第22話 知ってほしい
「スワード殿下ぁ──!!」
地面を蹴殴る音が、湖畔の空気を震わせた。
じっと夜闇を見据えると、誰かが飛ぶように走ってくる。
頭の上から、舌打ちのような音が聞こえた。
(いま、「チッ」って聞こえましたが!?)
シャルロッテは爆ぜるように仰ぎ見る。
スワードは穏和に微笑った。
しかしよく見れば目尻が吊り上がっており、苛立ちが滲んでいる。
ドレスの内側で背中がひやりとした。
「はぁっ……はぁっ……! も、死ぬっ……!」
駆けつけたその人は──スワードの"本物の恋人"だった。
彼女はわっと声を荒げ、何度も地面を殴りつける。
「おおお置いて行かないでくださいよ!! もう少しで、あの令息に殺されるとこでしたよ!?」
「ついて来いとは言っていない」
スワードは吐き捨てるようにそう言った。
氷のような眼差しは、恋する男のものではない。
張り詰めた空気の中、シャルロッテの指先がぴくりと動く。
するとスワードがすかさず指を絡めてきて、確かめるように手背を撫でた。
なんだろう、この状況は。
シャルロッテは、小さな頭を限界まで絞って考える。
次の瞬間、電啓を受けた。
恋愛小説の一章が脳裏をよぎる。
──修羅場!
この状況がそれなら、火種は自分だ。
シャルロッテは上目遣いに彼を見た。
青い瞳は瞬きもせず、自分だけを映している。
その奥には、微かな焦燥が滲んでいた。
(わたしのせいで絶体絶命なんですね……!)
シャルロッテはぐっと奥歯を噛み締めた。
鉄面皮だった、と。
か弱くなれないまま、スワードの隣に立っていたなんて。ほうぼうで物を破壊し尽くしておきながら、彼に微笑みかけてほしいなんて。
無力感が滲み、ぐったりと全身が重くなった。
指先でそれを感じたか、スワードは眉を顰める。
「シャルロッテ……?」
シャルロッテは、吐息混じりに一笑した。
そしてスワードから離れ、彼の恋人に、そっと手を差し伸べた。
(最後は怪力令嬢らしく、この状況を打破してみせる! そして綺麗に退場するのよ──)
シャルロッテは腹を決めると、何かを飲み下し、穏和な笑顔を作った。
恋人は面映そうに掠れ声で、
「シャルロッテさまっ!!」
勢いよく飛びついてきた。
そのときに、あるものが見えた。
喉元の小さなこぶが。彼女が喋ると、それは一緒に上下運動をした。
弟にあるものと、同じだ。
次の瞬間、スワードは大きく振りかぶり、彼女に鉄拳を下した。
「言ったはずだ! シャルロッテに触るなと!」
恋人の前に立ちはだかり、怒声を上げた。
耳まで色をなして、肩を大きく上下させている。
初めて見る剣幕に、思考が追いつかない。
けれど気づいた時には、スワードの体に抱きついていた。
「殿下やめてください! わたしが悪いんです! 恋人がいらっしゃるとは知らず、欲張って殿下のそばにいたから──!」
言い差すと、スワードの強張りがわずかに解れた。深く長いため息をつく。
「……ベルナールの言う通りだったな」
そう溢した彼から、ふと笑ったような気配がした。
いま、何と言ったのだろう?
シャルロッテはスワードを盗み見た。
彼は、美しい顔をかつてなく顰めている。
そしてあろうことか恋人の襟首を掴み、ぐいっと乱暴に持ち上げた。
華奢な体は、なす術もなく宙に浮く。
「うわあっ!?」
「きゃあっ!? らっ、乱暴はいけません殿下!!」
恋人とシャルロッテの喫驚の声が、喉の奥から弾け飛んだ。掲げたスワードの腕に、シャルロッテはしがみつく。
──ご乱心だわ!!
全身の毛穴から汗が吹き出た。
シャルロッテ忙しなく口を開いては閉じ、言葉を探す。
(ああでもっ、わたしの立場で何を言っても逆効果では!?)
そう思い至ると、口を噤んだ。
スワードは恋人を目の前に突き出してくる。
そして深くため息をつき、
「紹介しよう。彼はゼーンズ・フット。我が王宮騎士団に所属する、見習いの騎士だ」
眉根を寄せ、忌々しそうにそう言った。
恋人──ゼーンズはぶら下がったまま、凛々しい表情を作った。そして、
「ゼーンズです!」
明朗快活にそう言った。その瞳は希望に満ち溢れたような、強い輝きを放っている。
シャルロッテは反射的にドレスを持ち上げ、頭を下げた。
「わ、わたしはシャルロッテ・シルトと申します! 殿下にはいつもお世話に……」
そう言い差して、言葉を飲み込んだ。
(『いつも』だなんて、まるで寵愛を競う愛妾だわっ……!!)
顔がカッと熱くなる。その羞恥心に、ドレスの裾を掴む手が、小刻みに震えた。
シャルロッテは、上目遣いにゼーンズを覗き見る。
恋人の名前は、ゼーンズ・フット。
スワードはゼーンズを──「彼」と言っていた。そして「彼」の喉元に見つけた、喋ると動く小さなこぶは……。
途端に、思考の歯車が噛み合っていく。
謎解きに没頭すると、周囲の音は遠くなっていった。
「──というわけで、わたしが直々に手ほどきをしていたのだが……シャルロッテ、聞いているか?」
怪訝な顔を向けられ、シャルロッテは微笑みを作った。
話は聞いていなかった。だが、すべてを理解した。不思議と穏やかな気持ちになり、スワードを見据える。
「わたし、誰にも言いません」
「……は?」
瞬間、スワードはゼーンズを地面に落とした。伏したままの彼を跨ぎ、シャルロッテと正面から向き合う。
「何を言わないって?」
空気を震わせるような気迫に、シャルロッテは息を呑む。
彼の煌びやかな笑顔の裏には、焦燥が透けて見えた。
大丈夫、偏見なんてない。
小説で学んだ。
恋人の数だけ、愛の形があるのだと。
だが王国では容認されないだろう。
しかもスワードは王太子だ。世継ぎの問題もある。
だから絶対に、口外してはならない。
スワードが男性を愛していることは──決して!
シャルロッテは拳を握り、真っ直ぐにスワードを見据える。
「殿下とゼーンズ卿の秘密の花園について……このシャルロッテ・シルト、墓場まで持っていく所存です!」




