表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
11/41

第一部 第十一話


今日は朝からいよいよ太秦の撮影所において本格的な撮影が始まる。

カーナビとモバイルについては夕べ飛鳥叔母、京、泉と静香、順子が

沙希の部屋に集まって打ち合わせをおこなった。

警察庁より発注されたモバイルについてはメーカーを選定しなければならないので

社長と幹部達にまかせることになった。

警察が使用する機械なので変な会社とセキュリティーがしっかりしていない会社には

まかせておけない。

会社が決まれば沙希が出向いて打ち合わせうをするのだ。

事務所の順子と城田も会社の静香も同行することになった。


CDについては警察向けと一般向けとに分けられ、警察向けには試作品と同様、

特殊な内容が含まれる。

飛鳥叔母と京、泉はいつまでも東京をあけることができず、これから帰京することになった。

静香も今の報告をもって飛鳥叔母達と帰っていく。

「沙希ちゃん、がんばってね」

「ええ」

「沙希、いい映画期待してるわよ」

京と泉だ。

「寂しくなるけど・・・・」

「いいえ、静姉。これから騒がしくなっちゃう。だって飛鳥叔母様が

いると猫のようにおとなしいのにいなくなると、とたんに喧嘩だもん」

「ああ、あの二人。・・・ガツンといってやればいいのよ。ガツンとね」

と京と泉。

「でも、面白いもの」


「そんなこといってるから、図にのるのよ。あの二人」

「でもあの二人、沙希のこと大好きだからいうこと聞くかもね」

とけらけら笑っている。

「これ、あんた達。沙希ちゃんをけしかけるんじゃありません」

と日和子も笑いながらいうもんだから、自らけしかけているようなものだ。


こうして、4人は帰っていった。

沙希と杏奈と、律子とひづるの同室は変わらない、

そして、薫、澪、圧絵、順子は一人部屋だ。


朝食を軽く最上階のレストランでとってから迎えにきたロケバスに乗り込んだ。

「あら、澪もくるの?」

「あたりまえよ。わたしゃ沙希ちゃんの主治医ですもの」

「何が沙希ちゃんの主治医ですよ~だ」

「ふん、うらやましんだ。薫姉さんは」

「何がうらやましいのよ」


沙希の隣に座るひづるの身体が震えている。

「くくく・・・・」

口をおさえて笑いをこらえているのだ。

心配そうにヤタさんの人形が『ぽんぽん』とひづるを軽く叩いている。

「ヤタさん、いいのよ心配しなくても・・・」

とやさしく人形をなでる。


通路を隔てた隣の順子の顔が怖くひきつりだした。

「ひづるちゃん、順子さんの雷がもうすぐおちそうよ」

「ええ、わかってる。さっきから、すごく怖い顔になってきているの」

横目で順子を観察していたらしい。


でも順子の怒りが爆発する前にロケバスが撮影所についてしまった。

「ひづるちゃん、今日の撮影は?」

「今日はないと思うんだけど、・・・あきあ姉さんもないんでしょ」

「ええ、でも・・・・」

「あっ、そうか・・・例のね」


例の・・という言葉が昨夜の試写からこの小野組の隠語となった。

『術』という直札的な言葉を止めよう、言い出したのはテレビ局の大下社長だった。

そして、共演者の全員が出番が有っても無かっても顔を出している。


他の仕事を全てキャンセルにしてしまった飛龍高志なんかは

「だって、こんな心臓が飛び出ちゃうような撮影一瞬だって見逃せないよ」

マネージャーも同行していたので二人して言葉を合わせてキャンセルにしたらしい。


新劇の大御所幸田朱尾にしても付き人ともどもあきあの大ファンとなり、

あきあの術に一喜一憂しているのである。

他の脇役陣も食べるためにいろんな仕事をしているので抜けることもあり

そんな時は仲間達を困らすぐらい細かいところまで話を聞くという。


今日も撮影がないのに撮影所入りしたあきあに視線が集中する。

出番がある薫がメイクが終わりスタジオ入りをしてきた。

スタジオには何もないということは・・・・例の・・・という言葉が飛び交った。


山賊達、赤ん坊を抱いた薫、そして父親これだけが今日の出演者全員だった。


カメラテストが始まる前に、監督とあきあ、そして舞台監督の北条が何やら綿密に相談している。

今日の出演者、出番の無い共演者、スタッフ、そして昨日よりの

スポンサー各社とテレビ局関係者が固唾を飲んで見守っていた。


「ようし、今から例の・・・・が始まる。全員スタジオ入りしてるか確認しろ!」

しばらくして

「全員います~」

「例の・・・が始まるとスタジオの出入りができないからな。

もう一度だけ確認!」


「間違いありません」

という声に監督が

「あきあくん、頼む」

「はい」

と答えたあきあの今日の衣装は薄いクリーム色のパンツスーツだ。


「では、このスタジオに結界を張ります」

といって宙に五芒星を描き

「北の玄武、東の青龍、南の朱雀、西の白虎、これを四神相応の陣という」

という結界の呪文を唱えはじめ、右手の手刀で地面を刺した。空間がゆがみ広がっていく。


「これで結界を張り終えました。ではこれから物語の始めとなる雪の深山をスタジオに再現します。

なおこれは実物の風景と舞台監督の北条さんの絵を融合したものですから

同じ風景はないと思われます。寒くなりますので、皆さん防寒の用意を・・・・」

前もって言われたことなのでみんな防寒衣を着る。


あきあの術はまたもや奇跡のような舞台を出現させた。

スタジオの現代の建物は全て消え、一面の雪の中に全員が立っているのに気づく。

雪を口にする女性スタッフ

「これ、本物だわ」

「はい、この景色の全てのものが本物です」

「あきあくん、雪を降らせてくれないか」

「はい」

雪が降り出す。急に激しい吹雪となった。

「待った待った。止めてくれ」

「はい」

あきあは天候をも自由自在に扱った。


「凄い!素晴らしい・・・・これほどものだとは思わなかった」

大下社長はあきあの秘術に感嘆の声をあげる。


「もっとゆるやかに・・・・そうそうだ。いい・・いい・・・」

「監督!イメージとおりです。これでいきましょう」

「じゃあ、カメラテスト!」


こうして撮影がはじまった。

赤ん坊を懐に勘当をゆるされて京へ帰る若夫婦。

喜びで寒さもものとせず足どりが軽い。

しかしなかなか監督のOKが出ない。撮影となれば妥協しない小野監督だ。

今のところ雪の降り方が悪い。とか谷ぞこへ落ちる赤ん坊の表情が悪いなど

出演者の演技より天候や本当の赤ん坊を谷ぞこに落とすわけがいかないので式を使っての撮影だ。


薫なんて本物の赤ん坊よりこの式の赤ん坊のほうが気に入ってしまって

撮影の合間も抱いてばかりいた。この式、薫に気に入られ様と

「あばあば」

と可愛く笑い薫の胸をもみじのような手でつかんでいる。

「やだあ、この赤ちゃん。私の胸にタッチするのよ。う~ん、だめでちゅよ」

なんて赤ちゃん言葉で騒いでいる。

ひづるも薫のそばで抱かせてもらおうと必死だ。抱くとこれまた赤ちゃん言葉であやしている。

おかげで人形に入っているヤタさんが拗ねて拗ねて呼んでも出てこようとはしない。


あきあはあちこちからの指示で飛び回り、背景を変えたり、天候を変えたり

「自分で出演しているほうが楽だわ」

とディレクターチェアーに腰を下ろすと足を投げ出した。なるほど額に汗をかいている。


「あきあ、風邪引いちゃうわ。はい、タオル」

と杏奈に渡されたタオルで汗を拭いている。

「ねえ、寒くないの?」

という順子の声で周囲を見回すと皆厚い防寒衣をきながらも震えている。


「あきあくん」

「はあい!」

と跳んでいく。ひょいひょいと雪の上を進んでいく。

なるほどこれでは汗もかくはずだ。寒がっているひまもない。

「あきあさ~ん」谷ぞこのほうでも呼ぶ声が・・・・・。


今日のもっとも大切な撮影・・・赤ん坊を谷ぞこに落とされ悲嘆、絶望から

夜叉に変化していく薫の女優生命をかけての撮影がはじまった。

あきあの式を使っての撮影を断り、自分のいままで培ってきた

女優として才能を100%発揮する演技をしようとしていた。

ただ、身体での表現は出来るが衣装と髪の毛の変化だけはできないのであきあの術だけが頼りになる。


本番がはじまった。

「ああ~~坊や~~・・・・・・」

目の前で赤ん坊を谷ぞこに落とされた母親を山賊たちが襲い掛かる。

悲嘆の果ては絶望が・・・呆然と山賊のなすがままに・・・

しかし、男の手が着物の懐に手を入れて乳房に触れようとした瞬間、

母親は絶望の果てに憎しみが襲いかかってきた・・・

気が狂うような憎しみの果てに人ではなくなったのだ。

女は憎しみの果て夜叉になる。

「ぐうう~~~ぎゃううう~~~」

雪の上での変化・・・・四つんばいになった母親は苦しげに肉体の変化に

耐えて唸り声をあげる。結われていた髪がはずれ黒髪が白髪に

若女房の着物が真っ白な着物へと変わっていく。


立ち上がったのはもう人ではなかった。

人の欲望がまた一人の人間を鬼に変えたのだ。雪夜叉の誕生である。

山賊達はあっというまに命を絶たれた。

真っ赤に染まった雪夜叉の着物も雪も降り積もる雪によって

跡形もなくなくなり、雪夜叉の姿も雪の中に消えていった。


「カット」

監督の声が雪の中に響きわたった。

「おおい、みんなあつまれ」

この雪の中に散っていたスタッフ達が全て集まり、撮影済みのテープをみていく。

雪夜叉の姿の薫も監督の後ろでみている。


ひづるがあきあに

「薫姉さんって、本当に素晴らしい。あの変化の瞬間の表情みていてぞっとしたわ。

澪先生との喧嘩の姿から全然想像なんてできない」

と余計なことをつけたして薫から頭をこづかれていた。


「よし、OK! 今日の撮影はこれで終了。あきあくん頼む」

「はい」

といって術をとくとあの広い雪の景色はなくなり、せまいスタジオに戻っていた。

「では結界を解きますから」

とすべての術をとき撮影所内での初日の撮影が無事におわった。


こうして京都での撮影が進んでいき、ひづるの撮影も全て順調に終了した。

ひづるはあきあに花束をもらい涙を流したが、

律子があきあに付き添っているため、ひづるも一緒に付き添うことになった。

というのは表向きで泣き叫びだだをこねた結果だった。


「もう、今回だけだよ」

という順子の言葉にくすっと笑ってピースをする。

「やったな」

という順子。どうやら薫に対しては強い順子だがひづるには甘いようだ。


撮影の終わった大空圧絵にしてもついてきたそうにしていたが自分の体力のこともあり、

一度東京に帰って事務所に顔出しをすることになった。

あのテレビの特別番組出演までの間、里に帰っての休養も考えているようだ。


明日からは本格的にあきあの撮影が始まる。


                     ★


京の一条戻り橋、この世とあの世を結ぶ入り口、ここが撮影現場となる。

昼間のうちはスタジオで平安京を出現させ父母を求めて彷徨い歩くシーンを撮り

そして夕暮れ近くになって、実際の一条戻り橋にて安倍晴明との出会いを撮影することになった。

というのは晴明の屋敷、つまり晴明神社が近くにありこの間訪れたとき

この一条戻り橋から異様な雰囲気を感じたからである。

景色は術で再現できるが、この異様な雰囲気までは再現はできない。


小野監督にいうと街中の撮影は警察の許可が必要なのだそうだ。

許可はなかなかでないという。

一応プロデューサーに警察に行ってもらうが・・・という返事だった。

その京都府警に行ったプロデューサーがあっけにとられたような顔をして

戻ってきたのは1時間を過ぎていた。


プロデューサーの話によると、撮影の内容をいうとすぐに署長室に通され

署長直々に撮影許可書を渡されたという。

そして、

「これは京都を守っていただいたお礼です。いろんなところで出ていた

結界のひずみからの怪奇現象による殺人や行方不明事件が

晴明神社での結界の再生からピタッと止みました。

怪奇な犯罪は警察がとても解決できるものではありません。

京都の結界のことは京都の人間にとって大事なものであり常識として信じられているものです」

といってから握手を求められ

「日野あきあさんに対する我々京都人の感謝のお礼です」

と許可書を渡されたという。

「撮影場所を前もっていってくだされば、警察が警備しますので

よろしくお伝えください」

といわれましたと監督に報告した。


「ほう・・・・それは、それは」

と嬉しそうにいってあきあ達を呼び

「街中での撮影がOKになったよ」

と報告した。全てあきあによることは誰もが認めることなのだ。


夕暮れの一条戻り橋、やはりあきあに妙な感じをいだかせていた。

報告がいったので京都府警交通課の警察官たちが警備をしてくれていた。

何事が始まるのかと集まっていた野次馬達、

先行していたスタッフ達が集まるなかロケバスが到着し、

1台からは烏帽子に公達姿の安倍晴明役の飛龍高志が降り立った。野次馬の中から

「きゃあ、あれ飛龍高志じゃない。高志!こっちむいて・・・」

と嬌声がとぶ。


もう1台のロケバスからは平安期の女の子の格好だがその衣装は薄汚れている。

「なによ、あの子・・・汚い衣装で」

髪もボサボサなのでこの少女の顔がよく見えない。

ディレクターチェアーに座った少女にメイクがはじまるとやっと顔が判ったらしく

「きゃあ、沢口靖子よ・・」

「違うわよ。あれ、飛龍高志の演じる安倍晴明でしょ。

だということは、あの子はほら・・今騒がれている日野あきあよ」

「えっ、嘘。違うわよ、沢口靖子よ」

と口喧嘩を始める始末だった。


だが、

「おおい、あきあ。準備はいいかあ」

という監督の声で

「ね、そうでしょ」

と女性の声。

だが、まだ納得出来ないようだ。


「ようし、カメリハOK」

「用意、スタート」

とカチンコが鳴ると

重い足取りで橋の向こうから歩いてくる。

ときどき足をよろつかせているのは足の疲れだけではないようだ。

『ぐぐー』となるお腹の音、橋の手前までくるともういけない

少女は橋の欄干に座りこんでしまう。

そして、目の前が霞んでいきとうとう少女は気を失ってしまった。


そこに通りかかった一人の公達、橋の欄干にもたれかけ死んだように眠る少女。

その少女から何かを感じたのか、『ふ~む』といってたちどまる。

少女に手をかざし

「不思議な力を秘めておるのう・・・」

といってから印を結ぶと橋の下から大入道が現れて少女を抱き上げた。

「わたしの屋敷にな」

と指示をだす。大入道は少女をかかえて橋の向こうに姿を消す。

ゆっくりとあたりを見ながら公達も橋の向こうに消えていく。

あまり台詞のない場面だが、二人が出会う印象的なシーンとなるため撮影は慎重に進められた。


カメリハは2回行なわれ、本番となった。

野次馬達が不思議におもったのは大入道の存在だった。

着ぐるみとおもっていた野次馬達だったが待ち時間にも、何も脱ぐ気配がない。

ただ、あの子役の天城ひづるが『きゃっきゃ』といって

大入道と手をつないだり抱いてもらったりしているのが印象に残る。


実は飛龍高志が呪文をかけてだしたとされる式の大入道は

前もってあきあが呼び出していたものだった。

あきあの式に対しては怖がりもせず相手ができるのはひづるのみだ。


こうして本番も無事に終え、スタッフ達が片付けをしているときにあの現象がおこった。

あきあの背中を叩く者がいたのだ。

振り返ってみても誰もいない。

もしやと思って街路樹の葉を一枚とって術をかけた。

それで目をこすると、

冷気の中舞妓姿の霊体や亡者達がうろうろとこの一条戻り橋の上に漂っていたのだ。

あきあの背中を叩く者は舞妓姿の少女だった。

少女は悲しそうな目であきあを見ていた。

「あなた、どうしたの?」

少女は何か話し掛けているが声が聞こえてこない。


「何もきこえないわ」

といってもう一枚街路樹の葉を取り術をかける。それを少女にもたせた。


「ええ~」

と言う声。

あきあの様子が変なのでロケバスから降りてきた薫、

彼女はあきあに付いてきていたが野次馬に騒がれるのがいやでロケバスから撮影風景をみていたのだ。


「何よそれ、葉っぱが浮いてるわ」

「もう薫姉さん、静かにして・・・」

といって薫の目を葉でこする。


「ええ~」一段と大きな声をあげたが

野次馬は飛龍高志からサインをねだるのに必死で誰も気がついていない。

薫の身体が震えている。

「薫姉さん、どうしたの?」

とそばに寄って来た杏奈が聞いても震えるだけで何もいわない。

「あきあ姉さん、その舞妓さん誰なの?」

「ひづるちゃん、見えるの?」

「えっ、みえるって?」

「ふ~ん、やはり純粋な子供達には見えるのね」

「といことは・・・・・」

と顔がこわばってくる。

「別に怖いことないのわ。この舞妓さん、私に何か訴えたいのよ」

「だって・・・」

「ひづるちゃん、どういうことなの?」

と澪と律子と順子も聞いてくる。

いきなり薫があきあの手に持っているあの葉っぱをとりあげて澪達の目にこすりつけた。

「あっ」

といって呆然とする三人。

さすがに澪だけは平然と・・・・いや、その足が『ガタガタ』と震えている。


「ねえ、あなた。もう話せるはずよ。あなたのお名前は?」

『菊奴』

「菊奴さんていうの。どうして死んでしまったの?」

『うち、誰や知らん人にいきなり薬かがされて車につれこまれてしもうたんどす。

その後のことは覚えておへん。気が付いたらここに立っとったんどす』

「だったら、自分の力で」

とようやく落ち着いてきた杏奈が聞く


『いえ、うちここから1歩も動かれまへん。

こうして立ってるだけで1日が過ぎてしまうんどす』

「じゃあ亡くなってからずっと?」

『はい、動かれるんやったら、うち飛んで帰りたい』

「わかったわ、今調べてあげる」

といって両手の人指し指と親指を合わせて菊奴を覗きながら

「アブラ・ウンケン・ソワカ」と3度繰り返した。


「わかったわ、貴女はここで3回殺されているの。

1回目は真田の忍者として、2回目は京都所司代の役人として

3回目は勤皇の志士として新撰組に切られて死んでいるの。過去の因縁がここにあるからなのよ」

『どうしたら?』

泣きそうな声で尋ねてくる。


「じゃあ、過去の因縁を切ってあげる」

と街路樹の葉を再び取り手の平にのせて『フッ』と息を吹きかけると

葉が飛び菊奴の足元に突き刺さった。

『プチ』と言う音が皆に聞こえたように思えた。


『あっ』という声で菊奴の身体が地面より離れ、

移動ができる他の幽体と同じように身体が横にながれた。


『うわあ、嬉しおす。動けるようになりました』

「でもあなた、これからどうするつもり?」

『へえ、まずはお母ちゃんの無事な顔見とうおす』

「それから?」

『うちの身体を捜します』

「どうやって?」

『へえ、・・・・どうしましょ」

再び泣きそうな顔になる。


「菊奴さん、あなたわかってるの?」

『何がどす?』

「ああ、やっぱりわかってないのね」

『何がいいたいのどす?』

「あのねえ、死んで49日までに自分の身体を見つけないと

無限地獄に行ってしまうの」

『ひえ~、無限地獄!そんなの嫌どす。うち嫌どす』

とうとう泣き出してしまった。


「あきあ!無限地獄って?」

と杏奈が聞いてくる。

「杏姉!無限地獄ってね。この世で私利私欲にはしったり、人を騙したり

人を殺したり・・・・そして、自分で自分を殺すつまり自殺をした人があの世で地獄に落ちるの。

血の池地獄、針の山や、いろんな地獄がまってるわ

痛みの中でまた切り刻まれたりするけど何度も何度も生き返ってそれこそ無限に繰り返されるの」


『そんなの・・・そんなの・・・うち、いやどす』

「いやだっていっても因縁を切ってしまった以上いかざるをえないのよ」

「あきあ姉さん、何とかならないの?」

幽霊は怖いけどすぐ泣いてしまうようなこの菊奴の幽霊にひづるはつい肩入れしてしまった。


「そうねえ、一番肝心なことだけど、あなたが死んだのはいつ?」

『はあ、うちが死んだの?・・・・わからしません・・だって気がついたらここにいてましたから』

「しようがないわね、大体の日にちを掴むには菊奴さんのお宅に行くのが一番ね」


この様子をようやく気づいた監督やスタッフ達。

「どうした」

という声に薫は黙ってあの葉っぱで監督の目をこする。


「うわっ」

と声を上げる監督。

集まってきたスタッフ共演者達に薫から葉っぱを取り上げ順番に目をこするように指示をする。

この頃には野次馬も去り、スタッフ達の警備だけで機材も全て運び終わっていたので

ロケがあったとはもう気づくものはいない。

どうも最近スタッフ達の恐怖に対する感覚が麻痺しているようで

霊魂たちにもカメラを向けている強のものもいた。


「ねえ、この人。薬で眠らされて殺されたらしいの。

だから自分の身体がどこにあるのか判らないんだって」

「薬で眠らされて殺された~」

『へえ、お座敷からの帰りに八坂はんにお参りに行ったんどす。

そこからの帰りにうち、車で襲われてしまいました』

「どんな車だったんだい」

『そんなのわからしまへん、いきなりうちの横を車が止まったと思ったら

黒いマスクをした人にいきなり口と鼻を押さえられまして気が遠なったんどす・・・・

あっ、車は黒いワゴン車どした。

ドアが横に開けられて全身真っ黒の人がうちを襲ってきたんどす』


「ふ~ん、一人じゃないな。二人か三人かもっと人数がいることもある」

「ええ、そうおもいます・・・そして」

「そして?」

「計画的な犯行」

『いやや、うち狙われていたんどすか?』

「そういう可能性があるわよ。もう一つは女の子を襲う目的としたレイプ犯」

レイプ犯ときいて順子も律子も表情が固くなる。


「あのう、監督。お願いがあります」

「判ってる。この人の身体を捜すから明日の撮影を休ませろ。ということだろ」

「はい、あとは徹夜でのなんでもしますから・・・お願いします」

「いいだろう、そのかわり明日1日だけだよ」

「はい、それともうひとつ。レイプ犯ならもっと大勢の女性が被害にあってるかもしれません。

そういう噂と行方不明の女性のいたら調べてほしいのです」

「君の例の・・・では?」

「陰陽師は神ではありません。データーが少なすぎます。例の・・は使えません」

「いいだろう、こちらもスタッフ全員をことにあたらせる。

とにかく明日1日が勝負だからがんばってくれたまえ」

小野監督の激がとぶ。


「菊奴さん、あなたの家族は?」

『へえ、祇園でけっこう有名な置屋どす。

でもおかあちゃん、うちが死んだこと知りはらへん。どないしょう」

とまた泣き出してしまう。


                     ★★


もうすっかり暗くなった頃

幽霊の菊奴に案内されるという変な設定だが、菊奴の母が経営する置屋についた。

『ここどす』

「じゃあ、入るわよ」

と引き戸をあけると

「こんばんわ。ごめんください」

「は~い」

と出てきたのはまだひづると年がまだそんなに離れていない少女だった。


『この子、花世ちゃんといいます』

「すいません。この置屋の女将さんおられますか」

花世は入ってきた女性達を見て

「あっ」

といって立ち止まってから

「お母ちゃん・・・・」

といって呼びに戻っていってしまった。

『またあ、行儀の悪い!うちがあれだけ教えたのに』

と菊奴は怒っている。

「まあまあ、これだけの顔ぶれがそろえばしかたないわよ」

と薫がなぐさめる。


「花世!またあんたは・・・」

と怒りながら出てきた置屋の女将、背が小柄だが菊奴にそっくりだった。

「あらまあ、これはこれは・・・・・」

といいながらもこんな有名人がなぜ?という顔をする。


「おかみさんに菊奴さんのことでお話を聞きにきました」

「えっ、あの子のこと?」

と顔の表情が変る。


「よろしいでしょうか?」

と重ねていうと

はっと気づいたように

「あっ、これは・・・どうぞこちらに」

と奥の部屋に案内される。

みると、階段に若い女の子たちが顔を覗かせている。

「やだあ・・・素敵」

「あの子が日野あきあだって」

とこそこそはなし声が聞こえてくる。


「これあんた達、もうお座敷にいく時間どすえ。早く用意なさい」

と階段近くまで行って大声で叱っている。

「きゃあ」

といって駆け上がる舞妓と芸妓達。


「すんまへん。うるそうて・・・」

「いえいえ」

とニッコリ笑うあきあ。

あっというまにこの少女の笑顔に引き込まれていく女将。


「単刀直入にお伺いします。菊奴さんが居なくなったのはいつですか?」

「へえ、もう一月以上にもなりますが」

「すいません、詳しい日付がわかりますか?」

女将が日にちをいうと

「大変だわ!すぐに殺されたとして明日が49日だわ・・・」

あきあのいう言葉に

「ころ・・・殺されたあ?・・・ちょ・・ちょっとあんたはん、

いくら有名な方かも知れまへんけれど、いきなりうちにきてそんな縁起でもないこと・・・・

さあさ・・・帰っておくんなはれ、・・・帰って!」

と完全に怒ってしまい、最後には大声でどなられる。


その声で再び階段から女達が様子を伺っている。

菊奴は母親の隣で悲しそうに座っていた。

「女将さん、ごめんなさい」

といって強硬手段に訴えた。女将の目を葉でこすったのだ。

「あっ、何をするんや」

怒りが爆発する。

「あんたたち!!」

といってふっと見ると、我娘が悲しそうに座っているではないか

女将は身体をのけぞらせ

「ひ~・・・あんたは菊ちゃん・・・」

『おかあちゃん、ごめんね。うち、また親不孝してしもた・・・』

「あんたは・・・・あんたは・・・」

どっと腰を落として菊奴に触れようとするが

もとより生きた人間と魂・・・通り抜けてしまい娘に触れられない。

その現実が母親を哀しみのどん底に落としてしまった。


菊野屋の女達は

何もない空間に菊奴の名を呼び、泣き出してしまったことに驚き女将の横に

跳んできた。

「お母はん・・・どないしあはったん?」

一番年嵩の女・・・・芸妓の花江が女将の肩を激しく揺する。

その行為に

「あ~あ~・・・花ちゃん、菊ちゃんが菊ちゃんが・・・」

と何もない空間を指さして大声で泣き出した。


「菊ちゃん?・・・・」

とポカンとしていたが、日野あきあというこの少女が葉を差し出し、

目をこすってごらんなさい・・・ジェスチャーでいっていたので

言われた通りにすると何もない空間に悲しげに母親を見つめる菊奴の姿が見える。

「菊・・・菊ちゃん・・・」

花江も大声をあげる。

他の女達も争うように葉を手にとる。

「菊奴ちゃ~ん・・・・」

「菊奴姉さん・・・・・!」

とこれまた菊奴の姿が見えるようになって大騒ぎで泣き叫んでいる。

あきあ達はこの愁嘆場をしばらくこのままにして次の間に控えることにした。


「無理もないわねえ・・・」

薫も真っ赤になった目をハンカチで押さえている。

澪も、順子も、律子も、杏奈も・・・・・ひづるにしたってそうだ。

しかし、あきあは泣いてはいなかった。

目を大きく開き、怒りで燃えていたのだ。


まずはひづるが気がついた。

「あっ、あきあ姉さん。怖い顔・・・・」

皆があきあを見る。

あきあの身体から激しい怒りが、女達の目からも感じ取られる。

「許さない!!」

その姿が可憐なだけにすさまじい美しさだ。ひづるはポカンとあきあを見つめる。


障子が開いて女将が顔をみせる。

しかし、あきあのその様子に思わず立ち止まってしまった。

菊野屋の女達もあきあの様子に身体が動かなくなる。

その美しさはこの世のものではなかった。

『あっ、あのお方には阿修羅様が乗り移っておられる・・・』

菊奴の言葉に驚く女達・・・阿修羅といえばインドの鬼神

その阿修羅が乗り移ってあきあに何をさせようというのか・・・。


「沙希ちゃん」

と薫が大きな声をかけてみる。

ゆっくり女達を見る。

こんどはおおきな微笑で答える。魅入られ引き付けられる。

菊野屋の女将を始め、女達は腰を落として座ってしまい呆然とあきあに魅入っている。

『あっ、今度は菩薩様』

と菊奴はあきあを拝みはじめた。身体から後光がさしているのだ

女将も菊奴の言葉にあきあを拝みはじめる。女たちもだ。


『菊野』

という声に驚いたように顔をあげる。

『そなたの嘆き哀しみ、いかばかりか・・・察します。

娘の魂、今瀬戸際にあります。

しかし、このあきあという娘、そこな女達、信ずるに値する女達です。

きっと娘を成仏させ天にかえしてくれるでしょう』


『菊枝』

という声に菊奴は又顔をあげる。

自分の本名は言ってなかったはずだった。

『そなたの苦しみ、若い命を天にめされる、菊野に対する申し訳なさ、察します。

そなたの肉体きっとあきあ達がみつけてくれます。

天であなたのくるのを待っていますよ。我娘よ』


あきあの身体からの後光が消え、くたくたと崩れ落ちそうになる。

慌ててささえる杏奈と律子。


菊野屋の女将はあらためて、あきあ達をみつめる。

いきなり尋ねてきて娘の死をしらせた日野あきあ。

葉を目にするだけで娘の霊魂を見えるようにする不思議の術。

そして先ほどの不思議な現象。


天才女優だから?・・・・でも違う。

こういう仕事をしていると人を見抜く力がついていると自負してる。

菊野屋の芸妓や舞妓達、今ではすっかりあの少女のとりこになっている。

いや、私も・・・横に座る霊魂の娘だって・・・・。


「女将さん、菊奴さんが亡くなって明日がちょうど49日です。

明日の24時までに菊奴さんの身体をみつけなければ菊奴さんは無限地獄におとされてしまいます」

「えっ、無限地獄といえば永遠につづく痛みと苦しみの地獄・・・

いやです。娘をそんなところにやるのは・・・・」

「だからです。だから皆で協力して菊奴さんを成仏させましょう」


「菊奴さん」

『はい』

「あなたの身体が大分薄くなってきたようですよ」

『えっ』

っと自分の身体を見る。なるほど薄くなって向こうの景色がみえるようになっている

『どうしましょう』

「大丈夫です。因縁から切り離されたため、霊魂のエネルギーが消耗しただけです。

さあ、私の身体に入りなさい。私の身体からも外の様子は見えるはずです」

といって菊奴に手を差し伸べる。

するとちいさな赤い玉になって宙を浮いているのだ。

あきあが両手で玉を囲むようにするとゆっくりとあきあの胸の中に入っていった。


「お願いがあります。私達、菊奴さんが殺された原因は二通りあると考えています」

「二通り?」

「ええ、ひとつは菊奴さんを目的にした殺人。つまり、恨みをかっていたとか」

「恨み?・・・とんでもおへん。あの子に限って・・・・」

「いえ、逆恨みということもあります。それと、遺産相続の問題は?」

「いえ、それもおへん。あの子の父親は西陣の職人どした。

あの子の小学生のときに交通事故でなくなりました・・・・」

「そうですか、それではあとひとつの動機しかかんがえられませんね。

・・・それは、いいにくいことですが・・・」

「いってください・・・」

「女性を標的にしたレイプ殺人です」

「レイプ・・・・?、そんなあ」


「そこで皆さんにこの祇園界隈で、いたずらされそうになったとか

車の中に連れ込まれそうになったとか、

または行方不明になっている人がいないか調べてほしいんです。

・・・・あっ、菊奴さんによると連れ込まれた車は黒いワゴン車だそうですが、

それに限定しないで聞いてくださいね。車をかえての犯行が考えられますので・・・」

といってから女達に

「今日はやめてね、危ないから。明日にしてね」

と注意する。


出て行こうとした彼女達

「じゃあ、電話で聞いてみます」

といって2階に上がっていった。


あきあは落ち着かない女将に

「女将さん、京都人は口が固いといわれていますが」

「へえ、口はかたあおます。しゃべるなといわれたら死んでもしゃべりまへん」

「じゃあ、私達が動きまわっても無理ね」

「そうでっしゃろなあ」


あきあははっと思いついて女将にたずねる。

「じゃあ、この京都に強力なバックボーンがいてその人が声をかければ?」

「バックボーンですかあ・・・仕方おへん、そのお方になら」

「では、おかみさん。この京都、いえ祇園でそのような方は?」

「そうでっしゃろな、京舞のおっしょはんで人間国宝の井上貞子先生だったら」

「そのお方に会うことは・・・」

「駄目どす、あのおっしょはん。一見の方には会わへんお人どす」

「どうしてもって頼んだら?・・・」


「へえ、そうどすなあ。舞妓ちゃんになら・・・」

「では女将さん、明日私を舞妓にしてください」

「あんさんを?」

驚く女将だが・・・あきあを見つめるうちに

「へえ、よろしおす。うちにまかせておくれやす」

といってから・・・・

「あきあはんはさぞかしべっぴんの舞妓ちゃんにならはるやろなあ」

という。このときのあきあ、真っ赤な顔をして恥ずかしがっている。


「あのう・・・女将さん、私も手伝わせて・・・・

いいえ、勉強させてもらってよろしいでしょうか?」

「あんたはんは?」

「はい、あきあ専属の衣装係兼お化粧係をしています。千堂杏奈といいます」

「へえ~、あんさんがこのあきあはんのおべべとお化粧されとるんどすか」

「はい、でも私着物までまだ勉強をしていません。よろしくお願いします」

菊野は少し考えていたが

「よお~わかりました。教えてあげまひょ。その代わり早う起きなあきまへんえ」

「はい」


それをじっと聞いていた薫が

「じゃあ、うちも舞妓に」

と言い出した。

「アホ!そんなトウがたった舞妓がいるものか」

と澪が言って喧嘩が始まろうとしたが

「止めなさい、こんな時に大人気ない喧嘩をして!」

と順子に怒鳴りつけられて二人共黙ってしまう。


「プッ」と噴出すひづる。

おかみはあっけにとられていたが、

「くくく・・・・・」

と笑い出す。なぜか可笑しくてたまらない。

あの天才女優がかたなしだった。なんだか久々に笑った気がした。


                     ★★★


菊野屋の女達が起きてくると、

昨日の夜にここに止まった女性達はもう洗顔をすませメイクもばっちり決めていた。

女将とあの日野あきあと千堂杏奈の姿が見えない。


「あのう、うちのおかあはんは?」

「今、あきあの着替えを手伝っているの」

「では」

と閉められている障子を開けようとすると

「だめだめ、今あけると怒られるわよ」

「私たちも、開けることができないのよ」


菊野屋の芸妓たちと薫たちが顔を見合わせてまっていると

障子を開けて女将がにこにこ顔で部屋に入ってきた。

「へえ、おまちどうさん」

と障子を全開する。


すると一人の舞妓が両手を前について頭を下げている。

「うち菊野屋の舞妓、小沙希いいます。

はじめておめもじいたします。これからよろしゅうおたの申します」

といってから頭をあげる。


ニッコリ笑ったその笑顔、舞妓の濃ゆい化粧も関係なく美しい。

「あっ」

と声をあげたまま、固まっているそのさまは長年この祇園の水で

もまれてきた芸妓達にとってはじめての経験だった。

魅入られるように見つめている。見つめても見つめても、新鮮さは消えない。


「うち、はじめてや。こない綺麗な舞妓ちゃんみるの」

「へえ、うちもや・・・」

「前にいやはったあのアイドルと噂になった舞妓ちゃんより何倍も何倍も上や・・」

女達の賛辞に耳をポっ赤く染める小沙希。


置屋の玄関先、女将に連れられ出かける小沙希。

「ほな、おかあはんも小沙希ちゃんも杏奈ちゃんもおきばりやす」

と菊野屋の女達や薫達が見送る。

残った彼女達は今日は洋装のまま、手分けして祇園での調査をするのだ。

置屋はあけられないので、花世とひづるそれに薫が連絡係として残っている。


澪は芸妓の花江達を車に乗せてこの祇園を回ることにした。

なにしろ時間がないので機動力を発揮しなければならないのだ。


一方おかみと小沙希は、打ち水をした京舞の家元井上師匠の家の前に立っていた。

二人の後ろに従うのは初めて着物を着たという杏奈が何かの為にと

あきあの私服を風呂敷に入れて右腕に抱えて持っていた。


「小沙希ちゃん、ここえ」

「おかあちゃん、うちがんばるから。見守っててね」

「小沙希ちゃん、ありがとう。うちの子のために」

「なにいってんの。うちも今日からおかあちゃんの子どす」

「そんなこと、いってくれるの・・・」

女将は小沙希の優しさに思わずジンとくる


「お邪魔します」

打ち水をされた庭先から玄関までの敷石をぽっこりで歩く。

女将の後ろから歩く舞妓としての立ち居振舞いには寸分も隙がなかった。

稽古場に通され、ふすまの開け閉めを見つめる痛いほど突き刺さる鋭い視線。

両手をつき頭を下げて耐えていた。


「あんた、何者どすか?ただの舞妓ちゃんとは違いますやろ」

やはりただの人ではなかった。長年の修行の末培った目は騙せない。

「うち、菊野屋の舞妓で小沙希いいます。よろしゅうおたのもうします」

といったが

「嘘でっしゃろ、そない隙のない舞妓ちゃんどこにもおへんえ」


しかたなく両手をついたまま頭をあげてニコッと笑う。

高弟達に囲まれていた師匠の井上貞子はおやっとおもった。

それほど見事な笑顔だった。心になんの翳りも無い証拠だ。

一度にあきあに対する警戒を解いた。高弟達には鋭い視線を向けるものも

いたが、概してその笑顔で警戒を解いていった。


「あんた、どなたはんでっしゃろ」

「はい、本名早瀬沙希、芸名を日野あきあと申します」

と答えた。高弟の中には知っているものいて少しざわついたが

井上貞子は知らなかったらしく、高弟に耳打ちされていた。

「ほう・・・・それは・・・・」

なにやら詳しく聞いていた。そしてあきあに向き直ると

「日野あきあはん、あんたの目的はなんだっしゃろ」


「私は井上先生のお力を貸していただくためにまいりました」

「力を貸すというと?」

「はい、一人の舞妓の遺体を捜すためと、その舞妓を殺した犯人を捜すためです」

「ほう・・・あきあはん、あんたは警察のお方でっか」

「いいえ、そうではありません。今は、女優をやっています」

「その女優はんが警察のまねごとをして、どういうおつもりでっか」

「はい、実はこの事件のことは警察はまだ知らないのです。

もし、警察が知ったとしても動いてくれるかどうか・・・・」

と話を切った。

師匠は少し考えてから

「ではその話詳しゅうお聞かせ願いますか」


「はい、信じられないでしょうが、今は信じていただなくてもよろしいです。

ただ、話を聞いてくだされば・・・」

といって、昨日夕暮れ時におこなった一条戻り橋の撮影終了後におこった、

怪奇な現象からの出来事を残らず話した。


信じられないことであった。

傍で聞いている高弟達、眉唾な話だと頭から否定するもの、

一条戻り橋のことは子供のから信じていたもの、いろいろであった。

肝心の師匠はというと、この日野あきあという女優に

優しさと真と力強さを感じていた。話は突拍子もない話である。

だがここまで年をとると今まで生きていた過程でその突拍子もない出来事に

遭遇することはままあったことである。あきあの横にいる置屋『菊野屋』の

女将の師匠を見つめる必死な形相で日野あきあの言葉に嘘がないということがわかる。


しかし、師匠はわざとこう言い放った。

「信じられませんなあ、今の話。そして小沙希ちゃんという舞妓ちゃんも」

と日野あきあという名をいわずに小沙希の名前を使う。

あきあは師匠の心を素早く読み取った、再び両手をつき頭を下げたると、

「いかにすれば私を信じていただけるのでしょう」

と頭を上げて問い掛けをする。

師匠は今の高弟達の心にある不信感を言葉にかえる。


「うちは舞だけで生涯をかけてきた人間どす、舞うことで人間を見抜く力もやしなってきたんどす。

小沙希ちゃんとやら、何か舞ってもらいまひょか」

慌てたのは菊野屋の女将と杏奈だった。

あきあが舞を舞えるなんて2人共聞いていなかったから。

「おっしょさん、それは・・・」

といいかけたのを

「おかあちゃん、よろしゅおす。うち、舞ってみます」

と舞妓言葉で留める。


そして、師匠に

「うち、京舞はできまへん。でも、それに代わるものでもよろしゅうどすか?」

ときく。

「現代もんは駄目どすえ」

「へえ」

といってから、立ち上がって、舞台へ上がる。


師匠や高弟達は舞台の方に向き直った。

「舞はなんどすえ?」

と、聞かれた答えは耳を疑うようなものだった。


「これは当時の帝、五代天皇様に私が献上した『紫の舞』でございます。

白拍子の舞姫、白河の厚保姫様が創作され、私に贈ってくださった舞で

師である安倍晴明様が最もお好きな舞でもございました」

といって両手をつき頭を下げると、いきなり烏帽子を被った

白い衣と赤い袴の白拍子の衣服に変っていた。


「おおう」

といきなりの変化に高弟達の大きなざわめき。

「これ、あんたら静かにしなはれ」

と井上貞子の一番の高弟が注意する。なかなか静まらないが

小沙希が立ち上がると、潮を引くように声が聞こえなくなっていく。


静寂の中、いつのまに持ったのか鮮やかな紫の舞い扇が小沙希の身体の一部となって舞っている。

師匠がいつも言ってる

「扇は舞いの道具どす。けど舞うときは身体の一部にならないけまへん。

けっして邪魔をしたらあかんのどす」

を実践しているこの舞妓ちゃんの舞に高弟達は引き込まれていった。

足元はあくまでもゆるやかな波のごとく、腰は安定され上下に微動だにしない。

手の動き、足の動き、身体の動きは現代の舞にも応用されているが、それはそれは見事なものだった。

調べは小沙希の身体の中にあり、口元からは聞いたことのない唄が旋律にのり

狂いのない澄んだ声がこの稽古場に流れていく。

平安京の帝の前で舞うこの少女の姿がこの情景にかさなってそして消える。


あっというまに終わってしまった。もっと・・・ずっと見ていたい・・・・・。

この感動は師匠の舞をみている時と酷似している。高弟たちは全員そう思った。

小沙希に対する不信感はすっかり消えていた。舞によって信頼感が出来たのだ。

これは師匠の狙い通りだった。感じていた高弟達の不信感はすっかり消えていた。

日野あきあという少女から只者でない雰囲気はその優雅な動きから

わかっていたが、これほど見事な舞は正直これまで生きてきて見たことがなかった。

平安京で修行したという話、信じることができた。

菊野の女将と杏奈は小沙希を呆然とみていた。


「ごくろうどした。見事どしたなあ・・・」

「ありがとうございます」

「舞の話は後ほど、・・・先に気になることを済ませてしまいまひょ」

「はい、どういうことでしょう」

「菊奴ちゃんは、今どこにいやはるんどすか?」

「はい、私のこの中に・・・・」

と胸を押さえると小さな赤い玉が出てきた。

ふわふわと小沙希の眼の前に浮かんでいる。


「うちらに菊奴ちゃんの姿、みえまっしゃろか」

「はい、すいません。そこの葉を一枚」

というと高弟が葉を持ってきてくれる。

小沙希は葉を持つと印を結んで呪文を唱える。

「菊奴ちゃん、姿をみせて」

というと小沙希の横に舞妓姿の菊奴が座っている。


今見えているのは母親である菊野の女将と杏奈と小沙希だけである。

「すいません、この葉を順番に目に当ててください」

といって高弟に渡した。師匠から順に目にあてる。

「おお、菊奴ちゃん」

とその姿をみて元気なころの彼女を思い出して涙するものもいる。

寂しそうにわらう菊奴。


「菊奴ちゃん、おかあさんの所にいっていなさい」

うなずくとすーっと移動する。それをみて、ああ本当に死んだのだと実感する高弟達。


「では、小沙希ちゃん。お約束を守りまひょ」

「すいません。ではお弟子さん達にお願いします」

といって舞台上から声をかけた。

そして、菊奴が殺された動機についての推理を話す。

そして

「お願いしたいのは・・・・」

と第二の動機と考えられる女性を狙うレイプ犯の犯行を裏付ける

他の被害者を捜す調査を依頼したのだ。

言葉を続けて

「菊奴ちゃんが連れ込まれたのは黒のワゴン車だったそうです。

今言った不信なワゴン車をみかけたかどうかもお願いします」


高弟達が飛び出していった。

2・3の高弟達は自分の弟子達に依頼を告げて師匠の元に戻った。

師匠は舞台上の小沙希に言った。

「さて、小沙希ちゃん。あんたの正体を教えておくれやす」

「正体といわれましても・・・・」

「安倍晴明はんのお弟子さんとか、天皇はんに舞を献上したとかいわれても・・・」

「わかりました。お師匠様には何だか私のこと全て知っていてもらいたいんです」

とはにかんだように答えた。何か『おやっ?』という反応だった。

「すいません、ごめんなさい。失礼だと思いますが、私なんだかお師匠様のこと

本当のおばあちゃまみたい思えてきて・・・本当にごめんなさい」

といって頭をさげる。

師匠はこのいきなりの告白に一瞬戸惑ってしまったが、

その正直な告白に師匠は久しぶりに晴れ晴れと笑ってしまった。

嬉しかったのだ。高弟達に囲まれてはいたが、舞に命をかけ結婚もせず

気が付いてみれば、その寂しさに愕然とする思いだった。


小沙希は生まれたときからのことを淡々と語り始めた。

男だときいて、仰け反るおもいの高弟たち、でもその血を吐くような思いは

自分の男の部分を憎んで幼いながら自殺を決行した心情、胸を締め付けられ苦しくなってくる。

そして、大学進学とともに母にさられ男として自信のなさから

「今から思えば最低の男でした」

と苦笑いをする舞台上の小沙希。


「でも・・・」

と続ける。環境がガラリと変化する早瀬一族の女達との交わり結びつきによって

その性や性格まで変ってしまったことは何故かほっとする思いだった。

女は女を知り尽くしている。女しか産めない早瀬一族の苦しみ、

平安時代から術によって争いを無くす役目を背負わされて脈々と生きてきた女達、

この京に住んでいる女の強さと共通するもの感じて共感を覚えるのだ。


自分が平安京で安倍晴明に術をかけられた早瀬の沙希姫の生まれ変わりだと知る。

平安京との深い係わり合いうまれ、

不思議の術によって安倍晴明に師事した10年間の修行時代の話は

まるで映画をみているようで血と肉が沸き立つおもいだった。

小沙希の話が終わると師匠がぽつりといった。

「その早瀬のおなごさんたちにあいたおすなあ」

その一言が京の女達の中に小沙希を受け入れた言葉となった。


「今はここにいる早瀬の女はうちとお母ちゃんの横にいる杏奈姉ちゃんなんどす。

けんど、いままでの話は内密にお願い申します」

「京のおなごは口がかたおす。言うなといわれれば死んでもいいまへん」


高弟たちは全て戻ってきていた。

内容のある話がなかなか聞けなかったが、

その中でこの春、中学を出て舞妓修行にきていた女の子がこの2~3日、

行方がわからなくなっている情報と小学生の女の子が親と喧嘩して

プイと家を出たまま帰ってこない情報が聞き出されてきた。

そのうち、小学生の女の子の一件は家出と思われていたが

黒いワゴン車がその小学生の学校の周りや家の周りで見かけられた情報があり

俄然真実味が出てきたのである。


「その小学生のお宅はどのあたりなんどすか?」

聞き出してきた高弟に聞くと比叡山の近くだという。

そのとき、この情報を裏付けるような新たな情報が飛び込んできた。

舞台上に黒いものが庭から飛び込んできたのである。

『カア』と鳴くそれはひづるが可愛がっているヤタさんであった。

何かあったときのヤタさんに連絡を伝える方法を教えておいたのだ。


「ヤタさん、何かあったのね。いいわ、じっとしておいてね」

みんな唖然とみている。

印を結ぶと呪文を唱え、ゆっくりと息を吹きかける。

するとヤタさんの両目から光が溢れ、その前の空間が歪んで

天城ひづるの姿が映しだされた。

「あきあ姉さん、あきあ姉さん、わかりますか。

今、調査に回っている小野監督さんのスタッフから連絡がありました。

調べまわった結果、情報は少ないんですが比叡山をなんども行き来する

不信な黒いワゴン車の情報は数多く寄せられているそうです。以上です。

あきあ姉さん、早くかえってきてください。寂しくてたまりません。

その上薫姉さんは我儘ばかりいって・・・・」そこでボコっと

頭を叩かれる音がして泣き声をあげてるひづるの声で映像が終わった。


あっけにとられている高弟達にも最後の場面が愉快だったらしく笑い声が漏れた。

あきあは返事をヤタさんに伝える。

印を結んだままヤタさんにむかって

「ひづるちゃん、急いでしてほしいことを伝えます。

比叡山の麓に行方不明の小学生のお宅があります。

行方不明になって2日だそうですからまだ術につかえます。

なんでもいいからその小学生が直前まで身に付けていたものをヤタさんに持たせてください。

京姉さん、泉姉さんにはその小学生宅に急行してもらってそのお宅で待機願います。

そして、これが肝心です。

薫姉さんに言って、日和子叔母様に比叡山の結界を一次あけてもらってください。

理由を聞かれたら、比叡山に埋められている女性達の遺体を捜すため式神達を飛ばします。

といってもらってけっこうです。

なお、薫姉さん、ひづるちゃんをいじめないように!」


といってからヤタさんに庭を指差すと『カア』と一声鳴いて凄いスピードで飛んでいった。


目を向けると高弟達みんな目を向いて驚いている。

師匠だけが微笑んでいる。小沙希のすることはもう全て受け入れているのだ。

「あの鳥、あれは?」

と聞くので

「あれは式です」

「式?」

「はい、式神といってある事件のとき熊野古道の清水を汲みにいくのに

あのヤタカラスをつくりました」

と答えた。

「小沙希ちゃん。ついでにその事件のこと話しておくれやす」

にこにこしながら聞いてくる。

お婆ちゃまに孫が話すように京の結界の事件を話だした。


「ほう・・・」

「それは、それは・・・・」

鬼に食われた神官の話になると

「鬼さん、ほんまにおりなさるんやなあ。・・・・その人、可哀想に」

と手を合わせている。


じりじりと報告を待つ間、小沙希のお婆ちゃまとして軽い気持ちで舞の所作を教えはじめたが、

段々と京舞の家元、人間国宝井上貞子として真剣にならざるをえなかった。

その吸収力は驚異的で高弟達も小沙希の舞姿に師匠の若い時の舞姿がダブって見え始めた。

「まあ・・・あんたはんは・・・・・」

と開いた口が塞がらないとはこのことだ。

菊野屋の女将、幽霊の菊奴さえ・・・いや、初めて京舞というものを目にする

杏奈でさえ小沙希の舞を舞う舞妓姿には見とれてしまっていた。


その時、再びヤタさんが飛び込んできた。

小沙希が日野あきあに変わった。きりりとした立ち姿、その顔は

今舞いを舞っていた同じ人物とは思えない別の気品と凛々しさがあった。


ヤタさんが持ってきたのは黄色い小学校の帽子だった。

ひづるよりの報告が始まる。

「あきあ姉さん、言われたとおりのものヤタさんに持っていってもらいます。

その日の直前まで被っていた帽子です。

京姉さん、泉姉さんはもう小学生の千秋ちゃんのお宅についています。

なお、比叡山の結界ですが、あまり言い返事がこないそうです。

こう?・・・えっ?・・・なによ薫姉さん・・ごう?・・・

だってこんな字習ってないもの。・・・薫姉さんに教えてもらいました。

ごうというんだそうです。業を燃やした日和子叔母様からの伝言です。

結界破りしてしまえといっています。

あきあ姉さん、早く帰ってきてください。薫姉さんがいじめます」

といって画像が切れたが、再びボコっという音がしてひづるの泣き声があがった。


「ほほほ・・・面白い姉妹だこと・・・・」

あきあは薫のことは話さない事にした。だってイメージダウンすること請け合いだ。


「比叡山の結界を破る・・・並大抵のことではおへんえ」

師匠のいう通りだった。

少し考えて手に持っていた懐紙を取り出しなにやら折り始めた。

それを手にとって印を結んだ。呪文は簡単だった。

指先を当てると烏帽子の公達が現れた。


その公達は立ち尽くすだけで動きもしない。

「ほう・・・小沙希ちゃん。そのお方は?」

「安倍晴明様です」

といってからなにやら祝詞を唱え始める。

そして、祝詞が終わると同時に公達が動きだした。


首を左右に振り、肩を回してからあぐらを組んで座った。

「人使いのあらい奴だのう」

「晴明様」

「聞いておったわ、比叡山の結界、あきあの力ならたやすく破れよう。

されど結界破りのあとの式を使っての探し物は辛いのう。

無理をすれば、あきあそなた自身があの世にいくことになるぞ」


「いいえ、私の命なぞ惜しいとは思いませぬ」

「どうしてそこまで命をはる」

「はい、ひとつは母の娘を思う心、もう一つは女を虫けらの如く殺す憎い犯人を捕まえるため・・・

どうしても許せませぬ」

とキッと唇をかむ。


「ははは、おまえらしいのう。あきあよ。わしを呼び出してどうするつもりじゃ」

「はい、私の術を見守ってもらうためと菊奴ちゃんを天に導いてもらうためです」

「いいじゃろう、おまえの好きにすればよい。見守っておいてやろう」


「あんた、安倍晴明はん」

と師匠が声をかける。

「うち、あんたのこと尊敬してました。けんどそんな大事なこと大事な大事な

お弟子はんにおまえの好きにすればよい。見守ってやろうだなんてあきれ果ててものもいえまへん。

うち、この小沙希ちゃんとは今日はじめて会いました。

けんど、はじめてあってもズーとあってても同じどす。

うち、この子に惚れてしまいました。こんなに優しく不思議なおなごはんは

どこさがしてもいてえしまへん。

あんたはんはこの子が死んでもええいわはるんどすか・・・」

とえらい剣幕で怒りだした。


そして

「この子はうちの可愛い可愛い孫どす、勝手なまねはさせまへん」

といってから

「こんなお人が京の守り神だとは、なさけのうてなさけのうて涙もでまへん」

と安倍晴明を叱りつけ、涙をながしている。


「あきあよ、えらい惚れこまれようじゃのう。さすが、沙希姫の祖母じゃ。

魂と魂の結びつきの因縁とは恐ろしいものじゃ」

「ええ?今、なんと申されました?」

「この女子は沙希姫の祖母だったのじゃ。琵琶と舞の名手でのう、

特に五代天皇の父帝に献上の舞の素晴らしさは後々まで語り継がれたものじゃよ」


「じゃあ・・・・・」

「ああ、もともと沙希姫とその祖母、この世で会うべくして会った」

「私の姉、静香と律子は?」

「静姫と小律姫のことじゃな。血は血を呼ぶ。因縁じゃ。ほれ、もうそこに・・・・」

その声にすぐ、

「ごめんください・・・」

と客の訪問の声。


「あっ、静姉の声・・・・・」

しばらくして通されてきたのは静香と律子・・・・そして、驚いたことに

飛鳥日和子が続いて入ってきた。


舞台上の様子をみて

「あっ、これは安倍晴明様」

といって、座って挨拶をする静香と律子。

「おう、早瀬の女達・・・・・そこな、小律姫。沙希姫は健在か?」

「はい、いまも『早く出してたも』といわれています」

と律子が晴明に答えている。

日和子は初めてあったのだが、

「そこな、女子」

といって晴明が日和子を扇でもって指し示す。

「はい」

といって興味深げに晴明を見つめている。


「あきあ、お前はよくよく人に恵まれているのう」

「どういうことでしょうか」

「そこな女子は沙希姫の母御じゃ」

「日和子叔母様が沙希姫様のお母様・・・・・」

呆然とするあきあ。


「晴明はん、というとそこのおなごはんはうちのむすめ、ということどすか」

「そうじゃ・・・・それに、よくよく見るとここにあつまっている

女子達、全て早瀬の家につかえていた女房たちではないか。そこな女子」

と師匠の一番の高弟を示すと

「おぬしは沙希姫の乳母、・・・おお、そこな女子は沙希姫の母御の乳母・・」

と晴明が説明するとみんな呆然と顔を見合わせている。


沙希姫の母といわれた日和子は

「わたし記憶はないのですが、沙希ちゃんを見たとき初めて

会った気がしなかったのはそのせいでしょうか」

と晴明に尋ねる。

「そうじゃ、人の記憶ほど不確かなものはない。したが魂の結びつきは永遠なのじゃ」


「おお、あなたが母様の生まれ変わりだったのですか」

という声に、見ると律子が横になって、その上に十二単姿の沙希姫が浮かんでいる。

スーと日和子に近づくと腰をかがめて手をとろうとする。

でも、魂と生身の人間では交わりが出来ない。なぜか懐かしさに涙が溢れてくる日和子だ。


しばらくは日和子を見つめていた沙希姫、

師匠の井上貞子をみるとそのそばにすーっと移動する。

「おばあさまですか、沙希です」

というと

「おお・・・おお・・・」

と手を出すが、勿論触れることができない。


沙希姫の乳母だといわれた高弟はなぜか沙希姫を涙を流しながら見ていた。


そこに再びヤタさんが飛び込んできた。

ひづるの報告は緊急を要するものだった。

「あきあ姉さん、電話があって比叡山を上がっていく例の黒いワゴン車が

今目撃されたという報告がありました」


「晴明様。私、結界破りの術をしかけてみます。後はこの命をかけるまでです」

「まあ待て。わしがなぜ静香と律子を呼んだと思う。沙希姫はわかるであろう」

「静香と律子が身につけた早瀬に伝わる宝玉ですね」

「そうじゃ。沙希姫、早く律子を起こすのじゃ」

沙希姫は名残惜しそうにしていたが律子の身体に入っていく。

乳母だった高弟は少し腰をあげて

「あっ」

といって引き止めるようなしぐさをしていたが、今の状態ではあきらめる他はなかった。


目を覚ました律子と静香にはさまれて座った小沙希。

今までとは違う感情を持った高弟と師匠に見つめられて結界破りの術を施していく。


「北の玄武、東の青龍、南の朱雀、西の白虎、これを四神相応の陣という・・・・」

と呪文を唱えていく。さすがに比叡山、抵抗が激しかったが

静香と律子が身に付けた宝玉の力で結界を破ってしまった。

これでしばらくは比叡山の結界を再生できることはない。


続いてあの小学生の帽子に術をかける。式ではないがものに宿る精霊を呼び出し、

白い鳩の姿にかえさせた。

そして

「菊奴さん」

と菊奴を呼ぶと

「あなたはこの鳩の身体に入っていなさい。

この鳩が小学生の千秋ちゃんの元に運んでくれます。

その傍に菊奴さんの身体があるはずです。

日和子叔母様、この鳩の首にかけるのは発信機です。

ごく弱い電波ですが京姉と泉姉が持つモバイルの受信装置ではたとえ地球の裏に

行っても追いかけることができます」


「沙希ちゃん、そんなのいつのまに?」

「昨夜、菊野屋さんでつくりました」

ああ、あれかと女将は思い出した。菊奴がかんしゃくを起こして壊してしまったゲームの機械。

いろいろいじっていた小沙希ちゃんが

「できたわ」

と笑っていたのを思い出す。

でも・・・でも・・・あれって30分もかかっていなかったはずよ。

『天才!』そういう言葉が頭に浮かんできた。


菊奴が小さい玉になって白い鳩の身体に入って飛び出す。

いよいよ追跡がはじまった。

こうなれば日和子もじっとしていられない。

この場を離れがたい思いがあるが、

「行ってきなはれ、そしてまたここに・・・・」

『戻ってきて欲しい』という言葉をのみこんで笑顔で送りだす。


「沙希ちゃん、あなたは?」

「私もうこれ以上表に出たくありません。裏方に徹してここでお婆ちゃまと待っています」

『お婆ちゃま』といわれて師匠は満面の笑顔にかわった。


日和子の乳母だったといわれた高弟を先頭に玄関さきまで見送りにでる高弟達。

菊野屋のおかみを乗せて覆面パトカーが走りでた。

待つという落ち着かない気持ちを察して晴明は

「さて、あきあ。わしは久しぶりにお前の横笛が聞きとうなった。なにか一曲聞かせてもらえぬか」

という注文に

「すみませぬ。今笛を持ち合わせませぬ」

「ほう・・・お前がいつも肌身離さなずもっていた『緋龍丸』はどうした」

「はい、あれは朱雀門での怨霊との闘いのときにこの身から離れ、どこへやら行ってしまいました」

「ほう、残念よのう。あれほどの名笛が・・・・」


師匠は『緋龍丸』という言葉でビクンと反応を示し、

高弟になにやら指示したのを晴明は横目で見ていたが、小沙希は気がつかなかったようだ。

しばらくして三方の上に緋色の袱紗に包まれたものを

沙希姫の乳母だった高弟がしずしずと持って小沙希の前に置いた。


「あのう、これは?」

「姫様ご自身でお開けください」

高弟は小沙希のことをもう姫様と呼ぶように変っていた。

「姫様だなんて・・・・」

と訂正させようとしたが

「いいではないか、お前は早瀬一族の姫様で間違いあるまい。伝説の御子なのだから」

「伝説の御子?」

「まあいいではないか、早くその袱紗をあけて中身を確かめてみよ」

しかたなくいわれたとおり袱紗をとると長細い桐の箱があった。

それをあけると箱の裏に達筆で緋龍丸とかかれていた。

驚いて入っていた金糸模様の袋を取り出し、紐を緩めると懐かしい名笛緋龍丸が出てきたのである。

ひさしぶりに持つ手が震えている。肌に吸い付くような肌触り。

横からも縦からも見ていても傷ひとつない状態だった。


「因縁どすなあ、この笛は我家に伝わってきたんどす」

という師匠。

「あきあはその笛をどうして手に入れたのじゃ」

「はい、これは大江山の鬼といわれたシテン殿を

源頼光殿の手から逃がした時にシテン殿から頂いたものなのです。

シテン殿は鬼ではありません。唐じくよりもっと遠い国から流されてきた異邦人だったのです」

「やはりのう、ではあの頼光殿が意気揚揚と持ち帰ったあのシテンの腕といわれるものは?」

「はい、あれは私が土でつくったでく人形。魂は捕まえた邪鬼のもの」

「はははは・・・・愉快じゃ愉快じゃ・・・・」

と晴明の笑い。


しばらくして舞台下に座る晴明や師匠の井上貞子、そして高弟達、静香と律子も

杏奈にしても、はじめて聞く沙希の奏でる横笛を楽しみに待っていた。

静かに横笛を唇にあてる小沙希・・・・そこから細いがしっかりとした

音色が聞こえてきた。『雪』というこの曲、緩やかに綿のようにふわりと舞い落ち

はかなげにとけ、ときには狂ったように激しくふりつもり大地をかくして

木をも押しつぶす。そして、温かい陽がふりそそぎ雪がとけ、水となって川に消えていく。


静かに唇から名笛がはなれる。久しぶりに吹く緋龍丸であったが

衰えてはいなかった。より以上に心を笛にのせて奏でることが出来たのである。

『ほっ』誰かが息を吐いた。何だかこの稽古場に涼風が吹き清浄な空気が流れていた。

「さすがじゃな、あきあ。衰えるどころかすでに名人の域にたっしておる。

邪鬼がすっかり祓われて、清い風がながれておる」


「ほんに、晴明はんが言われるとおり、小沙希ちゃん。あんたは名人どす。

その笛、あんたに返すから・・・・」

時々でもいいからこのばあさんのところに笛の音を聞かせにきてほしいといった。

返すといわれて、戸惑ってしまったが

その笛はもともとあんたのものといって耳をかさない。

小沙希は笛を抱きしめ

「お婆ちゃま」

といった。


「そうそう、小沙希ちゃんにそう呼ばれると10年も20年も寿命が伸びる

気がするえ」

とこれからはそう呼んでおくれと頼み込む。


そこに黒い影が・・・・

三度のヤタさんの連絡であった。

「あきあ姉さん、事件は解決しました。でも私悔しいです。

千秋ちゃんのこと間に合わなかったんです。家をでたあとあの車に連れ込まれて

すぐに殺されたそうです。私も薫姉さんも帰ってきた澪姉さんと順子さんと

千秋ちゃんの家のそばで待っていました。あとで日和子叔母様に

捜査の邪魔をするなって酷く怒られました。


菊奴さんの体もその他4人の女の人と埋められていました。

犯人は若い3人の男でした。京姉さんと泉姉さんが捕まえましたが

お姉さんたち、鬼みたいにめちゃくちゃ強かったです」

と急に両方から手が出てきてひづるの頬をひねる。

『うわあ~』と泣くひづる。

「京と泉がいじめた~」

と大きな声で叫んでいる。

「誰が京じゃ」

「誰が泉じゃ」

と最後に両頬に片手をづつ当てられ、いびつにゆがんだ顔で画像がおわった。


頭をかかえる小沙希。

でもこんなひどい事件の結果の深刻さを少しでも和らげてくれたひづるに感謝した。


「ひづるちゃん、ありがとう。少しでもいやな雰囲気を和らげようとした

あなたのお芝居とてもうれしいです。

そこでお願いがあります。菊野屋さんではお通夜やお葬式の準備で忙しくなると思います。

おじゃまになってはいけないので預けてある私のお洋服をもって皆でこちらにきて下さい。

その時、菊奴さんも連れてきてください」


ヤタさんにはご苦労だが連絡係としては今日十二分な活躍に感謝して嘴にキスをしてあげる。

『カア』といって飛び出していったが何故か木や壁にぶつかっている音が聞こえた。

「ふふふ、ヤタさんにも沙希ちゃんのキスの効果があったみたいね」

静香のその言葉に律子も笑い出した。


事件は悲しかったが、解決してほっとしたのが実情だった。

「沙希ちゃん。明日は撮影があるんでしょ」

「ええ、撮影所の中で晴明様のお屋敷での撮影なの」

「ほう、わしのか」

「はい、一条戻り橋で晴明様に助けられ、10日の意識不明のなかで

男のあきあが女性の身体をも持つ男女両性具有という身体になっていくという撮影になります」

「面白そうじゃのう」

「晴明様、そのときに晴明様の式であった、

玉藻さま、葛葉さま、紅葉さまを私の式で模したいのですが、お許し頂けないでしょうか」

「何、わしの式をとな・・・・ふむ・・・」


じっと見つめるあきあ、考えこんでいた晴明は

「よし、あきあよ。お前にわしの式を与えよう。お前ならわしの式をうまく御していくだろう」

といって晴明は両手を広げてゆっくりと近づけていく。

その手の間に小さな赤い玉、青い玉、黄色い玉が現れゆっくりと飛んでいる。


その手を押し出すと舞台下に頭を下げ十二単を着た3人の女達が現れた。

3人は一斉に頭をあげて

「これは晴明さま、お久しゅうございます。お呼びをくびを長くしてお待ちしておりましたのに」

「ちっともお呼びがなくて・・・」

と怨むようにみつめる。

「わたくし、待ちくたびれてしまいました」


「すまぬ。3人とも、わしももう肉体を持たぬ身、これからはそこのあきあ、

存じておろう、そのあきあに仕えるが良い」

しかし、3人はキッと晴明をみつめ

「これは晴明様とは思えぬお言葉、我ら元はといえば晴明様にはむかって

術で破れて式神となった身、いくらあきあ様でも我らに勝たなければお仕えするわけにはいけませぬ」

「いけませぬ」

「わははは、許せ。そうであったのう」

「はい、我らは鬼、我らに負ければあきあさまとはいえ喰ってしまいます。

それでも我らを下僕にといわれますか」

「いわれますか」


驚く皆をよそに、にっこり笑って

「いいでしょう。晴明様の式神とはいえ貴女達がいわれるように元は鬼、

私も遠慮はいたしませぬ。ただここではこの家に迷惑がかかりましょう。

この当たりに広い地はありましょうか」

と高弟に聞く。

「はい、この裏手が広い敷地になっております」

「では、そこで」

と庭に出て飛行術で飛んでいく。

後に続く3人の式・・・十二単で軽々ととんでいった。


「私たちも・・・・」

と立ち上がろうとした静香を晴明が押し留めた。

「よいよい、ここで術比べを見ようぞ」

といって舞台上に膜のようなものを張った。

現代でいうスクリーンだ。

あきあも心得てこの家を含めた結界を張った。


勝負はあっさりと決まった。上には上があるというが

3人の攻撃をかわしながら地面に書いていった、五芒星の枠の中に

3人が捕らえられてしまったのだ。

しかし、一番あきあのことが好きなくせに負けず嫌いな紅葉が十二単を脱いでしまった。

タガがはずれた紅葉は牝鬼に変身してしまった。

「やめなさい」

玉藻、葛葉の声も聞こえずあきあに襲いかかる。

あきあは八方に飛び移り、紅葉の攻撃を一瞬の差で次々とかわしていった。

そして、1本の竹の棒をひろうとそれを上段に構え目を閉じた。

そして、紅葉があきあにつかみかかろうとした瞬間・・・・・・。


稽古場の庭先から

「危ない!あきあ姉さん」

という声が聞こえた。

静香達が振り向くと、あきあが結界を張る前、間一髪というところで

この家の玄関先まで入っていた、薫、澪、順子、ひづるの4人と菊野屋の女将、

菊奴と他芸妓と舞妓達だった。

「ごめんください」

と案内を請うても誰も出てこないのでしかたなく庭沿いにここまで入ってきたというわけだ。


一方、ひづるの声が聞こえたのかどうか

「えい」

と飛び上がると棒で紅葉の頭の角を『ポカリ』と叩いていた。

角は鬼の急所だ。一度にバタンと気絶してしまった。

あきあは術を唱えると脱ぎ捨てた十二単を裸の紅葉に着せると人に変化していた。

這いつくばるようにあきあの前に手をつく玉藻と葛葉・・・・

そして紅葉もようやく気づいてこれも二人に続いた。


「あきあ様、申し訳ありませんでした。これで我らはあきあ様の式神となります。

これからよろしゅうにお願いいたしまする」

「いたしまする」

と玉藻が代表して挨拶をし、あとの二人が唱和していた。

あきあは三人を立たせ、特に紅葉の汚れた十二単を掃ってやった。

じつはあきあは紅葉の気持ちが判っていたのだ。

あきあが大好きな紅葉、でもあとの二人の気持ちがつかめていない。

聞くわけにはいかなかった。だから、自分が盾となってわざとあきあを襲ったのだ。

もし、あとの二人が自分と同じことをしたら紅葉が玉藻と葛葉を殺していた。

でもそうはならなかったことでホッとしたところだ。

自分の気持ちをわかってくれるのはあの偉大な安倍晴明とあきあだと知っていた。


あきあ達が結界を解き戻ってくると、ひづるが晴明の膝の上に座ってなにやら話している。

他の皆、特に菊野屋の女将達を見て

「あら、おかあちゃん。どうしはったの?お通夜の支度で忙しいんでは?」

と聞くと

「小沙希ちゃん。この子の身体は警察で司法解剖とやらで帰ってきはるのが明日の夜になるそうどす」

「今日でお別れなのでおかあちゃんと皆にきて貰いました」

と菊奴が悲しそうにいう。

「私の身体がみつかったことで、もうこの身体を維持できまへん。ほら、もう薄くなってきました」

なるほど、身体が薄っすらとなって足のほうはもう見えなくなっていた。


「よし、もうころあいじゃな、他の者達とも充分に別れを済ませたのであろう」

といって立ち上がった。

ひづるの頭をなで

「いい子にしておるんだぞ、あきあの眼を通していつでもみているからな」

ものおじしないひづるを晴明は気に入ったらしい。

「そうだ、これをひづるに預けよう」

といって手の平を上に向けると何もない手のひらから緑の蝶が飛び出した。


ひらひらと飛び回ってからひづるの頭にとまる。

「それは、それその人形に入っておるあきあの式と共にひづるを何かと

助けてくれよう、大事にな」

といって庭に降りていき、菊奴を手招きした。


「では、おかあちゃん。うち、もう行きます。充分に身体に気をつけて。

皆もおかあちゃんのこと、おたのもうします。・・・・・

小沙希ちゃん。ありがとう、お世話になりました。一生・・・いいえ、永遠に忘れません。

おかあちゃんのことよろしくおたのもうします。

皆さんのこと天国から一生懸命見守っています」

といって晴明のもとへ移動する。


「菊奴ちゃん、おかあちゃんはうちの京都のおかあちゃんやから、安心して天国にいってね」

小沙希がいうと、にっこり笑って頷いている。

「菊枝~~」

悲しい母の叫び声だ。

「菊ちゃ~ん・・・・」

「菊奴ちゃ~~ん・・・・」

「菊奴姉さ~ん・・・・」

判っていてもやはり別れはつらいし悲しい。


師匠も高弟達もしばし呆然と見送るだけだ。

菊奴は晴明に肩を抱かれながら、光となっていく。

小さな小さな光の粒子はゆっくりとゆっくりと天に上っていく

そのとき天から瑞光が降りてきてその光の中の大きな手に光となった菊奴がつつまれていった。

「あっ、菩薩様」

という菊奴の母・・・・我が子に手を合わせてから、小沙希にかけよった。

「小沙希ちゃん、あんたは菩薩様の申し子。あんたには菩薩様が乗り移っておられるんや」

と今度は小沙希を拝みだした。


そんな女将の手を押さえて、首を横に振る。そして、天を指差すと

星のまたたきのなかから、笑顔で手を振る菊奴の姿が大きく写って

すーと消えていった。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


その夜の9:00頃の八坂神社、

近くの路上に白い落下傘のペチコートの上に、黒のフリフリの衣装・・・・

スカート部には腰の周囲にスカート丈がかくれる位の

長さと20cmぐらいの幅の黒い布・・・・1枚1枚の模様が違う事で派手な印象を与える。

襟のない丸首にちいさなアンティークのとんぼ玉のネックレスをつけ、

パーマを当てた濃い栗色の髪が細長い首筋を隠している。

その髪にちょこんと乗ったつばひろの黒い帽子・・・

つばの部分になにやら一杯貼りつけている。

よくみれば全身真っ黒な衣装なのにそう見えないのは全身に飾り立てる小物の存在だろう。


女性・・・いや、真深に被った帽子から見え隠れする口元・・・

時折、斜め上に顔を上げりその顔は幼い雰囲気を残す少女の顔だ。


少女はコンクリートに背を預け、座り込んでいる。

スカートの中は胡座を組んでいるのか・・・・

少女の右には紙袋とバックが・・・・・・

左にはなにやら布袋に入った長いもの2本が立てかけられていた。


まだ、人通りが少なくはないが

でもこんな少女に声をかけるものはいない。うすっ気味悪さを感じてか避けて通っているのだ。


そこに八坂神社から出てきた二人の舞妓、物珍しげにジロジロと少女を見て

行き過ぎようとしたが、どうやら興味深々になったらしい。

二人で何やら相談して戻ってきて少女に声をかけた。


「おうち、どうしたんえ?」

でも少女は下を向いたたまま動かない。

「ちょっと!あんた!・・・・」

もう一人の舞妓さんにそう大きな声を上げられて、はっとしたように首をあげる。


「うちのことどすか?」

「おや?おうちは京のお人なんどす?」

「へえ・・・・・・」

「珍しおすなあ、その格好で京言葉は・・・・」

「おかしおすか?・・・」

「そんなことあらしまへん」

「あのう」

「へえ?・・・」

「それ、お三味や思うんどすけど」

「へえ」

といって袋から三味線を取り出した。


弦を調整する様子が手馴れていて素人ではないと普段から稽古に励む舞妓には読み取れた。


「何かやっておくれやす」

その言葉に三味の音色が流れ出した。・・・・・・そして・・・

『♪ 三千世界の鴉を殺し 主と朝寝がしてみたい ♪』

と少女の声とは全く異なるテノールの声がこの夜のしじまに流れたのだ。


「あんた何者なんどす?そのお三味の達者ぶりといい、

そのお声・・・只者ではおへん」

「うちは・・・・うちどす。他の誰でもあらしまへん」

「うち、いまの曲、なんか聴いたような覚えが・・・・」

「へえ、昔長州の高杉晋作はんがこの祇園の芸妓はんに作らはったんどす」

「そんな昔の音曲よう知ってはりますなあ」

「あんたのお仕事は何どすか?」


二人の舞妓にとって目の前の少女が不思議の対象となって興味がつきない。

そしてそんな様子を見物する人の輪が増えてきた。


「うちの仕事どすか」

といいながらもう一つ立てかけていたものの袋をあける。


「え?・・・それは・・・」

「琵琶どす。本当はこれがうちの商売道具どす」

「商売道具って何なんどすか?」

「うち、”謡詠み(うたよみ)”なんどす」

「謡詠み?」

「へえ、心の中の屈託をうちが読み取って開放してやるのが商売どす」

「心の屈託を?・・・・」

「へえ、例えばあんたはん・・・・」

と指差したのはスラリとした・・・というよりも痩せすぎの女性だ。


『ジャ~ン・・・ジャ~ン・・ジャジャジャジャ・・・ジャ~ン』

と琵琶の音が流れ出した。

そして、地の底からから流れ出てきたようなテノールの声が

見物している者たちの腹の底から響き渡ってくる。


それは女性の純愛と裏切った男の卑劣さの物語だった。

女性の愛は一途だったが男は地位、名誉・・・典型的な失恋の形だった。

男が女性に近づいたのは肉体を弄び金を引き出すだけであり、

その金がなくなれば何もかも失った女性は用済みだった。

男の卑劣さは女性の日々の生活さえも破壊した。

使い込みの汚名を着せ会社を追い出し、

噂を流してその区域に生活できなきなり引越しをせざるをえなかった。


女性が絶望の中で京都にきたのも最後の旅行であり今日は京都の最後の夜だった

あとは死地を求めるだけ・・・・でも謡詠みは終らなかった。

女性がいなくなった後の男の様子が語られた。


男は会社で上っていこうとしていた。

けれどそんな様子を不信の目で見ていたのは女性の同期の友人。

会社での使い込みも、女性の近くで噂を流したのも男の仕業と調べ上げた。

友人は会社の顧問弁護士に相談した。

顧問弁護士の調査も友人の調べと一致することで男を警察に告発したのだ。

こうして男は逮捕され、女性の名誉は回復した。


・・・・・謡詠みは終った。


女性は座り込んで泣いていた。周りの女性達も白いハンカチをだして涙を拭いている。


「さあ、しっかりしなはれ・・・・」

舞妓の一人が腰をかがめて女性の背を摩っていると、

突然『ピー・・ピー・・』と携帯が鳴り出した。

おぼつかない手でバックを探っていたが携帯電話がバックから飛び出し道路に滑り落ちる。

それを拾ったのがもう一人の舞妓だ。携帯を開けてスイッチを入れて女性に渡してやる。


「もしもし・・・・あっ!恵理さん?・・・ええ私です。・・・・

えっ!本当ですか・・・逮捕された・・・じゃあ・・・

使い込みも?・・・・・噂も?・・・・私・・・私・・・・

えっ?迎えにくるって?・・・・うん、祇園の○○ホテルに泊まっているわ。

うん、ありがとう。・・・食べているわよ、・・・

でもすっかり胃が小さくなったみたい・・・うん、待ってる・・・・」

といって電話を切った女性、立ち上がって琵琶を持つ少女を見て

「あのう、あなたが今歌ったとおりのことを私の同期の友人が知らせてくれました。

でもどうして判ったんですか?・・・・まさか・・・」


「うち、千里眼やおへんえ。これはすべてあんたはんの心の叫びだったんどす。

ただ、それをうちの口を通じて”謡詠み”しただけなんどす。

あんたはんの心が死んでいたら”謡詠み”は出来まへんえ」

といってニッコリ笑う口元だけみえる。

「けんど良うおしたなあ。死なんで・・・あんた、知っとるんどすか?

人を殺したり悪い事をした人と同じ罪なんが自殺する人どす。

自殺したら無限地獄へ行かなあきまへん。痛みと苦しみが永遠に続くんが無間地獄どす」


「そんなん知りませんでした。ただ死んだら楽になれるとおもったんです」

「みなはん、な~んにも知らへんのどすなあ」

とため息をつく少女。


舞妓は顔を見詰め合っていたが

「ねえあんさん、名前教えておくれやす」

「名前どすか?・・・うち紫苑いいます」

「紫苑?・・・その上はの姓は?・・・」

紫苑は首を振る。


「うちには紫苑いう名前しか覚えておへん・・・」

「覚えてえへんのどすか?」

「うちには余計な記憶は消えているようどす」

「お医者はんへは?・・・」

「もうとっくの昔に・・・けんど、今はなんの支障おへん。

謡詠みがうちの生きがいになっとるさかい」


「じゃあ、紫苑はんはいつもここに?」

「ううん、そうとは限りまへん。けんどうち祇園が好きやさかい・・・」。

「うち、菊野屋の花世いいます。覚えていておくれやす」

「うち、菊野屋の豆奴いいます。覚えていておくれやす」

と二人の舞妓が名前を名乗った。


「うちら、これからとっても大事なお人に合う約束があるんどす。

そやから残念やけどこれでお別れします。けんど又逢いたおす」

「へえ・・・」

「きっとどすえ・・・・」

といって立ち去った舞妓二人。

だからその後のことは何も知らない。


・・・・・こうして、もう一つの物語が始まった。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ