第21話 すれ違い
風に揺れた葉が、さわさわと鳴った。
抱きしめたスワードから、熱い体温が伝わった。仰ぎ見れば、彼はこちらを一瞥した。
「離せシャルロッテ。こいつを切る」
「い、いやです。殿下が剣をおさめるまで離れません」
そう言って、シャルロッテはスワードを見据えた。
思わぬ反応に動揺したか、彼の肩が小さく跳ねる。けれど、すぐさま鋭い声で、
「庇い立てする気か?」
そう、やり返した。
いつになく厳格な態度が、彼が王族であることを思い出させる。気迫に押され、シャルロッテは言葉を詰まらせた。
一歩間違えれば、自分まで敵視されそうだ。
「そんなつもりは……!」
モーヴを擁護する気は、微塵もない。実を言えば婚約以来、身勝手な彼に不満を募らせていた。だから、
(ほんの少し、ほんとーに、少しだけ! 罰が当たらないかしら? とは思っていた。でも……)
スワードが制裁を下す義理は、無いわけで。
『わたしのシャルロッテ』訓練上の設定である。彼はこんな時でも、恋人役に徹していた。
さすがは一国の王太子。
血潮が燃え上がる、まさに熱演だ。おそらくこの演技力が将来、外交に生かされるのだろう。
──こんなの、勘違いしてしまうわ。
本当に愛されているかも、だなんて。
スワードは使命感が強い人間だ。国務の傍ら、怪力令嬢の訓練に注力してくれる。
おそらく、彼の怒りは、責任を感じているからだ。怪力令嬢の指導者として、監督不行き届きな面があったと。
(わたしの方こそ謝らないと。恋人とのひと時を邪魔された上、こんな面倒ごとに……)
そうだ、彼を巻き込んではならない──!
怪力令嬢のため、骨身を惜しまないスワード。
彼がしてくれるように、自分もやれる事をやらなければ。
「こほん」シャルロッテは一つ、咳をして、
「わざわざ殿下が手を濡らす事ではありません。これは、公爵さまとわたしの問題なので」
そう、取り澄ました顔で言った。
──お役に立てたわ!
これで、スワードを煩わせないで済む。
熱い逢瀬に水を差した怪力令嬢の、せめてもの罪滅ぼしだ。
けれど、スワードの反応は思いも寄らないもので。
彼は、殊更眦を吊り上げ、険相を浮かべた。
眼光鋭くシャルロッテを射抜く。そして剣をおさめ、「そうか」抑揚のない声で言った。青い瞳が一瞬だけ、揺らいで見えた。
スワードは、抱きつくシャルロッテから、静かに腕をほどく。
──い、今のはどういうっ……!?
機嫌を損ねる要素が、どこにあったのか。
唖然とすると、ふとモーヴが視界に入った。
土で汚れた顔を恐怖に歪め、スワードに泣きついている。全身の血が抜かれたかと思うほど蒼白で、股座にはシミが出来ていた。
スワードは眼下に見るや、
「王太子の名において命じる。二度と彼女に近づくな。名前を呼ぶ事も、視界に入る事も許さん」
そう、冷厳な態度で言い放った。
喉が貼りついたのか、モーヴは発声出来なかった。代わりに、餌をねだる水中の魚のごとく口を動かして、「はい」と空の音を出した。
「行け」スワードは唸り声を出す。
がたがたと笑う膝を庇い、跛行して、モーヴは湖を去って行った。
モーヴの足音が遠くなり、静寂が訪れた。
梢を渡る風の音が、心の中を騒がせた。
物言わぬ背中に声をかけるのは躊躇されて、シャルロッテはただ待つしかなかった。
次にどんな反応をされるか、見当もつかない。いやそれどころか、
──知っている事など、あるだろうか。
好きな食べ物や、嫌いな食べ物。朝方か、それとも夜型か。分からない。
スワードという男を、何も知らない。
はたと気がつけば、翻りこちらを見据える彼と、視線がぶつかった。深海の瞳に映るシャルロッテは、普段よりも緊張していた。
スワードは月色の銀髪を靡かせ、同色のまつ毛を瞬く。
そして、「なぜだ」単刀直入に訊ねた。
「へ?」言意が読み取れず首を傾ぐシャルロッテに、眼を飛ばす。
「モーヴとは破談した。それなのになぜ、あいつとここに?」
スワードはシャルロッテへとやおら歩み寄る。
「よりにもよって、ムーンティア湖を選ぶとは。わたしを試しているのか?」
隙のない、威圧的な物言いだ。
気圧されたシャルロッテが後ずされば、一歩また一歩と、間を詰めてきた。
「やつと連絡を取り合い、ここで落ち合ったのだろう? きみ宛の便りはわたしが検閲しているのに……一体どうやった?」
「け、検閲?」シャルロッテは思わず復唱した、まるで慮外だったから。けれど、
(あ、そっか!)
ただちに理解した。王太子に近しい人間を利用しようと企む者は多いはず。
だから、シャルロッテに近づく者をあらかじめ排除するため、検閲したのだろう。
ゆえに、部外者との接触したシャルロッテに腹を立てたのだ。
(わたしに取り入ろうとする手紙が届くのかしら? 怪力を政治利用してやろうとか? ふふっ……)
シャルロッテは自嘲的な笑みを浮かべる。
その瞬間、熱が両肩に落ちた。スワードが手を乗せたのだ。熱くて大きなそれは、躊躇いがちに、しかし確実に力を込めてくる。
「言うんだ。わたしは決して怒らない」
しかし何かを含蓄する、硬い声音だ。
注視するような薄目と、シャルロッテは視線を合わせる。
「殿下……」
(もう怒ってますよね!?)
口を閉ざせば、彼の指の力は殊更強くなった。
もう、逃げられない。
そのとき、林の向こうから呼び声がした。




