第五章 魔力漏電
王都を揺るがす連続事故が始まったのは、ベルモント伯爵邸の工事が完了してから二週間後のことだった。
最初の事故は、商業区の大型倉庫で起きた。
魔導炉が突然暴走し、倉庫全体が炎に包まれた。幸い、夜間だったため人的被害は少なかったが、保管されていた大量の物資が焼失した。
二日後、住宅区で別の事故。
魔導灯が爆発し、近くにいた子どもが重傷を負った。
さらに三日後、職人区で。
鍛冶工房の魔導炉が制御不能になり、溶けた金属が作業員に飛び散った。死者一名。
「また事故だ」
工房で、職人たちが暗い顔で話していた。
「最近、多すぎないか」
「魔導石の品質が落ちてるんじゃないか」
「いや、聞いた話では——」
修平は、その会話を黙って聞いていた。
魔導石の品質。
確かに、それが原因だと考える者は多いだろう。だが——
「リカルドさん」
修平は、休憩中のリカルドに近づいた。
「最近の事故現場、見に行けますか」
「何だって?」
「事故の原因を調べたいんです」
リカルドは眉をひそめた。
「……何か思うところがあるのか」
「まだ確信はありません。でも、現場を見ればわかるかもしれない」
リカルドは、しばらく考え込んだ。
「——わかった。今夜、連れていってやる」
◇
最初の事故現場、商業区の倉庫。
焼け落ちた建物の残骸が、まだ片付けられずに残っていた。夜間は立ち入り禁止だが、リカルドの顔見知りの警備員が、目をつぶってくれた。
「ひでえ有様だな」
リカルドが呟いた。
修平は、黙って残骸の中を歩いた。
焼け焦げた木材。歪んだ金属。そして——
魔導管の残骸があった。
熱で溶けかけているが、まだ形を留めている部分がある。修平はしゃがみこみ、【配線術】のスキルを発動した。
青白い糸——魔力の残滓——が、かすかに見えた。
「——やっぱりだ」
「何がわかった」
「魔導石の問題じゃない。施工の問題だ」
修平は、焼け残った接続部を指さした。
「ここを見てください。接続部が溶けている。でも、普通の熱じゃこうはならない」
「どういうことだ」
「魔力が、接続部に集中したんです。通常の何十倍もの魔力が、一点に流れ込んだ。だから、管が溶けた」
リカルドの顔色が変わった。
「何が原因だ」
「おそらく——」
修平は立ち上がり、周囲を見回した。
「この倉庫、最近増設されていませんか」
「ああ、確か半年前に——」
「その増設のとき、既存の配管と新しい配管の接続が、不適切に行われたんでしょう。負荷が一点に集中する配線になっていた」
「負荷が集中……」
「簡単に言うと、魔力の『交通渋滞』が起きたんです。普段は問題なくても、ピーク時——例えば、多くの魔導器具を同時に使ったとき——には、特定の箇所に魔力が殺到する」
リカルドは、重い溜息をついた。
「——他の事故も、同じ原因か」
「現場を見ないとわかりませんが、おそらくは」
◇
次の二つの事故現場も、似たような状況だった。
住宅区の魔導灯爆発。増設時に、古い配管と新しい配管が不適切に接続されていた。
職人区の魔導炉暴走。改修のとき、負荷計算なしに大出力の炉を設置していた。
「全部、施工不良が原因だ」
工房に戻り、修平はエリーゼとリカルドに報告した。
「魔導石の品質じゃない。配管の設計と施工に問題がある」
エリーゼの顔が、青ざめた。
「でも、それは——」
「ああ。この王都全体で、同じ問題が起きている可能性がある」
修平は、図面を広げた。
「俺が見た限り、この世界の魔導管施工には、いくつかの致命的な欠陥がある」
彼は、一つ一つ指摘していった。
「第一に、絶縁処理がない。魔力が管から漏れ出すのを防ぐ仕組みがない」
「第二に、接地がない。暴走時に、魔力を安全に逃がす経路がない」
「第三に、負荷計算がない。どれだけの魔力が流れるか、事前に計算していない」
「第四に、図面がない。施工の記録が残らないから、問題があっても原因を特定できない」
「第五に、分岐回路の概念がない。一箇所の故障が、全体に波及する構造になっている」
リカルドが、頭を抱えた。
「——全部だ。全部、欠けているのか」
「そうです」
修平の声は、淡々としていた。
「今まで事故が起きていなかったのは、ただの幸運です。というより、事故は常に起きていたんでしょう。小さな事故は無視され、大きな事故だけが記録に残った。でも、建物が増え、魔導器具が増え、システム全体の負荷が上がっていくにつれて——」
「事故が増えている」
「はい」
エリーゼが、震える声で言った。
「どうすればいいのですか」
「根本的な解決には、王都全体の魔導設備を見直す必要があります。でも、それは——」
「何年もかかる」
「そうです」
沈黙が落ちた。
やがて、修平が口を開いた。
「まずは、応急措置として——『絶縁抵抗測定』の方法を広めましょう」
「絶縁抵抗測定?」
「魔力の漏れを、数値で測定する方法です。これがあれば、事故が起きる前に、危険な場所を特定できる」
修平は、以前作った流量計を取り出した。
「これを改良して、簡易的な測定器を作ります。使い方を職人たちに教えれば、自分たちで検査ができるようになる」
リカルドの目が、わずかに明るくなった。
「それなら——俺たちにもできるな」
「ええ。ただ、もう一つ問題があります」
「何だ」
「この測定器、俺が個人で作っても普及しません。公的な認可が必要です」
エリーゼが頷いた。
「魔導師ギルドの承認……」
「そうです。そして、魔導師ギルドは——」
「貴族が支配している」
修平は、苦い顔で頷いた。
「彼らが、平民の技術を認めるとは思えない」
◇
予想は的中した。
エリーゼが魔導師ギルドに測定器の提案を持ち込むと、門前払いを食らった。
「絶縁抵抗測定? 聞いたこともない」
「魔導石の品質管理をすれば済む話だ」
「平民の技術者が考案した器具など、信用できるわけがない」
反応は、ことごとく否定的だった。
だが、最も衝撃的だったのは、ギルド長の言葉だった。
「事故が起きているのは事実だ。だが、それは——平民の職人が、正しく施工しないからだ」
エリーゼは、目を見開いた。
「……何ですって」
「魔導の理論は、我々貴族が管理している。その理論に従って施工すれば、事故など起きるはずがない。起きるとすれば、それは施工した職人の問題だ」
「でも、現場では——」
「現場のことは知らん。我々の仕事は、理論を確立することだ」
ギルド長——五十代後半の、銀髪の男——は、冷たい目でエリーゼを見た。
「お嬢さん。君は工房長の娘だそうだな」
「はい」
「なぜ、平民の職人の肩を持つ。君は貴族だろう」
エリーゼは、言葉に詰まった。
答えを考えている間に、ギルド長は踵を返した。
「この提案は却下だ。二度と持ってくるな」
◇
工房に戻ったエリーゼは、悔しさで震えていた。
「理論だけを振りかざして——現場を見ようともしない——」
「わかっていたことだ」
修平は、静かに言った。
「でも、悔しいです。正しいことをしているのに——」
「正しいことが認められるとは限らない。特に、既得権益と衝突する場合は」
修平は、窓の外を見た。
王都の街並み。あちこちで、魔導灯が明滅している。
「でも、諦めるわけにはいかない」
「どうするんですか」
「表がダメなら、裏から攻める」
修平は振り返った。
「俺は——スラムで、魔導設備を直し続けている」
「スラム?」
「ああ。毎晩、壊れた照明や配管を修理している。金は取らない。ただ、直すだけだ」
エリーゼの目が、大きくなった。
「なぜ、そんなことを——」
「見えないところでも、正しいことはできる。貴族が認めなくても、住人たちは喜んでくれる。そうやって、少しずつ——本当に少しずつだが——技術を広めていける」
「でも、それでは——」
「時間がかかる。わかっている」
修平は、小さく笑った。
「でも、俺には時間がある。この若い体を使って、何十年でもやり続けるさ」
エリーゼは、しばらく修平を見つめていた。
やがて、彼女は言った。
「私も——手伝います」
「え?」
「スラムでの活動。私も参加させてください」
「——いいのか。貴族のお嬢さんが、スラムなんかに」
「関係ありません」
エリーゼの目が、燃えていた。
「私は——正しいことをしたいんです。ギルドが認めなくても、父が反対しても。自分の目で見て、自分の手で——」
「……わかった」
修平は頷いた。
「でも、危険なこともある。覚悟しておけ」
「もちろんです」
◇
その夜、修平とエリーゼは、ミラと合流した。
「——誰だ、このお嬢さんは」
ミラが、警戒の目でエリーゼを見た。
「エリーゼだ。俺の——協力者、かな」
「協力者?」
「魔導技術の研究を手伝ってもらっている」
「ふうん」
ミラは、まだ疑わしげだった。
エリーゼが、手を差し出した。
「よろしくお願いします、ミラさん」
「……『さん』はいらない」
だが、ミラは手を握り返した。
「あんたも照明を直すのか」
「ええ、できる限りは」
「ふん。貴族のお嬢さんが、手を汚せるのかね」
「やってみせます」
その言葉に、ミラの目がわずかに和らいだ。
「——まあ、いい。案内してやる」
◇
三人は、スラムの奥へと進んでいった。
ミラが先導し、修平が続き、エリーゼが最後尾。
夜のスラムは、昼間よりもさらに暗く、危険だった。路地裏には怪しい人影が潜み、悪臭が鼻をつく。
エリーゼは、何度も足を止めそうになった。だが、彼女は歯を食いしばって歩き続けた。
「ここだ」
ミラが、一つの建物の前で立ち止まった。
崩れかけた木造の家。窓には紙が貼られ、扉は外れかけている。
「ここに、三家族が住んでいる。魔導灯は——」
「見える」
修平が、【配線術】のスキルを発動した。
「管が完全に詰まっている。魔力が流れていない」
「直せるか」
「やってみる」
修平は、壁に手を当てた。
青白い糸が、視界に浮かぶ。魔導管の中を、ゆっくりとたどっていく。
「——ここだ」
壁の一点を指さす。
「ここで、管が潰れている。おそらく、建物が傾いたときに」
修平は工具袋を開き、作業を始めた。
壁に小さな穴を開け、管を露出させる。潰れた部分を切り取り、新しい管で繋ぎ直す。接続部は、改良方式で処理する。
一時間後、修平は作業を終えた。
「——点いた」
ミラが、目を見張った。
家の中で、魔導灯が青白い光を放ち始めた。安定した、明るい光。
扉が開いて、中から老婆が出てきた。
「何だい、この明かりは——」
「照明を直しました」
修平は、静かに言った。
「これで、しばらくは大丈夫です」
老婆の目に、涙が浮かんだ。
「ありがとう——ありがとう——」
その様子を、エリーゼは黙って見ていた。
彼女の目にも、涙が光っていた。
◇
帰り道、エリーゼは言った。
「——私は、何も知らなかった」
「何を」
「こんな場所があること。こんなふうに暮らしている人がいること。私は——王都で生まれて、王都で育って、貴族の屋敷と学院しか知らなかった」
「それは、お前のせいじゃない」
「でも——」
「環境のせいだ。お前が悪いわけじゃない」
修平は、夜空を見上げた。
「大事なのは、知った後にどうするかだ」
「……どうすれば、いいんですか」
「さっきのお前は、正しい反応をしていた」
「正しい反応?」
「泣いていただろう」
エリーゼは、はっとした。
「他人の痛みに、心が動く。それが、人間として正しい反応だ」
「でも、泣いているだけでは——」
「ああ。だから、行動する。できることを、少しずつ。俺たちがやっているように」
修平は振り返った。
「お前は今夜、初めてスラムに来た。初めて、現実を見た。それだけでも、大きな一歩だ」
エリーゼは、深く息を吐いた。
「——ありがとうございます、シュウさん」
「何が」
「連れてきてくれて」
修平は、小さく頷いた。
「また来い。毎晩じゃなくていい。できるときに、できるだけ」
「はい」
エリーゼの目に、新しい光が宿っていた。
それは、決意の光だった。
◇
その後も、スラムでの活動は続いた。
修平とミラは毎晩。エリーゼは週に二、三回。
直した照明の数は、三ヶ月で百を超えた。
スラムの住人たちは、修平のことを「魔導管の神様」と呼ぶようになった。
だが、修平は満足していなかった。
「——まだ足りない」
ある夜、ミラにそう言った。
「足りないって、何がだ」
「俺たちが直せるのは、表面的な問題だけだ。根本的な解決には、もっと大きな力が必要だ」
「大きな力?」
「王国全体の魔導設備を、見直す力。政治の力だ」
ミラは、眉をひそめた。
「政治なんか——私には関係ない」
「そうだな。でも、政治は俺たちの生活に関係している。この腐った魔導設備を放置しているのは、政治の怠慢だ」
修平は、夜の王都を見つめた。
遠くに、王城の明かりが見える。
「いつか——あそこを変えなければならない」
「あそこって、王城か?」
「ああ」
ミラは、信じられないという顔をした。
「無理だろ。私たちは平民だ。王城なんか——」
「わからない」
修平は、小さく笑った。
「でも、伯爵邸の工事ができた。魔導学院で論文を通した。一歩ずつ、少しずつ——前に進んでいる」
「……あんたは、本当に変な奴だな」
「よく言われる」
二人は、夜のスラムを歩き続けた。
見えないところで、世界は少しずつ変わり始めていた。
そして、変革の波は——やがて、王城にも届くことになる。




