!・・・その『翔龍丸』をぜひ私に」
「この笛はわが坂本家の宝、末代のためにも・・・」
といいかけて
「いえ!」
と言葉を被せる小沙希。
「これから、私の言う事、信じるも良し、信じないもよし。
でも話だけは聞いてくださいませ」
と言ってから、居ずまいを正し
「今より3年のち、京都近江屋にて竜馬様は暗殺者に襲われ、
その『翔龍丸』は暗殺者の手によってスッパリと2分されております」
「何故?何故?そんな先の世のことまで知っている」
と桂小五郎がいいかけたが
「待て!」
と桂小五郎を静止
「わしはどうなった?」
「はい、あなた様は『翔龍丸』を手にして暗殺者に立ち向かわれたと申せば・・・」
じっと小沙希を見つめる竜馬・・・ポツリという。
「そうか・・・死んだか・・・・」
人事のように言う竜馬。
「はい、近江屋で襲われたのは竜馬様と中岡慎太郎様のお二人」
「何?慎君もか?」
「はい、竜馬様は即死、中岡慎太郎様は3日後に死去されました」
「暗殺者は誰かな?」
「未だに判っておりませぬ。新撰組か見廻組か、はたまた徳川幕府に大政奉還という
案をつきつけたあなた様に対する薩摩と長州の過激派の手によるものか
これは竜馬様と中岡慎太郎様以外知ることはできませぬ」
今は誰も何も言わない。言えないのだ。
命運というものを突きつけられた坂本竜馬の心を思んばかって・・・。
「小沙希!・・・お主この世のものではないな」
「はい、私は今から140年後の平成という年号の時代から竜馬様がお持ちの
その『翔龍丸』を求めてやってまいりました」
「なぜだ・・・何故この笛なのだ」
「平成の世に恐ろしい者が復活したためでございます」
「恐ろしい者?」
「はい、平安期に人心を惑わし、人を呪い殺し、はたまた自然災害を引き起こした
怨霊・藤原元方です。その後、我師安倍晴明様に封印されたのですが、
時代が進めば人は不可思議なことは信じませぬ、怨霊が復活したのも人の手によってでした」
「怨霊か・・・それはわしらでも手が出ぬ」
「待て!小沙希。お主、我師安倍晴明様といったな。
お前、平安時代にも行ったのか」
「はい、平成に生まれた私がどうして平安時代に行けたのか・・・
それは平安時代より脈々と伝わる女だけの一族・・・早瀬一族の
不思議の力によって時代を遡っていったのです。
そこで10年、安倍晴明様の元で厳しい修行をしてきました。
でも、戻ってみれば時の不思議で一刻ばかり。
それに私の身体は術の失敗で25歳という年から16歳に若返っていました」
そんなこと聞いていなかったので芸妓達、目を白黒している。
「では、師の安倍晴明様にお逢いください」
と懐紙を人型に切り
「『臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前』」
と九字を切る、そして唱える真言
「ナウマク・サマンダ・バザラ・ダンカン」
ふっ吹くとたちまち現われた公達。
その場に座る安倍晴明。
「それは何じゃ、あきあよ」
「はい、ささでございます」
「なに?酒か・・・一杯もらおうか」
晴明はお猪口ではなく、小さな小皿を取り上げた。
それに並々とつぐ小沙希。
喉をならして飲む晴明。
「はあ~・・・美味じゃのう」
「はい、平安の御世より酒の味もいろんな工夫がされ、味も変わってきました」
「そうそう、あきあに飲ませてもらったあの葡萄の・・・なんといったかのう」
「ワインでございます」
「そうそう・・・あれもうまかった」
・・・・・と、自分に注がれる視線に気づく晴明。
小沙希は晴明にみんなを紹介する。紹介が終わると竜馬から
「小沙希殿!お主、あきあと言われるのか?」
「はい、陰陽師・安倍あきあ それが晴明様よりちょうだいしました私の名でございます」
「だからなのか?」
「はい?」
「だから、お主が怨霊と戦うのか」
「はい、平成の世も陰陽を操れるのは私1人。けれども相手は悪名高い怨霊・・・」
と小沙希は幼い女の子を人質にとってその気を喰い、なおかつ子の両親をも
自分の思い通りに操ろうとしている・・・とその手段を話すと
「うぬ・・・」
と憤怒の顔になる。
「そんなの酷い!」
初めて聞く千代松だが昨夜聞いた幾松も源太郎もその卑劣さに吐き気を催すほどだ。
「あきあ殿!」
と陰陽師の名で呼ばれた小沙希、竜馬の方を向くと目の前に横笛『翔龍丸』が
差し出された。
「えっ?」
と思うほど簡単に手に入る『翔龍丸』。小沙希が竜馬の顔をじっと見ると
「3年先に壊れてしまうんだろう、この『翔龍丸』は・・・だからもったいないから」
もったいないから・・・と渡されて唖然としたが、つい
「クスッ」
と笑ってしまう。
「だが、この『翔龍丸』は誰が吹いても鳴らないんだよ」
と竜馬は一言付け足すが
「心配いりません」
小沙希は左手を前に出すとその手の平がボウっと光り、もう一対の横笛が現われた。
「これは『緋龍丸』といいます。
この『緋龍丸』を大江山のシテン殿から譲り受けたとき聞いた事があります。
『緋龍丸』にはもう一対『翔龍丸』という兄弟笛があり、
今は行方知れずだが、2本揃うとどんな強大な怨霊とて封印する事ができる。
ただ、『金龍』『銀龍』の2匹の龍を身に宿す事になり、
その気、2匹より弱ければ食い殺され、強ければ生涯の鎧と化す」
「いや!」
「やめて!」
と叫ぶ幾松と千代松。
「幾松さん姉さん、千代松さん姉さん。心配いりまへん。うちにはこれがあります」
と両手を前に出すと、その手の平より30cm上に浮かぶ赤いおおきな鱗、
「これは緋龍様という龍の鱗です。これさえあれば心配いりません」
といってまずは『緋龍丸』から手にとった。
目を閉じ吹く小沙希の姿、絵師がみれば誰もが描きたいと思うだろう。
そして幾松以外、初めて聞く小沙希の吹く横笛の調べはもう呆然として聞く事以外得なかった。
それほど、この世のものが吹いているとは思えないのだ。
名人?・・・そんな言葉ではもう言い表せない。『緋龍丸』の調べは静かに終わる。
そして、次は『翔龍丸』を取り上げた。
果たして鳴るのか・・・・・鳴らない。・・・小沙希の顔に苦悶の色が広がる。
そのうち小沙希の身体が光だした。
二つの小さな光の玉が小沙希の身体をつきっきりながら
ぐるぐると追いかけあいをしている。やがて小さな玉が龍の形をとりだした。
これが『金龍』と『銀龍』なのだろう。
(小沙希ちゃん!・・・がんばって!)
見ているもの全員、言葉を発する事・・・いや、身体を動かすことすら出来ない。
ただ、見守るだけだ。光る小沙希の額に汗が滲みでる。
二匹の龍が小沙希の中に突っ込む毎に苦悶する小沙希、
どれ位の時がたったのだろう、構えた小沙希の口元からかすかな調べが流れ出した。
光輝く二匹の龍がその光を失い、金と銀との小さな龍という本来の色を取り戻すと
小沙希の身体の中に消えていった。
『翔龍丸』は女笛であった。『緋龍丸』より高い調べが流れる。
そして不思議が起こった。
窓の外の闇の中、たくさんの小さな光が天に上っていく。
これは魂魄この世に留めた霊達が解脱して天に帰るのだ。
これは『翔龍丸』の力によるものであった。
調べは消え、小沙希は『翔龍丸』を口から離した。
がっくりと肩を落として右手を畳につける。
小刻みに身体が震えているようだ。それはそうだろう、二匹の龍が身体に納まったのだから。
「すいませぬ、だらしない格好で」
「いや、凄いものを見せてもらったし、聞かせてもらった」
「もう二度とないだろうな」
男達が口々に言う中、幾松と千代松は涼しい風にあたらせるため、窓の縁に小沙希を座らせた。
「晴明様にお尋ね申す」
「なんじゃ、竜馬殿」
「平安期には鬼や怨霊がそこら中に出て人を襲ったりしていたと
書物で呼んだことがあるが、それは本当のことでござろうか」
「そこら中とは大げさだが、人は夜中は出歩かなんだ。鬼や怨霊は本当のことじゃ」
「だが今の世、その姿見いとらんが」
「それは平安期の陰陽寮のおかげじゃと思っていてほしい」
「陰陽寮?」
「そうじゃ、そこに勤めておった者達の命をかけた鬼や怨霊達との戦いにより
消し去ったり封印したおかげなのじゃ」
「封印?」
「そうじゃ、今の世もその封印の力が及んでいるため鬼などは出てこれない。
じゃが世の中は変わる。あきあの生きている世がそうじゃ。
墓がこわされ、人が住む家となり、山がくずされこれまた人が住む。
封印された小さな祠など壊されれば何の役に立つ?・・・・
だから怨霊が復活してしまうのだ。もう古の人々から伝えられてきた
話も残っておらん、今は自動車とかいう人を乗せて走る車が通る道のため
山や川という大自然が壊されていく。何十階と高い屋敷が建てられるのは
広い屋敷跡じゃ。わしらが封じた幽鬼や邪鬼などはもうすでに
人の間に入り込んでおる。悪い事をした人間には必ずといっていいほど
鬼の姿が重なって見える。そんな恐ろしい世になっておる。
わしのいた平安期と同じじゃ。じゃが新しい時代の人間が鬼や怨霊の姿が見えず、
信じなくなっているだけ始末が悪い」
「わしらが目指す新しい世がそんなふうに変わっていくのか」
「竜馬様達、志士の皆様が志を同じに新しい世を作り上げました。
素晴らしいことです。確かに徳川は300年も続けば屋台骨が腐って揺らぎます。
維新以降、明治、大正、昭和の初期までは良かった。
人々の間に侍が持つ気骨が残っていました。
でも太平洋戦争という日本、ドイツ、イタリアの3国連合軍に対して
アメリカ、フランス、ロシアなどの連合軍は強かった。
日本はこてんぱに負かされました。
広島、長崎に原子爆弾という恐ろしい兵器が落とされ、
一瞬のうちに何十万人という命が失われました。
・・・・・が恐ろしいのはそれからです。
原子爆弾には副作用があったのです。爆弾が落とされた直後、黒い雨が降った。
それに濡れた人々は髪が抜け落ち、皮膚はただれ、
そして白血病という未だ治らない病に冒されました。放射能が原因です。
放射能は身体の中に入れば出て行かない。蓄積されてしまうのです。
そして、この地球に対する放射能の影響はこの地表からは半永久的に残ります」
みんな黙り込んでいる。幾松と千代松は手を取り合って聞いているが
身体の震えは止まらない。小沙希の慟哭といえる告白・・・いく末の日本の現状に怯えているのだ
「放射能は母から子、そして孫へそれが何世代も遺伝します。
・・・・これからは相楽先生」
という小沙希にはっと顔をあげた医者の相良新太郎。
「相良先生に関係する医学の話です。昭和の初期に発見されたツベルクリンで
胸の病の結核が完治するようになりました。天然痘も一掃されました。
でも白血病は完治する人もいればそうでない人もいる。
戦争が終わって50年、その時代に私は生きているのです。
でも未だに毎年、何百人、何千人と原子爆弾の影響の為、死んでいく人々がいます。
医学は進歩するが、治らない病もある。
それに、結核や天然痘、コレラという病は一掃されましたが
次から次へ、新しい病気が襲ってきます。
性交渉でうつるHIV・・・エイズという病気は発病したら死を待つだけです。
他いろんな病気で医者は頭を悩ませています。
癌や脳卒中、心筋梗塞は今だに人の死亡原因の大要素です。
これも封印が解かれて行ったのが原因なのでしょうか。
昭和40~50年は昭和元禄といわれ景気の良さに日本中が沸き立ちました。
昭和64年昭和天皇が崩御され、年号も平成と変わります。
平成は景気を回復させようと必死でがんばっていましたが
なかなかうまくはいっていません。
平成も10年を過ぎると人の心が荒んでいきました。
誘拐、殺人、暴行と若者の犯罪が増えつづけています。
心の荒みが邪鬼を呼び、そして邪鬼に力を得てただ平凡な暮らしをしている
人々の家庭を破壊している。私はそう見ています」
と締めくくる。
「小沙希・・・いや、あきあ殿」
「はい、何でしょうか?竜馬様」
「貴公はその平成で何をしているのじゃ。怨霊や鬼の退治を職業にしているのか?」
「いえ、わたしは本名『早瀬沙希』では最先端の技術の開発をしています。
でも、もう一つの名前『日野あきあ』では女優を職業としているのです」
「女優?」
「はい!今でいえば・・・そう役者です」
「役者?・・・貴公がか」
腑に落ちん・・・そういっている顔の竜馬。
「おほほほ、竜馬殿、貴公が思っている役者とあきあがいう役者とは全然違っておる。
・・・あきあよ、見せてやらぬか」
「えっ?」
「あきあが芝居の中で本当の戦いをした平将門との録画というものを」
「でも・・・」
「あははは、良いではないか。最後にあの元方も映っているのであろうが」
「もう、晴明様は・・・」
とねめつけたが、晴明は素知らぬ顔で千代松から酌をうけている。
「見たい!見たいぞ!あきあ殿」
「そうじゃ、わしも見たい」
男4人からの口々に声をあげられ、そして
「うちもや」
「うちも見たい!」
「では仕方ありません」
と九字をきろうとするが
「待って!」
と声をあげる幾松。
「うち、女将さんと和葉さんを呼んでくる」
「えっ?、どうして?」
と聞く千代松。
「何や知らんけんど、そうしたほうがええってうちの心の中が叫んでいるんどす。
じゃあ、行ってくるえ」
といって座敷を飛び出して行く。
「和葉殿がどうして?」
ここにいるのだと聞く源太郎に、話していいかどうか迷ったがどうせ判ること
「へえ、今宵一夜の夫婦の契りを小沙希ちゃんと和葉さんが結ぶんどす」
と千代松が話す。
「何?女と女が夫婦の契りを?」
と目を白黒さす男達。
「おほほほ・・・」
「何が可笑しい!千代松!」
「篠原様。小沙希ちゃんは女でもあり、男でもある不思議な身体の持ち主。
小沙希ちゃんはりっぱに和葉さんにややを産ませることができるんどす」
「なに?赤子を?」
もう驚きを通り越している。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
紫苑はもう呆然と小沙希の横笛を聞いていた。それは余りにも人間離れした才能だった。
単に天才と言う言葉では小沙希のことを語れなくなった。
全くどういう人?と叫んでしまいたい。
「こんなお座敷・・・・凄い!」
「小沙希ちゃんも凄いけど、坂本様も・・・」
「昔のお座敷ってこんな様子だったんどすか」
口々に声をあげる舞妓と芸妓達
「いやあ、どうみてもわしの完敗さ、なあ沖田!」
「そうですね、私も初めて見たんですが、あの無音の術は凄い!
誰にでも出来るように思いますが過去の剣豪達の中で
あの本当の形の無音の術をできたのは何人いたでしょうんね」
「そんなに凄いんですか、その無音の術・・いわれるのは」
「そうだよ、おれの師匠の千葉周作先生もなんども修練をつんでいたが
ある程度まではできたが、沙希殿のように完全には出来ておらぬ」
「あははは・・沖田殿も篠原殿もあの術、わしが教えたものではないぞ」
「なんと・・・ではどうして・・・」
「あきあ!・・言ってやりなさい」
「はい・・・でも・・・」
「沙希殿、お願いします。教えていただきたい」
沖田にせまられるともう話さずにはいられない。
実は・・・・と話し出したのは、あの蘆屋道満との戦いだった。
「あのころのうちは道満とは力の差はありまへんどした。
道満と術は互角、体術も・・・としたら先に動いた方が倒される。
動けば隙ができる・・・睨み合ったままもう動けまへん。
最初は相手がどういう動きをするのかそればかり気にしました。
けんど途中からうち自然と自分の心の臓の鼓動を聞いていることに気づいたんどす。
すると不思議、鼓動の音が段々段々と遅うなって・・・はやっていた気持ちも落ち着いていました。
こんなことありえへんと思うんどすけど2分に一度・・・3分に一度・・・・と
鼓動と共に呼吸も信じられんほど遅うなっていました。
そうなっても何の苦しみもないんどす。かえって心気が澄んでいて
道満の心の臓の鼓動・・・息使い・・・そして汗がしたたり落ちる音までが
うちの耳に響くほど大きく聞こえるんどす。
どうして急にしかも命のやりとりの瀬戸際で私の力が向上したのか 今もって不思議どす」
「沙希殿は戦いの中からそんな凄い技を会得していたのですか。
さきほどの無音の術もその技の一部にしかない。
道満とやら沙希殿の眠っていたそんな恐ろしいものを目覚めさしたのですな」
「いやな、沖田様。うち化け物どすか」
「そうだなあ、可愛い化け物・・・でしょうかね」
「あはははは・・・あきあよ。あきあの能力、あの努力があったからこそじゃ。
道満との戦いの時にその能力が目覚めたのは偶然かもしれん。
けれどお前の正しい事を愛するが故の能力だと忘れるな」
「はい・・・肝に銘じて・・・」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
新妻のように小沙希の横に張り付く和葉、
一夜だけの妻と女将のお園から聞いてはいた。
でも見た、聞いた・・・自分とは遥かにかけ離れた天上近くにいるお方、
自分とはとうてい相入れない・・・、泣きの涙で消えようか
・・・とぐっと哀しみをこらえている。
そんな和葉に声をかける晴明。
「和葉よ、何を迷い悲しんでおる。迷いは禁もつぞ。
そなたはこのあきあとは相いれぬと思っているのであろう」
「あっ・・はい」
「それは違うぞ」
「でも・・・」
「それでは言ってやろうか、そなたは平安期にこのあきあ・・・いや早瀬の沙希姫の
姉、小律姫であった。そしてあきあの生きる時代の佐野律子という女性、
それはそなたが転生した姿じゃ。佐野律子は早瀬一族の長、早瀬沙希という女性と夫婦になる。」
「早瀬沙希?」
「ふふふ、あきあのことじゃ、小沙希のことじゃ」
「じゃあ」
「そうじゃ、いずれにしてもそなたはあきあと夫婦になる運命と天より定めつけられている女性じゃ。
ついでに言っておいてやろう。結城和葉としてそなたはあきあの子を産む。
男子と女子の双子じゃ、男と女の定まる道は違えども結城家は安泰じゃ。
そして、あきあの時代、女子の子孫はあきあのそばに仕えることになる。
男子はあきあに敵対するかもしれん。じゃがあきあの優しさがあれば
それも氷解していくじゃろう」
聞いている弦四郎、喜びに打ち震える。凄い人物とはいえ一夜限りの夫婦の契り、
娘の和葉に子が出来ようとは思いもしなかった。
現実にこの目に見てみなければ判らないが、教えてくれたのはあの安倍晴明なのだ
おまけに男女の双子ときている。畜生腹といわれたのは今や昔の事。
喜ばしい、本当に喜ばしい限りだ。と1人悦にいっている弦四郎を放っておいて、
次は女将のお園に向き直る晴明。
「お園といったな」
「はい、晴明さま」
「お前、あきあに母御と呼ばれて嬉しかったであろう」
そういわれて、再びあの喜びをおもいだしたのか、つい顔が綻んでしまうお園。
「はい、とても嬉しゅうございました」
「それはそうじゃ、お前は平安時代早瀬の沙希姫を産んだ本当の母御じゃったから」
「えっ?なんと仰せられました?うちが小沙希ちゃんの本当の母?」
「そうじゃ」
「ほ・・・本当でございますか?」
「嘘を申してどうなる」
「前世とはいえ小沙希ちゃんはうちが産んだ娘・・・・」
呆然とするが、こうなればいいと言う想像をはるかに越えていたお園。
「ということはこの和葉さんの前世もうちの娘・・・」
もう何も言えなくなる。
「お母様!お母様はうちの時代に飛鳥日和子といううちの叔母様に転生するんどすえ」
「えっ?うちが転生?」
「はい、日名子叔母様は警察・・・いえ今でいう奉行所の偉いお役目」
「えっ?うちがお役人?」
「はい、うちの時代は女の地位が少し向上しました。
いろんなお役目に女性が男にとってかわっています。でもまだまだです」
小沙希から聞くこと驚く事ばかりだ。
「小沙希殿!」
「はい!竜馬様」
少し離れた場所で男4人、舞妓や芸妓達に酌をされながら必死に耳を傾けていた。
そのうち竜馬が辛抱出来なくなって声をかけたのだ。
「なんでしょうか」
「済まぬ、その舞妓姿で江戸の言葉は似合わぬ、言葉を改めてはもらえぬか」」
「おほほほ、じゃあ、・・・・竜馬様、なんどす?」
竜馬は何かほっとして
「小沙希殿には遠くのこの日本のことを聞かせてもらったが、
済まぬが、近くの時代のことを聞きたい」
「はい、維新前後のことどすな。今が慶応元年やさかい、慶応4年が明治元年と
なるんどす。つまり・・・・」
と明治元年の1月初日からの出来事を年表を見るが如く話し出した。
「明治元年1月1日 徳川慶喜、諸藩に討薩の出兵を、大目付には討薩の表を持って
上京するよう命じる。
1月2日 幕府諸藩連合軍15000、大坂を出発し京都へ向かう。
1月2日 薩摩藩船平運丸を幕府軍開陽丸・蟠龍丸が砲撃。
1月3日 幕府諸藩連合軍、伏見に到着し、伏見奉行所を本営とする。
城南宮を拠点とした薩長軍と対峙。夕刻幕府軍別働隊と薩長軍が鳥羽で衝突。
戊辰戦争が始まる。
1月4日 嘉彰親王が薩長軍本営に入り、事実上の官軍となる。鳥羽・伏見激戦。
1月6日 徳川軍大坂へ退却。
1月6日 徳川慶喜、夜半に大坂城を脱出。
1月7日 徳川慶喜、江戸へ向けて密かに出港。新政府、徳川慶喜追討令を出す。
1月9日 明治天皇即位。
1月9日 官軍、大坂城を占領。
1月10日 新政府、徳川慶喜以下の官位を奪い、幕府領を直轄領と決定する。
・・・・これが昔でいえば天下分け目の決戦なんどす」
「小沙希ちゃん!・・・この京の土地が戦場になるんどすか?」
「へえ、鳥羽・伏見の戦いは幕軍も官軍もぎょうさんの血が流れます。
新撰組も離散します。・・・たくさんの命がなくなるんどす」
小沙希の顔が哀しみでゆがむ。
「上野山を占拠した旧幕臣の彰義隊の方々と大村益次郎様率いる新政府軍。
もっと悲惨なのは会津若松の白虎隊どす。元服前の年端もいかない少年達が
全員討ち死に・・・・・」
その報告にはもう皆言葉がない。
「新しい時代を迎えるためには少々の犠牲は仕方がない・・・
男はんはいつもそう言って戦場に向かわれます。でも残された女達の哀しみ・・
それを思うと晴明様が沙希姫様に施された女しか産めない一族、
早瀬一族の女達が早く日本の政治や経済の中枢に入らねばとおもうんどす。
男はんにまかせておいたらいつまでも血で血を争う戦争がなくなりまへん」
「しかし・・・」
と声をあげる桂小五郎だが
「いままでの日本の歴史、飛鳥の時代から続く歴史は戦争の歴史どす。
その中に埋もれた女の哀しみは歴史には出てきまへん」
その通りなのだ。それが判るから桂小五郎も何も言えなくなる。
「うちの時代も世界中どこかしこで戦争して血が流れておるんどす。
でも犠牲になるのはいつも女や子供なんや・・・もういやどす。
だからうち、戦うんどす。怨霊は人を操り、心の醜さを好みます。
そして人に不幸を与えます。もしかしたら怨霊や邪鬼の類が
人に戦争をさせているかも知れないんどす」
「あきあ殿!・・・もういい。あなたの純真な心がよくわかった。
だからあんな笛が吹けるんだろう」
「あんなこと聞いたわしが馬鹿だった。許してほしい。
済まぬがもう一度『翔龍丸』の音色を聞かせてほしいのだが」
「わしもだ、なんだか無性に聞きたくなった」
「はい」
といい立ち上がった小沙希。手を出すとその手の平に1本の横笛が・・・・・・・
口に当てると流れ出す調べはこれからおこるであろう戦いの犠牲者の
鎮霊歌であった。その調べは山を越え谷を越えて自然の中に溶け込んでいく。
見事な笛の手だった。初めて聞く弦四郎も和葉も心が揺さぶられ続ける。
そして、和葉は知った。自分が惚れた人がこんなに素晴らしい人であった喜びは
一夜限りという些細な事を消し去り、産まれ出る我が子に父の素晴らしさを
どう伝えようかいまからワクワクするのだ。
「さあさ、今から婚礼どす。男はんは邪魔どすから
隣りの部屋でまっていてくだされ」
とお園が男達を追い立てる。仕方なく立ち上がる男6人。
「お酒をつけますよって、おとなしゅうまっているんどすえ。覗いたら駄目どす」
お園の指示でお膳が片付けられ、新しいお膳が運ばれてくる。
「小沙希ちゃん、どうするえ。その格好で婚礼するんどすか?」
菊野がおろおろしながら聞く。
小沙希のために何とかしてあげたいが、なにしろ急なことで
置屋を飛び出してきただけに何の用意もしていない。
「大丈夫どす、うち隣りのお部屋で着替えてきます」
といってスタスタ襖をあけ、そしてしめる。
「幾松ちゃん、着替えるたって何もないんどすえ」
「お母ちゃん!心配無用どす」
という先から隣りの部屋からりっぱな公達姿の小沙希が出てくる。
「まあ・・・」
と言ったっきり口をあけたまま動かない。
「お母ちゃん・・・お母ちゃん・・・」
幾松に身体を揺すられて我にかえる菊野。
「い・・・幾松ちゃん・・・あれ・・・あれ」
と小沙希を指差す菊野。小沙希の舞台を見ていなかったから仕方がない。
小沙希は座ったまま動かない・・・いや動けない和葉のそばにより
「和葉さん」
と手を出す。下ばかり向いていたので気づかなかった小沙希の着替えた
公達姿は和葉の心が波立つほど、それはそれは立派だった。
「幾松さん姉さん!」
と和葉の手を握った小沙希が幾松を呼ぶ。
「小沙希ちゃん!どこへ?」
心配そうに呼ぶ菊野に
「なんだったら、皆さんも来ます?」
という小沙希のあとをゾロゾロとついていく。
隣りの部屋には見知らぬ3人の姿が・・・といってもどこかで見覚えがあるような。
髪をおろした女が顔をあげ
「主殿・・・でどちらが?」
「お前達も見ていただろうに・・・それほど私の口から聞きたいか?」
「はい、聞きとうございます」
「では、わたしの妻の和葉じゃ」
というと頬を赤らめる。
「おうおう、主殿の顔が赤くなられた」
と3人で喜びあう。
「玉藻、葛葉、紅葉!もうからかうな!それより早く」
というとこの式神達、いそいそと和葉に着替えをさせていくのだ。
「幾松さん姉さん、おすべらかしって出来るんどすか?」
「うち、一度やったことあるえ・・・でも」
と3人の式神達に視線をよせる。
「平安時代にはそういう髪型はなかったので」
なるほどと・・・部屋を出ると集まっていた仲居に髪結いの道具を取りにやらせた。
「和葉さん。うちにはこんなことしか出来ん。
妻となるあなたにもっと思い出となるものをやってあげたいが」
というと首を振る和葉。
「いえ、私にはもうこれで充分です。これからのあなたとの時間を思うともう胸がいっぱいで・・・」
という和葉の言葉にみんな胸を波立ててしまう。
小沙希は袖を通し終えた和葉の手をギュっと握る、それだけでもう何もいえない。
十二単で幾松の仕上げたおすべらかしの髪型、そして千代松がやったお化粧、
日頃化粧ッ気がなかったのでどうなるかと心配だったがそれは見事な女っぷりだ。
和葉と小沙希舞台・・・いやひな壇の上に座る。
「ひゃあ~本物のお雛様やわあ」
どんな美辞麗句より花世の言葉がピッタリだった。
仲居に案内される男達、一瞬に立ち止まってしまいその背中にぶつかる始末。
もう言葉がなかった。その中でも父である結城弦四郎はもう舞い上がってしまった。
なにをいわれても
「ふ~」
とため息ばかり、もうみんなあきれて放っておく事にした。
そのうち手酌で酒を飲み出し、そして泣きじゃくる。
和葉からみてだらしない父親だが、
横の小沙希がぽつんと言った言葉が胸に残る。
「ああ~、いい父だ」
こうして婚礼の儀式は終わった。三々五々に帰る客達、
すっかり酔いつぶれた弦四郎は源太郎の背に乗っていた。
送りに出た夫婦にもういい・・いい・・と手を振り帰って行く。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「みなさんのご存知のことが多かったので少しはしょりました。
律姉・・・・どうどした?うちらの結婚式・・・・」
「素敵・・・素敵だったわ・・・」
「小沙希ちゃんの殿御ぶり・・・いいわあ」
舞妓や芸妓達から声があがる。
やはり女にとって婚礼というのは特別なおもいがあるのか、うっとりとしていた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
和葉と小沙希は結城道場の門をくぐった。
小沙希は早瀬沙希太郎として、和葉はその妻として。
先触れを出しておいたので父の弦四郎と門人達が迎えにでていた。
彼等が目を見張ったのは、一夜にして鬼娘から女に変貌した和葉の姿だ。
硬質だったその身体と態度がすっかり柔らか味を帯び女になっていた。
「父上、ただいま戻りました」
と挨拶する沙希太郎。
「で、首尾は?」
「はい、おかげさまで」
「それは重畳・・・」
それで婚姻の夜の報告が終わった。
「父上、沖田様は?」
「先ほどから道場でお待ちだ」
「では、さっそく」
と玄関を入る。
「父上、食事は?」
「もう終わった」
「そうですか、では私があとをかたずけます」
「和葉、お前道場へは?」
「わたしはもう剣を持つつもりはありません」
「えっ?」
「これより、女として母となる修行をいたします」
「おおう、そうか」
剣を止めると聞いて少し寂しそうだったが、母の修行と聞くと
孫のことを思い、喜びが込み上げてくる。
道場から
「先生!」
と呼びにこられ慌てて道場へ向かう父の姿を見送り、台所へ向かう和葉。
ばあやにこれから教えを乞おうというのだ。
沙希太郎が道場に足を踏み入れたとき、あっと危うく声を出すところだった。
片方には坂本竜馬、桂小五郎、相良新太郎が座っており、
その対面には今日始めて見るが本でよく知る新撰組の近藤勇、土方歳三、沖田総司が
座っている。なんだか一触即発という雰囲気だ。
そして苦笑いを浮かべながら師範代席に座るのは篠原源太郎・・・
どうせ源太郎が仕組んだものだろう。
仕組んだはいいが、仕組みそこねてこんな状態になってしまい、
困り果てているというのが真相か。少し苛めてやりたくなる沙希太郎。
何も知らぬ門人達こそいい迷惑だ。緊張のあまり顔色がみんな悪い。
沙希太郎は源太郎には目を合わせず、素知らぬ顔で挨拶をした。
「坂本竜馬様、桂小五郎様、昨夜は私の婚礼にわざわざきていただき本当にありがとうございました。
竜馬様には夕べのお約束の品、あとでお見せいたします」
といって反対側に向き直り
「新撰組の近藤勇様、土方歳三様、沖田総司様とお見受けします。
お初にお目にかかります。早瀬沙希太郎と申す未熟ものです。
先日は沖田様には私の悪戯でご迷惑をおかけしました。改めてお詫びを申しあげます」
と挨拶する。新撰組の席から沖田総司が沙希太郎に気軽に声をかける。
「沙希太郎さんとおっしゃいましたね。実をいうと私はあなたを2度ほど見かけているのですよ」
「えっ?」
「一度目はやくざものの店先で10数人の男達を叩き伏せたとき。
そして二度目は昨日、玉屋の女将を襲った浪人達を鞭でこれまた全員を叩き伏せられた。
私が見た二度とも沙希太郎さん。あなたは舞妓姿だった」
驚いたのは門弟達と近藤と土方だ。目を見張る中
「立ち会っていただけますね」
「はい、よろしいでしょう。でも沖田さん。少しだけお待ちいただけますか?」
「待てと言われるのは?」
「はい、私は昨夜この道場の娘である和葉殿と婚礼をあげました。
ですから私はまだこの道場に役立つことを一つもしていません。
今から門弟の方々に稽古をつけるつもりです。
それが終わるまで待ってくれませんか」
「門人の方々に稽古を?・・・いいでしょう。
私もあなたがどんな稽古をつけられるか、私も興味がある」
そう言って沖田は座りなおした。
師の席に座る義理の父に
「父上、よろしいでしょうか」
「うむ」
と頷く弦四郎。
懐から出した白い鉢巻をきりりと絞めた沙希太郎、
竹刀を持つと
「谷川さん、来なさい」
「はっ」
どうして自分の名前を知っているのかわからないが全力でぶつかっていく。
でも確かに竹刀をあわせたはずなのに音がしない。
息があがっていく。苦しさのあまり突っかかっていったが、
まるで風に巻かれたように竹刀が天井に当たって落ちた。
自分は少しは強くなったはずだ。だが全然刃が立たなかった。
呆然と座り込む谷川弥一に
「谷川さん、あなたは腕の力に比べ腹筋の力が凄く弱い。だから腰が定まらない。
切っ先がゆれるのもそのせいです。谷川さんは今日から腹筋を毎日100回、
数を軽々こなせるようになったら、200・・・300と目標値を
あげていってください。最終は1000回です。
1000回を毎日出来るようになったらあなたは強くなる。
・・・・・はい、次!横田さん」
とこうして門弟達に稽古をつけていく。
そして次々と門弟達の弱いところを指摘し、強化するよう教えていくのだ。
こんな剣術の師範は今まで皆無だった。
「おい!あいつ化け物だ」
そういうのは土方歳三だ。
「はい、わたしは見ていて背筋が寒くなっています。
いくら実力差があるからといっても、これだけの激しい稽古をしているのに
汗一つかいていない。それに一度も沙希太郎殿の竹刀から鍔鳴りがしないのです」
一方、相良新太郎が
「坂本さん、桂さん。わたしは幼いころから剣術は苦手で修行などしませんでした。
だから聞くのですが、剣術の稽古ってこんなに静かでこんなに美しいのですか?
なんだか舞を見ているようです」
「そんなことはない、剣の修行は無骨なものだ。わたしもこんな稽古と教え方を初めてみる」
と桂小五郎がいう。
「桂さん、千葉周作先生が音無しの剣法を破ったとき、その気合で道場の床を踏み抜いたと聞く。
だが、沙希太郎の剣を鳴らそうとしてもいくら千葉先生でも無理だ。
まるで柳に風で受け流されてしまう。
豪の剣では破れない。わしが剣客ならば出会えた喜びに身の内が震えたであろうな」
「坂本さん!今からでも遅くはない・・・どうだ?」
「いや、もう遅い。わしのなまくらな腕ではあの門弟達と同じめにあうだけだ。
あいつ、古くから伝え聞く剣豪の中で一番つよいのではないか」
もう一人心躍る人物が・・・。
「おい、弦四郎さんよ。そんなにニヤニヤして喜ぶな!」
横から源太郎が叱る。弦四郎は横目でジロリと源太郎を睨むが しかしその口は今にも綻びそうだ。
「しかし、えらいやつを娘と夫婦にさせたもんだなあ。
こんなやつ二度と出るめえ。弦四郎!おめえの娘の和葉さんはてえした眼力だぜ。
おめえより1枚も2枚も上を行くぜ」
「なに、偶然だ」
というが実際は心の中が(でかした!)と喜びで小躍りするほどはずんでいる。
「しかし、今日で帰ってしまうんだなあ」
「ふむ、残念だが仕方があるまい」
「弦四郎!おめえ、あいつの血を引く孫に期待しているな」
「そうだ。あの安倍晴明様が言われたことに違いはあるまい」
「うらやましい奴だ・・・・弦四郎!そんな顔をするな!」
もうあきれて、憮然とする源太郎だ。
「以上です。わたしの言ったことを忘れず必ず身体の強化をしてください」
「はい!・・・ご教授!ありがとうございました」
という門弟の挨拶に頭を下げた沙希太郎。
だが門弟達、誰も立とうとはしない。
このあとに控える新撰組の天才剣士といわれる沖田総司との立会いがあるのだ。
みんなもうワクワクしている。
「お待たせしました。沖田さん」
「少し休む・・・・・必要はなさそうですね」
「はい」
とにっこり笑う沙希太郎。
「では、竹刀で・・・」
「いえ、沖田さん。お願いがあります。あなたは腰の名刀”菊一文字”で
私と立ち会っていただけませんか?」
「真剣で・・・ですか?」
沖田はまじまじと沙希太郎の顔を見てから、そして近藤と土方の方に振り返る。
近藤と土方はむすっとして答えない。
沖田が聞く。
「お互い真剣勝負ということですか?」
「いいえ、私はこれを使います」
と立ち上がって持ってきたのが、先の細い鞭だった。
「あなたはわたしを侮っているのですか?」
沖田は沙希太郎を睨み付けたが、沙希太郎は動じない。
どうやら考えを改めるつもりはないらしい。
「こうなればわたしはあなたを切る!」
そう言って刀掛けから刀をとって腰にさした。
そして菊一文字をスラリと抜く。
「あなたの新妻を嘆き悲しませても知りませんよ」
といって口を歪めて笑った。
剣を取ったら人が変わる。こうなれば近藤や土方といえど、もう沖田を止めることは出来ない。
源太郎も弦四郎もどうして沙希太郎が沖田に真剣の立会いを望んだのか
わけがわからなかった。だがもう止められるものではない。
二人の緊迫した気が道場を包んだ。みんな蒼白になって見つめている。
先に沙希太郎が動いた。沖田の胸を狙って突いて出たのだ。
しかし、沖田は待っていた。その鞭を狙って切り下げた。
だが鞭は弓のようにしなり、沖田の顔面にすれすれを通る。
「あっ」
と声を発して後ろに跳びのいた。そんな激しいやりとりが続くが、
沖田には沙希太郎の動きが全く読めてはいなかった
動きどころかあの鞭がくせものだ。まるで生き物のように動くので予想がつかない。
懐に跳びこもうとするのだが身動きが取れなくなった。
隙だらけのように見えて隙が全くなかった。
たかが鞭と思っていたが、こうなれば刀にはない恐ろしさがある。
立ち会う前にわかっていたが、立ち会ってみるとそれ以上の実力。
『かなわない』と思ったら最後、相手が大きく見えて手足が動かなくなる。
自分は勤皇の志士に恐れられる新撰組の沖田総司である。
このままでは終わらせられない。かなわぬまでも一太刀をあびせてやらねば・・・
と気力が湧きあがってくる。
でもこの勝負、時間が長くなればなるほど沖田に不利になる。
重い刀を持つ沖田と軽い鞭の沙希太郎。
ましてや夕べも喀血したばかりの沖田。しだいに身体が重くなってきた。
顔色も紙のような白さだ。
そのとき『来る!』と感じたのは剣士としての長年の経験からであろう。
目の前の沙希太郎が二重に振れてみえ、そしてフッと消えたのである。
「沖田!上だ!」
近藤が声をあげた。
ハッと見上げると天井に足をついて屈みこむ沙希太郎、その反動で速度を早めて
襲ってくるのか?・・・だが沙希太郎は身体を捻った。
そして又見えなくなった。と思ったら沖田の身体に鋭い痛みが何箇所も感じられる。
沙希太郎の姿は全く見えない。だが風を切る音がする。
沖田は痛みを堪えながら刀を振る。だが何の手ごたえもない。
痛みは後から後から襲ってくる。もう刀を振り上げも出来なければ立ってもいられなくなった。
刀を杖代わりに崩れるように座り込む沖田。だが一瞬、沖田の天才が目覚めた。
どこにそんな体力が残っていたのか。1mほど飛び上がり、まず切り下ろして
斜めに切り上げてから、水平に払った。
その3つの動作を飛び上がった瞬間に一瞬のうちにおこなった沖田総司、
やはり剣の天才だった。
床に降り立つと満足げに笑い、そしてドッと倒れこんだ。
「沖田!沖田・・・しっかりしろ!」
近藤と土方が沖田にかけより抱き起こした。
すると上のほうから『ポツリ・・ポツリ・・・』
と血のしたたりが・・・・、見上げるとフワリと飛び降りてくる沙希太郎。
一体何処にいたのだろうか、先ほどは姿が見えなかったのだが。
その沙希太郎の姿、左の肩口が切り裂かれ、ブランと垂れた左手の甲から血が滴り落ちていた。
その沙希太郎に走り寄って来たのが新妻の和葉だ。
心配で物陰から見ていたのだろう。
持っていた白い布で沙希太郎の傷口をしっかり押えた。
「和姉、心配いらないわ。傷はすぐに治るから」
と押えていた布を外してみると、なるほど出血は既に止まっており
その長い刀傷もあれよあれよと言う間に消えていった。
これには医者としての立場から沙希太郎の傷を治療しようとそばに寄ってきた
相良新太郎、和葉に先を越されてしまったが傷が消えていく様をつぶさに見て
医者としてありえないことに肝を潰してしまった。
「これはあの『翔龍丸』と『緋龍丸』にいた金龍・銀龍の仕業なのですよ」
なるほど『生涯の鎧』とはこういうことだったのかと感じ入った
坂本竜馬、桂小五郎そして篠原源太郎。
だがそんなこと知らない他の者達は唖然とするのだ。
「和姉、冷たいお水を持ってきてくれる?」
といいながら沖田の横に座る。沖田はまだ気がつかない。
「近藤様、土方様・・沖田様のこの消耗のぐあいを良く見ていてくださいね」
自分でやっておきながら何をいいやがる。とムっとする近藤勇と土方歳三。
沙希太郎は沖田に向かって手をかざす。
すると何やら空気が変わった。蒸し暑かった道場の中に爽やかな風が流れてきた。
沖田の様子も苦しそうだったのが次第に落ち着き、顔色も蒼白だったのが
赤味をおびてきたのである。
もう大丈夫だった。医者として何の役にも立たなかったが、
沙希太郎がいる以上それも仕方がないと自覚していた。
沙希太郎の医学の知識は自分など及ばない別次元のものだったからである。
沖田の目が開いた。じっとてをかざす沙希太郎をみて微笑む沖田。
「早瀬さん」
と少し声がかれていたが和葉が持ってきた水を飲んで落ち着いたのか
「あなたがわたしにやっていただいた事、感じていましたよ。
あなたは自分の命を削ってまでわたしに光を与えてくれたのですね」
「沖田さん。あなたは自分の命を粗末に扱い過ぎます」
と怒ったような口調で話す沙希太郎。
「だが私には心配してくれるような人は・・・」
と言いかけた時、すっと沙希太郎が指し示す方を見ると
武者窓から覗く大勢の女達、その中で心配そうに沖田を見つめる1人の女性・・・。
「あっ!」
「いるでしょう、沖田さんを心配している人が・・・和姉、あの方々を道場にいれてあげてください」
和葉はにっこり笑うとすぐ道場を出て行った。
「沙希太郎さん」
と今度は心安げに名前を呼ぶ沖田。
「あなたはわざと私を怒らせたでしょう」
えっ?という顔の近藤と土方そして弦四郎。
「ああ言わなければ沖田さんは治療をさせてくれなかったでしょう」
「治療?」
「ええ、今のは立会いでもなんでもなかったのですよ。
私はあなたの体の治療をしていたのです」
「それどういうことですか?」
「はい!」
といってから外から入ってきた女達が周りを取り囲んで座るのを待ってから、
「近藤様と土方様にお聞きします」
『ん?』という顔のご両所、
「なんでしょうか?」
と土方が聞く。どうも近藤の口が重たいのは諸説あったが本当らしい。
「昨夜、沖田さんが大量に喀血したのはご存知だったのでしょうか?」
『あっ』という声をあげたのは1人や2人ではない沖田自身も思わず声をあげた。
「どうして・・・・どうして知っているのですか」
沖田自身で上げた声で本当のことだとわかった。
近藤と土方の顔からさーっと血の気がひいた。
とくに近藤は沖田の幼い頃から知っているし自分の弟のようにおもっていた。
いや、もう肉親と同じなのだ。
ワナワナと唇が震えだす。
「お・・沖田!・・・・本当なのか?」
「いやだなあ・・そんな顔しないでください。・・・・でも安心しました。
今の近藤さんも土方さんも江戸の田舎にいたときと同じだ。
最近のお二人にはそばに寄るのも嫌だったんです。血の臭いしかしない。
だから1人で死のうと思いました。人を切りまくってその上で
切られて死のうが本望だと思っていました。
でも今は土の匂いがします。みんなで走り回ったあの頃の・・・懐かしいなあ・・・・」
何だか沖田の目が光っているようだ。
ふと気がついた沖田が
「沙希太郎さん、あなたは今のが立会いではない、治療だといいましたね。
訳を聞かせてください」
「はい」
といってから沙希太郎は道場の中を見渡した。門弟達の座る後ろにひっそりと
座る女達、菊野屋の女将と芸妓と舞妓達、仲良くなった真田屋の芸妓や舞妓達、
そして玉屋の女将のお園までもが顔を見せている。
みんな場所をおもんばかって地味な町娘の装いだ。
・・・そして、もう1人・・
「鈴音ちゃん!こっちへいらっしゃい」
「ハイ」
と小さな声で返事をし、うつむきながら近寄ってくる。
恋しい人のために必死なのだ。
沖田は沖田で黙って鈴音の顔をじっと見ていた。
「もう、いいでしょう。身体をおこしてください」
近藤と土方の横からさっと沖田の身体に手をかけておこすのは鈴音だ。
近藤と土方は仕方なく見ているが苦笑いしている。
本心はといえば、飛び上がるほど嬉しいのだ。
女に関して朴念仁だと思っていた沖田。女を知らずに若い命を散らすのかと
いてもたってもいられなかっただけに、もうとんでもなく嬉しいのだ。
「鈴音ちゃん、沖田さんの上をはだけて見せて」
鈴音の手が一瞬とまったが、沖田の上を脱がす。
「あっ」
という声、肌に多くの赤い点が・・・・
だが近藤と土方の目にうつるのは江戸では細いながらも隆々とした身体をしていた沖田が・・・
なんだこの痩せ衰えた身体は・・・・思わず唇を噛み締めた。嗚咽が洩れそうになったからだ。
こんな身体では・・・・もう沖田を修羅の道に連れてはいけない。
「沙希太郎さん!これは何ですか?」
「これは経絡を突いたものです」
「経絡?・・・・やはりあなたでしたか。あの鞍馬天狗は」
「あっ」
と声をあげた門弟達、今や京の町では鬼面組を倒したと評判の鞍馬天狗が若先生だなんて・・・・・。
「ごめんなさい。わたしの悪戯で京を混乱させて」
「もういいんだよ、沙希太郎。もう終わった事だ」
と源太郎も言い添える。
「沖田さん、あの時は悪い奴を退治する経絡を突きましたが、
今日はあなたの身体を救う経絡を突きました。
鈴音ちゃんに聞けば沖田さんは極端な医者嫌いというじゃないですか。
だからわたしは策を練って立会いに見せかけてこうして治療したんですよ。
さもないと、あなたは今夜二度目の大発作で命運が尽きたところです」
「えっ?」
と声をあげたのは近藤。
「それじゃあ、沖田は今夜・・・・・・」
「はい、そうです。近藤さんと土方さんは明日の朝、
なかなか起きてこない沖田さんを起こしに部屋にいって
血反吐を吐いて冷たくなっている沖田さんを発見していたでしょうね」
「むむ・・・・」
と声が出なくなる。
「近藤さん、土方さん。沖田さんをあなた達のそばから離して
療養させてあげてください。はっきりいえば私の治療だって沖田さんの命を少し延ばしただけです。
悪くなることはあっても絶対に良くはならない。
あとは鈴音ちゃんの愛情ある看護でどれだけ生きるかというところです。
それに、もう剣は握れないでしょう。勿論、激しい動きはできません」
近藤は土方と顔を見合わせていたが、近藤が鈴音にむかって
「鈴音とやら、沖田のことよろしく頼む。こいつには青年らしい青春がなかった。
ぜひ、それを味あわせてやってほしい」
と頭をさげる。土方も頭を下げた。
「近藤さん!土方さん!」
沖田が悲鳴をあげる。近藤の袴にくらいつくように捕まえる沖田。
「沖田!もういいんだ・・・もういいんだよ・・・」
ぽんぽんと子供をあやすように軽く叩き続ける近藤。
「沖田!」
と土方が話し出した。
「坂本と桂がここにいて話すことではないかも知れん。でも俺達の正直な気持ちを話す。
・・・・徳川の世はもう終わりだ。終わりなんだよ、沖田。
それでいて何故だ!坂本の目がそういっているが、なぜだか俺にもわからん。
意地・・・・そう、意地だけで俺達は生きてきたんだ。意地だけで新撰組をつくり
意地だけで多くの勤皇の志士を切ってきた。だが俺がそれが悪いとは思わんのだ
だが世の中はかわりつつある。ここにいる坂本達がなにをやっているのか
知らん。知りたくもない。ただ俺達はこれからも切り続けるだけだ」
そう言葉を結んだ。
「沖田!おまえはもういい。おまえは新撰組の一番隊隊長として充分な働きをしてきたんだ。
これからは身体を休めて病気を治せ。
そんな身体では剣も持てないし、俺たちの足を引っ張る」
「近藤さん、土方さん、身体を治したらもう一度新撰組に帰ってもよろしいですね」
「ああ、必ず帰って来い。みんなで待っているからな」
そう元気づけるが沖田のやせ細った身体でどこをどう治せというのだ。
俺たちもむごいことをいう。もう助からぬ・・・そう覚悟した。
「早瀬殿、沖田をよろしく頼む」
そう近藤が頭を下げる。
「はい・・・・といってもわたしの出来るのはここまでです。
鈴音ちゃん、沖田さんの身体に私のつけた赤い印のところを
毎日指圧をしてあげるのですよ。そこは人の身体にあるツボといって、
そこを押すことにより少しは病気を抑えることが出来ます。
相良先生、鈴音ちゃんと沖田さんのことよろしく頼みます」
「沙希太郎さん!・・・あなたは?」
沙希太郎は沖田ににっこり笑いかけ
「もうわたしに残された時間はあとわずか少し、時が私のいるべきところへ帰れ!
そういってます」
と言うと
「沙希!これに着替えを」
と風呂敷包みをもってきた和葉。幾松達も周りを囲む。
もうこうなっては男の出番はない。門弟達と近藤や土方、坂本や桂でさえ
道場の隅に追いやられた格好だ。
風呂敷をあけるとこの時代に着てきた沙希のセーラー服が入っていた。
「沙希、どうする?向こうで着替える?」
「和姉、大丈夫よ」
と口の中で呪を唱えると、いきなり着物が入れ替わった。
セーラー服に身を包んだ沙希、結った髪が解け黒髪は背中に落ちる。
沙希のことを知らない近藤達と門弟達はその不思議な術に唖然としている。
風呂敷の中に残っていた陣八を取り上げた和葉、沙希の額に『パチッ』と止める。
手甲は玉屋のお園が沙希の左手に止める。
用意が出来た沙希に抱きつく和葉。
「沙希!頑張って・・・・怨霊になんか負けちゃ駄目よ。私はここからしか応援できない。
でも、子供のことは安心して!必ずあなたが生きている時代に・・・
あなたのそばであなたのお手伝いができる子供を・・・いえ、孫、ひ孫と
代々あなたのことを・・・あなたがどんな人だったか言い聞かせていくわ」
「頑張って!和姉。あなたならできる。私、指輪を持って私を訪ねてくる
あなたの子孫を楽しみにまっているわ」
「小沙希ちゃん、負けたらあかんえ。うちあんたに聞かされて
藤原元方のこと調べました。悪い奴なんどすなあ、怨霊になっても
人を呪い殺したり、地震をおこしたり・・・
小沙希ちゃん!そんな奴こてんぱにやっつけてやりなはれ。うちがついとるさかい」
と妙な励ましをする菊野。
菊野屋と真田屋の芸妓や舞妓に口々は励まされた。別れを口にする者はいない。
幾松と千代松からはそれぞれ大事にしていた簪と清水さんのお守りをもらった。
朝早くから二人して清水さんへお参りに行ってきたという。
「小沙希ちゃんの時代にも清水はんはあるゆうたかて、時代時代によって
その住職はんによってお守りの効き目に差があるって千代松がいうんどす」
「そやかて料理屋でも花板が変わったら味が違うのと同じどす」
千代松が強行に言う。
どうやらそれで喧嘩になったようだ。
「幾松姉ちゃん、千代松姉ちゃん。うちが原因の喧嘩ならすぐに止めて!
いつも仲のいいお姉ちゃん達の姿をこの目に焼き付けておきたいの」
そういわれてそっぽを向いていた二人、手を取り合って小沙希に微笑む、
でもどうしても泣き笑いの顔になってしまう。
沙希は道場の中央で正面に座る父の結城弦四郎に向かって座る。
和葉もその横に並んだ。
「父上・・・さらばとは申しません。行って来ます」
といってあたまを下げる。
弦四郎にとっても娘の和葉にとっても
その言葉はもう言い表すことが出来ないほど嬉しいが、やりきれないほど哀しい。
行って来るといっても二度とは帰って来れない身の上だ。
和葉は気丈にも耐えている。それを思うと言い返す言葉が何も浮かんでこない。
ただ
「うむ」
と言葉にならない声が口についただけだった。
沙希にはなにもかもがわかっていた。
だからわざと座ったまま身体を回転させて坂本竜馬のほうを向いた。
「坂本竜馬様、夕べあなたに見せるとお約束した品をここでお見せします」
「おお~」
という声をあげて門弟わかきわけて来て、沙希の目の前に座る。
沙希が手を前に差し出すと、急にその手の平から黄金色の光が出てきて
手の平より1尺ほど上にフワリと宙に両刃の大刀と綱があらわれた。
門弟達も『ガバッ』と立ち上がる。近藤も土方も、この道場にいた全員が立ち上がってしまった。
いや沖田は横になって少しずつ沙希のことを鈴音と相良から聞いていたが
さすがに二人によって体を起こして茫然と見ていた。
「これが不動明王様より下しおかれた利剣と羂索です」
竜馬は黄金に光るその大刀を握ろうとしたが竜馬に触ることさえ出来ない。
「早瀬殿・・・これは?」
「はい」
とにっこりと笑うと利剣を手にとる。
そして、開け放たれた中庭にある大きな岩に向かって、こんな離れた場所から
「とおぅ!」
と突きを入れる。するとどうだろう。
あんな大きな岩が『グラグラ』と揺れて、突きが入ったと思われる真中から
すーっと上下真っ直ぐな線が入り二分されたのだ。
「す・・・凄い!」
「いや・・・・驚異だ!」
門弟達が交わす言葉。
竜馬も桂も・・・いや、近藤や土方でさえも呆然と突っ立っているだけだ。
「早瀬さん!」
と身体を起こした沖田が沙希に向かって言った。
「あなたを見ていると・・・・」
「はあ?」
と聞きなおす沙希。
「あなたを見ていると、まるで神を見ているようだ」
「いえ、沖田さん。私には自分でも信じられないような力がありますが、
私は人でありたい。常にそうであるよう思いつづけています」
といってから
「父上!・・・せんないことをしました。形の良い岩であったのに・・・」
「いや、これはこれで形が良い。なにせ婿殿が形として残してくれたものだからな。
今に評判になろうて」
と笑っている。
沙希は和葉の手をとり見つめた。和葉も見ている。
今生の別れなのだ。もうこの身体に触れ合うことはない。
すると、まだそんなはずはないのに
『トクトク』と小さな鼓動が2つ沙希に聞こえてきた。
不思議そうに自分のお腹を見つめる沙希に
「沙希!どうしたの?」
はっと顔を上げた沙希のその顔には輝くような笑顔あった。
「和姉!聞こえたわ!・・・そんなはずはないのに聞こえるの。
微かだけど小さな鼓動が2つよ」
和葉は跳び上がった。その嬉しさにこぼれんばかりの笑顔を見せて・・・
周囲にいる者も喜びあっている。
「和姉、だめだよ。そんなに激しく動いちゃあ」
「沙希!何言ってるのよ、今からそんな・・・」
と笑われてしまう。
「良かった。これで笑顔で行ってこれるわ。和姉」
「そうね。私も元気な赤ちゃんをうむわ。
そうだわ。赤ちゃんにはあなたの字を一つづつつけるわ。うん、そう決めた
孫もその下の曾孫も・・・」
といって笑う。
「じゃあ、わたしも子供達に何かを残してあげなくちゃ・・・そうだわ。
そんなことないと思うけど、この家に結界を張っていくわ」
「結界!?」
「ええ」
といってから
「『臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前』」
と九字を切り、
「北の玄武、東の青龍、南の朱雀、西の白虎、これ四神相応の陣という」
そして、高々と宙に五芒星を描きその手で地を刺し貫いた。
「ええ~い」
すると一瞬空間が歪み、それが広がった。
そして、清廉な気がこの屋敷を包み込んだ。見えないものでも感じることは出来た。
この女とも男とも見分けがつかないこの人物・・凄い人だったんだ。と門弟達は囁きあった。
「母様・・」
と沙希が呼ぶのは玉屋の女将お園。
「母様、和姉のこと頼みます」
「小沙希ちゃん。わかっておりますえ。今は血のつながりはないとはいえ、
前世では親子。産まれて来るのはうちの孫同然どす。
きっちりあんたの生きる時代まで血のつながりを続けていきます。
だから小沙希ちゃんも藤原元方なんて怨霊、あんたの力で調伏してしまってね」
「ええ絶対にこの京をわたしのいる時代の京を焼け野原になんて
させません。きっと打ち勝ってみせます」
「沙希太郎さん!話は全て聞いた。あなたは凄い人だ。
それでこの菊一文字をあなたに預ける。ぜひ持っていてほしい」
「菊一文字を?」
「そうです。この刀にわたしは幾多の人達の血を吸わせてきました。
でもわたしがこの刀を持つまでは鬼切りといわれた名刀でした。
その昔から鬼を切って刃こぼれひとつしなかったと聞いています」
「その名刀を私に?」
「そうです。それにわたしはもうその刀が持てない
・・・そんな気がします」
「判りました。では預かります。沖田さん!・・・・
わたしとともに戦いましょう。この刀はあなた自身です。
あなたと共に戦っていきましょう」
そういって刀のさげ緒を伸ばし菊一文字を背にする。
そしてみんなの視線を背に中庭に下りる。用意しておいてくれたスニーカーに
足をいれたのだ。
みんな中庭に玄関から回ってきた。
道場では沖田が鈴音と相良新太郎に支えられて沙希を見ている。
「小沙希ちゃん!あんたの時代へ行くってどこか行くの?」
「はい!ちょうど比叡山のはるか上空に刻の穴があります。
それを通って行ってきます」
というとすーと浮き上がる。
「あっ」
皆声を上げた。ありうべからず光景なのだが一瞬驚いただけで
皆は小沙希なら・・・沙希太郎なら当然とおもうから不思議なのだ。
「では、皆さん。こんなところから失礼しますが、本当にお世話になります。
わたしはこれから戦場に行きますが必ず勝ちます。
どうか皆様見守っていてください」
そうなのだ。小沙希の時代ではみんなすでに亡くなっている。
見守っていてほしい。和姉・・・・母様・・・・皆・・・
下界で小さくなっていく皆・・・京の町・・・に別れをつげた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「凄い・・・凄かった・・・・沙希さんと沖田様の立会い・・・
沙希さんは立会いとは違うとおっしゃられているけれど、
やはり見ているものにとっては立会いとしか見えなかったわ」
希佐はそう声をあげた。
「希佐殿!その通りですよ。沙希殿は治療といわれているが
わたしにとっては立派な立会いだった。・・・そして完敗だった」
沖田がぽツリと吐く。
「沖田様!・・・天井に立ち止まったり、壁に立って反動つけたりの
戦い方って沙希さんにしか出来ないとおもうのですが」
「希佐殿、その通りです。これは当事者であった私には初めて目にするもの。
沙希殿にこんな戦いをされれば勝てぬのは当たり前、なんかぞっとします」
「沖田!そばで見ていたわしにもこんなの全く判らなかった。
というより動きその物が見えていなかった。
だから沖田が倒れる前に見せた二振りの剣、凄いと思った」
「いやあ、坂本さん。あれはわたしが子供の頃より培かってきた 剣の最後のあがき・・・ですよ。
それにしても沙希殿。凄い人だ」
・・・・こうして映画は終わった。
★★
「さて、ここに天界より6名のお方の立会いのもとにある発表をします。
うちに関係ある話どすが、早瀬一族としても関係があるんどす」
といって貞子に目配せする。貞子はそれをうけて、すぐそばにいた志保に声をかけた。
希美子も希佐も緊張している。
何事かと言う顔をするのがほとんどであったが、奈緒がはっと顔色を変えた。
「皆様もよくご存知のようにうち幕末の京で一夜限りとはいえ
うち結城和葉と夫婦になりました。その結果がここにいる結城希美子と希佐の子孫どす。
そして・・・来年になるんどすが・・・・ママ・・・真理ママ・・・」
と呼ばれて驚いて立ち上がる真理。
「そして理沙姉・・・・操叔母様・・・そして律姉・・・」
立ち上がった三人、もうおろおろしている。
名前を呼ばれた者には高弟達が一人一人横についた。
「それから・・・薫姉さん」
羨ましそうに見ていた薫、でもいざ自分の名前を呼ばれてみると
もうどうしていいかわからない。薫ぐらい場慣れした人でも混乱に陥ってしまっているのだ。
「あら、そんな笑い方ってないと思うわ、澪姉さん」
「だって・・・」
「だって?・・・そんな面白い?だったら皆に笑ってもらいましょうか。
さあ・・・立って・・・・」
「えっ?」
うろたえる澪。沙希の言うことが判ったらしいが
さすが医者といいたいがもう立たれないほど震えが来ている。明子があわてて澪をささえた。
「皆さん、自由に座ってもよろしおすえ」
といっても体が自由に動かないというのが実情だ。だから、なかなか座れない。
「次はまゆみ姉さん・・・」
「えっ・・・」
という声をあげたきりもう、立たれもしない。
高弟の一人がもうまゆみ社長のもとで介抱を始めた。
「そして順姉・・・・」
といったときにはもうすでに高弟の一人がそばに控えていた。
「そして、最後に奈緒姉・・・・」
その声を聞いたとたん奈緒はわかってはいたがあまりの喜びに軽い失神状態におちいってしまった。
奈緒を介抱するのは希美子だ。高弟を制して奈緒を抱きかかえる希美子。
希佐はこの騒ぎの中で高弟や舞妓達と冷たいおしぼりと飲み物を用意しに動いた。
騒ぎが収まったのはそれから30分もした時だ。
だがそれはうわべだけであった。居間の様相も一変している。
それぞれに固まって集まっていた看護師、婦警達がばらばらになり
9名の妊娠が判った早瀬の女と高弟を中心に自然と輪が出来ていた。
侍達のお酌をしていた芸妓達は自分達はそのまま侍から離れず、
そのかわり各々の置屋の舞妓達を動かして情報を集めさせていた。
「小沙希ちゃん・・・良かった・・・本当に良かったなあ。
うち小沙希ちゃんの血をひくのは希美子はんと希佐ちゃんで十分って思うていたんえ。
それが・・・こんなにぎょうさんの子が来年には生まれるんどすなあ」
「へえ、お婆ちゃま。使命とはいえ、
なんや・・・うち女たらしになったみたいどす」
とさすが恥ずかしそうにいう沙希。
「そんなんいうのやめなはれ。それが小沙希ちゃんの使命だっしゃろ。
昔の公方様が五十何人かの子供産ませはったんでっしゃろ」
「でも、お婆ちゃま。うちの場合そんな数すぐに追いついてしまいます」
「えっ?・・・では・・・」
「へえ、来年生まれるんは9名じゃなくて18名なんどす。
つまり双子・・・全員、男と女の双子なんどす」
といってから舞台上から女性たちに話す。
「医者でもないうちがどうしてこんなことが判るんかと不思議や思います。
これが先ほどいった通力のおかげなんどす。
でもうち、この通力みたいなもん幕末からかえってくる時に一度経験しているんどす。
和姉のお腹から二つの鼓動が聞こえたことを考えるとそれは通力によるものどした。
でもそのときはうちにはそんな力ありまへんどした不思議どすけど」
と話を終え
「真理ママと8名のお姉ちゃん達、妊娠2ヶ月を超える人とそうでない人がいるんどす。
うちにはそれぞれの身体から2人の鼓動がきこえます。
けんど今が一番大事な時で真理ママが体調を悪くしていること考えると
地下で・・・地下できちっと検査してください。
澪姉が当事者ということを考えると 相良明子先生・・・」
「えっ?・・・・わたし?」
「へえ、この任に当たれるのは明子先生しか考えられまへん。
みんなの検査と後々のフォロー・・・お願い出来ますか?」
「私でよければ・・・」
「ありがとうさんどす。これでうちホッとして東京でお仕事できます」
「沙希ちゃん!私も仕事するよ。絶対に役を降りないんだから」
「薫姉さん・・・薫姉さんはきっとそういう思ってました。
お仕事することうちは何にもいいまへん。
けんど薫姉さんの担当医は東京へ行っても明子先生どす。
先生が1週間に1度検査します、いうたら絶対にここに戻ってきて検査出来ます?」
「ええ、そんなこと・・・でもどうして東京で見てもらったら駄目なの?
「へえ、一卵性双生児で性別が違うことは99%ありえないんどす。
もしそんな妊婦さんが産婦人科にいったら学会で発表されてしまうんどす」
「え?そうなの?」
「うちは騒がれることが嫌で、代々のかかりつけのお医者さまに口止めして取り上げてもらいました」
と希美子。
「そんな妊婦さんが何人も東京のお医者様に例え医者が違っても噂になってしまうのは必定どす。
そうどすえ?明子先生」
「ええ、いわれる通りですわ。一卵性双生児で男女なんてありえないのが 定説ですもの」
「看護師さんには産婦人科にいた方もいられますなあ。どう思います?」
「私いまだ一度もそんな妊婦さんにあったことありません」
「私もそうです。へたな先生に診てもらうとこの早瀬一族のこと一般に知られてしまうと思います」
「判ったわ、沙希ちゃん・・・ということは皆男女の一卵性双生児なのね」
「そうどす、うちと和姉との間に生まれたのは・・・・・父上!」
「うむ・・・男女の双子だった。その一卵性とかいうのは判らないが・・・」
「新次郎様は?・・・ご存知でしたか?」
「いや、わたしの時代まだそんなことは知られていません。それは一体?・・・」
「新次郎様、それは後でわたしが・・・」
という明子医師。
「澪姉ちゃん!・・澪姉ちゃんも同じどすえ」
「だって、わたしは・・・」
「あきまへん、確かに澪姉ちゃんは内科・外科・呼吸器科などほとんどが天才的なお医者さまどす。
けんど産婦人科に関しては素人どすなあ」
「う・・・・」
といって声がでない。
「澪姉ちゃんはお医者様どすから
日本のあちこちに飛び回ることあるやもしれまへん。
けんどそのときは毎日、明子先生に電話して体調を報告することどす」
「毎日報告・・・って」
「駄目どす。普通でも遠出は身体に負担がかかるもんどす。
ましては妊婦・・・しかも今が一番危ない時なんどす。
・・・明子先生?どれぐらいたったら少しの無理が効くんどすか」
「そうねえ。これは個人によって変わるんだけど普通は3ヶ月になったら落ち着いたっていわれるの。
それと心配するって凄く母体に悪影響を及ぼすのよ」
「うっ・・・・・」
といって口を押さえる沙希。
それを見て笑いが漏れるのだ。
してやったりと隣の澪と握手する明子。
どうやら澪に皆に心配を掛けどうしの沙希のこと聞かされたらしい。
「ウッホン・・・」
と咳払いをする沙希。皆の目が沙希に注がれながら、
その笑い声が小波のようにお稽古場に広がって行く。
「わかった・・・・判りました。
この1年決してご心配をかけるような真似をいたしません。
女優業とパソコンソフトの開発のみに全力を注ぎます」
といって舞台に座り込んで、言葉を変えてそう言ってから頭を下げた。
「パチパチパチパチ・・・・」
と拍手がおこり
「小沙希ちゃん、ようお言いなすった。その言葉待っていたえ。
うち、この年やさかい、いつあの世に行っても、ええおもてました。
けんど小沙希ちゃんと出会い、早瀬の女達と出会い、
早瀬の里を知り、あの不思議な温泉にも入らせてもろうたんどす。
そして今日、来年生まれる曾孫達を知り・・・・一番嬉しいのは今の小沙希ちゃんの言葉どす。
来年まで・・無事に・・・何事もなく・・・心配もかけずに・・え。小沙希・・・・」
そう最後にわざと呼び捨てにして座る貞子。
心配して立っていた高弟達もホッとして座った。
「ありがとう・・・・ありがとうお婆ちゃま。
うち・・・ほんに・・・ほんに・・・皆さんに心配かけていたんやねえ。
花世ちゃん・・・ごめんえ。菊野お母ちゃん・・・すんまへん」
といってから
「うち来週のドラマが始まるまで、ここで舞三昧どす。
そしてドラマが始まっても毎週この京に帰ってこなくてはいけないんどす」
「あきあ!そんなこと聞いてないわよ」
「へえ、先ほど連絡あったんどす。人質になっていた女の子達を診たお医者様、
困難な治療になるいうてはるそうどす。
そこでうちにも手伝ってくれいうて厚生省からのお話どす」
「厚生省?・・・厚生省って・・・」
高弟に介抱を受けながらのまゆみ達・・りっぱな仕事人間だ。
「うちもびっくりしたんどす。けんどお話聞いて納得しました。警察庁長官が手を回したんどす」
「えっ!警察庁長官が?・・・」
「警察庁長官?・・・・警察庁長官って?」
そう花江に訊く源太郎。
「そうどすなあ・・・昔のお奉行様ですやろか」
「奉行だったら・・・」
「おほほほ、源太郎様が言われるのはお江戸だけでっしゃろ。
警察庁長官いうお奉行は日本国中のお役人の一番偉いお役人なんどす。
ちなみに日和子叔母様は一番お偉いお方のいわば家老役どすえ」
目を真ん丸くする源太郎。
「大学の精神科の先生とお医者様とで女の子達を完全に治療してほしいって
言われているんどす。可哀想な女の子達を考えるとうち二つ返事でお受けしました」
「そのお仕事と・・・あとはお婆ちゃまが待っておられるうちの舞の撮影どす。
まだうち小野監督には言っていまへん。
明日から小野監督とルーク監督が京都の撮影所で編集作業に入っているんどす。
お話はまゆみ社長と順姉におまかせします」
といって舞台を降りようとしたが、もう一度戻ってきて
「これ、肝心な話どす。もしかしたら一番困難になるかも・・・
紫苑ちゃんのことどすが、これうちだけではどもならんのどす。
警察の力借りてまずは紫苑ちゃんの身元を調べることどす。
うちの力でも紫苑ちゃんの実像が深い霧に奥に隠されて見えまへん。
どうして紫苑ちゃんの記憶が無くなったか・・・これ、事件の匂いがするんどす。
うち、約束したんでこの家から動きまへん。
けんど人を動かして調べてもよろしゅおすやろ、お婆ちゃま」
「そんなこと出来るんどすか?」
「へえ、やってみます。いわば、うち安楽椅子探偵どす」
「安楽椅子探偵?」
「安楽椅子探偵はここを動かへんのどす。
ここにいる皆を動かして情報を得てそれを推理して事件を解決するのがうちの仕事どす」
「でも、沙希ちゃん。これ警察にまかせたら?」
「いいえ、今のところ警察を動かすような物証はおへん。
そんな状態で警察を動かすんは嫌どす。うちの我儘を警察にごり押しをするなんて・・・・」
「そうね」
といって日和子は苦笑いをする。
「けんど、いくらなんでもメインで動く人に素人の人使うことできまへん。
そやから日和子叔母様・・・・・」
「ふふふ・・・わかったわ、沙希ちゃんの考えが」
「へえ、交通課の仲良し三人組を少しの間貸してくれるよう
伯母様から署長さんに声をかけてほしいんどす」
「えっ?・・・私達が」
と飛び上がるように立った西沢恵子と緋鳥礼子と佐藤秀美の3人。
「あなた達、やれる?」
そう日和子がいうと
「はい、まかせてください。私、刑事になるのが夢なんです」
そういう礼子に頷く二人。
「けんどお三人さんに言っときますけんど、独走するんはやめておくれやす
この事件一筋縄ではいきまへん。
一応三人が京都府警の代表として行動するんどすが他の婦警さん達の力も必要なんどすえ」
「判りました」
と他の婦警達も立ち上がる。
「じゃあ、伯母様。頼みます」
といって舞台をおりて紫苑の隣に座った。
そして・・・・・
「あっ、それからこのビデオはうち泣きの涙で一人で見せてもらいます」
といってから看護師達と明子医師に9人の検査を促した。