第18話 本当の自分
シャルロッテは、どこへ行ったのだろう。
同じ屋根の下で笑い合っていたのに、いまや見当もつかない。
(嫌われたのか? いや、そんな……)
そう思い至り、喉が焼けつく。
誰よりも、"怪力"に理解を示してきたつもりだ。だが彼女のためと思っていた全てが、もし重荷だったのなら──。
(今すぐ会わなければ! 言葉を交わさなければ、何も分からない!)
スワードは馬を駆った。王都の中心街を抜けると、白い石畳が陽を弾き返す。高く通る蹄の音に、通りの人々が振り返る。
やがて、上級貴族の屋敷が立ち並ぶ高級街区へ入った。整えられた並木道の奥、白壁に金の紋章を掲げた屋敷が現れた。──シルト侯爵家のタウンハウスだ。
門前に馬を止めるや、スワードは息を荒げた。
「……っシャルロッテはどこだ!」
肺を開けば、鉄の味で満たされる。
門番の衛兵たちは日差しに目を眇めた後、青褪めた。
「お、おおお王太子殿下!? も、申し訳ございません! お嬢さまはお留守でして!」
「侯爵は……いや、視察に出していたな。ほかに誰かいないか。シャルロッテをよく知る者は!」
「それでしたら、ベルナールお坊ちゃまがご在宅です!」
(そうだ──あいつなら!)
「今すぐ会わせてくれ!」
門が開かれた。
馬が砂を蹴り、白い庭園を駆け抜ける。
太陽の下で、スワードの影が長く伸びた。
◇◇◇
「それで、僕を訪ねて来たと」
ベルナールはティーカップに手を伸ばした。
角砂糖半分と、ミルクは多め。──シャルロッテと同じ飲み方だ。
平静を装っているが、実際は落ち着かない。
屋敷のどこかにシャルロッテがいるのでは、そう期待する自分が情けない。
だが平然としたベルナールの様子に、スワードは息を整える。
ベルナールは分かりやすい性格だ。縄張り意識が強く、姉に害なす者を許さない。
そんな彼が取り乱していない。ということは、シャルロッテは本当に留守なのだろう。
「覗きがばれて、きまり悪くて逃げただけですよ。家出じゃあるまいし、そのうち帰って来ます」
ベルナールは優雅にカップを傾けた。
初対面の時より彼が大人びて見えるのは、それだけ今の自分に、余裕がないためだろうか。
スワードは震える手を握りしめた。
(家出じゃない? だが確証はないじゃないか)
叫びたい気持ちをぐっと堪え、口を開く。
「……嫌われたかもしれない」
「はぁっ!? げほっ、ごほっ! ……い、いったい姉上に何をなさったんですか!?」
豪快に咽せながらも、ベルナールは剣呑に問うた。
スワードは頭を抱えた。脳に心臓があるかのような、打ちつけるような頭痛が襲ってくる。
「何もしていない! いや、分からないんだ。今日はシャルロッテの訓練を休んで、騎士見習いの稽古をしていた。それを見た途端……逃げられた」
「騎士見習い……?」
ベルナールが訝しげに呟いた、その時。
軋轢音を立て、応接間の扉が開いた。
「失礼いたします。この者が殿下のお付きだと申しておりまして」
屈強な衛兵が、首根を掴んで少年を引きずってきた。陽を浴びて揺れる金糸の髪と、黒曜石の瞳をした少年は、愛くるしい顔を上げる。
スワードの瞳が、見開かれた。
「ゼーンズ!」
「へへっ」と笑ったその少年は、スワードの稽古相手で。シャルロッテの近衛騎士を志願する少年──ゼーンズ・フットだった。
「あー、なるほど」
途端、ベルナールは訳知り顔になる。そして薄目でゼーンズを見やり、
「念の為にお聞きしますが、そいつ男ですよね?」
と、スワードに問うた。
「何だと!?」変声したばかりの声を、ゼーンズは上擦らせた。衛兵が彼の脳天に拳骨を食らわせる。
その様子を流し見て、スワードは答えた。
「明らかだ」
聞くまでもないだろう。質問の意図が汲めず、スワードは眉根を寄せた。
だがベルナールは、苦々しく笑った。
「姉上は、たぶん女性だと思ってますよ」
瞬間、スワードの思考が空転した。
──ゼーンズを、女性と?
「シルト家の騎士団は、姉上に劣らず剛腕揃いです。こんな貧相な体格の騎士なんて、見たことありませんよ」
ベルナールの皮肉に、スワードは沈黙した。
言われてみれば、確かに。
スワードは、シルト侯爵領の屋敷に滞在した事があった。その時に見た庭師や料理番、侍女ですら、筋肉の丘陵を誇っていた。
「見事だ」と舌を巻いたのを、記憶している。
(もしシャルロッテが、ゼーンズを女性だと思っていたなら……)
自分は"他の女を抱き込んでいた男"に見えたということだ。
そんな事実はないのに──!
込み上げる後悔が、心臓を打ち鳴らした。
"模擬恋人"と称し、想いを隠す。
それがどれほど卑怯だったか、今なら分かる。
ベルナールは、やれやれとばかりに吐息する。
「信頼されてない証拠ですね、《《男として》》」
彼の尤もな指摘に、返す言葉がなかった。
──知ってほしい。
王太子ではない自分を、本当の自分を。
この湧き上がる感情の全てを。
(……あそこかもしれない)
奥歯を噛み、椅子を蹴るように立ち上がる。
「どこか思いつきました?」
「ああ、確証はないがな」
スワードは汗で束になった髪を掻き上げ、窓の向こうに燃える太陽を見据えた。
向かう先は──ムーンティア湖。
夜に、ふたりで笑い合った、思い出の場所だ。




