第六章 見習いの反乱
修平の「図面式施工法」が工房内で広まり始めたのは、スラムでの活動が三ヶ月を過ぎた頃だった。
最初は、リカルドの班だけだった。修平が作成した図面を使い、計画的に施工を進める。結果は明らかで、作業時間は従来の三分の二、品質は格段に向上した。
その評判を聞きつけた他の班の見習いたちが、図面を見せてほしいと言い始めた。
「シュウさん、この『魔導回路図』、俺にも描き方を教えてくれませんか」
「俺にも」
「私も」
若い世代は、新しいものを吸収するのが早い。彼らは図面の利点をすぐに理解し、自分の班でも取り入れたいと考えた。
修平は、快く応じた。
「いいよ。夜、時間があるときに教える」
こうして、工房の裏庭で「図面講座」が始まった。
最初は三、四人だったが、口コミで人数が増え、やがて十人を超えるようになった。
「まず、建物の見取り図を描く。壁の位置、部屋の配置、窓とドア」
「次に、魔導管の経路を描き込む。主幹を太い線で、分岐を細い線で」
「色分けして、どの系統がどこへ繋がっているかを明確にする」
見習いたちは、熱心に学んだ。彼らにとって、これは単なる技術以上のものだった。
「今まで、先輩たちに『見て覚えろ』としか言われなかった」
一人の見習いが、感慨深げに言った。
「でも、図面があれば——自分で理解できる。自分で考えられる」
「そうだ」
修平は頷いた。
「技術は、頭で理解するものだ。体で覚えるだけじゃ限界がある」
◇
だが、全員がこの変化を歓迎したわけではなかった。
「何をやっている」
ある夜、ゴルドが裏庭に現れた。
見習いたちが凍りついた。
「こ、ゴルドさん——」
「俺の許可なく、見習いを集めて何を教えている」
ゴルドの目が、修平を射抜いた。
「図面の描き方を教えていました」
「図面だと」
「はい。魔導回路図です」
「——ふざけるな」
ゴルドの声が、低くなった。
「俺たち古参は、何十年もかけてこの仕事を覚えてきた。お前は、それを紙切れ一枚で済ませようとしている」
「そうではありません」
「いや、そうだ」
ゴルドは一歩前に出た。
「図面があれば、見習いでも施工できる——そうお前は言ったな。それは、俺たちの経験を軽視しているということだ」
見習いたちが、不安そうに二人を見比べていた。
修平は、落ち着いた声で答えた。
「軽視しているわけではありません。むしろ、逆です」
「逆だと?」
「図面は、ベテランの経験を記録する手段です。ゴルドさんが何十年もかけて学んだことを、紙の上に書き出す。そうすれば、次の世代に引き継げる」
「——引き継ぐ?」
「はい。今は、職人が引退したり亡くなったりすると、その人の技術も失われます。でも、図面に残しておけば、後から誰でも学べる。ゴルドさんの技術が、永遠に生き続けるんです」
ゴルドは、言葉を失った。
修平は続けた。
「俺が教えているのは、図面の描き方だけです。実際に施工するには、経験が必要です。材料の扱い方、工具の使い方、現場での判断。それは、ベテランから直接学ぶしかない」
「……」
「図面は、経験を否定するものじゃありません。経験を補完するものです」
ゴルドは、しばらく黙っていた。
やがて、彼は大きく息を吐いた。
「——口の減らない奴だ」
「すみません」
「謝るな」
ゴルドは、見習いたちを見回した。
「お前たち」
「は、はい」
「この男に図面を習うのは構わん。だが——俺たち古参からも、ちゃんと学べ。図面だけじゃ、一人前にはなれんぞ」
見習いたちの顔が、ほっとした表情に変わった。
「はい、ゴルドさん」
「わかりました」
ゴルドは、修平をじろりと睨んだ。
「——覚えておけ。お前の図面が本当に役立つかどうか、俺はまだ見定めている」
「わかっています」
「ふん」
ゴルドは踵を返して去っていった。
見習いたちが、安堵の溜息をついた。
「やべえ、殺されるかと思った」
「シュウさん、よく言い返せたな」
「言い返したわけじゃない。本当のことを言っただけだ」
修平は、図面を巻き取った。
「今日はここまでだ。また明日」
◇
それから一週間後、工房長から正式な通達が出た。
「新方式と従来方式の比較試験を行う」
工房の全職人が、大ホールに集められた。
「最近、新しい施工方式——図面を使った方法——が広まっている。これが本当に有効かどうか、公正な試験で確かめることにした」
工房長の隣には、ゴルドとリカルドが立っていた。
「リカルドの班は新方式で、ゴルドの班は従来方式で、同じ規模の施工を行う。工期、品質、コストを比較し、どちらが優れているかを判定する」
職人たちがざわついた。
「正式な対決か」
「これで決着がつくな」
「でも、ゴルドさんの経験に勝てるのか?」
修平は、静かに試験の内容を聞いていた。
対象は、工房が受注した中規模の商店の魔導設備。新築物件で、魔導灯十五個、魔導炉一基、配管全長約百メートル。
工期は二週間。
「試験開始は明日からだ。各班、準備を進めろ」
◇
その夜、リカルドが修平を呼び出した。
「シュウ。明日からの試験、お前が中心になって動いてくれ」
「——俺がですか」
「ああ。図面を描けるのはお前だけだ。俺たちは、お前の指示に従う」
修平は、少し考えた。
「——わかりました。ただ、一つ条件があります」
「何だ」
「俺は、指揮は取りません」
「は?」
「施工計画は俺が作ります。図面も描きます。でも、現場での指揮は、リカルドさんがしてください」
リカルドは、眉をひそめた。
「なぜだ」
「俺はまだ、この工房では『下働き』です。正式な職人じゃない。そんな俺が指揮を取ったら、他の職人たちが納得しないでしょう」
「……それはそうだが」
「それに、俺の仕事は計画を立てることです。現場で動くのは、リカルドさんの方が向いている」
リカルドは、しばらく修平を見つめていた。
やがて、彼は笑った。
「——お前は、本当に変わった奴だな」
「よく言われます」
「いいだろう。お前が計画を立て、俺が指揮を取る。それでいく」
◇
試験が始まった。
修平は、まず現場を徹底的に調査した。建物の構造、壁の材質、既存の穴の位置。全てを図面に書き込み、最適な配管ルートを設計した。
「ここから主幹を引いて、この分岐点で三系統に分ける」
「この壁は厚いから、ここを通すのは避ける」
「魔導炉は負荷が大きいから、専用の系統にする」
図面ができあがると、リカルドが見習いたちに配布した。
「各自、この図面をよく見ておけ。自分が担当する部分がどこか、確認しろ」
「はい」
施工が始まると、違いは歴然だった。
従来方式のゴルド班は、ベテランが後輩に口頭で指示を出す。効率は良いが、指示を待つ時間が発生し、ボトルネックになっていた。
一方、新方式のリカルド班は、各自が図面を見て自分で判断できる。迷ったときだけ上司に確認すればいい。結果として、並行作業が可能になり、全体の効率が上がった。
「歩掛」——作業時間の記録——を取ると、違いは明確だった。
同じ作業に、ゴルド班は平均で一・五倍の時間がかかっていた。
一週間が経過した時点で、リカルド班は工程の六十パーセントを完了。ゴルド班は四十パーセント。
「——この差は、取り返せないな」
ゴルドが、低い声で呟いた。
◇
試験終了日。
リカルド班は、予定より一日早く施工を完了した。
ゴルド班は、ぎりぎり二週間で完了。
品質検査の結果も、リカルド班が上だった。魔力の漏洩率、器具の取り付け精度、接続部の処理——全ての項目で、新方式が従来方式を上回っていた。
工房長が、結果を発表した。
「試験の結果、新方式が優れていることが証明された。今後、工房では図面を使った施工法を標準とする」
若い見習いたちから、歓声が上がった。
だが、古参の職人たちは、複雑な表情だった。
ゴルドが、修平に近づいてきた。
「——シュウ」
「はい」
「認めよう。お前の図面は、確かに効果があった」
「ありがとうございます」
「だが——」
ゴルドの目が、鋭くなった。
「俺たちの経験を、軽んじるな。図面だけでは、職人は育たない」
「わかっています」
「本当にわかっているのか」
「——はい」
修平は、真剣な目で答えた。
「図面は、道具に過ぎません。使いこなすのは、人間です。経験のある職人がいなければ、図面も意味がない」
ゴルドは、しばらく修平を見つめていた。
やがて、彼はかすかに笑った。
「——お前は、口先だけの奴じゃないようだな」
「光栄です」
「これからも、見習いたちに教えてやれ。ただし——」
「ただし?」
「俺たち古参にも、敬意を払え」
「もちろんです」
ゴルドは頷いた。
「——まあ、いい。認めてやる」
彼は踵を返して去っていった。
リカルドが、修平の肩を叩いた。
「やったな、シュウ」
「いや、リカルドさんたちのおかげです」
「謙遜するなよ。これで、工房のやり方が変わる。お前のおかげだ」
修平は、小さく笑った。
「——でも、まだ足りない」
「何がだ」
「工房が変わっても、王都全体は変わらない。他の工房、ギルド、王城——変えなければならない場所は、まだたくさんある」
リカルドは、呆れたように首を横に振った。
「お前は——本当に欲張りだな」
「そうかもしれません」
「でも——」
リカルドの目が、真剣になった。
「お前になら、できるかもしれない」
「——ありがとうございます」
◇
試験の結果は、工房の外にも広まった。
噂を聞いた他の工房の職人たちが、「図面式施工法」について尋ねてくるようになった。
「その図面というやつ、俺たちにも教えてくれないか」
「もちろんです」
修平は、快く応じた。
少しずつ、少しずつ。
種は蒔かれていた。
やがて、それが大きな木に育つことを——修平は信じていた。




