第一部 第十三話
何か京都に事件があった日は太秦の撮影所にマスコミが多くあつまる。
そんなことが恒例になりそうだ。
「またあ?今日はどうしたのですか?」
「ええ、朝の新聞とテレビは見ました?」
「いいえ、それどころではなかったの。なにがあったのですか?」
「『般若童子』のことですよ」
「『般若童子』?なによそれ!」
「本当に知らないんですか?」
「本当に知らないわ!」
「今朝、放映されて大評判になっているんですよ」
「そのテレビと関連の新聞社がまたこれ第一面に『京都の守護者般若童子』
ってデカデカとトップニュースで載せていまして」
「全く寝耳に水とはこのことなんです」
「つまり『トップを抜かれた』ってこと?」
「いえ・・・それは・・・」
「じゃあ『ネタを抜かれた』?」
「いやだなあ、同じことですよ。それ」
「でも、どうして私を?」
「不思議なんです。上のほうからの命令なんです」
「上のほうから?・・・上って?」
「つまり、社の一番偉い人から・・・・」
「じゃあ社長じゃない・・・・どうして?」
「わからないんです。『日野あきあ』から眼を離すなって」
「私から目を離すなって?」
「つまりここにいるのは各社の『日野あきあ』の番記者なんです」
「これからあなたにピッタリ張り付きますのでよろしく」
と男女の記者から挨拶される。
「いやだなあ。まるで私が悪いことするみたい・・・」
「いえ、とんでもない。上のほうでついこの間あった女性連続殺人事件も
今回の事件もあなたが関連というか・・・・・日野あきあが解決したんじゃないかとみているんです」
「ええ~~、私が?」
「そうそう、あなたは天才女優だから、惚けられるとつい本当と思ってしまうが
絶対あなたが関係していると断言しているんです」
「でも、貴方方はそう思っていないんでしょ」
「わからないんです。こうしてあきあさんにお会いしていると
そんなこと出来る訳はないと思うんですが、
例の不思議な早代わりのことを思うと一方では出来るんだろうなと思ってしまうんです」
「あ~あ、じゃあこれから私の自由がなくなるってわけか」
「いえいえ、自由にしてくださっていいんですよ」
「それで、今日の記事のことなんだけど」
「やっぱり、あきあさんですか」
「何言ってるの。記事の内容も知らないのに・・・・」
と憤慨してみせる。慌てた記者がその内容を伝えた。
「小野監督!困っちゃった。」
スタジオに入ると早速監督にぐちる。
「ははは・・・仕方ないよ。事件が君に引き付けられるように飛び込んでくるんだから。
いくら君じゃないっていっても我々スタッフがいろいろ動いているんだから
可笑しいと思うのが普通だよ」
「私の番記者ですって」
「それも有名税だと思ってあきらめなさい。
それにあきあくんは例の・・・を使えばいくらでも記者達の目をくらませるんじゃないのか」
「それはそうですけれど。・・・・それで昨日のことは記者さん達に少し聞いたんですが・・・・・」
「おお、それそれ・・・あれから警察がきてあの古井戸を掘ったら
善太郎氏の遺体がそれも短刀共に出てきたよ。
君の推理通り、あの家に残っていた林の指紋がべったりさ」
「その下からは?」
「あったよ。はっきりとした鑑定は出ていないが死後約1000年らしいよ。
道満には間違いないな。・・・・どうする?」
「そのままでいいでしょう。頭蓋骨と違って蘇るってことはないんですから」
「じゃあ、今回の事件はここで幕引きだな」
「でも、あれはなんとかならなかったんですか?」
「あれって?」
「京都の守護者般若童子って」
「あはは・・・・いいじゃないか。これで少しは京都に貢献できるさ」
「というと?」
「般若童子のマスコット人形、饅頭、記念はがき・・・もう今から売り出そうとしているらしいよ」
「いやだなあ、あんなことするんじゃなかったわ」
そんなあきあを不思議な表情で眺めていたのが順子に車椅子を引かれた瑞穂だった。
「ねえ順子さん、沙希さん別人みたい」
「そうでしょ、沙希は撮影に入ると日野あきあという女優になっているの。
だから、ほら今髪を触ってたでしょ。沙希にはないけどあれがあきあのくせなの」
「えっ、演じている人にくせが?」
「だから、あの早乙女薫が言ってるの。沙希が演じると本物になるって」
「凄い!」
「あとで映画の中の日野あきあが演じる”陰陽師あきあ”を見ていてごらんなさい。
あのあきあには考えるときに爪を噛むくせがあるんだから」
「とにかくこれからの京都には『般若童子』が溢れ返るだろうな」
「でも、あんな面がよく用意してありましたね」
「ああ、顔を見せないようにと思って撮影所にあったのを持っていっただけさ」
と監督との話がつづいていたが
「さあ、撮影に入ろうか」
「はい、でもマスコミの記者さんたちが多いからスタジオ内は大丈夫かしら」
「ああ、心配はいらない。スタッフに見張らさせているから」
スタッフのOKの返事で恒例の結界を張る。
その目で初めてあきあが術を使うのを見る瑞穂は土御門家の陰陽道が
いかに廃れているのかまざまざと知ることになった。
「北の玄武、東の青龍、南の朱雀、西の白虎、これ四神相応の陣という」
結界の呪法をあげる。手刀を地面に刺し貫くと空間が揺れてそれが広がってスタジオを覆っていく。
「すいません、監督!」
とスタッフが一人の女性をひっぱて来た。
「この人がトイレに隠れていました」
と監督の前に連れていく。
「まさか、トイレの天井裏に隠れているなんて」
女性は衣服を埃と髪の毛にくもの巣を張りつけている。
女性はいきなりスタッフの手を噛んだ。
「いててて・・・」
その痛みに掴んでいた手を離してしまった。
女性は身を翻してドアのところに逃げていく。
ドアを開けようとしても1mmも動かない。
もうひとつのドアのところに行っても同じだ。
ガックリ膝をついてしまう。
あきあは
「杏奈さん」
と合図を送った。
杏奈が頷くと女性のところに行って立たせて膝や服についた埃を掃っている。
「監督!」といってあきあが小野監督に何かを囁くと、
「おおい!」
とスタッフ達を集めるとミーティングルームに入っていく。
あきあは不信そうな瑞穂に
「女性は女性同士よ」
といってニッコリ笑った。
杏奈は女性を連れて戻ってきた。これからどうされるのか不安そうだったが
性格なのか突っ張って頬を膨れさせている。
あきあはじっと女性を見つめていたがニッコリ笑って近づいていく。
女性はその笑顔にぎくっとしたが突然『ポオ~ッ』と頬を染めていくのだ。
「女性の友の記者さんで大原智子さんね」
どうしてわかったのかあきあがこうきりだした。
女性は『えっ』と言う顔になってあきあの顔を呆然とみている。
「鳴海京子さんの後輩だわね。京子さんは25歳だったから
その3つ下なのね。あっそうか、京子さんがフリーになったから
あなたが代わりに京都にきたのね」
「どうして、どうして・・・・そんなことまでわかるのですか?」
「京子さんに聞いてこなかったの?」
「ええ、日野あきあという人はとにかく不思議で、怖くて、可愛い人だって」
「その怖いって余計だわ、京子さんがきたら怒らなくっちゃ」
「ええ~・・・・私が言ったことは内緒にしてください」
「判ってるわよ。そんなこと」
「どうしてあなたのこと判ったのかは言わないわ。だって信じてくれっこないもの。
でも、それがわかってもあなたの心に秘めていてほしいの。
これ約束してくれたら私のそばにいてもいいわ。
それが出来なければ、ここから出て行って何もかも忘れることになるの」
「何もかも忘れる?」
「ええ、ここで起こったことは全て忘れてしまう」
「そんなことできっこない」
「そうねえ、そう思っていたらいいわ。でも、このスタジオを覆っている結界を
解いたときあなたから記憶がなくなっているの」
「結界?何を言ってるの?」
「じゃあ、そこの瑞穂さんに聞いてみなさい」
「瑞穂さん?」
といって車椅子の瑞穂を見る。
つかつかと寄ってきて
「ねえ、この人の言っていること本当?」
どういっていいかわからなかったので頷くだけにした。
「結界って?」
「陰陽師がおこなっている呪法です。この京都も安倍晴明によって結界に守られているそうです。
さきほどドアが開かなかったのも、このスタジオにあきあさんが結界を張ったからです」
ちょっと話過ぎたかなっと思ったが思わず口から出ていた。
「あんた何者?」
呪法とか結界とか話すこの車椅子の少女に俄然興味が湧いたのだ。
「私?私、土御門瑞穂といいます」
「土御門?・・・・あっ、あなたって今日新聞に出てた・・・」
返事をしないわけがいかなかったので
「はい」
とだけ返事をした。
「どうして貴女がここに・・・・・」
といってから何かに気づいたのか、あきあと瑞穂の顔を交互に見比べて
「まさか・・・・京都の守護者般若童子って・・・・」
とあきあの顔を見つめている。
あきあはニッコリ笑って、『シー』という唇に人差し指を一本縦にする
ジェスチャーをする。
「そんなあ・・・・」
といってから口をぱくぱくさせるだけだ。
撮影がはじまった。あきあは智子にはもう何もいわない。
「よし・・・あきあくん、いいぞ」
「では安倍晴明様のお屋敷です」
といってから印を結んで呪文を唱える。
空間が揺れ屋敷が現れた。何も手入れしていないのか
庭は草が生え放題だが花がきれいに咲いている。
「何よあれ・・・・」
驚く智子、実際目の前でこんなありえないことを見せられると
身体が自然と小刻みに震えだして止まらなくなる。瑞穂だってそうだ。
土御門家で術を使えないとはいえ陰陽道の名家である。
このあきあの術の凄さが普通の人よりわかるのだ。
「我式神。玉藻、葛葉、紅葉よ・・・・いでよ」
あきあの身体から小さい光る玉が現れて、喜ぶように飛び回り
消えたかと思うと十二単姿の3人があらわれた。
「あるじ殿、まかり出でました」
撮影を手伝わせるために呼び出したのだが二人の女性はもう驚きっぱなしだ。
式神の3人は屋敷をみて
「おお、嬉や。ここは晴明様の屋敷」
といって入っていく。
中ではカメラや照明をセットするスタッフが右往左往していた。
そこに安倍晴明役の飛龍高志が烏帽子に公達姿で現れた。
記者発表のときは異質な感じがしていたが、一条戻り橋の時、
そして今と段々晴明と見間違わんほどになっていく。さすが実力派の役者であった。
式神たちも
「おお晴明様・・・」
と声をだして喜んでいる。
撮影が始まった。カメラテストを繰り返すうち
始めはぎこちなかった式神たちも段々なれてきた。
最初のシーンのあきあは男の身体だから、あきあと瓜二つの式神を出演させる。
例のごとく半紙を折って人型をつくって呼び出すあきあの式神。
「ねえ、あれって・・・・」
「あれは式神というの」
順子が説明する。
「陰陽師あきあが男から女の身体をも持つ男女両性有になるシーンなのよ」
段々と乳房が膨らむシーン、玉藻が晴明に男から女の身体をもったことを話す。
そして、変化が終わったあとの撮影はあきあが出演するのだ。
目覚めを迎えるあきあ、そして陰陽師として弟子入りを果たす・・・そこまでのシーンだ。
撮影が終わると玉藻、葛葉、紅葉が寄ってきて
「あるじ殿、おもしろき一日でした。又かような役目がありましたらいつでも言ってくださいませ」
といってあきあの身体の中に消えていった。
「ようし、あきあくん。いいぞ」
その声で晴明の屋敷が消えもとのスタジオになる。結界も消した。
もう自由に出入りできるのに智子が逃げ出す様子もない。
順子に代わり瑞穂の車椅子を押しているのだ。
「あら、智子さん。もう帰ってもいいのよ」
「いいえ、こうなったらとことん日野あきあって人を研究するの」
「いいんじゃないの」
と順子は平気な顔をしている。
家につくと留守番で残っていたひづるが飛び出してきた。
薫もママ達の用事で残っていたから顔を出す。共に有名人である。
目をぱちくりしながら見ている智子。
「沙希姉さん、そのお姉さんは?」
「大原智子さんっていってね。京子さんの後輩なの」
「あら、京子姉さんなら来てるわよ」
と呼びに家に飛び込んでいく。
「沙希ちゃん、どうだった?」
「もう大変!私の番記者まで出来て智子さんまで懐に飛び込んでくるし・・・」
「あら・・・私・・・」
「いいのよ。後でみんなに紹介するから」
とニコニコ笑っている。その笑顔でまいってしまう。
「あら、智子」
「京子さん!」
「どうやらあなたも日野あきあにまいってしまった口ね」
「ええ、とことんつきあいたくなったの」
「いいんじゃない。あきあは隠し事しないから懐に飛び込んでしまえば
毎日が驚くことの連続であきっこないわよ」
「京子さん!それって私、馬鹿みたいじゃない」
「ある意味ではね。でもその他は私にとって天女様よ」
「ひどい言われ方。でも私天女ではないわよ。みんなに可愛がられているただの我儘娘よ」
「言ってなさい」
「だって、皆私のすること見ていてくれるだけ」
「その実みんなはらはらしているのよ。・・・・聞いたわよ。
蘆屋道満って蘇った悪い陰陽師をやっつけるため、
女人禁制の比叡山奥院まで押しかけていって荒っぽい武者僧とやりあったって」
「酷い言われ方!でも女人禁制っていわれたって、私・・・・」
「ストップ!そんな話題こんな場所で大声でするもんじゃないわ。
それに井上先生が早く孫の顔が見たいって首を長くしてまってるわよ」
「あっ、いけない」
といって急いで家に入っていく。
「本当にあの子ったら・・・・」
「そこがいいんじゃない」
と順子
「でも、京都へきてからはらはらしっぱなしよ」
これは薫。
「沙希姉さんってママみたいなとこもあるし、
私の妹みたいに可愛いって思ってしまうこともあるのよ」
「不思議!いろんな面が次々でてくるから・・・・」
「あきないっていうでしょ。静姉さん」
と律子。
「でも私ったら、いつのまにかあきあ・・・いえ、家では沙希ちゃんね。
姉みたいな口を聞いてしまって」
と京子。
「いいのよ、それで。今まで肉親の情っでものが薄かったのだから、
もっともっと可愛がってあげなくちゃ」
「ママって甘い。沙希は最近少しつけあがってるわよ。
いつも心配ばかりさせるくせに、事件を解決してからしか内容を話してくれないもの。
もっと姉達に相談してほしいわ」
と最近出番の少ない理沙。
「マアマア、理沙ちゃん。膨れない膨れない・・・」
「でも本当、沙希さんって不思議な方・・・・」
「方って・・・・瑞穂ちゃん。貴女のほうが年上なんでしょ」
「ええ、それなら。沙希は妹なのよ。もっと遠慮のない話し方をしなくっちゃあ。
例えば、瑞穂だから、瑞姉と呼ばせるのよ」
「えっ、いいんですか。私一人っ子だったから姉妹が欲しくって」
「なにいってるの。貴女はママの娘の一人ですよ」
というママの言葉に涙ぐむ瑞穂。
「あのう、瑞穂様。澪先生がお呼びです。
『帰ってきたなら、早くリハビリをするように』といわれてます」
「あっ、いけない。志保さん、澪先生怒ってはりますか」
「大丈夫ですよ。今までお師匠様の診察をされていましたから」
「よかった」
といって自ら車椅子を降りソロソロと玄関を上がっていく。
みんな思わず手を出したいのだが、そんなところを澪にみられたら
どんなに怒られるのかわからない。
室内用の車椅子に乗り換えると、高弟の山野葉志保が押していく。
いつも黙ってにこにこ笑っているだけの松島奈美、わからない人だ。
みんな稽古場に入っていく。
きちっとした姿勢で、着物に着替えた沙希を見つめている祖母の井上貞子。
高弟達に混じって今日お稽古に来ている芸妓や舞妓さん。
菊野屋の芸妓や舞妓の姿もある。
「じゃあ、小沙希ちゃん。昨日のおさらいどす」
「はい、よろしゅうお願いします」
といって両手をつき頭をさげる。
「みんなも、よくみときなはれ。これが舞どす」
「はい」
と芸妓、舞妓の大きな返事。
舞を舞う沙希は、日野あきあでもなければ早瀬沙希でもない。
祖母が大好きな小沙希となって真剣に舞を舞う。
「これが舞どす」
「へえ、小沙希ちゃん。ありがとうどすえ」
みんなの言葉にニッコリと笑うのだ。
「じゃあ、真理はん。小沙希ちゃん。お願いどす」
「はい」
といって真理がお琴、小沙希が横笛を取り出す。
早瀬の老婆たちに教えてもらった昔から伝えられてきた数少ない曲を
気に入った祖母が毎日順番に二人に演奏してもらっているのだ。
そして、京都にいる間だけでもといってこの後真理が芸妓や舞妓達にお琴を教えている。
教え方がいいせいかどの妓も上達が早く、井上貞子師匠や置屋の女将たちに喜ばれている。
こんな様子を初めてみた智子は京子に
「みんな凄い人ばかりだけど、本当に仲がいいのね」
「そうよ、みんな沙希ちゃんのおかげなの。
あの子によってここまで大勢の女達があつまり、どんなに癒され
どんなに励まされているのかわからないわ」
「なんかうらやましい」
「何いってるの、智子ももう家族なのよ。あなたも私同様、天涯孤独の身ここにいたらいいわ」
「でも・・・・」
「いいのよ、智子さん。あの子ってね。不思議に家族運のない人や
不幸を背負ってきた人を引き付けてくるのよ。
だから、ここにいるのは皆あなたと同じ境遇なの」
静香の言葉になんだか不思議な安らぎが。
「花世ちゃん、おかあちゃん元気どすか?」
「へえ、小沙希さん姉さんのおかげどす」
「来てくれはったらいいんえ」
「おかあちゃん、小沙希さん姉さんの邪魔にだけはならへんって」
「なにいってはるの。花世ちゃん、おかあちゃん怒っといて。
それに、今晩こなかったらおしかけるって」
「えっ?今晩きてくれはるの?」
「へえ、菊奴さん姉さんにお線香もあげたいし」
「うわあ・・・おかあちゃん、喜ぶえ」
と花世が飛び上がって喜んでいる。
菊野屋にとって小沙希は特別の人なのだ。
「そうそう」
と芸妓の花江がいった。
「今、この京都で大評判になってる人いるんどすえ」
「大評判って?」
「へえ、ほら般若童子様どすえ」
「うち、こんなの買いました」
といって小さな般若面をかぶった人形をとりだす。
「えっ、もうこんなの売ってるの?」
と思わず標準語になってしまう。
「今、このお人形、お守りみたいになってるんどす」
「そんなに・・・・評判に?・・・・」
とつい声をひそめてしまう。
「へえ、それはそれは大評判。お寺はんや京都の旦那衆で懸賞を出して
般若童子様の正体を見つけようとしてはるそうどすえ」
「困ったわ」
「どうして、小沙希ちゃんが困るんどす?」
さっきから反応がおかしい小沙希をみつめている花世。
「あっ」
勘のいい花世が気づいてしまった。
「京都の守護者般若童子様って小沙希さん姉さん!」
「えっ、小沙希ちゃんが?」
「みんな、内緒どすえ」
と黙っているように懇願する小沙希。
驚きながら頷く菊野屋の芸妓や舞妓達。良く考えれば
あんなこと出来るのは小沙希しかできるはずはなかったのだ。
でも花世が強硬に発言する。
「また危ないことしたんどすか。おかあちゃん、そんなことばかりする
小沙希さん姉さんのこと心配で心配で、毎日お百度踏んでいるんどす」
「ごめんなさい」
と頭を下げるばかりの小沙希。こんなに心配してくれる人がいることを考えてはいなかった。
「約束しておくれやす。もう二度と危ないことをしないと」
「へえ」
こうして年下の花世に叱られている小沙希をみつめている周囲の女性達、
よくぞいってくれたと花世に拍手をおくっているのだ。
「ほんまどすえ」
「ほんまどす・・・でも事件が向こうから飛び込んできたら?」
「いけまへん。逃げるのも勇気どす。
小沙希さん姉さんは飛び込んでから考えるから怖うて怖うて・・・何かあったらどうするんどす。
今夜きたら、おかあちゃんから説教どす」
「ごめん、それだけはかんべんえ」
情けなそうに泣き声をあげる小沙希。
誰も小沙希をかばうものはいない。日頃思っていることだから・・・。
でも、瑞穂と智子はこんな沙希に親近感をもった。凄い才能と人が持ち得ない力、
そんなものを持つと人は変ってしまうだろう。だが沙希は違った。
あくまでも可愛い女の子なのだ。偉ぶらずに普通の女の子をしている沙希。
年下にも怒られながら素直にあやまっている。
こんな子を好きになるのはしかたがない。そう自分にいいきかす。
「でも、沙希って男でもあるのよね」
「えっ?」
思わぬ言葉。
「あら、あなた知らなかった?公然の秘密なのよ」
「ニュースソースとしては出ていないから、当然といえば当然よね」
と律子。
沙希のことを良く知る律子から詳しくは知らない瑞穂と全く知らない智子は
男時代からのことを聞くことになった。
虐げられた幼年時代自殺までしようとしたことを聞かされると
胸が締め付けられるように痛くなった。
女になってほっとする二人。女を愛す女。不思議だが納得し身体が熱くなっていく。
「私もこの話をすると身体の芯から熱いものが溢れてくるのよ」
といって律子が笑う。
★
やはり般若童子のことは京都の町に活気を取り戻すほど大評判になっていた。
面映いのは沙希だった。リハビリのおかげですっかり歩けるようになった瑞穂と
最近くっつき虫のように沙希から離れない智子と
例によって沙希に影のように寄り添っている杏奈の四人、清水寺へと散策にきていた。
京都での撮影はもう終わりあとは東北の蔵王でのロケを残すだけになっていたから、
京都観光をしようと三人をさそってつい近い清水寺にやってきたのだ。
なぜこの三人かというと律子とひづる、順子と薫はテレビドラマ出演のため
東京へ帰っている。
(律子はひづるの家庭教師でもあるが今はマネージャーも兼ねていた。)
残っているのはママの真理と松島奈美だけだった。
さすがに京都、修学旅行生が多い。とくに女性の観光客が多いのは
京都の特徴だった。
「ねえ、あの人。沢口靖子じゃない?」
「本当。でもどこか違うんじゃない?」
「サインもらおうか」
なんていう声が聞こえてくる。
道の両端に並ぶお土産物屋にはどこでも般若童子の人形がぶら下がっており
沙希は見ないように歩いていく。
「あのう、すいません。サインしてください」
と二人の女子高生がどこで買ったか色紙を持ってやってきた。
急いでさらさらと書いて渡すと
「やっぱり!日野あきあさん」
と女子高生。
「あら、私を沢口靖子さんと間違えていたの?」
「いいえ、でもどちらかなと思って」
と正直に答えた女子高生。
「ねえ、あの人日野あきあだって」
と立ち止まって『ひそひそ』と友人同士。
「沙希、急ごう」
と智子がいそがせるが
「おう、あきあ殿ではないか」
大きな声に振り向くと
「あっ、天鏡さん!どうしてこちらに?」
「お上人さまのお使いでな」
「お上人さまはご健勝でしょうか?」
「ああ、健在じゃ。いつもあきあ殿のことばかりいわれておる。
又、あの笛の音が聞きたいといわれてな。
おおう、そうじゃ。今夜にでも来てはくださらぬか」
「でも女人禁制の奥院。とてもとても」
「何をいわれる。あの深夜にあきあ殿お一人で
荒っぽいのが評判の比叡山に殴りこみをかけてこられたではござらぬか」
「しーっ、殴りこみとはお言葉が悪いですわ・・・」
「あははは・・・・とにかく、今夜お待ちしていますぞ。
急ぎますのでこれにて失礼!」
といって急ぎ足で人ごみの中に消えていった。
「沙希!あんた比叡山に殴りこみをかけたの?」
「それってうちの土御門のせいなんでしょ」
と瑞穂。
「いやだなあ、智姉に瑞姉。そんな目で見ないでよ。
天鏡さんが大げさに言っただけよ」
「そんなことないわよ。私何もかも知っているもんね」
「またあ・・・杏姉もそんなこという・・・・」
「どんなことをしたの?正直にいいなさい」
「えっ・・・ええ~~・・・・」
「早く!」
「ちょっと天鏡さん達武者僧さんとやりあっただけ・・・でもちょっとだけよ」
といそいで付け加える。
「ええ~、あの武者僧と?だってあの人達修行僧の中でも荒っぽいので有名なのよ」
「もう、みんな心配するの当たり前ね。そんな無茶苦茶ばかりしてるのだから」
「そう思うでしょ」
「ごめんなさい・・・・」
と上目使いに三人を見ている。
その様子が可笑しいと『ぷ~』とつい噴出してしまう。
「もうかなわないわね。沙希には・・・」
と二人は杏奈のようにもう姉の気分になっている。
沙希と親身に話しているとどうしても皆同じように感じてしまうから不思議だ。
「杏奈が沙希のことどう思っているのか充分に理解できるわ」
4人は話ながらも清水の舞台から景色を楽しんでいた。
もう瑞穂にも智子にも沙希に対する遠慮はない。
「ねえ、あの人。・・・・あの人・・・・」
「撮影中じゃないかな」
とカメラを探しているカップルもいる。
どうしても目がいってしまう沙希だったが、三人ともそれなりに目立つ存在なので
撮影中の女優達と間違っているらしい。
日野あきあとして本当のデビューを飾ったわけでもないので
本当に知っている人はまだ少ない。
「もう出てきなさいよ。・・・そこにいるのは判っているんだから」
というと、柱の影からぞろぞろ出てくるのは
カメラや手帳をもった番記者達だ。
「そんなにぞろぞろと後をついてこられたら、京都観光している気分じゃあないわ」
「いつから判ってたのですか」
「最初からよ」
すっかり女優日野あきあになっている。
「もう、京都での撮影は終わったんでしょ」
「ええ、あとは東北でのロケだけ、それが終わるとテレビの特別番組だから」
「ああ、それそれテレビの方は完全取材シャットアウトになってますけど・・・」
「そうらしいわね」
「そうらしいって?でもどうして?」
「知らないわよ。そこに同じ会社の記者さんもいるじゃない。その人に聞いたら?」
「冗談ではないですよ。我々新聞社もどうしてかテレビ局にシャットアウトされているんです。
もう今から出入り禁止なんですからね。
友人もいるんですが、一言も話してくれないんですよ。
その上・・・その上ですよテレビ局の中でも番組を制作する部は
もうどこに行っているのか行方不明・・・家族にも内緒らしいです。
家族には社長から出張のことをいっているので変な誤解はないそうですが」
「へえ~、そんなに厳重なの。そうすると私達も映画が終わると
どこかへ連れていかれるのね。何か少し怖い・・・」
いけしゃあしゃあと答える沙希・・・・いや日野あきあの女優ぶりに
杏奈と瑞穂、智子はほれぼれとせざるをえない。
律子がひづるのドラマ出演のため撮影には同行できないため、
早乙女薫事務所の新入りマネージャーとなった土御門瑞穂が同行するのだ。
無論、杏奈の同行は外せない。
同行する三人は、昨日できたテレビ特別番組の台本を見て、
わくわくするやらどきどきするやら史上に残る番組になると実感する。
大原智子もテレビ局スタッフとして社内報に掲載する製作裏側のルポを
担当することになった。これはあきあをよく知る人物しか担当できない。
始めは鳴海京子が予定されていたが、本の原稿が遅れているため
同行取材が出来なくなったからだ。
社内報はこんな厳重な番組制作をせざるをえなかったことを
終了後に家族、他の部署の製作者、又組合に納得させる意味があった。
明日が東北へロケに出発という夜、井上貞子宅ではささやかだが豪勢な別れの宴が開かれた。
東京からかけつけた沙希の叔母や姉妹達、ひづるもドラマの合間をぬってかけつけていた。
寂しそうな祖母だが、隣家や地下3階の最新医療施設やリハビリ施設又、
里から汲み上げてきた温泉が24時間楽しめるのもそう遠くはない。
そこで働く若い女性達も里からやってくるのだ。
ママの真理や医療施設の院長となる澪、そして琴乃、千佳の二人の看護師長。
全て女性達が占める。
祇園の一角にこんな施設があるなどとは誰も思いはしないだろう。
そのうち菊野屋の女将や芸妓達みたいに他の置屋の女達にも
秘密の施設として開放していくことになる。
「小沙希ちゃん。寂しゅうなるけど澪先生たちがいやはるから
あんたのことが身近に感じられるんどす」
「お婆ちゃま、時間があったらすぐかえってくるさかい、元気にまってておくれやす」
今日は祖母の好きな舞妓姿で菊野屋の皆と盛り上げているのだ。
女将も真理や操と一緒に皆の世話をしている。高弟達も今日はお客として接待しているのだ。
「おかあちゃん、おかあちゃんも座っていたらいいのに」
「なにをいわはるんどす。今日はあんたの門出どす。
その席におかあちゃんがどんと座っていられますかいな」
「そうよ、沙希ちゃん。それが親心なのよ」
と真理までが女将を応援している。
その後、菊野屋の舞妓達と『祇園小唄』を踊ったり、横笛を吹いたりと
皆を楽しませていたが、その小沙希がふらっと外に出て行く。
皆も知らない振りをしていたが、黒いパンツに着替えて比叡山にいくのだ。
「天鏡殿・・・・天鏡殿・・・・」
「おお・・・・その声はあきあ殿」
「お上人様は、もうおやすみになっていられるのでは」
「あははは・・・、あきあ殿のこられるのを首を長くしてまっておられるわ」
と扉が開いてお上人が出てきた。
「お上人さま、遅くなって申し訳ありませぬ」
「何をいわれる、せっかくの別れの宴を中断させこちらこそ申し訳がない。
だがおぬしの横笛をしばらく聞けぬと思うともう我慢ができぬ。
年寄りの我儘だと思って許してくだされ」
と申し訳なさそうに話されると恐縮するあきあであった。
しばらくの別れだとおもうと月を見ながら岩に腰をおろして吹く横笛に
さらに情感がこめられあきあにとって二度とないような演奏になった。
比叡山に吹く風も清涼感が溢れ、邪鬼など一度に消滅するような強烈さがあった。
横笛の響きが終わってもしばらくは誰も動くものはいなかった。
無骨者の集まりの武者僧達にも今あきあがおこなった演奏には
沙希の想いが十二分に込められているのを肌で知ったからだ。
「おうおう・・・・、凄い調べを聞かせてもらった。何万編のお経よりも
この調べ1つで世の穢れなど消してしまい、迷う魂も成仏するに違いない。
いいものを聞かせてもらった。ほんに・・・ほんに・・・」
といって数珠を鳴らしてあきあを拝む。
こうして比叡山での別れを済ませて一人山を下りていく。
★★
これが同じ日本かと思うほどの京都とこの東北の蔵王の景色の違い、
その中でいよいよ明日から撮影が始まる。
宿泊するロッジの支配人に聞くとこの地方には『雪女伝説』があるという。
雪女郎と雪夜叉、共通するのは子供に対する哀しい思い、
今から陰陽師あきあとして役に没頭していけそうな思いがする。
薫もこのロッジに入ってからは、あきあと顔を合わそうとはせず一人役作りに入っている。
世話をする順子にしても腫れ物を触るように接している。
マネージャーとして初めての瑞穂はこの緊張感ある雰囲気に胃が痛む思いだ。
でもそんな瑞穂にあきあは
「瑞姉、そんな青い顔して・・・・もっと楽にしてようよ」
とアドバイスする。
智子は映画には関係していないので楽だったが、プロの女優の役に対する思いが
少しはつかめた気がする。
小野監督やスタッフ達はそんなことにもう慣れているので自然に接している。
ロッジでのミーティングは微に入り細に入り行なわれた。
映画の最後の締めくくりをいい形で迎えようとするためだ。
これからおこなわれる撮影はこの映画を左右する。
もとはといえばこの二人の対決がこの映画を製作するきっかけになったのだ。
撮影は順調に行なわれた。心配だったのは天候だったが
それまで吹雪いていたのが嘘のようにおさまり
雪夜叉を取り巻く腕自慢の男達を一撃に倒す場面からはじまったのだが
天候はまるであきあが術で操作しいるがごとく撮影にあわせて変化していく。
でも今回は多くのマスコミが見ている前での撮影なので術は使えない。
雪の中で雪夜叉にその身を押さえつけられ、そして胸元を開けられたあきあ・・・
白い雪のような肌にこんもりと盛り上がった少女の乳房・・・・・・
撮影を見ている者たちのとってどきっとしてしまう光景だったが
いやらしさは全く感じられず、男として女になっての不思議な乙女の恥ずかしさが
『ポッ』と赤く染まった白い肌によく表現されていた。
雪夜叉はその白い肌から急に匂い始めた昔の自分の香りを思い出し、
少女をいたぶる手を緩めてしまう。
そして、少女の首にかかる古びたお守り・・・・時間が止まってしまう瞬間だ!
「止めろ!・・・・これに触るな!・・・・お前みたいな妖かしに・・・・」
思いもかけない少女の強い力ではじきとばされてしまう雪夜叉・・・・・。
もう立ち上がる気力もなく少女を万感の思いで見つめるだけ・・・
人ではなく妖かしとなったその身の上・・・あるのは後悔だけ・・・・
手にかけてきた男や子供達の復讐なのか・・・
撮影は順調に行なわれていく。
初めてみるこのシーンに演技とわかっていても母と子の哀しい定めに
胸を締め付けられ、自分の身と重ね合わせている瑞穂は
シーンの撮影が終わる毎にあきあに走りよって冷え切ったと思われる
肌を防寒衣で覆うのだった。
でも不思議なことにあきあの身体はこの寒さだというのにポカポカと温かい、
かえって自分の手のほうが手袋をはめているのにも関わらず
あきあの肌にふれるごとにとビクっさせてしまうのだ。
「瑞姉、手が冷たいわよ。もっと暖めなくっちゃ、風邪ひいちゃうよ」
とかえって心配させている。
あきあの素肌からラベンダーの香りがこの寒さの中で段々と強く匂ってくるので
瑞穂とその横で見ている智子にしても
何だか胸がどきどきしてきて思わず抱きついてしまいそうなある感情が芽生えてきていた。
撮影が全て終わり、打ち上げも終了した後、
久しぶりに薫の部屋で過ごす沙希、順子、杏奈、瑞穂、智子達の6人。
「ねえ、うまいこといくかしら」
と杏奈。
「いかさなきゃあ駄目よ」
「だって、このロッジも隣もみんなマスコミで一杯なんでしょ」
「ええ、だから面白いんじゃない。朝起きたらみんないなくなってたなんてね」
「小野監督さん達は?」
「映画が終わったので、京都で編集にとりかかるってもう帰ったわ」
「ええ~」
「というのはマスコミに対するフェイントで途中から戻って
あの湖のある村に直行しているはずよ」
と智子。小野監督との連絡を全て取り仕切っているのが彼女だ。
いわば智子もマスコミの一員。だからその行動は良くわかっているのだ。
「スタッフの人は?」
「彼らは一人一人ばらばらで現地に向かっているはずだわ。
だって彼らをマークするマスコミなんていないもの」
「うふふ・・・」
「どうしたのよ、瑞穂ちゃん」
「効果さんの若いスタッフの人たちナンパした女子大生達と
この上のスキー場にスキーに行くってもう出発したわよ」
「まあ、やらしい。男ってすぐそうなるのだから」
と順子がいうと
「順子さん慌てないで。ナンパって嘘。アルバイトでやとった彼女達をだしにして、
スキーで現地に向かうって」
「まあ・・・・」
「だって彼ら達、どう見たってナンパなんて成功するはずないもの」
「うわあ、瑞穂ちゃんもいうわね」
「だって、薫姉さんのお仕込みですから」
「こいつ」
と薫に頭を小突かれる瑞穂。
「もう共演者の人たちも現地に行っているし、
さっき律子さんからもひづるちゃんと旅館についたって連絡があったわ」
智子の言葉に
「さて、後は私たちだけよねえ」
「沙希、何かいい考えがあるの?」
「ええ・・・・あっ、きたきた」
といってソファーから飛び降りいそいでドアを開ける。
「記者さん達に気づかれなかった?」
「ええ、支配人さんから言われてそっときましたから。
で、どのような御用ですか?」
「あのね、私達映画の撮影が終わってほっとしたところなの。
だから、後は休暇を楽しもうって思ってるんだけど
マスコミの記者さん達が目を光らせていて自由にならないのよ」
「女優さんて大変なんですねえ」
「今日、最終列車で北海道に渡って誰の目も届かないところで
休暇を楽しもうって思ってるの。だから、お願い!
私達がここから抜け出すのを手伝って!」
と沙希が手を合わせて頼むのだから、誰もいやとはいえなくなる。
「どうすればいいのですか?」
「ええ、別に特別なことする必要はないの。この部屋で6人でパーティを開いて
騒いでほしいだけなの」
「えっ、パーティ?」
「そうよ。もう食べ物や飲み物は注文してあるからもうすぐ届くはず。
でもパーティといってもあまりはしたない真似はやめてね」
といってニッコリ笑う。ぽっと頬を染める6人。
「いいんですか?この部屋でパーティをしても」
「いいわよ。明日の朝までの料金やパーティの支払いも終わっているから。
だからってこの部屋をかたづけるのは貴女達ですからね。ほどほどにね」
こんな企みにマスコミは誰一人気づかず、朝遅くに6人が消えていることを知り、
慌ててこの地域一帯を捜しまわる記者達、
だがもう6人はそんなところにはいなかった。
★★★
山合いに隠れた湖・・・母湖=母龍の緋龍が住むという。
子湖=子龍の紅龍が住む・・・・しかし、実際母湖の湖畔に立ってみると
そんなに大きな湖とは思えない。こんな湖に龍がいるのか?
そして、天海僧正が埋め立て封印したといわれる子湖の上には
古ぼけた社がたっているだけだ。不思議なことに草一本生えていない。
まさに今埋め立てられたといわれてもいいぐらい時代が感じられないのだ。
沙希はその上に立ち、山から吹き降ろされる風に髪の毛をなびかせている。
「沙希ちゃん、どうなの?」
「ええ、哀しい声と人間に対する激しい怒りしか聞こえてこないの」
「人間に対する激しい怒り?」
「ええ、何か少し聞いていた話と違うの」
「話が違うって?」
「ええ、ちがが・・・ちがが・・・・って言ってるの。ちがって人の名前みたい。『千賀』かしら?」
「詳しくは判らないの?」
と杏奈が沙希の顔を見ながら聞く。
沙希の顔が少し青白くなっていたからだ。
「沙希、少し顔が青いわ。どこか悪いの?」
「ここに立っていると私の生命エネルギーが少しずつ吸われていくみたい・・・」
「大変じゃない。早くここを離れましょ」
薫がいうのを
「薫さんのいう通りよ。それに木村プロデューサーの実家にいってみれば
何かわかるんじゃないの」
5人に言われて歩きだしたが、何か後ろ髪を引かれる思いだった。
この村に1軒ある旅館は小野監督やスタッフで満員になり
沙希たち女優陣は木村プロデューサーの実家に泊まる事になった。
さすが古くから伝わる家で部屋も多いうえ広いので
女性達は大喜びだった。その上、温泉も引かれており最近改装したとかで
トイレなんかもきれいになっていた。
木村プロデューサーは仕事の打ち合わせなどがあり小野監督が泊まる旅館に
一緒に泊まるのだが、沙希達が着いたときはちょうど居合わせていた。
「あっ、木村さん。ちょうどよかった。少し聞きたいんだけど」
と先ず薫が話し出す。
「今、ここに来る途中に湖によってきたんだけど、沙希ちゃんの顔色青いでしょ。
何か生命エネルギーを吸い取られるって言ってるの」
「何?生命エネルギー?・・・そうか、それで・・・・
いやなに、こんな村にも旅館があるくらいだから観光客がくるんだが
ときどきあの子湖のあとで女性が気分が悪くなって倒れることが少なくないんだ。
不思議なのは女性だけで男は一人もいない」
「あのう・・・木村さん。ちがってご存知ですか?」
「ちが?・・・なんだいそれ」
「子龍が哀しい声でそう言ってるの」
「子龍が?・・・そうか、君には聞こえるのか」
「ええ・・・・ちがってたとえば名前だとか・・・」
「名前?・・・俺は知らない。お袋に聞いてみようか」
と立ち上がって奥へ入っていった。
しばらくして小柄な木村とそっくりな顔の母親がでてきた。
「まあまあ、有名な女優さんがこんなボロ家に・・・・・・。
まあまあ、おまえは・・・お部屋にお通しせんと・・・・さあさあどうぞ」
と奥へ案内しだした。
「ああ、しまった。玄関先で・・・・まあ、部屋でゆっくり話そう」
とみんなの荷物をもって母親の後をついていく。
「律姉にひづるちゃん・・・・圧絵さんまで・・・早かったのねえ」
大広間にいた3人とは久しぶりの再会となった。
各部屋に行くのは後にするとして、気になっていたことを先に聞く。
「ちが?・・・、はて・・・・・?・・・・う~ん、どこかで聞いたような」
と母親が考えている様子にじりじりと時間がたっていく。
その時、お寺の鐘が『ご~ん』と鳴り響いてきた。
『はっ』と顔をあげた母親。
「そうだ、そうだ・・・・昨年、お寺の倉庫の片付けと古い書類の虫干しを
したときに古文書に書かれていた名前だったわ。
あまり達筆で読めなかったけど、和尚さんが研究してみると言ってたわ」
「その和尚さんは?」
「ほれ、今鐘をついていますじゃ」
との母親の言葉にすぐ沙希が立ち上がった。
「私行って来る」
「まあまあ、今日はお疲れでしょうからゆっくりされて・・・・」
という母親の言葉も聞こえないかのように大広間をでていく。
あきれかえる母親に
「じゃあ私も」
といって立ち上がる女性陣。
「俺が案内してくるから」
と木村プロデューサーも女性達を追いかける。
「東京のお人はお忙しいことじゃ」
という母親の言葉は誰の耳にも届いてはいない。
お寺は少し山をあがった丘の上にあった。鬱蒼とした木々の間から
母湖がくっきりとみえる。あの湖の下に龍が眠っているなんて信じられない
静かな景色だった。
「ほう、東京からわざわざ・・・・えっ、母龍の頼みで子龍を助けにじゃと?
それをテレビ番組にするじゃと・・・なんとバチあたりめが・・・」
といって怒って立ち去ろうとした。
「和尚様、ちが・・・・・・ちがって人のこと教えてください」
その沙希の声で、いきなり和尚の足が止まってしまった。
くるっと振り向くと驚愕の目で沙希をみつめる。
「どうしてそれを・・・」
「子龍の紅龍様がちが・・・・ちがって叫んでいました。
まるで紅龍様自身が『ちが』って人を追い求めているように・・・・・」
「本当か・・・・本当に子龍の声が聞こえるのか」
和尚の声に頷く沙希。その見詰め合う視線はまるで真剣勝負の剣士みたいに鋭い。
「まいったわい。おぬしのその目、嘘をついている目じゃない」
とふっと力を抜いた。そして沙希の前にどんとあぐらをかいた。
「これ、お前」
とひづるを指差し
「そこの般若湯をとってくれ」
という。
「お前?・・・・」
といわれ何か言い返そうとしたひづるに律子が慌ててとめる。
『ぷ~』と膨れながら般若湯を和尚の前に『ドン』と置く。
コップを沙希の目の前に差し出す和尚、注げというのか
溢れんばかりの酒に目を細めながら口を持っていって啜るように呑み、
そして、一気に口の中へ。
「おぬしは・・・・」
「すいませぬ。不調法で・・・」
「気の毒に。人生を半分損をしているのう」
と言ってから、再び鋭い目で
「おぬし、一体何者だ」
「わたしは普通の女優ですが」
「いや、そうではあるまい。おぬしから不思議な力を感じる。
それに子龍の声を聞けるとはただの人間ではあるまい」
「沙希ちゃん。この和尚さんただのうわばみじゃあないわ。
私は沙希ちゃんのこと全て話してもいいと思う。
そら、沙希ちゃんのお友達になった比叡山の奥の院のお上人様や
武者僧の天鏡さんと同じだと思うわ」
「何!比叡山の奥の院の上人だと?・・・蓬栄のことか」
「えっ?和尚様はお上人様のことご存知なんですか?」
「おう、そうじゃ。わしはあの男と修行しあった仲なのじゃ。
だが、堅物でのう。それに天鏡じゃと?あの泣き虫小坊主か・・・」
「和尚様、この沙希ちゃんって一人で女人禁制のあのお山に殴りこみをかけたんですよ」
「殴りこみ?」
と驚いた顔で沙希を見つめる。
「いえ、その前の日に殺人事件の被害者の女性達の遺体を見つけるのに比叡山の結界を破ったんです。そして、そこにいる土御門瑞穂ちゃんの家の事件で
再び沙希ちゃんが比叡山の結界を張るためにいったときに
天鏡さんたち武者僧とやりあったんです」
と両手の人指し指でちゃんばらのジェスチャー。
和尚は目を丸くして聞いている。沙希も黙ったままだ。
「ええ~、比叡山の結界を破ってから再び張りなおした?」
「土御門家?」
今度は瑞穂の顔を見る。
「ほう、安倍晴明の直弟子じゃと?京都の結界をも新しく張りなおした?
映画のロケで地獄の鬼を呼び出した?・・・・・」
と薫の話す今までの出来事に反応する和尚。
そして、やっと出てきた母龍との約束。
「ほう、母親の緋龍と約束を果たすために来たのか」
頷く沙希に感心したように言葉を添える。
「お前は『ちが』と同じ血が流れているのかもしれないなあ」
としみじみとつぶやいた。
「ちがとはこう書く」
と縁側の板の上に酒で『千賀』と書いた。
「あの古文書に書かれてあったのは、千賀は行き倒れになった巡礼の子じゃった
そうな。千賀を哀れに思った村人達は仕事の報酬に食べ物を与えた。
着るものは、いらなくなった女達の着物を・・・、寝るところは誰もいなくなった
納屋に住まわせた。
そして成長した千賀の美しさは近隣の若者を惑わせ狂わせていったのじゃ。
だが、それは千賀の知ることではない。千賀は仕事以外口を聞かなくなった。
というのも長ずるにしたがって、自分に人とは違う力があることに気が付いたのだ。
その力というのは人にあらざるものと会話が出来ること。
あるときは風であったり、木であったり、蔦であったり、・・・・そして、蛇や犬であったりした」
と和尚の話が続いていく。
・・・・・・
あるとき、千賀は自分を見つめる少女に気がついた。少女は千賀の視線を感じると
姿を消してしまう。それも『フッ』と目の前で消えてしまうのだ。
千賀は悟っていた。少女は人ではない。・・・無口ではあるがどうしても
少女と話したくなった千賀はある日、少女の手をつかむことに成功した。
そして思いっきり引っ張ると少女が千賀の胸の中に倒れこんできたのだ。
少女からの甘い香りと赤い唇が千賀の心を狂わせてしまった。
少女の唇を思いっきり吸い込んだのである。
それからの記憶は定かではない。ただ干草の上で裸になった二人が
固く抱き合っていたのである。
それからの二人は密やかな逢瀬を楽しんでいた。
だが、それも村人に知られることとなった。
村の実力者の息子が最近の千賀の行動を怪しんで見張っていたのだ。
二人の睦言も見たり聞いたりした。女同士のこんな行為は当時、
こんな田舎の村ではおぞましいものと忌み嫌われていたのだ。
それどころではない、若者の目に飛び込んできたのが
千賀と抱き合う少女の背中にびっしりと現れた龍のうろこであった。
若者は少女の正体をネタに千賀を脅かし凌塾した。乙女の証の血を流しながら
千賀は穢れてしまった我が身を呪い、少女への謝罪と絶望を胸にかかえながら
母竜の住む母湖に身を投げて死んでしまった。
紅竜は千賀の死を哀しみ、その復讐を遂げるために村に災いを起こしたのである。
あとは伝説通りである。災いを無くすため天海僧正に子竜を封印し湖を埋めたのである。
千賀を凌塾した若者が木村プロデューサーの祖先であるのは間違いはない。
『ふ~』と木村プロデューサーが吐息を吐いた。
「祖先の悪い因果が子孫の俺まで祟っているのか」
哀しげにいう。
「でも、何とかしないとお母さんの龍との約束を果たせないんでしょ」
「ええ、でもあの千賀さんを呼ぶ紅龍の声が忘れられないの。
しかも人間をとても憎んでいるのよ」
といっていつも持っている『緋龍丸』を取り出した。
何だか、やりきれなくなって吹かずにはいられない心境だったから・・・・
母湖と埋められてしまった子湖を見下ろすこの山の上から
我心が届けとばかりに横笛の調べが風にのる。
聞いている女性達は・・・いや、和尚も木村プロデューサーも
沙希の心がびんびん身体に響いてきた。
女性達の眼からは涙が溢れ・・・この笛の音が届けとばかりに
山上から吹き降ろす風も強くなっていった。
笛の調べが薄く消えていった。
「なんと!・・・・何と見事な・・・・」
和尚が驚いた声を出した。
「穢れが消えていきおった」
「お粗末な笛で申し訳ありません」
沙希は本当にそう思っているのだ
「沙希・・・といわれたな。おぬしをあの女人禁制の比叡山に
黙って迎えておるのはもっともじゃ。
おぬしにはあの阿修羅のような強さと菩薩様のような優しさがある。
その笛は退魔の笛じゃ。その笛をそのように見事に吹ける人間はおぬししかおるまい。
今日は良い日じゃ。母龍の願い、おぬしだったらかなえられるじゃろう。
沙希よ千賀になれ、千賀の弱い心を捨てた強い千賀になれ。
そして、子龍の紅龍を救うのじゃ」
といってから、自分で手枕をし『ゴーゴー』といびきをかいて寝てしまった。