第二部 第八話
「旦那!こいつら下帯つけてませんぜ」
「なに!それじゃあこいつら・・・・まさか、女にいたずらを・・・・?」
「いえ、そんな様子は無いようで」
沖田は自分の口出すことではないので番屋のあがりかまちに腰掛けてじっと様子をみている。
男達どんなことをされたのか水をぶっ掛けられても気がつかない。
そんなとき
「だんなあ~・・・だんなあ~・・・」
と番屋に飛び込んできたのは政吉の一の子分丑松。
手になにやら白い布切れを巻きつけている。
「どうした、丑!」
「へい、あたりをぐるっと見回って帰る途中、
橋の欄干にこれが巻きつけられていたんでやす。
見てみやすと何やら”鬼面組”と書かれていますんで慌ててひっぱずしてきやした」
と丑松の腕に巻きつけられた白い布、
源太郎は二ヤッと笑って
「丑!そりゃあ・・・こ奴等の下帯だぜ」
「し・・・下帯?・・・・」
言われた意味がすぐにはわからず旦那の源太郎を見ていたが
自分の腕に巻かれた布切れに・・・・
「ひ・・・・ひえ~・・・し・・・したおび・・・・・だあ・・」
慌てて腕から下帯をひっぺがし気絶している男達の上に投げつけた。
そして何をおもったか丑松、自分の腕に鼻を近づけ匂いをかぐ。
「く・・・・くせえ~~・・・!」
飛び上がる丑松に親分の政吉が叱るように
「馬鹿野郎!早く腕を洗って来い!」
その言葉にすっ飛んでいく。
その姿を見送る3人、なんだかホッとする雰囲気・・・閑話休・・。
「おっ、旦那!・・・こいつら目を覚ましたようですぜ」
いかにも悪党づらの男4人・・・・だが覚醒したとたん、
『ギャア~~』
とはね起きた。捕縄でひっ繰られた男達がである
「おいおい!・・俺達ゃあ、まだおめェ達に何にもしてねえんだぜ」
その声が聞こえていないのか、泣きそうな顔で地団駄を踏んでいる。
「ちっ!だらしねえやつらだ」
と肩を押えて座らせようとしたとたん
『ギェー!』
と白目を向いて後ろ向きにゆっくりと倒れていく。
「おっと・・・」
と体を支えた政吉。
「旦那!・・・こいつ泡をふいて気絶してやすぜ」
「なに?・・・あれだけのことでか」
「篠原さん・・・これは・・・」
「ふ~む、・・・おい、政吉!・・そいつの着物脱がしてみろ!」
「へえ」
といって気絶している男の上半身をおこして着物を脱がす。
「あっ!旦那!・・・これは」
政吉の驚きの顔に源太郎は近寄る。
「む!」
と声を上げた源太郎、
「沖田さん、これは何のあとだろうか」
と沖田を呼んだ。
近付いた沖田の目に体中に小さな赤い点がくっきりと浮かんでいるのだ。
これだけ時が経つのに消えもしていない。
「これは?・・・・」
「別に傷がついたあとでもない」
と十手で赤い点を調べて
「細い木の先かなんかだろうか」
「篠原さん、これはもしかしたら馬のムチではないでしょうか」
「ふ~む、馬のムチで突くか・・・
だが沖田さん鬼面組といえば、やっとうも並以上にやると聞いているんですよ。
この4人達相手に刀もぬかず、ムチだけで相手できるでしょうか」
「そうですね、これは余程の手誰・・・鞍馬天狗とは一体・・・」
考えこむ沖田を見つめる源太郎に
「旦那!この赤い点、いってえ何なんでやすか?」
その声にはっと気づく沖田総司。
「篠原さん!あの書状の言葉・・・」
「おお、そうだった。確か経絡とか書いていたな」
と先ほど沖田に渡された書状なるもの懐からとりだし読み返してみる。
「なになに・・・『この者達市中を騒がす鬼面組なり。人心を惑わし、
なおかつ婦女子をかどわかし、金品を脅し取ったその罪、万死に値す。
気を失いし男達、経絡をつき疼痛を倍増させん。
数々の悪事全て白状し誠ならば痛み消え、
誠為らずばその痛み1里先まで悲鳴聞こえん。
我使命、京の都騒がす者こらしめんと鞍馬山から下りしものなり。
鞍馬天狗 』
か・・・沖田さん!この経絡ってなんだ?」
「さあ、でも経絡を突き痛みを倍増させるって・・・、
これ医者の用語ではないでしょうか」
「そうか、医者か・・・おい政吉!近くにいる医者を呼んで来い」
「へい」
と飛び出していく政吉を見送り
「なあ沖田さん!このあとの文なんだが、
正直に白状すれば痛みは消えるが、嘘をついたならば気が狂うほどの
痛みが走る・・・・なんて解釈したらどうだろう」
「ええ私も先ほどから考えていましたが、そう考えるべきでしょうね。
でも、果たしてそんなことが出来るのでしょうか?」
「わしもかなり剣の修行をしてきたつもりだが、千葉周作先生にも
そんな剣法知っておられたかどうか・・・」
「わたしも江戸でいろんな道場に出入りしていましたが
そんな剣は聞いた事もありませんでしたよ」
「よし、試してみよう」
といって痛みのためか蒼白になってブルブル震えている男達に向かって
「おい!・・・おめえ達の親玉は今どこにいる!」
「し・・・しらねえ・・・おれ達は知らねえ」
と言ったとたん
『ギ・・ギャア~~!』
と一寸ほど飛び上がり、膝をガックリと折り曲げて
後ろ手に縛られているものだからそのまま顔が土間にぶつかり、
尻があがったままの姿勢で気絶している。
下帯がないまま着物がまくれているので、全くの生まれたままの姿・・・
だが大の大人のしかもいい年をした男・・・見るに耐えない。
源太郎は男の尻をけり、『ドーン』と横たえてしまった。
その時、
「旦那!旦那あ~・・・・」
と飛び込んできた政吉、
作務衣姿の若い男をひっぱてきている。
「旦那、こちらは相良先生と申しやす。
まだお若えがてえした腕のお医者様で・・・へい・・」
「お手前が相良さんか、いやあ評判はよくきいていますよ」
「いやあ」
と照れくさそうに下をむく。
「拙者は・・・」
といいかけた時、
「篠原源太郎さんですね」
「ええ!」
「よく、政吉親分からお噂は聞いております」
「先生!親分はよしてくだせえ」
と作務衣のそでをひっぱる。
その様子がおかしいと笑いあう相良と源太郎。
「篠原さん、こちらは?」
と源太郎の後ろに控えていた沖田をけげんな目でみる相良。
それはそうだろう見れば新撰組と一目でわかるが、この番屋と新撰組が結びつかない。
「わたしは新撰組の沖田総司です。先生のことは隊員達から聞いております」
「こちらこそ。沖田さんのお噂は緒方さん達からよく聞いておりますよ」
「いやだなあ、また碌でもない噂でしょう」
と明るく笑うこの青年、おやっと思うほどすれてはいない。
剣鬼といわれるのがこんな青年だったなんて。全く人の噂ほどあてにはならない。
「ところで何かわたしに用なのでしょうか?」
「ああ、先生。ちょっとこれをみてほしいんですが」
と気絶をしている男に被せてあった着物を十手でまくってみせる。
「あっ!・・・これは・・・」
と屈みこんで体を念入りに調べ始めた。
男達3人が見つめる中、やっと立ち上がった相良新之助。
「こんなこと・・・誰が?・・・」
「相良さん、これを読んでそこで見ていてくれ」
と言って鞍馬天狗のあの書状を渡してから
首を斜め上にあげつま先立って体の内から湧きあがってくる痛みを
何とか我慢しているが2人の男に
「おい!おめえら!どうしてこの2人が伸びてしまったか判るか?」
首を振る2人に
「おめえ達はな、鞍馬天狗という奴に不思議な術をかけられたのさ。
嘘をいうと・・・この男達のように耐えようもねえ痛みで気絶をする。
もしかすると心の臓も止まっちまうかもしれねえ。つまりだ嘘は絶対つけねえ・・・ということだ。
どうだ!試してみねえか」
男達は勢いよく首をふる。
「はははは・・・違う違う。正直に答えてみることを・・・だ。
どうだ・・・・おれのいうことに正直に答えてみるか」
男達は視線を源太郎に向けて小刻みに何度頷いている。
「沖田さん、相良先生!あんた達が証人だ。
座敷にでも座ってじっくり聞いていてくれないか」
二人は黙って座敷にあがった。
その様子を横目に
「まずは、おめえ」
と背の高いほうの男に十手をむける。
「生国は?」
「ひ・・・常陸のく・・・国・・」
「武家の出か?」
「い・・いい・・え、お・・おらは・・おらの家は・・・村の庄屋・・・おらは
次男坊・・・で、・・・へ・・へい」
「ふ~ん、庄屋の次男坊か。どうせ、村の娘達にいたずらしたり、
喧嘩ざたがやまねえんで、村を追い出された口だろう」
「へい・・・よくおわかりで・・・・」
「昔からの常套なんだよ。おめえ達のような悪党のほとんどが
農家や商家の次男坊以下のろくでもなしさ。
さむれえは幼ねえときから腹を切ることを教えられるんだ。
だから余程のことがねえ限り刀は抜かねえ、あぶねえところには近づかねえ。
何故かと言うと、死ぬときの大事さ、命をかけるのはどういうときかを知っているからだ。
マア、100人が100人ともなんてことは言わねえがサ」
といってから
「おい!おめえ名はなんという?・・・・」
「き・・きど・・・鬼堂一郎太」
と言ったとたん
『ギェ~!』と悲鳴を上げた。
「馬鹿野郎!・・・そんなふざけた名前を聞いたんじゃねえ。
ほらみろ、せっかく痛みが少し引いて体の硬さが取れていたのによう。
元の木阿弥じゃねえか。・・・よく聞いていろよ。
これからのおめえ達は死ぬまで嘘はつけねえ、悪さもできねえんだ。
たった一つの嘘でその痛さ・・・よく覚えておくんだな」
と言って
「政吉!奉行所からは?」
「へい!丑を走らせやしたんで、おっつけもう・・・・」
「おやぶ~ん・・・・おやぶ~ん・・・・」
「あの野郎!あんなでっけえ声で・・・」
「ははは・・・いいじゃねえか。丑の奴、一生懸命なんだ。少々、融通は利けねえけどさ」
息を切らしながら駆け込んできた丑松。
「あっ旦那。ただ今小山様が・・・・・」
「何!郁太郎がきたのか」
「篠原さん!」
と入ってきた同心姿の若者、江島郁太郎。源太郎が京都に帰ってきてから
何かと世話になった江島兵衛が体を悪くし、
せがれ郁太郎に跡をゆずったので新米の郁太郎の面倒を見ている源太郎。
「郁太郎!お前1人か?」
「いえ、後から後藤さんと安岡さんが捕り手を連れて」
「そうかそうか。・・・郁太郎、俺は今日は奉行所には帰らねえから」
と言ってから今までの経過を話す。
「えっ?・・・そんなこと・・・・そんなことができるんですか?」
「ああ、できるんだなあ。それが」
とまだ話をしていないもう1人の背の低い男に声をかける。
「おい!そっちの男!」
「へ・・・へい・・・」
さっきの背の高い男が踵を落とした普通の姿勢をしているのに
この男、まだ爪先立って顎をあげて蒼白な顔をしているのだ。
「おめえ、一度嘘を言ってみねえか」
男は激しく首を横に振った。
「だ・・・だんな!もう勘弁してくだせえ。こうなったら何でも正直に
お話いたしやす。こいつらみたいな目にあうのは、まっぴらでやんす」
「生国は?」
「へい、江戸で・・・」
「なんだ、江戸っ子かえ。江戸のどこだ」
「浅草なんで」
「どうして流れてきたんだ?」
「へい、お決まりのお家騒動で・・あっしは浅草でも大きな海苔屋の跡取でやした。
ところがおやじが急死した後、継母が店の実権を握ってあっしを追い出そうとしたんで、
継母を半殺しの目に合わせて江戸を売ってきやした」
「名はなんと申す」
「平吉で」
「平吉!その継母も悪いがお前も悪いや。そんな継母だと店で働く奴等の心は離れているさ。
なぜ、おめえはじっと我慢していなかったんだ。
だから、おめえが一番悪い。気の毒は店で働くやつらさ。
その後の店のことはおめえは知るまい。だが予想はつくだろうさ」
「へい・・・・・・」
落ち込む平吉。だがその体から踏ん張っていた力が抜けていた。
「篠原さん!」
「この男の言っている話は本当のことだ」
「はい」
「わかるのか」
「なんとなくです。この男の言葉が内から体の硬さを溶かしていく。そんな感じを受け取りました」
「ほう、そこまで判るようになったか・・・成長したな、おい!」
「いえ、まだまだです。これからも篠原さんのご指導願うばかりで・・・
あっ・・・どうやら、どうやら後藤さん達がきたようですね」
「おい、俺は消えるぜ」
「えっ?」
「安岡さんに、今日はどこにいた等、ごちゃごちゃ言われちゃたまんねえからな。
あとは郁太郎と政吉にまかす。
こいつらの親玉の居場所を聞き出してとっつかまえろ」
源太郎は立ち上がって、郁太郎と政吉の返事を聞くまでもなく
「ご両所、すまねえ。場所を変えてくれねえか。ちと、うるさがたがくるんでね」
と隣りの仮牢がある部屋へ素早く二人を案内する。
この部屋から裏の路地に出られるのだ。
★
「いいどすか?小沙希ちゃん。あんまり無茶は駄目どすえ。
あんた見てるともうはらはらしどおしなんどす!」
小沙希を見守る置屋の人達、時代は変われど心配する気持ちは変わりがない。
「お母ちゃん、ごめん。時間がないんでうち、あせってた。
でも、鈴音ちゃんにあんな罠をかけるなんて許せなかった・・・」
小沙希のきらきらと光る目、きりっとひきしまったその表情、
怒りを浮かべるその姿はホウっとため息が出るほど美しい。
祇園が出来て以来、容姿も芸もそして強さも一番の舞妓ちゃんといっても過言ではない。
・・・そして、もうひとつ・・・これほど皆をはらはらと心配させることも・・・・・・・・。
『ガラガラ』と木戸が開いて
「お母ちゃん!・・・・」
と飛び込んできたのは花世だ。
昨日、男に騙され連れ出された鈴音のことを思んばかって
菊野が一番仲のいい花世に少し離れた置屋に様子を見に行かせたのだ。
座敷で菊野と幾松、そして小沙希が座っている間に割り込んだ花世、何か紙を持っている。
「またあ、あんたは・・・いつまでうちに小言ばかり言わせるんどすか。
もういいかげんにせな・・・・・」
と叱るが、そんなこと耳の右から左へすり抜けている花世。
「お母ちゃん!そんなことよりこれ見て!」
と3人の目の前にポンと置いたのが手に持っていた紙だ。
「なんや・・・・・・かわら版やおへんか」
「お母ちゃん!・・・よう読んでみて!」
「なになに・・・鞍馬天狗とは何者?・・・・ええ~鞍馬天狗?」
と小沙希の顔を見る菊野と幾松。
昨日、鈴音を助けたことを聞いていただけで鞍馬天狗のことは何も聞いていなかったのだ。
再びかわら版に目を通す菊野と幾松。
「ええ~~?鞍馬天狗に倒された子分達が白状して、奉行所の役人が鬼面組の隠れ家を急襲・・・
そこには何と頭領である鬼堂行雲斎と部下の四天王、そして手下達十八名が気絶していたんどすって」
唖然とした顔で小沙希を見つめる菊野と幾松。
顔を赤くして俯く小沙希。こんな様子の3人、感の鋭い花世が気づかぬはずはない。
はっとして小沙希を見つめた花世がいきなり
「小沙希さん姉さん!・・・この鞍馬天狗って、小沙希さん姉さんどすな。
・・・又、危ないことやったんどすか!」
「ごめんえ、花世ちゃん。・・・・でもうちにはもう時間がないんどす」
「時間がない?それどういうことどすか?」
「花世!小沙希ちゃんはな、この時代には3日間しかおられへんのや」
「3日間しか?・・・そんなの聞いてない。・・・・うち、いやや!・・・」
と泣きそうな花世。
「ごめん、でも花世ちゃん。うち、帰ったらうちの時代の花世ちゃん、
大事にするからそれでかんべんえ」
「それは・・・どういう・・・」
ととまどう花世。
「お母ちゃん、花世ちゃん。それに幾松さん姉さん。因縁ってあるんどすなあ。
昨日、うちの時代の『菊野屋』のお母ちゃんは
お母ちゃんの孫か曾孫いうましたけんど、花世ちゃんも同じどす。
うちの時代の花世ちゃんは花世ちゃんの曾孫か玄孫なんどす。
顔つきも声もそっくり。・・・それに性格も・・・・・ふふふ。
うち、お母ちゃんには心配かけどおしやし、花世ちゃんに怒られてばっかり」
そんな因縁を話されて何だか嬉しい。
すると幾松が
「小沙希ちゃん、うちはどうなんどすか?」
と聞く。
「幾松さん姉さんは、早瀬一族って知っていはりますか?」
「えっ?小沙希ちゃん。どうしてそれを?」
「やはり、幾松さん姉さんは早瀬の血を引くんどすなあ」
「ええ、でもそれはずーっと前からうちの家系の秘密だったんどすえ」
「幾松さん姉さん。早瀬の血を引くおなごは全国に広がっているんどす。
平安期に帝の娘である早瀬の沙希姫様、
その方が安倍晴明様に戦いのない世を作るために呪術をかけられ、
おなごしか産めぬ身体にされたんどす。
それから脈々と続くこの一族、世の中の争いを無くす様
この国中、我早瀬一族は広まっているんどす」
「我早瀬一族って?・・・まさか小沙希ちゃんは?」
「へえ、うち早瀬の沙希姫様の生まれ変わりなんどす」
「小沙希ちゃんが御始祖様の生まれ変わり?」
呆然と見つめる幾松。
「でも、うちはうちどす」
とニッと笑う小沙希。でも顔を曇らしている花世には
「花世ちゃん、かんにんえ。
うちどうしても明日中に土佐の坂本竜馬様に逢わなければならないの。
だからこの祇園には悪いけんど少し騒がせてもらっているんどす」
「小沙希さん姉さん、鈴音ちゃんには?」
「あの時、暗がりだったし覆面をしていたからうちのことは判らないと思う。
けんど、こんな身体どすから。いくら声色を使っていても男か女かぐらいは
察したんじゃないか、とうちは思うんどす。けんど鈴音ちゃんは・・・」
「そんなこと一言も言わらへんかった。うちとは友達やのに・・・・」
「そやから鈴音ちゃんは凄く信用できる娘どす・・・花世ちゃん、大事にせなあかんえ」
そんな時、木戸が『ガラガラ』と開いて
「ごめん!」
という声がした。
小沙希達が振り返るのと同時に
「まあまあ、これは篠原様。こんな朝早うにご苦労さんどす」
と言いながら立ち上がって、迎えにでる菊野。
「さあさ、あがっておくれやす」
「いやあ、そうもいかぬ。小沙希殿、昨夜の約束じゃ。
さっそく同道してもらって、気功というものを見せてもらいたい」
と菊野の後ろから姿を見せた小沙希にいう。
「わかりました。でもどこで?」
「奉行所内の道場というわけにもいかぬ。
だから近くに道場を開いている知人に頼んだのさ。
そやつもえらく興味をもってな、うずうずして待っているんだ」
「ふふふ・・・、男の方っていうのは・・・まるで子供みたいどすなあ。ではいきましょか」
と土間に降りかけた小沙希に
「おいおい、小沙希殿。その格好で行くのか?」
「いけませぬか?」
と自分の格好を見直す。今は舞妓姿ではなくいかにも町娘という普段着姿なのだ。
「いかにもその格好ではなあ・・・・」
と渋る源太郎に何やら考えこんでいた小沙希が
「では・・これでは?」
と呪を唱えるとその姿は・・・前髪も凛々しい若侍に変わった。
「おお~・・・」
と驚く源太郎、昨夜小沙希の秘術を見ていたのだが、こうして再び目の前で
見せ付けられるとつい声が出てしまう。
「まあ・・・・素敵どす!小沙希ちゃんの男姿・・・」
と幾松の声にドドドドと階段から降りてくる女達の足音。
「うちらにも見せておくれやす」
と小沙希の回りに集まった芸妓や舞妓達、
「素敵!・・・・・」
「小沙希ちゃん、よう似合てはる」
まるで黒目にハートマークが入ったように小沙希の姿を見つめているのだ。
「拙者は小沙希という名ではござらぬ。江戸から修行の旅にまいった早瀬沙希太郎と
申すもの。よしなに・・・・」
といったその姿はまるでひいきの歌舞伎役者のよう。
思わず手を叩いてしまう女達。小沙希も照れてしまって
「源太郎殿、では急ぎまいりましょうか」
と土間に下りてしまう。
「待って!うちも行きます」
と幾松が声をかけ、土間に下りる。
「うちらも」
と女達も下駄に足を通した。
「困ったなあ・・・」
といかにも女達に手を焼く源太郎。
「何も篠原様が困る事おへん。うちらが勝手に付いて行くだけのことやさかい」
「道場には入れないからな」
「へえ、そんなこと判っています。うちら表の覗き窓から見物させて貰います」
通りに出た源太郎、隣りを歩く小沙希の姿につい足を止めて魅入ってしまう
通行人には仕方がないが、後ろを『きゃっきゃっ』と付いて来る女達には参ってしまった。
これは奉行所の同心の姿ではない、こんなこと口煩い上司の耳に入れば
どんな小言、お叱りが待っているのか・・・思うとぞっとするが
元来は物にこだわらない性格、小沙希と話ながら歩く中にすっかり忘れてしまった。
「ここだ」
と門をくぐる源太郎、女達は心得たものでスッと道場の覗き窓の方に行ってしまう。
「ごめん!」
と玄関から声をかける源太郎、すると奥から稽古着を着た若者が出てきて
「あっ、篠原さん。先生がお待ちです。どうぞお上がりください」
と道場のほうに案内する。
小さな道場ながら小気味のいい稽古の音が聞こえてきた。
「失礼します」
「おお、篠原さん。待っていた」
気軽に道場内に入って行く源太郎。
しかし、小沙希・・・いや沙希太郎はその場で膝をつき頭を下げてから
立ち上がって道場に入って行った。
それが礼だからだ。舞のお稽古場でもそうする。剣道場でも同じだ。
「ふ~む、・・・」
口には出さないが感心したように沙希太郎に注目する当道場の主、結城弦四郎。
今は男姿だが舞妓だと聞いている。
それがどうだ、立ち居振舞いの隙のなさ・・・一流の剣士と言ってもいい。
俄然興味が湧く。源太郎から聞いた気功というもの、
話半分に聞いていたがこれは真剣にならざるを得ない。
横にいる娘の和葉、源太郎から話を聞いていた時和葉もいて
「そんな、らちもない・・・・」
と笑いとばしていたものだが、さすがは当道場の師範代だ。
沙希太郎の実力を読取ったらしいが、わが娘ながらまだ甘い。
横目でその表情を見ていたが、自分と同じかそれとも一段下かと読んだらしいが
それは違うぞ!父が立ち会って勝てるかどうか・・・いや勝てまい。
千葉道場で修業をした篠原殿でも勝てないだろう。
この若さで何と言う強さ・・・・天分・・・そう天分といっても差し支えない。
「それまで!」
という道場主の声に元気に竹刀を振っていた弟子達が全員壁際に座る。
「今日、ここにおられるお二人が来たのは・・・・いやここにおられるお若い方」
と弦四郎が言った時、沙希太郎が立ち上がって
「早瀬沙希太郎と申します。よろしく」
と言って名をなのる。いかにも男の名前を名乗ってはいるが
一目で女性と判るのがなんだかおかしい。
「みんなもよく知っている篠原殿よりお聞きした早瀬殿の秘術、
気功とかいうものを知りたいと欲し、わざわざ来て貰ったのじゃ」
「まあ、みんな!そんなしゃっちこばらずにゆるりと見ていたらいい」
と秘術と聞いて固くなっていた体がその言葉で一度に力が抜けていく弟子達。
師範代の和葉も興味があるのだが、こんな若造何者ぞという気概が見え見えで
別に争うわけでもないのに・・・と可笑しくなってくる沙希太郎。
源太郎に目で合図をされた沙希太郎。立ち上がり道場中央に立つ。
「まずは言っておきます。この気功はお隣りの大陸中国のものであり
先ほど先生が秘術と言われましたがこれは秘術ではありません。
気功の気とは人それぞれが体内に持つ気のことであり、誰もが使えるのです。例えば、ホラ」
と身体の前で両手の平を上下に間隔をあけると、その中央に青白い玉がボウっと浮かび出た。
「おう!」
という声があがる。
「これは、人の気が光の玉として具象化したものです。
でもこんな小さな気の塊でも使い方を誤ると・・・」
と指先の乗せて弾くと『バン!』と分厚い道場の板壁に小さな穴を空けてしまった。
「こ・・・これは・・・」
分厚い板に真ん丸く開いた穴、いかにその威力が凄いものなのか
もう言葉が出てこない。
「これは・・これは気功を間違って使ったものです。
もし皆さんが例え気の玉を出せたとしてもこんなこと出来ませんから」
と注意をする。
「今日、みなさんに知ってもらいたかったのは無刀で相手を倒す方法です。
勿論、柔術もありますが気功では相手の気を利用して倒しますので相手の身体には一切触れません。
では一度やってみましょうか。誰かお相手をお願いします」
よし、っと立ち上がったのは身体が相撲取りのように大きな佐田彦一、
しかも、師範代の和葉も梃子摺る強さだし、性格も荒く皆から嫌われている。
その彦一が最初に立つのを見て
「お父様!」
と声をあげたのは和葉だ。
でも
「待ちなさい」
と和葉を押し留めたのは篠原源太郎。
「これは面白い!」
「でも・・・」
「和葉さん、心配しなさんな。沙希太郎が負けることはないよ。
俺が見たいのはあんなでかい体をどのように始末するかなんだ」
「あの人、そんなに強いんですか?」
「ほう、和葉殿はあの沙希太郎の見栄えに惑わされているのか?」
そんな言葉に少し膨れる和葉。
「そんなことで膨れるようでは剣の修行をこれ以上する必要はないぜ。和葉殿」
黙ってしまったというより、口惜しさから声もでない。
「言っておくがあの沙希太郎、俺や弦四郎が束になってかかっても相手にはならないぐらい強い。
ひょっとしたら俺の師匠の千葉周作先生よりもな」
「えっ?そんなに?・・・・父上!本当ですか?」
「ああ、本当だ。わしの目にはあの小さな体が最初から大きな岩に見えていた。
だが今では途方もなく高い岩壁に見える。隙があるようで全ての動きに隙がない。
篠原殿のいわれることに間違いはない。
わしは今日の出会い、今まで生きてきた甲斐があった。本当に嬉しい。篠原殿、感謝する」
「よせやい、・・・さあ、勝負がはじまったようだぜ。
お互いじっくりと見定めようじゃないか」
彦一は沙希太郎を捕まえようとドタドタと道場の中を走り回っていた。
沙希太郎はヒョイヒョイと紙一重の差でかわしている。
真赤な顔で汗をかき肩で息をしている彦一と汗ひとつかかなく呼吸ひとつ
乱れない沙希太郎、その実力の差は厳然とある。
そのことが判らない彦一は
「ええい!ちょこまかと・・・・」
「ふふふ、あなたの気の流れ案外軽いものですね。ではいきますよ」
と言う声に突っ込む彦一。
誰かの
「ああ~・・・」
という声。
『ド~ン』と軽々と宙を飛んで板壁にぶつかった彦一、
そのまま『ズ~ン』と床に落ちて動かない。気絶したようだ。
「あっ、ごめんなさい。佐田さんの気があまりに硬すぎたので反発が強かったようです」
と倒れている佐田の後ろエリを掴むと30貫(112.5kg)もある体を
片手でひょいと持ち上げると体を板壁にもたれさせて座らせた。
唖然と見守る道場の内外の人達、いつのまにか覗き窓の外には
菊野屋の女達以外の野次馬も増えているようだ。
「父上!わたし見ました。沙希太郎様の手は佐田さんの体に触れていません。
ただ佐田さんの額のところを狙って指で弾いただけです。・・・・凄い!」
「和葉よ。よく見た。わしにもそう見えた」
「弦四郎よ、気功というものあれだけ人の体を吹き飛ばせるものか。恐ろしいものよ」
そんな言葉が聞こえたのかどうか
「今のは気功の奥義です。でもこれからおこなうのは皆さんが修練をつめばできるものばかりです。
よく見ていてください」
それからの沙希太郎が若い弟子達におこなう稽古はこれまた目を見張るものばかり。
沙希太郎の手の動きに弟子達はコロコロ転げ回るばかり、
手を退けば体が突っ込み、押せば体が面白いように後ろに転がっていく。
まるであやつり人形のようだ。野次馬達も佐田のことがなかったら
何を芝居しているとあざ笑っただろうが、あの強烈な出来事があっただけに
沙希太郎が不気味に見えた。
「よし、それまで!」
と弦四郎の声がかかり、そのまま座った沙希太郎。
あれほど激しい動きだったのに汗もかいていないし、呼吸も乱れていない。
それにひきかえ弟子たちは滝のように汗を流し、激しい呼吸で息も絶え絶えだ。
「つらいですか?」
そう聞く沙希太郎に首を振ったりして言葉が出ないもののやはり今まで
剣の修行をしてきた者達だ。板壁に体をもたれかかせながらも懸命に座ろうとする。
「では、わたし言う通りにしてください。
まずは座禅を組んで・・・・そう、両手の平を上下に向かい合わせて・・・
どちらの手が上になってもかまいません。
そして、丸いものを持っているように手の平を丸めます。
それから、自分の気を両手の中に入れるようにします。
そのままじっくりと目を閉じて構えていてください。
決して体に力をいれてはいけません」
時間がゆっくりと過ぎていく。
「手の中が温かくなった方、目を開けてください。青白い玉が具象化しています。
具象化していても見えない方はもう少しです」
さすがに修行をしていた者達全てが目を開けている。
半数以上が気を具象化していた。
「自分の気が見えた方、相手の気が見えるようになるまでもう少しです。
体の気の流れは千差万別です。どこか体の悪い方はその部分の気が弱くなっています。
だから中国では医術に気功が使われているのです。
相手の弱くなったところに手を当て気を流します・・・これが医術でいう手当てです。
全てがこれで治るわけではありませんが、でも中国4000年から生まれたものです。
馬鹿には出来ません」
と言ってから両手を前に出すと、その手の平に現われる横笛。
その不思議な術に驚きの声・・・でも沙希太郎は何も言わずすーっと口にあてる。
何と言う・・・・何と言う・・・・笛の調べなのか
この音色に誘われて窓から流れ込む清廉な風は、心の屈託を消し去り
尚且つ肉体の疲労をも消し去っていく。
そして雑霊をも消し去って行くので道場に溜まった澱のようなものが
きれいさっぱりなくなったので、やけに道場内が明るく見える。
和葉は幼いころから父の姿をみて育ったので剣の道に進んだのは当然といえば当然であった。
師範代という地位を父に与えられた時も当たり前のことで喜びもなかった。
父の跡をついで道場主になる。これが和葉自身、自ら選んだ道であった。
だが、今それがガタガタと崩れていく。
早瀬沙希太郎と名乗る娘、和葉よりもはるかに年が若い、
なのに何と言う強さ、俄然興味が湧き・・・いや,興味がは湧くだけならいい
何なのかこの気持ちは?・・・いてもたってもいられない。
生まれて初めてだった。まるで心の中が嵐の海のよう・・大波が打ち寄せひていく。
これが恋なのか?だが相手は同じ女性なのだ。
でも、この気持ちは止めようがない。ああ~どうしたら・・・・?
でもそんな和葉の心の内をひと目で見抜いた女がいた。
覗き窓の外から見物を決め込んでいた幾松だ。
小沙希の強さは判っていた。だから何かないかと道場内を見渡して眼に止まったのが
当道場の娘であり師範代でもある和葉だった。
遠くから見たことがある祇園でも有名な剣術小町、男を軽々と打ち負かす女丈夫と知られているのだ。だから注目していた。和葉よりはるかに強い小沙希の存在が
和葉にどんな変化をもたらすのか・・・・と。
最初は幾松の思い通りに和葉は肩を怒らせ、小沙希何するものぞという
気概を見せていた。だが事は複雑になっていく。
変わっていったのは小沙希が相手にふれもせずあの佐田という巨漢をぶん投げてからだ。
さすがの幾松も『あっ』と思わず声をあげそうになったのが
和葉の心に芽生えた恋の種、それが瞬時に花をさかせてしまった。
恋の手管も知らぬおぼこに訪れた赤い嵐・・・・幾松にはその心の内が手に取るように読取れた。
さすがは花街で揉まれて生きてきた名物芸妓、すいも甘いも噛み締めて
恋の手練を教えずにはいられようか。・・・・そう女長兵衛を決め込む幾松。
幾松にとって小沙希は強敵だが和葉は赤子の手を捻るようなもの。
それに小沙希は強敵といっても情には弱い。そう見抜いている幾松。この勝負、先は見えているのだ。
ふと、こちらを向いた和葉に眼で合図を送る。
『はっ』として顔色が赤くなったり、青くなったり・・・・でも立ち上がって道場を出る和葉。
不信そうな父の弦四郎が眼で和葉を追っていたが、
素知らぬ顔で覗き窓を離れた幾松、足を道場裏に運んだ。
井戸に手を置き座り込んだ和葉の後ろからそっと近づく幾松、
さすがは女ながらの剣士だ。幾松の近づく足音に、硬くなった身体がビクッと
反応する。でもよく見ると可哀相なくらい小刻みに震えているのだ。
幾松は後ろから和葉を抱えるように立たせると、
「大丈夫どすか?」
と下から覗き込むように見ると歯が『カチカチ』と小刻みに鳴っている。
(これはいけまへん!失神寸前どっせ)
こんなところで倒れたら大騒ぎになるのは必定、
「ねえ、お嬢様。あなたのお部屋で女同士でお話しまへん?」
和葉から言葉が出ないが、かろうじて小さく頷いているのが判る。
「さあ、ゆっくり歩いて!」
少しきつく言うと身体がガクガクゆれながらも1歩づつ歩き始めた。
こんな時は相手の心理状態に入り込んだら駄目なのだ。
少しきつく突き放すようにすれば身体も動く。
幸い誰にも見咎められずに和葉の部屋に入ることができた。
幾松が手を放すと崩れるように倒れこむ和葉。
恋の道にかけては地獄をみてきた幾松にとってはこのお嬢さんまるでねんねだが
この恋の先に待っている運命を思うと命をかけて手伝ってやらなければ
幾松という祇園芸妓として女がすたるというものだ。
命がけの恋・・・
たとえ達成出来たとしても一夜限りの契りしか結べないのだ。
胸が張り裂けそうな恋の行く末だ。
相手は幾松からみてもこの世で最高の相手だ。こんな相手過去にも現在も
たとえ未来でもたった一人しかいないだろう。
だからだ・・・だから、今宵一夜にかけてみる。
★★
「さあ、あんた達!おきばりやす」
という菊野に送られてお座敷に向かう芸妓や舞妓達。
自然と幾松と並んで歩く小沙希。
昼間の道場のことを思うとガラリと変わった小沙希の舞妓姿、ホレボレとする艶やかさだ。
置屋の誰もが認める舞妓としての小沙希の実力。
少し屈託のある幾松だが目を奪われずにはいられない。
「あっ!真田屋の千代松!」
と芸妓の1人が声をあげた。
小路から出てきて小沙希達に並びかける芸妓と舞妓達。
どちらもつ~んとそっぽを向く芸妓や舞妓達。
祇園でも有名なライバル置屋で芸妓や舞妓達も何かとはりあっているのだ。
でも1人1人になれば仲が良い。そんな様子が小沙希には手を取るように判る。
だから『クスっ』とつい笑ってしまった。
それを見咎めたのが真田屋の芸妓
「ちょっと、あんた。何が可笑しいんどすか」
「いいえ、ただ・・・」
その声で
「小沙希ちゃん、どうしたんえ」
と小沙希に問い掛ける幾松。
「なんやのこの子」
と幾松の横についた千代松。
「へえ、昨日から菊野屋にお世話になっている小沙希いいます。どうぞよろしゅう」
「なんや、昨日入った子がもうお座敷どすか?菊野屋はんも血迷ったもの
・・・・ほほほほ」
と笑う千代松に合わせて笑い出す真田屋の芸妓と舞妓。
そんな彼女達に菊野屋のみんな、何も知らなくて笑っている様子に袂で顔を隠して肩を震わせている。
泣いている?・・・・いや、『クククク・・・』と笑っているのだ。
そんな様子に一度に笑いが覚めたのか
「何がおかしいんどす!」
と千代松の声が尖っていた。
「なあんも知らんあんた達が、おかしゅうて・・・なあ、みんな」
「へえ・・・」
「ちょっと、幾松姉ちゃん。何もそこまで・・・・」
「小沙希ちゃん!みんなに心配かけどおしのあんたには、止める資格あらしまへん。
ちょっと黙っていなはれ!」
と幾松の厳しい声に、首をすくめて
「へえ・・・」
とかしこまってしまった小沙希。
そんな様子が可笑しいとこれまた笑いがとまらない。
菊野屋の芸妓や舞妓達の様子が少し薄っきみ悪くなったのだろう、
黙ってしまったのには、これまた可笑しい。
そんな時
「あっ!花世ちゃん!鈴音ちゃんえ」
といって先の小路から出てきてトボトボと歩く鈴音の姿を認めてすっと輪から抜け出した小沙希。
肝心の小沙希の姿がなくなったので、
自然と並んで歩く形になった菊野屋と真田屋の芸妓や舞妓達。
前を歩く3人の舞妓の後を追う。
「なあ、幾松。あの小沙希という舞妓どんな子なんや。
うち正直にいうけどあんなきれいな舞妓今までみたことおへん」
「そうどすやろ。・・・でもそれだけやおへん。
舞を舞っても井上のお師匠はんが直すとこあらへんかった。なあみんな」
「へえ、あの恐い高弟はん達もあんな舞みたことおへん。
まるで天上の舞を見てるみたいや、いわはってました」
「えっ?あの厳しいお師匠様達が?」
「へえ、うちらはもう、身動き一つ、息も出来んかった」
「そんな子なんどすか?」
唖然とする千代松。
「それだけやおへん。・・横笛が・・」
「横笛いうたら、幾松。名人のあんたが・・・」
「ううん・・・うちなんか足元にも及びまへん」
「えっ?」
「あの子の笛聞いたら、清い風が身体の中を通り抜けて、こん中に」
とポンと胸を叩く。
「こん中に溜まっている嫌なもんが消えてしまうんどす」
「そんなあ・・・そんな子なの?」
と後ろを歩く菊野屋の芸妓、舞妓達をふりかえると皆が頷いている。
「あっ!・・・あれは何どすか?」
前の3人の舞妓の足が止まり、大勢の男女が叫び声を上げてこちらのほうへ走ってくるのが見えた。
自然と舞妓の姿が走ってきた人々の向こうに消えた。
慌てて小走りにかけだし、立ち止まっている舞妓の横に並んだ芸妓や舞妓達。
「小沙希ちゃん!どうしたんえ」
でも返事がない。ただジッと目の前で繰り広げられている様子を見ているだけだ。
いい着物を着た中年の女性が、紺色の着物に赤い襷の若い女性をかばって
ふるい木戸に背中を押し付けている。
そんな二人を囲むように刀をぬいた侍が5人、顔が赤い、かなり酔っているようだ。
「お侍様!この子が何をしたというんどすか?」
「この女がな、わしらをあなどったのだ。ゆるせん!」
「そんなあ、うちは昼間からたくさんの御酒をめしあがって、
ふらふらされとるさかい、もうおつもりされたらいかがどすか・・・言うただけどす」
「それが、侍をあなどっていると申すのだ。
女の分際で侍にむかって愚弄したこと許しがたい。叩っ切ってやる!」
「あっ!あれは玉屋の女将さんどす」
「玉屋?」
「へえ、うちらがこれから行く料理屋はんどす」
その声に素早く小石を拾った小沙希、振りかぶった刀を持つ手めがけて投げつけた。
そして、持っていた風呂敷包みを花世に預けながら
「花世ちゃん、かんにんえ。怒らんといてね」
といって侍達にむかって歩き出した。
「あっ、小沙希さん姉さん!」
と叫ぶ花世。
「幾松!なんで止めへんのどすか」
「止めて止まる娘だったら苦労しまへん」
「苦労しまへんって・・・よく落ち着いていますなあ」
「舞妓ちゃん!危ないどすから早うお逃げなはれ!」
自分に差し迫った危険があるのにかかわらず、そんな声をあげる玉屋の女将、
さすがは花街に生きてきた女だ。
「お母ちゃん!心配いりまへん。こんな野良犬、うちが追っ払ってあげます」
と平気な顔で言い放った。あきれる女将。
「何だと!・・・・女。拙者達を野良犬だと申すのか!」
「へえ、まともな人間ならこんな真昼間から、しかも大勢の目の前で、そんなぶっそうなもん、
抜いたりしまへん」
「貴様!・・・言わせておけば・・・ぶった切ってやる」
「おほほほほ・・・、人間そうやすやすと切れるもんやおへんえ」
「おのれ~・・・」
「貴様!何者だ!」
「何者だって?みてわかりまへんか?お目目悪いんと違いますか。うちは舞妓どす」
ニコニコそう笑っていうのだ。
「くそっ!いわせておけば」
と小沙希を取り囲む侍達。
「さあ、お母ちゃん。早う逃げて!」
その声に躊躇する女将だが小沙希の笑顔に仲居を庇いながら駆け出した。
女将を呼ぶ菊野屋と真田屋の芸妓、舞妓達の方向に。
「さあ、ゆっくりとお相手しまひょか」
と余裕の小沙希に
「お・・おのれ~・・・」
と怒りで完全に己を失っている。
小沙希に向かって刀がきらめいた。思わず目を閉じる見物人。
でも次に目を開けたときは刀を持つ手を押えている侍達と舞い扇を構える舞妓の姿があった。
その美しさが際立っているだけに思わず拍手をしてしまう見物人達。
そのとき
「小沙希!」
と声がかかってなにやら空を飛んで小沙希のもとに。
小沙希がつかむとそれは馬の鞭だった。
目の端に捕らえた篠原源太郎の姿。
つい『クス』っと笑ってしまう。この鞭は源太郎の悪戯なのだ。
そしてあの鞍馬天狗が誰なのかをその目でしっかり確かめるための証拠ともなる。
『ピューピュー』と音をたててしなる鞭、その侮り難い技に
『ギョッ』と思わず後ずさる。そして小沙希の隙のなさに慌てる侍達、
でもここまできては引き返せないし、意地もある。
「では、まいります」
という小沙希の声・・・・そして見た。小沙希の舞を。
なんというしなやかさ、なんという美しさ。宙に舞い・・・地に舞う。
幻を見ているようだった。
「あっ・・・小沙希ちゃんが・・・もしかしたら鞍馬・・・」
と言いかける鈴音に
「しぃー」
と口を閉じる事を強いる花世。
はっとして花世の顔を見る鈴音。
そして全てを呑みこんでしまう。もう一生口に出すことはないだろう。
鞭を水平に構えて小沙希の舞が終わった。そこに立つのは小沙希だけすべては地に伏していた。
「源太郎様!そこにおられるのはわかっているんどす」
という小沙希の声にぼんの窪を押えながらニヤニヤ笑って小路の陰から出てきた。
「はい!これを」
と鞭を返すと
「幾松さん姉さん!」
と幾松達を呼ぶ小沙希、先ほどの女丈夫とは思えぬあどけなさ。何だか調子の狂う源太郎だ。
「小沙希ちゃん!あんたって娘はもう・・・・」
幾松の怒りとも哀しみとも喜びとも・・・全てが含まれた声に
「ごめんなさい!」
といって首をすくめて謝るその姿、もう何も言えなくなる。
「小沙希ちゃんいわはるんどすか。あんたはうちらの命の恩人どす」
と抱きつかんばかりの女将。花世が小沙希の荷物を渡そうとすると
「これ、小沙希ちゃんのどすか。これうちが持ちます」
と若い仲居。
おまけに小沙希の両隣にはぴったりと花世と鈴音がひっついて離れない。
困ったような顔をする小沙希が
「源太郎様、うちらもうお座敷に行ってもよろしおすか?」
源太郎も心得て
「ああ、だが話を聞きたいから座敷が終わる頃、菊野屋を尋ねてもいいか?」
「へえ、じゃああの男前はんと、どうぞご一緒に」
「何!」
ニッコリ笑う小沙希に
「あっはははは・・・駄目だ駄目だ!相良さん。すっかりばれているぜ」
と声をあげると小路から作務衣姿の医者、相良新次郎が出てきた。
「まあ、若先生!」
と黄色い声をかけられている。
相良新次郎も花街の女達に人気があるようだ。
だが、小沙希は気づかなかった。少し離れた小路の陰から一部始終を見ていた
袴に革靴というホコリにまみれた大男がいたことを。
こうして皆に囲まれながら玉屋についた小沙希。
店先には目をギラギラさせて刃物を握った板前が出ていたが
女将が先頭に芸妓と舞妓達を連れて戻ってきたのを目にして、ほっと息をついた。
「まああんた達、心配してくれて、ありがとうさんどす。
でも、うちらこの舞妓ちゃんに助けられたんどすえ」
「えっ?こんな舞妓はんが?」
驚く板前達に
「小沙希ちゃん、言うんどす。うち小沙希ちゃんほど強いお人見たことおへんえ」
「お母ちゃん、もう止めといておくれやす。うち、もう恥ずかしゅうて・・・・」
「ほほほ・・・小沙希ちゃんにも苦手があったんどすなあ」
と笑ってから
「板さん、嵯峨美屋はんは?」
「へえ、おまちどす。でもお侍とのこと知りはって心配されてます」
「じゃあ先にご挨拶を・・・」
と芸妓や舞妓達を伴なって二階の大広間にむかう。
襖がスーと開いて頭を下げている玉屋の女将、
「今日は遠くから足を運んでいただきまして、ありがとうさんどす」
「おお・・・女将!無事だったか」
「へえ、ご心配おかけしましたが、どうにかこうにか」
「それは重畳・・・それは重畳・・・」
と合図をすると仲居達がお膳を持って入ってくる。
部屋には嵯峨美屋と江戸からの客6人が座っていた。
次々、お酌をして回る女将、最後にお酌をした嵯峨美屋に
「芸妓や舞妓達は?」
「へえ、呼んでいます。今日は菊野屋はんと真田屋はんの芸事合戦どす」
「ほう、それは面白い趣向や」
『パチパチ』と手を叩く女将の合図で、舞台の襖がすーっと開く。
最初は真田屋の芸妓達の京舞から始まる。
千代松を真中に舞う京舞はさすがに手馴れたものだ。
舞妓達の舞はまだぎこちない。それが新鮮といえばそうなのだが・・・・
真田屋の芸妓や舞妓は舞台を下りてそれぞれ客の横に座った。
お酌をしながら・・・されながら、菊野屋の出番を待つ。
菊野屋も芸妓3人の舞、幾松を真中の京舞、真田屋とは甲乙つけがたい舞であった。
しかし、それからが夢の中・・・一体何があったのか・・・・呆然とする客、真田屋の芸妓と舞妓達、
そして女将やちょうど御酒を持ってきた仲居達。
菊野屋の芸妓達が鳴り物をしていたのはわかっている。
だが、小沙希、花世、豆花、千鶴、鈴音の5人の舞、
一体どうしてしまったのか、小沙希を別にして
花世、豆花、千鶴、鈴音の舞の実力は判っていた。
でもその4人までが舞いの神に取り付かれたのか、手のとどかぬ高みで舞っていたのだ。
これは・・・・聞いていた小沙希の実力・・・・
たった一人の舞妓が素人同然の舞妓4人の舞を名人の域に引き上げたというのか。
その証拠に舞い終わった舞妓4人が胸を押えながら座り込んで、
まるで小沙希を崇めたてるように見ているのだ。
信じられぬ思い、・・・で千代松は声をあげた。
「小沙希ちゃん、ごめんやけど、あんたの・・・あんた1人の舞を見とうおす。
出きれば鳴り物もない、素の舞を・・・・これは、舞の修行をするうちの我儘かもしれまへん。
でもどうしてもあんたの舞が見てみたい。欲?・・・・そううちの舞に対する欲どす」
「いいえ、千代松だけと違います。うちも見てみたい。
お侍5人相手にあんな強かった小沙希ちゃんどすが、
あの勝負のとき小沙希ちゃんはまるで舞いを舞っているようどした。
舞を見てみたい。一度は舞を目指したうちの欲どす」
と今度は女将。
「小沙希ちゃん!うちもそうえ。
昨日、井上のお師匠のところで小沙希ちゃんの舞見せてもらいました。
でも、もっと見ていたい。これもうちの欲どす。
きっとお師匠様や祥子様、高弟の皆さんも同じどす。
一日中、あんたの舞を見ていたい。この目に焼き付けておきたいんどす。・・・・なあ、みんな」
と幾松に続いて花世が
「うち達、小沙希さん姉さんと舞ってみてよう判ったんどす。
うちらは素人で小沙希さん姉さんは本当の名人や・・・て。
だって、うち等4人の舞をたった一人であんなとこに引き上げるなんて
ただごとやおへん。小沙希さん姉さんはきっと舞いの神様なんどす」
「ちょっと、ちょっと。・・・・・わてにも言わせておくれ。
芸妓同士の舞は甲乙つけがい勝負でした。悪いが真田屋の舞妓達の舞は論外、
でも菊野屋の舞妓のはもう別物だす。わては舞など習ったこともないし
細々したことはわからん。でもわてには自慢することがある。
見るちゅうことにかけては専門家なんだす。
ここにいる江戸からみえられた方々も同じだす」
「そうじゃ」
「言われるとおりじゃ」
「小沙希、言われましたなあ、あんたは、わてから見てもただものやおへん。
そんなあんたに今日逢えたのはわての幸運だす。
ぜひわて等にもあんたの舞をみせておくれやす」
「わかりました。京舞ではないんどすが、それでもよろしおすか」
皆が頷くのを見て
「では。少しだけときを・・・」
といって舞台裏に姿を消した。
舞台上にいたもの全て舞台から降り、後ろの廊下は仲居や他の客達で鈴なりになっていた。
「女将!後ろの人達、中に入ってもらいなはれ」
「いいんどすか?」
「構わん」
ということでこの部屋ぎっしりと仲居や客で埋まってしまった。
こんな時の客は『ワイワイ、がやがや』と煩いものだが
『シーン』と静まり返っている。今か今かと息を呑んで待っているのだ。
その期待はすぐに実現された。客達の思う時刻より早い幕開き、
・・・そして、その演出にみんな『あっ』っと驚かされ、思わず息を呑む。
まさか?・・・・舞台上に座り込んだ小汚い格好の・・・今では見かけぬ琵琶法師。
その琵琶が鳴らされ、よい声の謡がはじまった。
その内容はある日公家の御曹司が桜の木の下でうたた寝をしたことがきっかけとなる。
その美男ぶりに惚れた桜の精が乙女となって姿をあらわし、
その御曹司に恋を告白するが、女達に追い掛け回され食傷気味の御曹司。
適度な受け答えであしらわれたことから、桜の精の恋のアタックが始まるのだ。
最後は悲恋に終わるが、これは絢爛豪華な平安絵巻であった。
いつの間にか琵琶法師の姿が凛々しい公達の姿に変わり男舞が始まっていた。
どこでどうなっているのか、舞台上では1人で舞いながらも
琵琶は鳴り続け、謡も終わらない。いつのまにかその背景には・・・
公達姿の舞の中に女達があらそって恋に血道あげる姿や嬌声が聞こえるのだ。
やがて舞台上には1本の満開の桜の木が・・・・
その太い幹の後ろに回った公達が次に姿を現したときは
美しい桜の精に変わっている。勿論、舞うのは乙女の女舞、
恋しい公達を想って切々と舞い上げるその姿にはおもわず涙が・・・
風が誘う桜の花びらの落花舞・・・・舞台上に・・・そして見物の中に・・・
「桜の花びら?・・・・」
千代松が手の平においた一片の桜の花びら・・・・それも淡雪のように
スーっと消えていく。夢か幻か・・・・
桜の精の切々たる想いが舞となって公達にとどけられるが・・・・・
やがてそれも人とは相容れぬ・・・つくも世のしきたりなりき・・・
桜の精の想いを受け入れた御曹司も激しい恋に病み疲れ、死の床についてしまう。
・・・・そして、桜の花が最後となる夜。
渾身の力で桜の木の元へ・・・・愛しい人の亡骸をその身体で覆う桜の精。
残ったのは枯れた桜の木と御曹司の亡骸に覆い尽くす一面の桜の花びら・・・
こうして舞は終わった。
舞台にいるのは座って頭を下げる舞妓姿の小沙希ひとり・・・・。
誰かが『ホウ』とため息をついたのが合図となって、客全員が立ち上がって
万来の拍手と歓声をあげている。
道行く人が驚いたように足をとめて店を覗き込む姿がひっきりなしだ。
「きゃあ・・・小沙希ちゃん!」
舞台を下りた小沙希を迎えたのは『菊野屋』と『真田屋』の芸妓や舞妓達。
そして、その中心にいるのがここ玉屋の女将。
「小沙希ちゃん!・・・・うちは・・・もう・・・・もう・・・」
「あら女将さん、牛さんどすか?」
そんな軽口言った事もない菊野屋の花世、大好きになった小沙希が
もうこの京で大評判になるだろう1人舞いに心がはずんでいる。
そんな騒ぎの中、
「なあ、幾松。うちこんな舞妓ちゃんにあったの初めてや」
「あたりまえどす。小沙希ちゃんみたいな舞妓ちゃん、古今東西1人もおへん」
「これであんたとこの菊野屋はん、第安泰やなあ」
「ううん・・・そんなことおへん」
「えっ?そんなことおへんって?」
千代松をじっと見つめる幾松。
「千代松!・・・うち置屋は違うけんど、あんたのこと親友や思ってる」
「何をいまさら・・・」
「だから、あんたに手伝ってほしいことあるんや言うとるんよ」
「手伝ってほしい?」
「へえ・・・実は今宵小沙希ちゃんにどうしても添い遂げさせててあげたいお人がいるんどす」
「添い遂げさせてあげる?」
「へえ・・・・さもないと・・・」
「さもないと?」
「きっと、死んでしまわれはる」
「死ぬ?・・・・・そんな男・・・・」
「いいえ、男はんやあらしまへん」
「えっ?ではおなごはんどすか?・・・」
と千代松何ともいえない顔になる。こうして花街に生きてきて男と女の色恋ざたなら日常茶飯事だが、
これが女と女になると何だか気が進まないし、汚らしい。
そんな表情が見えたのか
「千代松!あんた何か勘違いしてまへんか?」
「勘違い?」
「へえ、小沙希ちゃん。大の男嫌いなんどす」
「だからって・・・・」
「アホ!・・・そこが勘違いなんどす。小沙希ちゃんが男はんに抱かれてみなはれ、
それこそ衆道どす。念者になるんどす。・・・・ひえ~いやや・・
言うてるうちの口がくさりそう」
とさも嫌な顔をするが、千代松には何のことかわからない。
なぜ小沙希が男に抱かれたら衆道になるのか?
男と女の道・・・それが自然だと思うのだが・・・・・・
「小沙希ちゃんの身体って女のうちがみてもホレボレするほど綺麗なんどす。
お乳も形いいし、柳腰でおいどは小さいけんど抜けるような白い肌が
柔らこうてうちの手に吸い付いてくるんどす。・・・・けんど・・」
「けんど?・・・・」
千代松はもう興味しんしんだ。
「小沙希ちゃん、一箇所だけ男はんなんどす」
ついに言ってしまったその言葉の効果は絶大だった。
呆然と立ちすくむ千代松・・・幾松の言った言葉はまだ良く飲み込めていない。
「一箇所だけって・・・・一箇所だけ?・・・・・・・え~~!」
急に顔が真赤になってそのほてりで思わず頬を両手でおさえた。
「一箇所だけって・・・・あの?・・・・」
と上目使いに聞く千代松。
「そう・・・ここまで言ったさかい、小沙希ちゃんとお嬢はんの逢瀬手伝ってくれはるやろ?」
「お嬢はん?」
「そう、結城道場の鬼娘・・・・」
「えっ?あの、男なんか鼻もひっかけない鬼娘が?」
「でも、あのお嬢はんいきなり恋を知ってしまったさかい
身体と心がいうこと気かないんどす。ぶるぶる震えてちっとも治らなくて
でもうちが小沙希ちゃんのことなんとかしますさかい少しの間だけ辛抱しておくれやす・・・
いうてやっと落ちついたんどす」
「でも幾松!どこでどうあの二人を逢わせるか決めとるんどすか?」
「いいや・・・それが・・・」
と声が小さくなってしまう幾松。
「なんや、まだなんも決まっとらへんのどすか」
「へえ、相手があの鬼娘と小沙希ちゃんどっしゃろ、へたな真似できへんのどす。
いくら小沙希ちゃんに情で訴えるいうたかて、やはりものには順序があります。
いきなり二人をお部屋であわせたかて、そんなん恋と違う。
それにこの一夜が・・・この一夜だけが二人が肌を合わせられる最後の機会やさかい
・・・・一生心が残る一夜にしてあげたいんどす。
そして、この夜のことを思い出にこれからをしっかり生きていってほしいんどす」
「なんや・・・それ!今夜だけが最後の夜やなんて。
逢える日なんてこれからもいくらでもあるやないんどすか」
「それが・・・千代松!うちがこれから言う事、あんたが信じる信じないんは
勝手やさかい教えるんは教えたるけど・・・・・」
と小沙希がこの時代の人間ではなく先の時代からやってきた人間で
先の時代に復活した怨霊と対決するため土佐の坂本竜馬が持つという横笛を探しにきたのだ。
この時代にいられるのは3日間だけ・・・その3日目が明日なのだ。
だから逢瀬は今夜一夜・・・・・・
「そんなあ・・・」
とそのとき
「その話!うち、のったえ」
という声が二人のいる布団部屋の外からした。
すーっと襖が開いて入ってきたのはこの料理屋の女将お園だった。
「うち、悪いけんど外で話を全てきかせてもらいました」
「でも、女将さん。どうして?」
「へえ、うち小沙希ちゃんのあんな舞台見たん生まれてはじめてだっしゃろ。
もう興奮して身体が熱うて熱うて・・・そやさかい表の風にあたろうと
廊下に出たとき、あんたらがここに入るんみたさかい、なんやろ思たんどす。
悪いけんどみんな聞かせて貰いました。
失礼や思てたけんどもう途中で聞くの止められへんかった。
あんたらの話、小沙希ちゃんの舞を見たんと同じ位の衝撃やった。
なあ、お願いどす。うちにも手伝わせて・・・・。
うち、小沙希ちゃんに助けてもろたし、あんな凄い舞台もみせてもらいました。
聞けば小沙希ちゃんて男でもあり女でもあるんやさかい。
もう常人やおへん。そんな小沙希ちゃんに恋をした結城先生のお嬢はんは
うちが昔からよう知っとるお方やさかい、うち役に立つ思います」
「なあ、幾松!そうしょう。女将さんには日頃からお世話になっとるし
身内同然どす。だから相談に乗って貰ったほうが好都合どす」
「そうやなあ、女将さんに中に入ってもらったほうが小沙希ちゃんにも
言い訳たつし・・・そうしようか、なあ千代松」
「まかせておきなはれ。・・・それでな、幾松ちゃん。
お嬢はんの様子、いかがどしたんや?」
「へえ、お嬢はん、女として・・・恋も何も知りはらへん。
女の幸せについてなんか考えもしいへんかったみたい」
「和葉さん、小さい時から男みたいに育ちはったんよ」
「でも、今日小沙希ちゃんに逢いはった。強い小沙希ちゃんを見いはった。
誰よりも強い思うてはった父親よりも小沙希ちゃんのほうが強かった。
女は強い相手に惹かれるもの。だからお嬢さん、小沙希ちゃんに惹かれはった。
それも並大抵の惹かれようとは違う。身体全体が瘧のように震えあがった、
全身全霊をかけての恋なんや。だから破れれば死ぬ覚悟してはる」
「そんなに?」
「へえ、道場の井戸端で座り込みはって立たれへんかった。
うち、和葉さんの腕持って助けおこしたんやけんど、ぶるぶる震えて
倒れそうにならはって、それはもう大変どした。
お布団にお寝かせしたんやけんど、お顔の色が真っ青で掛け布団着しても
うちの手握ったまま震えてはる。お話もできないんどす。
うち、小沙希ちゃんのこと知っとるさかい軽はずみなこと話せまへん。
けんど、同じ女どすからこれはもう一肌脱がずにはおられんようになった。
だから別れるとき、絶対今夜お二人にしてあげるさかい我慢していておくれやす。
絶対に軽はずみな事せんといて、いうてお座敷に出てきたんどす」
「女将さん、これは早う手をうたな、何をするかわからへんえ」
「そうやなあ、和葉さんおぼこなだけに早まった事するかもしれん、
・・・いっそうの事、うち迎えに行ってきます。
・・・・あっ、逢瀬のお部屋はうちが用意するさかい、
あんたらは小沙希ちゃんのこと頼んますえ」
★★★
幾松と千代松は小沙希にどう話を持っていこうかと相談したが、
結局はへたな小細工するよりも真正面からぶつかった方が良いということになった。
だから、仲居に頼んで小沙希をこの部屋まで連れてきてもらい、
こうして二人の芸妓が切々と和葉の心のうちを訴え続けた。
そしていつしか自分が和葉の肉親であるかのように涙があふれ、言葉も途切れてしまう。
じっとうつむいて二人の話を聞いていた小沙希、ふと上げた瞳に光るものが・・・
そして少し微笑みを浮かべて
「幾松さん姉さん・・・・千代松さん姉さん・・・・ほんとに・・ほんとに・・・
ありがとう。うちら二人のためにこれだけ一生懸命ならはって・・・・」
「ちょっと、小沙希ちゃん!・・・今、うちら二人のために・・いいましたなあ」
「へえ、本当はうちなんかのこと忘れてしまったほうがいいんやけんど、
和葉さんのような一途に思いつめる人は駄目どす。
きっとうちのこと片時も忘れること出来まへんやろ。
そやからうちも、和葉さんのこと一生背負っていこう思てます」
小沙希の心意気を感じ取った二人、顔を見合わせ頷きあうと
「小沙希ちゃん!まかしとき!・・・うちら二人・・・
いいや、こうなったらこの祇園に生きる女達が和葉さんのこと守りますえ」
「そうそう、それに小沙希ちゃん。向こうに帰ってもうちらのこと絶対に忘れてはあかんえ」
小沙希はそんなこと絶対にない!と顔を強く振ったが、
何も言葉が出てこない。お姉さん芸者が小沙希を見つめながら言う、
その言葉一つ一つに温かい真心がこもっており、言葉に出して感謝を言う必要もなかった。
小沙希はただ・・・・・三つ指ついて頭を下げるだけで心が通いあった。
いつの時代も女達の想いは同じなのだ。
求め合い、助け合い、そして哀しいほどまでの純な心が伝わってくる。
目を閉じれば次々と浮かんでくる大勢の女達の顔・・・・。
負けられない!・・・・絶対に勝つ!・・・今宵、夫婦になる和葉の為にも
そして帰ったら待つ多くの姉達のためにも・・・何が何でも勝たねばならない。
そして、そんな小沙希の想いが通じたのか嬉しい知らせがもたらされた。
「失礼さんどす」
と言って入ってきた女将のお園、心配そうな顔で二人の芸妓の顔を見る。
でも目を真赤にしてはいるがその明るいに表情にほっと肩から力がぬける。
「女将さん!」
と小沙希はお園の顔をみつめ、
「この通りどす」
と頭を下げる。
「嫌や、小沙希ちゃん。そんなことせんといて!・・・・
うちら長い間花街で生きてきとるんどす。おなごの心ようわかります。
だから、何も言わへん。そのかわり今夜は和葉はんをしっかり抱いてあげて!」
小沙希はただ頷くだけでよかった。
「そうそう、幾松ちゃん。あんたにお座敷がかかってますえ」
「うちに?」
「へえ!」
「うち、なんや今日、お座敷にでとうない気分どす」
「いかんえ、芸妓がお座敷断るようなこと言ったら」
「へえ、じゃあさっさと行ってさっさと済ませて来るさかい」
といって部屋を出て行く幾松。
「お座敷といえば、うちらのお座敷は?」
「大変!」
と立ち上がろうとする千代松に
「おほほほ・・・心配いらしまへん。嵯峨美屋はんはもう大満足して帰られました。
これは小沙希ちゃんのおかげどす」
「うち・・・そんな・・・」
「いいえ、一生に一度みられるかどうかの舞台やった、
そう一緒にこられてた江戸のお人達も言っとられたんどす。
なんでも大奥に出入りされとるお方達で、将軍様もこんな舞台見られへんやろ、
いうて豪快に笑っとられました」
「じゃあ、あの子達は?」
「見物されとったお客はん仰山いてはりまっしゃろ。
同じ舞台を見た芸妓や舞妓達や・・言わはってみんなひっぱりだこどす」
「へえ~」
「それに舞台見られへんかったお客はん達も噂を聞きつけて
芸妓や舞妓達をお座敷に呼んでその話を聞こうとするさかい、もうもうあの子達悲鳴あげとります。
でもあの子達にもええ勉強どす。そやさかいうち、見ても見ぬふり・・・・」
といってケラケラ笑う。
そこにバタバタと走ってくる足音、止まったらとおもったら
『ガラッ』と扉が勢い良く開けられた。
「何え!一流の芸妓のあんたがそんな真似をして・・どうしたんどすか?幾松!」
と料亭の女将として本当に怒っている。
「あっ」
といって座り込んで頭を下げる。
「すんまへん・・・うち、我を忘れてしまって・・・」
「どうしたんどすか?幾松とあろうものが・・・」
千代松があきれたように聞く。いつも冷静でこんな慌てるような芸妓ではない。
「すんまへんどした。うち、お座敷に行ったら思わぬ人がいらっして・・・」
「桂はん・・・長州の桂小五郎はんどすやろ」
「えっ?女将さんはどうして?」
「そんなこと百も承知であんたをお座敷にやったんどす。
仲居から聞いて確かめもせずあんたをお座敷なんかやるもんどすか。
あんたは祇園の宝の1人どす」
幾松は行き届いた料亭の女将に、ただただ頭を下げるだけ・・・・。
「で、どうしたんどすか?そんな幾松さん姉さんが・・・・」
という小沙希の顔をじっと見つめて
「小沙希ちゃん・・・あんたにや・・・」
「えっ?・・・うち・・どすか?・・・」
何のことやさっぱり判らない。
「幾松ちゃん!はっきりいいなはれ」
とお園が問い詰める。
幾松は座り直すと、ゆっくりと呼吸を一つしてから、
「うち、どんなお座敷でも今日はかんべん・・・思いながら、
お部屋の外からご挨拶したんどす・・そしたら」
と言ってから急にポッと顔が赤くなる。
「あ~あ、あほらし・・・・暑い暑い・・・・」
と袖で自分をあおぎながら
「それで・・・」
と話を促す。
「うち、桂はんがこの京に来てるなんて知らんかったから・・・」
「あんたはお部屋に飛び込んで桂はんに抱きついたんどすな。
それから・・・」
とからかい半分、羨ましさ半分の千代松きつい合いの手をいれながらも
千代松の言葉、まんざら当たっていなくもないらしい。
幾松は顔を真赤にしている。
「これ!千代松ちゃん。そんなにからかうもんじゃ・・」
と叱るお園にぺろっと舌を出す千代松。
「あのう・・・桂はん、お1人じゃあなかったんどす。
窓の外をみながら手酌で御酒をめしあがってるお武家様がもうお1人・・・」
「じゃあ幾松は見も知らずのお武家様の前で桂はんと抱き合いはったんどすか」
とあきれたように言う千代松。
「へえ、すいまへん・・・」
「何もうちらにあやまってもらっても」
とからかい半分なのか・・・若い人はうらやましい・・・と面白げにいうお園。
「小沙希ちゃん!そのお武家様。どなたや思います?」
「えっ?・・・・・・・・もしかしたら・・・?」
「そうなんどす。小沙希ちゃんが探し求めていた土佐の坂本竜馬はんなんどす」
小沙希はいきなり立ち上がり飛び出そうとするのを
「待ちなはれ!」
と止めたお園。
「芸妓や舞妓が料亭で勝手にお座敷出ること、許しまへん」
と真顔になってきつく言う。
だが次の瞬間にっこり笑って
「でも、そこの女将が許可すれば別どす」
「わあ~」
といってお園に抱きつきチュと頬に口付けする小沙希。
「ちょっと待って・・・小沙希ちゃん、あんた誰にでもそんなことするんどすか?」
「これ、うちの時代では親しいお人にするご挨拶どす。それにうち・・・女好きどすよって」
としれっと言う。
「マア・・・」
とあきれるお園。
「じゃあ、幾松さん姉さん。いきまひょか」
と立ち上がった。
「待ちなはれ!」
と又待ったをかけたお園に不審げに振り返る小沙希達。
「千代松ちゃん、あんたもいきなはれ。今日のこの二人、まかせておくと
何をしでかすかわかりまへん」
「でも・・・」
と躊躇する千代松。
「ああ、お花代どすか。そんなら心配あらしまへん。
あんたの分はうちが払います」
千代松にはお園が何が言いたいのか、それがまだわからない。
「そのかわり、お座敷であったこと聞いた事を逐一うちに報告すること。
それが条件どす。あんたと同じでうちも小沙希ちゃんの後見人どす。
だから後見人として大事な小沙希ちゃんのこと、放っておけまへん。
それにうちだけ知らぬ存ぜぬでは我慢できまへん」
その言葉がお園の本音なのだ。小沙希のこと全て知っておきたい。
自分だけ仲間はずれにされるようで我慢が出来なかったのだ。
千代松はいい、幾松の親友だから・・・芸妓仲間だからあとで根掘り葉掘り聞き出すことができる。
だが、お園は違うのだ。昔、芸妓だったとはいえ今は立場がちがう。
何より年が違う。心やすげに聞きにはいけない。
だから、千代松を使った。こうしておけばお園も仲間なのだ。
「さあさ、そうと決まったら、あんた達なにをぐずぐずしているんどす。
早うお座敷に行ってらっしゃい」
といいながらも、三度小沙希を呼び止める。
「小沙希ちゃん。和葉はんのことうちが守っっとくから、しっかり・・・・」
しっかり、お役目を務めてきなさいと最後の言葉は心で囁いた。
でも小沙希にはしっかりと伝わったようだ。
「へえ、がんばります。・・・お母ちゃん!和葉さんのこと・・・・・・・」
頼みます・・・・とこれも心で囁いたのだ。
3人を見送ってから、ふと気づく。
確か・・・あの子、お母ちゃんと言った。言い違えたのか?・・・・
いいえ、そうではない。こちらを見ながらお母ちゃんと言ったのはよく覚えている。
では?・・・・・いくら店で威勢良く働いていても、
後家で子供もいない寂しい私を誰からか聞いて思いやってくれたのか?
・・・・いいや、それとも違う。ただ・・・あの子は・・・・あの子は・・・
うちのことを本当の母親だと思ってくれているのに違いない。
だから、和葉はんのこと一言もうちに聞かなかった。
そう考えると飛び上がるほど嬉しい。
部屋を出てからも小沙希のことを考えていたので、仲居の1人に声をかけられたとき
一瞬びくっとしたが、落ち着いて笑顔をむける。
「あらっ・・・どうされたんどすか?」
「えっ?」
「あっ・・・いえ、女将さんのそんな明るい笑顔、久しぶりに見たもんどすから」
「えっ?」
「あのう・・・」
といいにくそうにしていたが、お園が覗き込むようにみていたので思い切って
「3年前のあの頃、亡くなった旦那さんと仲良くなさっていたころの
女将さんの”笑顔”どす」
「あら、本当?」
と自分に昔々の笑顔が戻った事を言われ、まるで乙女のように頬を押えながら
歩み去る女将、あきれたように見送っていた仲居だが
なんだか自分も嬉しくなって、さっそく朋輩達に知らせようと小走りに走り去る。
★★★★
「いいどすか、小沙希ちゃん。落ち着いてお話するんどすえ」
「そうどす、いっても相手はお武家様、失礼のないように・・・・」
幾松と千代松にそういわれて
「うふふ」
とつい笑ってしまう。
「なにが可笑しいんどすか?」
「お姉ちゃん達、まるでうちがねんねみたいにいわはるから」
「そうどす、小沙希ちゃんあんたは強うてかしこおすけんど、
ある1面ではな~んも知らんねんねと同じどす。
そやからうちら心配のしどうしで、もうハラハラドキドキ・・・・」
そう言われると何もいえなくなる小沙希。
「さあ、このお部屋どす」
といって廊下に座る3人。
「お待ちどうさんどす」
と声をかけてから襖をあける幾松、中の光景を見てつい
「あらっ!」
と声をあげてしまう。
その幾松の声で思わず顔をあげ、その目に入ってきたのは・・・・・
男4人が車座に座って酒を酌み交わしている図であった。
その中の1人が二ヤッと笑って
「よお」
と声をかけてくる。
「まあ、源太郎さま!」
「おっと、そんなに睨むなよ。どこにでも顔をだす仕方のない奴って
顔に書いてあるぜ。・・・まあ、入んなよ。
そこが開けっ放しじゃ寒くて仕方がねえや」
といわれ立ち上がって部屋に入って襖を閉める。
でも源太郎に言われっぱなしで業腹だったので
「まあ~、源太郎様はどこにでも現れるし、人の顔に書いてある字を読まれるし
凄い人どすなあ。どこの偉いお人どすか?」
と言ってしまい、
「これ、小沙希!」
と幾松に叱られ、千代松には睨まれてしまった。
「あははは、参ったなあ小沙希には。坂本さん、小沙希ってこういう奴ですよ」
「まあ、人のこと奴だなんて・・・・」
と売り言葉に買い言葉で口に出してしまって、
「これ!小沙希!やめなはれ」
と今度は千代松に叱られ、首をすくめる小沙希。
その様子が可笑しいと男4人が声をあげて大笑いだ。
仕方なくその笑いが収まるのを待ってから
「今宵、お座敷に呼んでいただきまして、ありがとうさんどす。
うちら3人お座敷をあい勤めますのでよろしゅうお頼も申します」
といってから
「まずはみなさんにお酌どす」
といってから順番にお酌をしてまわる。
それが終わると自然と組み合わせが決まった。
桂小五郎と幾松は勿論、
源太郎と相良新太郎の間に座った千代松は仕方がないところ、
なにしろ小沙希が坂本竜馬を見つめる目が真剣なのだ。
医者の相良新太郎以外の男達各々が剣客といっても差し支えは無い。
だから、全く隙がない小沙希に注視が集まるのは仕方がないところだ。
小沙希のことを全て知っている源太郎は真剣に二人を見詰めていた。
いや、本当のところ面白がっていたというのが本音なのだ。
小沙希は2度3度とお酌をする。
竜馬は酒を飲みながらも少しも酒を飲んでいる気がしなかった。
まるで水を飲んでいるようだ。だから少しの酔いもこない。
なぜならば、この小沙希という舞妓に神経が集中しているためだ。
身体のどこにあったのか坂本竜馬の剣客としての魂が呼び覚まされたのだ。
何しろ昔、横にいる桂小五郎と試合をしたとき、1本目に片手上段で勝った後、
よし、負けてやろうと思ったと言うのだ。
事実、続けて5本全く違う形で負けつづけたという。
それを見ていた師の千葉定吉が
「竜さんのやつ・・・・・」
とフッと笑ったきり何もいわなかったという。
坂本竜馬・・・・維新の志士として有名ではあるが、
竜馬が生きていた時代がもっと前ならば剣客としてもっと高く名を残しただろう。
その竜馬、小沙希のあまりの隙のなさに自身が仕掛けた。
鋭い気を発したのだ。
座ったまま後方に飛んだ小沙希、そのままの姿で頭を下げ
「坂本様」
と呼んだ。
「なんだ」
と答えた瞬間、竜馬は負けたと思った。何故なら気が充満している時は
対等のようだったが(対等というのはわしの都合のいい解釈かもしれん。
小沙希という女、わしよりもっと実力が上なのだから)、
言葉を発した瞬間、口から気が抜けた。つまり対等ではなくなったのだ。
横でみていた源太郎にとって兄弟子同様の坂本竜馬と小沙希の戦い、
心が躍るおもいで見ていた。気配で桂小五郎も同じ思いで見ていたのだろう。
酌をする小沙希、杯に酒をうけとる坂本竜馬、目には穏やかだが、
源太郎と桂小五郎には真剣を構える両者が見えていた。
真剣の刃と刃が火花を散らせる。
「えい!」
と気合を発した小沙希、・・・だが驚いたことに気を発したのではなかった。
無音の術だ。無音の術とは口から気を発せずに喉の奥で気合を発するのだ。
だから気は身体から抜けてはいない。
だが
「おう」
と口から気合を発した坂本竜馬、この時点で竜馬の負けは決した。
二人の幻は消えた。
「見事な!」
と言ったのは桂小五郎だ。横にはぴったりと幾松が座っている。
「小沙希とやら、今のは無音の術だな?」
「はい」
「徳川の初期のことならいざしらず、今の世に無音の術を心得ているお主は一体何者だ!」
「桂小五郎様、今のお言葉に対するお答えはこれから坂本竜馬様にお願いする
私の言葉からおくみくださいませ」
と言ってから坂本竜馬に向き直ると深々と頭を下げる。
「坂本竜馬様にお願いいたします」
「何なのだ」
「竜馬様の懐にお持ちの『翔龍丸』をぜひともお譲りくださいませ」
「何!この笛を!?」
と懐から取り出す1本の横笛。
「はい!・・・その『翔龍丸』をぜひ私に」
「この笛はわが坂本家の宝、末代のためにも・・・」
といいかけて
「いえ!」
と言葉を被せる小沙希。
「これから、私の言う事、信じるも良し、信じないもよし。
でも話だけは聞いてくださいませ」
と言ってから、居ずまいを正し
「今より3年のち、京都近江屋にて竜馬様は暗殺者に襲われ、
その『翔龍丸』は暗殺者の手によってスッパリと2分されております」
「何故?何故?そんな先の世のことまで知っている」
と桂小五郎がいいかけたが
「待て!」
と桂小五郎を静止
「わしはどうなった?」
「はい、あなた様は『翔龍丸』を手にして暗殺者に立ち向かわれたと申せば・・・」
じっと小沙希を見つめる竜馬・・・ポツリという。
「そうか・・・死んだか・・・・」
人事のように言う竜馬。
「はい、近江屋で襲われたのは竜馬様と中岡慎太郎様のお二人」
「何?慎君もか?」
「はい、竜馬様は即死、中岡慎太郎様は3日後に死去されました」
「暗殺者は誰かな?」
「未だに判っておりませぬ。新撰組か見廻組か、はたまた徳川幕府に大政奉還という
案をつきつけたあなた様に対する薩摩と長州の過激派の手によるものか
これは竜馬様と中岡慎太郎様以外知ることはできませぬ」
今は誰も何も言わない。言えないのだ。
命運というものを突きつけられた坂本竜馬の心を思んばかって・・・。
「小沙希!・・・お主この世のものではないな」
「はい、私は今から140年後の平成という年号の時代から竜馬様がお持ちの
その『翔龍丸』を求めてやってまいりました」
「なぜだ・・・何故この笛なのだ」
「平成の世に恐ろしい者が復活したためでございます」
「恐ろしい者?」
「はい、平安期に人心を惑わし、人を呪い殺し、はたまた自然災害を引き起こした
怨霊・藤原元方です。その後、我師安倍晴明様に封印されたのですが、
時代が進めば人は不可思議なことは信じませぬ、怨霊が復活したのも人の手によってでした」
「怨霊か・・・それはわしらでも手が出ぬ」
「待て!小沙希。お主、我師安倍晴明様といったな。お前、平安時代にも行ったのか」
「はい、平成に生まれた私がどうして平安時代に行けたのか・・・
それは平安時代より脈々と伝わる女だけの一族・・・早瀬一族の
不思議の力によって時代を遡っていったのです。
そこで10年、安倍晴明様の元で厳しい修行をしてきました。
でも、戻ってみれば時の不思議で一刻ばかり。
それに私の身体は術の失敗で25歳という年から16歳に若返っていました」
そんなこと聞いていなかったので芸妓達、目を白黒している。
「では、師の安倍晴明様にお逢いください」
と懐紙を人型に切り
「『臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前』」
と九字を切る、そして唱える真言
「ナウマク・サマンダ・バザラ・ダンカン」
ふっ吹くとたちまち現われた公達。
その場に座る安倍晴明。
「それは何じゃ、あきあよ」
「はい、ささでございます」
「なに?酒か・・・一杯もらおうか」
晴明はお猪口ではなく、小さな小皿を取り上げた。
それに並々とつぐ小沙希。
喉をならして飲む晴明。
「はあ~・・・美味じゃのう」
「はい、平安の御世より酒の味もいろんな工夫がされ、味も変わってきました」
「そうそう、あきあに飲ませてもらったあの葡萄の・・・なんといったかのう」
「ワインでございます」
「そうそう・・・あれもうまかった」
・・・・・と、自分に注がれる視線に気づく晴明。
小沙希は晴明にみんなを紹介する。紹介が終わると源太郎から
「小沙希殿!お主、あきあと言われるのか?」
「はい、陰陽師・安倍あきあ それが晴明様よりちょうだいしました
わたしの名、でございます」
「だからなのか?」
「はい?」
「だから、お主が怨霊と戦うのか」
「はい、平成の世も陰陽を操れるのは私1人。けれども相手は悪名高い怨霊・・・」
と小沙希は幼い女の子を人質にとってその気を喰い、なおかつ子の両親をも
自分の思い通りに操ろうとしている・・・とその手段を話すと
「うぬ・・・」
と憤怒の顔になる。
「そんなの酷い!」
初めて聞く千代松だが昨夜聞いた幾松も源太郎もその卑劣さに吐き気を
催すほどだ。
「あきあ殿!」
と陰陽師の名で呼ばれた小沙希、竜馬の方を向くと目の前に横笛『翔龍丸』が
差し出された。
「えっ?」
と思うほど簡単に手に入る『翔龍丸』。小沙希が竜馬の顔をじっと見ると
「3年先に壊れてしまうんだろう、この『翔龍丸』は・・・
だからもったいないから」
もったいないから・・・と渡されて唖然としたが、つい
「クスッ」
と笑ってしまう。
「だが、この『翔龍丸』は誰が吹いても鳴らないんだよ」
と竜馬は一言付け足すが
「心配いりません」
小沙希は左手を前に出すとその手の平がボウっと光り、もう一対の横笛が現われた。
「これは『緋龍丸』といいます。
この『緋龍丸』を大江山のシテン殿から譲り受けたとき聞いた事があります。
『緋龍丸』にはもう一対『翔龍丸』という兄弟笛があり、
今は行方知れずだが、2本揃うとどんな強大な怨霊とて封印する事ができる。
ただ、『金龍』『銀龍』の2匹の龍を身に宿す事になり、
その気、2匹より弱ければ食い殺され、強ければ生涯の鎧と化す」
「いや!」
「やめて!」
と叫ぶ幾松と千代松。
「幾松姉ちゃん、千代松姉ちゃん。心配いりまへん。うちにはこれがあります」
と両手を前に出すと、その手の平より30cm上に浮かぶ赤いおおきな鱗、
「これは緋龍様という龍の鱗です。これさえあれば心配いりません」
といってまずは『緋龍丸』から手にとった。
目を閉じ吹く小沙希の姿、絵師がみれば誰もが描きたいと思うだろう。
そして幾松以外、初めて聞く小沙希の吹く横笛の調べはもう呆然として聞く事以外、得なかった。
それほど、この世のものが吹いているとは思えないのだ。
名人?・・・そんな言葉ではもう言い表せない。
『緋龍丸』の調べは静かに終わる。
そして、次は『翔龍丸』を取り上げた。
果たして鳴るのか・・・・・鳴らない。・・・小沙希の顔に苦悶の色が広がる。
そのうち小沙希の身体が光だした。
二つの小さな光の玉が小沙希の身体をつきっきりながら
ぐるぐると追いかけあいをしている。やがて小さな玉が龍の形をとりだした。
これが『金龍』と『銀龍』なのだろう。
(小沙希ちゃん!・・・がんばって!)
見ているもの全員、言葉を発する事・・・いや、身体を動かすことすら出来ない。
ただ、見守るだけだ。
光る小沙希の額に汗が滲みでる。
二匹の龍が小沙希の中に突っ込む毎に苦悶する小沙希、
どれ位の時がたったのだろう、構えた小沙希の口元からかすかな調べが流れ出した。
光輝く二匹の龍がその光を失い、金と銀との小さな龍という本来の色を取り戻すと
小沙希の身体の中に消えていった。
『翔龍丸』は女笛であった。『緋龍丸』より高い調べが流れる。
そして不思議が起こった。
窓の外の闇の中、たくさんの小さな光が天に上っていく。
魂魄この世に留めた霊達が解脱して天に帰るのだ。
これは『翔龍丸』の力によるものであった。
調べは消え、小沙希は『翔龍丸』を口から離した。
がっくりと肩を落として右手を畳につける。
小刻みに身体が震えているようだ。
それはそうだろう、二匹の龍が身体に納まったのだから。
「すいませぬ、だらしない格好で」
「いや、凄いものを見せてもらったし、聞かせてもらった」
「もう二度とないだろうな」
男達が口々に言う中、幾松と千代松は涼しい風にあたらせるため
窓をの縁に小沙希を座らせた。
「晴明様にお尋ね申す」
「なんじゃ、竜馬殿」
「平安期には鬼や怨霊がそこら中に出て人を襲ったりしていたと
書物で呼んだことがあるが、それは本当のことでござろうか」
「そこら中とは大げさだが、人は夜中は出歩かなんだ。
鬼や怨霊は本当のことじゃ」
「だが今の世、その姿見いとらんが」
「それは平安期の陰陽寮のおかげじゃと思っていてほしい」
「陰陽寮?」
「そうじゃ、そこに勤めておった者達の命をかけた鬼や怨霊達との戦いにより
消し去ったり封印したおかげなのじゃ」
「封印?」
「そうじゃ、今の世もその封印の力が及んでいるため鬼などは出てこれない。
じゃが世の中は変わる。あきあの生きている世がそうじゃ。
墓がこわされ、人が住む家となり、山がくずされこれまた人が住む。
封印された小さな祠など壊されれば何の役に立つ?・・・・
だから怨霊が復活してしまうのだ。もう古の人々から伝えられてきた
話も残っておらん、今は自動車とかいう人を乗せて走る車が通る道のため
山や川という大自然が壊されていく。何十階と高い屋敷が建てられるのは広い屋敷跡じゃ。
わしらが封じた幽鬼や邪鬼などはもうすでに人の間に入り込んでおる。
悪い事をした人間には必ずといっていいほど鬼の姿が重なって見える。
そんな恐ろしい世になっておる。
わしのいた平安期と同じじゃ。じゃが新しい時代の人間が鬼や怨霊の姿が見えず、
信じなくなっているだけ始末が悪い」
「わしらが目指す新しい世がそんなふうに変わっていくのか」
「竜馬様達、志士の皆様が志を同じに新しい世を作り上げました。
素晴らしいことです。確かに徳川は300年も続けば屋台骨が腐って揺らぎます。
維新以降、明治、大正、昭和の初期までは良かった。
人々の間に侍が持つ気骨が残っていました。
でも太平洋戦争という日本、ドイツ、イタリアの3国連合軍に対して
アメリカ、フランス、ロシアなどの連合軍は強かった。
日本はこてんぱに負かされました。
広島、長崎に原子爆弾という恐ろしい兵器が落とされ、
一瞬のうちに何十万人という命が失われました。
・・・・・が恐ろしいのはそれからです。
原子爆弾には副作用があったのです。爆弾が落とされた直後、黒い雨が降った。
それに濡れた人々は髪が抜け落ち、皮膚はただれ、
そして白血病という未だ治らない病に冒されました。放射能が原因です。
放射能は身体の中に入れば出て行かない。蓄積されてしまうのです。
そして、この地球に対する放射能の影響はこの地表からは半永久的に残ります」
みんな黙り込んでいる。幾松と千代松は手を取り合って聞いているが
身体の震えは止まらない。小沙希の慟哭といえる告白・・・いく末の日本の現状に怯えているのだ
「放射能は母から子、そして孫へそれが何世代も遺伝します。
・・・・これからは相楽先生」
という小沙希にはっと顔をあげた医者の相良新太郎。
「相良先生に関係する医学の話です。昭和の初期に発見されたツベルクリンで
胸の病の結核が完治するようになりました。天然痘も一掃されました。
でも白血病は完治する人もいればそうでない人もいる。
戦争が終わって50年、その時代に私は生きているのです。
でも未だに毎年、何百人、何千人と原子爆弾の影響の為、死んでいく人々がいます。
医学は進歩するが、治らない病もある。
それに、結核や天然痘、コレラという病は一掃されましたが
次から次へ、新しい病気が襲ってきます。
性交渉でうつるHIV・・・エイズという病気は発病したら死を待つだけです。
他いろんな病気で医者は頭を悩ませています。
癌や脳卒中、心筋梗塞は今だに人の死亡原因の大要素です。
これも封印が解かれて行ったのが原因なのでしょうか。
昭和40~50年は昭和元禄といわれ景気の良さに日本中が沸き立ちました。
昭和64年昭和天皇が崩御され、年号も平成と変わります。
平成は景気を回復させようと必死でがんばっていましたが、なかなかうまくはいっていません。
平成も10年を過ぎると人の心が荒んでいきました。
誘拐、殺人、暴行と若者の犯罪が増えつづけています。
心の荒みが邪鬼を呼び、そして邪鬼に力を得てただ平凡な暮らしをしている
人々の家庭を破壊している。私はそう見ています」
と締めくくる。
「小沙希・・・いや、あきあ殿」
「はい、何でしょうか?竜馬様」
「貴公はその平成で何をしているのじゃ。怨霊や鬼の退治を職業にしているのか?」
「いえ、わたしは本名『早瀬沙希』では最先端の技術の開発をしています。
でも、もう一つの名前『日野あきあ』では女優を職業としているのです」
「女優?」
「はい!今でいえば・・・そう役者です」
「役者?・・・貴公がか」
腑に落ちん・・・そういっている顔の竜馬。
「おほほほ、竜馬殿、貴公が思っている役者とあきあがいう役者とは
全然違っておる。・・・あきあよ、見せてやらぬか」
「えっ?」
「あきあが芝居の中で本当の戦いをした平将門との録画というものを」
「でも・・・」
「あははは、良いではないか。最後にあの元方も映っているのであろうが」
「もう、晴明様は・・・」
とねめつけたが、晴明は素知らぬ顔で千代松から酌をうけている。
「見たい!見たいぞ!あきあ殿」
「そうじゃ、わしも見たい」
男4人からの口々に声をあげられ、そして
「うちもや」
「うちも見たい!」
「では仕方ありません」
と九字をきろうとするが
「待って!」
と声をあげる幾松。
「うち、女将さんと和葉さんを呼んでくる」
「えっ?、どうして?」
と聞く千代松。
「何や知らんけんど、そうしたほうがええってうちの心の中が叫んでいるんどす。
じゃあ、行ってくるえ」
といって座敷を飛び出して行く。
「和葉殿がどうして?」
ここにいるのだと聞く源太郎に、話していいかどうか迷ったがどうせ判ること
「へえ、今宵一夜の夫婦の契りを小沙希ちゃんと和葉さんが結ぶんどす」
と千代松が話す。
「何?女と女が夫婦の契りを?」
と目を白黒さす男達。
「おほほほ・・・」
「何が可笑しい!千代松!」
「篠原様。小沙希ちゃんは女でもあり、男でもある不思議な身体の持ち主。
小沙希ちゃんはりっぱに和葉さんにややを産ませることができるんどす」
「なに?赤子を?」
もう驚きを通り越している。こんな少女が男?
相良新太郎は猛烈に医者として小沙希の身体を見たいと思った。
「失礼します」
と襖ごしに声がかかったのはそんな時だ。
襖が開けられ仲居が手をついて挨拶をする。
「うちの女将はんからの伝言どす。
そこの部屋では狭すぎます。どうかご足労ではございますが大広間に
おいでくださいませ。小沙希ちゃんのすることなら大広間でも
広すぎるということはありますまい・・・ということどす」
「あははは・・・、あきあも見込まれたものだのう。
さて、行くか」
といって立ち上がる。
仲居はこのりっぱな公達に目を見張っている。
こんなりっぱなお武家様を案内した覚えはないのだが・・・と首を捻っているのだ。
大広間に入ると驚いたのは小沙希。
和葉の隣りに父の結城弦四郎の姿と女将の横に置屋の菊野の姿があったからだ。
「お・・お父上」
と座り込んで頭を下げる小沙希。何も言えない。
「もう良い。何もかも女将に聞いた。一夜限りとはいえそなたはわしの婿じゃ。
したがよう見ると娘がもうひとり出来たようじゃのう」
「まあ、嫌なお父上!」
という小沙希の所作についドキリとしてしまう弦四郎。
小沙希の横には恥ずかしげに和葉がぴたりと寄り添う。
「よかったのう、あきあよ」
と扇子をあおぎながらいう晴明。
「婿殿。こちらは?」
そのりっぱな公達姿にめを見張る弦四郎が聞く。
「はい、我師である安倍晴明様です」
「ええ~~」
と驚く弦四郎、女将のお園、そして和葉も無論だ。
「あははは、弦四郎!驚いたか」
と源太郎。
「あきあ殿、この男には拙者が説明をする。それよりあきあ殿は早く支度を」
「はい」
と言った時、菊野屋と真田屋の舞妓や芸妓達が入ってくる。
花世の手には白い毛氈がもたれていた。
「花世ちゃん、毛氈はそこに置いて」
と舞台上に置くよう指示をする。
「でも」
という花世、毛氈は壁にかけると幾松に伝えておいたから自分たちがするものと思っていたのだ。
小沙希はその毛氈にむかって呪を唱えると
毛氈はふわりと浮き上がり、たたんであったものが広がって舞台後ろの壁に
吸い付くように張り付いた。
唖然とする舞妓や芸妓、
「これで用意が出来ました」
というと各々に座っていたのが舞台前に移動する。
坂本竜馬も桂小五郎もその中にいる。いつのまにか仲居や客達も大勢大広間に
入ってきていたのだ。
小沙希は真言を唱えた。
「ナウマク・サマンダボダナン・アビラウンケン、オン・コロコロ・センダリ・
マトウギ・ソワカ、ナウマク・サマンダ・ボダナン・バク」
というと何やら小さな形の人形が現われた。
「えい!」
という気合で宙に浮く。そんな小沙希の不思議の術に呆然とする客達。
「女将さん!灯りを消してください」
「でも、そうしたら・・・」
何も見えなくなるといいかけて口をつぐむ。
小沙希の言うことに偽りはない、・・・女将は仲居に言いつけて行灯の灯りを
吹き消させた。真っ暗な闇になる大広間。
だが次の瞬間、壁におおきな像が現われたのだ。
「天聖・・・?」
とカタカナが読めない人達ばかりなので
「天聖るなと読みます。ルナというのが名前です」
このシーン・・・・いや場面は第一幕です。
学校の・・・・いや、いまでいう寺子屋の場面です。
姉が殺され、その犯人を自分の手で見つけようとした少女が
どうしても出来なく、疲れ果て自らの命を絶とうとする一幕です」
「いやあ、小沙希ちゃんがいる」
「星聖奈だって」
「えっ?壁にうつる小沙希ちゃんが話をするんどすか」
と最初はとまどいでガヤガヤいっていたが次第に静まり返っていく。
画面の中の物語に引き込まれていった証拠だ。
寺子屋の場面が終わった。
「ふ~」
と息を吐く見物人、身体が硬くなっていたのか、首を回すひとが大勢いる。
「これからはお芝居ではありません。お芝居仕立てにはなっていますが
怨霊もなにもかも全て本物・・・いえ本気なのです」
という言葉に
「うお~」
と声をあげる。
「だって、平将門いえばこの京まで鳴り響いている恐ろしい怨霊どすえ」
と口々に恐怖を語る。
第二幕がはじまった。
大きな月の中から横笛を吹きながら現われる星聖奈
・・・いやここにいる小沙希なのだ。赤い陣八に手甲をはめ不思議な衣装
でもそれが良く似合って、凄く凛々しい。
そして見事な笛の音、・・・さきほど聞こえていたのはやはり小沙希ちゃんが吹いていたのか。
笛が止んで聖奈が向かい合う首塚、江戸にいた桂小五郎、坂本竜馬、篠原源太郎、
相良新太郎、そして結城弦四郎。その他大勢首塚を見知っている。
本気といったのがよく判る。これは本物だ。
聖奈が呼び出し、白いモヤの中から馬に乗ってあらわれた首なしの鎧武者
女達は
「きゃ~」
と叫び声をあげる。男もぐっと丹田に力を入れなければ見苦しいところを見せるところであった。
平気な顔で怨霊に対して悪態をつく聖奈、恐くはないのか・・・・。
そして聖奈の変身がはじまった。
「この変身後の姿は力の暴走を止めるため修行した結果このような姿になる
という設定です」
『天聖ルナ!参上』
という変わった聖奈の姿、
「まあ、可愛い」
と概して女達に好評だった。
男達が『あっ』と思ったのが天聖ルナが操る『破邪・雷光剣』と
牛若丸のように軽々と跳ぶ『八双跳び』であった。
やはり小沙希は一流の剣客なのだ。
物語は進み、異世界での天聖ルナの二段変身で出てきた玉藻、葛葉、紅葉、
それに白虎丸。
「彼等はわたしの式神です。そして友でもあります」
「その式神は今どこに?」
これは竜馬の質問だ。
「はい、今も私の身のうちにいます」
「あきあ殿!あの剣は?」
これには少し言い渋ったが
「不動明王様から下しおかれた利剣と羂索なのです」
「何!不動明王様から?・・・あと拝ませてくれぬか」
「あっ・・・は・・・はい」
これにはどうも積極的にはなれない小沙希だ。
物語はすすみ、天馬に乗った将門が妻の良子と天に上るシーンは女達の涙をさそった。
これで終わりかとおもったが
「これからあの怨霊がうつります」
という声でビクっと身体が反応する。
夜空いっぱいにうつる不気味な男の顔
「これが怨霊・藤原元方です」
『ふぉふぉふぉ・・・・面白いのう・・・われは人が苦しむのが一番うれしい。
せっかく目覚めたのじゃ、楽しませてもらおうかのう。
そして、我を死に追いやった朝廷のあった京の都を紅蓮の炎で焼き尽くしてくれん。
炎に巻かれた人の悲鳴・・・楽しみじゃ』
夜空一杯の元方の幻影に思わず飛び上がって、利剣をとりだしたあきあに
『おっと、仏の利剣か。今はそんなもの受けるわけにはいかぬ。
さっそく消えるとしよう。そうじゃ、京の都を焼き尽くすのは3日後の今の時刻に
しようぞ』
『ひ~』という怯えた女達の声・・・・。
そして、闇になった。
『フイッ』という音で行灯が一斉に灯る。小沙希がやったのだ。
そして、一段落した後、関係のない見物人が急いで大広間から出て行く。
残ったのは関係者ばかり。
でもなかなか声をあげるものはいない。・・・だが
「これが今の私の全てです。女優という仕事をわかっていただけたと信じます」
「しかし、あなたは凄いお人だ」
と弦四郎。
「私は剣しか知らぬ。だから小沙希・・・いや婿殿の凄さがよく判る。
あんな剣法は尋常ではできぬ」
「いえ、あれは晴明様のおかげです。私に修行をしていただいたから」
「あははは、あきあよ誰もが修行でお前のように出来るわけはない。
素質、天分、そして努力がなければそこまで到達しまい。
もうお前はわしを遥かに凌駕しているのじゃ。もっと自身を持つが良い」
「でも晴明様、私はまだ迷っております。あの元方を調伏すべきかどうか」
「優しいのう、あきあは。・・・いや優しすぎるから迷うのじゃ」
「でも、晴明様は言われておったじゃありませぬか。
元方は自分のせいで我娘を死なせてしまった。それから性格がかわったと・・・」
「じゃが、元方は将門と違うて救いようがない。
御仏もあきらめておる。あきあよ、その優しさ律しなければ身の破滅ぞ」
「はいわかっております・・・が」
というあきあを横目でみて
「ふ~」
とため息をつく晴明、あきあに判っているかどうか・・・仕方のない奴じゃ。
一方、新妻のように小沙希の横に張り付く和葉、
一夜だけの妻と女将のお園から聞いてはいた。
でも見た、聞いた・・・自分とは遥かにかけ離れた天上近くにいるお方、
自分とはとうてい相入れない・・・、泣きの涙で消えようか
・・・とぐっと哀しみをこらえている。
そんな和葉に声をかける晴明。
「和葉よ、何を迷い悲しんでおる。迷いは禁もつぞ。
そなたはこのあきあとは相いれぬと思っているのであろう」
「あっ・・はい」
「それは違うぞ」
「でも・・・」
「それでは言ってやろうか、そなたは平安期にこのあきあ・・・いや早瀬の沙希姫の
姉、律子姫であった。そしてあきあの生きる時代の佐野律子という女性、
それはそなたが転生した姿じゃ。佐野律子は早瀬一族の長、早瀬沙希という女性と
夫婦になる」
「早瀬沙希?」
「ふふふ、あきあのことじゃ、小沙希のことじゃ」
「じゃあ」
「そうじゃ、いずれにしてもそなたはあきあと夫婦になる運命と
天より定めつけられている女性じゃ。
ついでに言っておいてやろう。結城和葉としてそなたはあきあの子を産む。
男子と女子の双子じゃ、男と女の定まる道は違えども結城家は安泰じゃ。
そして、あきあの時代、女子の子孫はあきあのそばに仕えることになる。
男子はあきあに敵対するかもしれん。じゃがあきあの優しさがあれば
それも氷解していくじゃろう」
聞いている弦四郎、喜びに打ち震える。凄い人物とはいえ一夜限りの夫婦の契り、
娘の和葉に子が出来ようとは思いもしなかった。
現実にこの目に見てみなければ判らないが、教えてくれたのはあの安倍晴明なのだ
おまけに男女の双子ときている。畜生腹といわれたのは今や昔の事。
喜ばしい、本当に喜ばしい限りだ。と1人悦にいっている弦四郎を放っておいて、
次は女将のお園に向き直る晴明。
「お園といったな」
「はい、晴明さま」
「お前、あきあに母御と呼ばれて嬉しかったであろう」
そういわれて、再びあの喜びをおもいだしたのか、つい顔が綻んでしまうお園。
「はい、とても嬉しゅうございました」
「それはそうじゃ、お前は平安時代早瀬の沙希姫を産んだ本当の母御じゃったから」
「えっ?なんと仰せられました?うちが小沙希ちゃんの本当の母?」
「そうじゃ」
「ほ・・・本当でございますか?」
「嘘を申してどうなる」
「前世とはいえ小沙希ちゃんはうちが産んだ娘・・・・」
呆然とするが、こうなればいいと言う想像をはるかに越えていたお園。
「ということはこの和葉さんの前世もうちの娘・・・」
もう何も言えなくなる。
「お母様!お母様はうちの時代に飛鳥日和子といううちの叔母様に
転生するんどすえ」
「えっ?うちが転生?」
「はい、日和子叔母様は警察・・・いえ今でいう奉行所の偉いお役目」
「えっ?うちがお役人?」
「はい、うちの時代は女の地位が少し向上しました。
いろんなお役目に女性が男にとってかわっています。でもまだまだです」
小沙希から聞くこと驚く事ばかりだ。
「小沙希殿!」
「はい!竜馬様」
少し離れた場所で男4人、舞妓や芸妓達に酌をされながら必死に耳を傾けていた。
そのうち竜馬が辛抱出来なくなって声をかけたのだ。
「なんでしょうか」
「済まぬ、その舞妓姿で江戸の言葉は似合わぬ、言葉を改めてはもらえぬか」」
「おほほほ、じゃあ、・・・・竜馬様、なんどす?」
竜馬は何かほっとして
「小沙希殿には遠くのこの日本のことを聞かせてもらったが、
済まぬが、近くの時代のことを聞きたい」
「はい、維新前後のことどすな。今が慶応元年やさかい、慶応4年が明治元年と
なるんどす。つまり・・・・」
と明治元年の1月初日からの出来事を年表を見るが如く話し出した。
「明治元年1月1日 徳川慶喜、諸藩に討薩の出兵を、大目付には討薩の表を持って
上京するよう命じる。
1月2日 幕府諸藩連合軍15000、大坂を出発し京都へ向かう。
1月2日 薩摩藩船平運丸を幕府軍開陽丸・蟠龍丸が砲撃。
1月3日 幕府諸藩連合軍、伏見に到着し、伏見奉行所を本営とする。
城南宮を拠点とした薩長軍と対峙。夕刻幕府軍別働隊と薩長軍が鳥羽で衝突。
戊辰戦争が始まる。
1月4日 嘉彰親王が薩長軍本営に入り、事実上の官軍となる。鳥羽・伏見激戦。
1月6日 徳川軍大坂へ退却。
1月6日 徳川慶喜、夜半に大坂城を脱出。
1月7日 徳川慶喜、江戸へ向けて密かに出港。新政府、徳川慶喜追討令を出す。
1月9日 明治天皇即位。
1月9日 官軍、大坂城を占領。
1月10日 新政府、徳川慶喜以下の官位を奪い、幕府領を直轄領と決定する。
・・・・これが昔でいえば天下分け目の決戦なんどす」
「小沙希ちゃん!・・・この京の土地が戦場になるんどすか?」
「へえ、鳥羽・伏見の戦いは幕軍も官軍もぎょうさんの血が流れます。
新撰組も離散します。・・・たくさんの命がなくなるんどす」
小沙希の顔が哀しみでゆがむ。
「上野山を占拠した旧幕臣の彰義隊の方々と大村益次郎様率いる新政府軍。
もっと悲惨なのは会津若松の白虎隊どす。元服前の年端もいかない少年達が
全員討ち死に・・・・・」
その報告にはもう皆言葉がない。
「新しい時代を迎えるためには少々の犠牲は仕方がない・・・
男はんはいつもそう言って戦場に向かわれます。でも残された女達の哀しみ・・
それを思うと晴明様が沙希姫様に施された女しか産めない一族、
早瀬一族の女達が早く日本の政治や経済の中枢に入らねばとおもうんどす。
男はんにまかせておいたらいつまでも血で血を争う戦争がなくなりまへん」
「しかし・・・」
と声をあげる桂小五郎だが
「いままでの日本の歴史、飛鳥の時代から続く歴史は戦争の歴史どす。
その中に埋もれた女の哀しみは歴史には出てきまへん」
その通りなのだ。それが判るから桂小五郎も何も言えなくなる。
「うちの時代も世界中どこかしこで戦争して血が流れておるんどす。
でも犠牲になるのはいつも女や子供なんや・・・もういやどす。
だからうち、戦うんどす。怨霊は人を操り、心の醜さを好みます。
そして人に不幸を与えます。もしかしたら怨霊や邪鬼の類が
人に戦争をさせているかも知れないんどす」
「あきあ殿!・・・もういい。あなたの純真な心がよくわかった。
だからあんな笛が吹けるんだろう」
「あんなこと聞いたわしが馬鹿だった。許してほしい。
済まぬがもう一度『翔龍丸』の音色を聞かせてほしいのだが」
「わしもだ、なんだか無性に聞きたくなった」
「はい」
といい立ち上がった小沙希。手を出すとその手の平に1本の横笛が
・・・・・・・
口に当てると流れ出す調べはこれからおこるであろう戦いの犠牲者の
鎮霊歌であった。その調べは山を越え谷を越えて自然の中に溶け込んでいく。
見事な笛の手だった。初めて聞く弦四郎も和葉も心が揺さぶられ続ける。
そして、和葉は知った。自分が惚れた人がこんなに素晴らしい人であった喜びは
一夜限りという些細な事を消し去り、産まれ出る我が子に父の素晴らしさを
どう伝えようかいまからワクワクするのだ。
「さあさ、今から婚礼どす。男はんは邪魔どすから
隣りの部屋でまっていてくだされ」
とお園が男達を追い立てる。仕方なく立ち上がる男6人。
「お酒をつけますよって、おとなしゅうまっているんどすえ。
覗いたら駄目どす」
お園の指示でお膳が片付けられ、新しいお膳が運ばれてくる。
「小沙希ちゃん、どうするえ。その格好で婚礼するんどすか?」
菊野がおろおろしながら聞く。
小沙希のために何とかしてあげたいが、なにしろ急なことで
置屋を飛び出してきただけに何の用意もしていない。
「大丈夫どす、うち隣りのお部屋で着替えてきます」
といってスタスタ襖をあけ、そしてしめる。
「幾松ちゃん、着替えるたって何もないんどすえ」
「お母ちゃん!心配無用どす」
という先から隣りの部屋からりっぱな公達姿の小沙希が出てくる。
「まあ・・・」
と言ったっきり口をあけたまま動かない。
「お母ちゃん・・・お母ちゃん・・・」
幾松に身体を揺すられて我にかえる菊野。
「い・・・幾松ちゃん・・・あれ・・・あれ」
と小沙希を指差す菊野。小沙希の舞台を見ていなかったから仕方がない。
小沙希は座ったまま動かない・・・いや動けない和葉のそばにより
「和葉さん」
と手を出す。下ばかり向いていたので気づかなかった小沙希の公達姿は和葉の心が波立つほど、
それはそれは立派だった。
「幾松さん姉さん!」
和葉の手を握った小沙希が幾松を呼ぶ。
「小沙希ちゃん!どこへ?」
心配そうに呼ぶ菊野に
「なんだったら、皆さんも来ます?」
という小沙希のあとをゾロゾロとついていく。
隣りの部屋には見知らぬ3人の姿が・・・といってもどこかで見覚えがあるような。
髪をおろした女が顔をあげ
「主殿・・・でどちらが?」
「お前達も見ていただろうに・・・それほど私の口から聞きたいか?」
「はい、聞きとうございます」
「では、わたしの妻の和葉じゃ」
というと頬を赤らめる。
「おうおう、主殿の顔が赤くなられた」
と3人で喜びあう。
「玉藻、葛葉、紅葉!もうからかうな!それより早く」
というとこの式神達、いそいそと和葉に着替えをさせていくのだ。
「幾松さん姉さん、おすべらかしって出来るんどすか?」
「うち、一度やったことあるえ・・・でも」
と3人の式神達に視線をよせる。
「平安時代にはそういう髪型はなかったので」
なるほどと・・・部屋を出ると集まっていた仲居に髪結いの道具を取りにやらせた。
「和葉さん。うちにはこんなことしか出来ん。
妻となるあなたにもっと思い出となるものをやってあげたいが」
というと首を振る和葉。
「いえ、私にはもうこれで充分です。これからのあなたとの時間を思うともう胸がいっぱいで・・・」
という和葉の言葉に皆、胸を波立ててしまう。
小沙希は袖を通し終えた和葉の手をギュっと握る、それだけでもう何もいえない。
十二単で幾松の仕上げたおすべらかしの髪型、そして千代松がやったお化粧、
日頃化粧ッ気がなかったのでどうなるかと心配だったがそれは見事な女っぷりだ。
和葉と小沙希が舞台・・・いやひな壇の上に座る。
「ひゃあ~本物のお雛様やわあ」
どんな美辞麗句より花世の言葉がピッタリだった。
仲居に案内される男達、一瞬に立ち止まってしまいその背中にぶつかる始末。
もう言葉がなかった。その中でも父である結城弦四郎はもう舞い上がってしまった。
なにをいわれても
「ふ~」
とため息ばかり、もうみんなあきれて放っておく事にした。
そのうち手酌で酒を飲み出し、そして泣きじゃくる。
和葉からみてだらしない父親だが、
横の小沙希がぽつんと言った言葉が胸に残る。
「ああ~、いい父だ」
こうして婚礼の儀式は終わった。三々五々に帰る客達、
すっかり酔いつぶれた弦四郎は源太郎の背に乗っていた。
送りに出た夫婦にもういい・・いい・・と手を振り帰って行く。
こうして二人の時間が訪れた。
湯に入り汗を流す二人。
こっちへと誘う小沙希だがなかなか来ない和葉に上半身を湯から出す小沙希。
「あらっ」
といい和葉はゆっくり洗い場から湯に浸かり向かい合う。
「本当にあるのですね」
「えっ?」
「お乳・・・・」
とそっと触れる。
「ふふふ」
と笑い背中から抱きしめ和葉の大きな乳房に触れる。
「うちもこれぐらい大きかったらな。と思ったことあるんどす」
「でも、肩がこるわよ」
「やっぱり・・・じゃあこれぐらいがいいのかな」
「ねえ、小沙希さん」
「嫌!沙希と呼んで」
「沙希?」
「ええ、早瀬沙希・・・うちの本名」
「じゃあ、沙希!」
「なあに、和姉」
「和姉?」
「うち、早瀬の女達をそう呼んでいるの。
身体の関係がある人もまだそうでない人も」
「そんなにたくさん?」
「ええ、それがうちの使命だから。早瀬の女達に子供を産ませ
もっと繁栄させていくのがうちの役目・・・どう、辛い?」
「ううん」
と首を振る和葉。
「それは仕方がないと思う。・・・ねえ、沙希」
「なあに?」
「うちが転生した人どう呼んでいるの?」
「律姉よ」
「同じなのね。そう誰も分け隔てなくするの?・・・沙希も大変ね」
「うん、でもうち、女好きだから・・・」
「こいつ」
そんな会話で打ち解けるふたり。
一方、閨では初めてで緊張していた和葉をベテランの沙希がリードして破瓜が終わる。
男が抜けてもまだ入っているような感覚が何故か嬉しい。
休憩しての2度3度の交わりは硬かった和葉の身体を女としての柔らか味を植え付けていった。
和葉が女の喜びで打ち震えたのはもう夜も明けるころだった。
先に目覚めたのは和葉だった。目の前に夫がいる。
いや、夫というよりも妹といったほうがいいかもしれない。
舞妓の化粧を落としても、顔は女。とびっきりの美人だ。
女の私より綺麗な旦那様、なんだかとっても不思議だ。
その上、この人は普通の人間ではない。仏がついている。
昨夜交わっていてよく判った。仏が二人の交わりを温かく見守っていたのだ。
和葉の気配で目覚めた沙希は
「おはよう」
と一言、またその声が可愛い。今日の別れは辛いけど今の時を
一生の思い出にするため懸命に沙希の顔、その息遣いを観察する。
「どうしたの?」
「ううん」
という和葉に笑いかける。
感の鋭い人だから私の気持ちはもう掴んでいるのかもしれない。
「さあ、もう起きましょう」
「もう?」
「だって和姉、道場で待っている人がいるのよ」
「道場で?」
「ええ」
「誰が?」
「新撰組の沖田総司様」
「新撰組?」
「この間の夜、新撰組に悪戯をしようとしたの。
でもその前に舞妓の鈴音ちゃんを罠にかけようとする悪い人達がいて
仕方なくその人達をやっつけてしまったの」
「じゃあ、あの瓦版に出ていた鞍馬天狗というのは」
「ごめん、うちのこと」
「もう、沙希は危ないことばかりして」
と叱る。
でも
「クククク」
と笑う沙希。
「どうして笑うのよ」
「だって、皆私に対していうことは同じなの。
又、沙希は危ないことをして!逃げる事も勇気です」
「その通りだよ。沙希」
「うん、判ってる。でも身体が先に動いてしまうの。ではっと気づけば後の祭り。性分なのね」
「あきれた」
「ねえ、和姉。こんな私嫌?」
「知らない!」
「和姉・・・和姉ったら」
「もう・・・なによ」
「口づけしょう」
とぱっと覆い被さり唇を奪う。
「うう・・・」
と唸るがそのうち沙希の口付けのうまさについ手を沙希の身体に回し
抱きついてしまう。それは長い時間だった。
「ふ~」
とやっと唇がはなれるとつい深く呼吸をしてしまう和葉。
「沙希ってずるい」
「ウフフ」
と笑いながら和葉に抱きつく沙希。
「もう、沙希の甘えた」
「ねえ、和姉」
「ん?」
「これ、嵌めていてくれない」
と出したのは指輪だった。石はダイアモンド。
でもこの時代での価値が判らない。
「何よ、これ」
「指輪」
「指輪?」
「うん、ここについているのはダイアモンドという宝石よ」
「宝石?」
「そう」
「高価なの?」
「う~ん、今の価値でいえば1万両ぐらい」
「1万両!・・・・冗談でしょ」
「そう、冗談」
「もう沙希は!」
「でも今の時代で価値が判らないというだけ。
私の時代でいえばこの指輪ひとつの奪い合いで何百人と殺し合いするかもしれない」
「やだよ。そんな恐ろしいもの」
「だからこの指輪に術をかけておくわ」
「術?」
「ええ、これはうちと和姉だけの秘密。術でガラス玉に見えるようにしておくわ」
といって呪をかけると輝きが変わった。
「さあ、これで誰もが本物だとわからないわ」
といって和葉の左手薬指に指輪を嵌める。
「和姉、これを和姉の長女に引き継いでね」
「長女に?」
「ええ、和姉に生まれる双子の女の子は又男女の双子を産むの。
そういうふうに結城家は続いていくわ。ええ家を継ぐのはいずれも女の子よ」
「男は家を出るのね」
「そう、そしてその指輪は女の子に受け継がれていくわ。
そしてわたしのいる時代になったらその指輪を持って私を訪ねてきてほしいの。
早瀬一族の女として」
「わたしはその頃再び沙希の妻として転生しているのね」
「そうよ、佐野律子。わたしの愛するマネージャーとして。でも、ごめんね」
「なにが?」
「今の和姉に女の喜びを教えてしまって、夫婦は今日限りだというのに」
「いいのよ、もう女は忘れる。そして今日から母になる。
いえその準備に入るの。だから剣も捨てる。母としてりっぱに子供を
育てましたと沙希に誇れるようになる」
「和姉!がんばって!」
「ええ」
と和葉は女から母へと決意を沙希に誓う。
★★★★★
和葉と小沙希は結城道場の門をくぐった。
小沙希は早瀬沙希太郎として、和葉はその妻として。
先触れを出しておいたので父の弦四郎と門人達が迎えにでていた。
彼等が目を見張ったのは、一夜にして鬼娘から女に変貌した和葉の姿だ。
硬質だったその身体と態度がすっかり柔らか味を帯び女になっていた。
「父上、ただいま戻りました」
と挨拶する沙希太郎。
「で、首尾は?」
「はい、おかげさまで」
「それは重畳・・・」
それで婚姻の夜の報告が終わった。
「父上、沖田様は?」
「先ほどから道場でお待ちだ」
「では、さっそく」
と玄関を入る。
「父上、食事は?」
「もう終わった」
「そうですか、では私があとをかたずけます」
「和葉、お前道場へは?」
「わたしはもう剣を持つつもりはありません」
「えっ?」
「これより、女として母となる修行をいたします」
「おおう、そうか」
剣を止めると聞いて少し寂しそうだったが、母の修行と聞くと
孫のことを思い、喜びが込み上げてくる。
道場から
「先生!」
と呼びにこられ慌てて道場へ向かう父の姿を見送り、台所へ向かう和葉。
ばあやにこれから教えを乞おうというのだ。
沙希太郎が道場に足を踏み入れたとき、あっと危うく声を出すところだった。
片方には坂本竜馬、桂小五郎、相良新太郎が座っており、
その対面には今日始めて見るが本でよく知る新撰組の近藤勇、土方歳三、沖田総司が座っている。
そして苦笑いを浮かべながら師範代席に座るのは篠原源太郎・・・
どうせ源太郎が仕組んだものだろう。
仕組んだはいいが、仕組みそこねてこんな状態になってしまい、
困り果てているというのが真相か。少し苛めてやりたくなる沙希太郎。
何も知らぬ門人達こそいい迷惑だ。緊張のあまり顔色がみんな悪い。
沙希太郎は源太郎には目を合わせず、素知らぬ顔で挨拶をした。
「坂本竜馬様、桂小五郎様、昨夜は私の婚礼にわざわざきていただき
本当にありがとうございました。
竜馬様には夕べのお約束の品、あとでお見せいたします」
といって反対側に向き直り
「新撰組の近藤勇様、土方歳三様、沖田総司様とお見受けします。
お初にお目にかかります。早瀬沙希太郎と申す未熟ものです。
先日は沖田様には私の悪戯でご迷惑をおかけしました。
改めてお詫びを申しあげます」
と挨拶する。新撰組の席から沖田総司が沙希太郎に気軽に声をかける。
「沙希太郎さんとおっしゃいましたね。実をいうと私はあなたを2度ほど
見かけているのですよ」
「えっ?」
「一度目はやくざものの店先で10数人の男達を叩き伏せたとき。
そして二度目は昨日、玉屋の女将を襲った浪人達を鞭でこれまた全員を叩き伏せられた。
私が見た二度とも沙希太郎さん。あなたは舞妓姿だった」
驚いたのは門弟達と近藤と土方だ。目を見張る中
「立ち会っていただけますね」
「はい、よろしいでしょう。でも沖田さん。少しだけお待ちいただけますか?」
「待てと言われるのは?」
「はい、私は昨夜この道場の娘である和葉殿と婚礼をあげました。
ですから私はまだこの道場に役立つことを一つもしていません。
今から門弟の方々に稽古をつけるつもりです。
それが終わるまで待ってくれませんか」
「門人の方々に稽古を?・・・いいでしょう。
あなたがどんな稽古をつけられるか、私も興味がある」
そう言って沖田は座りなおした。
師の席に座る義理の父に
「父上、よろしいでしょうか」
「うむ」
と頷く弦四郎。
懐から出した白い鉢巻をきりりと絞めた沙希太郎、
竹刀を持つと
「谷川さん、来なさい」
「はっ」
どうして自分の名前を知っているのかわからないが全力でぶつかっていく。
でも確かに竹刀をあわせたはずなのに音がしない。
息があがっていく。苦しさのあまり突っかかっていったが、
まるで風に巻かれたように竹刀が天井に当たって落ちた。
自分は少しは強くなったはずだ。だが全然刃が立たなかった。
呆然と座り込む谷川弥一に
「谷川さん、あなたは腕の力に比べ腹筋の力が凄く弱い。だから腰が定まらない。
切っ先がゆれるのもそのせいです。谷川さんは今日から腹筋を毎日100回、
数を軽々こなせるようになったら、200・・・300と目標値を
あげていってください。最終は1000回です。
1000回を毎日出来るようになったらあなたは強くなる。
・・・・・はい、次!横田さん」
とこうして門弟達に稽古をつけていく。
そして次々と門弟達の弱いところを指摘し、強化するよう教えていくのだ。
こんな剣術の師範は今まで皆無だった。
「おい!あいつ化け物だ」
そういうのは土方歳三だ。
「はい、わたしは見ていて背筋が寒くなっています。
いくら実力差があるからといっても、これだけの激しい稽古をしているのに汗一つかいていない。
それに一度も沙希太郎殿の竹刀から鍔鳴りがしないのです」
一方、相良新太郎が
「坂本さん、桂さん。わたしは幼いころから剣術は苦手で修行などしませんでした。
だから聞くのですが、剣術の稽古ってこんなに静かでこんなに美しいのですか?
なんだか舞を見ているようです」
「そんなことはない、剣の修行は無骨なものだ。わたしもこんな稽古と教え方を初めてみる」
と桂小五郎がいう。
「桂さん、千葉周作先生が音無しの剣法を破ったとき、
その気合で道場の床を踏み抜いたと聞く。だが、沙希太郎の剣を鳴らそうとしても
いくら千葉先生でも無理だ。まるで柳に風で受け流されてしまう。
豪の剣では破れない。わしが剣客ならば出会えた喜びに身の内が震えたであろうな」
「坂本さん!今からでも遅くはない・・・どうだ?」
「いや、もう遅い。わしのなまくらな腕ではあの門弟達と同じめにあうだけだ。
あいつ、古くから伝え聞く剣豪の中で一番強いのではないか」
もう一人心躍る人物が・・・。
「おい、弦四郎さんよ。そんなにニヤニヤして喜ぶな!」
横から源太郎が叱る。弦四郎は横目でジロリと源太郎を睨むが
しかしその口は今にも綻びそうだ。
「しかし、えらいやつを娘と夫婦にさせたもんだなあ。
こんなやつ二度と出るめえ。弦四郎!おめえの娘の和葉さんはてえした眼力だぜ。
おめえより1枚も2枚も上を行くぜ」
「なに、偶然だ」
というが実際は心の中が(でかした!)と喜びで小躍りするほどはずんでいる。
「しかし、今日で帰ってしまうんだなあ」
「ふむ、残念だが仕方があるまい」
「弦四郎!おめえ、あいつの血を引く孫に期待しているな」
「そうだ。あの安倍晴明様が言われたことに違いはあるまい」
「うらやましい奴だ・・・・弦四郎!そんな顔をするな!」
もうあきれて、憮然とする源太郎だ。
「以上です。わたしの言ったことを忘れず必ず身体の強化をしてください」
「はい!・・・ご教授!ありがとうございました」
という門弟の挨拶に頭を下げた沙希太郎。
だが門弟達、誰も立とうとはしない。
このあとに控える新撰組の天才剣士といわれる沖田総司との立会いがあるのだ。
みんなもうワクワクしている。
「お待たせしました。沖田さん」
「少し休む・・・・・必要はなさそうですね」
「はい」
とにっこり笑う沙希太郎。
「では、竹刀で・・・」
「いえ、沖田さん。お願いがあります。あなたは腰の名刀”菊一文字”で
私と立ち会っていただけませんか?」
「真剣で・・・ですか?」
沖田はまじまじと沙希太郎の顔を見てから、そして近藤と土方の方に振り返る。
近藤と土方はむすっとして答えない。
沖田が聞く。
「お互い真剣勝負ということですか?」
「いいえ、私はこれを使います」
と立ち上がって持ってきたのが、先の細い鞭だった。
「あなたはわたしを侮っているのですか?」
沖田は沙希太郎を睨み付けたが、沙希太郎は動じない。
どうやら考えを改めるつもりはないらしい。
「こうなればわたしはあなたを切る!」
そう言って刀掛けから刀をとって腰にさした。
そして菊一文字をスラリと抜く。
「あなたの新妻を嘆き悲しませても知りませんよ」
といって口を歪めて笑った。
剣を取ったら人が変わる。こうなれば近藤や土方といえど、もう沖田を止めることは出来ない。
源太郎も弦四郎もどうして沙希太郎が沖田に真剣の立会いを望んだのか訳がわからなかった。
だがもう止められるものではない。
二人の緊迫した気が道場を包んだ。みんな蒼白になって見つめている。
先に沙希太郎が動いた。沖田の胸を狙って突いて出たのだ。
しかし、沖田は待っていた。その鞭を狙って切り下げた。
だが鞭は弓のようにしなり、沖田の顔面にすれすれを通る。
「あっ」
と声を発して後ろに跳びのいた。そんな激しいやりとりが続くが、
沖田には沙希太郎の動きが全く読めてはいなかった
動きどころかあの鞭がくせものだ。まるで生き物のように動くので予想がつかない。
懐に跳びこもうとするのだが身動きが取れなくなった。
隙だらけのように見えて隙が全くなかった。
たかが鞭と思っていたが、こうなれば刀にはない恐ろしさがある。
立ち会う前にわかっていたが、立ち会ってみるとそれ以上の実力。
『かなわない』と思ったら最後、相手が大きく見えて手足が動かなくなる。
自分は勤皇の志士に恐れられる新撰組の沖田総司である。
このままでは終わらせられない。かなわぬまでも一太刀をあびせてやらねば・・・
と気力が湧きあがってくる。
でもこの勝負、時間が長くなればなるほど沖田に不利になる。
重い刀を持つ沖田と軽い鞭の沙希太郎。
ましてや夕べも喀血したばかりの沖田。しだいに身体が重くなってきた。
顔色も紙のような白さだ。
そのとき『来る!』と感じたのは剣士としての長年の経験からであろう。
目の前の沙希太郎が二重に振れてみえ、そしてフッと消えたのである。
「沖田!上だ!」
近藤が声をあげた。
ハッと見上げると天井に足をついて屈みこむ沙希太郎、その反動で速度を早めて
襲ってくるのか?・・・だが沙希太郎は身体を捻った。
そして又見えなくなった。と思ったら沖田の身体に鋭い痛みが何箇所も感じられる。
沙希太郎の姿は全く見えない。だが風を切る音がする。
沖田は痛みを堪えながら刀を振る。だが何の手ごたえもない。
痛みは後から後から襲ってくる。もう刀を振り上げも出来なければ
立ってもいられなくなった。
刀を杖代わりに崩れるように座り込む沖田。だが一瞬、沖田の天才が目覚めた。
どこにそんな体力が残っていたのか。1mほど飛び上がり、まず切り下ろして
斜めに切り上げてから、水平に払った。
その3つの動作を飛び上がった瞬間に一瞬のうちにおこなった沖田総司やはり剣の天才だった。
床に降り立つと満足げに笑い、そしてドッと倒れこんだ。
「沖田!沖田・・・しっかりしろ!」
近藤と土方が沖田にかけより抱き起こした。
すると上のほうから『ポツリ・・ポツリ・・・』
と血のしたたりが・・・・、見上げるとフワリと飛び降りてくる沙希太郎。
一体何処にいたのだろうか、先ほどは姿が見えなかったのだが。
その沙希太郎の姿、左の肩口が切り裂かれ、ブランと垂れた左手の甲から
血が滴り落ちていた。
その沙希太郎に走り寄って来たのが新妻の和葉だ。
心配で物陰から見ていたのだろう。
持っていた白い布で沙希太郎の傷口をしっかり押えた。
「和姉、心配いらないわ。傷はすぐに治るから」
と押えていた布を外してみると、なるほど出血は既に止まっており
その長い刀傷もあれよあれよと言う間に消えていった。
これには医者としての立場から沙希太郎の傷を治療しようとそばに寄ってきた
相良新太郎、和葉に先を越されてしまったが傷が消えていく様をつぶさに見て
医者としてありえないことに肝を潰してしまった。
「これはあの『翔龍丸』と『緋龍丸』にいた金龍・銀龍の仕業なのですよ」
なるほど『生涯の鎧』とはこういうことだったのかと感じ入った
坂本竜馬、桂小五郎そして篠原源太郎。
だがそんなこと知らない他の者達は唖然とするのだ。
「和姉、冷たいお水を持ってきてくれる?」
といいながら沖田の横に座る。沖田はまだ気がつかない。
「近藤様、土方様・・沖田様のこの消耗のぐあいを良く見ていてくださいね」
自分でやっておきながら何をいいやがる。とムっとする近藤勇と土方歳三。
沙希太郎は沖田に向かって手をかざす。
すると何やら空気が変わった。蒸し暑かった道場の中に爽やかな風が流れてきた。
沖田の様子も苦しそうだったのが次第に落ち着き、顔色も蒼白だったのが
赤味をおびてきたのである。
もう大丈夫だった。医者として何の役にも立たなかったが、
沙希太郎がいる以上それも仕方がないと自覚していた。
沙希太郎の医学の知識は自分など及ばない別次元のものだったからである。
沖田の目が開いた。じっと手をかざす沙希太郎をみて微笑む沖田。
「早瀬さん」
と少し声がかれていたが和葉が持ってきた水を飲んで落ち着いたのか
「あなたがわたしにやっていただいた事、感じていましたよ。
あなたは自分の命を削ってまでわたしに光を与えてくれたのですね」
「沖田さん。あなたは自分の命を粗末に扱い過ぎます」
と怒ったような口調で話す沙希太郎。
「だが私には心配してくれるような人は・・・」
と言いかけた時、すっと沙希太郎が指し示す方を見ると
武者窓から覗く大勢の女達、その中で心配そうに沖田を見つめる1人の女性・・・。
「あっ!」
「いるでしょう、沖田さんを心配している人が・・・。
和姉、あの方々を道場にいれてあげてください」
和葉はにっこり笑うとすぐ道場を出て行った。
「沙希太郎さん」
と今度は心安げに名前を呼ぶ沖田。
「あなたはわざと私を怒らせたでしょう」
えっ?という顔の近藤と土方そして弦四郎。
「ああ言わなければ沖田さんは治療をさせてくれなかったでしょう」
「治療?」
「ええ、今のは立会いでもなんでもなかったのですよ。
私はあなたの体の治療をしていたのです」
「それどういうことですか?」
「はい!」
といってから外から入ってきた女達が周りを取り囲んで座るのを待ってから、
「近藤様と土方様にお聞きします」
『ん?』という顔のご両所、
「なんでしょうか?」
と土方が聞く。どうも近藤の口が重たいのは諸説あったが本当らしい。
「昨夜、沖田さんが大量に喀血したのはご存知だったのでしょうか?」
『あっ』という声をあげたのは1人や2人ではない沖田自身も思わず声をあげた。
「どうして・・・・どうして知っているのですか」
沖田自身で上げた声で本当のことだとわかった。
近藤と土方の顔からさーっと血の気がひいた。
とくに近藤は沖田の幼い頃から知っているし自分の弟のようにおもっていた。
いや、もう肉親と同じなのだ。
ワナワナと唇が震えだす。
「お・・沖田!・・・・本当なのか?」
「いやだなあ・・そんな顔しないでください。・・・・でも安心しました。
今の近藤さんも土方さんも江戸の田舎にいたときと同じだ。
最近のお二人にはそばに寄るのも嫌だったんです。血の臭いしかしない。
だから1人で死のうと思いました。人を切りまくってその上で
切られて死のうが本望だと思っていました。
でも今は土の匂いがします。みんなで走り回ったあの頃の・・・懐かしいなあ・・・・」
何だか沖田の目が光っているようだ。
ふと気がついた沖田が
「沙希太郎さん、あなたは今のが立会いではない、治療だといいましたね。
訳を聞かせてください」
「はい」
といってから沙希太郎は道場の中を見渡した。門弟達の座る後ろにひっそりと
座る女達、菊野屋の女将と芸妓と舞妓達、仲良くなった真田屋の芸妓や舞妓達、
そして玉屋の女将のお園までもが顔を見せている。
みんな場所をおもんばかって地味な町娘の装いだ。
・・・そして、もう1人・・
「鈴音ちゃん!こっちへいらっしゃい」
「ハイ」
と小さな声で返事をし、うつむきながら近寄ってくる。
恋しい人のために必死なのだ。
沖田は沖田で黙って鈴音の顔をじっと見ていた。
「もう、いいでしょう。身体をおこしてください」
近藤と土方の横からさっと沖田の身体に手をかけておこすのは鈴音だ。
近藤と土方は仕方なく見ているが苦笑いしている。
本心はといえば、飛び上がるほど嬉しいのだ。
女に関して朴念仁だと思っていた沖田。女を知らずに若い命を散らすのかと
いてもたってもいられなかっただけに、もうとんでもなく嬉しいのだ。
「鈴音ちゃん、沖田さんの上をはだけて見せて」
鈴音の手が一瞬とまったが、沖田の上を脱がす。
「あっ」
という声、肌に多くの赤い点が・・・・
だが近藤と土方の目にうつるのは江戸では細いながらも隆々とした身体を
していた沖田が・・・なんだこの痩せ衰えた身体は・・・・
思わず唇を噛み締めた。嗚咽が洩れそうになったからだ。
こんな身体では・・・・もう沖田を修羅の道に連れてはいけない。
「沙希太郎さん!これは何ですか?」
「これは経絡を突いたものです」
「経絡?・・・・やはりあなたでしたか。あの鞍馬天狗は」
「あっ」
と声をあげた門弟達、今や京の町では鬼面組を倒したと評判の鞍馬天狗が若先生だなんて・・・。
「ごめんなさい。わたしの悪戯で京を混乱させて」
「もういいんだよ、沙希太郎。もう終わった事だ」
と源太郎も言い添える。
「沖田さん、あの時は悪い奴を退治する経絡を突きましたが、
今日はあなたの身体を救う経絡を突きました。
鈴音ちゃんに聞けば沖田さんは極端な医者嫌いというじゃないですか。
だからわたしは策を練って立会いに見せかけてこうして治療したんですよ。
さもないと、あなたは今夜二度目の大発作で命運が尽きたところです」
「えっ?」
と声をあげたのは近藤。
「それじゃあ、沖田は今夜・・・・・・」
「はい、そうです。近藤さんと土方さんは明日の朝、
なかなか起きてこない沖田さんを起こしに部屋にいって
血反吐を吐いて冷たくなっている沖田さんを発見していたでしょうね」
「むむ・・・・」
と声が出なくなる。
「近藤さん、土方さん。沖田さんをあなた達のそばから離して
療養させてあげてください。はっきりいえば私の治療だって
沖田さんの命を少し延ばしただけです。
悪くなることはあっても絶対に良くはならない。
あとは鈴音ちゃんの愛情ある看護でどれだけ生きるかというところです。
それに、もう剣は握れないでしょう。
勿論、激しい動きはできません」
近藤は土方と顔を見合わせていたが、近藤が鈴音にむかって
「鈴音とやら、沖田のことよろしく頼む。こいつには青年らしい青春がなかった。
ぜひ、それを味あわせてやってほしい」
と頭をさげる。土方も頭を下げた。
「近藤さん!土方さん!」
沖田が悲鳴をあげる。近藤の袴にくらいつくように捕まえる沖田。
「沖田!もういいんだ・・・もういいんだよ・・・」
ぽんぽんと子供をあやすように軽く叩き続ける近藤。
「沖田!」
と土方が話し出した。
「坂本と桂がここにいて話すことではないかも知れん。でも俺達の正直な気持ちを話す。
・・・・徳川の世はもう終わりだ。終わりなんだよ、沖田。
それでいて何故だ!坂本の目がそういっているが、なぜだか俺にもわからん。
意地・・・・そう、意地だけで俺達は生きてきたんだ。意地だけで新撰組をつくり
意地だけで多くの勤皇の志士を切ってきた。だが俺がそれが悪いとは思わんのだ
だが世の中はかわりつつある。ここにいる坂本達がなにをやっているのか知らんし知りたくもない。
ただ俺達はこれからも切り続けるだけだ」
そう言葉を結んだ。
「沖田!おまえはもういい。おまえは新撰組の一番隊隊長として充分な働きをしてきたんだ。
これからは身体を休めて病気を治せ。そんな身体では剣も持てないし、俺たちの足を引っ張る」
「近藤さん、土方さん、身体を治したらもう一度新撰組に帰ってもよろしいですね」
「ああ、必ず帰って来い。みんなで待っているからな」
そう元気づけるが沖田のやせ細った身体でどこをどう治せというのだ。
俺たちもむごいことをいう。もう助からぬ・・・そう覚悟した。
「早瀬殿、沖田をよろしく頼む」
そう近藤が頭を下げる。
「はい・・・・といってもわたしの出来るのはここまでです。
鈴音ちゃん、沖田さんの身体に私のつけた赤い印のところを
毎日指圧をしてあげるのですよ。そこは人の身体にあるツボといって、
そこを押すことにより少しは病気を抑えることが出来ます。
相良先生、鈴音ちゃんと沖田さんのことよろしく頼みます」
「沙希太郎さん!・・・あなたは?」
沙希太郎は沖田ににっこり笑いかけ
「もうわたしに残された時間はあとわずかです。時が私のいるべきところへ帰れ!
そういってます」
と言うと
「沙希!これに着替えを」
と風呂敷包みをもってきた和葉。幾松達も周りを囲む。
もうこうなっては男の出番はない。門弟達と近藤や土方、坂本や桂でさえ
道場の隅に追いやられた格好だ。
風呂敷をあけるとこの時代に着てきた沙希のセーラー服が入っていた。
「沙希、どうする?向こうで着替える?」
「和姉、大丈夫よ」
と口の中で呪を唱えると、いきなり着物が入れ替わった。
セーラー服に身を包んだ沙希、結った髪が解け黒髪は背中に落ちる。
沙希のことを知らない近藤達と門弟達はその不思議な術に唖然としている。
風呂敷の中に残っていた陣八を取り上げた和葉、沙希の額に『パチッ』と止める。
手甲は玉屋のお園が沙希の左手に止める。
用意が出来た沙希に抱きつく和葉。
「沙希!頑張って・・・・怨霊になんか負けちゃ駄目よ。
私はここからしか応援できない。
でも、子供のことは安心して!必ずあなたが生きている時代に・・・
あなたのそばであなたのお手伝いができる子供を・・・いえ、孫、ひ孫と
代々あなたのことを・・・あなたがどんな人だったか言い聞かせていくわ」
「頑張って!和姉。あなたならできる。私、指輪を持って私を訪ねてくる
あなたの子孫を楽しみにまっているわ」
「小沙希ちゃん、負けたらあかんえ。うちあんたに聞かされて
藤原元方のこと調べました。悪い奴なんどすなあ、怨霊になっても
人を呪い殺したり、地震をおこしたり・・・
小沙希ちゃん!そんな奴こてんぱにやっつけてやりなはれ。うちがついとるさかい」
と妙な励ましをする菊野。
菊野屋と真田屋の芸妓や舞妓に口々は励まされた。別れを口にする者はいない。
幾松と千代松からはそれぞれ大事にしていた簪と清水さんのお守りをもらった。
朝早くから二人して清水さんへお参りに行ってきたという。
「小沙希ちゃんの時代にも清水はんはあるゆうたかて、時代時代によって
その住職はんによってお守りの効き目に差があるって千代松がいうんどす」
「そやかて料理屋でも花板が変わったら味が違うのと同じどす」
千代松が強行に言う。
どうやらそれで喧嘩になったようだ。
「幾松姉ちゃん、千代松姉ちゃん。うちが原因の喧嘩ならすぐに止めて!
いつも仲のいいお姉ちゃん達の姿をこの目に焼き付けておきたいの」
そういわれてそっぽを向いていた二人、手を取り合って小沙希に微笑む、
でもどうしても泣き笑いの顔になってしまう。
沙希は道場の中央で正面に座る父の結城弦四郎に向かって座る。
和葉もその横に並んだ。
「父上・・・さらばとは申しません。行って来ます」
といってあたまを下げる。
弦四郎にとっても娘の和葉にとっても
その言葉はもう言い表すことが出来ないほど嬉しいが、やりきれないほど哀しい。
行って来るといっても二度とは帰って来れない身の上だ。
和葉は気丈にも耐えている。それを思うと言い返す言葉が何も浮かんでこない。
ただ
「うむ」
と言葉にならない声が口についただけだった。
沙希にはなにもかもがわかっていた。だからわざと座ったまま身体を回転させて
坂本竜馬のほうを向いた。
「坂本竜馬様、夕べあなたに見せるとお約束した品をここでお見せします」
「おお~」
という声をあげて門弟わかきわけて来て、沙希の目の前に座る。
沙希が手を前に差し出すと、急にその手の平から黄金色の光が出てきて
手の平より1尺ほど上にフワリと宙に両刃の大刀と綱があらわれた。
門弟達も『ガバッ』と立ち上がる。近藤も土方も、
この道場にいた全員が立ち上がってしまった。
いや沖田は横になって少しずつ沙希のことを鈴音と相良から聞いていたが
さすがに二人によって体を起こして茫然と見ていた。
「これが不動明王様より下しおかれた利剣と羂索です」
竜馬は黄金に光るその大刀を握ろうとしたが竜馬に触ることさえ出来ない。
「早瀬殿・・・これは?」
「はい」
とにっこりと笑うと利剣を手にとる。
そして、開け放たれた中庭にある大きな岩に向かって、こんな離れた場所から
「とおぅ!」
と突きを入れた。するとどうだろう。
あんな大きな岩が『グラグラ』と揺れて、突きが入ったと思われる真中から
すーっと上下真っ直ぐな線が入り二分されたのだ。
「す・・・凄い!」
「いや・・・・驚異だ!」
門弟達が交わす言葉。
竜馬も桂も・・・いや、近藤や土方でさえも呆然と突っ立っているだけだ。
「早瀬さん!」
と身体を起こした沖田が沙希に向かって言った。
「あなたを見ていると・・・・」
「はあ?」
と聞きなおす沙希。
「あなたを見ていると、まるで神を見ているようだ」
「いえ、沖田さん。私には自分でも信じられないような力がありますが、
私は人でありたい。常にそうであるよう思いつづけています」
といってから
「父上!・・・せんないことをしました。形の良い岩であったのに・・・」
「いや、これはこれで形が良い。なにせ婿殿が形として残してくれたものだからな。
今に評判になろうて」
と笑っている。
沙希は和葉の手をとり見つめた。和葉も見ている。
今生の別れなのだ。もうこの身体に触れ合うことはない。
すると、まだそんなはずはないのに
『トクトク』と小さな鼓動が2つ沙希に聞こえてきた。
不思議そうに自分のお腹を見つめる沙希に
「沙希!どうしたの?」
はっと顔を上げた沙希のその顔には輝くような笑顔あった。
「和姉!聞こえたわ!・・・そんなはずはないのに聞こえるの。
微かだけど小さな鼓動が2つよ」
和葉は跳び上がった。その嬉しさにこぼれんばかりの笑顔を見せて・・・
周囲にいる者も喜びあっている。
「和姉、だめだよ。そんなに激しく動いちゃあ」
「沙希!何言ってるのよ、今からそんな・・・」
と笑われてしまう。
「良かった。これで笑顔で行ってこれるわ。和姉」
「そうね。私も元気な赤ちゃんをうむわ。
そうだわ。赤ちゃんにはあなたの字を一つづつつけるわ。うん、そう決めた
孫もその下の曾孫も・・・」
といって笑う。
「じゃあ、わたしも子供達に何かを残してあげなくちゃ・・・そうだわ。
そんなことないと思うけど、この家に結界を張っていくわ」
「結界!?」
「ええ」
といってから
「『臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前』」
と九字を切り、
「北の玄武、東の青龍、南の朱雀、西の白虎、これ四神相応の陣という」
そして、高々と宙に五芒星を描きその手で地を刺し貫いた。
「ええ~い」
すると一瞬空間が歪み、それが広がった。
そして、清廉な気がこの屋敷を包み込んだ。
見えないものでも感じることは出来た。
この女とも男とも見分けがつかないこの人物・・凄い人だったんだ。
と門弟達は囁きあった。
「母様・・」
と沙希が呼ぶのは玉屋の女将お園。
「母様、和姉のこと頼みます」
「小沙希ちゃん。わかっておりますえ。今は血のつながりはないとはいえ、
前世では親子。産まれて来るのはうちの孫同然どす。
きっちりあんたの生きる時代まで血のつながりを続けていきます。
だから小沙希ちゃんも藤原元方なんて怨霊、あんたの力で調伏してしまってね」
「ええ絶対にこの京をわたしのいる時代の京を焼け野原になんて
させません。きっと打ち勝ってみせます」
「沙希太郎さん!話は全て聞いた。あなたは凄い人だ。
それでこの菊一文字をあなたに預ける。ぜひ持っていてほしい」
「菊一文字を?」
「そうです。この刀にわたしは幾多の人達の血を吸わせてきました。
でもわたしがこの刀を持つまでは鬼切りといわれた名刀でした。
その昔から鬼を切って刃こぼれひとつしなかったと聞いています」
「その名刀を私に?」
「そうです。それにわたしはもうその刀が持てない
・・・そんな気がします」
「判りました。では預かります。沖田さん!・・・・
わたしとともに戦いましょう。この刀はあなた自身です。
あなたと共に戦っていきましょう」
そういって刀のさげ緒を伸ばし菊一文字を背にする。
そしてみんなの視線を背に中庭に下りる。用意しておいてくれたスニーカーに
足をいれたのだ。
みんな中庭に玄関から回ってきた。
道場では沖田が鈴音と相良新太郎に支えられて沙希を見ている。
「小沙希ちゃん!あんたの時代へ行くってどこか行くの?」
「はい!ちょうど比叡山のはるか上空に刻の穴があります。
それを通って行ってきます」
というとすーと浮き上がる。
「あっ」
皆声を上げた。ありうべからず光景なのだが一瞬驚いただけで
皆は小沙希なら・・・沙希太郎なら当然とおもうから不思議なのだ。
「では、皆さん。こんなところから失礼しますが、本当にお世話になります。
わたしはこれから戦場に行きますが必ず勝ちます。
どうか皆様見守っていてください」
そうなのだ。小沙希の時代ではみんなすでに亡くなっている。
見守っていてほしい。和姉・・・・母様・・・・皆・・・
下界で小さくなっていく皆・・・京の町・・・に別れをつげた。