第九章 魔王軍の影
王城の事故から半年が過ぎた頃、王国の北方で異変が起きた。
魔王軍が、国境を越えて侵攻を開始したのだ。
最初の報告は、辺境の砦からもたらされた。
「北部の村が、三つ焼き払われました。住民の大半が殺害されています」
王城の評議会は、緊張に包まれた。
「魔王軍だと? 三百年前に封印されたはずでは——」
「封印が解けたのでしょうか」
「詳細は不明ですが、確かなのは——敵の進軍が、異常に速いことです」
報告官の声が、震えていた。
「我が軍の砦が、次々と陥落しています。通常の軍隊では、考えられない速度です」
アリシア王女が、鋭い声で尋ねた。
「敵の強さの秘密は何だ」
「それが——まだ判明していません。ただ、一つ確かなことがあります」
「何だ」
「敵は、強力な『魔導兵器』を保有しています。我が軍の武器では、太刀打ちできません」
会場がざわついた。
「魔導兵器?」
「どのようなものだ」
「詳細は不明ですが——魔力を凝縮して放射する装置のようです。一撃で、城壁を粉砕する威力があると」
◇
工房にも、戦争の影響が及び始めた。
軍用の魔導器具の発注が急増し、全ての工房が総動員された。
「シュウ、お前も来い」
リカルドが言った。
「軍の補給品を製造する。大規模な仕事だ」
修平は頷いた。
だが、心の中では複雑な思いを抱えていた。
戦争——
それは、修平が最も関わりたくないものだった。
前世でも、彼は平和な日常を支えるインフラの仕事をしていた。戦争とは無縁の、地味だが堅実な仕事。
この世界に来ても、それは変わらないはずだった。
だが——
「シュウさん」
ミラが、暗い顔で言った。
「最近、スラムに新しい人が増えてる」
「新しい人?」
「戦争で家を焼かれた人たちだ。北から逃げてきた」
修平は、目を閉じた。
戦争は、関係ない——そう思っていた。だが、その戦争が、目の前の人々を苦しめている。
「——案内してくれ」
「え?」
「その人たちのところへ。何かできることがあるかもしれない」
◇
スラムの一角に、仮設の避難所が設けられていた。
ぼろぼろの布で作ったテントが、狭い路地に密集している。そこに、百人を超える人々が詰め込まれていた。
老人、女性、子ども。働き盛りの男の姿は、ほとんど見えない。
「男たちは、軍に徴兵されたんだ」
ミラが、低い声で言った。
「残されたのは、戦えない人たちだけ」
修平は、避難所を見回した。
衛生状態は最悪だった。水も食料も足りない。病人やけが人も多い。
そして——
子どもたちの目が、虚ろだった。
何かを失った目。希望を失った目。
「——ミラ」
「なんだ」
「この人たちのために、できることをしよう」
「できることって?」
修平は、周囲を見回した。
避難所の照明——粗末な魔導灯——が、明滅している。
「まずは、照明を直す。それから、衛生設備を整える。できることから、一つずつ」
ミラは、少し驚いた顔をした。
「——あんた、本気か」
「本気だ」
「でも、戦争とは関係ない仕事だぞ」
「関係なくない」
修平は、避難所の子どもたちを見た。
「この子たちが、安心して眠れる場所を作る。それが、俺にできることだ」
◇
修平とミラは、避難所の改修を始めた。
昼間は工房で軍用品を製造し、夜は避難所で作業する。睡眠時間は三時間程度まで削られた。
だが、修平は止まらなかった。
「ここの照明、直しておいた」
「ありがとう——本当に、ありがとう」
避難民の老婆が、涙を浮かべて礼を言った。
「こんな場所で、誰かが助けてくれるなんて——」
「気にしないでください。俺は、自分にできることをしているだけです」
修平の活動は、避難所の人々の間で評判になった。
「あの若者、毎晩来て照明を直してくれる」
「金も取らないらしい」
「天使みたいな人だ」
その評判は、やがて王城にも届いた。
◇
ある日、アリシア王女が工房を訪れた。
「シュウ。話がある」
「——王女殿下」
修平は、作業の手を止めた。
「避難所での活動、聞いた」
「はい」
「素晴らしいことだ。だが——」
アリシアの目が、真剣になった。
「お前の力を、もっと大きな場所で使ってほしい」
「大きな場所?」
「魔王軍との戦いだ」
修平は、眉をひそめた。
「俺は、戦闘には——」
「戦闘じゃない。技術だ」
アリシアは、一枚の報告書を取り出した。
「魔王軍の『魔導兵器』。その威力の秘密が、ようやく判明した」
「何ですか」
「魔力の伝送効率だ」
修平の目が、見開かれた。
「伝送効率……」
「そうだ。魔王軍の魔導兵器は、魔力を極めて効率よく伝達できる。我が軍の兵器の、三倍以上の効率だという」
「三倍——」
「我々の技術では、対抗できない。だが、お前の技術があれば——」
アリシアは、修平の目を見据えた。
「可能性がある。お前の『改良型接続方式』を使えば、我々の魔導兵器も、敵に匹敵する効率を達成できるかもしれない」
修平は、しばらく黙っていた。
戦争に関わることへの抵抗感。
だが——
「——やります」
「本当か」
「はい。ただし、一つ条件があります」
「何だ」
「俺は、設計だけじゃない。現場でも施工します」
アリシアの眉が、上がった。
「現場?」
「そうです。図面を渡すだけじゃ意味がない。現場で施工できる人間がいなければ、絵に描いた餅です」
「だが、前線は危険だ」
「わかっています」
修平は、静かに言った。
「でも、現場に行かなければ——本当に良い仕事はできません」
アリシアは、しばらく修平を見つめていた。
やがて、彼女は——笑った。
「——お前らしい」
「は?」
「いいだろう。お前の条件を呑む。王城の魔導兵器開発に、お前を正式に参画させる」
修平は、深く頭を下げた。
「ありがとうございます」
◇
その夜、修平はエリーゼとリカルドに報告した。
「王女から、正式な依頼が来た。魔導兵器の開発に参加することになった」
「——ついに来たか」
リカルドが、深い溜息をついた。
「お前の技術が、国家レベルで認められたってことだな」
「そうなりますね」
エリーゼが、心配そうに言った。
「でも、シュウさん。前線は危険です」
「わかっている」
「本当にわかっていますか」
「——わかっている」
修平は、窓の外を見た。
夜の王都。遠くで、避難所の魔導灯が光っている。
「でも、避難所の子どもたちを見た。戦争で全てを失った人たちを見た。俺には——止まる資格がない」
「シュウさん……」
「それに——」
修平は、小さく笑った。
「リカルドさんが、志願兵として前線に行くって聞いたぞ」
リカルドが、ぎくりとした。
「——誰から聞いた」
「ミラからだ」
「あの小僧——」
「俺も行く。一緒に」
リカルドは、しばらく修平を見つめていた。
やがて、彼は苦笑した。
「——しょうがない奴だな」
「よく言われる」
二人は、互いに頷き合った。
戦争という大きな物語が、彼らを飲み込もうとしていた。
だが、修平は決意していた。
見えないところで、確実に繋ぐ。
それが、俺の仕事だ。
戦場であっても——変わらない。




