第7話 恋が芽吹くまで(前編)
暗い部屋の輪郭を、月明かりがおぼろに映し出す。
小さな寝息が聞こえてくると、スワードは彼女の額にキスをした。
「はあ……まったく」
スワードは椅子に身を沈め、天井を見据えた。
めったに風邪など引かないシャルロッテ。メイド曰く、一時は酷くうなされていたらしい。
彼女が体調を崩した理由など明白だ。休む間もなく訓練させられたから、これに尽きる。浮かれすぎ手抜かりをした自分の責任だ。
猛省するスワードは片手に顔を埋めた。だが天使のような寝顔を見れば、つい綻んでしまう。まったくどうしようもない男だなと、我ながら思った。
一年前までは夢にも思わなかった。自分がこんな風に変わるなんて──。
◇◇◇
スワード・シュッツ・ラズルシェーニ。選べぬ宿命を受け入れた少年は、今や冷徹な仮面を完璧に被る男となった。
周囲には、二心ある者たちが大勢いる。表では媚びへつらい裏では命を狙いに来る者たち。
幼時のスワードは、自分に寄る者を綿密に観察した。そして気がついたのだ。
世界は、自分と自分以外で形成されている。余人の皆が傅き、自分が「カラスは白い」と言えば、それが正解となる。
──だからこそ、手綱は自分で握らねばならない。
だから策をこらし、剣を振った。相手に抜かりを生じさせるため、鷹揚自若に振る舞った。もっと強く、賢く、いつでも冷静に。そこで、スワードは効率化のために、
──感情を削ぎ落とした。
″理性的″だといえば聞こえは良いが、正しく言えば、自分は無感情な人間だった。
ふざけた異名がつくのは、必定だったのかもしれない。
『王国の麗星』はじめこそ煩わしかった異名だが、スワードは程なく思い改めた。
『誰も手が届かない存在』というなら、喜怒哀楽を表現せずに済む。皆が思い描く王太子像に合わせ、程よく笑えばいい。穏やかで清廉な印象は、腹の中を隠すのに最適だった。
◇◇◇
あれは、婚約者候補たちと顔合わせを終えた日だった。
各人に時間を捻出するのが面倒だったため、全員を一堂に会し、一度に済ませてしまった。
その旨を当主たちに命じたときは、二の句が告げない様相だった。当然だ、婚約の意思が無いと宣告するも同義なのだから。
だが、今さらだ。すでに見合いは形骸化しており、今さら意味を成さない。
秋波を送ってくる令嬢たちに辟易していた。香水くさい茶会も、耳障りの悪い猫撫で声ももううんざりだ。
最近では、彼女たち中立派家門の腹中を取り調べる感覚でいる。
それはさておき、中立派といばもう一家門あったはずだが……。
──ドカッ!! バコッ!! バキッ!!
「今日は王宮が騒がしいな」
スワードはついと首を傾けた。戦でも始まったかと不謹慎な事を思いつつ、笑みが込み上げる。息苦しい王宮に風穴を開けてくれそうな破壊音だ。
「ああ、きっと『怪力令嬢』のせいでしょう。なんでも、怪力体質を治すために宮廷医師と学者に見せにきたとか」
「怪力令嬢?」
「おや、ご存知ありませんか? シルト侯爵のご息女です」
そんな俗物的なものを気にするほど、王太子は暇じゃない。
仄聞した話では、巷で有名なその怪力令嬢は、兎にも角にも馬鹿力らしい。
物を破壊するは呼吸に等しく、その気になれば、指一本で百万の兵を制圧できる──とか。
(どう考えても眉唾物だ)
おそらく、スワードが『王国の麗星』などと名付けられたのと同じだろう。
自分は影響力工作のために受容したが、彼女は?
──怪力令嬢。その者も、腹に一物を抱えているのだろうか。
スワードは家臣に、ふと問いかけた。
「どんな令嬢なんだ?」
「わたしも詳細は存じません。社交界には顔を出さないそうですよ。殿下には一生縁のない、物騒な令嬢かと」
「物騒……か」
いかにも筋骨隆々とした異名だ。これほど著名人とあらば、相当の荒くれ者に違いない。一癖も二癖も、難のある性格なのだろう。
(と想像されるが、どうかな。何にせよ酷い異名だ、同情する)
想像上の怪力令嬢を、スワードは冷笑した。
それから数ヶ月が経った頃である。王宮で、ある舞踏会が催された。
「王太子殿下、うちの娘が成人を迎えまして実に美しく」
「いやいや、うちの娘こそ王都で最高の器量好しで」
「才色兼備とはうちの娘を」
ここぞとおもねる者たちに、何万回と聞いた台詞。その言動にほとほと飽いたが、スワードは朗笑して見せる。
豪奢なシャンデリア、テーブルに並ぶ磨き上げられたシルバー、派手やかな令嬢。どれもが感情を動かさない光景だった。
──くだらない。
感情など、とうに捨てたはずだ。……はずなのに、胸の奥に空虚感を覚えた。
結婚すれば、王太子としての務めを果たせる。その過程で──些かでも、心が動けばいい。そんな風に、憂慮にふけている時だった。
「美しいレディ、どうか貴女のお名前を!」
舞踏場に、男の声が響き渡った。
(何事だ?)
声の方へ視線をやると、人だかりが出来ている。
全員、どこぞの令息たちだ。興奮した彼らは束になり、一人の令嬢を囲んでいる。
令嬢は、深く深く息を吸い、
「──いいえ! 名乗るほどの者ではございませんので!」
大声で叫んだ。瞬間、スワードは息をつめた。ミルクを溶かしたようなベージュ色の、なめらかな髪。白雪の肌。シャンデリアの光をとり込む、エメラルドの瞳。
思い回したが、おそらく見たことのない顔だった。
近くで自分を呼ぶ声が遠くなり、離れた場所の会話が耳に届いた。花にすだく男どもは、尚も彼女に言い寄っている。
「シャンパンはお好きですか?」
「もしくはお茶でもいかがでしょう!」
「いいいいえ結構です! わたし……えっと……そう! 食器アレルギー(?)なので、何も手にしてはいけないのですっ!!」
令嬢が声を張り上げると、辺りは、しんと静まった。流麗なワルツの調べの中、男たちは顎が外れたように、あんぐりと口を開ける。
(食器アレルギー……って、何だそれは)
呆れて令嬢を見れば、彼女は得意満面だ。「ぷっ」喉から勝手にこぼれ、慌てて口を覆う。
──いま笑ったのか? このわたしが?
堰を切ったように、疑問が湧いてくる。
──彼女は誰だ? なぜ名乗らないのだろう。
日焼け知らずの肌と美しい所作は、見るからに貴族令嬢のそれだ。
王宮の舞踏会は、名門の令嬢が集まる″実質見合い会場″だ。今日もあちこちで、父親が娘を売り込んでいる。
(だが、彼女は名乗らない……)
要するに、出会いは不要なのだ。婚約者がすでにいるのだろうか。だから貞操を守るため、男を遠ざけているのかもしれない。殊勝な心がけではあるが、その婚約者はどこにいる? 薄情な婚約者に、置き去りにされてしまったのだろうか──。
(だとすれば気の毒だな)
令嬢は野獣に囲まれ、窮している様相だ。……助けるべきか?
自分は一国の王太子。困っている国民がいれば手を差し伸べるのが、よき君主ではないだろうか。
(そうだ。わたしは王太子だからな)
そう思い立ち一歩踏み出した。けれど、
「殿下! わたくしとお話を」
猫撫で声の令嬢がスワードに寄せ集まり、瞬く間に障壁ができた。
「今度にしてくれないか」一言交わせば、呼び水となって殊さら人が集まる。
再び視線を向けた時、あの令嬢はすでに消えていた。
異国の童話では、意中の娘が落とし物をした。それを拾った王子が彼女を探し出し、ハッピーエンドを迎えるのだ。
だが現実は甘くない。
冷ややかな夜風が、頬を撫でて行った。
スワードは、群青色のペリースの上から胸に手を当てる。
──何だ、この違和感は。
胸の奥が喉にせり上がるような感覚を覚えた。
スワードは、舞踏会に華を添えるトピアリーへ、ふと視線をやった。青々とした葉の色が、彼女の瞳を想起させる。スワードは、指の関節が白く浮き出るほど、強く拳を握った。
──また会おう。
胸の奥に″痼り″が残された。彼女と会い、この痼りをどうにかしなければ。
きっと政務に支障が出るに違いない。けれど次の舞踏会に、令嬢はいなかった。
次、次こそは。だが待てど暮らせど「次」の機会は訪れない。
あれ以来、彼女は姿を見せなくなった。
──会えない。
感情を抑える事しか知らなかった自分の中に、久しく動かぬものが芽吹いた気がした。
混乱するほどに、生きていると思えた。
あの日を境に、自分は"理性” よりも彼女を思い出す時間の方が増えたのだ。
──わたしは、どうすればいい?
心の痼りは、この名状しがたい感情の名は? 答え合わせをしたいのに。
頭に刻まれたエメラルドがずっと、胸の奥を軋ませた。
◇◇◇
「すまない。平気か?」
──《《あの日》》、稲妻がスワードの全身を駆けた。
午後の日差しをさらりと流す滑らかな髪と、艶やかな肌。シャンデリアの光をとり込むあの──エメラルドの瞳。
「シャルロッテ! お前なぜここに!?」
シルト侯爵が娘の名を叫んだ時、記憶が蘇った。
──怪力令嬢、シャルロッテ・シルト!!
そうだ、シャルロッテ・シルト。怪力がゆえに人々から疎まれる、悲劇の令嬢だ。
本物だ、本物が目の前にいる。実際に見れば、厳しい名に不似合いすぎる、可憐な見目だ。その不調和がひどく面白い。
彼女を見れば、不思議としこりの痛みが引いた。だが心臓が痛いほど強く跳躍する。
しこりの疼きが止んで、プラマイゼロ。けれどそれ以上に胸が高鳴り、むしろプラスだ。
「こっ、高貴なお召し物を汚してしまい、大変申し訳ございません! たたた確かに私は『怪力令嬢』ですが、わざとやっているわけではありません! か弱くなって人並みに恋がしたいだけの、普通の人間です……!」
シャルロッテは、その名に恥じぬ怪力ぶりを披露した。彼女は感情が昂ると怪力化してしまう、難儀な体質らしい。
──面白い。
感情が明け透けで面白い。自分には無いものだ。
……だからだろうか。彼女が妙に気になってしまうのは。やさしい眼差しや、柔らかそうな唇、細い髪筋にまで、彼女の全てに目が奪われる。
『恋がしたい』と言ったか。不思議だ。
それだけ感情を持て余しているくせに、まだ感情を求めるのか。それほどまでに『恋』は意義深いのだろうか。
シャルロッテを観察していれば、それが判じられるかもしれない。
それに彼女といると、舞踏会の日に生まれた、心の疼きが凪いでいく。
この感情の正体を突き止めたい。それならば──
「わたしが、か弱くなる手伝いをしよう」
こうして、力尽くでシャルロッテを王宮に住ませたのだった。




