第9話 か弱そうな彼女
本日は休息日。か弱くなる訓練の休みの日だ。
シャルロッテが風邪で床に伏して以降、週休二日制となったのである。
基本的に、休息日は何をしても良い。
一日中ベッドで寝耽るも良し。
図書館に入り浸るも良し。
日がな一日好きなように過ごして良い。
けれど、一つだけルールがある。
王宮の敷地外へ行く際は、スワードに、必ず事前報告をしなければならないのだ。
そして今日、シャルロッテは初めての事前報告をしに行く。
午前十時、シャルロッテは、スワードの執務室を訪ねた。
ノックをすると、部屋の中から「入れ」と冷淡な声が聞こえて。
自分には向けられた事のない声に、シャルロッテの背筋が凍った。
いつになく虫の居所が悪そうである。
出直そうか? けれど、すでにノックをしてしまったし……。
シャルロッテは恐る恐るドアを押した。
なるべく音を立てないよう、細心の注意を払う。
一人分にも満たない隙間が出来た。そして、ドアの影に隠れながら、中の様子を窺う。
スワードは、ちょうど、書類に目を通しているところだった。読み進めていくと、徐々に眉根が寄っていく。
そして、まごついて入室しない訪問者の様子が、スワードの癪を高めた。
訪問者に退室を促そうと、素早く書類から視線を上げる。すると、
「きみ、用がないなら出て行っ……シャルロッテ?」
シャルロッテの存在に気がつき、スワードは眉を開いた。
「ごごごご機嫌麗しゅう、殿下。お邪魔でしたね」
シャルロッテの声音が震え、間抜けに裏返った。
──怖かった。
一瞬向けられた鋭い眼差しに、慄然とする。
微苦笑のシャルロッテは後ずさった。
「いや、ちょうど暇をしていたところだ」
そう言って、スワードは走らせていたペンを止めた。
(嘘がお下手ですね!? 絶対お忙しかったわよね!?)
先程の不機嫌な彼を見て、シャルロッテの肝はすっかりと縮んでいた。恐る恐る部屋の中へ入る。
高鳴る胸を鎮めるため、大きく呼吸した。
すると、フランキンセンスの香りが、鼻腔をくすぐった。……スワードの香りだ。
甘美な香りに陶酔しつつ、シャルロッテは部屋を四望する。
対面する壁に、巨大な本棚が設られている。
棚には書物がびっしりと並んでおり、どこにも隙間がない。
外国語の書物も、多数揃えられている。
──か弱くなる訓練なんてバカな事を、している場合じゃないのでは?
「事前報告をしに参りました。今日明日で帰省させていただきます」
シャルロッテは予定を報告をした。
「帰省」と聞いたスワードの眉が、ぴくりと反応する。
「……夫人の命日か」
スワードはおもむろに立ち上った。そして、シャルロッテに正対する。
「ご存知なんですね」
シャルロッテは唖然とした。
自分の母の命日をスワードが知っているとは、まったくの慮外だったから。
「早逝でとても残念だった。明日が命日だったな。わたしも行こう」
「あ、はい……っはい!? あのっ、お墓参りに行くだけですので! 目新しい事は何も……」
「だから行くんだ。愛娘を預かっていると、夫人に報告しなければなるまい。そうだろう?」
そう言ってスワードは、シャルロッテの髪筋をすくい取った。
長い睫毛が烟る青い瞳が、向けられる。
シャルロッテの胸が高鳴った。スワードが美しいから、という事はもちろんだ。けれど、今回はそうではなく、
──王太子が急に訪ねてきたら、父も使用人も卒倒する!!
先ぶれもなしに彼を連れて行くなんて……。
恐れながらも、シャルロッテは断った。
けれど、「一人で良いです」「いや、わたしも行く」同じような会話を、再三繰り返して。
結局、スワードが粘り勝ちした。
そうして、今回の帰省は、スワードが、帯同する事となったのだった。
馬車へ乗り込むと、スワードの合図で出発した。
シャルロッテは、窓外を流れる景色を見た。
日盛りなので、馬車の中まで蒸し暑い。
「殿下、大通りのお花屋さんに寄らせていただいても?」
「薔薇か?」
「へっ? なぜ殿下がご存知で」
「昔、うんざりするほど、侯爵が惚気話を聞かせてきたんだよ。薔薇を贈ると、夫人が薔薇より赤くなるとな」
青い瞳に日が差し、水光のように輝いた。
「惚気話なんて鬱陶しいだけだったが……。まあ、今は理解できる」
そう言って、まばゆそうに、細目でシャルロッテを見つめるのだった。
◇◇◇
有名な花屋ブルームに、二人は立ち寄った。
ここには、季節や原産地を問わず、種々の花が揃えられている。
巨大な庭園を持つ貴族でさえ、ここぞという時に、このブルームを利用するらしい。
シャルロッテ達が店へ入ると、彩豊かな花々が、二人を迎えた。
店内はガラス天井が高く、広やかな空間である。
「うわぁ……お花がこんなに沢山……!」
シャルロッテは、大きく息を吸い込んだ。
芳しい花香、茎の若々しい香り。楚々とした小花から艶やかな大輪の花まで、様々ある。
シャルロッテは、心を弾ませた。
スワードは、その辺の花を適当に見ていた。
そして、ふと視線を上げ紅潮するシャルロッテを見ると、堪らず吹き出す。
「ははっ! 鉢に触れるなよ?」
「も、もちろんですっ! お店のため、お花のため……絶対に触りません!」
決意を固め、ぐっと拳を握る。
すると、店の奥から忙しい足音が聞こえた。
「きゃあ! お客さんが来てたなんて、気づかなかった。ごめんなさい!」
小走りで現れたのは、愛くるしい娘だった。
ストロベリーブロンドと、マシュマロのような肌。ダークチェリー色の瞳。垂れ眉がいとけない印象で、庇護欲がそそられる、か弱そうな容貌だ。
その店員は、真っ直ぐに、スワードの元へ向う。
「いらっしゃい、素敵な騎士様。お花がほしいの?」
「わたしではなく、彼女だ」
人目を避けるため、簡素な下級騎士に扮するスワードに、店員は気安く接した。
肩の上で毛先を踊らせ、上目遣いで媚びるような視線を送る。
けれど、スワードは、すげない態度であしらって。シャルロッテと目笑を交わした。
店員の瞳に、苛立ちが滲む。
「……付き人さん?」
──付き人!?
不意打ちされたシャルロッテは、固まった。
付き人とは、要するに使用人だ。雑用や、主人の身の回りの世話係である。
それで言うと、シャルロッテは、主人側である。
──これでも侯爵令嬢なのだけれど……
怒りはない。けれど、そんなに貧相だろうか?
使用人に示しがつくよう、令嬢らしい装いをして来たつもりだが。
すると、スワードが一歩前に出る。
そしてシャルロッテを庇うようにして、店員の前に立ちはだかった。
「口を慎め。彼女は立派な貴族令嬢だ」
「えっ! ごめんね悪気はないの! そ、そんなに睨まないで……ごめんなさいお嬢様……!」
そう言って、店員は憂いのある表情を見せる。今にも泣き出しそうに見えた。
「へ!? おっ、怒ってません! わたしの顔怖かったかしら……ごめんなさい!」
「シャルロッテ、君は悪くない。さっさと用意してもらおうか。赤い薔薇を99本、緑色のリボンを使ってくれ」
スワードは口早に注文した。
うるうるとした目で、店員は彼を見上げる。
その時、シャルロッテは気がついた。
自分の血液の流速が、上がっていく。みぞおちの辺りに熱が集まる。そして妙に焦ったい。
苛立ちにも似ているが、それだけじゃないような──。
こんな感情で昂るのは、初めてである。
これは、何という名の感情だろうか。
店員は、尚も、スワードに話かけている。
気がついた時、シャルロッテはスワードと店員の間に、すでに割り込んでいた。
「あのう……薔薇を用意していただけますか? 先が長いので」
そう言って、薄目遣いで店員を見やる。
するとスワードが、覆い被さるようにして、後ろからシャルロッテに抱きつく。
すると店員は、シャルロッテを一瞥し「はぁい」と、ようやく薔薇の剪定に取りかかった。
シャルロッテは、深く呼吸をした。
スワードの香りが鼻腔を蕩かせる。
先程の、謎の鋭利な気持ちが凪いでいく。
「こんな所早く出よう。君との時間が惜しい」
「……はい」
細声で答えたシャルロッテは、小さく肯いた。
花束はとても綺麗な仕上がりだった。
摘みたてだからだろうか。花びらも茎も瑞々しくて、ハリがある。
接客に関しては決して褒められるものじゃなかったが、技術は間違いない。
「騎士さん、また来てね。割引きしてあげる」
スワードの腕に触れようと、店員は手を伸ばした。
けれど、スワードは、瞬間的にそれを避けた。そしてシャルロッテの腰に手を回し、踵を返す。
去り際、シャルロッテは見返った。
店員が、目顔で、「気に食わない」と言っているようだった。
シャルロッテ達が去った後、店員は独言した。
「なーんだ。他の男がいたんだ? 下級騎士だしお金はないっぽいけど……」
銀色の髪と青色の瞳、精巧な彫刻のような面立ち。他の男とは桁違いの、美しい男だった。
「こっちも貰っちゃお」
そう言って、店員は、薔薇の花びらをむしり取るのだった。




