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第8話 恋が芽吹くまで(後編)



「か弱くなって、恋がしたいんです」

 

 そう言われた時、最初に浮かんだのは「誰と?」という疑問だった。



 ◇◇◇



 ──バキッ!!


 午後三時、東宮に巨大な破壊音が響き渡った。血相を変えた衛兵たちが音の方へ集まるが、発生元が王太子の執務室と確認するや、嘆息して持ち場へ戻って行った。

  

「これで九個目。絶好調だな」


 顎杖をついていたスワードは、ゆるく笑いながら手帳をめくった。

 紙には桁の大きな数字が記録されている。シャルロッテが王宮へ来てからの″何か″をしたためたものだ。

 すると、開け放たれた扉から、シャルロッテが現れた。


 彼女はドレスを持ち上げ足を引き、美しいカーテシーをする。一見、高貴で可憐な令嬢だ。だがシャルロッテはその愛らしい顔に渋面を作り、ある物をスワードに差し出した。

 今しがた破壊した、執務室のドアノブである。


「ほっ、本当にももも申し訳ありませんっ……! 何とお詫びし、あわわわっ」


「それは一向に構わないが。しかし本当に怪力なのだな」


 指の型を残したまま歪んだそれを見て、スワードは感嘆した。

 書き留めた数字は、王宮に移居したシャルロッテが破壊した物の総数だ。

 とはいえ、単なる数字。

 具体的な訓練内容はまだ決めていないため、適当に個数を記録するだけの、無意味なメモに過ぎなかった。


(訓練などただの建前だしな。か弱くなる訓練か……どうしたものか)


 シャルロッテは他の令嬢と違った。

 煌めくエメラルドの眼差しは、スワードへ向けられる。が、意識は彼の向こうにある。


 ──彼女は、誰と恋がしたいのか。


 目星の男がいるのか? 

 先日光の速さで自分を振った元婚約者を振り向かせる? 

 もしくは、舞踏会の群勢の中にいた品のない男か。あるいは──……。

 彼女は、どこの誰に恋慕しているのだろう。

 そんな妄想が反芻する。


「シャルロッテ・シルト、君は誰と──」

 

 そう、言いさした時だった。執務室の外で、ドカドカと遠慮のない足音がする。


「何だよコレ、ぶっ壊れてるじゃねえか。殿下! 軍馬の件でご報告が……ってシャルロッテ嬢!?」 

 馬の尾のようにまとめた、燃えるような赤髪を靡かせ、騎士団長のアルターがスワードを訪ねた。膝まで泥が付着しているようだ。


「先程はどうも! お、着替えたんすね。良かった」


「はい! アルター卿は、訓練に戻られたのですね?」

 

 良く知る間柄のように、二人はごく自然に会話した。

 アルターはいつになく柔らかな微笑みで、シャルロッテも和気藹々としている。二人は面識があるらしい。 


 自分の預かり知らぬところで距離ができている。その事実がスワードの胸を刺した。

 ペンを握る手に力が入り、紙にインクが迸る。


(どこで知り合ったんだ? いつの間にそんなに親しく──!)


 言葉になるより先に、紙が破れた。長らく政務補佐としてペンを走らせてきたが、ミスをしたのは、これが初めてだ。机の汚れを拭う指先が、小刻みに震える。

 

「取り込み中だ。後にしてもらおう」


 普通、騎士団長の報告を受け取る方が、優先順位は上なはずだ。

 けれどシャルロッテの件でアルターに遅れをとったため、ここで彼女と離れたくない。だがここで彼女を同席させ、親睦を深めさせたくもない。一刻も早く二人を引き離したい。

 スワードは椅子を蹴る勢いで立ち上がり、詰め寄って行く。


「さっさと出ていけ。若駒の育成日誌でも書いていろ」


「いや殿下、聞いてくださいよ。シャルロッテ嬢はすごいんすよ!」


 堅牢な腕をシャルロッテの肩に回し、アルターは笑った。

 スワードは不随意に彼女を引き寄せ、怜悧な双眸に苛立ちを滲ませる。


「ああ、えーっと。部下に聞いた話なんすけど、ぬかるみに嵌った馬を助けてくれたらしいんですよ。おかげで部下も馬も無傷でして。無傷っすよ? 無傷」


 アルターは、シャルロッテの行いを、まるで大活劇のように能弁に語る。

 窪溜まりに落ちた軍馬を、通りがかりのシャルロッテが助けてくれた。馬の惨状に胸を痛め怪力化した彼女が、一人で馬を担ぎ上げたという話だった。


「二度とそんな真似はするな」


 嬉々とするアルターに、スワードは冷水を浴びせた。視線だけでシャルロッテとアルターの距離を測る。自分とシャルロッテよりも近しい姿に、スワードの目に険が滲んだ。

 どうしても、冷静さを欠いてしまう。


『怪力令嬢の謎を解明できたらそれを応用して、軍備を増強できそうじゃないか?』


 あれは、方便だった。彼女を手元に置くための建前だったのだ。だが額面通りに受け取って、早々に彼女を利用する輩がいようとは。

 戦々恐々としたシャルロッテは、間に割り込もうと試みた。


「わたしが言い出したことなんです、何かお役に立ちたくて。ですので決して強要されたとか、そういう事ではないので……」


 シャルロッテがアルターを擁護すれば、なおのこと腹が立った。スワードは、


「だが断るべきだった。彼らがな」

 

 と言い放ち、腕を下ろした。

 絞られていた喉が解放されるや、アルターは咳き込む。

 それにシャルロッテが気遣わしげな眼差しを向けると、やはりスワードの胸が焼けるようだった。

 感情が込められた、エメラルドの瞳が眩しい。それを、できれば自分に向けてほしい。彼女のそばにいたい。

 

 ──これほど非効率なことがあるだろうか。


 自分は唯一の王太子、政務補佐で常に多忙だ。自由にできる時間は、ほとんどない。シャルロッテと会う時間を捻出するのも容易ではない。それでも──。

 

 その時、三回扉が叩かれた。

 「失礼いたします……」恐縮し切った侍女が、煌びやかな黄金のティーワゴンを押して来た。緊迫した空気に圧倒された様子で、笑顔を引き攣らせている。


 ワゴンの上にはティーセットが、カップは三客載せられていた。スワードは眉間に指を押し当て、長嘆息した。


「休憩を取るとしよう」


 三人はバルコニーのティーテーブルを囲んだ。


 初夏、昼下がりは特に日差しが強く、日陰との境界線が濃く描かれる。

 日向のスワードは、胸元を密かに撫でた。シャルロッテと過ごし始め痛みが消えたかと思えば、今度は胸焼けだ。体は焼けるようで、脈動は速い。


 ──何なんだ、この制御できない感情は。


 彼女が笑えば、心が波立つ。

 スワードが思考に耽ると、シャルロッテたちはすっかり談笑していた。

 侍女はティーカップにお茶を満たし、三人に出した。シャルロッテは、それを受け取ろうと手を伸ばす。


 侍女は顔面蒼白でシャルロッテを見た。『怪力令嬢』……どんな噂を耳にしたか、このような反応を示す者がたまにいる。


 彼女に対する認識を改めるため、早急に教育しなければならない。そう思索していた時、「ヒイッ!!」侍女は小さな悲鳴を上げ、カップを手放してしまった。


 バランスを崩したカップが、なだらかなソーサーから滑り落ちる。そしてシャルロッテを目掛けて、落ちてきた。


 スワードは素早くカップを払いのけた。腕にかぶった熱いお茶が、皮膚を刺す。

 頭より、言葉より、先に体が動いた。自衛する時か、それ以上の反射速度で。

 シャルロッテの危険を前に、体が勝手に反応した。

 何が起きたのか、自分には分からなかった。


「……熱いな」


 そう口にした瞬間、もっと熱くなった。

 葉擦れの心地よい音に耳を撫でられ、じわじわ五感がよみがえる。


 お茶の水面に映じる自分を見れば、火傷の痛みに歪むでもなく、頓狂な顔をしていた。

 己の深淵を覗いた時、人は間抜けになるようだ。

 

 ──ようやく分かった気がする。


 侍女は氷水を汲みに、矢のように厨房へ飛んで行った。アルターも救急箱を取りにその場を後にする。

 シャルロッテと二人きりの空間で、スワードは深く息を吸った。

 刈り立ての芝生の青い香り、仰げば抜けるような青が広がっている。


 ……生きている。すべてが心に染み渡った。

 

 こちらの気も知らず、シャルロッテは慌ただしく立ち上がる。

 

「熱いですよね!? わたしお着替えを取りに──!」


 瞬間、スワードが細い手首を掴み取り、滑るような動きで引き寄せた。


「で、殿下?」


 物言わぬスワードに、シャルロッテは首を傾ぐ。太陽を背にした彼女の瞳は、逆光の中でも光を取り込み、輝いていた。

 スワードは目を細め、焼き焦がすような熱い眼差しで、シャルロッテを見る。

 今、この瞬間。彼女の瞳には、自分だけが映っている。


 ──これが恋という名の感情なのか。


 いや、名前などもうどうでも良い。

 ただ彼女が欲しい。それだけだ。



 ◇◇◇



 「……か弱くな……れまちた……むにゃ」


 いとけない寝言を耳にし、スワードの顔は綻んだ。

 か弱くなりたい切実なシャルロッテ。

 赤面しながら怪力化するシャルロッテ。

 この腑抜けた寝顔さえ愛おしい。

 

「わたしは怪力ごと君を愛するぞ。早くこちらに来い」


 そう言って、スワードは、シャルロッテの額に滲む汗を拭った。

 明日は、どうやって昂らせようか?

 そんな幸せな悩みに笑みを浮かべ、静かに部屋を出るのだった。





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