第二部 第七話
(あきあ~・・・・・あき・・・・・・あ・・・・・・)
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「う~~ん・・・・」
と微かな声があげる。
「あ・・・・あのう・・・・・あのう、もし・・・・」
「う~ん」
と今度は聞こえるような大きな声だ。
「あっ!お母ちゃん!・・・この人生きてはる・・・生きてはるえ!」
その大きな声に
「えっ?ほんとどすか」
と谷川で水を汲んでいた中年の女性・・・母親なのだろうか。
女性の声でパチッと目を開いたこの少女、
・・・でもボウっと二人を見上げているだけだ。
「さあさ、おぶうどすえ」
と小さな湯のみにたっぷり入った水、少女はゴクゴクっと喉を鳴らして美味しそうに飲み干した。
「おぶう、まだ飲まれます?」
「いえ、ありがとうさんどす。うち、もうけっこうどす」
「あら、この子京言葉使ってはる」
「あんた、京のお方?」
興味深く見つめる二人に
「いえ、うち・・・・・・わかりまへん・・・・・わかりまへん・・・・・
な~んも覚えておへん」
二人は不思議そうな表情で顔を見合わせていた。
「お名前は?どうどすえ?」
少女は難しい顔になり必死に考えているようだったが
「駄目どす!・・・な~んも思い出されまへん。
うち、・・・・・誰どすやろ?・・・・」
二人は痛ましそうに見つめていたが、ふと若い女性が
「ねえ、お母ちゃん。この子、舞妓ちゃんになったら評判ものどす」
と額にある真赤な陣八を取り、後ろで括っていた紐を外すと
ハラリと肩より少し下に毛先が落ちる。きれいな黒髪であった。
「幾松ちゃん、そんなことして、この子」
「いえ、いいんどす。うち、なんか・・・髪触られるの嫌いやおへん」
幾松は自分の手荷物から鬢付け油を取り出し手早く舞妓の髪型に結っていく。
祇園に多数いる芸妓・舞妓の中でもこんな髪結いができるのはこの幾松ぐらいだ。
いつも感心する置屋の女将の菊野。
「さあ、これで終わりどす」
と簪をさすと
「お母ちゃん!ほら・・・」
と菊野に顔をむける。
じっと見つめる菊野、
「いやあ・・・・きれいやわあ。こんな子祇園にもいやらへん」
「いやあ、お母ちゃん酷い!それ、いつもうちにいうてはる言葉やおへんか」
女将は慌てて
「違うエ、芸妓では幾松ちゃんが一番どす。けんどこの子が舞妓になったらうち、左団扇どすえ」
そんな女将の様子を見て幾松は
「いやな、お母ちゃん・・・・けんど、あんたおかしなべべ着ていますなあ。
うち、一度堺へ行ったとき異人さんが着ているのみたことがあるんどすけんど」
「えっ?・・・可笑しいどすか?」
「ええ、おなごは着物を着るのが普通どす。着たことがないんどすか?」
「いいえ、うち舞妓ちゃんしていると・・・き・・・・」
と言いかけてハッとして
「うち、なに言いました?」
「舞妓ちゃんしているときって、・・・でも変どす、
祇園であんたみたいな舞妓ちゃんいやはらへん。
こうみえてもうちのお母ちゃんの”菊野屋”祇園でも一番の置屋どす。
おかしなこと、言わんといて!」
とぷんと膨れる。嘘をつかれたと思ったのだ。
「まあまあ、幾松ちゃん。そんなことで怒らんとき。
この子の透き通るようなおめめ見てると、嘘なんかつきはる人じゃあらへんわ。
何か、おかしな夢みてはるんと違う?・・・・」
といってから
「もしかしたら、あんた神隠しにあったんやないやろか」
「そうや・・・お母ちゃんの言うとおりや。だから舞妓ちゃんいうたり
おかしなべべきたり」
「おかしな子に引っかかってしもうたなあ」
とため息をつく二人。
「あっ!お母ちゃん!・・・半次はんが戻ってきはったわ」
「半次はん?」
「へえ、うちの置屋に出入りしてる男衆はんどす」
「男衆はん?」
「へえ、着物の着付けをしたり帯びを結んだりするんどす。
男衆はんが結んだ帯、めったなことで崩れたりしまへん」
半次は籠に若い医者を乗せて連れて来た。
「女将さん、ちょうど籠屋の前がお医者さんで若い先生ですが
蘭学のお医者さんだとか、ちょうど居合わせたので来てもらいました」
「まあまあ、そうどすか。・・・・先生!この子神隠しにあったんじゃないやろか。
ちょうどこの下の川原で倒れていたんどすけど、
自分の事な~んもおぼえていないのんどす」
「まあまあ、神隠しはともかくとして、調べてみましょう」
とこの若い医者が少女の目を見ろうとしたら
「いや!・・・うち、男はんは大嫌いなんどす!」
と手を叩いて飛びのく。
「ごめんごめん。君のその反応、本当に男嫌いなんだね。
悪かったよ。でもわたしは医者なんだ。少し眼を閉じていてくれないかな」
若い医者が診察をしている間、身を硬くして我慢している少女。
幾松にとって不思議であり、こっけいでもあった。
医者が少女を診察している間、皆は川原のほうを見ていた。
時々『いやあ』と叫び声をあげる少女。
「終わりました」
振向くと少女がスカートのホックを止め身づくろいをしていた。
若い医者・・・大竹宗次郎は女将と幾松に
「あの少女の症状は、いわゆる記憶喪失というものです」
「記憶喪失?」
「はい、自分の名前も在所も今までやってきたことさえ忘れてしまう病気なのです。
でも普通は頭を打ったり大きな衝撃でおこりますが、あの子は誰かの強い意志で
記憶を心の隅に閉じ込めてしまったように思います。非常にまれな症状です」
「これから、どうなるんどす?」
「明日にも記憶が戻るかもしれませんし、一ヶ月後かも・・もしかして一年後かも
この病気は待つ方法がないんです」
「かわいそうに!」
「女将さん、あの子をどうするおつもりですか?」
「どうしたら、いいどすやろか」
「出来れば、うちでお預かりしたいのですが」
「どうしてどすか?」
幾松が聞く。
「あの子、珍しい体をしているんです。全て女の身体なんですが
一部だけ男なんです」
「一部が男?」
その言葉の意味がわかったのは少したってからだ。
顔を赤くしていく女将と幾松・・・花町で働くからといって
女としてすれっからしではないし、女のプライドもある。
男が嫌い!という少女だが、何故だか放ってはおけない。
「あの子はうちで預かります。体が珍しいからといってこのまま放っておくなんて出来まへん。
それにそんなことしたら花街で生きる女の名折れどす」
「でも・・・」
という医者だが少女を見る眼・・・その喰らいつくような眼からその魂胆が、見え見えなのである。、
業腹だが少し診たて料を上乗せして早々に追っ払ってしまった。
「幾松さん姉さん」
と少女に名前を呼ばれた幾松、
その笑顔と可愛い声に(この子、本当に男はん?)とつい疑問に思ってしまう。
「なんどすか?」
「その横笛、吹いてもよろしおすか?」
「横笛を?・・・吹けるんどすか?」
少女は笑うだけで返事はない。
でも手荷物から見えている横笛を取り出し渡した。
少女は川原の土手に腰をおろして横笛に唇を当てると静かな旋律が流れだした。
幾松は琴も三味線も弾ける。だが横笛は京の町でこの人ありと知れた名人であった。
その名人の幾松の心を一瞬のうちに捕らえるこの音色・・・・・
これは一体何?・・・・、少女の吹く音色が川面に流れていく・・・・
魂を奪われるということはこのことをいうのか?
菊野にしても半次にしても素人ではない。
今、少女が吹いている横笛がどれほどのものかはよく判った。
幾松は思う。あの笛が名笛と呼ばれるものならば・・・もっと・・・
そう・・・・・もっともっと素晴らしいものが聞けるはず・・・
そして、思い出した。・・・・幾松と相思相愛である長州の桂小五郎。
その友人である土佐の坂本竜馬が持つ鳴かずの横笛『翔龍丸』。
もしこの少女が吹いたとしたら?・・・・
ああ~・・・・・笛の調べが消えていく・・・・・・。
女将の手が幾松の腕をきつく掴んでいるのに気づいた。
「お母ちゃん!痛い!」
「あっ!ごめんえ、でも幾松ちゃん・・・・あの子・・・・」
「ええ!・・・あの子は凄い!あんな横笛の吹き手、うち・・・会ったことおへん。
うちなんかもう、足元にもおよびまへん」
少女が立ち上がった。振り返った少女からこぼれるその笑顔、
おやっと思うほど引き付けられてしまう。
「幾松さん姉さん、ありがとう。おかげで記憶が戻りました」
「えっ、ほんとどすか?」
「へえ、うちは祇園では小沙希いいます」
「小沙希ちゃんいいましたなあ、うちは祇園に生きる女どす。
だから小沙希いう名の舞妓ちゃんなんていないの知っているんどすえ」
「へえ、だからうちがいたのは今の時代の祇園やおへん」
「今の時代と違う?」
「へえ、うちの時代とんでもない化け物が復活しましてなあ。
うち、そいつと戦うためのあるものをこの時代に探しにきたんどす」
「化け物?」
「へえ、その化け物、うちの時代の京の都を焼け野原にする・・・いうとるんどす」
「京の都を焼け野原に!」
「誰どす?そんなとんでもないことをしようとする化け物とは?」
菊野が聞く。
「怨霊・藤原元方」
「なんどすって?!・・・藤原元方なんどすか」
「お母ちゃん!知っとるんえ?」
「へえ、有名な怨霊どす。平安時代一度この怨霊に京の都が壊されているんどす」
「小沙希ちゃん!あんたそんな怨霊と戦えるんどすか?」
小沙希は頷いた。
「お仲間はたくさんいるんどすか?」
「はい!・・・でも直接戦かうんは、うち一人だけどす」
「そんなあ・・・」
「怨霊との戦いは普通の人では無理どす」
「じゃあ、小沙希ちゃんは普通の人ではない、いわはるんどすか?」
小沙希は笑うだけだ。
「小沙希ちゃん!あんたって娘は・・・・恐くないんどすか?」
「恐くないといったら嘘になります。
けんどうちはうちに出来る精一杯のことをするだけどす。
京都に人のため・・・・皆の笑顔を守るため・・・・」
「けんど、どうして小沙希ちゃんが?」
「へえ、うちにはもう一つ名前があるんどす」
「もう一つ名前が?」
「へえ、うちに厳しい修行をして鍛えてくださったお方、
うちに名前をつけてくださいました。陰陽師”安倍あきあ”・・・」
「陰陽師”安倍あきあ”?・・・・では・・・・?」
「はい、我師の名は”安倍晴明様”」
「あの晴明神社の・・・?」
「へえ」
「でも、そんな大事な事どうしてあったばかりのうちらに?」
「うちにはわかるんどす。
こんなこと言ったら気持ち悪ならへんか心配どすが うちには人の心が見えます。
だから信じられるんどす。
それにお母ちゃんと幾松姉ちゃんはうちとは切れぬ縁があるんどすえ」
「お母ちゃん!小沙希ちゃんをどこにもやらんといて!」
「わかってます。不思議な縁で出会ったばかりだけんど、
小沙希ちゃんがうちらとは縁で結ばれてるいわはるんなら、余計ほっとけまへん」
「ひゃあ、やっぱりうちのお母ちゃんや」
と飛びついてはねまわる。
「これこれ、幾松ちゃん。痛いどす。
そうや、その不思議なおべべ脱いで着物に着替えなくては・・・」
「これどすか?・・・これうちの時代の女の子の学校・・・いえ寺子屋の
制服どす。でも、これはうちにとって戦闘服なんどす」
「でもそんなおべべでは目だって・・・」
「へえ、わかっています」
「すんまへん、半次はん。この子に着物を着せるさかいおべべを出しておくれやす」
「うちも手伝います」
といって幾松も小沙希の服に手をかける。
セーラー服を脱げば、現代の下着である。
あきあが現代で舞妓の姿に変身していた時も下着をつけなかったから戸惑いはない。
でも現代の下着をみるのが始めての幾松。
いちいち説明を求めて、小沙希の説明の中、その機能性には感心しきりだ。
男衆の半次に帯をきちっと結ばれて出立の用意ができた。
★
「ここどす」
と連れていかれたのはまぎれもなく菊野屋であった。
「ただいま!」
「あっ?・・・お母ちゃんや・・・お母ちゃん帰ってきたえ」
と騒ぐ舞妓が1人。
2階よりバタバタと大きな音をさせて数人の女の子が降りてきた。
「これ!花世!・・・いつも言っているでしょ!」
と怒鳴る菊野お母ちゃんに
「えっ?あの子も花世ちゃんなんどすか?・・・・・ふふふふ」
「どうしたんえ?」
「いえ、名前が一緒なら、することも一緒なのかと」
「へえ・・・小沙希ちゃんの所にも花世が?」
こっくりと頷きながら
「いつもお母ちゃん、花世ちゃんを叱ってばかり。
でも最近、花世ちゃんがうちを叱るようになったんどすえ」
この時代の花世、時代が違えどもどこか面影が似ている。
その花世も自分の名前が出てくるものだから、
目を白黒させながら見知らぬ女の子をじっと見つめているのだ。
「うちのお母ちゃん、いつもうちが危ないことばかりするもんどすから、
毎日お百度ふんで、それ知ってる花世ちゃんが、うちを叱るんどす」
幾松は小沙希の両肩に手をおいて、
「小沙希ちゃんのところの『菊野屋』もいいところなんどすなあ」
そしてニッコリ笑って
「小沙希ちゃん!うちあんたのこと気に入りました。
だから、あんたが好きなだけここにいたらいいんえ」
「お母ちゃん!幾松さん姉さん。お世話になります。
いつまでいられるかわからへんのどすが、うちもお座敷にださせてくれます?」
「えっ?小沙希ちゃん。それでいいの?確かにうち人手が足りまへん。
でも・・・お客はんに働かすなんて・・・」
「お母ちゃん、いいんどす。うち、会いとうお人がいます。
そのお人お座敷に来んとは限りまへんから、お座敷に出ていたほうが・・・」
「わかりました。でもそのままではお座敷でることはかないまへん。
踊りのお師匠の許可がいるんどす」
「へえわかりました」
そばで聞いていた舞妓達
「お母ちゃん!うちら今からお師匠はんのところへお稽古にいくんどす」
「そうどすか、今日はうちんとこの当番どすか」
何やら考えていたようだが
「小沙希ちゃん!うちあんたの踊りみたことおへん。
だからあんたを推挙できまへん。だけんどお座敷出たいんなら、あんたの実力で勝ち取りなはれ」
そういうと手早く用意された桶の水で足を洗い、荷物を置きに部屋にむかった。
「さあ、小沙希ちゃん。あがって」
「へえ」
といった時、戸がガラリと開き
「ごめんよ」
と5人の男達が入ってきた。いずれも目つきが鋭く尻端折りした人相が悪い男達だ。
「おや?なんどすか?清水一家のええ顔のお兄さん達。雁首揃えはって・・・」
「幾松か、女将はどこだ!帰っているだろう」
そういうと土足で上がろうとしている。
「あらあら・・・これはこれは、清水一家のお兄さん達、何の用どすか」
「やいやい!親分が決めたしょば代を無視しおって、払わないつもりか!」
「勝手な事をお言いでないよ!いたいけなお年寄りから店をとりあげ何が清水一家だい」
驚いた事に女将が京言葉でなく、べらんめい口調で啖呵を切っているのだ。
「野郎!やっちまえ」
という兄貴分らしい男の襟首をつかんだのが、小沙希だった。
『パシッ!・・・パシッ』
と頬を殴ると背負って投げる。土間に頭を打ち付けた兄貴は目を白黒して気絶する。
これはかなわないと思って4人がかりで小沙希に襲い掛かる
でもあっという間に土間にのびたのは男達だ。
「小沙希ちゃんって・・・凄い!」
もうため息が出てしまう。
舞妓や芸妓達は陰からこっそりと覗いていたが、
眼を白黒させてあっけにとられているだけだ。
「お母ちゃん!筆と懐紙を・・」
振向く女将に心得た舞妓の1人が部屋から筆を懐紙を持ってきた。花世だ。
スラスラと書き上げるどこかへの手紙、女将や幾松からみても見事な筆使いだ。
そして、皆が驚きのあまり身体が固まってしまうことが目の前でおこった。
「『臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前』」
「玉藻、葛葉、紅葉・・・・そして、白虎丸。出でよ!」
小沙希の身体から4つの小さな玉が出てきて、いきなり着物姿の女房と
恐ろしげな大きな白虎が現われた。
その姿をみて皆腰を抜かしてしまった。
「白虎丸はあの男を・・・」
というとあの気絶している兄貴分の襟首をその大きな牙で噛むとズルズル引きずってくる。
「玉藻、葛葉、紅葉はひとりづつ担いで、比叡山奥の院のお上人様のもとに
この手紙と男達を運んでくりゃれ。今の比叡山の結界ならお前達にとって毛ほどの障害にならぬ」
「はっ!主殿!」
「おっと、それからこの男達の今までの悪事の数々許してはおけぬ。
これからの男達の一生、比叡山の結界の中でしか生きてはいけぬ。
もし、1歩でも結界の外に出たら身体が動けぬ。
そう呪をかけておいた。お上人様に伝えておいてくりゃれ」
「判り申した。であの男は?」
「あの男、ちと用がある」
にやっと笑う玉藻達。主の心がわかるのだ。
男達をつかみ、すっと消える式神達。
振り返ってニコッと笑う小沙希に、ホッと生き返ったような心地の女将達、
「小沙希ちゃん!今のは?」
「あの子達、うちの式神どす」
「式神?」
「へえ」
「聞いたことおます。でも小沙希ちゃん。安倍晴明様のお弟子というの、ほんまやったんやね」
「でも、うちのこと恐がらないでおくれやす」
「恐がるなんてそんなこと・・・」
「うち・・・又やってしもた。こんなところ、花世ちゃんに知られたらどんなに叱られるか」
としょんぼりする小沙希。
あんな凄い事ができるのに1人の舞妓に叱られるといって
しょんぼりする小沙希に親しみが湧く女達。
「でも・・・でも・・・うち、おなごにあんな非道なまねをしようとした男を
許せなかった・・・我慢できんかったんどす」
そんな小沙希に誰ももう何もいえない。
「お母ちゃん!踊りのお師匠さんのところへ行くのちょっと待っててください」
といって気絶をしている男の襟首を掴むとズルズル引きずって出ていく。
もう誰も動けない。・・・・が
「お母ちゃん。うち様子を見てきます」
といって花世が下駄も履かずに飛び出していった。
誰も何も言わない・・・いや何も言えないのだ。あんな不思議は見たことがない。
疲れがどっと襲ってきた。いつの間にかみんな女将の部屋に集まって座っている。
一番若い豆花が入れたお茶を一気に飲み干してしまった。
皆お茶を一口呑んで喉がカラカラに渇いていたのに気がついたのだ。
「大変!大変!・・・・」
と花世が騒々しくかえってきたのは、それから半時もたったときか
座っているみんなを掻き分けて菊野の前に座る。
そばにあった湯呑みを取る。
「あっ、それ!うちの!・・・」
という芸妓の声も聞こえていないのか『はあはあ・・・』という激しい息遣いが
冷えてしまったお茶が呑む事で少しは落ち着いたようだ。
「あの、小沙希さん姉さん・・・・」
という花世の話に皆、花世の顔に穴があいてしまうようじっと見つめて聞き耳をたてている。
「小沙希さん姉さんがあの三下をひきずって行くのを町内の人や
他の置屋の芸妓さんや舞妓ちゃんが遠巻きに見ているんどす。
あの舞妓ちゃんは?とうちに聞いてくる置屋の女将さんがいたもんで
うち・・・へえ、今度うちに入った舞妓ちゃんどす・・・と答えておきました。
小沙希さん姉さん、あの清水一家にあの三下を放り込んで今までの悪行許しまへん。
なんて大きな声をかけとるんどす。
その声で出てきた手下が十数人・・・・でも小沙希さん姉さん物凄う強うおした。
まるで講談で聞いた巴御前のようで、あっというまにみんなやっつけて・・
そしたら小沙希ちゃん中に入っていくんどす。
ドタバタと大きな音がしてすぐに静かになってしまいました。
そのうちお役人はんが大勢こられて・・・・でも皆首を捻って出てきたんどす。
中には誰もおへんいうて」
その時、
「ただいま、帰りました」
という声が聞こえた。皆顔を見合わせ・・・そして走り出ていく。
そこには何事もなかったような小沙希が立っていたのだ。
「まあ、小沙希ちゃん!早ようおあがりやす」
と菊野が小沙希の手を引っ張るよう上げる。
すぐに座敷に通した菊野。皆も小沙希の後ろにずらっと座った。
「小沙希ちゃん、あんた・・・・」
「へえ、すんまへん。勝手な真似をして・・・・でも清水一家はもうあらしまへん」
「じゃあ、あの親分とかは?」
「比叡山に預けてきました。もう二度と比叡山からは出てこられまへん」
「どうして、小沙希ちゃんは・・・・」
「うち、どうしても、おなごを泣かす男に我慢が出来へんのどす。
だから、つい・・・・」
「だからつい・・・・なんどすか」
と急に大きな声を出した花世が、小沙希につめよる。
そんなこと一度もなかった花世に驚く菊野達。
「つい、どうしたんどすか?・・・あんな奴でも男どす。
へたしたら、どんな目にあわせられるか、確かに小沙希さん姉さん強うおす。
でも、もっと強い用心棒がいたらどうするんどすか」
みんな黙って聞いている。口を挟む事ができない。
「うちら、小沙希さん姉さんにあってちょっとしかたってまへん。
でも、物凄う心配したんどす」
「すいまへん・・・・・」
小沙希が頭を下げた。
「うちなんかより、お母ちゃんに謝りなはれ」
「お母ちゃん、心配かけてすいまへんどす」
「幾松さん姉さん、ごめんなさい」
と一人一人に頭を下げてあやまっていく小沙希。
菊野はこうして叱る花世に驚いたが、素直に謝る小沙希にはもっと驚く。
小沙希は物凄く強いに違いない。今、この国をぎゅうじっている男達誰よりも・・・
でも、ただの舞妓1人の小言にこうして謝る小沙希、こんな女の子見たことも逢ったこともない。
最後に花世に謝る小沙希。
「小沙希さん姉さん!小沙希さん姉さんはきっと何かに突っかかっていってから
考えるんどっしゃろ?」
「へえ」
「それが駄目なんどす」
「もし目の前で何かがあったら?」
「小沙希さん姉さん!逃げるんも勇気どす」
この時代の花世にも同じことで叱られた小沙希。
でも心の中では自分を受け入れて貰えた感謝で一杯なのだ。
「さあさ、花世ちゃん。叱るのはその辺にしなはれ。
舞のお稽古の時間どす」
「きゃあ、大変どす」
とバタバタ2階に駆け上がる花世達。
「さあ、小沙希ちゃん。お稽古いく用意をしなはれ」
「小沙希ちゃん!行こう!」
といって幾松に連れられて2階に上がる。
こうして着替えさせられお化粧をした小沙希。みんながポカンと見ているのだ。
確かにお化粧していない小沙希、きれいだなとは思っていた。
だがこうしてお化粧すると・・・もうこの世のものといえぬ美しさである。
「うちこんなきれいな舞妓ちゃん見たことおへん」
「うち、もう言葉もでまへん」
「まあ・・・・小沙希ちゃん・・・・」
降りてきた小沙希に菊野も言葉が続かない。
「さあみんな行くえ」
と下駄を履く幾松。
表でみんなで『きゃっきゃっ』と話をして待っていると
感じる感じる痛いほどの視線を感じる。
周囲を見渡すと道行く人の他に町内の人が見ているのだ。
手を合わせて拝んでいる人もいるくらいだから
あの清水一家にどれほど泣かされてきた人が多かったのか。
「ほら、小沙希ちゃん」
というと
「へえ判っているのどすけれど何か恥ずかしおす」
といいながら頬を『ポー』と赤くして周囲に頭を下げるしぐさは
幾松からみてもホレボレしてしまう女ぶりである。
戸締りをして出てきた菊野に
「お母ちゃん、ちょっと待って」
と言ってから戸にむかって何やら『ぶつぶつ』と言っているのを
「どうしたんえ、小沙希ちゃん」
「いえ、ちょっとした泥棒除けどす。さあいきましょ」
とニッコリ笑う図。あとでこの祇園に暗躍していた盗賊が
菊野屋に忍び込んでとんでもない事になろうとは・・・。
★★
ここも見知った一軒家『京舞・井上流』と書かれたその看板、
確かに人間国宝の井上貞子の家である。
ここでこうして脈々と血が受け継がれて来たことを思うと胸が熱くなる小沙希。
そっとその看板に手を添えるとニッコリ笑ってから皆のあとに続く。
あの広いお稽古場でまだ50を過ぎただろうか、
厳しい顔で菊野屋の舞妓や芸妓に京舞を教えている人が井上貞子の祖母にあたる
人なのだろう。その横にちょこんと座ってじっと踊りを見ている幼き少女が
貞子の母になる。
舞妓達のお稽古が終わり幾松の舞が終わる頃、高弟達の鋭い目が小沙希にふりそそぐ。
お稽古場に入ってきた時から目に付いていた。
全く隙がなく、長い間座りつづけても微動だにしないその姿勢には誰もが注目していた。
師匠も、その幼い娘も・・・・。
「そこの舞妓ちゃん!あとはあんただけどす」
「へえ、よろしゅうお願いします」
といってすっと立ち上がり舞台にむかう。足に痺れはないのだろうか
みんなの注目を浴びる中、その自然な姿におやっと思うのは仕方ない。
だってそうだろう。大勢の中で何かを見せるなんて大変なことなのだ。
「舞妓ちゃん!初めて見る顔どすなあ」
「小沙希いいます。はじめておめもじいたします。
どうぞよろしゅうお願いします」
「小沙希ちゃん、どんな舞を舞うんどすか?」
小沙希は頭をあげ、師匠を見るとニッコリ笑う。
そして、ある舞いの名を言った。
目をむく師匠にざわめく高弟達。
そんな様子を見守る菊野屋の女将と幾松達、気が気ではない。
あのお師匠の様子では又、小沙希がとんでもないことを言ったに違いない。
「お母ちゃん」
「幾松ちゃん」
と日頃花町で男などなんとも思わない二人がオロオロしているのだ。
それほど小沙希という舞妓の存在が二人にはかけがえのない存在になっていた。
「あんた達、用意をしなさい」
師匠の声に高弟達が三味線や琴を持って舞台にあがる。
これはなんかとんでもないことになっている。
菊野と幾松もう声が出ないほど心臓の高鳴りは頂点を極めようとしているのだ。
高弟達の三味線と琴から調べが流れ、高弟達の謡がはじまった。
すると流れるように小沙希が舞う。
これは?・・・・・菊野も・・・幾松も眼が離せなくなった。。
幾年舞いを習ったことか。日頃の修行も怠りない。それだけの努力もしている。
でもそんなもの、この舞の前ではただ霞むだけだ。
小沙希という舞妓はもう手の届かない高みにいる舞姫なのだ。
ただ事でないのは芸妓やまだ素人同様の舞妓にもわかる。
そして、今までなにも動じなかった師匠の横にいる幼き少女・・・
そう、井上貞子の母親にあたる舞の天才といわれる祥子が
母のそばにすりよりその腕を小さな手で握り締めて食い入るように小沙希の舞を見つめていた。
師匠の和子にしても我が子の握る手の痛みも感じず、
その鋭い眼差しは踊り手の正体を見極めようとしているのだ。
ゆっくりゆっくり桜の花びらが舞い落ちるように小沙希が腰をおとし
扇を前に置いて頭を下げる。・・・・舞がおわった。
どうでした?というように師匠のほうをニッコリ笑ってみる小沙希。
師匠の口が開いた・
「小沙希ちゃん、言われましたな。
舞についてはあんたには何もいうことはござんせん」
そう・・・師匠は小沙希の舞を認めたのだ。
菊野と幾松は喜びで一杯だ。
「小沙希ちゃん!あんたこの舞、どこで習いはった」
「へえ」
といった小沙希の口から驚く名が出る。
「うちが習ったのは京舞の家元で人間国宝の井上貞子先生でうちのお婆ちゃまでもあるんどす」
「京舞の家元・・・?・・・井上貞子?」
京舞の家元はここなのだ。井上貞子なんて知らない。
そして・・・小沙希の口からもっと驚くべき事が語られた。
「うちのお婆ちゃま、井上貞子は、お師匠様の・・・・。
お師匠様の隣りにおられる井上祥子様がもう少し将来、
お産みになるお嬢様なのです」
小沙希のいうことが良く飲み込めなかった。・・・・・でも・・はっ!と気づく・
・・でもそんなはずは・・そんなことあるはずはない。
この小沙希という舞妓ちゃん何を言っているのか・・・・・・?
「この舞はお師匠様がお考えになって、祥子様が完成されたと聞きました。
うちがお婆ちゃまに初めて会った時に言われたこと・・・・。
『うちは舞に一生を捧げました。だから人の判断は舞の中でしか出来ません。
舞の中で自分を表しなさい』その言葉、お師匠様が祥子様にお教えされたのですね。
貞子お婆ちゃまはお母様である祥子様に教えていただいたと聞きました」
「お母様。うちこの人のいうてはることに嘘は無い思います。
そうどすか、うちの赤ちゃん、貞子いわはるんどすか」
と言ってにこっと笑う祥子。
「うちはこの時代の人間ではあらしまへん。今から約140年あとの世界から来ました。
あるやっかいな化け物が復活して、
うちの時代のこの京の都を焼け野原にするいうて自分に力をつけるために
小っちゃな女の子を次々と攫っているんどす」
「その化け物とはなんどすか?」
高弟から声がかかる。
時代が違うとはいえ、この京の都が焼け野原にするという化け物が許せないのだ。
「怨霊・藤原元方!」
「元方?・・・・あの藤原元方なんどすか?」
「へえ」
「でも、どうして小沙希ちゃんが?」
こんな可愛い舞妓ちゃんの小沙希がそんな怨霊のためになぜ?・・・訳が判らない。
「うちが・・・うちしかいないんどす。元方と戦えるのは」
「小沙希ちゃんが?・・・・どうして?」
余計に訳がわからない。
「うちには、もう一つ名前があるんどす」
「もう一つの名前?」
「へえ、うちは時を越えて平安時代に修行のためいったんどす。
どうしてそうなったのか?・・・それは天から与えられた使命というほかはあらしまへん」
小沙希ちゃんが平安時代に?・・・・花世は舞妓達と顔を見合わせている。
「そこでうちはいろんな修行をしました。本来の体術や呪術・・・その他に
舞や横笛といった修行もしてきました。
そのおかげでうちは師に名前を与えられました」
「その名前とは?」
「陰陽師”安倍あきあ”」
「陰陽師?・・・・」
「安倍?・・・・」
「そうどす、我師の名は安倍晴明」
「そのおひと、有名な陰陽師どすなあ」
「へえ、今でも安倍晴明様を超える陰陽師はいやしまへん」
「そこで舞を覚えたのどすか」
「へえ、でも京舞はお婆ちゃまに教えていただきました。平安時代の舞は全然違おてました」
「見たい!・・・・・小沙希ちゃん!」
「へえ」
「うち達にその舞を見せておくれなはれ」
そういう師匠にニコッと笑って立ち上がる小沙希。
後ろで控えていた高弟達は急いで舞台から降りる。
指先に呪を唱えて気を切ると
いきなり烏帽子をかぶった白い衣と赤い袴の白拍子の姿に変わった。
「おおう!」
と声をあげる皆、今始めて不思議な秘術を見たのだ。
「これは当時の帝、五代天皇様に私が献上した『紫の舞』でございます。
白拍子の舞姫、白河の厚保姫様が創作され、私に贈ってくださった舞で
我師、安倍晴明様が最もお好きな舞でもございました」
というと、いつのまに持ったのか鮮やかな紫の舞い扇が小沙希の身体の一部となって舞う。
この舞はあくまで優雅に清水に流れるがごとく、
足元はゆるやかな波のごとく、腰は安定され上下に微動だにしない。
手の動き、足の動き、身体の動きは京舞にも応用されているが、それはそれは見事なものだった。
調べは小沙希の口元からは聞いたことのない謡が旋律にのり
狂いのない澄んだ声がこの稽古場に流れていく。
平安京の帝の前で舞うこの少女の姿がこの情景にかさなってそして消える。
あっというまに終わってしまった。ずっと見ていたい・・・・・。
この感動は舞を愛する全ての人の心を打つ。
小沙希に対する不信感はもう全て消えていた。舞によって信頼感が出来たのだ。
これほど見事な舞は正直これまで生きてきて見たことがなかった。
平安京で修行したという話、信じることができた。
「小沙希ちゃん、ありがとう。この舞を見られて本当に良かった。
先ほど小沙希ちゃんが見せたうちが創作している舞に
小沙希ちゃんの今の舞から所作が少し入っているのがわかました。
うちの娘が完成させたいわれたんどすが、孫と小沙希ちゃんが完成したんどす。なあ、祥子」
「へえ、うちもお母はんと同じ考えどす。
それにしても上には上がおられるもんどすなあ。うちも精進します」
「それと小沙希ちゃんは横笛も修行されたとか」
「へえ、お師匠様」
「これはうちの我儘どす。出来ればそれも聞かせてほしい」
「へえ、よろしおす」
という。
「笛は?」
「へえ、うちの体内にあるんどす」
といって両手を前に出すと、ポーっと明るくなりその中に1管の横笛が。
もう驚きはない。小沙希の秘術はもう皆に受け入れられたのだ。
「この笛は平安時代に大江山のシテン殿からゆずられた『緋龍丸』どす」
「大江山のシテンといえば鬼の朱天童子では・・・」
「いえ、シテン殿は唐天竺より遠いところからこられた異人様。
その風貌から鬼に間違えられ追われていたんどす。
シテン殿はその風貌とは異なりとても優しいお方。
うちが海へ逃がす時にこの笛を譲られたんどす。
それがある陰陽師と戦ったときに、この笛どこへやらに無くしてしまいました。
でも不思議どす。うちのお婆ちゃまに井上家に代々伝わってきたと聞きました。
うちがこの時代に来たから今は笛は消えているはずどす。
でもうちがここからいなくなったら又、笛は姿を現します」
という言葉に高弟が1人部屋を出て行く。
小沙希は横笛を口にあてる。
その音色を聞いたとたん菊野と幾松は一度聞いた笛とは雲泥の差があることに気づく。
これが駄笛と名笛の差なのか・・・体の震えが止まらなくなる。
そして見た。小沙希の体が二重写しになり菩薩様が小沙希とともに笛を吹く姿を・・・・。
自然に両手を合わせるのは全員同じだ。
笛を調べに行った高弟は帰ってきたとたん笛の調べとこの不思議な光景に
足がガタガタ震え出し、腰が抜けるように座り込んだ。
なんという笛の音か。小沙希の吹く笛からは高い音色が・・・
まぼろしなのか菩薩様が吹く笛から低い音色が、調和するハーモニー
これは天上の音色なのだ。二度とは聞けない。そう直感する。
だから、心を大きく開けて聞いた。
波が消えるように笛の音が止んだ。
いきなり座っていた座布団から滑りおりる師匠、皆もあとにつづく。
そして頭を下げた
「ありがとさんどす、小沙希ちゃん。もう凄いものを聞かせてもらいました。
うちにとって今の笛の音色は、これからの生きていく糧どす。
これから、もっともっと精進します。・・・そして、うちの孫よろしゅう頼みます」
小沙希はただにっこり笑うだけであった。
これで目的は達したのだ。深々と頭を下げてから立ち上がった。
舞台を下りると同時に舞妓の姿に戻る小沙希、でもそんなこと誰もが
もう平気になっていた。小沙希ならなんでもないことだ。
★★★
その日、帰ってすぐにお座敷に出るつもりだったが
置屋の戸を開けて中に入ったとたん男が1人倒れているのがみえた。
「ひえ~。なんやこのお人・・・・」
正体はすぐわかった。
持っていた風呂敷包みがほどけて中身がそこいらに散乱していたからだ。
「あっ、これ『巴屋』の吉弥の自慢の簪・・・」
次々、見知った芸妓や舞妓達の簪や櫛が出てきたのだ。
そこにやってきた半次。その様子を見て慌てて入ってきた。
「あっ、半次はん!ちょうどええとこへ」
「どうしたんや、女将はん」
「泥棒どす・・直ぐお役人はんを!」
「わかりました!」
と飛び出していく。
「でも、どうして?・・・・」
と菊野と顔を見合す幾松。
そこではっと気づいたのは小沙希のこと
(「いえ、ちょっとした泥棒除けどす」)
皆で出かける時、確かそう言って何やらしていた。
「小沙希ちゃん!ちょっと」
皆から少し離れて立っていた小沙希を呼ぶ。
「小沙希ちゃん・・・これあんたがやったんどすな」
小沙希は頷く。
「うち何や知らんけんど胸騒ぎがしたんどす。そやから、泥棒よけのお呪いしました」
「お呪い?」
「へえ、この家に悪い心で入ってきたら、こらしめてほしいと
付喪神はんにお願いしたんどす。
そやさかい、その簪や櫛に宿る付喪神はんがこらしめてくれはったんどす。
でも・・・・」
「でも?」
「この簪や櫛のほんとの持ち主も、大事にせな。付喪神はんかなりお怒りになっているんどすえ」
幾松、小沙希の顔をじっと見ていたがふっとこの持ち主の顔を思い出して
「ぷっ」
と噴出した。
「いややわあ、幾松さん姉さん。うちの顔をじっと見て笑ったりして・・・・」
「あっ!ごめんごめん。別にうち、小沙希ちゃんの顔をみて笑ったんと違うんどす。
この簪や櫛の持ち主の顔を思い出して・・・うっ・・ぷっ・・」
と又噴出す。
「この簪と櫛、ほとんどが吉弥さん姉さんのどす」
「吉弥さん姉さん?」
「へえ、幾松さん姉さんにきつう当たる芸妓はんどす。幾松さん姉さんを目の敵にしているんどす。
でも最近、なんやふらふらと生気があらへんし、
目の下に真っ黒い隈をつくりはって・・・・じゃあ」
「きっとそうどす。その吉弥さん姉さん、あまり物を大事にしやらへん思います。
付喪神はん、人の命まで奪う事あらしまへん。けんどきつい仕返しをされるんどす」
「それどんな仕返しどす?」
「へえ、悪夢どす。毎日毎日きつい悪夢を見させるんどすえ」
ぷっと吹き出す芸妓と舞妓達、あの吉弥さん姉さんが・・・悪夢を見てはる・・・。
本人には気の毒だけどありえない組み合わせに可笑しくて・・可笑しくて・・・
「ごめん!」
と入ってきたのが目の鋭い役人と御用聞きだ。
さすがは置屋の女将、さっと表情を変え役人のもとに。
「これはこれは、篠原様。まさか篠原様がお見えになられますとは」
「おお、女将久しぶりだな。・・・この男か!」
「へえ、うちらがお師匠様のとこでのお稽古が済んで帰ってきましたら
こうして倒れていたんどす」
「何?倒れていた?・・・・・政吉!」
「へい」
といって御用聞きが倒れている男の身体をていねいに調べていく。
「旦那!何の外傷もないようでがす」
「襲われたわけでもないか・・・」
「あっ!・・・この男!」
「どうした!政吉!」
「へい」
といいながら懐よりとりだす1枚の紙・・・広げるとどうやら人相書きのようだ。
政吉は立ち上がり広げた人相書きを篠原に見せる。
「筋ものか・・・なになに?関西一円を荒らし回る盗人、音羽の安吉?
・・・大物ではないか。そんな大物がどうしてこんなところで?
・・・・・政吉!・・・やれ!」
と政吉はいきなり気を失っている安吉に馬乗りになり、その両頬を思い切りぶっとばした。
その行為が気を取り戻させ、薄っすらと目を開ける音羽の安吉。
しばらくは自分の身に何が起こったのかは判らないようであったが
はっと気づいて猛然と暴れて馬乗りになっていた政吉を跳ね飛ばしてしまった。
ガバッと身を起こした安吉懐からドスを取りだし、その先にいる幾松に向かった。
身動きできない幾松、間にすっと入ったのが小沙希だった。
小沙希は持っていた舞扇を目の前に出した。
その自然な動作に安吉は足を止めた・・いや止めざるを得なかった。
回りのものには見えないが、あんな扇の小さな先がいまでは何尺もの大きな壁になり
前が全く見えない。いやそれどころか安吉にむかってせまってくる。
「ふ~む、見事な!」
と舌を巻いたのが、役人の篠原源太郎だった。
去年まで江戸の千葉周作道場で内弟子として剣術の修業をしていた源太郎、
一度だけ師匠の千葉周作に今のような刀法で手も足も出なくて
その重圧に不様に失神してしまった記憶がある。
こんなところで同じ刀法が見られるとは思わなかった。
どうするのか?興味深い。周囲のものは固まったままで手出しはしない。
だからゆっくりと見物できる。そんな不遜な考えの源太郎。
小沙希はスッと舞い扇を下ろした。何をするのか?
逆の手の平を安吉に向けるとその手の平から青白い光が浮かび上がった。
「えいっ」
気合とともにその光が安吉の懐に飛び込み、その体を折ったまま
後ろの木戸もろとも表の道にぶっ飛ばしたのだ。
驚く野次馬達。
「政吉!ひっとらえろ!」
「へい!」
と飛び起き、表に張り番させていた子分と共に音羽の安吉をお縄にしたのだ。
「政吉!安吉を番屋の牢に放り込んでおけ!」
「へい!・・・で、旦那は?」
「おれは、ここでもう少し話を聞いてから番屋に行く」
「わかりやした。奉行所の与力の旦那にはそう伝えておきやす」
「女将!いいかえ」
「へえ篠原様、こちらにどうぞ」
と土間から上にあがる。
「おっと、皆の話も聞きたいんだ」
「幾松ちゃん、皆も着替えておいで。
半次はん、すまないけんど、今夜のお座敷そんなわけでお断りしてきてくれはる?
お詫びは明日幾重にもするからって」
「へい、わかりやした」
と飛び出ていく半次。
「女将!すまねえな。なにしろぶっそうな世の中だから。
新撰組って輩もひでえが、勤皇の志士ってだけで尾羽打ち枯らした田舎もんが
天朝様のこの京の町を荒らしやがって!情けねえ世の中になったもんだ」
とぶちぶちいいながら女将の後について座敷に入る。
芸妓や舞妓達も急いで2階にあがり、化粧を落として着替えると、たしなみ程度の化粧をする。
お座敷に皆集まると、菊野がお盆に茶瓶と湯のみを持って現われた。
「すんまへん、うちにはお茶けしかおいてのうて」
「ふふふ・・・いいさ。大勢の娘達の中で1人酒なんざ飲む気は、さらさらねえよ」
源太郎は菊野のいれてくれたお茶を二口ほどで飲み干し、あぐらをかいた前に置く。
源太郎は娘達の顔を順繰りに眺める。
しかし、どうしても1人の娘で視線が止まってしまう
まだ1年間のお役所勤めだけとはいえ、毎日毎日同じ道を歩いているのだ。
どこにどんな人間がいるのかこの体が覚えこんでいる。
「そこの娘!初めて見る顔だな」
「はい、篠原源太郎様」
「名はなんと申す」
「小沙希と申します」
言葉使いが変わっていた。
「おぬし、江戸もんか?」
「はい・・・でも・・・」
と答え、何かを言いかけたがそのまま口を閉じる。
「小沙希はいつからここにおる」
「はい、本日からです」
「何?今日から?」
「はい」
ニッコリ笑ってから
「源太郎様に少しお伺いしたいことがございます」
「なに?小沙希がか?・・・・聞きたいのはわしのほうなのだが・・・まあ良い、何かな?」
「源太郎様の北辰一刀流は千葉周作先生に師事されたものなのでしょうか?
それとも千葉定吉先生に師事されたものでしょうか?」
「何!小沙希・・どうしてそれを?」
「わけはあとで申します」
「そうか・・・わしの師は周作先生ただ1人!」
「そうですか」
とがっかりしていたが、気をとりなおして
「定吉先生のところへは一度も?」
「いや、同じ相手ばかりではつまらんからのう」
その言葉に
「ではお尋ねします。定吉先生のところに土佐藩士坂本竜馬というお方は?」
「おお、坂本さんか・・・知っておる。知っておるぞ」
「では、何か笛にまつわることを聞かれたことは?」
「笛?・・・・」
おかしな事を聞くとばかりに小沙希の顔を見つめていた源太郎の目がフッと動いた。
「何か聞いておられるんですね」
「ああ・・・あの日は定吉先生も若先生もお嬢さんも出かけられて居られなかった。
ただ1人、夕日があたる縁に寝ていられるのが坂本さんだった。
『篠原くん、ここに座れや』その時いつも明るい坂本さんの別の面をみたんだ。
やけに・・・そうやけに寂しそうだった。
だからなのか懐から笛を出して吹こうとするのだが音がでない。
わざとそうしているのか・・・寂しさをまぎらわしているのか。
でも違ったんだ。その笛は『翔龍丸』といって坂本家に代々伝わっていたが
誰が吹いても音が出ないらしい。有名な吹き手が吹いても音がでない。
坂本家では手放そうとしたらしいが、竜馬さんが絶対音を出すからといって
江戸に修行の旅に出る時にもってきたものなんだ。
『でも、全く音が出ないんだよ。篠原くん。人斬りはうまくなっても
この笛から音が出せない。情けないよ』
この言葉をいう坂本さんのこと、今も忘れられない」
「やはりそういった人なんですね。・・・・・ありがとうございました」
「では約束だ。小沙希、お前のこと聞かせてくれ」
「なんなりと」
「先ほどの刀法は何だ!」
「あっ、そうですね。北辰一刀流にもありますよね。でも柳生新陰流にもあります。
上泉伊勢守様が工夫されたといわれていますが、
実は平安期にあるお方が創造された体術の一つなのです」
剣術の話は嫌いではないのでつい体がのりだしてしまう。
「してそのお方とは?」
「安倍晴明様」
「安倍晴明?あの晴明神社のか・・・土御門家の祖といわれる・・・・?
今は土御門といっても陰陽の術を使えるものはいない。眉唾ものだと言う話だが・・・・」
「はい、陰陽師として安倍晴明様に古今東西匹敵される方はおられません。
晴明様が偉大なだけにそう見えるのは仕方がないことです。
でも延々と引き継がれてきたお家、馬鹿にしたものではございません」
「ほう、それだけ陰陽師に詳しいのは・・・・いや、これは順を追って
話を聞いたほうがよさそうだ。では、あの安吉を吹き飛ばしたあの術は?」
「あれは術という大げさなものではありません。訓練さえすれば誰でも出来るものです。
気功といいます。例えば・・・・ほら」
と胸の前で手の平同士を上下に拳ぐらいの間隔を空けて待つ。
すると小さな光る玉がぼんやりと現われた。
「これが”気”です」
皆も真似をする。じっとみていると
「さすがはお侍様、剣術の修行が”気”を生み出す精神の持ち方と
合っているようですね」
ほんの小さな光の玉だったが源太郎の手の平の中央部に現われた。
「ふ~」
と息を吐いたのは芸妓や舞妓達
「全然駄目どす」
「小沙希ちゃん。なんどすか、手の平が温かいんどす」
「お姉ちゃん、それでいいんどすえ」
「小沙希、これが気か」
「はい。剣術でも丹田に気をおいて・・・という言葉があります。
気は大事なものです。訓練すれば先ほどのように人を吹き飛ばす事ができます。
でもこの気功が最も力を発揮するのは、人の気を利用して倒すことです」
「人の気を利用する?」
「はい、そうすれば相手の体に触れずとも倒したり、投げ飛ばしたり出来ます」
「見たい!見たいぞ!小沙希」
「はい!・・・・明日なら。いいでしょ、お母ちゃん、お姉ちゃん」
「うちもいくえ」
「うちも」
と芸妓や舞妓達。
顔を見せ合う源太郎と小沙希。
「ふ~」
と吐息を吐く源太郎。この1年の番所勤めで花街の女の強情なのは良くわかっている。
一度言い出したら聞きもしない。
「わかった。見物ぐらいさせてやる。でもその衣装で来るのは止めて貰いたい。
もっとおとなしめにな」
「は~い」
という声。まったく・・・・馬鹿にされているのか。
娘達を相手にしていたら時間がいくらあっても足りはしない。
「小沙希!わしがこちらに来ていたのは昼間の清水一家の件だ。
あんなこと出来るのはこの祇園でいやこの京の都で小沙希しかいないと思うのだがどうかな?
小沙希と知り合う前なら途方に暮れていただろうが」
「はい、わたしがやりました」
「で、あの男達はどうしたのだ?」
「比叡山の奥の院に居られるお上人様に手紙をかきまして
男達の悪心を叩きのめすよう武者僧の方々に預けてきました」
「なに!・・・あの鬼より恐いと言われている荒っぽいので有名な武者僧の中にか?
・・・・・ふふふふ・・・わはははは・・・」
笑いだした源太郎。
「比叡山とは・・・お番屋の牢の中より、遠島の刑より厳しいぞ・・・だが逃げ出したらどうする」
「いえ、逃げられません。男達は比叡山の結界の中でしか行動できないのです」
「比叡山の結界?・・・それはどういうことだ」
「はい、我術にて1歩でも結界の外に出れば体が固まってしまって動けなくなるようにしました」
「我術?・・・・・小沙希!お前は何者だ!」
「はい。我名は陰陽師”安倍あきあ”」
といって懐から出した懐紙を器用に人型に切り
「『臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前』」
と九字を切り、そして唱える真言
「ナウマク・サマンダ・バザラ・ダンカン」
ふっ吹くとたちまち現われた公達。
「あきあよ。こんなところにいたのか」
「はい、すいませぬ」
「藤原元方の怨霊をどうするつもりじゃ」
「はい、晴明様」
小沙希の言葉に驚く。この方があの安倍晴明か。本物なのかどうなのか?
「この時代の坂本竜馬という方が持っておられる『翔龍丸』あの笛のみが元方を封じられるのです」
「お前の時代では手に入れられないのか?」
「いえ、坂本様はこれより4年後の慶応3年の11月15日にこの京都の近江屋で
同じ土佐藩の中岡慎太郎と暗殺されてしまいます。
そのとき坂本様は何の武器も身の回りにおいていらっしゃらなかった。
あったのは・・・・」
「そうか『翔龍丸』で相対したのか」
「はい、その時『翔龍丸』は暗殺者の手によってスッパリと・・・・」
「小沙希ちゃん!坂本様が暗殺・・・・されるの・・どすか?」
頷く小沙希に
「坂本様にその日のことお知らせして暗殺を回避すれば・・・」
小沙希が下を向きながら首を振る。
「歴史は・・・歴史は変えることが出来ないのです。
坂本竜馬という方は私の時代ではこの維新を生きた偉大な人物として
歴史に記されています。坂本竜馬様を主人公にした物語がいくつも出版されてもいます。
歴史は・・・・そう、一つの例で言えばこの『緋龍丸』・・・」
と手の平に忽然と現われた横笛。
「先ほど井上の師匠のところに秘蔵されているはずでしたがなかったのはご存知でしょ。
同じ物が2つと存在しえないのです。
私がこの時代を去ったら再び『緋龍丸』は現われるはずです。
私自身、今の時代の異端児です。だから私がこの時代からいなくなったら
自然淘汰され私の記憶は皆さんから消されるでしょう。
わたしがここに来たために歪められた歴史はうまく調整されます。
例えば、清水一家です。今は私が比叡山に送りましたが、
お役人に悪事を咎められ処刑されるかもしれないし、
改心して一家を潰してしまうかもしれません。
いずれにしても、清水一家はこの祇園からなくなる運命だったのです」
「時の流れは厳しいものじゃ。あきあがこの時代にいられるのも
あと3日じゃ。それ以上いるとあきあはこの時代からはじきとばされてしまう。
元の時代にも戻れぬ」
「そうなると小沙希・・・・いやあきあ殿はどうなるのですか?」
「時の放浪者となる。時と時の間にさまよい歩き、死す事も出来ず、
幾千年、幾万年さまよい続けるのじゃ」
「そんなの嫌!」
花世が叫ぶと若い舞妓達はそろって泣き始めた。
「みんな静かに!」
幾松が大声をあげ、そして必死の形相で小沙希につめよる。
「坂本様に、坂本様にお教えしても?・・・・」
「歴史は変わりません。例えお教えしてもその日には
きっと近江屋にいられるでしょう」
「そんな!」
「幾松さん姉さん!あなたもあなたの旦那様と共に歴史に名を残されるのですよ」
「えっ?では?」
「そうです。幾松さん姉さんが想い描く方と添い遂げられます。
でもこれからの時代凄い勢いで変わっていきます。
その時代の流れにそのお方と幾松さん姉さんは翻弄されながらも生きていかれます。
名前を木戸孝允と変えられ、幾松さん姉さんは松子と名乗られるようになります」
「あきあ殿、教えてくれぬか」
「はい」
「お主はどの時代からきたのじゃ」
「私は、年号を平成という今から約140年先からきました」
「して、藤原元方の怨霊とは?」
「平安時代に暴れ回った怨霊です。人を呪い殺し、平安京を雷や地震などで
破壊した恐ろしい怨霊です。でも晴明様が封じられて1千年の眠りにつかせましたが
人の世は変わっていきます。怨霊の存在を信じず、不思議の力は拒否されています。
結局、怨霊・藤原元方の封印を解いたのは人の手によってでした」
「その怨霊、復活してどうしようというのだ」
「はい、晴明神社を焼き払い京の結界を取除くことによって朱雀門を開こうとしています」
「何?朱雀門を?・・・・あれが開いてしまったら」
「はい、地獄の悪鬼・亡者達がこの京都を・・・いや日の本の国を地獄に変えてしまいましょう」
「しかし、結界は怨霊や亡者達には・・・・」
「はい、結界に触れる事叶わず、ですが卑劣な怨霊めが・・・」
と幼い少女達を攫い、その生命力を吸い取り、なおかつ少女達の両親・・・つまり
人の手で晴明神社を焼き払い結界をとく所存・・・と話した。
「おのれ・・・・元方!」
「源太郎様にはわたしの話を・・・」
「そんなことは!あきあ殿!お主のその眼を見ればわかることだ。この話が真実かどうかはな」
「ありがとうございます」
舞妓や芸妓達には難しかったのか、皆船をこいでいる。
「これ!あんた達!」
菊野は叱り付けたが小沙希が押し留める。
「この子達には何の関係のないことです。だから眠らせました」
「あきあ殿、これからどうする」
「はい、一刻も早く坂本様にお逢いしとうございますが、
あのお方は勤皇の志士としてお手配されておられる身。そうでしょう。源太郎様」
「あっははははは・・・・知っておられたか」
とぼんの窪をさわる源太郎。
「坂本様は変装したりして、敵の目をあざむくなんてことをする方でしょうか」
「坂本さんが変装?・・うっぷ・・・・」
と噴出す源太郎。
「うふふふ・・・すまんすまん。あれほど不器用な人はいまい。
それにそんなことをすること自体、毛嫌いする人だ。
自然のままに・・・そう自然のままに生きておられる。
だからこの京に入る時も自然に逆らわず堂々とこられるはずだ」
「源太郎様。私、少々この京の都を少し騒がしてもよろしいでしょうか」
「都を騒がす?」
「はい、血は一滴たりとも流しませぬ。坂本様が興味を持って
坂本様自身がわたしに近付いてこられるよう少し変わった趣向で・・・」
「して、どのような・・・」
「はい、ではお耳を拝借・・・・・」
と4人は顔を近づけ小沙希の話を聞く。
「うっぷ・・・・」
「うふふふ・・・いひひひ」
と体を捻じ曲げて笑いだした。菊野と幾松。
「とんでもないこと考える奴じゃ」
と晴明と源太郎。顔を見合わせあきれかえる。
「お侍様は難しゅうございます。あまり恥辱を与えるとお腹をめされます」
「いやいや、あきあ殿。その心配はない。昔はどうだったか知らないが
近頃の武士は切腹などはしない。いや切腹の法も知らぬ。
昔、葉隠れという思想はあったが今はそんなものは廃れてしまった。
今の武士は外見だけだ。特に幕府の侍はな」
吐きすてるようにいう。
(この侍、先を見る目はあるようじゃ)
晴明が好む人柄だ。
「では・・・」
「おう・・やれ。相手は町の人達を苦しめる浪人達や人切り集団の新撰組だ。
遠慮なくやったらいい。だが、剣術の腕かなりの者もいると聞いておるぞ」
「天然理心流・・・近藤勇様、土方歳三様、沖田総司様。
新撰組のお方達いづれも相当な腕前です。中でも沖田総司様、お若いですが
天賦の才能をお持ちのお方」
「沖田総司?・・・確か新撰組一番隊の・・・そんなに凄いのか?」
「はい、でも・・・胸を病んでおられます」
「胸を?」
痛ましそうな顔の源太郎。前途明るい青年が新撰組という人斬り集団の
掟に囚われ、そして胸を病んで死を待つのみ。同じ剣術使いを目指していた
源太郎にとってその無念さはわかるのだ。
「でも」
と自分自身を切り替えて明るい笑顔をつくって
「私はやります」
「そうだ。やれ!」
源太郎も小沙希の心がわかったのだろう明るく言う。
「だがその格好ではできまい」
「はい」
と言って、呪を唱えた。
すると覆面を被り黒い着流しの姿にかわった。
「何だ!その格好は?・・・」
「はい、わたしの時代にこういう姿をした主人公の物語があります。
新撰組を相手に戦う勤皇の志士”鞍馬天狗”といいます」
「鞍馬天狗か・・・気に入った。これは面白い事になりそうだ」
「お刀はお番屋に届けておきます」
「おうそうしてくれ。だが、下帯だけはかなわん。どこかに捨てておいてくれ」
「いえ、名前を書いて橋の欄干に・・・」
「くくくく・・・あきあ殿にはかなわん。よくぞそういう悪戯が次から次と・・・・くくくく」
菊野も幾松ももう何度お腹を押さえて笑っているのか。
「じゃが、あきあよ。こういうことでその坂本竜馬という男、現われるであろうか」
「わかりませぬ。でも私が坂本竜馬というお人を調べれば調べるほど
今までの侍という枠を外れています。源太郎様はどうお思いですか?」
「判らぬ。坂本さんという人は全く判らぬ。
このわしの物差しでは計れぬ桁ちがいの人物だ。だが、あきあ殿の作戦は面白い。
坂本さんが最も好む悪戯だと思う。坂本さんはきっとひっかるでしょうな」
「なるほど、聞けば聞くほど興味がわく。
あきあよ、久しぶりにおぬしの目を通して坂本竜馬という男をじっくり見てみたい」
「おほほほ・・・晴明様もお好きな・・・・では」
というと赤い小さな玉になってあきあの体に消えていった。
★★★★
壬生の屯所から出てきたのは沖田総司を隊長とした一番隊15名、今から見回りに出る。
見回るのは祇園を中心とする花街である。一流の料亭だけでなく
安い費用で飲み食い出来る料理屋もある。
そんな場所に出入りする、不逞の輩つまり勤皇の志士達を捕らえ又は切り捨てる。
「沖田さん、今日の見回りはどこをまわりますか?」
「そうだなあ、今日は少し目の保養でもしますか」
「いいんですか?」
「たまにはね}
と男としては色白の顔がにっこり笑う。他の隊員はこの一番隊をよくうらやんでいる。
確かに隊長の沖田は年が若いだけに話しやすいし、隊員の気持ちを汲んだ行動もしてくれる。
だが沖田のもう一面の人斬りはいくら味方でも背筋が寒くなる。。
人をよくあんな風に切れものだ。
名刀”菊一文字”に血を吸わせ続ける沖田総司、・・・・優しくて恐い。
白く続く土塀、ここを越えたら花街の明るい町並みがある。
自然と足が早くなるのは当然だろう。
「待て!」
手を横に出して隊員達を止めた。
そして、先にある闇をじっと見つめる。
沖田は素早く隊員達を指揮して闇を取り囲んでいった。
隊員の持つ提灯の灯りで木に縛られている4人の男が見えた。
急いで近寄る沖田達、どうやら気絶しているだけのようだ。
「沖田さん!こんなものが」
と隊員から白い紙を受け取る。何やら字が書いてあるようだ。
隊員が提灯で照らすその文は
『この者達市中を騒がす鬼面組なり。人心を惑わし、
なおかつ婦女子をかどわかし、金品を脅し取ったその罪、万死に値す。
気を失いし男達、経絡をつき疼痛を倍増させん。
数々の悪事全て白状し誠ならば痛み消え、誠為らずばその痛み1里先まで悲鳴聞こえん。
我使命、京の都騒がす者こらしめんと鞍馬山から下りしものなり。
鞍馬天狗 』
「君、この先の番屋にこのこと知らせてきてくれないか。
こ奴等、どうやらうちの管轄じゃないんでね」
「はっ」
と駆けていく隊員。
「ふ~む。鞍馬天狗・・・か」
「どんな奴なんでしょうか」
沖田は紙を折って懐に仕舞いながら
「すいませんが、屯所に戻ってこの事土方さんに知らせてきてください」
隊員は別の隊員に提灯を渡してから走っていく。
入れ替わりに隊員が御用提灯を持った役人達を伴なって戻ってきた。
「こ・・・これは・・・」
「役人殿、これは我らのやったことではござらぬ」
「貴公は?」
「これは失礼。わたしは新撰組一番隊隊長沖田総司」
「おおう、あなたが・・・」
「わたしをご存知か」
「はははは・・・・新撰組の沖田殿を知らずば京都人ではござらぬ」
といいながらあっけんからんとしているこの男・・・篠原源太郎だ。
「わたしはお番屋同心、篠原源太郎と申す。よしなに」
と挨拶する源太郎に(この男只者では無い。こんな男が奉行所にいるとは)
自分と同等かそれとも・・・・と腕を計っていた沖田。
でも源太郎はそんなこと知ってか知らずかあっけんからんとして
配下に命令することもせず懐手で見ているだけだ。
「旦那!こいつら目が覚めませんや、どうしやす」
「政吉!仕方がねえから戸板を持ってきて番屋へ運んでおけ」
「へい」
と政吉は手下のものに言いつける。
「失礼ですが篠原さんは江戸ですか?」
「いやあ。生まれはこっちですが、育ちは江戸でした。
生まれながら剣術が好きでねえ。小さい時から千葉先生のところで修行してました。
でもこんな世の中でしょ。食えないから父のつてで同心株を買って
北で同心をしてましたよ」
「どうして京に?」
「叔父がね、こっちの奉行所で与力をしているんですが
父と母を流行病で一度に無くしたのを不憫がったのか、いい年をした男を
まるでガキのように首根っこを捕まえて京に連れて行くから・・・ってね。
だがそんなことをされちゃあ、こっぱずかしくって江戸の町を歩けませんや。
仕方がねえから、あすこにいる配下の政吉をつれて京に上ってきたんですよ」
「篠原さんはこっちのほうは今?」
と刀を構える型をとる。
「やっとうのほうですか?・・・先が見えてしまったんでね。
剣はやはり生まれながらの才能がいるようですな。
わたしのような凡夫がいくら努力をしてもこの先は知れていますよ」
と笑う。
なんだか沖田にとって京に来て初めて話しやすい人物にあった気がする。
「篠原さん。実は・・・・」
と鞍馬天狗の書状をみせる。
「なになに・・・ふ~む・・・鞍馬天狗ですと・・・ふざけた名前をつけやがる」
「私が気になるのは・・経絡から先です。
果たしてこんなこと出来るのでしょうか?」
「ふむ・・・こやつらを起こして体で聞いてみるしか方法はないでしょう」
「わたしも立ち会ってよろしいでしょうか?」
源太郎は沖田の顔をじっとみてからニヤリと笑う
「いやはや、あんたも物好きなお人だ」
「君達、聞いたとおりだ。これから番屋に行ってくる。
すまないが屯所に戻って二番隊に見回りを変わってもらってくれないか。
君達にはこの借り、次回倍にして返すから」
と隊員達を屯所に帰した沖田総司、同心篠原源太郎と番屋に向かった。