第一部 第十四話
何もかもを知った沙希達は小野監督らと打ち合わせをおこない、
冒頭に挿入する事件の発端の録画撮りを済ませた。
そしてあとはぶっつけ本番で生放送を迎えるその日・・・・。
京都の京舞の家元井上家では
早朝から人間国宝の貞子が妙に落ち着かなくソワソワとしていた。
テレビ放映は夕方からだというのにテレビをつけたり消したり
新聞のテレビ版をメガネをかけて眺めてはまたメガネをはずしたり・・・
そんな様子にお茶を持って現れた真理が
「お母様。今からそんなことしていてはお体にさわります」
と注意すると
「おお!真理さん。うち、小沙希ちゃんのこと心配で心配で・・・」
何か普段にないオロオロした様子に、
真理は貞子の前においた湯呑みにお茶をそそぎながらニッコリ笑った。
ちなみに真理がこの家に来てからは貞子にお茶を出すのは真理の役目となっていた。
初めて真理が差し出したお茶を含んだ貞子が唸ったのである。
お茶の葉はこの家にあったもので特別なものではない。
ためしに同じお茶の葉とお湯をいままで世話をしていた高弟と真理に
目の前でお茶を入れさせたのだが特別変わった入れ方ではない。
しかし、一口呑んでみたら全然違うお茶の味なのである。
真理当人も首をひねっていたのだが、その日以来真理の役目となった。
真理がお茶を入れ始めると高弟達もその技を身に付けようと集まってくる。
だから、今も真理の周りには何人もの高弟が座っていた。
「お母様、大丈夫です。
沙希ちゃんはあの安部晴明様が太鼓判を押す陰陽の術を身につけていますし、
安部晴明様自身にも見守っていただいております。
それに、いつも近くには沙希姫様を宿す律ちゃんもいるんですもの」
「真理はんは強いお人どすなあ、うちは小沙希ちゃんのことになったら
もうどうにもならへんのどす」
といってから空になった湯呑みを真理に差し出す。
「今日のお茶は特別美味しゅうおす」
と催促している。
一方、井上家からそんなに離れていない祇園の御茶屋「菊野屋」では朝早くからバタバタと騒がしい。
2階で寝ていた夕べ遅くまで働いていた花世達にはたまったものではない。
いきなりガバッと起きた花世がドスドスと階段をおりていく。
床から這い出た花江達が畳に耳を押し付けて階下の様子に聞き耳をたてた。
花世が大きな声で女将を叱りつけている。
「お母ちゃん、何しているんどす」
どうも花世はついこの間、沙希を叱りつけたことで自分に自信をもったらしい。
いつも相手の顔色を伺っていた同じ少女とは思えない。
ボソボソと女将の謝るような声が聞こえる。
「いいどすか、お母ちゃん・・・・・・」
とガミガミ注意する花世・・・・少し気持ちが治まったのか2階へあがってくる花世の足音。
慌てて布団にもぐりこむ芸妓や舞妓達、
そんな様子も百も承知だった花世の声が大きく響いた。
「お姉さん達、もう起きてはるんでしょ。・・・さあ、起きた起きた・・・」
と掛け布団を引っ剥がしていく。
「何するんどすか」
と文句をいうと
「あら、お姉さんだけお留守番するんどすか」
と冷たい声でいう。
「えっ?」
「今日はホラッ、小沙希さん姉さんのテレビがある日どす。
井上先生のところでお手伝いを兼ねて皆さんと一緒に見る約束したんを忘れたのどすか?」
「あっ!」
という声でみんな飛び起き、慌てて布団をしまったり身支度を整え始めた。
「じゃあ、お母ちゃんがバタバタしていたのは・・・・」
「へえ、朝早うからお百度ふんできはってから菊奴さん姉さんにお灯明をあげて
ついでに安倍晴明はんにもお祈りして部屋の中を行ったりきたり
今日着ていくおべべを用意したり、あんなお母ちゃん初めてやわ」
「そりゃ、仕方あらしまへん。小沙希ちゃんが今日凄いことしはるもの。
お母ちゃんかて心配たまりまへんのや」
「うちかて。心配でたまりまへんわ。
どうして小沙希さん姉さんて、あんな変な事件にばかりかかわってしまうんどすやろ。
それにあんな素晴らしいソフトを作ったり笛も舞も・・・あんな凄い人うちみたことあらしまへん」
「うちらもどす、花世ちゃん」
「うちなんか、もう・・もう・・鼻高々どすえ」
「そうや。うちらも小沙希ちゃんと家族なんやと思うと・・もうたまりまへんわ」
そこに階下から
「あんたら、早う早う・・・」
と女将の声が聞こえてくる。
花世はちらっと時計を見て
「もう、お母ちゃんったら・・・まだこんなに時間が早いのに・・・」
「仕方あらしまへん。さあ、みんな早う支度をしよし。遅い娘は置いていくえ」
花江の一声に
「キャー」
といって娘達が大慌てで支度を急ぐ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
京都から遠く離れた東京では真新しい間仕切りのドアを開けて
「おはよう!」
と理沙が入ってきた。
「あっ、理沙さん」
古くからいる早乙女事務所の玲子が挨拶をする。
部屋を見渡すと見知らぬ女の子達が誰だろうと様子を伺っている。
「玲子、まゆみさんは?」
「社長は今、城田さんと会議室で上の専務さん達と会議中です」
「時間かかりそう?」
「いいえ、そんなには」
「じゃあ、待っているわ。・・・ねえ、玲子。
知らない人がたくさんいるけど・・・・紹介してくれない?」
「いいですわ。・・・みんなちょっと聞いて!」
と大きな声で注意を促す。
「みんなに紹介しておくね。この人は早瀬理沙さんと言って薫さんの姪御さんで、
日野あきあこと早瀬沙希さんのお姉さんなの」
「早瀬理沙です。皆よろしくね」
と挨拶すると
「うわ~、美人!」
という声が聞こえる。
「ありがとう!」
といってパチンとウインクをする。
「うわあ~」
と大きな声をあげパチパチと拍手をする娘もいた。
そんな声が合図であったかのようにドアが開いてまゆみ達が入ってきた。
「理沙、珍しいわね」
「理沙ちゃんどうしたの?」
静香も入ってきて声をかける。
「いえね、ママは京都に詰めっきりだし、
家で1人テレビをみるのもなんだから里へ行ってこようかと思って」
「お仕事は?」
「東北へいった記者達が沙希達にまかれて帰ってきているのよ。
うすうす私と沙希の関係を感づきはじめた者もいて逃げ出してきちゃった」
「大丈夫なの?」
「へっちゃらよ。今日さえ乗りきれば明日からは何とかなるわ」
「理沙らしいわね。じゃあ、里に帰るんなら頼みがあるの」
「何?」
「まだまだ人手が足りないの。最低でも5人以上必要なの」
「そんなに連れてきて住むところはあるの?」
「ええ、大丈夫よ。澪先生が寮に住んでいた女の子達をねこそぎ
京都に連れて行ったから今は誰もいないわよ」
「じゃあいい子を連れてきてあげる」
「頼むわね」
「OK!」
といって理沙が出て行った。
「ママは帰って来ないのかしら」
まゆみが静香に聞くと
「井上のお祖母様が離さないわ」
「そうねえ、いっそうお祖母様をこちらにうつす・・・ってことは無理ねえ」
「そうよ。祇園の宝だし、人間国宝だもの」
二人して吐息をはく。
「こちらも沙希がいろんなもの開発するからてんてこ舞いだし・・・」
「文句をいわないの」
静香がたしなめるほどうれしい悲鳴を上げっぱなしだ。
「静香さん、来週にはNASAから人がくるんでしょう?」
「そうなの、どこから知ったのかしら。いきなり国際電話があって
まるで狐につままれたようにあれよあれよと来日が決まってしまったのよ」
「心配ならそのときはママの妹の松島奈美さんに同席してもらったらいいわ。
あの人なら安心してまかせられるわ」
「不思議だしわからない人ですねえ。どんなお仕事をされているのかしら」
「私も知らないわ。あの人のことになったらママ達姉妹の口が堅くて・・・。
それはそうと今日は本当に会社で皆でテレビを見るの?」
「ええ、そのためにあんな大きなテレビを買ったんだし、今から会社の女の子達と買出しよ」
「じゃあ、うちも女の子を手伝いに・・・・」
「本当?助かるわ」
「玲子。3人ほど連れて手伝いに行ってくれる?」
「は~い。じゃあ、亜紀と・・・・」
といって3人の女性を指名して部屋を出て行く。
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桜田門の新庁舎の鬼より恐いといわれる捜査第一課の部屋では
連続殺人事件も刑事達の苦労の末、犯人を捕まえ調書などあらゆる書類も全て書き終え、
検察庁へ犯人ともども送致し終わったので刑事部屋にもゆったりとした時間が流れていた。
捜査第七係の係長でもある飛鳥泉警部も部下達が作成した書類に目を通すだけで一日が過ぎていく。
「係長!今日は早く帰られるんでしょ」
お茶を出しながら婦人警官の有佐ケイが聞く。
書類から顔をあげて泉が
「ええ、今日は特別の日だからね」
「わたしも早く寮に帰ってテレビを見なくちゃ・・・・えっと・・・・」
と何か言いにくそうにしていたが
「どうしたの?」
という泉の声に
「係長のいとこの日野あきあさんってどんな人なのですか?」
と思い切って聞く。
泉は書類をパタンと閉じて
「そうね。一言では言い表せないほどの不思議な子よ。
ああいうのが頭脳明晰っていうのかしら、あの子が一睨みすれば何でも判ってしまうし、
コンピューターの天才だし・・・・・それに・・・」
「それに?」
「とても性格がいい可愛い子よ。・・・それがどうしたの?」
「いえ、一度お会いしたいなっと思ってまして」
とモジモジして言う。
「いいわよ、例の機械のことで打ち合わせにここにくると思うから紹介してあげる」
「うわあ」
とつい大きな声を出してしまって、慌てて両手で口を押さえた。
だが、二人の会話はそばで猛者といわれる刑事が聞き耳を立てていて
有佐ケイの喜びの叫びとともに目を輝かせていたのはいうまでもない。
一方警察の大元締めの警察庁の中、広域捜査の一係では
飛鳥京警部を長とする女性1名、男性2名の刑事達4名が打ち合わせをしていた。
「・・・ということで、この事件は犯人を逮捕寸前に自殺される最悪の結果となってしまいました」
「畜生!あの時こちらの指示通りしたがっていてくれたら、
みすみす犯人を死なせはしなかったのに・・・」
「仕方ないさ、警察の縄張り意識は強固だからなあ」
「菅長さん、仕方ないことはないわ。あのコチコチの石頭の署長は
いずれギャフンといわせてやらなくちゃあ腹の虫がおさまらないわよ」
鼻っ柱の強い女刑事が言い放った。
「まあまあ、いずれこの挽回はするとしてこの何ヶ月ものみんなのがんばりに感謝します」
と京が頭を下げた。
「係長!そんなことなさらないでください。自分達は申し訳ない気持ちで一杯なのですから」
デカ長の声に京はニッコリ笑う。
「ところで、今日はテレビ放映があるんですねえ」
という女刑事の声に
「なんだい、テレビは毎日やってるじゃないか」
「あれ!菅長さんは知らないんですか?
係長のいとこの日野あきあのテレビが放映されるのを」
「えっ・・・本当ですか?」
「日野あきあって本当の陰陽師だといわれてますけど本当なのですか?」
「ええ、不思議な術を使うし、みんなも知ってのあの機械を作るし、
あんな子は世界中を探したっていないと思うわ。
いえ、決して身内だから言ってるのじゃないのよ。
とにかく事件に追いまくられて、
人間の嫌な面ばかり見ている私にとって天女のような可愛い少女なの」
「そんなに可愛い人なんですか?」
「そうねえ、さしずめあなたなら会ったとたんまいってしまうわよ」
「一度会いたいですわ」
目を輝かせて言う。
「いいわよ、そのうちあの機械の打ち合わせにくるから・・・・」
★
下界の騒ぎをよそに、静かで美しいこの湖畔で別世界のようにゆっくりと時間が流れていく。
すっかり撮影隊の準備が出来上がりあとは放送時間がくるのを待つだけだ。
緊張感は俳優達よりもスタッフにより強くあらわれ、何度も何度も機械の調整をおこなっていた。
沙希・・・いや、日野あきあは小高い山に建つ寺の境内にある大きな岩の上に立っていた。
その後ろ姿に律子が近づいていこうとしたが和尚に止められた。
「やめておきなさい。あの子は今無我の境地にいる。
いやはや見事な立ち禅ではないか。我々坊主でもあれほどの禅を組めるものは、
この日本になにほどもおりわせん」
律子の横に立った和尚が言った。
「でも和尚さま、もう時間がないんです」
律子は和尚を見て言った。
「そうか・・・では仕方あるまい」
といって数珠を握った右手をあきあに向かってあげ
『カアッ』っと気合をかけた。
その腹の底からの和尚の気合に律子は飛び上がって驚き、
「ハアハア」
と心臓を押さえて和尚を非難するように見たが、
和尚は
「おう・・・おう・・・」
と唸るような声をあげながら幾度も頷いている。
律子は和尚の視線の先・・・の、あきあを見ると
ニッコリと微笑んだあきあがこちらを向いて立っていた。
律子は気がつかなかったが
和尚のあの鋭い気合にも何の動揺も見せず自然体で
振り向いたあきあの笑顔に和尚も感心しきりだったのである。
あきあのゆったりとした時間はここまでだった。
冒頭のドラマ部のリハーサルや打ち合わせ、
そして本番へ向けてのメイクと時間が目まぐるしく過ぎていく。
ここで本日の配役を紹介しておこう。
日野あきあ 千賀 :巡礼の母を行き倒れで亡くし村で一人生活する少女。
不思議な能力を秘めている。
小橋千賀子:祖母と旅行にやってきた女子大生で気象庁に就職が
(二役) 決まっている。父は考古学者でエジプトに
母は冒険家でヒマラヤに。
千賀子自身は地震学を学んでいる変わり者である。
この村で千賀子の能力が目覚める。
早乙女薫 樋口蔦湖:旅館『蔦』の女将
天城ひづる 樋口かな:蔦湖の一人娘 無口な子ながら不思議と千賀子になつく。
大空圧絵 足立千恵:千賀子の祖母。旅行中に足をくじきようやく着いた
旅館『蔦』で寝込んでしまう。
幸田朱尾 峰厳和尚:山の荒れ寺の和尚、常に般若湯を横に置く。
? 龍の精 :子龍。紅龍という。千賀との間に人と龍を超えた
愛情が目覚める。
飛龍高志 幸太郎 :庄屋の息子。千賀に横恋慕し紅龍との逢瀬を脅迫、
千賀を無理やり我が物にする。
他、映画の共演陣の出演で脇を固める。
数少ない村人や山寺の和尚に見つめられながらこうしてドラマが始まった。
★★
~時代は江戸初期、東北地方のとある山間部、大小の湖のある小さな村があった。
小さいながらも湖水により農作物にめぐまれた豊かな村であった。
・・・・・・・・・という冒頭部のナレーションが流れる。
この途方もないドラマの挿入部の時代劇は昨日録画していた。
挿入部といってもこの事件のきっかけとなった重要な出来事であるので
おろそかには出来ず90分の枠をとっている。
忙しく立ち働いているスタッフ達を横目に放送をみたりして
ゆったりと時間を過ごしている俳優達・・・。
だがあきあだけは監督や舞台監督、
アクション監督やスタッフとこまごまとした打ち合わせがひっきいりなしである。
スタッフ達は次から次へと並んであきあの指示を待っている。
事故が起こらないような対策はいくらやっても無くなりはしない。
ましてや相手は何百年も地中に囚われ、
愛する人を亡くし憎悪の塊となって生き続けているのである。
予想し難くいくら安全な対策をたてても100%とはいかない。
でもそれを100%にちかづけるよう思いつく限り小さなことでもあきあはあろそかにはしない。
大変なのはあきあについている新人マネージャーの瑞穂である。
あきあの発した指示をどんなことでもそばで書き記していく。
あとで言った言わないと揉め事がないようにという順子の指示であった。
驚いたことにもう大学ノートを2冊目も半分以上使っていた。
ようもこんなことまでといったささいな事まで指示している。
それでもまだあきあは不安そうだ。
生放送の時間はこうして刻々とせまってきていた。
・・・・そして、録画放送が終わった。
天界僧正によって子竜が地中深く封印され、
母龍も天海の放った封印の矢によって天から舞い落ち湖の中で眠りについた。
・・・・という場面でナレーションが流れはじめた。
ナレーターは生まれて初めて早乙女薫が担当している。
「こうして龍と人との相容れない悲劇によって伝説が生まれた。
だが、伝説は伝説では終わらなかった。
天海僧正の予想を上回る子龍の憎悪が事件にかかわった村人達をこのまま許しはしなかった。
呪い、祟りという元に1人また1人とその一家をもろとも根絶やしにしていく。
そして・・・そして、1人残ったのは何の因果かこんな出来事のきっかけを作った、
今はお庄屋となり名を幸兵衛と改めた幸太郎であった。
だが幸太郎は嫁をもらい子を成し、
そして40歳を迎えたある日、朝冷たくなっているのを家族が発見した。
幸太郎の最期の表情は何かを恐れるがごとく醜く歪んでいた。
こうして庄屋の一家の跡取りは例外もなく悉く40歳を迎える年に命を落としていった。
時代は移り変わり世の中は驚くべき進化をとげる。
しかし、お庄屋は山村という姓を得るがその背景はかわらず、
跡取りは40という歳を超えることはなかった。
そして、平成の御世の現在・・・・・・・」
こうして生放送が始まった。
山道を登ってくる二人の女性、年配の女性は足をひきずり
若い女性は両手に荷物を持って年配の女性に肩をかしながらゆっくりと歩を進めていく。
「千賀ちゃん、ごめんね」
「何を言ってるのよ。お祖母ちゃま」
「だって、私の不注意からこんなことになったのよ。
あの場所から私を送り帰して1人で旅行しても良かったのに」
「いやよ」
「えっ?」
「そんなの嫌って言ったの。だって1人で旅行しても面白くないもの。
それに私、お祖母ちゃまと一緒にいけるから旅行にきたのよ。
1人だったら家でくつろいでいるほうが余程ましよ」
「まあまあ、またそんなことを言って。千賀ちゃんあなたって
本当に男みたいな性格だわね。何でもめんどくさがって・・・」
「だって嫌なものは嫌だもの」
「そんなのでは良い男の人を見つけてお嫁にいけないわよ」
「いかないわよ、そんなの。結婚なんて真っ平!
私は一生独身でいいの。それに、男なんて大嫌い!」
と言い放った。
「あなたって、こうと決めたらテコでも動かないんだから・・・。
としかたないというように首を振った。
その時、風が出てきたのか『ザワザワ』と木立の音とともに
『千賀~』
という声が千賀子の耳に届く。
「えっ」
という顔で祖母を見ると下を向きながら痛みに耐えながら必死に歩いている。
千賀子は歩きながら周囲を見渡しても声をかけるような人影は見当たらない。
「どうしたの?」
「えっ?ううん、何でもない。あ~~あ、いい空気」
と大きく深呼吸をする。
二人が予約していた旅館にたどりついたのは、それからしばらくしてからのことだった。
途中休み休み来たのだが段々と祖母の顔色が悪くなってきた。
額に手を当てると少し熱があるようだ。
「こんにちわ」
「は~い」
と出てきたのは着物をきたこの旅館の女将だった。
「遠くからようこそおいでくださりましてありがとうございます。
さぞお疲れになったでしょう。・・・あら、どうなされたのですか?」
「祖母が途中で足をくじいてしまたのです」
ぐったりと玄関で座り込んでしまった祖母に代わって千賀子が答えた。
女将は素早く祖母の脈をとり、額に手を当てて熱をはかる。
「少し熱がありますね。脈も速いようだし、早々に横になったほうがよろしいですね」
といってから奥のほうに声をかける。
「まささ~ん!・・あっ、すぐに2階の桜の間のお部屋を1階の桔梗の間に変えてちょうだい。
それとすぐにお布団の用意もね」
とてきぱきと指示していく。
女将は千賀子に向き直り
「小橋様には景色の良い2階のお部屋を用意してありましたのですが、
お祖母様の様子では2階まで上がるのも出来ないと思いますわ。
かってですが1階のお部屋にかえさせていただきました。
このほうが私共の目も届きやすいですから」
と千賀子が恐縮するほど気配りをしてくれる。
「ここの温泉の効用は打ち身とか捻挫ですの。
でも、今日はお熱も高いようですから温泉には入られませんように」
女将さんと仲居さんの手で布団に寝かせられ赤く腫れた患部にシップを、
そして痛み止めと熱さましを呑まされた祖母は
熱と疲れからかまたは薬の効果からかすぐに軽い寝息をたて始めた。
こうして女将と千賀子は静かに次の間に移動する。
女将は千賀子にお茶を入れてくれながら、この村に伝わる伝説を教えてくれた。
少女と龍の悲恋物語、何故か千賀子の心の琴線にふれるものがあった。
そして、もう一つ・・・・。
「あのう、女将さん。このあたりに千賀って方おられますか?」
「千賀?・・・いいえ、そんな名前の方はこの村にはいません。
観光のお客様は今週に入って小橋様一組なのですから」
「えっ?私達だけ?」
「ええ、この地はそんなに観光名所があるわけではありませんし、
交通の便が悪い上にこんなひなびた温泉宿にそうお客様はいらっしゃいせんもの」
ではどうやって・・・と口に出しかけたがその言葉を慌てて飲み込む千賀子。
でもさすがは女将そんな千賀子の心を汲み取って
「ほほほ・・・、ここでは食べ物は自分達でつくってますの。
この地で作られる農作物や果物のおいしさは評判で売れ残ることはありませんのよ」
と笑っていたが話が横道に逸れたのに気づいて
「あのう、千賀というお名前の人が何か?」
「いえ、ここにくるまでの道筋で幾度も『千賀~』『千賀~』
と何度も名前をよばれたのです。でも私、千賀子って名前ですけれど
今まで『千賀ちゃん』とか『お千賀』って呼ばれたましたけど
『千賀~』なんて呼ばれたことないんです。
だから、他の人のことかなあって・・・・・・、
それに、不思議なんです。あんなに大きな声が聞こえていたのに祖母は知らない振り、
・・・いえ祖母はすごく耳がいいんですよ」
とその時、入り口の襖がスーと開き1人の可愛い少女が立っていた。
「あら、可愛いお嬢ちゃん。どうしたの?」
ちょうど女将の後ろの出来事なので、先に気づいたのは千賀子だった。
少女は少しはにかみ笑いを浮かべて千賀子を見たが、
すぐに女将にむかって
「母様、少しお外で遊んできてもいい?」
と声をかける。
「あっ、かな!駄目じゃないの。
お客様の部屋に入ってきてはいけないといつもいっているでしょ。」
と言葉はきついがその声には優しさが含まれている。
「女将さんのお嬢さんですか?」
と女将に聞と、
「ええ、・・すいません。いつもはこんな無作法をする子ではないんですが」
と不振げにわが子を見つめる。
千賀子はかなに笑顔をむけると
「ねえ、かなちゃん。お姉さん、この辺りを少しお散歩をしたいの。案内してくれない?」
というと少し驚いた顔をしたがすぐに『コクン』と頷いた。
「じゃあ、少しお話をしてからね。こっちへいらっしゃい」
というと、嬉しそうに千賀子の隣に座りすぐに、その小さな手で
千賀子の手をしっかりと握る。まるで大切なものを無くさないようにと・・・。
女将はそんな我子の様子に
「まあ、こんなこと初めて・・・。
この子は無口で人見知りが激しく、どんな人でも近づきもしないのに」
驚いたようにかなと千賀子を見比べている。
「何だかこうしてみてると本当の姉妹みたい」
千賀子の身体に安心したように寄りかかっている我子が何故かいとおしいし、微笑ましい。
「女将さん先ほどの話の続きなんですが、
『千賀』という方がいないとしたら、私の幻聴なのかしら・・・」
というと、隣のかなが千賀子を見上げながら
「お姉ちゃん、千賀っていうの?」
と聞いてくる。
「ちょっと違うの。私の名前は『千賀子』というのよ」
「じゃあ、お姉ちゃんに聞こえたには紅龍様の声だわ」
「紅龍様?」
「ええ、山の和尚様がいってらしたの。
伝説のお話は本当のことで、今も土の中で生きていらっしゃるって」
「山の和尚様?」
女将が話しを引き取って言う。
「山の中ほどに龍雲寺という荒れ寺があります。
そのお寺を守っておられる峰厳というお坊様のことなんです」
「かなちゃん、ごめん。お散歩は止めにしてそのお寺に連れていってくれない?」
「うん、いいよ」
「じゃあ、暗くならないうちにいそいで行こうか」
と立ち上がる。つられてかなも女将も立ち上がった。
「あのう・・・」
と改めて女将に向かうと
「わかってますよ。お祖母様のことはおまかせください」
とポンと自分の着物の胸をひとつ叩いた。
「すいません。じゃあかなちゃんをお借りします」
とおじぎをするといそいで部屋を出て行く。
女将は玄関を出ていく二人を見送った。
かなが本当に嬉しそうに千賀子の身体にまとわりつき
そして飛び跳ねるように歩いて行く。
「ほんとう、不思議な娘さんだこと。
・・・でも、こうしてみていると本当に仲の良い姉妹みたいだわ」
と微笑ましさで自然と顔がほころんでくる。
★★
「お姉さん、あの大きな木の後ろにみえるのが和尚様がいるところなの」
「うん。・・・・かなちゃん、嬉しそうね。和尚様が好きなの?」
「ええ、母さまの次に好きだったわ」
「だった?・・・・」
「今は和尚様は三番目!」
「?・・・」
「母様の次はお姉さんよ」
千賀子は手をつないで歩くかなを見る。
さっき初めてあったばかりなのに本当の妹のように思える。
1人娘だった千賀子は昔、母に妹が欲しいとだだをこねて困ったと
今も言われるほど寂しい想いをしてきたのだ。
だから、今この瞬間スキップしたくなるほど心がはずんでいる。
木々の間から二人に心地よい風が誘ってきて、本当に旅行にきて良かったと思う。
でも知らなかったのだ。これから千賀子の身にふりかかる常識外の出来事と
それによって普通の女の子には戻れなくなるのを・・・・・。
いきなりかなが走り出し、山門に入っていく。
「和尚様~~」
と大きな声が聞こえる。
千賀子も少し早足となって山門をくぐる。
境内から見るお寺はなるほど荒れてはいるが、
人の手が入り修理されている形跡があちらこちらに残っていた。
かなは本堂の縁に腰掛けて千賀子に向かって大きく手を振り呼んでいる。
「お姉さん~~、こっちよ~」
千賀子が本堂への木の階段を上がると、すぐにかなが歩み寄って手をつないでくる。
「和尚様、私のお姉さんよ」
とまるで本当の姉のように紹介するのだ。
見てみると本堂の影の中に枯れた感じの和尚が大きな徳利を目の前において
湯のみでグビグビと酒を飲んでいた。
こんな昼間からと思わぬでもないが、
普通のお坊さんではないと思うのは千賀子を見つめるその眼光の鋭さ・・・
でも不思議と恐さは感じられない。
靴を脱いで和尚のそばに座る。
いつのまにかその目は柔和なものに変わっていた。
和尚は湯のみを注げ!というように千賀子の目の前に差し出す。
千賀子は徳利をとりあげ、ゆっくりと注いでいく。
「うまいのう・・・・」
和尚は千賀子に酌をされた酒を飲むとポツリとそう言った。
不思議そうな目で二人を交互にみつめるかな、
子供ながらも二人の間に流れる一種の緊張感がわかるのであろう。
「お主、いい目をしている。そして、身体から溢れるその力。金色に光ってまぶしいくらいじゃ」
「私の力?」
「そう、金色の力じゃ。菩薩様の瑞光とよく似ておる」
「私自身、何も感じませんが・・・・」
「まだ覚醒していないのじゃろう。だがそれもそう長くはあるまい」
「ねえ、お姉さん。和尚様に早く千賀っていう人のことを聞いたら?」
とかながしびれをきらして言った。
「何!千賀だと!」
と和尚が声をあげる。
「どういうことじゃ」
と千賀子を見る。
千賀子はさきほど聞いた『千賀~』『千賀~』という声のことを
和尚に話した。
「ふ~む・・・お主はこの地に伝わる伝説は知っておるかのう」
「はい、先ほど旅館の女将さん・・・いえかなちゃんのお母様に聞いてある程度は・・・」
「そうか、では伝説の中の少女が『千賀』と言う名前だったことは知っておるかのう」
「えっ?いいえ。その少女は『千賀』という名前なのですか。でも、それは伝説なのでしょう」
「いや、あの話は本当にあったことじゃ。
その証拠に生き残った一族の長となるものは例外なく40歳になると死んでいくのじゃ。
この寺の裏には一族の墓もある」
「じゃあ、私が聞いたのは?」
「地に封印されている紅龍の声じゃ」
「どうして私に聞こえるのかしら」
「『千賀』という名前、お主も『千賀子』・・・・
どうも1字違いだが名前も同じじゃ。・・・ところでお主、どうしてこの地を旅の目的地に選んだ」
「えっ、どうしてって?・・ただ静かな温泉に行きたいなと思って・・・
偶然・・・・ということでは?」
「いいや・・・千賀じゃ、千賀がお主を呼び寄せたのじゃ。
もしかして、お主は千賀の生まれ変わりかも知れぬ」
「私が?・・・千賀さんの生まれかわり?」
和尚の言葉で・・・・・一瞬に心が『空』となる。そこに何かの強烈な力が流れこんできた。
そしてその力が千賀子の身体を動かしていく。まるであやつり人形のように・・・。
和尚とかなが見つめるなか、千賀子は立ち上がるとスベルように移動する。
その眼は『空』を見つめ、その体からは余分な力が抜け落ちまるで無我の境地にいるようだ。
慌ててかながあとを追おうとしたが和尚が押しとどめた。
生まれ出てきた力は千賀子を湖の見える崖にある岩の上に導いた。
岩に座り込んだ千賀子は、いつも持ち歩いている細長いポシェットから
家に古くから伝わる横笛を取り出す。
本堂から見ている二人には千賀子の背中しか見えず何をしているか
判らなかったが和尚の目には座禅しているように見える。
そのうち、笛の音が聞こえてきた。
するとこの寺の空気が一瞬に変わったのである。
清々しい空気を風が本堂の中にも運んでくる。
自然と佇まいを正す二人、初めて聞く旋律だがなぜか懐かしさに心が震えてくる。
その細胞一つ一つに語りかけてくるような・・・・。
木々のささやき、小鳥達もさえずりをやめて聞き入っているようだ。
・・・そして・・・・笛の音がやんだ。
ハッと我に返る千賀子、目から溢れる涙が頬を伝わって落ちる。
涙を拭こうともせず・・・いや自分が涙を流しているのさえ判っていない。
そんな様子をみて、かなが走り寄ってきた。
千賀子の右腕をその細い両の腕で抱きしめ、心配そうに千賀子の顔を見上げている。
途中で自分の状態に気づき
「いやだ・・・わたしったら・・・・」
といってポシェットからハンカチを取り出し流れ落ちる涙をふき取る。
だがそんな千賀子の涙を小さいながらも
「きれい・・・」
とかながいった。
そんなかなの声にやっと千賀子らしい笑顔で答える。
「ありがとう」
・・・・・・と。
再び、本堂に戻り二人が座るのを待って
「見事なものだのう。・・・・いや、お主の笛の音は・・・」
と和尚がいう。
「それにその笛も名笛じゃ」
「これは我家に伝わる『龍雅』という笛です」
「ほう・・・しかし、ようも若いお主がのう・・・」
「はい、いまでも祖母から幼い私とこの笛にまつわる不思議の話は聞かされております」
といったがその先は言おうともしないし聞こうともしなかった。
「・・・して先程のお主の涙はどうしたのじゃ」
「良くは覚えてはいません。でも気づいたときは私は私が吹く笛の音に乗ってあの湖の向こう、
あの草原にある小さな祠まで飛んでいったのです。
そして、祠の後ろにある洞窟に吸い込まれるように入っていきました。
洞穴の地下の真っ暗な闇は人を呪う空気が満ち溢れていました・・・でも」
「でも・・・?」
「はい、そんな空気も悲しさ苦しさのほんの一部でしかないと感じたのです」
「ふ~む、あの子龍は今だに千賀のことをのう」
とぐい呑みを畳の上におき、腕を組んだ。
「和尚様。私がこの地に来たのはやはり偶然ではありませんでした」
千賀子の言葉に和尚は『うん、うん』と頷く。
「私を導いてくださったのは菩薩様・・・・」
和尚は何も言わずに千賀子を見つめている。しかもその眼は慈愛に溢れていた。
「お主・・・・、やるのか・・・・・」
頷く千賀子に
「止めても止められぬ・・・か」
とぼそっとため息のような一言。
「そうさな、これは菩薩様に選ばれたお主しかやれぬからのう」
「はい。これは私が生まれてきた役目のひとつなのです」
「そうか・・・・だが、お主の力はまだ完全には覚醒しておらぬではないか」
「はい、今ははっきりと自分の力のことが判ります。でも、これ以上の力は欲しくはありません」
ときっぱりいってから湖にむかって座りなおして眼を閉じた。
その口からは『ぶつぶつ・・・』と微かな声でなにかを唱えだした。
白い額に玉のような汗が浮かび上がってきたとき、
どこから湧き出てきたのか真っ黒な雲が青空を一瞬にして覆い隠してしまった。
「きゃあ・・・」
と暗闇の中から叫び声が聞こえたのは大きな雷鳴とともに周囲が白い光を浴びた時だった。
その光の中、旅館の女将・・・かなの母、樋口蔦湖が本堂にかけ上がってきたのだ。
「母様!」
といって立ち上がって母を迎えるかな。
タイミングが良かったのか、バケツをひっくりかえしたような
豪雨が轟音とともに地面を打ちつけ瞬時に池のようになったのは
そんなかなを庇うように本堂の障子の後に座りこんだときだった。
千賀子はそんな周囲の様子を気づいているのか気づいていないのか
身じろぎひとつせず一心に何かを唱えている。
和尚は千賀子をみつめながら闇の中に何やら気配を感じ視線を移した。
「おおう・・・・」
和尚の口からそんな声が発せられたのは
『ギー・・・ガオウ・・・』
と腹の底に響く何か恐ろしげな声が空の彼方から聞こえてきた時だった。
女将は愛娘のかなと顔を見合わせながらも、
怖いもの見たさに障子から恐る恐る顔をだし、思わず息を呑む。
その眼に映ったのは・・・・・。
真っ暗な空に何やら蠢いているのだ。
そして、雷光に写しだされるのはこの世のものとは思えないもの・・・大きな一匹の龍だった。
光のせいなのか写真を反転したネガのような白黒の配色だったが、
時には雷光のせいでその身体の鱗が真っ赤に光輝いていた。
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「ひゃあ・・・あれ本物だわ」
空を飛び回る龍の姿をみて智子が叫ぶ。
あきあが作った異次元空間のような結界の中での騒ぎだ。
ちなみにこの空間をスタッフ達は『ステーション』と呼んでいた。
『ステーション』は結界によってつくられた外から見えない空間にあり、
カメラマン1名と助手2名が乗り込んでいた。
だが、瑞穂と智子が乗り込んだ『ステーション』は『メインステーション』と呼ばれ
『中央』からの指示を聞き取れる唯一の『ステーション』であり
計12ある各『ステーション』に『インカム』にて瑞穂が指示を伝えているのだ。
それと共に安全のチエックは怠らない。・・・撮影は順調に進んでいる。
各々の『ステーション』からの映像は『中央』にいる小野監督が
モニターをみてスイッチングにて切り替えて東京のテレビ局に送信している。
だから小野監督は気の休まる暇もない。
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「お・・和尚さま!・・・・あれは?・・・」
やっとの想いで女将が声を出す。
和尚も腹に力を入れて
「ふーむ・・・あれはこの湖に眠っていた母龍の緋龍じゃ」
「では、やはりあのお話は本当だったのですか?」
「そうじゃ」
和尚の返事に思わず息を呑み、そして再び空を見上げる。
あれほど降っていた雨もすっかりあがり、暗かった周囲も段々と明るさを取り戻していく。
龍は静かに舞い降りてきた。
そして尻尾は湖につけ、身体はやまの傾斜に横たえている。
そう、龍は崖から顔を出しこの本堂を睨んでいたのだ。
余りの恐ろしさに女将は我が子を強く抱きしめ、『ギュ』っと眼を閉じる。
その女将の耳に静かな口調の千賀子の声が聞こえてきた。
「緋龍様!あなたは紅龍様のこと、どこまでご存知なのですか?」
いきなりのそんな言葉に、響きわたる重々しい声で
『知らぬ!何故じゃ!何故、人の身で我が子にあのようなことをした』
何も知らぬ母龍は凄まじい怒りを発していた。
「ではお話しましょう」
と千賀子は龍の怒りを受け流して伝説に沿って・・・・
いや女将が知る伝説とはかなり異なっていたが、悲恋には変わりはない。
庄屋の息子に犯された千賀が湖に身を投げる話になると
『待て!人よ。我が子の想い人・・・千賀といったな、その名に間違いないか』
「はい、千賀さんに間違いありません」
「人の娘よ、ではお主の名はなんと申す」
「私の名前ですか?・・・私は千賀子と申します」
「ほう・・・・お主も千賀か・・・・先を続けよ」
母龍は何か考えているようだったが、龍の表情など読み取れるものではない。
母龍は千賀子の話にはもう口をはさもうとはせず、じっと聞いている。
「・・・・・・・・・というわけで、
天海僧正が怒り暴れる紅龍様を結界を張って地の奥に封印したわけです」
『そのあとは話さずとも良い。
天海僧正が紅龍を助けようとした私を封印して湖の底に眠らせた・・・・ということか』
「はい。・・・それ以来300年。
でも紅龍様の怒り、呪い、悲しみは収まるどころかその力はいっそう強くなっています。
千賀さんへの愛は哀しいほどにせつなく、人に対する呪いがよりいっそう強烈に
特に庄屋さんの血を継ぐものは40年しか命を長らえさせないほど、
呪い狂わせているのです。・・・・・・
緋龍様、このままではいけない・・・このままでは二人、千賀さんの魂も紅龍様も救われません。
紅龍様をあのような地獄から救い出すため緋龍様のお力をお貸しください」
『千賀子よ、お前自身の力であの子を救ってくれ!』
「龍神様を救う!私にそんな大それた力があるのでしょうか?」
「お前にしか出来ない。この地球に億という人間がいるがあの子を救えるのは
千賀の生まれ変わりである千賀子しかいないのだ」
「やはり私が千賀さんの生まれ変わり?」
『そうだ。それに千賀子には菩薩様の瑞光と同じ金色の力が備わっている。
その力であの子を苦しみの中から救い、この地に平安を取り戻して欲しい』
そして
『お前にこれを渡しておく』
というとなにか光るものが飛んできて千賀子の膝の上に落ちた。
その手の平の大きさの鏡のようなものを取り上げると
『それは私の鱗だが何かの役にたつ、持っていてほしい。それからもう一つ』
というとその口の中から赤く光る小さな珠がフワフワと飛んできて千賀子の目の前で留まっている。
「あっ、これは」
といってその珠に手を持っていくと、その手の平にふわっと乗った。
「緋龍様、これは人の魂ですね」
『よく判ったな。それは千賀の魂なのだ。私の湖に入水したとき
千賀の魂は天に帰らず、私の身体の中に留まってしまった。
私は千賀が我が子の想い人とは知らず今の今まで放っておいた』
千賀子は両手でその赤い珠を受け止め、
『フー』と息を吹きかけると、赤い珠は宙に浮き上がり
そして、再度ゆっくりと舞い降りてくる。
その赤い珠の外側に人型が浮き上がってきたのだ。
最初はボンヤリと段々その輪郭がわかるようになってきた。
赤い珠が心臓の位置に足が畳の上30cmぐらいでその現象も止まった。
その千賀が一生懸命千賀子に何かを伝えようと話しかけていたが、声が伝わってこない。
千賀子は自分の人差し指の先を噛み、プックリと血珠を出す。
それを口に含み霧状に千賀に吹きかけると、
最初微かな声だったが、段々と人の耳に聞こえる状態になった。
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「おい、あの千賀の声が拾えるか」
「ええ、大丈夫です。高感度のマイクですから」
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「お願いです。お願いです。紅龍様を!・・・・紅龍様を!お助けください!」
「千賀さん、あなた今の状態をご存知なのですか?」
「はい、私は母龍様の体内で300年、涙を流し続けてきました。
後悔して!後悔して!・・・・私、自分のことしか考えていなかった。
紅龍様の信頼を踏みにじったのです。
紅龍様の悲しみ、苦しみがこんなに深いものとは・・・・・馬鹿です!馬鹿です!
例えこの身が汚されても生きてさえいればこんなことにはならなかった。
お願いです。紅龍様を・・・・紅龍様を・・・・・」
「千賀さん、私はあなたの生まれ変わり・・・・」
「いえ、違います!千賀子様は私のような者の生まれ変わりではありません。
あなた様はもっと得の高いお方の生まれ変わりなのです。私にはわかってるんです」
千賀子はちらっと緋龍の顔を見たが、何も答える様子はない。
「千賀さん、私はこれから紅龍様の封印を解くために地中にまいります。あなたも来られますか?」
千賀の悲しみに彩られているその顔が一瞬にして喜びの色にかわる。
だがすぐにそれも曇ってしまった。
「紅龍様は私の声が聞こえない・・・いいえ届かないんです。今の私では駄目なんです」
「千賀さん!あなたの紅龍さんに対する愛情を見せてください。
貴女の魂が伝えられないのなら私が伝えます。
貴女の力が弱いのなら私が力添えします。
弱い心では紅龍様は救えません。さあ、私の中に入って!」
千賀の姿が赤い珠に変わり、千賀子の身体に入ってくる。
身体が光輝き、やがてそれも納まった。
母龍である緋龍がその様子を満足げに見てやがてその姿が消えるように
薄くなりやがて完全に見えなくなった。