第5話 月に願いを
抜けるような青い空と、やわらかそうな白い雲。そんな上天気のもと、シャルロッテは訓練に励んでいた。
「今夜は、ムードたっぷりで評判の湖に連れて行く」
「げほげほっ! ムードたっぷり!? ダメですよ!」
このあとの予定を聞かされたシャルロッテは、思わず咳き込んだ。
スワードの訓練方針の「まずは形から」である。
彼が策定した計画は、実際のデートを想定し、模擬的なデートを重ねる事。その中で昂りをコントロールし、怪力化を抑制しよう、という目的だ。
そして計画に基づき、今日は、郊外の人気のカフェテリアで模擬デート中である。
「君も成人した立派な淑女だ。色気のある雰囲気に耐えられるよう、訓練しなければなるまい。そうだろう?」
「それは、そうですが……でも殿下! 昼間の爽やかな訓練でもダメダメなのに、色気なんてっ……絶対絶対、たくさんご迷惑をかけます!」
「わたしが許す。問題ない」
──そ・ん・な・無・茶・な!!
シャルロッテは深くため息をついた。
自分の手元に視線を落とす。大好物のいちごのショートケーキだ。陽光を浴びるいちごが、宝石のように輝いている。
それだけで十分感動し、怪力化しうるものだった。けれどシャルロッテは、再三深呼吸をして、平静を保とうと努めたのだが……。
そんな苦労も虚しく、フォークは折れ曲がった。
「よし、10本目だな。ほら口を開けろ」
「でも殿下! 人がたくさん見ています!」
「君がフォークを曲げ散らかすから見ているんだ。ほら早く、口を」
「ひいぃっ……」
食事中の訓練にはルールがあった。
シャルロッテがカトラリーを10本壊したら、それ以降は、スワードが食べさせるのである。
スワードは、慣れた手つきでケーキを運ぶ。
シャルロッテは口を開けて、受け入れた。
──すっかり板についてしまった。彼も、自分も。
喜色を湛えるスワードを見て、シャルロッテは肩を落とした。
「わたし、赤ちゃんになったみたいで恥ずかしいです」
「では訓練成功だな。赤ん坊ほどか弱い存在はいない」
「そっ……!」
──そういうか弱いじゃない!
と思ったが、仮にも相手は王太子である。
シャルロッテは、ケーキと一緒に文句を飲み込んだ。
◇◇◇
昼間の暖気が嘘だったかのように、夜は途端に冷え込んだ。
目的地へ続く林の道を、スワードの先導のもと、シャルロッテは進んでいく。
意外にも道は整備されていた。存外、歩きやすい。二人の靴音が、林の奥へ消えていった。
「ここがムーンティア湖だ」
林を抜けて着いたそこは、大きな湖だった。
水面は凪いでおり、鏡のように夜空を映じている。
「わあっ……綺麗!」
シャルロッテは感嘆した。
先程まで聞こえていた虫の鳴き声が遠くなる。時間が止まったような、不思議な感覚を覚える。
そうして惚けると、スワードに手を引かれ船乗り場まで来た。
船乗り場は一ヶ所のみ、ボートも一艇のみ。
「君も乗るんだ」先にボートに乗ったスワードは、シャルロッテを手伝う。
足元が不安定で、あと一歩が踏み出せない。
シャルロッテの手に、じわじわと汗が滲む。
すると、スワードが悪戯っぽく一笑した。
「どうした? 腰が引けてるぞ」
スワードはシャルロッテの腰に手を回し、自分の方へ強引に抱き寄せる。
「きゃあっ! もう殿下! こういうのは先におっしゃってください!」
そう言って、シャルロッテは、桃色の頬を膨らませて見せる。
けれど、スワードは意に介さなくて。呑気に「くくっ」と忍び笑いした。
スワードの漕ぐボートが、やおら進んでいく。
すると中央に着くなり、スワードは手を止めた。
真円の満月が、湖面に映じている。
今宵はひときわ美しく見えて、シャルロッテは思わず見惚れた。
スワードは穏やかに言う。
「満月の夜、証人の前で願い事をすると、願いが叶うと言われている」
「証人……ですか?」
「要は同伴者の事だな。証人がいると、月の神ルーネが、正式に願いを受諾してくれるという伝承だ。今宵は特別に、この『王国の麗星』が、君の証人を務めよう」
「ふふっ! ご自分の異名をご存知だったのですね」
「まぁな。さあ、目を閉じて願い事を」
言われるがままに、シャルロッテは瞳を閉じた。胸の前で合唱し、心の中で願う。
(月の神ルーネ様、どうかわたしの願いをお聞き届けください。どうかわたしを『か弱く』してください! そして燃えるような恋をして、もちろん結婚もしたいです! それから、えっと──)
「ははっ! 随分と多欲だな」
「あっ、申し訳ございません! つい!」
祈りを止めたシャルロッテは、苦笑する。
スワードは膝の上で片肘をつき、ニヤリと微笑んだ。
「当てようか。か弱くなって恋がしたいと願っただろう。それから結婚の事も」
「そ、そうです。いけませんか?」
シャルロッテの顔から火が吹き出る。
心の奥を覗かれて、まるで、恥部を晒したような感覚だ。
すると、スワードはおもむろに、懐から何かを取り出した。そして、オールの持ち手部分に、それをカチャリと嵌めた。
「ルーネに願わずとも……わたしといれば全て叶う」
スワードからオールを手渡され、シャルロッテは慌てた。その時、ある事に気がついた。
──昂っているのに、壊れない。
シャルロッテは持ち手を見た。
……何かが持ち手に被せられている。先程スワードが嵌めたものだ。月影で金色にも銀色にも輝く、不思議な素材である。
「殿下、これは何という素材ですか?」
「ああ、それはオリハルコンだ」
そう言われ、シャルロッテは耳を疑う。
「……おり……え? え?」
「オリハルコン」
「まさか……石竜の頭をも両断するという、あのオリハルコンですか?」
「そうだが?」平然と答えるスワードである。
かつて、王国に席巻する悪の石竜たちがいた。
ダイヤモンドよりも硬い石竜を破ったのは、この世で最も硬い鉱石、オリハルコンだった。
天下無双のオリハルコンが市場に出回る事は、ほとんどない。仮に、市場に出たとして、購入出来る貴族はいないだろう。
それほどまでに、オリハルコンは希少であり、高価なのだ。
そのオリハルコンが、自分の手に収まっている──。
シャルロッテは、深く呼吸をした。
気を抜いたら怪力化してしまう。
いや気を張りすぎても、かえって力が入るのだった。なんて不便な体だ。
自分の怪力体質に、改めて幻滅する。
「力加減を学ぶために、まずは壊れにくい物が必要だろう? オリハルコンなら、さすがの君も破壊できまい」
と、動かなくなったシャルロッテに、スワードは言った。
シャルロッテは微苦笑する。彼の厚意がありがたい反面、精神的重圧を感じたのだ。
「こんなに貴重な物を、万が一壊しでもしたら……?」
「打ち首だな」
スワードは、大真面目な顔で断言した。
シャルロッテの面色が、波のように、サーッと引いていく。
(自慢の怪力で自分の人生まで壊すつもり!?)
シャルロッテの体がみるみるうちに硬直する。
怪力化の兆候だ。
けれど、オールは壊れなかった。
持ち手のオリハルコンのおかげだろう。
シャルロッテは、感極まって言葉に詰まる。
するとオールを握る手に、スワードが触れてきた。
「もう少し握力を緩めるんだ」
そう言って、シャルロッテの手背や指先に触れる。
「指と持ち手の間に、隙間を空けるイメージで持ってみろ」
「あっ……普通に持てている気がします!」
「力が分散されるだろう? 持ち方に気をつければ、怪力も緩和されるはずだ。はじめは難しいだろうが、これから何度も、わたしと練習すればいい」
シャルロッテの手背をつつき、スワードは白い歯をこぼした。
「ふふっ! なんだかもう、か弱くなれた気分です」
赤面し喜悦の眉を開くシャルロッテ。
スワードは大きなため息をついた。そして「よく見ろ」とシャルロッテの手元を指差す。
「へ?」シャルロッテは持ち手を見た。
伝説級に硬いオリハルコンに、指の跡が薄っすらと残っている。
「この分だと一ヶ月後には壊れるかもな」
「そっ、それはつまり……打ち首で……!?」
「わたしとて鬼ではない。そうだな、体で返してもらおうか」
「はいっ!?」
「ははっ! 冗談だ! 今のところは」
──つまり近い未来に成果を出さなければ、打首の可能性は無きにしも非ず。という事だろうか!?
「ぐすっ……が、頑張りますので打首だけは……!」
顔面蒼白のシャルロッテが哀願する。
「はははっ! 君次第だ」
スワードの笑いが弾けた。
シャルロッテが困るのを、楽しんでいるようだ。
ボートの揺れで水紋ができ、湖面に映じる満月が揺れた。
青い月影のもとで、スワードの銀髪が輝く。まるで季節外れの雪のようで、シャルロッテはうっとりと眺める。
すると、スワードと視線がぶつかった。
真っ直ぐ向けられた青い瞳には、自分だけが映されている。
ほんのひと時、2人だけの世界。
か弱くなれたら、いつか、スワードのような男に愛してもらえるだろうか。
その時、自分はどんな気持ちになるのだろう。
願わくば、この気持ちのようでありますように。
シャルロッテがそう願うと、流れ星がひとつ、湖面に描かれたのであった。




