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第二部 第十一話


目の回る忙しさというのはこういうことをいうのだろうか。

あの事件以来、東京と京都の往復を毎日のように繰り返しているあきあ。

東京へはドラマの収録、京都へはあの事件での後片付けや、

京都府警や厚生省からの依頼により、人質となっていた少女達の心のケアを

医師達や心理学の専門家達と相談しながら重点的におこなっている。


だが多感な少女達のこともあり、遅々と進まないというのが本当だ。

これだけは術で簡単に出来ることではない。

夜中に飛び起きて朝までまんじりともしないで起きていると聞いて胸が痛む。


マスコミ各社はそんなあきあを毎日のように追いかけ回している。

上からの意向もありあきあの邪魔になるようなことはしていないが、

神出鬼没のあきあのことだから毎日がかくれんぼか、はたまた鬼ごっこか

いい年をした記者達が振り回されているのだ・・・でもなんと毎日が張り合いがあることか。


国や警察とマスコミでの協定をつくっことであきあの力のことは

絶対に表にださないようにしている。

そんなことを書かなくてもあきあは話題にことかかない。


話を続ける前に一度、時を巻き戻してあの事件後の一日を覗いてみることにしよう。


「沙希!・・・・沙希!・・・・着いたわよ」

そんな声に目を覚ます沙希、別にこのまま家の中まで運んでも良かったのだが

沙希から家に着いたら起こしてくれるようくれぐれも・・・

と頼まれていたので仕方なく奈緒が起こしたのだ。


「う~ん・・・・」

と伸びをしてから奈緒が降りるのを待ってパトカーを降りる沙希。

とたんに『カシャ・・・カシャ・・・』

とカメラのシャッターのおりる音とともにフラッシュの光で明るくなった。

あきあ番の記者やカメラマン達だ。

事件が終わったことでマスコミで結んでいた協定が解消したので

比叡山での同僚達が連絡したのだろう。


みんなあきあのコメントをとろうと必死なのだ。

あきあは光の渦の中で

「みなさん、ごくろうさんどす」

と腰をかがめる。


「あきあさん!なにか一言コメントを・・・」

「へえ・・・でも、今お山で会見をしてきたばかりやから頭の中は空っぽどす。

それにうち・・・今はほっとしてな~んも考えられないんどす」

「あきあさん!そういわずに・・・そうだ今後の予定でも・・・」

「へえ・・それやったらうち、お婆ちゃまに心配ばかりぎょうさんかけてますから

これからはドラマの収録が始まるまでは舞三昧どす」

といってニッコリ笑って待ち構えている高弟達の中にはいっていく。


遠巻きにもご近所の人たちや観光客が見守る中、

一番最後になったパトカーを駐車場に留め置いた緋鳥礼子婦警と共に玄関に入るママの真理、

腰を屈めてお辞儀をしてからドアをしめる。

その礼儀正しさは今ではすっかり恒例になった風景だ。


「お婆ちゃま!・・ただいま戻りました」

そう廊下で座って挨拶をする小沙希。

「おう・・・おう・・・小沙希ちゃん大変やったなあ・・・さあさ、早うここにお座り・・・」

と自分の真向かいの座布団を示す貞子。

よほど嬉しいのか腰を浮かせてしまっている。


滑るように部屋に入り座布団の上に座る沙希。続いて婦警達が沙希を取り囲む。

貞子の後ろには高弟達、横にはママの真里が・・・

そしてその横には希美子と希佐の親子がもう定位置となって座っている。

いづれももう貞子にはなくてはならない人ばかりだ。


こう書くとこの大広間はまだまだ余裕があるように思えるのだが

それはとんでもないことだった。

実をいうと沙希達が帰ってくるずっと前から女性達で溢れ返っていたのだ。

沙希が元方を倒したことは律子や薫達が持つモバイルに刻々と奈緒達から

報告が入っており、その報告に一喜一憂していた彼女達、

事件が終わったことにホッとして一種の虚脱状態になっていたが

沙希達が帰ってくる時間近くになるとソワソワと落ち着かなくなって

部屋を出たり入ったりしていたのだ。


だがこうして沙希の無事な顔を見ると

まだ一言も言葉をかわしたこともない女性達にとってもとにかく嬉しい。

なんなんだろうこの気持ちは・・・・。


「お婆ちゃま」

女達のざわめきがようように納まる頃、沙希はこう切り出した。

「何どすえ?」

と沙希を見つめる貞子に

「うち、久しぶりにお休みをとった・・・という感覚がしてます。

そやさかい温泉に入ってゆっくりしたい・・というのが本音なんどす。

そやけどうち、小野監督はんが別れしな

『これ、女性の強さが出ていて怖いような場面がいくつもあるけれど

ある意味とても面白いんだ。心の底から笑うことが出来るよ』

そういって1本のビデオテープを渡されたんどす」

といってからチラっと婦警の中に挟まれている松島奈緒の顔を見ていたずらっぽく笑う


でもさすがはエリート警視さんだ。

一瞬にして沙希の笑いの意味を知り、このテープの中身を悟ったから勢いよく立ち上がると

「こらっ!・・・沙希!・・・・てめえ・・・」

そう叫んだのだ。

「あれえ・・・お婆ちゃま。奈緒姉ちゃんがあんな汚い言葉使うてはる。

凄いエリートはんやのにいけまへんなあ。

だったらうち、奈緒姉ちゃんを花世ちゃんに叱ってもらいます。よろしおすなあ」

突然に名前が出てきた菊野屋の花世、

「ええ~~」

といってこれまた立ち上がると驚いた目で口を押さえる。


「ごめんえ、花世ちゃん。急に名前をだしたりして・・・

けんどうち、みんなに一杯一杯心配かけていつもいつも花世ちゃんに叱られてます。

おまけに幕末ででも花世ちゃんのご先祖の花世ちゃんにも一杯叱られてきました。

そやから・・・うち・・・これからは心配かけるようなことしまへん。

花世ちゃん・・・・そやから・・・・悪いことをしたうちのお姉ちゃん達を

どんどん叱っておくれよし。うちのお姉ちゃんいうことは花世ちゃんにとっても

お姉ちゃんやから遠慮せんでもええんえ」

沙希の言葉が段々大きくなり、とても早くなったのはその場の騒ぎにあわせたものだった


「沙希!・・・」

「沙希ちゃん!」

「あきあさん!・・・・」

そう立ち上がった婦警達と比叡のお山にいたマネージャー達、

そして希佐までもが立ち上がっているのだ。


だがそれを見ていた周囲の者はというと最初はあっけにとられていたのだが

沙希の言葉に含まれているものを知り・・そして、あのビデオが何なのかが判ったものだから、

そこら中から『クスクス』と笑い声が上がりはじめた。


キリッとした婦人警官姿の松島奈緒・・・

そんな女達を睨み付けるように周囲を見回してからドカっと座り込んでしまう。

よく見るとなんだか目が濡れているようだ。

立っていた他の女達も奈緒が座ったことで一人二人三人と座ってしまう。


皆が座ったところで奈緒が思い切って声をあげた。

「どうして・・・・どうして沙希はそんな意地悪をいうの? 私、あんたになにかした?」


そこで貞子が声をかけた。

「小沙希ちゃん!・・・もうそのへんでよろしゅうおますやろ。

これ以上お芝居したら奈緒はん追い込んでしまうえ」


「そうだよ、沙希ちゃん。あなたがお芝居すると本当になってしまうのよ。

女優という仕事をしている私達でさえときどき驚かされる沙希ちゃんに

素人の奈緒ちゃん達がかなうはずがないじゃない」

と薫が言い添える。


今のがお芝居?・・・そう判るとなんだか得した気がするから不思議だ。

あの天才女優日野あきあが目の前で見せた才能の片鱗・・・。


「沙希ちゃ!その通りよ。

その証拠にわざと奈緒ちゃんに横を向いて膨れっ面を見せているけれど

反対側はまるで悪戯っ子みたいに面白がって笑っているじゃないの」


そう口添えした圧絵の言葉にようやくクルっと奈緒達のほうに振り向いた沙希、

えくぼをつくった輝くような笑顔が一瞬に皆を魅了してしまう。


スーっと引きこまれてしまう沙希の笑顔・・・でも今奈緒には屈託がある

お芝居とはいえなぜ沙希があんなことを言ったのか・・・悔しさからつい

「沙希!・・・」

といって膨れてしまった。


「ごめんえ、奈緒姉ちゃん。そのかわりあとでええこと教えてあげます」

「いいこと?・・・それは?・・・」

「奈緒姉ちゃん!うちそれをスッといってしまうほど甘い女ではありまへんえ」

「えっ?・・・」

「うちの本心をいうと本当は怒っているんどす。腹がたって悔しくて・・・」

「でも、そんなこと・・・・・」

言われるほど何もなかった人質解放の事後処理。


「どうして・・・」

「えっ?」

「どうしてあんな面白いことに、うちを混ぜてくれはらへんかったんどすか?」

「だって、あなた・・・」

「へえ、うち無茶なこといっていると承知しています。

そやけど、あんなことがあることを知っとったら、もっと別の考えがあったんどす」


「おほほほ・・・そこがプロと素人の違いなのね」

と言い出したのが薫だ。みんな薫を見ている。

「ねえ、奈緒ちゃん。あなたあのときの事皆覚えている?」

「覚えているですって?・・・いいえとんでもないことです。もう夢中であまり覚えていません」


「他の人は?」

「私、・・・夢中で何も覚えていません」

「私も・・・」

「私も・・・」

他の婦警達もそういう。


「じゃあ、希佐ちゃんは?」

「わたし?・・・わたしですか?

わたしは皆さんみたいなことをしていなくて後ろのほうでの傍観者だけでしたから

よく覚えています。・・・でも沙希さんが思われているほど面白いことなにもなかったですよ」


「さすがね。さすがに沙希ちゃんの血を引くだけあるわね。

でもやはり希佐ちゃんも傍観者といっても中にいたからわからなかったみたいね」


頭を捻る希佐・・・そんな希佐を微笑ましく見ている母の希美子・・・

でも常にその視線の中には沙希の姿があり・・・知れば知るほど驚異のご先祖だ。

この人の血が自分に流れているとは全く信じられない思いがする。

体を悪くしたことで井上先生の所にきて沙希に逢った。運命なのだろう。

そしてこの地下7階にある早瀬の隠れ里で沙希が見つけたという癒しの温泉、

そこにじっくりと入ったことで午前中に病院へ診察に行ってきた。


地下の病院の先生がまだ帰っていないということで

地下の看護師の卵たちが行っているという大きな個人病院の相良病院・・・

ここは希美子の掛かりつけの病院でもあった・・・へ行ってきた。

これはぜひにという井上先生の強い希望で・・・いいというのに

志保や何人かの高弟達がついてきたのだ。

高弟達は相良病院の養子の院長というより

直接血を引く奥さんの副院長に看護師の卵達のことを含めてよろしく頼むという。


希美子の診断の結果は奥さんの副院長が担当した。

同じ部屋にいるのは希美子だけではなかった。

いいというのに高弟達、それに看護師の卵の早瀬の若い女性達が立ち会った。

恥ずかしがった希美子だが副院長は何も言わない。


きっと看護師達が希美子との関係を副院長に言ったに違いない。

というのは、希美子がいいからというのを若い看護師達が

「とんでもないことです。希美子様!あなたは沙希姫様のお血を引くお方です。

我らも沙希姫様のお血を引くとはいえそれは平安期からのこと、

それに引き換え、あなた様は幕末からのおんお血筋、その血が一番濃いお方です」

まるで時代錯誤の言葉使いだが、それが現代っ子である彼女達の本心なのだ。

だから今一番心配なことはいち早く知っておきたい。それが看護師達と高弟達の正直な気持ちだった。


「信じられない・・・全く信じられないことよ」

「どうしてですか?」

「どうして?・・・あなたはよく落ち着いていられるわね」

「え?・・・」

「いいわ、いってあげる。この前の診断の結果を見る限り

あなたは短くて3ヶ月長くて半年というスキルス性胃癌だったの。

スキルス性であったため早期発見ができなかったのね」

「えっ?・・・・胃癌?・・・」

「そう・・・それがどうしたっていうの?・・・たった2日よ・・・たった2日で

きれいに病巣が消えてしまっているわ。どういうわけ?・・・」


希美子は志保が言った不思議な温泉のこと信じていたわけじゃなかった。

でも沙希が里で見つけた下りをこと細かく聞き、

仏が宿るご先祖様・・・だから半信半疑ながらも温泉につかってみたのだ。

なにか調子がいいなと思いながら診察に来たのも確かだ。


「お医者様って現実的っていうか不思議・非現実なことって信じないんでしょ」

そう副院長に聞いたのは希美子が持つ疑いはもうない。

だからこそあの不思議な温泉のことを話していいかどうかを探っていたのだ。

だから不思議のことを聞いてみた。


「結城さん!それは医者に対する偏見というものよ。

医者ほど不思議にあうことが多い職業はないでしょうね。

夜、夜中には亡くなった方に廊下でお世話になりましたって挨拶されることは

しばしばだわよ。夜中に歩き回る死人ってとっても怖いじゃない。

でも本当にお世話をした人に挨拶されるって胸が熱くなるのよ。

霊を怖がるって生きているときにきちんと接していなかった証拠だわ」


「先生!先生ってそういうお方ですか」

「そうよ、嘘偽りなく正直な女医さんだわよ。

ただ馬鹿正直過ぎるから、患者さんになにもかも見破られてしまうの。

この間も患者さんに『本当に先生って正直ですね。先生の顔に僕の病状出てます』」

て言われたばかりなの」


「先生ってうちの澪先生に似ていらっしゃる」

と高弟の志保がいうのを

「うちの澪?・・・・・まさか小谷澪じゃあ・・・」

「えっ?先生は澪先生をご存知なんどすか?」

「知っているのもなにも・・私の後輩だわよ。

私が天才って認めるたった一人の医者なの・・・・じゃあ、あんた達は・・・・」


「はい、学校を卒業したら澪先生のところで働きます」

「へえ~・・・で、どこに病院が建つの?」

困った顔の高弟達と看護師達、でもここで希美子が口を利く。


「先生!・・・詳しいことはもう少しだけあとにしていただけますか。

本当をいえば私もまだ五里夢中といったところですので」

「うん、いいわよ・・・・でも私って待つってことがとてもへたなの。

だから少しだけでもヒントをちょうだい」


そういう相良明子女医にいわれて

「わかりました。実をいうと京舞の人間国宝の井上貞子先生のところに

伺ったのは夕べのことなんです。今から思うとそこにおられる方に呼び寄せられたのだと思います」


「そこにおられる方って・・・・・誰?」

困った顔の希美子だが志保が助け船を出した。

「相良先生!希美子様が深く関わりがあるというお方は先生にも深く関わりがあるんどすえ」

「えっ?私に?・・・」

「へえ・・・今連絡をとったら事件が全て終わったので午後には皆さんお帰りになられるそうどす。

先生もいかがどすか?・・・それに澪先生もお帰りになられる予定なんどす」


「えっ・・・私も呼んでくれるの?・・・・行く行く。

人間国宝の井上貞子って人にも興味あるし、久しぶりに澪に逢いたいし・・・・」


ということで奇跡をおこす温泉や地下に出来る病院は女性だけを治療すると聞いて俄然興味が湧き、

ここにやって来た女医の相良明子。

人間国宝の井上貞子は普通のお婆ちゃんのように見えたが、さすがにその体から凄い迫力を感じる。


それにどうだろうこの大きな居間に集まった女性達は・・・・。

白衣というよりオフホワイトの制服を着た多くの看護師達が入れ替わり、この部屋に入ってくる。

そして和服の芸妓や舞妓達・・・・

それと明子にも判る有名な女優・・・早乙女薫、大空圧絵、天城ひづる・・・と

世話をする女性達・・・女性ばかりのなんだか異様な空間なのだ。

でも一人の男性がいないってとても楽でいいな・・・なんだかウキウキしちゃう。


そして・・・皆が帰ってきた。

明子が知る超有名人の日野あきあにはびっくりだ。

他には制服姿の婦警達、ほんと異様な光景だ。

そのうち始まったセーラー服のあきあと婦人警官との口喧嘩・・・

目の前で繰り広げられるなんだか判らなかったこの喧嘩がお芝居だったなんて・・・

何も知らない明子が手に汗を握ったのも仕方がなかった。


冷静に見ていればセーラー服の日野あきあを中心に女達がいて、

あきあを中心に一喜一憂しているのだ。


そこに『ドスドス』と男のような足音で顔を見せたのが澪だった。

「おかえり」

というあきあにほっとする澪。その心のうちが読み取れる。

・・・遠慮しながら手をあげかけた明子だったがその前に

「澪姉!お客様どす。相良病院の副院長で奥様の相良明子先生どすえ」

と言って明子を見るとニコッと笑う。

その笑顔に引き込まれドキッとしてしまう。


そしてもっと不思議なことを聞いて『ドキッ』の二重奏だ。

「ほんに明子はんて新次郎様にそっくり」

えっ?・・・・ともう一度耳を傾ける明子。

よく聞いていると

「あの方が新次郎様のご子孫なのね。あきあさんがいわれるように本当にそっくり・・・」

と婦警達からもひそひそと声が漏れているのだ。


その時明子の横にどかっと座った澪。

明子は堪らなくなってすぐに自分の疑問を澪に言う。

「ああ、沙希が明子先輩のことを知っているのは沙希が陰陽師だからよ。

としか今は言えないわ。黙って座ればピタリとあたるってね。

心配しなくてもいいわよ。あの子のそばにいれば何もかも判ることだから」

明子が首を振るぐらい判らない答えだ。


「もう一つの事は、私には判らないわ・・・よし、聞いてきてあげる。

といって気軽に立ち上がって皆のほうへいく。

そのうちバタバタと移動するもの立ち上がるもの・・・

よく聞いているとさっきのビデオテープを映すことになったらしい。


戻ってきた澪が座りながらポツリとこういう

「会ったんだって・・・・」

「えっ?・・・」

「だから、会ったんだって。・・・その、新次郎って人に会ったんだって・・・」

「そんな馬鹿な!・・・」

「いいえ、本当みたい。一人や二人が会ったわけでもなく

比叡山にいたマスコミ関係者や警察庁、警視庁の警察官。それとアメリカ兵士達・・

その数500名以上・・・・だって」

思いもよらぬ内容に言葉も出ない。


「聞いてきただけでも身震いするほど凄まじいものだったわよ、先輩!」

「ねえ、それって・・・」

と言ったところへ

「何話しているのよ、澪」

とやってきたのは薫達女優陣と希佐と希美子の親子だ


「何って、今聞いてきたことを教えているのよ」

「あんたが聞きかじったことより実際その場にいた私たちのほうが詳しいわよ」

「何?・・・それ・・・」

「とにかく凄い内容だからさ。だから先に教えなさいよ」

「何をよ」

「麗香さんの様子をよ」

「麗香さん?・・・・元気だわよ」


「その話、私も聞きたいわ」

と声の方向をみるとまだ制服姿の飛鳥日和警視正が立っている。

「あっ、姉さん」

と声をあげる薫と澪。


「ごめんね、希美子さん。隣に座らせてね」

と希美子、希佐親子の隣に座る日和子。

「姉さん、今ごろどうして?」

「比叡山の後片付けを終えて警察庁、警視庁の精鋭部隊を見送ったところよ。

お母様にも会いたかったしあの温泉に入りたくてね。

ところで澪さんはこの希美子さんと希佐さんははじめてよね」

「ええ・・・誰かなって思ったりして・・・・」

「ふふふ・・・あなたらしいわね。じゃあ紹介しとくね。沙希ちゃんの血を引く子孫よ」

「えっ?・・・なに・・・言っていることがよくわからないわ」


「やっぱり、澪は鈍感ね」

「なにを言うの。薫姉さんのように世の中の常識はずれではないわよ」

「やめなさい、あなたたちは顔を合わせれば喧嘩ばかり・・・」

「うふふふ・・・」

と笑うのはひづるや周りに立つ智子や京子やマネージャー達。


唖然としているのは明子だ。澪があの天才女優の早乙女薫の妹だなんて・・・。


「ねえ、それより希美子さんと希佐さんて・・・」

「そうなの、澪姉さん。沙希が例のごとくタイムスリップして幕末に

坂本竜馬様の持つ『翔龍丸』という横笛を手に入れにいったの。

そこで知り合った結城和葉と言う女性と一夜限りの夫婦の契り・・・

その末裔が希美子さんであり希佐さんなの」

「えっ?・・・沙希ちゃんが結婚したの・・・」

「そう・・・一夜限りといえ結婚した相手、結城和葉が転生したのが私、佐野律子よ」

「えっ?律ちゃんが・・・?」

うんと頷く律子。


「う~ん・・なんだか聞くだけでも鳥肌ものね」

「さあ・・・九条麗香さんの話を聞かせて」

「うん、さすがにあの温泉の効力って凄いものよ。

子宮に出来ていた卵大の癌の病巣が一度の入浴でうづらの卵大に・・

2回目の入浴後にはもう見当たらなかった」


「えっ?・・・それじゃあ」

と声をあげたのは明子。

「結城希美子さんと同じだわ」

「えっ?母が?・・・」

「希美子さんが・・・」

驚く女性陣に明子の報告がつづく。


「スキルス性の胃癌・・・持って半年、短くて3ヶ月・・・それが一昨日の診断よ。

でも今日・・驚いたわ。胃癌の後なんて何もないの。すっかり消えてしまっていた。

これって医者にとって驚異としかいいようがないの」


「だから癒しの湯なんですよ」

という声が聞こえた。

見るとニッコリ笑いながら近づく沙希はいつものように舞妓姿にかわっている。

そばにいるのは奈緒達京都府警、警視庁の婦警達。

すっかりくつろいだ私服姿、自分たちの部屋があるって安心できる空間なのだ。


舞台に座る沙希、律子が用意した座布団にうれしそう。


「あの温泉は決して不老不死なんかじゃありません。癌が治ったからって死なないわけじゃない。

人には寿命というものがあります。

それは決して逃れられない人ととしての運命・・・

でも病気に苦しむよりは眠るように死ねたらいいに決まってます。

癒しとはそういうことなのです。癌で苦しむのなら癒して眠るように死にたい。

それが人としての願望なのです」


「沙希ちゃん。女性しか効かないというのは?」

「それは古より男たちの戦に多くの女の涙と血が支払われていた代償かも知れません。

だからこそ争いは止めなければならない。

これからの・・・いえ古よりの早瀬一族のただひとつの目的・・夢なのです。

そして夢は夢で終わらせない。夢は望めば実現するのです」


「凄い!・・・あの人凄い!・・・ねえ、澪。私時々ここにきてもいい?」

「いいわよ、わたしもここにいつもべったりといるわけにはいかないの。

だから先輩にも代診をお願いするわ」

「わかったわ」

「でも、ただひとつ。ここは男は厳禁だからね」

「勿論よ」


「さあ、日和子叔母様。もうすぐビデオ鑑賞会よ。

その前に温泉で汗を流してきたら・・・」

「そうね、じゃあ澪ちゃんも・・そして相良先生あなたもいかがですか」

「ええ・・・でも着替えが・・・」

「そんなの心配いりませんよ。ねえ真理姉さん」

「そうですとも、何も心配せずに入ってきてください」

とニッコリされるとつい重たい腰も浮かしてしまう。


                         ★


地下7階にあるこの広大な温泉、

洞窟の岩風呂のようだが自然の様相がよく出ておりとても感じがいい。

温泉が好きで日本国中で向いていた明子だが

こんな近場でこんないい温泉があるなんて随分遠回りをしてきたものだ。

湯温も熱くなくとても入りやすい。

それにここは全裸でなくシースルーの上着を着て入浴するのでとても雰囲気がよい。

それに癒しの湯と呼ばれるだけあって体の不調も吹き飛んでしまっていた。

どうもくせになりそうで・・毎日通ってくるかもしれない。


そんなに時間がなかったが澪に案内された病院設備、内科、外科、産婦人科まであり

超近代的といっていいほど明子には羨ましすぎるほどの設備が揃っている。

澪に聞いてはいたがこの祇園の地下の病院施設がこんな設備になろうとは・・・。

働く花街の女達にとってなんともありがたいことだろう。

ここでの代診おおいに気が進む話だ。


もとの大広間に戻ってくると、もうすでに立錐の余地もないぐらい女達が集まっていた。

婦警達も看護師達も着替え終わってゆったりとくつろいでいる

明子にしてもそうだ。温泉でいつのまにか用意されていた浴衣に着替え、

いまこうして澪の隣に座って茶碗を手に持ってほっと一息をつく。

忘れていた・・・いつのまにか忘れ果てていた・・・つい忙しさにまぎれて

こんな素晴らしく落ち着く空間があったことを・・・


「あっ、恵子さん。どうどした?」

そんな日野あきあの声に明子はうっとりと閉じていた目を開けると

この部屋の廊下に立つ女性があきあに

「はい、来てもらいました」

と障子のかげにいた中年の女性の手を引き

「さあどうぞ」

と部屋の中に案内をする。


女性もこんな有名な人の屋敷で大勢の女性たちの目の前に立たされて驚いたのだろう、

なかなか足が進まないようだ。


でもようやくあきあのそばの・・・ということは明子の横にすぐ座った二人、

「ねえ、恵子さん。私・・・・本当にここにきて良かったの?」

「ええ、さきほど言ったようにお母様にとって今日という日はとても大事な日になられるのですよ」

「いったい何かしら・・・私にとって大事な日といわれても・・・

いいえ・・・とても思いつかないわ」

「ふふふ・・・お母様楽しみにしていてくださいね」


「ねえ、先輩!あの二人が話していたように素晴らしいことは先輩にもいえることなのよ」

「えっ?私にも?・・・何?それって・・・・」

「いいからいいから・・・楽しみはゆっくりとね」

という澪の笑いがとても気になる。


「お婆ちゃま、よろしおすか?」

「ええ・・・ええ・・・小沙希ちゃん、あんたのしたこと見せてもらえるんやね」

「へえ・・・」

と立ち上がったあきあ。


「みなさん!さきほどうちが示したビデオを見るということで集まってもらったんどすが、

事件が解決したことでほっとして気が緩んだ結果が先程のお芝居どした。

そやけどお芝居の口喧嘩思うてたんはうちだけやった。

うちが仕掛けた奈緒姉達はほんに真剣で、あのままいったら追い込まれたのはうちどした。

あとでお婆ちゃまにうんと叱られたし

置屋のおかあちゃん達にも日和子叔母様にも律姉や瑞姉にも・・・・そして花世ちゃんにも・・・

みなさん・・・ごめんなさい。・・・・」

と頭を下げる。


先ほどのなにも知らない中年の女性は別にして

その場にいた女性達全部が納得する潔い謝り方だった。


「小沙希ちゃん、もうええんよ。あんな凄い事件を解決したあとやから

いくら小沙希ちゃんでも普通の精神状態とは違うてはった。うち、そう思います。

そやからいうて小沙希ちゃんの値打ちが一つも下がるもんやおへん。

かえってあんな凄いことしはる小沙希ちゃんも普通の女の子やった。

そう思うとうち、今までよりもっともっと大好きになったんどすえ」

そういって花江が座ると

「小沙希さん姉さん・・・何もくよくよすることおへん。

小沙希さん姉さんはうちに叱られることもう慣れてました?

うち本当はそんなにいつも叱っとったらマンネリにならはるそう思ってますけど

小沙希さん姉さんの顔見てるとつい小言が口に出てしまうんどす。

そやからうちにはわかります。

今日の小沙希さん姉さんはいつもの小沙希さん姉さんどした。

いつも伏目がちで大きな声を出すとびくっとされはる。

うちみたいなものにでも真剣に聞かはります・・・まちがいおへん」


「花江さん姉さん、花世ちゃん・・・ありがとう・・・」

「小沙希ちゃん、謝るんはもう終わりにしまひょ。それより早う始めておくれやす。

うちの心もうどきどきいうてます。こんなこともう何十年ぶりでっしゃろ」

と催促する。

「判りました、お婆ちゃま」

といってから

「さきほどのビデオみるんは後回しどす。

さきにお婆ちゃまが楽しみにしてはる、あるものを見せたいおもいます。

それは昨日までのうちには・・・

いくら陰陽の術を使うても今までのうちにはとても出来へんかったことどす。

けんど今日、うちの慢心から死の淵に立たされ・・・ようように山のお上人様たちの

お助けによって生還出きたんどす。

そしてその結果うちに新しい力・・・通力を得ることになったんどす」


「通力?・・・・それは一体?・・・」

「いいえ、今は聞かんでほしいんどす」

ときっぱりと断ってから

「今からお見せするんは、その通力によってお見せできる過去の出来事どす」

「えっ?・・・」

という顔を皆見せていたが、中には洞察力が優れた女性もいるらしく

『ざわ・・ざわ・・・』というざわめきが広がっていく。


「そうどす・・・皆さんが今思っている通りなんどす。

うちが京都府警で倒れてここで気が付く間のこと・・・奈緒姉・・・

その間どれぐらいどした?・・・」


「えっ?・・・3時間だったわ。ねえ・・・みんな」

と婦警達に声をかける。頷く婦警達・・・・。

「うちには・・3日間どした。3日間をそのままにはお見せできまへん。

だから印象的なことをテレビドラマのように流しますよって」

といって床の間に向かって手をあわせる。


「ねえ、あの子何をいってるの?」

とわけがわからない明子。

「先輩・・・これから起こることを先輩はしっかり見ててほしいの。

私たちはもうどっぷりと沙希の力を見せ付けられてきたわ。

慣れっこといったらいいけど驚きはもう少ないの」


澪のいうことも理解できない。

でも明子の目はあきあに釘付けになっている。

あの中年の婦人もあきあに視線を添えたきり外そうとはしない。


あきあの口から九字がきられる。そして、真言が唱えられた。

「ナウマク・サマンダボダナン・アビラウンケン、オン・コロコロ・センダリ・

マトウギ・ソワカ、ナウマク・サマンダ・ボダナン・バク」


すると巨大なスクリーンが空中にあらわれ、同時に照明がスーっとおとされた。

「もし・・・・もし・・・」

という声にぼやっとする女性の顔が映される。

どうやらこの場面は沙希の目を通しているらしい。

ゆっくりと鮮明になる女性の顔・・・日本髪のうりざね顔の美人だ。

「この人が幾松さん姉さんどす」

あきあの声に『ほ~』というため息。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


「あっ!お母ちゃん!・・・この人生きてはる・・・生きてはるえ!」

幾松の大きな声に

「えっ?ほんまどすか」

と中年の女性大写しになった。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


「菊野屋のお母ちゃん・・ご先祖の菊野お母ちゃんどす」

『ええ~』とばかりに棒立ちになり口を押さえる菊野・・・

芸妓の花江がやっと座らせるとその花江の手を握って涙をこらえようともしない。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


場面は進み、幾松の笛を吹く小沙希・・・

だんだんと場面が小沙希の目から抜け出していく。

一人称が三人称になっていく感じだ。


「幾松さん姉さん、ありがとう。おかげで記憶が戻りました」

「えっ、ほんとどすか?」

「へえ、うちは祇園では小沙希いいます」

「小沙希ちゃんいいましたなあ、うちは祇園に生きる女どす。

だから小沙希いう名の舞妓ちゃんなんていないの知っているんどすえ」

「へえ、だからうちがいたのは今の時代の祇園とちがうんどす」

「今の時代と違う?」

「へえ、うちの時代とんでもない化け物が復活しましてなあ。

うち、そいつと戦うためのあるものをこの時代に探しにきたんどす」

「化け物?」

「へえ、その化け物、うちの時代の京の都を焼け野原にする・・・いうとるんどす」

「京の都を焼け野原に!」

「誰どす?そんなとんでもないことをしようとする化け物とは?」

菊野が聞く。

「怨霊・藤原元方」

「なんどすって?!・・・藤原元方なんどすか」

「お母ちゃん!知っとるんえ?」

「へえ、有名な怨霊どす。平安時代一度この怨霊に京の都が壊されているんどす」


「小沙希ちゃん!あんたそんな怨霊と戦えるんどすか?」

小沙希は頷いた。

「お仲間はたくさんいるんどすか?」

「はい!・・・でも直接戦かうんは、うち一人だけどす」

「そんなあ・・・」

「怨霊との戦いは普通の人では無理どす」

「じゃあ、小沙希ちゃんは普通の人ではない、いわはるんどすか?」

小沙希は笑うだけだ。


「小沙希ちゃん!あんたって娘は・・・・恐くないんどすか?」

「恐くないといったら嘘になります。

けんどうちはうちに出来る精一杯のことをするだけどす。

京都のため・・・人のため・・・・そして、皆の笑顔を守るため・・・・」


「けんど、どうして小沙希ちゃんが?」

「へえ、うちにはもう一つ名前があるんどす」

「もう一つ名前が?」

「へえ、うちに厳しい修行をして鍛えてくださったお方、

うちに名前をつけてくださいました。陰陽師”安倍あきあ”・・・」


「陰陽師”安倍あきあ”?・・・・では・・・・?」

「はい、我師の名は”安倍晴明様”」

「あの晴明神社の・・・?」

「へえ」

「でも、そんな大事な事どうしてあったばかりのうちらに?」

「うちにはわかるんどす。こんなこと言ったら気持ち悪ならへんか心配どすが

うちには人の心が見えます。だから信じられるんどす。

それにお母ちゃんと幾松姉ちゃんはうちとは切れぬ縁があるんどす」


「お母ちゃん!小沙希ちゃんをどこにもやらんといて!」

「わかってます。不思議な縁で出会ったばかりだけんど、小沙希ちゃんがうちらとは

縁で結ばれてるいわはるんなら、余計ほっとけまへん」

「ひゃあ、やっぱりうちのお母ちゃんや」

と飛びついてはねまわる。


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ここで画面がかわるがこれってあのテレビドラマと同じくらいひきこまれていく。


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「ここどす」

と連れていかれたのはまぎれもなく菊野屋であった。

「ただいま!」

「あっ?・・・お母ちゃんや・・・お母ちゃん帰ってきたえ」

と騒ぐ舞妓が1人。

2階よりバタバタと大きな音をさせて数人の女の子が降りてきた。


「これ!花世!・・・いつも言っているでしょ!」

と怒鳴る菊野お母ちゃんに

「えっ?あの子も花世ちゃんなんどすか?・・・・・フフフ・・・」

「どうしたんえ?」

「いえ、名前が一緒なら、することも一緒なのかと」

「へえ・・・小沙希ちゃんの所にも花世が?」

こっくりと頷きながら

「いつもお母ちゃん、花世ちゃんを叱ってばかり。

でも最近、花世ちゃんがうちを叱るようになったんどすえ」


この時代の花世、時代が違えどもどこか面影が似ている。

その花世も自分の名前が出てくるものだから、目を白黒させながら

見知らぬ女の子をじっと見つめているのだ。


「うちのお母ちゃん、いつもうちが危ないことばかりするもんどすから、

毎日お百度ふんで、それ知ってる花世ちゃんが、うちを叱るんどす」


幾松は小沙希の両肩に手をおいて、

「小沙希ちゃんのところの『菊野屋』もいいところなんどすなあ」

そしてニッコリ笑って

「小沙希ちゃん!うちあんたのこと気に入りました。

だから、あんたが好きなだけここにいたらいいんえ」


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花世はおもわず立ち上がっていた。

自分にそっくりな名前も同じ花世・・・・・この人がご先祖様なのだ。


「花世ちゃん、あんたのご先祖の花世ちゃん。途中からは幕末の花世ちゃんと

今の花世ちゃんと区別がつかんようになってました」


菊野と花江に肩をだかれ、静かに座る花世・・・

とうとう菊野の肩に泣き崩れてしまった。でも声をださない忍び泣きだ。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


「お母ちゃん!幾松さん姉さん。お世話になります。

いつまでいられるかわからへんのどすが、うちもお座敷にださせてくれます?」


「えっ?小沙希ちゃん。それでいいの?確かにうち人手が足りまへん。

でも・・・お客はんに働かすなんて・・・」

「お母ちゃん、いいんどす。うち、会いとうお人がいます。

そのお人お座敷に来んとは限りまへんから、お座敷に出ていたほうが・・・」


「わかりました。でもそのままではお座敷でることはかないまへん。

踊りのお師匠の許可がいるんどす」

「へえわかりました」

そばで聞いていた舞妓達

「お母ちゃん!うちら今からお師匠はんのところへお稽古にいくんどす」

「そうどすか、今日はうちんとこの当番どすか」

何やら考えていたようだが

「小沙希ちゃん!うちあんたの踊りみたことおへん。

だからあんたを推挙できまへん。だけんどお座敷出たいんなら

あんたの実力で勝ち取りなはれ」

そういうと手早く用意された桶の水で足を洗い、荷物を置きに部屋にむかった。


「さあ、小沙希ちゃん。あがって」

「へえ」

といった時、戸がガラリと開き

「ごめんよ」

と5人の男達が入ってきた。いずれも目つきが鋭く尻端折りした人相が悪い男達だ。


「おや?なんどすか?清水一家のええ顔のお兄さん達。雁首揃えはって・・・」

「幾松か、女将はどこだ!帰っているだろう」

そういうと土足で上がろうとしている。


「あらあら・・・これはこれは、清水一家のお兄さん達、

何の用どすか」

「やいやい!親分が決めたしょば代を無視しおって、払わないつもりか!」

「勝手な事をお言いでないよ!いたいけなお年よりから店をとりあげ

何が清水一家だい」

驚いた事に女将が京言葉でなく、べらんめい口調で啖呵を切っているのだ。


「野郎!やっちまえ」

という兄貴分らしい男の襟首をつかんだのが、小沙希だった。

『パシッ!・・・パシッ』

と頬を殴ると背負って投げる。土間に頭を打ち付けた兄貴は目を白黒して

気絶する。これはかなわないと思って4人がかりで小沙希に襲い掛かる

でもあっという間に土間にのびたのは男達だ。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


「沙希ちゃんの強さって見慣れているけど、いつ見てもあざやかねえ」

「それでも慣れるってこと知らない人もいることを覚えておいてね」

「ごめんなさい」

ともう一度頭を下げる沙希。


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「小沙希ちゃんって・・・凄い!」

もうため息が出てしまう。

舞妓や芸妓達は陰からこっそりと覗いていたが、

眼を白黒させてあっけにとられているだけだ。

「お母ちゃん!筆と懐紙を・・」

振向く女将に心得た舞妓の1人が部屋から筆を懐紙を持ってきた。花世だ。


スラスラと書き上げるどこかへの手紙、女将や幾松からみても見事な筆使いだ。

そして、皆が驚きのあまり身体が固まってしまうことが目の前でおこった。


「『臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前』」

「玉藻、葛葉、紅葉・・・・そして、白虎丸。出でよ!」

小沙希の身体から4つの小さな玉が出てきて、いきなり十二単姿の女房と

恐ろしげな大きな白虎が現われた。その姿をみて皆腰を抜かしてしまった。


「白虎丸はあの男を・・・」

というとあの気絶している兄貴分の襟首をその大きな牙で噛むと

ズルズル引きずってくる。

「玉藻、葛葉、紅葉はひとりづつ担いで、比叡山奥の院のお上人様のもとに

この手紙と男達を運んでくりゃれ。今の比叡山の結界ならお前達にとって

毛ほどの障害にならぬ」

「はっ!主殿!」

「おっと、それからこの男達の今までの悪事の数々許してはおけぬ。

これからの男達の一生、比叡山の結界の中でしか生きてはいけぬ。

もし、1歩でも結界の外に出たら身体が動けぬ。

そうしゅをかけておいた。お上人様に伝えておいてくりゃれ」


「判り申した。であの男は?」

「あの男、ちと用がある」

にやっと笑う玉藻達。主の心がわかるのだ。

男達をつかみ、すっと消える式神達。


振り返ってニコッと笑う小沙希に、ホッと生き返ったような心地の女将達、

「小沙希ちゃん!今のは?」

「あの子達、うちの式神どす」

「式神?」

「へえ」

「聞いたことおます。でも小沙希ちゃん。安倍晴明様のお弟子というのほんまやったんやね」


「でも、うちのこと恐がらないでおくれやす」

「恐がるなんてそんなこと・・・」

「うち・・・又やってしもた。こんなところ、花世ちゃんに知られたら

どんなに怒られるか」

としょんぼりする小沙希。


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再び立ち上がっていた花世の目に少し照れたような小沙希がみえる。

(やっぱり小沙希さん姉さんてうちが大好きになった人え、どんなときでも

うちを思っていてくれる)

胸が熱くなってしかたがない。


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あんな凄い事ができるのに1人の舞妓に叱られるといって

しょんぼりする小沙希に親しみが湧く女達。


「でも・・・でも・・・うち、おなごにあんな非道なまねをしようとした男を

許せなかった・・・我慢できんかったんどす」

そんな小沙希に誰ももう何もいえない。


「お母ちゃん!踊りのお師匠さんのところへ行くのちょっと待っててください」

といって気絶をしている男の襟首を掴むとズルズル引きずって出ていく。


もう誰も動けない。・・・・が

「お母ちゃん。うち様子を見てきます」

といって花世が下駄も履かずに飛び出していった。


誰も何も言わない・・・いや何も言えないのだ。あんな不思議は見たことがない。

疲れがどっと襲ってきた。いつの間にかみんな女将の部屋に集まって座っている。

一番若い豆花が入れたお茶を一気に飲み干してしまった。

皆お茶を一口呑んで喉がカラカラに渇いていたのに気がついたのだ。


「大変!大変!・・・・」

と花世が騒々しくかえってきたのは、それから半時もたったときか

座っているみんなを掻き分けて菊野の前に座る。


そばにあった湯呑みを取る。

「あっ、それ!うちの!・・・」

という芸妓の声も聞こえていないのか『はあはあ・・・』という激しい息遣いが

冷えてしまったお茶が呑む事で少しは落ち着いたようだ。


「あの、小沙希さん姉さん・・・・」

という花世の話に皆、花世の顔に穴があいてしまうようじっと見つめて聞き耳をたてている。


「小沙希さん姉さんがあの三下をひきずって行くのを町内の人や

他の置屋の芸妓さんや舞妓ちゃんが遠巻きに見ているんどす。

あの舞妓ちゃんは?とうちに聞いてくる置屋の女将さんがいたもんで

うち・・・へえ、今度うちに入った舞妓ちゃんどす・・・と答えておきました。


小沙希さん姉さん、あの清水一家にあの三下を放り込んで今までの悪行許しまへん。

なんて大きな声をかけとるんどす。

その声で出てきた手下が十数人、・・・・でも小沙希さん姉さん物凄う強うおした。

まるで講談で聞いた巴御前のようで、

あっというまにみんなやっつけて・・そしたら小沙希さん姉さん、家の中に入っていくんどす。

ドタバタと大きな音がしてすぐに静かになってしまいました。

そのうちお役人はんが大勢こられて・・・・でも皆首を捻って出てきたんどす。

中には誰もおへんいうて」


その時、

「ただいま、帰りました」

という声が聞こえた。皆顔を見合わせ・・・そして走り出ていく。


そこには何事もなかったような小沙希が立っていたのだ。

「まあ、小沙希ちゃん!早ようおあがりやす」

と菊野が小沙希の手を引っ張るよう上げる。

すぐに座敷に通した菊野。皆も小沙希の後ろにずらっと座った。


「小沙希ちゃん、あんた・・・・」

「へえ、すんまへん。勝手な真似をして・・・・でも清水一家はもうあらしまへん」

「じゃあ、あの親分とかは?」

「比叡山に預けてきました。もう二度と比叡山からは出てこられまへん」

「どうして、小沙希ちゃんは・・・・」


「うち、どうしても、おなごを泣かす男に我慢が出来へんのどす。

だから、つい・・・・」

「だからつい・・・・なんどすか」

と急に大きな声を出した花世が、小沙希につめよる。

そんなこと一度もなかった花世に驚く菊野達。


「つい、どうしたんどすか?・・・あんな奴でも男どす。

へたしたら、どんな目にあわせられるか、確かに小沙希さん姉さんは強うおす。

でも、もっと強い用心棒がいたらどうするんどすか」

みんな黙って聞いている。口を挟む事ができない。


「うちら、小沙希さん姉さんに会ってちょっとしかたってまへん。けんど、物凄う心配したんどす」

「すいまへん・・・・・」

小沙希が頭を下げた。


「うちなんかより、お母ちゃんに謝りなはれ」

「お母ちゃん、心配かけてすいまへんどす」

「幾松さん姉さん、ごめんなさい」

と一人一人に頭を下げてあやまっていく小沙希。

菊野はこうして叱る花世に驚いたが、素直に謝る小沙希にはもっと驚く。

小沙希は物凄く強いに違いない。今、この国をぎゅうじっている男達誰よりも・・・

でも、ただの舞妓1人の小言にこうして謝る小沙希、こんな女の子見たことも逢ったこともない。


最後に花世に謝る小沙希。

「小沙希さん姉さん、小沙希さん姉さんはきっと何かに突っかかっていってから

考えるんでっしゃろ?」

「へえ」

「それが駄目なんどす」

「もし目の前で何かがあったら?」

「小沙希さん姉さん!逃げるんも勇気どす」

この時代の花世にも同じことで叱られた小沙希。

でも心の中では自分を受け入れて貰えた感謝で一杯なのだ。


「さあさ、花世ちゃん。叱るのはその辺にしなはれ。

舞のお稽古の時間どす」

「きゃあ、大変どす」

とバタバタ2階に駆け上がる花世達。


「さあ、小沙希ちゃん。お稽古いく用意をしなはれ」

「小沙希ちゃん!行こう!」

といって幾松に連れられて2階に上がる。


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「あれ、やっぱり花世ちゃんのご先祖え。

小沙希ちゃんの叱り方てほんまにそっくり・・・」

と感心しきりの花江。


高弟たちの間にも微笑ましい花世のご先祖の行動。今の花世と区別がつかない。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


こうして着替えさせられお化粧をした小沙希。

みんながポカンと見ているのだ。

確かにお化粧していない小沙希、きれいだなとは思っていた。

だがこうしてお化粧すると・・・もうこの世のものといえぬ美しさである。

「うちこんなきれいな舞妓ちゃん見たことおへん」

「うち、もう言葉もでまへん」


「まあ・・・・小沙希ちゃん・・・・」

降りてきた小沙希に菊野も言葉が続かない。


「さあみんな行くえ」

と下駄を履く幾松。

表でみんなで『きゃっきゃっ』と話をして待っていると

感じる感じる痛いほどの視線を感じる。

周囲を見渡すと道行く人の他に町内の人が見ているのだ。

手を合わせて拝んでいる人もいるくらいだから

あの清水一家にどれほど泣かされてきた人が多かったのか。


「ほら、小沙希ちゃん」

というと

「へえ判っているのどすけれど何か恥ずかしおす」

といいながら頬を『ポー』と赤くして周囲に頭を下げるしぐさは

幾松からみてもホレボレしてしまう女ぶりである。


戸締りをして出てきた菊野に

「お母ちゃん、ちょっと待って」

と言ってから戸にむかって何やら『ぶつぶつ』と言っているのを

「どうしたんえ、小沙希ちゃん」

「いえ、ちょっとした泥棒除けどす。さあいきましょ」

とニッコリ笑う小沙希。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


「お婆ちゃま、これからお婆ちゃまのところの場面なんどす」

「おお~そうどすか、でも小沙希ちゃん、

あんたはどこへいっても変わらしまへん。うち感心しますえ」

「いやだ、お婆ちゃま。そのお言葉うちには無鉄砲娘が・・・・いうて

聞こえるんどすえ」


「おほほほ、さすが小沙希ちゃん、うちの心よう読んどられますなあ」

「もう・・・お婆ちゃまったら・・・」


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ここも見知った一軒家『京舞・井上流』と書かれたその看板、

確かに人間国宝の井上貞子の家である。

ここでこうして脈々と血が受け継がれて来たことを思うと胸が熱くなる小沙希。

そっとその看板に手を添えるとニッコリ笑ってから皆のあとに続く。


あの広いお稽古場でまだ50を過ぎただろうか、

厳しい顔で菊野屋の舞妓や芸妓に京舞を教えている人が井上貞子の祖母にあたる

人なのだろう。その横にちょこんと座ってじっと踊りを見ている幼き少女が

貞子の母になる。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


貞子と高弟達は思わず身を乗り出してこの場面をみつめた。

江戸から続くこの家屋敷、寸分狂いも無く目の前にあり、

母の面影がその幼い姿から見出せた。

高弟達も代々続く井上家のご奉公・・・・

あの後ろに控えるのは我が先祖・・・・と胸を熱くして見ていたのだ。


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舞妓達のお稽古が終わり幾松の舞が終わる頃、高弟達の鋭い目が小沙希にふりそそぐ。

お稽古場に入ってきた時から目に付いていた。

全く隙がなく、長い間座りつづけても微動だにしないその姿勢には

誰もが注目していた。師匠も、その幼い娘も・・・・。


「そこの舞妓ちゃん!あとはあんただけどす」

「へえ、よろしゅうお願いします」

といってすっと立ち上がり舞台にむかう。足に痺れはないのだろうか

みんなの注目を浴びる中、その自然な姿におやっと思うのは仕方ない。

だってそうだろう。大勢の中で何かを見せるなんて大変なことなのだ。


「舞妓ちゃん!初めて見る顔どすなあ」

「小沙希いいます。はじめておめもじいたします。

どうぞよろしゅうお願いします」


「小沙希ちゃん、どんな舞を舞うんどすか?」

小沙希は頭をあげ、師匠を見るとニッコリ笑う。

そして、ある舞いの名を言った。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


「驚いたやろうなあ、お母ちゃんもお婆ちゃんも」

「へえ・・・みなさんが・・・沙希姫様を見つめるあのきつい目が、

舞を見た後で変わるんどすなあ」

「ほれ、うちに初めて来た小沙希ちゃんが舞を舞ったのを見たときの

うちら以上や、思いますえ」


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目をむく師匠にざわめく高弟達。

そんな様子を見守る菊野屋の女将と幾松達、気が気ではない。

あのお師匠の様子では又、小沙希がとんでもないことを言ったに違いない。

「お母ちゃん」

「幾松ちゃん」

と日頃花町で男などなんとも思わない二人がオロオロしているのだ。

それほど小沙希という舞妓の存在が二人にはかけがえのない存在になっていた。


「あんた達、用意をしなさい」

師匠の声に高弟達が三味線や琴を持って舞台にあがる。

これはなんかとんでもないことになっている。

菊野と幾松もう声が出ないほど心臓の高鳴りは頂点を極めようとしているのだ。


高弟達の三味線と琴から調べが流れ、高弟達の謡がはじまった。

すると流れるように小沙希が舞う。

これは?・・・・・菊野も・・・幾松も眼が離せなくなった。。

幾年舞いを習ったことか。日頃の修行も怠りない。それだけの努力もしている。

でもそんなもの、この舞の前ではただ霞むだけだ。

小沙希という舞妓はもう手の届かない高みにいる舞姫なのだ。


ただ事でないのは芸妓やまだ素人同様の舞妓にもわかる。

そして、今までなにも動じなかった師匠の横にいる幼き少女・・・

そう、井上貞子の母親にあたる舞の天才といわれる祥子が

母のそばにすりよりその腕を小さな手で握り締めて食い入るように小沙希の舞を見つめていた。

師匠の和子にしても我が子の握る手の痛みも感じず、

その鋭い眼差しは踊り手の正体を見極めようとしているのだ。

ゆっくりゆっくり桜の花びらが舞い落ちるように小沙希が腰をおとし

扇を前に置いて頭を下げる。・・・・舞がおわった。


どうでした?というように師匠のほうをニッコリ笑ってみる小沙希。

師匠の口が開いた・

「小沙希ちゃん、言われましたな。

舞についてはあんたには何もいうことはござんせん」

そう・・・師匠は小沙希の舞を認めたのだ。菊野と幾松は喜びで一杯だ。


「小沙希ちゃん!あんたこの舞、どこで習いはった」

「へえ」

といった小沙希の口から驚く名が出る。


「うちが習ったのは京舞の家元で人間国宝の井上貞子先生でうちのお婆ちゃまでもあるんどす」


「京舞の家元・・・?・・・井上貞子?」

京舞の家元はここなのだ。井上貞子なんて知らない。

そして・・・小沙希の口からもっと驚くべき事が語られた。


「うちのお婆ちゃま、井上貞子は、お師匠様の・・・・。

お師匠様の隣りにおられる井上祥子様がもう少し将来、

お産みになるお嬢様なのです」


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


「小沙希ちゃん、あんたこの時にあんたのこと話ましたんどすか?」

「へえ、ここで黙っていること出来まへんし、舞のまえでは嘘つけまへん」

そういう小沙希に

「あんたって子はほんに舞の申し子どすなあ。

うちに出来ることといえばもう小沙希ちゃんの後姿を見つめるだけどす」

といってため息とも付かぬ吐息を吐いた。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


「この舞はお師匠様がお考えになって、祥子様が完成されたと聞きました。

うちがお婆ちゃまに初めて会った時に言われたこと・・・・。

『うちは舞に一生を捧げました。だから人の判断は舞の中でしか出来ません。

舞の中で自分を表しなさい』その言葉、お師匠様が祥子様にお教えされたのですね。

貞子お婆ちゃまはお母様である祥子様に教えていただいたとそう聞いております」


「お母様。うちこの人のいうてはることに嘘は無い思います。

そうどすか、うちの赤ちゃん、貞子いわはるんどすか」

と言ってにこっと笑う祥子。


「うちはこの時代の人間ではあらしまへん。

今から約140年あとの世界から来ました。

あるやっかいな化け物が復活して、

うちの時代のこの京の都を焼け野原にするいうて自分に力をつけるために

小っちゃな女の子を次々と攫っているんどす」


「その化け物とはなんどすか?」

高弟から声がかかる。

時代が違うとはいえ、この京の都が焼け野原にするという化け物が

許せないのだ。


「怨霊・藤原元方!」

「元方?・・・・あの藤原元方なんどすか?」

「へえ」

「でも、どうして小沙希ちゃんが?」

こんな可愛い舞妓ちゃんの小沙希がそんな怨霊のためになぜ?

訳が判らない。

「うちが・・・うちしかいないんどす。元方と戦えるのは」

「小沙希ちゃんが?・・・・どうして?」

余計に訳がわからない。


「うちには、もう一つ名前があるんどす」

「もう一つの名前?」

「へえ、うちは時を越えて平安時代に修行のためいったんどす。

どうしてそうなったのか?・・・それは天から与えられた使命というほかは

あらしまへん」

小沙希ちゃんが平安時代に?・・・・花世は舞妓達と顔を見合わせている。


「そこでうちはいろんな修行をしました。本来の体術や呪術・・・その他に

舞や横笛といった修行もしてきました。そのおかげでうちは師に名前を与えられました」


「その名前とは?」

「陰陽師”安倍あきあ”」


「陰陽師?・・・・」

「安倍?・・・・」


「そうどす、我師の名は安倍晴明」

「そのおひと、有名な陰陽師どすなあ」

「へえ、今でも安倍晴明様を超える陰陽師はいやしまへん」


「そこで舞を覚えたのどすか」

「へえ、でも京舞はお婆ちゃまに教えていただきました。

平安時代の舞は全然違おてました」


「見たい!・・・・・小沙希ちゃん!」

「へえ」

「うち達にその舞を見せておくれなはれ」

そういう師匠にニコッと笑って立ち上がる小沙希。

後ろで控えていた高弟達は急いで舞台から降りる。


指先にしゅを唱えて気を切ると

いきなり烏帽子をかぶった白い衣と赤い袴の白拍子の姿に変わった。

「おおう!」

と声をあげる皆、今始めて不思議な秘術を見たのだ。


「これは当時の帝、五代天皇様に私が献上した『紫の舞』でございます。

白拍子の舞姫、白河の厚保姫様が創作され、私に贈ってくださった舞で

我師、安倍晴明様が最もお好きな舞でもございました」

というと、いつのまに持ったのか鮮やかな紫の舞い扇が

小沙希の身体の一部となって舞う。

この舞はあくまで優雅に清水に流れるがごとく、

足元はゆるやかな波のごとく、腰は安定され上下に微動だにしない。

手の動き、足の動き、身体の動きは京舞にも応用されているが、それはそれは見事なものだった。


調べは小沙希の口元からは聞いたことのない謡が旋律にのり

狂いのない澄んだ声がこの稽古場に流れていく。

平安京の帝の前で舞うこの少女の姿がこの情景にかさなってそして消える。


あっというまに終わってしまった。ずっと見ていたい・・・・・。

この感動は舞を愛する全ての人の心を打つ。

小沙希に対する不信感はもう全て消えていた。舞によって信頼感が出来たのだ。

これほど見事な舞は正直これまで生きてきて見たことがなかった。

平安京で修行したという話、信じることができた。


「小沙希ちゃん、ありがとう。この舞を見られて本当に良かった。

先ほど小沙希ちゃんが見せたうちが創作している舞に

小沙希ちゃんの今の舞から所作が少し入っているのがわかました。

うちの娘が完成させたいわれたんどすが、孫と小沙希ちゃんが

完成したんどす。なあ、祥子」

「へえ、うちもお母はんと同じ考えどす。

それにしても上には上がおられるもんどすなあ。うちも精進します」


「それと小沙希ちゃんは横笛も修行されたとか」

「へえ、お師匠様」

「これはうちの我儘どす。出来ればそれも聞かせてほしい」


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


「小沙希ちゃんは初めてうちに来たときと同じことしてはる。

断るってこと知りはらへん。そやけど、うちのお母ちゃんと

お婆ちゃん嬉しかったやろなあ」

「いいえ、お師匠様。嬉しかったんはうちらのご先祖も同じどす。

沙希姫様のこと知りはらへんけんどきっと幸せやったおもいます」


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


「笛は?」

「へえ、うちの体内にあるんどす」

といって両手を前に出すと、ポーっと明るくなりその中に1管の横笛が。

もう驚きはない。小沙希の秘術はもう皆に受け入れられたのだ。


「この笛は平安時代に大江山のシテン殿からゆずられた『緋龍丸』どす」

「大江山のシテンといえば鬼の朱天童子では・・・」

「いえ、シテン殿は唐天竺より遠いところからこられた異人様。

その風貌から鬼に間違えられ追われていたんどす。

シテン殿はその風貌とは異なりとても優しいお方。

うちが海へ逃がす時にこの笛を譲られたんどす。

それがある陰陽師と戦ったときに、この笛どこへやらに無くしてしまいました。

でも不思議どす。うちのお婆ちゃまに井上家に代々伝わってきたと聞きました。

うちがこの時代に来たから今は笛は消えているはずどす。

でもうちがここからいなくなったら又、笛は姿を現します」

という言葉に高弟が1人部屋を出て行く。


小沙希は横笛を口にあてる。

その音色を聞いたとたん菊野と幾松は一度聞いた笛とは雲泥の差があることに気づく。

これが駄笛と名笛の差なのか・・・体の震えが止まらなくなる。

そして見た。小沙希の体が二重写しになり菩薩様が小沙希とともに笛を吹く御姿を・・・・。

自然に両手を合わせるのは全員同じだ。

笛を調べに行った高弟は帰ってきたとたん笛の調べとこの不思議な光景に

足がガタガタ震え出し、腰が抜けるように座り込んだ。


なんという笛の音か。小沙希の吹く笛からは高い音色が・・・

まぼろしなのか菩薩様が吹く笛から低い音色が、調和するハーモニー

これは天上の音色なのだ。二度とは聞けない。そう直感する。

だから、心を大きく開けて聞いた。


波が消えるように笛の音が止んだ。

いきなり座っていた座布団から滑りおりる師匠、皆もあとにつづく。

そして頭を下げた

「ありがとさんどす、小沙希ちゃん。もう凄いものを聞かせてもらいました。

うちにとって今の笛の音色は、これからの生きていく糧どす。

これから、もっともっと精進します。・・・そして、うちの孫よろしゅう頼みます」


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


「小沙希ちゃん!・・・ありがとうえ」

「えっ?なによ、お婆ちゃま」

「うちのお母ちゃんもおばあちゃんも・・・」

「へえ・・・うちらのご先祖もおなじどす」

画面を食い入るようにみつめて

「あんなに幸せそうな顔をしてはる」


沙希はくすぐったそうな顔をしたがもう何もいわない。

言わなくても心の中知ってもらえるから・・・


沙希は振り向いて

「牛尾さんのお母さん、次はあなたに関係があるんどす。よう見ていておくれやす」


そんな言葉をかけられびくっとしたが

いままでのことからこの天才女優と言われる女性が

普通の女性でないことがよくわかる。だからなんだか期待が大きくなる


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


その日、帰ってすぐにお座敷に出るつもりだったが

置屋の戸を開けて中に入ったとたん男が1人倒れているのがみえた。

「ひえ~。なんやこのお人・・・・」


正体はすぐわかった。

持っていた風呂敷包みがほどけて中身がそこいらに散乱していたからだ。

「あっ、これ『巴屋』の吉弥の自慢の簪・・・」

次々、見知った芸妓や舞妓達の簪や櫛が出てきたのだ。


そこにやってきた半次。その様子を見て慌てて入ってきた。

「あっ、半次はん!ちょうどええとこへ」

「どうしたんや、女将はん」

「泥棒どす・・直ぐお役人はんを!」

「わかりました!」

と飛び出していく。


「でも、どうして?・・・・」

と菊野と顔を見合す幾松。

そこではっと気づいたのは小沙希のこと

(「いえ、ちょっとした泥棒除けどす」)

皆で出かける時、確かそう言って何やらしていた。


「小沙希ちゃん!ちょっと」

皆から少し離れて立っていた小沙希を呼ぶ。


「小沙希ちゃん・・・これあんたがやったんどすな」

小沙希は頷く。

「うち何や知らんけんど胸騒ぎがしたんどす。そやから、泥棒よけのお呪いしました」

「お呪い?」

「へえ、この家に悪い心で入ってきたら、こらしめてほしいと

付喪神つくもがみはんにお願いしたんどす。

そやさかい、その簪や櫛に宿る付喪神はんがこらしめてくれはったんどす。でも・・・・」

「でも?」

「この簪や櫛のほんとの持ち主も、大事にせな。

付喪神はんかなりお怒りになっているんどすえ」


幾松、小沙希の顔をじっと見ていたがふっとこの持ち主の顔を思い出して

「ぷっ」

と噴出した。

「いややわあ、幾松さん姉さん。うちの顔をじっと見て笑ったりして・・・・」


「あっ!ごめんごめん。

別にうち、小沙希ちゃんの顔をみて笑ったんと違うんどす。

この簪や櫛の持ち主の顔を思い出して・・・うっ・・ぷっ・・」

と又噴出す。


「この簪と櫛、ほとんどが吉弥さん姉さんのどす」

「吉弥さん姉さん?」

「へえ、幾松さん姉さんにきつう当たる芸妓はんどす。

幾松さん姉さんを目の敵にしているんどす。

でも最近、なんやふらふらと生気があらへんし、

目の下に真っ黒い隈をつくりはって・・・・じゃあ」


「きっとそうだす。その吉弥さん姉さん、あまり物を大事にしやらへん思います。

付喪神はん、人の命まで奪う事あらしまへん。けんどきつい仕返しをされるんどす」


「それどんな仕返しどす?」

「へえ、悪夢どす。毎日毎日きつい悪夢を見させるんどすえ」


ぷっと吹き出す芸妓と舞妓達、あの吉弥さん姉さんが・・・悪夢を見てはる・・・。

本人には気の毒だけどありえない組み合わせに可笑しくて・・可笑しくて・・・


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


おかしそうに笑う舞妓や芸妓達、

自分たちの日常的な会話なのだからこの幕末の女達に共感を覚えるのだ。


「千代香さん姉さんを気いつけな、付喪神つくもがみはんにきついお灸すえられますえ」

とさっそく仲間うちで小沙希の言葉がとりいれられているのだ。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


「ごめん!」

と入ってきたのが目の鋭い役人と御用聞きだ。

さすがは置屋の女将、さっと表情を変え役人のもとに。


「これはこれは、篠原様。まさか篠原様がお見えになられますとは」

「おお、女将久しぶりだな。・・・この男か!」

「へえ、うちらがお師匠様のとこでのお稽古が済んで帰ってきましたら、こうして倒れていたんどす」

「何?倒れていた?・・・・・政吉!」

「へい」

といって御用聞きが倒れている男の身体をていねいに調べていく。


「旦那!何の外傷もないようでがす」

「襲われたわけでもないか・・・」

「あっ!・・・この男!」

「どうした!」

「へい」

といいながら懐よりとりだす1枚の紙・・・広げるとどうやら人相書きのようだ。


政吉は立ち上がり広げた人相書きを篠原に見せる。

「筋ものか・・・なになに?関西一円を荒らし回る盗人、音羽の安吉?

・・・大物ではないか。そんな大物がどうしてこんなところで? ・・・・・政吉!・・・やれ!」

と政吉はいきなり気を失っている安吉に馬乗りになり、その両頬を思い切りぶっとばした。


その行為が気を取り戻させ、薄っすらと目を開ける音羽の安吉。

しばらくは自分の身に何が起こったのかは判らないようであったが

はっと気づいて猛然と暴れて馬乗りになっていた政吉を跳ね飛ばしてしまった。


ガバッと身を起こした安吉懐からドスを取りだし、その先にいる幾松に向かった。

身動きできない幾松、間にすっと入ったのが小沙希だった。

小沙希は持っていた舞扇を目の前に出した。

その自然な動作に安吉は足を止めた・・いや止めざるを得なかった。

回りのものには見えないが、あんな扇の小さな先がいまでは何尺もの大きな壁になり

前が全く見えない。いやそれどころか安吉にむかってせまってくる。


「ふ~む、見事な!」

と舌を巻いたのが、役人の篠原源太郎だった。

去年まで江戸の千葉周作道場で内弟子として剣術の修業をしていた源太郎、

一度だけ師匠の千葉周作に今のような刀法で手も足も出なくて

その重圧に不様に失神してしまった記憶がある。


こんなところで同じ刀法が見られるとは思わなかった。

どうするのか?興味深い。周囲のものは固まったままで手出しはしない。

だからゆっくりと見物できる。そんな不遜な考えの源太郎。


小沙希はスッと舞い扇を下ろした。何をするのか?

逆の手の平を安吉に向けるとその手の平から青白い光が浮かび上がった。

「えいっ」

気合とともにその光が安吉の懐に飛び込み、その体を折ったまま

後ろの木戸もろとも表の道にぶっ飛ばしたのだ。

驚く野次馬達。

「政吉!ひっとらえろ!」

「へい!」

と飛び起き、表に張り番させていた子分と共に音羽の安吉をお縄にしたのだ。

「政吉!安吉を番屋の牢に放り込んでおけ!」

「へい!・・・で、旦那は?」

「おれは、ここでもう少し話を聞いてから番屋に行く」

「わかりやした。奉行所の与力の旦那にはそう伝えておきやす」


「女将!いいかえ」

「へえ篠原様、こちらにどうぞ」

と土間から上にあがる。

「おっと、皆の話も聞きたいんだ」

「幾松ちゃん、皆も着替えておいで。

半次はん、すまないけんど、今夜のお座敷そんなわけでお断りしてきてくれはる?

お詫びは明日幾重にもするからって」

「へい、わかりやした」

と飛び出ていく半次。


「女将!すまねえな。なにしろぶっそうな世の中だから。

新撰組って輩もひでえが、勤皇の志士ってだけで尾羽打ち枯らした田舎もんが

天朝様のこの京の町を荒らしやがって!情けねえ世の中になったもんだ」

とぶちぶちいいながら女将の後について座敷に入る。


芸妓や舞妓達も急いで2階にあがり、化粧を落として着替えるとたしなみ程度の化粧をする。


お座敷に皆集まると、菊野がお盆に茶瓶と湯のみを持って現われた。

「すんまへん、うちにはお茶けしかおいてのうて」

「ふふふ・・・いいさ。大勢の娘達の中で1人酒なんざ飲む気は さらさらねえよ」


源太郎は菊野のいれてくれたお茶を二口ほどで飲み干し、

あぐらをかいた前に置く。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


「お母様、・・この方どなたかわかります?」

「篠原・・・源太郎・・・わたしのご先祖です。・・・・でも・・・」

「お母様・・疑ってはだめどす。実をいうと今日比叡のお山で

牛尾さん・・・あなたの息子さんはこの源太郎様に会っておいでどす。

びっくりされたろう思います」


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


「そこの娘!初めて見る顔だな」

「はい、篠原源太郎様」

「名はなんと申す」

「小沙希と申します」

言葉使いが変わっていた。

「おぬし、江戸もんか?」

「はい・・・でも・・・」

と答え、何かを言いかけたがそのまま口を閉じる。


「小沙希はいつからここにおる」

「はい、本日からです」

「何?今日から?」

「はい」

ニッコリ笑ってから

「源太郎様に少しお伺いしたいことがございます」


「なに?小沙希がか?・・・・聞きたいのはわしのほうなのだが・・・まあ良い、何かな?」

「源太郎様の北辰一刀流は千葉周作先生に師事されたものなのでしょうか?

それとも千葉定吉先生に師事されたものでしょうか?」


「何!小沙希・・どうしてそれを?」

「わけはあとで申します」

「そうか・・・わしの師は周作先生ただ1人!」

「そうですか」

とがっかりしていたが、気をとりなおして

「定吉先生のところへは一度も?」

「いや、同じ相手ばかりではつまらんからのう」

その言葉に

「ではお尋ねします。定吉先生のところに土佐藩士坂本竜馬というお方は?」

「おお、坂本さんか・・・知っておる。知っておるぞ」

「では、何か笛にまつわることを聞かれたことは?」

「笛?・・・・」

おかしな事を聞くとばかりに小沙希の顔を見つめていた源太郎の目がフッと動いた。


「何か聞いておられるんですね」

「ああ・・・あの日は定吉先生も若先生もお嬢さんも出かけられて居られなかった。

ただ1人、夕日があたる縁に寝ていられるのが坂本さんだった。

『篠原くん、ここに座れや』その時いつも明るい坂本さんの別の面をみたんだ。

やけに・・・そうやけに寂しそうだった。

だからなのか懐から笛を出して吹こうとするのだが音がでない。

わざとそうしているのか・・・寂しさをまぎらわしているのか。

でも違ったんだ。その笛は『翔龍丸』といって坂本家に代々伝わっていたが

誰が吹いても音が出ないらしい。有名な吹き手が吹いても音がでない。

坂本家では手放そうとしたらしいが、竜馬さんが絶対音を出すからといって

江戸に修行の旅に出る時にもってきたものなんだ。

『でも、全く音が出ないんだよ。篠原くん。

人斬りはうまくなっても、この笛から音が出せない・・・情けないよ』

この言葉をいう坂本さんのこと、今も忘れられない」


「やはりそういった人なんですね。・・・・・ありがとうございました」


「では約束だ。小沙希、お前のこと聞かせてくれ」

「なんなりと」


「先ほどの刀法は何だ!」

「あっ、そうですね。北辰一刀流にもありますよね。でも柳生新陰流にもあります。

上泉伊勢守様が工夫されたといわれていますが、実は平安期にあるお方が

創造された体術の一つなのです」

剣術の話は嫌いではないのでつい体がのりだしてしまう。

「してそのお方とは?」


「安倍晴明様」

「安倍晴明?あの晴明神社のか・・・土御門家の祖といわれる・・・・?

今は土御門といっても陰陽の術を使えるものはいない。眉唾ものだと言う話だが・・・・」

「はい、陰陽師として安倍晴明様に古今東西匹敵される方はおられません。

晴明様が偉大なだけにそう見えるのは仕方がないことです。

でも延々と引き継がれてきたお家、馬鹿にしたものではございません」


「ほう、それだけ陰陽師に詳しいのは・・・・

いや、これは順を追って話を聞いたほうがよさそうだ。では、あの安吉を吹き飛ばしたあの術は?」

「あれは術という大げさなものではありません。訓練さえすれば誰でも出来るものです。

気功といいます。例えば・・・・ほら」

と胸の前で手の平同士を上下に拳ぐらいの間隔を空けて待つ。

すると小さな光る玉がぼんやりと現われた。


「これが”気”です」

皆も真似をする。じっとみていると

「さすがはお侍様、剣術の修行が”気”を生み出す精神の持ち方と合っているようですね」

ほんの小さな光の玉だったが源太郎の手の平の中央部に現われた。


「ふ~」

と息を吐いたのは芸妓や舞妓達

「全然駄目どす」


「小沙希ちゃん。なんどすか、手の平が温かいんどす」

「お姉ちゃん、それでいいんどすえ」


「小沙希、これが気か」

「はい。剣術でも丹田に気をおいて・・・という言葉があります。

気は大事なものです。訓練すれば先ほどのように人を吹き飛ばす事ができます。

でもこの気功が最も力を発揮するのは、人の気を利用して倒すことです」


「人の気を利用する?」

「はい、そうすれば相手の体に触れずとも倒したり、投げ飛ばしたり出来ます」

「見たい!見たいぞ!小沙希」

「はい!・・・・明日なら。いいでしょ、お母ちゃん、お姉ちゃん」

「うちもいくえ」

「うちも」

と芸妓や舞妓達。


顔を見せ合う源太郎と小沙希。

「ふ~」

と吐息を吐く源太郎。この1年の番所勤めで花街の女の強情なのは良くわかっている。

一度言い出したら聞きもしない。

「わかった。見物ぐらいさせてやる。でもその衣装で来るのは止めて貰いたい。

もっとおとなしめにな」

「は~い」

という声。まったく・・・・馬鹿にされているのか。

娘達を相手にしていたら時間がいくらあっても足りはしない。


「小沙希!わしがこちらに来ていたのは昼間の清水一家の件だ。

あんなこと出来るのはこの祇園でいやこの京の都で小沙希しかいないと思うのだがどうかな?

小沙希と知り合う前なら途方に暮れていただろうが」


「はい、わたしがやりました」

「で、あの男達はどうしたのだ?」

「比叡山の奥の院に居られるお上人様に手紙をかきまして

男達の悪心を叩きのめすよう武者僧の方々に預けてきました」


「なに!・・・あの鬼より恐いと言われている荒っぽいので有名な武者僧の中にか?

・・・・・ふふふふ・・・わはははは・・・」

笑いだした源太郎。

「比叡山とは・・・お番屋の牢の中より、遠島の刑より厳しいぞ・・・。

だが逃げ出したらどうする」

「いえ、逃げられません。男達は比叡山の結界の中でしか行動できないのです」

「比叡山の結界?・・・それはどういうことだ」

「はい、我術にて1歩でも結界の外に出れば体が固まってしまって動けなくなるようにしました」


「我術?・・・・・小沙希!お前は何者だ!」

「はい。我名は陰陽師”安倍あきあ”」

といって懐から出した懐紙を器用に人型に切り

「『臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前』」

と九字を切り、そして唱える真言

「ナウマク・サマンダ・バザラ・ダンカン」

ふっ吹くとたちまち現われた公達。


「あきあよ。こんなところにいたのか」

「はい、すいませぬ」

「藤原元方の怨霊をどうするつもりじゃ」

「はい、晴明様」

小沙希の言葉に驚く。この方があの安倍晴明か。本物なのかどうなのか?


「この時代の坂本竜馬という方が持っておられる『翔龍丸』あの笛のみが元方を封じられるのです」

「お前の時代では手に入れられないのか?」

「いえ、坂本様はこれより4年後の慶応3年の11月15日にこの京都の近江屋で

同じ土佐藩の中岡慎太郎様と暗殺されてしまいます。

そのとき坂本様は何の武器も身の回りにおいていらっしゃらなかった。あったのは・・・・」

「そうか『翔龍丸』で相対したのか」

「はい、その時『翔龍丸』は暗殺者の手によってスッパリと・・・・」


「小沙希ちゃん!坂本様が暗殺・・・・されるの・・どすか?」

頷く小沙希に

「坂本様にその日のことお知らせして暗殺を回避すれば・・・」

小沙希が下を向きながら首を振る。


「歴史は・・・歴史は変えることが出来ないのです。

坂本竜馬という方は私の時代ではこの維新を生きた偉大な人物として

歴史に記されています。坂本竜馬様を主人公にした物語がいくつも出版されてもいます。

歴史は・・・・そう、一つの例で言えばこの『緋龍丸』・・・」

と手の平に忽然と現われた横笛。


「先ほど井上の師匠のところに秘蔵されているはずでしたが

なかったのはご存知でしょ。同じ物が2つと存在しえないのです。

私がこの時代を去ったら再び『緋龍丸』は現われるはずです。

私自身、今の時代の異端児です。だから私がこの時代からいなくなったら

自然淘汰され私の記憶は皆さんから消されるでしょう。

わたしがここに来たために歪められた歴史はうまく調整されます。

例えば、清水一家です。今は私が比叡山に送りましたが、

お役人に悪事を咎められ処刑されるかもしれないし、

改心して一家を潰してしまうかもしれません。

いずれにしても、清水一家はこの祇園からなくなる運命だったのです」


「時の流れは厳しいものじゃ。あきあがこの時代にいられるのも

あと3日じゃ。それ以上いるとあきあはこの時代からはじきとばされてしまう。

元の時代にも戻れぬ」


「そうなると小沙希・・・・いやあきあ殿はどうなるのですか?」

「時の放浪者となる。時と時の間にさまよい歩き、死す事も出来ず、

幾千年、幾万年さまよい続けるのじゃ」


「そんなの嫌!」

花世が叫ぶと若い舞妓達はそろって泣き始めた。

「みんな静かに!」

幾松が大声をあげ、そして必死の形相で小沙希につめよる。


「坂本様に、坂本様にお教えしても?・・・・」

「歴史は変わりません。例えお教えしてもその日にはきっと近江屋にいられるでしょう」

「そんな!」

「幾松さん姉さん!あなたもあなたの旦那様と共に歴史に名を残されるのですよ」

「えっ?では?」

「そうです。幾松さん姉さんが想い描く方と添い遂げられます。

でもこれからの時代凄い勢いで変わっていきます。

その時代の流れにそのお方と幾松さん姉さんは翻弄されながらも生きていかれます。

名前を木戸孝允と変えられ、幾松さん姉さんは松子と名乗るようになります」


「あきあ殿、教えてくれぬか」

「はい」

「お主はどの時代からきたのじゃ」

「私は、年号を平成という今から約140年先からきました」

「して、藤原元方の怨霊とは?」

「平安時代に暴れ回った怨霊です。人を呪い殺し、平安京を雷や地震などで

破壊した恐ろしい怨霊です。でも晴明様が封じられて1千年の眠りにつかせましたが

人の世は変わっていきます。怨霊の存在を信じず、不思議の力は拒否されています。

結局、怨霊・藤原元方の封印を解いたのは人の手によってでした」


「その怨霊、復活してどうしようというのだ」

「はい、晴明神社を焼き払い京の結界を取除くことによって朱雀門を開こうとしています」

「何?朱雀門を?・・・・あれが開いてしまったら」

「はい、地獄の悪鬼・亡者達がこの京都を・・・いや日の本の国を地獄に変えてしまいましょう」


「しかし、結界は怨霊や亡者達には・・・・」

「はい、結界に触れる事叶わず、ですが卑劣な怨霊めが・・・」

と幼い少女達を攫い、その生命力を吸い取り、なおかつ少女達の両親・・・つまり

人の手で晴明神社を焼き払い結界をとく所存・・・と話した。


「おのれ・・・・元方!」

「源太郎様にはわたしの話を・・・」

「そんなことは!あきあ殿!お主のその眼を見ればわかることだ。この話が真実かどうかはな」

「ありがとうございます」

舞妓や芸妓達には難しかったのか、皆船をこいでいる。

「これ!あんた達!」

菊野は叱り付けたが小沙希が押し留める。


「この子達には何の関係のないことです。だから眠らせました」


「あきあ殿、これからどうする」

「はい、一刻も早く坂本様にお逢いしとうございますが、

あのお方は勤皇の志士としてお手配されておられる身。そうでしょう。源太郎様」

「あっははははは・・・・知っておられたか」

とぼんの窪をさわる源太郎。


「坂本様は変装したりして、敵の目をあざむくなんてことをする方でしょうか」

「坂本さんが変装?・・うっぷ・・・・」

と噴出す源太郎。


「うふふふ・・・すまんすまん。あれほど不器用な人はいまい。

それにそんなことをすること自体、毛嫌いする人だ。

自然のままに・・・そう自然のままに生きておられる。

だからこの京に入る時も自然に逆らわず堂々とこられるはずだ」


「源太郎様。私、少々この京の都を少し騒がしてもよろしいでしょうか」

「都を騒がす?」

「はい、血は一滴たりとも流しませぬ。坂本様が興味を持って

坂本様自身がわたしに近付いてこられるよう少し変わった趣向で・・・」

「して、どのような・・・」

「はい、ではお耳を拝借・・・・・」

と4人は顔を近づけ小沙希の話を聞く。


「うっぷ・・・・」

「うふふふ・・・いひひひ」

と体を捻じ曲げて笑いだした。菊野と幾松。

「とんでもないこと考える奴じゃ」

と晴明と源太郎。顔を見合わせあきれかえる。


「お侍様は難しゅうございます。あまり恥辱を与えるとお腹をめされます」

「いやいや、あきあ殿。その心配はない。昔はどうだったか知らないが

近頃の武士は切腹などはしない。いや切腹の法も知らぬ。

昔、葉隠れという思想はあったが今はそんなものは廃れてしまった。

今の武士は外見だけだ。特に幕府の侍はな」

吐きすてるようにいう。

(この侍、先を見る目はあるようじゃ)

晴明が好む人柄だ。


「では・・・」

「おう・・やれ。相手は町の人達を苦しめる浪人達や人切り集団の新撰組だ。

遠慮なくやったらいい。だが、剣術の腕かなりの者もいると聞いておるぞ」


「天然理心流・・・近藤勇様、土方歳三様、沖田総司様。

新撰組のお方達いづれも相当な腕前です。中でも沖田総司様、お若いですが

天賦の才能をお持ちのお方」


「沖田総司?・・・確か新撰組一番隊の・・・そんなに凄いのか?」

「はい、でも・・・胸を病んでおられます」

「胸を?」

痛ましそうな顔の源太郎。前途明るい青年が新撰組という人斬り集団の

掟に囚われ、そして胸を病んで死を待つのみ。同じ剣術使いを目指していた

源太郎にとってその無念さはわかるのだ。


「でも」

と自分自身を切り替えて明るい笑顔をつくって

「私はやります」

「そうだ。やれ!」

源太郎も小沙希の心がわかったのだろう明るく言う。

「だがその格好ではできまい」


「はい」

と言って、呪を唱えた。

すると覆面を被り黒い着流しの姿にかわった。

「何だ!その格好は?・・・」

「はい、わたしの時代にこういう姿をした主人公の物語があります。

新撰組を相手に戦う勤皇の志士”鞍馬天狗”といいます」


「鞍馬天狗か・・・気に入った。これは面白い事になりそうだ」

「お刀はお番屋に届けておきます」

「おうそうしてくれ。だが、下帯だけはかなわん。どこかに捨てておいてくれ」

「いえ、名前を書いて橋の欄干に・・・」

「くくくく・・・あきあ殿にはかなわん。

よくぞそういう悪戯が次から次と・・・・くくくく」

菊野も幾松ももう何度お腹を押さえて笑っているのか。


「じゃが、あきあよ。こういうことでその坂本竜馬という男、現われるであろうか」

「わかりませぬ。でも私が坂本竜馬というお人を調べれば調べるほど

今までの侍という枠を外れています。源太郎様はどうお思いですか?」

「判らぬ。坂本さんという人は全く判らぬ。

このわしの物差しでは計れぬ桁ちがいの人物だ。だが、あきあ殿の作戦は面白い。

坂本さんが最も好む悪戯だと思う。坂本さんはきっとひっかるでしょうな」


「なるほど、聞けば聞くほど興味がわく。

あきあよ、久しぶりにおぬしの目を通して坂本竜馬という男をじっくり見てみたい」

「おほほほ・・・晴明様もお好きな・・・・では」

というと赤い小さな玉になってあきあの体に消えていった。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


「ここまで一挙にお見せしました。ここで一日が終わりどす。

ちょっと休憩にしまひょか・・・・じゃあ、いまから10分後に再開どす」


                     ★★


「ねえ、沙希」

と奈緒がとんできた

さっき言いかけた私にいいことって何なの?

それが頭にあるから何も集中できない」

「仕方がない奈緒姉どすなあ・・・・でも、やっぱり言うんはこれが終わったあとどす」


「やっぱり駄目かあ」

「へえ、駄目どす。これは奈緒姉だけのことと違うんどすから」

「えっ?私だけはないの?」

そういって沙希の顔をじっとみつめる。何を考えているのか・・・・

やがてはっとして沙希の顔を見る奈緒。ニッコリと笑う沙希・・・

どうしてなのか、奈緒の身体がガタガタと震えだし、立っていられなくなった。


慌てて奈緒の身体を抱きしめて、祖母の後ろにいる志保を呼ぶ


慌てて飛んでくる、志保。勝江もあとに続いている。

「どうなすったのどすか、奈緒様」

「奈緒姉ちゃん、いろんなことがあったから少し体調をくずしたみたいどす。

高弟のみなさんのそばに座らせて少し様子を見ていておくれやす」


二人して廊下側につれていこうとしたが

「あっ、志保さんちょっと」

と呼び止める沙希。


志保は何事か勝江に頼むと急いで戻ってくる。

「志保さん、ちょっとお婆ちゃまのところで・・・」

と希美子となにやら楽しそうに話していたその祖母の前に座る二人。


「お婆ちゃま、ママは?」

「へえ、うち下の温泉で忘れ物したさかい取にいってもらったんどす」

その真理の席に座る希美子、どうやら真理が貞子から目を離すときには希美子が見ている・・・

と二人の暗黙の了解が出来ているようだ。


「ところで、小沙希ちゃんも志保さんもどうしたんどすか?」

「へえ、奈緒姉ちゃんが体調を崩しはって」

「そりゃいけまへん・・でも小沙希ちゃん、

澪先生が帰っておられるえ・・・それに相良病院の女先生もいられるし・・・えっ?・・・」


「そうどす、お婆ちゃまの思われる通りどす」

「沙希姫様・・・それはどういうことごすか?」

と聞く志保に

「へえ、うちが奈緒姉ちゃんに言う前にうちの心を悟りはった。そやから・・」

と祖母と志保と希美子に詳しくうちあける。


「ええ~・・・小・・・小沙希・・・ちゃん。そ・・・それ、ほんまどすか・・・」

あれほど落ち着いていた貞子の慌てぶり。

志保も胸元に手をおいて動揺をかくせない。希美子もしかりだ。


こんな日がくる・・・そうは思っていたし想像もしていた。

・・・・でも現実になったら・・・想像以上の胸の高まり、

「小沙希ちゃん・・・大丈夫どすか・・・」

かえって心配そうになる貞子。

こうなればいいなあと思っていたことが現実になればかえって心配になる。


「昨日までのうちにはわかりまへんどした。

でも今のうちには・・・わかるようになったんどすから間違いおへん」


「こりゃ、えらいこっちゃ・・・うち、これが終わったらまた温泉に入りにいくえ。

・・・そして、もっともっと寿命をのばさな・・・」


「おほほほ・・そうどす。おばあちゃま、この先にはもっともっと楽しみがいっぱいありますえ」

「小沙希ちゃん!・・・お願いがあるんどす・・・」


「おばあちゃま、わかっています。・・・・・この京舞の将来・・どすやろ」

「へえ、ほんまは小沙希ちゃんがやってくれたら一番いいんえ。

けんどあんたはうちが見てもいろんなことに才能がありすぎるんどす。

京舞に一生・・なんて小沙希ちゃんには出来ん相談やおもいます」


「お婆ちゃま、心配おへん。うちから見ても舞や音曲の天才や思う子がいます」

「えっ、舞の天才?・・」

「うちなんかとてもとてもかなうもんやおへん」

「ええ~~、小沙希ちゃんがかなわない子が・・・・」

「へえ、そやから京舞は大安泰どす。

お婆ちゃまがこれからやらなあかんことは、

真理ママをこの京都に縛り付けてどこにもやらんことどす。もちろん早瀬の里にもどすえ」


「どうして真理はんを・・・・」

といってからハッと小沙希の顔を見る。頷く小沙希になにもかも飲み込んだ三人。

ああ~・・・そうやったんや・・


「希美子さんはこれからいそがしくなるえ。

この家のことみなあかんし、地下の施設の総取締りどす。

これからは祇園の舞妓ちゃんや芸妓はんが毎日のように温泉に入りにきます。

花街の女は身体や精神を酷使しているんどす

そやからここの保養施設をかかせんようなります。

他の花街からも女性達が押し寄せてくるはずどす。

とてもとても真理ママ一人ではできんようなります」

と言ってから

「相良病院の相良明子はんがここのこと知りはった。

きっと女性の患者さんここに回してきはる。

今は看護師さんたち多いように思えるけんど

入院施設に患者さんが多なったら、看護師さんの手が3倍以上必要になるんどす。

それに病院施設いつまでも地下においとけまへん。患者さんには自然の光や空気が必要なんどす。

だからいうてここから離れることできまへんし・・・・

歩いて5分・・・せいぜいその範囲で病院の候補地探す必要あるんどす。

そんなこと真理ママと一緒にやらなあかん。・・・できますか?希美子さん」


「できます。・・といえたら・・・そんな自分に自身があったら・・・」

「希美子はん!最初から出来る!・・・・いう人いたらそんな人信用できまへん。

そんな人、詐欺師や。けんど最初からしり込みしとったら何もできまへん。

たとえそれが出来んかっても努力さえしていれば何もいいまへん」


「お婆ちゃまのいうとおりどす。頭で考えてばかりいちゃあかんえ。

まずは行動してみ・・・ねえ、お婆ちゃま」


「おほほほ・・・小沙希ちゃんがいつもしていることうちには『そうどす』とはいえまへん。

けんど小沙希ちゃんの1/100分でもやってみればいいんどす」


ぷっと膨れる小沙希・・・。

「なんやうち、ひどいいわれかた」

といってから時計に目がいく。


「あっ・・・もう時間どす。それじゃあ、志保さん。

奈緒姉ちゃんでさえあの様子どす。うちの発表聞いたらどんなことになるか・・・

とにかく他のお弟子さんたちにやっていただけるよう・・・」

「わかってます。・・・でも沙希姫様・・・おめでとうございます」


「いやだ、志保さん」

と照れたような声を残して立ち上がる。

こうして続きが始まった。みんなわくわくして身を乗り出しているが

終わった後は大変な騒ぎが待っているのもしらず・・・・・


「これからのシーン、希美子さん、希佐ちゃんのよく知っている所が出てくるんどす

よく見ておいておくれやす」


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


気軽に道場内に入って行く源太郎。

しかし、小沙希・・・いや沙希太郎はその場で膝をつき頭を下げてから

立ち上がって道場に入って行った。

それが礼だからだ。舞のお稽古場でもそうする。剣道場でも同じだ。


「ふ~む、・・・」

口には出さないが感心したように沙希太郎に注目する当道場の主、結城弦四郎。

今は男姿だが舞妓だと聞いている。

それがどうだ、立ち居振舞いの隙のなさ・・・一流の剣士と言ってもいい。

俄然興味が湧く。源太郎から聞いた気功というのも、まあ話半分に聞いていたが

これは真剣にならざるを得ない。


横にいる娘の和葉、源太郎から話を聞いていた時和葉もいて

「そんな、らちもない・・・・」

と笑いとばしていたものだが、さすがは当道場の師範代だ。

沙希太郎の実力を読取ったらしいが、わが娘ながらまだ甘い。

横目でその表情を見ていたが、自分と同じかそれとも一段下かと読んだらしいが

それは違うぞ!父が立ち会って勝てるかどうか・・・いや勝てまい。

千葉道場で修業をした篠原殿でも勝てないだろう。

この若さで何と言う強さ・・・・天分・・・そう天分といっても差し支えない。


「それまで!」

という道場主の声に元気に竹刀を振っていた弟子達が全員壁際に座る。

「今日、ここにおられるお二人が来たのは・・・・いやここにおられるお若い方」

と弦四郎が言った時、沙希太郎が立ち上がって

「早瀬沙希太郎と申します。よろしく」

と言って名をなのる。いかにも男の名前を名乗ってはいるが

一目で女性と判るのがなんだかおかしい。


「みんなもよく知っている篠原殿よりお聞きした早瀬殿の秘術、

気功とかいうものを知りたいと欲し、わざわざ来て貰ったのじゃ」

「まあ、みんな!そんなしゃっちこばらずにゆるりと見ていたらいい」

と秘術と聞いて固くなっていた体がその言葉で一度に力が抜けていく弟子達。


師範代の和葉も興味があるのだが、こんな若造何者ぞという気概が見え見えで

別に争うわけでもないのに・・・と可笑しくなってくる沙希太郎。


源太郎に目で合図をされた沙希太郎。立ち上がり道場中央に立つ。

「まずは言っておきます。この気功はお隣りの大陸中国のものであり

先ほど先生が秘術と言われましたがこれは秘術ではありません。

気功の気とは人それぞれが体内に持つ気のことであり、誰もが使えるのです。例えば、ホラ」

と身体の前で両手の平を上下に間隔をあけると、その中央に青白い玉がボウっと浮かび出た。


「おう!」

という声があがる。

「これは、人の気が光の玉として具象化したものです。

でもこんな小さな気の塊でも使い方を誤ると・・・」

と指先の乗せて弾くと『バン!』と分厚い道場の板壁に小さな穴を空けてしまった。


「こ・・・これは・・・」

分厚い板に真ん丸く開いた穴、いかにその威力が凄いものなのかもう言葉が出てこない。


「これは・・これは気功を間違って使ったものです。

もし皆さんが例え気の玉を出せたとしてもこんなこと出来ませんから」

と注意をする。


「今日、みなさんに知ってもらいたかったのは無刀で相手を倒す方法です。

勿論、柔術もありますが気功では相手の気を利用して倒しますので

相手の身体には一切触れません。では一度やってみましょうか。

誰かお相手をお願いします」


よし、っと立ち上がったのは身体が相撲取りのように大きな佐田彦一、

しかも、師範代の和葉も梃子摺る強さだし、性格も荒く皆から嫌われている。

その彦一が最初に立つのを見て

「お父様!」

と声をあげたのは和葉だ。


でも

「待ちなさい」

と和葉を押し留めたのは篠原源太郎。

「これは面白い!」

「でも・・・」

「和葉さん、心配しなさんな。沙希太郎が負けることはないよ。

俺が見たいのはあんなでかい体をどのように始末するかなんだ」


「あの人、そんなに強いんですか?」

「ほう、和葉殿はあの沙希太郎の見栄えに惑わされているのか?」

そんな言葉に少し膨れる和葉。

「そんなことで膨れるようでは剣の修行をこれ以上する必要はないぜ。和葉殿」


黙ってしまったというより、口惜しさから声もでない。

「言っておくがあの沙希太郎、俺や弦四郎が束になってかかっても

相手にはならないぐらい強い。ひょっとしたら俺の師匠の千葉周作先生よりもな」


「えっ?そんなに?・・・・父上!本当ですか?」

「ああ、本当だ。わしの目にはあの小さな体が最初から

大きな岩に見えていた。だが今では途方もなく高い岩壁に見える。

隙があるようで全ての動きに隙がない。

篠原殿のいわれることに間違いはない。

わしは今日の出会い、今まで生きてきた甲斐があった。本当に嬉しい。篠原殿、感謝する」


「よせやい、・・・さあ、勝負がはじまったようだぜ。

お互いじっくりと見定めようじゃないか」


彦一は沙希太郎を捕まえようとドタドタと道場の中を走り回っていた。

沙希太郎はヒョイヒョイと紙一重の差でかわしている。

真赤な顔で汗をかき肩で息をしている彦一と汗ひとつかかなく呼吸ひとつ

乱れない沙希太郎、その実力の差は厳然とある。

そのことが判らない彦一は

「ええい!ちょこまかと・・・・」

「ふふふ、あなたの気の流れ案外軽いものですね。ではいきますよ」

と言う声に突っ込む彦一。


誰かの

「ああ~・・・」

という声。

『ド~ン』と軽々と宙を飛んで板壁にぶつかった彦一、

そのまま『ズ~ン』と床に落ちて動かない。気絶したようだ。


「あっ、ごめんなさい。佐田さんの気があまりに硬すぎたので反発が強かったようです」

と倒れている佐田の後ろエリを掴むと30貫(112.5kg)もある体を

片手でひょいと持ち上げると体を板壁にもたれさせて座らせた。


唖然と見守る道場の内外の人達、いつのまにか覗き窓の外には

菊野屋の女達以外の野次馬も増えているようだ。


「父上!わたし見ました。沙希太郎様の手は佐田さんの体に触れていません。

ただ佐田さんの額のところを狙って指で弾いただけです。・・・・凄い!」

「和葉よ。よく見た。わしにもそう見えた」

「弦四郎よ、気功というものあれだけ人の体を吹き飛ばせるものか。恐ろしいものよ」


そんな言葉が聞こえたのかどうか

「今のは気功の奥義です。でもこれからおこなうのは皆さんが修練をつめば

できるものばかりです。よく見ていてください」


それからの沙希太郎が若い弟子達におこなう稽古はこれまた目を見張るものばかり。

沙希太郎の手の動きに弟子達はコロコロ転げ回る。

手を退けば体が突っ込み、押せば体が面白いように後ろに転がっていく。

まるであやつり人形のようだ。野次馬達も佐田のことがなかったら

何を芝居しているとあざ笑っただろうが、あの強烈な出来事があっただけに

沙希太郎が不気味に見えた。


「よし、それまで!」

と弦四郎の声がかかり、そのまま座った沙希太郎。

あれほど激しい動きだったのに汗もかいていないし、呼吸も乱れていない。

それにひきかえ弟子たちは滝のように汗を流し、激しい呼吸で息も絶え絶えだ。


「つらいですか?」

そう聞く沙希太郎に首を振ったりして言葉が出ないもののやはり今まで

剣の修行をしてきた者達だ。板壁に体をもたれかかせながらも懸命に座ろうとする。


「では、わたし言う通りにしてください。

まずは座禅を組んで・・・・そう、両手の平を上下に向かい合わせて・・・

どちらの手が上になってもかまいません。

そして、丸いものを持っているように手の平を丸めます。

それから、自分の気を両手の中に入れるようにします。

そのままじっくりと目を閉じて構えていてください。

決して体に力をいれてはいけません」


時間がゆっくりと過ぎていく。

「手の中が温かくなった方、目を開けてください。青白い玉が具象化しています。

具象化していても見えない方はもう少しです」

さすがに修行をしていた者達全てが目を開けている。

半数以上が気を具象化していた。


「自分の気が見えた方、相手の気が見えるようになるまでもう少しです。

体の気の流れは千差万別です。どこか体の悪い方はその部分の気が

弱くなっています。だから中国では医術に気功が使われているのです。

相手の弱くなったところに手を当て気を流します。

これが医術でいう手当てです。全てがこれで治るわけではありませんが、

でも中国4000年から生まれたものです。馬鹿には出来ません」

と言ってから両手を前に出すと、その手の平に現われる横笛。

その不思議な術に驚きの声・・・でも沙希太郎は何も言わずすーっと口にあてる。


何と言う・・・・何と言う・・・・笛の調べなのか

この音色に誘われて窓から流れ込む清廉な風は、心の屈託を消し去り

尚且つ肉体の疲労をも消し去っていく。

そして雑霊をも消し去って行くので道場に溜まった澱のようなものが

きれいさっぱりなくなったので、やけに道場内が明るく見える。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


「希美子さんはここがどこかわかりますえ」

「あっはい。・・・う・・うちです。いまのところはうちにある道場です。

えっ?じゃあ今のは・・・ほんとうに・・」


「うちの義理の父と妻の和葉どす。・・・律姉!前世のあなたどすえ・・・」

「今のが私?・・・なんだか不思議・・・見ているとこみ上げてきちゃう・・・」

隣の順子がしっかりしなさいというように律子の身体をささえている。


「希佐ちゃん!父の玄四郎には今日あったわね」

「はい、声をかけていただきました」

「希佐!・・・どうして?・・・」

「お母さん、比叡山に今日天界より5人の方が沙希さんに会いに降りて来られたからよ」


「ええ~・・・・」

「大勢の方が目撃しているし、お話もしたわ」

「希佐ちゃんは父と何を話したの?」

「いえ・・・別に特別なことは・・・ただ、剣のことが多かっったです。

剣がすきで今居合を勉強しているっていったら玄四郎お爺様は・・・」

「玄四郎お爺様?」

「ええ、そう呼べっておっしゃって・・・だから私のこと希佐って呼び捨てに

してくださいって言っておきました」


「もう、希佐ちゃんは・・・」

ものおじしない我娘に呆れ顔だ。

希佐はニッコリ笑って

「玄四郎お爺様が道場にこられて時々手ほどきしてくれるって・・・」

「道場に来られるっていわれたの?」

「ええ、坂本竜馬様にそう許可を得られてました」

「坂本竜馬様?」

「ええ、天界の5人お方の中では一番えらい方みたいでした。

・・・そうそう、近くにおられた方が私も行ってよろしいでしょうかって・・・」、

「近くにおられた方って?・・・」

「私は剣のことを聞くと夢中になってしまうから・・・て、

私なんかあなたにはとてもかなうはずはありません・・・

というとその方笑っておられました。

でも最後にはあなたは沙希殿の血を引くお方です。

まだまだ隠れた才能があるはすですなんて言われちゃいました。

ねえ沙希さん。私・・いくら沙希さんの血を引くからって

沖田様のいわれるような才能があるのでしょうか」


「沖田様?・・・・まさか・・・・」

「ええ、新撰組一番隊隊長だった沖田総司様よ・・・」

こんな常識はずれの会話みんな笑ってしまうだろうに明子や牛尾刑事の母。

牛尾良子・・・旧姓篠原良子にはもうなんの疑問もなくなっていた。


「だから、この話をそばで聞いていた京都府警の男の刑事さんたちが

沖田様に剣を教えてくださいと申し出されました。

でも沖田様はすでに肉体を持たぬ身だからどこにでもというわけはいかぬ。

だが結城道場ならば時々といわれ・・・・きっと刑事さんたち、道場に入門されるわ。

東京の警察官の方たち羨ましそうにされていたもの」


こんな話・・・もうみんな夢中になって聞いている。


「ねえ、沙希さん。沖田様は昔、剣が強かった剣豪といわれる人たちの中でも

一番強いのは沙希殿です。っていわれてました」


「おほほほ、それは沖田様の買被りですよ」

という沙希に、希佐は怒ったように

「そんなことありません。これも沖田様の言われたことですが

どんな剣豪の方でも安倍晴明様の亜流、

その安倍晴明様の元で修行された沙希さんが強いのはあたりまえです、

その証拠に沖田様は沙希さんを目標にいまだ天界において修行をかかされないのです」


「あははは・・・それは違うぞ!希佐・・・・」

そういう声がきこえて小さな光の玉がいくつも庭から入ってきた。



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