第6話 手厚い看病
──ある晩の事。
やわらかなベッドの中、シャルロッテは、この素晴らしき訓練生活を思い返していた。
か弱くなる訓練は、実にハードだった。
訓練内容は、模擬恋人としてデートをする事。
デート中にどれだけ心躍ろうと、怪力化しないように、朝から晩まで耐えるのだ。
そして、それらは毎日実施され、必ずスワードと、二人三脚で行うことが鉄則だった。
訓練とはいえ、デートのお相手は王太子だ。
しかも、訓練期間中は王宮住まいが出来るという好条件。普通の令嬢にとっては、むしろ褒美かもしれない環境である。
しかし、怪力令嬢のシャルロッテにとっては違った。
──っ地獄!!
これまでの過酷な訓練を思い出し、シャルロッテは身震いした。
スワードと同じ空間にいるだけで、緊張や興奮を催し、感情を大きく揺さぶられる。そして、その度に怪力化し、体に負荷がかかっていた。
その無理が祟ったのだろう。
明け方から雪の中に裸で放り出されたかのような寒気を感じ、かと思えば、体内から業火が上がるがごとく発熱した。
果てには、砲弾を撃ち続けられるような頭痛を感じて。
なんとシャルロッテは、生まれてはじめて、風邪を引いてしまったのである。
そういう理由で、今日の訓練は急遽休みとなった……はずだった。
「すっ、スワード殿下! ご令嬢の寝室に入られるのは、さすがにいかがなものかと存じますぞ!?」
「問題ない。シルト侯爵からは、すでに了承を得ている」
「ほっ、そうでしたか。それなら良い……わけないでしょう! 寝室に若い男女が二人きりなんて、あらぬ噂が立ったら……」
「いいからどけ。粥が冷める」
分厚い扉の向こうから、執事とスワードの一悶着が聞こえてきた。
王宮住まい初日に挨拶をしたその執事は、白髪が印象的だった。さほど年配でもなさそうなのに、と不思議に思っていたが、こんな風に苦労するせいかもしれない。
そんな事を漠と考えながら、シャルロッテは、二人の声が止むのを待った。
やがて粘り勝ちしたスワードが入室した。
軽やかな足取りで来るなり、ナイトテーブルの上にトレーを置き、椅子に腰掛ける。
「具合はどうだ?」
そう、まろやかな声でスワードは言った。
先程の険のある声を聞き、心中穏やかでなかったシャルロッテは、胸を撫で下ろした。
あの調子で接せられたら、泣く自信がある。
「お陰様れ、だいぶ楽になりまひた」
「そうは見えないが?」
そう言われ、シャルロッテは、緩慢な動きで上躯を起こそうとする。スワードが甲斐甲斐しく、背中を支えてくれた。
毛布をよけると、意想外に小寒かった。
ナイトドレスしか着ていないのだから、当然だ。
「も、申し訳ございませんっ! こんな格好で、なんてご無礼を」
「気にするな。わたしが無理やり押しかけたんだ」
スワードは上着を脱ぐと、すべるような動きで、シャルロッテに羽織らせた。
──フランキンセンスの香りがする。
爽やかで少し甘い落ち着いた香調が、スワードにぴったりだ。こうしていると、まるで彼に包み込まれているような……。
そう思い至った途端、シャルロッテは固まった。また怪力化してしまう。
けれど、怪力化する時の感覚がない。
普段ならば昂りに比例して、骨と筋肉が膨らむような感覚がするのだが、それがないのである。
シャルロッテは、ナイトテーブルに手を触れた。
──壊れない。
スワードも固唾を飲んで見守っている。
森閑とした寝室に、秒針の音だけが鳴り響いた。
──奇跡だ。奇跡が起きた。神はいた!
「殿下っ……! わたっ……わたし、か弱くなれました! 殿下のおかげです!」
感涙にむせるシャルロッテは、早くも薔薇色の恋模様を描いた。
しらみ潰しにデートスポットを回りたい。
夜会でダンスを踊るのも夢だった。
交際を始めてから、どのくらいの時期に婚約すればいいのだろう?
逸る気持ちを必死で抑えようとする、シャルロッテ。興奮で目眩がして、昂る感情が忙しない。
それでも尚、怪力化しないでいる。
喜び勇むシャルロッテを見るスワードは、なぜか暗い面持ちだ。綺麗な顔に似つかわしくない深い皺を、眉根に寄せている。
すると、閃いたような顔をして語気を強めた。
「いや、待て。これは風邪の症状だ」
スワードは、軍の上官のように語り始めた。
「いいか? シャルロッテ。風邪を治すには免疫力を高める事が重要なんだ。そのために体温を上げる必要があるが、その時に筋肉を痙攣させて──」
ありとあらゆる流行病の症例や治療法を、スワードは上げ連ねる。
弁舌を振るう彼の気迫が、凄まじい。
シャルロッテが口を挟む隙は、全くなかった。
「今の君が怪力化しないのは、人生初の風邪を治癒するために、筋力が総動員しているからだ。要は、怪力化する余裕がないというだけの事」
「それじゃあ、わたしは、か弱くなれたわけでは……」
「ない。断じて、ない」
大真面目な顔で断言し、スワードは椅子に深く座り直した。
──が弱くなっていないのか……。
シャルロッテは肩を落とした。
その悲壮感漂う様相を見れば、スワードはすっかりと機嫌を直して。
相好を崩した彼は、粥をスプーンですくった。
「あのぅ……自分で食べられますよ?」
「筋肉に負荷をかけたら、風邪が治るのに時間がかかるだろう? いいから食べろ」
「はっ、はふいっ!」
差し伸べられた粥を口に入れ、シャルロッテは小さく飛び跳ねた。そして口の中に空気を含ませながら、咀嚼する。
「どうした?」
「あっ、す、すみません。猫舌なんです」
そう言って、シャルロッテは冷たい水を煽った。
スワードは忍び笑い、再び粥をすくう。
「今度は、よく冷ましてから食べろ」
「ふーっふーっふーっふーっふーっ」
「ははっ! 吹き飛ばしでもするつもりか?」
「違いますよ! 猫舌なりの防衛術です!」
「ぷっ……解った解った」
シャルロッテの精一杯の反抗に、スワードは頬を緩ませる。
ひとしきり笑い終え、スワードは独言した。
「顔を赤くしながら物を壊す君が、恋しいよ」
それは、いつになく切ない面持ちで。
哀愁漂うスワードを目の当たりにし、シャルロッテは困惑した。
妙に負目を感じる一方で、どこかで喜んでいる自分がいる。
──たった一日も経っていないのに、恋しいだなんて!
深意はないだろう。それは重々承知だ。
けれど、男性が自分を気にかけてくれた事が、たまらなく嬉しい。
産毛が起きて紅潮してくるのを感じる。
すると、シャルロッテの側にスワードが腰を下ろした。
ベッドの軋む音が、妙に艶っぽい。
「で、殿下……?」
シャルロッテの細声は、ベッドの軋みによってかき消された。熱い頬にスワードの指の背が触れる。
「早く怪力に戻ってくれ。そうじゃないと、わたしは──」
シャルロッテの細面に、スワードの麗顔が近づいてくる。
小さな心臓が、かつてなく早鐘を打った。
夜の寝室で男と二人きり。国一番の美男子かつ王太子、スワードと二人きりだ。
互いの鼻先がわずかに触れる。
(しっ、死んでしまうわ! 美しすぎる──!)
シャルロッテは、ぎゅっと目を瞑った。
「こうしてやる」
と、スワードはシャルロッテの両頬を摘んだ。
それを横に引っ張って、ゴムのようにびよんと伸ばして遊ぶ。そしてシャルロッテを横たわらせて、覆い被さる。
「ふぇっ!?」目を白黒させるシャルロッテ。
スワードは渋面で言い放った。
「いいか、シャルロッテ・シルト。少しでも風邪をこじらせてみろ。もっと本格的な仕置きをしてやるからな」
「ひゃいっ!? な、なにをっ……」
「そうだな、茶の一気飲みはどうだ? 飲み頃の温かいお茶だ。辛いだろうなぁ、猫舌には」
そう言って、スワードは薄ら笑った。
(鬼ぃー!悪魔ぁー!)
眦に涙を浮かべるシャルロッテは、彼を上目遣いに睨む。
「そう睨むな、冗談だ」
スワードは吐息で笑い、シャルロッテの頬を解放した。代わりに頭を優しく撫でる。
──それが、とても心地良くて。
どちらからともなく、二人の会話は自然と絶えた。
夜空で青月が静かに輝く。スワードの光に透けた銀髪と青瞳は、浮世離れした美しさで。
まるで精霊だ──そんな事をおぼろに考えながら、瞳を閉じる。
「おやすみシャルロッテ」
スワードは優しくささめいた。
そしてシャルロッテの額に、羽根のようなキスを落とし、部屋を後にするのだった。
◇◇◇
──そして翌日のこと。
早朝の清々しい王宮で、何かの破壊音が、大音量で響いた。
衛兵達が血相を変え、音の方へと駆けつける。
そこには、花瓶だった物の欠片が散らばっていて。
笑顔満開の王太子は、赤面する令嬢に言った。
「よし、風邪が治ってなによりだ」
「治したいのは怪力体質なんですーーっ!!」
シャルロッテ・シルトの怪力受難は、まだまだ続くのであった。




