第16話 シャルロッテの逃亡
(来てしまった……)
訓練場の近く、茂みの中に身を潜め、シャルロッテは帽子の代わりに枝葉を被っていた。
夏の日射が容赦なく照りつける。
貴族令嬢の名が聞いて呆れる出立ちだ。
それでも、こんな事をする理由は、一つ。
この不快な胸焼けの正体を、確かめるためである。
二人に会えば分かる気がする。
が、正面切って問い糺す勇気はなかった。
本物の恋人に合わせる顔がない。
(だからと言って覗き見の方が、よほどいやらしいのでは!? これでは完璧に不審者だわ)
そう思いつつ、視線は自然と訓練へと吸い寄せられる。
「あ! あそこだわ」
大勢の騎士見習いがいる中で、ひときわ目立つ二人の姿があった。
スワードと少女だ。鎖帷子だけの軽装備で、二人は真剣を振るっていた。
木剣を使う訓練生たちとは、まるで気迫が違う。
スワードは敏捷に剣技を繰り出した。
汗で張り付いたシャツの下に、しなやかな筋肉が隆起するのが見える。
シャルロッテは、思わず釘付けになった。
彼は存外着痩せするタイプらしい。
少女は──女性にしてはすらりと長身である。シャルロッテ以上、スワード未満といったところだ。
剣の扱いは拙く、強い一撃を受けると剣を落としてしまう。
スワードは少女の背後に回った。
そして体を包み込むようにして、共に剣を握る。
「握りが甘すぎる。もっと指に力を入れろ。実戦ならとっくに死んでいるぞ」
手取り足取りの指導だ。少女の細面は赤々と茹だっていく。
その瞬間、シャルロッテの中で何かが弾けた。
(は、白昼堂々!? 人前で!? あの密着はありなの!? ……ありなのね!)
思わず小さな悲鳴が漏れ、両手で口を覆う。
訓練生たちが気にする様子はなく、むしろ「またか」といった顔で、苦笑していた。
袖口で額の汗を拭って少女は言う。
「ハァッ……ハァッ……本当にすみません。こんなに弱くて……」
少女の声は意想外に低く、落ち着いた声音だった。
若干掠れているのは、それだけ鍛錬に励んでいる証拠だ。きっと努力家に違いない。
それに比べ、自分は覗きだなんて!
慚愧に耐えないとは、まさにこのことだ。
「シャルロッテさまは、すごいですよね! 自分も、あんな風に強くなりたいです!」
(それって……わたしより"か弱い"ってことよね? つまり、殿下の好みは……)
「いいから黙ってやれ」
目を薄めたスワードが一言、言い放つ。
少女は素直に従い、また剣を振った。
その小気味のいい会話さえ、シャルロッテには眩しく見える。
少女はふと剣を止め、首を傾げた。
「そういえば、殿下って、シャルロッテさまとお過ごしなんですよね? ……大丈夫なんですか?」
シャルロッテは眉根を寄せた。
(『大丈夫』とは!? まさか、力に物言わせた怪力令嬢に"押し倒されてないか"とか!? そそそそんな事しないわよ!?)
シャルロッテは妄想を膨らませ、顔から火を吹いた。
最悪の想像が脳裏を駆け巡り、目眩がする。
思考回路はとっくに壊れていた。
「心配することはない。今の彼女は……余裕がないんだ。行動するには時期尚早だ」
「ふぅ〜ん?」
少女は退屈そうに唇を尖らせた。
その一瞬の仕草に、妙な親密な親密さを感じてしまい、シャルロッテはみぞおちを撫でる。
(帰ろう……もう限界)
二人の関係性を知るほど、胸焼けがひどくなる。
シャルロッテは腰を上げ足を踏み出した。
その瞬間、枝に裾が絡まってシャルロッテは尻餅をついた。
「いたた……っ」
尻の痛みに涙を浮かべ、地面に割座する。
日陰の湿潤な土が、ドレスや手のひらに、べったりと付着した。
その時、誰かが駆け寄る足音が聞こえた。
茂みの間からひょっこりと顔を出したのは──あの少女だった。
「ご令嬢!? 大丈夫ですか!?」
「何事だ?」
遅れて現れたスワードはこちらを見るなり、
「シャルロッテ!?」
血相を変えて密植する枝葉をかき分けた。
枝をわけるたび、指先に小さな傷が付く。
だが委細かまわず、一目散にシャルロッテの元へやって来た。
「なぜこんな場所に……。訓練は休みのはずだろう? ほら、手を──あっ、すまない」
差し伸べた手を、スワードは引っ込めた。
その態度は、どことなくすげない様子で。
行き場をなくした自分の手だけが、宙に浮く。その瞬間、シャルロッテは解釈した。
(はっ……! そっか! 本物の恋人の前だから、わたしに触れないのね!?)
手助けといえど、素肌の接触は憚れるのだ。
すると、彼の代わりに、少女がシャルロッテの手を掴んだ。
華奢に見えたその手は、意外にも力強い。
鍛錬を重ねた手は、女性のものとは思えないほど節くれだっている。
さすがは騎士見習い、これも立派な努力の証だろう。
シャルロッテは敬意を込めて、握り返す。
(ひたむきで、誠実な方なのね。殿下がお慕いするのも当然よ。それに比べてわたしは……覗き魔の怪力令嬢よっ!!)
あまりに、惨め。
愧死寸前となったシャルロッテに、少女はおずおずと訊いた。
「あの、もしやあなたが"怪力令嬢"の──」
「あっあっ! 大変! 思い出しましたわ!
わたし、街に行く用事がありますの! それではごきげんよう!」
「待てシャルロッテ! 街とはどこに──」
「急いでますのっ!!」
叫ぶやいなや、ドレスをたくし上げ、泥まみれのまま走り出した。
嵐のように去って行ったシャルロッテに、スワードの叫び声が届くことはなかった。




